2――裏庭へ(前)
2.
裏庭までの道のりってば、思った以上に長かったわ。
「ええ~、まだ着かないのぉ?」
私、つい愚痴をこぼしちゃう。
だって……見てよ、この光景。裏庭までの傾斜を、ぐるりと迂回しなきゃいけないの。
「文句言わないの」ずんずん先へ進むおば……姉さん。「口を動かす暇があったら、足を動かしなさい……」
そう言われたら、私も黙るしかなくなっちゃう。
はぁ、屋敷の裏ってこんなになってたんだ。あんまり来たことなかったからな~……そもそもお兄ちゃんが居ない場所なんて、興味ないし……。
雑木林の合間を縫うように蛇行したあぜ道は、踏み進むだけでも一苦労よ。
「はふぅ、歩くだけで汗かいちゃいますね。上着いらないっ。裸になりたいっ」
私はコートをはだけつつ、おば……姉さんを追従するの。ていうか、普通に歩ける方が異常だわ。おば……姉さんにとっては慣れた道なんだろうけど、いちいち迂回路を行き来するなんて、面倒極まりなくない?
うなじを露出させた黒髪ポニテが、寒風になぶられると気持ち良いな~。お兄ちゃんから借りたセーター、汗でベタ付かなきゃ良いけど……。
「ひぃひぃ。今からでも、隠し通路を再開通させるべきですよぉ~」
「裏庭は今、父さんの私有地だから……雹造さんは勝手にいじれないみたい」
「え~。説得できないんですかぁ?」
「どうだろ……」首を傾げるおば……姉さん。「父さんは研究のために裏庭の土を掘り返しているから、そのうち抜け道の出口も発掘するかも知れないわね……」
「そもそも、どうして埋め立てられたんですか?」
「裏庭の辺りはもともと、河原だったのよ……」
「河原?」
「そう。金山から流れて来る土砂が積もり積もって、裏庭になったの。堆積した土が、抜け道を塞いじゃったようね」
「じゃあ近くに河川があるんですね?」
「耳を澄ましてご覧なさい……水のせせらぎが聞こえるはずよ」
「ん~。あ、本当だわ!」
耳を澄ませば、ザーザーと流れる水音が鼓膜をくすぐるの。裏庭のほとりに川が横たわってるんだわ。
「金山から流れてるんですよね、この川?」
「ええ……だからこそ私の父は、裏庭に住み着いたのよ」
「ん? どういうことです?」
「来れば判るわ」
おば……姉さん、ちょっと意気を落としてる。
あれ、もしかして私、地雷踏んじゃった? 別に無理して聞くつもりはないよ~っ?
やがて迂回路を出ると、大きな川に直面したわ。川べりの地面は確かに土砂が積もり、固められて、埋め立て地みたいな地盤を形成してるの。
ニーソの細足でぴょんぴょんと飛び歩く私。
「わぁ~、造成地みたいになってる。さらに向こうは岩盤がせり出てるけど」
「あっちは岩だたみ、という土壌ね……」
「岩だたみ?」
「平らな岩が、川岸で広範囲に渡って露出している地面のことよ。父さんは『基盤岩』と呼んでいたわ」
難しい言葉を呟かれたけど、私にはピンと来なかったわ。
けど、酔狂な研究に励んでるだけあって、それっぽい専門用語が出て来たのは頷ける。
――ガガガガガガ。
「……ん?」
そのとき、異音が
川のせせらぎを不躾にぶち壊す、人工的な破砕音よ。
私たちが裏庭へ近付けば近付くほど、その騒音は大きくなるの。
「重機?」
私、見ちゃった。
裏庭の一角が、数台のクレーン車やらショベルカーやらダンプカーやらボーリング掘削機やらに占拠されてたのよ。
(あ~。土木業者を連れ込んでるって言ってたっけ)
裏庭はあちこちが掘り起こされて、穴だらけだったわ。
冬空の下で大粒の汗を垂らし、重機を駆る工事員の顔立ちが、遠目に焼き付く。
いい感じの細マッチョで、健康的な顔色してる。まぁ、私の好みじゃないけどね。私の理想はいつだってお兄ちゃんだもん。お兄ちゃんの汗なら飲んでもいい。
すると、おば……姉さんがふと、人差し指を伸ばしたわ。
その先にあるものは――。
「裏庭の片隅に、コンテナハウスが設置されているでしょう?」
「あっ、はい。大きさ的にワンルームくらいですね」
――コンテナハウス。
要は、簡易設置型の輸送可能な仮設住宅ね。その証拠に、ハウスの天辺にはワイヤーを結んで運搬するための吊り具が備え付けられてる。
壁や天井は、波打った模様の鉄板――コルゲートって言うらしい――で覆われてたわ。床はベニヤ板かな。
接地面には、三〇センチ四方・厚さ五センチ程度の、手で抱えられるくらいのコンクリートブロックが、土台として敷き詰められてる。
「さらにその奥にあるのが、錬金術の
「
おば……姉さんが示した方角に目をすがめると、コンテナハウスの後ろに別種の倉庫が並んでたわ。
――あの中で、鉱物だの地質だのを研究してるのかな?
錬金術、だなんて眉唾っぽいことも囁かれたけど、本当かしら。さすがに尾ひれが付いただけだと思いたいな~。
「足下、穴が空いてるから気を付けてね……」
「はぅあっ」
注意されるが早いか、私ってばさっそく片足を地面の穴に突っ込んで、思わず転落しちゃう所だったわ。
あ、危ない~っ。
この裏庭、至る所で穴が掘り返されてるから、迂闊に踏み込めない。場所によっては数メートルもの深さよ。よく掘ったわね。
今の拍子に、スカートめくれなかったでしょうね? お兄ちゃん以外の奴にパンツや絶対領域を見られたら、舌噛んで死ぬからね。
「わわっ。コンテナハウスのすぐ横にも穴が掘り返されてるっ」
ハウスの玄関に到着しても、これ見よがしに穴が空いてるのを見付けたわ。
ほらここ、建物の左脇部分よ。心配だな~、崩れたらどうするんだろ?
「父さん、居る?」玄関を叩くおば……姉さん。「父さんが忙しいって言うから、こっちから連れて来たわ……せっかく里帰りしたのに顔も合わせないのは可哀相でしょう?」
な~んて屋内に向かって呼びかけるおば……姉さんの言葉にほだされたのか、玄関のドアが押し開かれたわ。
中からのそり、と緩慢な動きで顔を出したのは、白髪の老人よ。雹造おじいちゃんに似てる。目許とか顔のラインとか、なるほど兄弟だなって感じだけど――。
(この人、比べ物にならないくらい、暗い……)
陰鬱っていうか、陰気っていうか。
目の下にあるクマと、痩せこけた頬骨が貧相なの。おば……姉さんとは似ても似つかないんじゃない? 本当に父娘なのかしら、って首を傾げちゃう。
その老人――凍助おじいさん――は研究者らしく白衣を引っかけてたけど、土や埃に薄汚れて、白さの欠片もないわ。
己の身も顧みず、土ばかりいじってるのが察せるわね。
「何じゃい、また来たのか」娘の顔に唾棄する老人。「ワシに構うことはないじゃろう。屋敷の者だけで盛り上がればええじゃないか。邪魔せんでくれんか?」
「父さん、そんなこと言わないで……ほら、この子。一年振りに帰省したのよ」
「あ。どうも、お久し振りで――」
「ワシに構うなと言っておるッ!」
「――すっ……!」
ひええ、叱られちゃった!
叱るっていうより、怒鳴られた感じ? オカルトにのめり込んだ偏屈な老人のイメージそのまんまね。歓迎されてないな~私。
「あ、あのっ」
だから私、食らい付いちゃった。
門前払いもいいとこだけど、せめて意志疎通してくれたって良いじゃない?
「何じゃい、小娘」
「えっと、その」言ってから考える私。「錬金術って、本当にあるんですかっ?」
「――ある」
え、ほんとに?
即答されちゃった。大した自信よね。こんなにも確信を持ってるなんて。
「正式に発表できるようになったら、黄金をたんまりと見せてやるぞい。楽しみに待っとれ。そして、ワシの研究を馬鹿にした連中に吠え面をかかせてやるんじゃ」
「あ、あのう、
「……小娘。そなた随分と食い下がるのう」
じろり、と睨み返されちゃったわ。
しまった、つい……深入りし過ぎちゃった? あうあう。
「まぁ良い。見せたらさっさと帰るんじゃぞ」
凍助おじさんは私を押しのけて、隣の
そんな身体になってまで隠遁して、不思議な研究に傾倒するなんて……狂気の沙汰としか思えないわね。変人扱いされてるのも納得できちゃう。
洗濯物や靴拭きマットが吊るされた物干し竿を通り過ぎ、私たちは
「見てみぃ。ただし、実際の作業風景は企業秘密じゃからな」
「わぁ……」
一応、採光のために天窓があったけど、それ以外はコルゲートの壁に密閉されてる。壁に照明が備え付けられて、夜とかはそれで明かりを採ってるみたい。
「石臼、水槽、
「え、えっと――判んないけど判りましたっ」
無理やり納得させられちゃった。
ていうか、モノの名称は判るけど、そこからどうやって黄金を錬成するのか、さっぱり不明なのよね。けど、質問できる空気じゃないよぉ~。
「さ、判ったじゃろ、もう帰った帰った」
「ちぇ~……」
「でも父さん、もうじき三時よ。おやつ休憩で屋敷に戻るでしょう? そのときみんなと対面――」
「くどいッ!」
わわっ、怖~い。
実の娘にまで目くじら立てるなんて、よっぽどナーバスなのね。
玄関をバタンと硬く閉ざされちゃって、私たちは途方に暮れたわ。
「……ごめんなさいね、わたしの父が堅物で」
「いえ、別にいいですけど――あっ」
しぶしぶ玄関に背を向けた直後、パッと顔が明るくなったわ。
私の眼前に拡がってたのは、木立ちと木立ちの間から見渡せる、金山の威容だったの。
わぁ~、絶景っ!
「迂回路の木立ちが邪魔だけど、金山の天辺までくっきり見える~!」
私ってば遠く指差しながら、思わず感嘆の声を上げちゃった。
澄み渡る田舎の青空は空気も澄んでて、山の風光を雄々しく映してるの。閉山したとはいえ、あの山は今も町を見守ってくれてるのかな~って感慨が湧いたわ。
「見惚れてると、また足を取られるわよ?」
「はうっ」
注意されるや否や、私は再び、裏庭の穴ぐらへ足を踏み外しそうになっちゃった。
あっ今、ショベルカーに乗ってる工事員、私のこと笑った。う~、恥ずかしいよぉ。まさか今、パンツ見られてないでしょうね?
は~。お兄ちゃんは電話に出てくれないし、今日の私ってばツイてなさ過ぎ!
またあの迂回路を歩いて帰るの、憂鬱だわ……。
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