1――武家屋敷へ(後)
住み込みの関口鮎湖さん、まだまだ若くて、とっても綺麗なの。化粧っ気はないけど、整った卵型の小顔と、ぱっちりしたお目々が人懐っこくて可愛いのよね~、子犬みたいで。短い黒髪が健康的だし、てきぱきと元気よく動くから、屋敷の家事全般を任されてる。
いいな~、私もこんな家政婦さん欲しい。和装じゃなくてメイド服を着せたい。
「お久し振りです、鮎湖さん」ぺこりとお辞儀する私。「また数日、お世話になります」
「いいんですよ、そんなかしこまらなくても。お客さんですもの」ころころと鈴を転がすように笑う鮎湖さん。「さぁ、上がって下さい。奥ではおばあ様がお待ちですよ」
框の上に客用のスリッパを並べてくれたから、遠慮なく履いたわ。
は~、ようやく一息つけそうね。んぅ~、疲れたよぉ。
あっそうだ、電話しとこっと。
「もしもし、お兄ちゃん?」廊下を歩きながらケータイを手に取る私。「……って、あれれ? 繋がんない。圏外でもないし、あっ留守電になってる! お兄ちゃんめ、勉強の邪魔されないように切ってるな~? も~、今到着したよっあっかんべ~だ!」
伝言だけ残して、しぶしぶ通話を切ったわ。
ちぇ、つまんないの。
二度とパンツ見せてやんないからね!
「あら、到着早々お電話ですか?」
鮎湖さんが、後続の私を振り返る。
私はこくんと頷いて、待ち受け画面を見せびらかしたわ。
「ほら、これ私のお兄ちゃんとツーショットなの! かっこいいでしょ?」
画面には、二時一五分の時刻表示と、お兄ちゃんへしがみ付く私の写真が映ってる。
私がカメラ目線なのに対し、お兄ちゃんだけ微妙にそっぽ向いてるのは、きっと照れ隠しよね。きっとそうよね。うん。
「あらまぁ、本当に仲がよろしいんですね」画面を覗き込む鮎湖さん。「わたしもこんな殿方がそばに居て欲しいなぁ」
「むっ。駄目ですよ、お兄ちゃんは私のだもん。手を出したら誰であろうと――潰す」
「そ、そんな露骨に害意を剥き出さなくても」
たちまち牙を剥く私の視線に、鮎湖さんがたじろいでる。
ふん、こればっかりは譲れないもんね。お兄ちゃんに尻尾振る奴は敵よ、敵。
「二人とも、歩きながらよそ見するでない」
おじいちゃんにたしなめられちゃった。は~い……。
私たちは屋敷の長い廊下を渡り終えて、和室に辿り着いたわ。木造の古い建て付けだけど、染み一つない壁紙と天井が眩しいの。畳や障子戸も張り変えたばかりみたい。
中央にしつらえたコタツで、おばあちゃんがお茶をすすってる。
「こんにちは、おばあちゃん!」
「ああ、よく来なすったねぇ」
しわがれ声で、厚着した
世間じゃ暖冬だけど、老人には寒いのかな。歳を取ると冷えやすいって言うもんね。
私は荷物をそばに捨て置いて、おばあちゃんの隣に座り込んだわ。
「あ、お荷物は客間に運んでおきますねっ」
鮎湖さんがすかさず荷物を預かってくれたのも、かゆい所に手が届く配慮よね。やっぱりメイドに欲しい~。
コタツには、すでに私たちの分とおぼしきお茶やお菓子も配膳されてたわ。女中が一人でこれ全部やってるのかな……大変よね。
「相変わらず、凍助の奴は顔も出さんのか!」
おじいちゃんが上座に腰を下ろして、ふんと鼻を鳴らしたわ。
用意されたお茶をグビグビ飲んでる。わわっ、一気飲み? トイレが近いって言ってたのに、ますます近くなっちゃうんじゃない?
(凍助おじいさんかぁ……本当に疎遠っぽいわね)
裏庭の離れにこもりっきりとかいう話は、あながち誇張じゃないみたい。あんまり人と迎合しない性格なのね。
かと言って、挨拶しないままで居るのも居心地悪いな~……。
すると、おばあちゃんが口を開いたわ。
「今ね、凍助さんの娘さんが呼びに行ってるわぁ。じきに戻って来るわよ」
――凍助おじいさんの、娘?
「それって、おば……姉さんのことよね? もう来てたんだ?」
「そりゃそうさね。彼女も湯島家の子だものねぇ」
おばあちゃんがしきりに頷くのと同時だったわ。ガラリ、と奥のふすまが開かれて、噂のおば……姉さんが姿を現したのは。
まるで、話題に出るタイミングを見計らってたみたいな、完璧な闖入だった。
「あら、こんにちは……よく来たわね」
「おばさんっ」
「誰がおばさんですって?」
「あぅあぅ、ごめんなさい、おば……姉さん」
私にとっては親戚のおばさんなのに、おばさんって呼ぶと怒られちゃうのよ。理不尽な話だと思わない?
おばあちゃんが、おば……姉さんに座布団を進めつつ、進捗を尋ねる。
「それで、凍助さんは屋敷に来るのかしら?」
「いいえ、駄目でした……今日も土木業者の工事員を連れ込んで、裏庭の発掘と地質調査に明け暮れてましたよ、全く……」かぶりを振るおば……姉さん。「本当、自分の世界というか、殻に閉じこもっちゃって、挨拶もしないんだもの……困ってしまうわ」
土木業者?
そっか、地質調査だっけ。裏庭で土を掘り返してるとは聞いたけど――。
「凍助おじいさんって、何をなさってるんです?」
「在りし日のゴールドラッシュを夢見ているのよ……」おば……姉さんの溜息。「金山を蘇らせるべく、掘り返した土から純金を創る『錬金術』なんてオカルトにハマって……」
「れ、れんきんじゅつぅ?」
私、たまらず素っ頓狂な声を出しちゃった。
途端におじいちゃんやおばあちゃんも、腫れ物に触るような顔色になっちゃう。
確かに白眼視されても仕方ないわよね、今どき、そんなオカルト誰も信じないもん。
「錬金術って、あれですよね。ただの石や銅から、純金を錬成させるっていう魔法の」
「そんなもん、ありゃせんのにな」
おじいちゃん、憮然と嘆息してる。凍助おじいさんと疎遠なのは、これが理由?
どうしよう。向こうが顔を出さないんじゃ、挨拶は諦めようかな?
「それじゃ、こっちから顔を出す?」
おば……姉さんってば、人差し指を立てて提案して来たわ。
ふぁっ? 裏庭に伺っても良いの?
私、あんまり面識ないんだけど。
「もうすぐ三時だし、父さんも工事員も、おやつ休憩に入るはずよ……そのときなら、挨拶も応じてくれるかも知れないわ……」
「や、別に私は構いませんけどぉ」
「ごめんなさいね。うちの父が偏屈なばっかりに……到着早々、迷惑かけちゃって……」
おば……姉さんが手を合わせて懇願したわ。
ん~、そうまで言われちゃうと、私も動かざるを得ないじゃないのよぉ~。
「じゃあ、おば……姉さん。ちょっと裏庭まで案内してもらえますか?」
「ええ、もちろん……と言っても敷地は広いから、裏庭までもそこそこ歩くわよ?」
あ、そうだっけ?
あんまり足を踏み込んだことがないから、私には判らない。
「裏庭というより、裏山みたいになっているのよ……昔は屋敷の裏手に抜け道があって、有事の際はそこを通って裏庭へ直通できたみたいだけど」
「抜け道、ですか?」
「武家屋敷の名残りよ……いざというときの避難経路として、裏庭に脱出できる『隠し通路』があったんだけど、今は出口が埋め立てられちゃって……裏庭へ行くには、裏山をぐるりと迂回する林道を歩くしかないのよ」
へ~、初耳。
けど、今は使えないんじゃ仕方ないわね。
とにかく私は、再びコタツから立ち上がったわ。たちまち外気が寒く感じる。暖冬なのに。これがコタツの魔力なのねっ。ニーハイより上の素肌がすーすーするわ。スカートも短いし、パンツも紐だし、お兄ちゃんに温めてもらえないし。
おば……姉さんに連れられて、屋敷を出て裏山に踏み込む。
まだ日は高いのに、薄暗い山道が続いてたわ。
(早く済ませて、またコタツに戻ろっと)
枯れ木だらけの閑散とした道程を、二人で歩き出す。
――お兄ちゃんも家族も居ない実家で、このあと、凄惨な事件が待ち受けてるとも知らずにね――。
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