第三幕・高値の錬金術師

問題編・よくある隠し通路について

1――武家屋敷へ(前)

   1.




 トンネルを抜けると、そこは暖冬の雪国だったわ。


 雪なんてないけどね。


 だって、暖冬だもん。


 一面の銀世界が広がってると思った? 残念ね。私もよ。


 あるのは、ひたすら続く禿山と、枯れ木と、枯れ草ばっか。


 虚しく木枯らしが吹きすさんで、寂しい枝葉を揺らす一方だわ。


「はぁ~……」


 私、溜息ついちゃった。


 風景がわびしいと、心まで隙間風が吹いちゃうね。ううん、逆かな? 心に穴が空いてるから、見えるもの全てが虚しく感じちゃうのかも……な~んて感傷に浸ってみたり。


 そう――今の私は、ひときわ孤独。


 一人で、この茫漠とした稜線を、電車の窓から眺めてるの。


(今は冬休み……二学期が終わって、年末の里帰り。のはずなんだけど)


 私は田舎の鈍行電車に揺られてたわ。


 足下と網棚の上に、一つずつ鞄を置いてる。大きめのセーターとプリーツスカートの上にコートを羽織って、黒と白のボーダーニーソックスを防寒用に穿いてるけど、暖冬だから必要なかったかも。ぶっちゃけ、ちょっと暑い。


(どうして私一人だけ、先に帰省しなきゃいけないのよっ)


 朝からずっとプンスカしてるの。


 だって――お兄ちゃんが居ないのよ!


 お兄ちゃんは家でお留守番。


 こんな仕打ちに耐えられると思う? 拷問にも等しいわっ。しばらくお兄ちゃんを下着で誘惑できないよ~……Gストリングスの紐パンで勝負したかったのに~。


「もしもし、お兄ちゃん?」冬モデルに買い替えたケータイをかける私。「ようやく田舎の県境に着いたわよ! うん、新幹線を乗り換えて、一時間に一本しかないローカル線。お兄ちゃんと一緒に居られなくて辛いよぉ」


『仕方ないだろ。こっちは今、冬期補習の追い込みなんだから。授業内容的に、どうしても受けておきたくてさ。田舎でのんびり年を越せる君が羨ましいよ』


「ぶ~ぶ~。うちのお母さんも仕事が抜け出せないとかで、帰省が急きょ遅れちゃったのよ。結局、私だけ単独で帰省することになって、つまんな~い」


『だからって、一〇分おきに電話をかけられても困るなぁ。こちとら勉強中なのに』


「む~。じゃ~あとでパンツの写真送るね! それを見て、私を思い出して!」


「いらないよ。なんでだよ。児童ポルノで捕まっちゃうだろ」


「はぅ~、ごめんなさい……」萎縮しちゃう私。「じ、じゃあそろそろ切るね。もうすぐ降車駅だし。あ、駅にはおじいちゃんが車で迎えに来るの! また後で連絡するね!」


『いや、しなくていいから。勉強に集中したいんだよ』


「あぅ~……でも私、くじけないっ。実は昨日、お兄ちゃんの部屋に忍び込んで、セーターやカーディガンを何着か拝借して来たんだから! これなら、いつも一緒!」


『え。いつの間に』


「今着てるセーターもお兄ちゃんのだよっ。大きくてあったか~い。恥ずかしいけどお兄ちゃんのパンツもあるよっ、さすがに着ないけど。ボクサーパンツなんて意外~」


『ほ、本当だ。クローゼットが閑散としてる……返すときクリーニングしてくれよ?』


 あ、微妙に引かれてる……。


 う~。だって、少しでもお兄ちゃんの残滓を身近に感じたかったんだもん。


 ――というわけで、私は家の都合上たった一人で、祖父母の暮らす田舎町に里帰り中。


 本当は私も日程を遅らせたかったんだけど、親が新幹線のチケットを私の分だけ取ってたみたいで、払い戻しも面倒だし、やむを得ず乗車したって案配。


(あ~あ、電話切られちゃった……憂鬱だよ~)


 私はケータイをしまったわ。おじいちゃんやおばあちゃんに会うのはやぶさかじゃないけど、こんな何もない田舎で、どうやって過ごせって言うの~?


 これでも昔は、金山や鉱山資源で賑わってたんだって。あいにく鉱脈を掘り尽くしちゃって、現代じゃすっかり過疎地になってるけど。


「よっこいしょ」


 電車が停まったので、私は荷物を網棚から下ろしたわ。


 足下の鞄も持ち上げて、えっちらおっちら下車する……ふあぁ、外の空気はちょっと涼しいかな? やっぱりニーソ、穿いて来て良かったかも。息が白い~。


「よく帰って来たのう」


「おじいちゃん!」


 無人駅の改札をくぐると、猫の額ほどのロータリーにワゴン車が停まってたわ。


 近くには公衆トイレがあって、ちょうどそこから退出した老人男性が、私の姿を認めるや否や手を振って来るの。


 ――湯島ゆしま雹造ひょうぞう


 私のおじいちゃんよ。私に似て小柄だけど、がっしりした体付きだわ。


 格好は和装。甚平の上に半纏を羽織ってるわ。足にはカラコロと音を立てて下駄をつっかけてる……え、それで車を運転してたの? ペダル、よく踏めるなぁ。


 還暦を過ぎたおじいちゃんだけど、まだまだ元気そう。車だってオフロード用のごついワゴンを転がしてるし、滑舌もはっきりしてる。


「ちょうど一年振りじゃのう」


「うん、そうね。夏は帰れなくてごめんね、おじいちゃん」


 他愛もない言葉を交わしながら、私は後部座席に乗り込んだわ。


 交通量の少ない田舎道は、おじいちゃんも運転しやすいみたい。いきなりエンジンをふかして急発進するもんだから、座席の上で倒れちゃった。


 うぁ~、パンツ丸見えっ。


 誰も見てないだろうけど、手でスカートを押さえたわ。これはお兄ちゃん専用なのっ。


「わわっ! おじいちゃん、暴走してるよぉ」


「わはははは、これくらいはしゃいでる方が乗り心地も楽しいじゃろ?」


「た、楽しく、ないっ」


 ガタンゴトン揺れてる。


 ど、どうやったら車がこんなに飛び跳ねるのよぉっ?


 おじいちゃんは運転が荒い。昔から走るのが好きみたい。そりゃ~ろくな舗装もされてない田舎だから、ごっついオフロード車は理に適ってるけどぉ~……。


 家には大型バイクやトラックもあるし、確か重機じゅうきの免許も持ってるんじゃなかったかな。要するに、乗り物全般が趣味なのよね。


「昔はブルドーザーやクレーン車も乗ってたんじゃがのう。わしの腕も鈍ったわい」


「そ、そうなんだっ」ガタンゴトン。


「歳のせいで、トイレも近くなってしもうたわい。長時間は運転できん」


「あ~、さっき公衆トイレから出て来たのも、そのせいっ?」


 がくんがくんと車が上下に弾むせいで頭をぶつけつつ、私は聞き返したわ。


「まぁの。わしは昔、鉱業会社をやっとったんじゃ。自分も現場に出たもんだわい。何せこの地方で最後の金山を、我が社が所有しとったからのう」


 そう言えばそうだったっけ。


 金山。


 鉱脈。


 この辺りは昔、金鉱で栄えてたって話したわよね。おじいちゃんの世代が、その最後の恩恵に預かってたわけ。そのとき貯め込んだ資産で、今は悠々自適みたい。


「き、金山の所有権も、おじいちゃんが持ってるんだっけっ? きゃあっ」


 車が大きくバウンドする。


 私、よく舌を噛まずに質問できたわね。


「そうじゃぞ。あの辺の山は全部、わしらのもんじゃからな。一部の金脈は、弟の凍助とうすけに分けてしまったがのう」


「凍助おじいさんかぁ」


 おじいちゃんの弟さんは、あんまり面識がない。


「今は、凍助おじいさんと同居してるの?」


「裏庭の離れにひきこもっとるわい。ほとんど会話せんが、たまに母屋にも顔を出す。奴もまた、貯め込んだ資産で道楽生活しとるようじゃ。もともと自然や鉱物研究が好きな奴じゃったからな、地質学だの鉱石学だの、独自の調査に没頭しとる」


「あ、そ、そうなんだ~っ」


 急カーブを減速なしで曲がるもんだから、私の体も斜めにかしいだわ。


 おじいちゃんは平然と会話してるけど、私は慣れないよぉ~っ。


(凍助おじいさんって確か、……の父親なのよね)


 私は脳裡に、おば……姉さんの姿を思い描いたわ。


「よーし、着いたぞい」


 や、やっと停まった……。


 何しろ対向車すらろくにない上に、信号もまばらだから、ず~っと車の暴走が続いてたのよ。そこそこの距離を走ったのに、初めての停車が実家の門前。なるほど、これが田舎道の交通事情なのね……はふぅ。


 あ~気持ち悪い……ちょっと酔っちゃった……。


 私は顔面蒼白でケータイを見ると、時刻は午後二時を一〇分ほど過ぎてたわ。


 二時かぁ……おやつの時間には間に合ったって感じね。何も食べる気しないけど。


 とにかく、気を取り直そう……私は居住まいを正したわ。改めてスカートの裾を払い、よれたニーハイソックスの口を引っ張り上げる。


「何度見ても、大きなお屋敷~」


 揺れない地面に足を下ろした私は、その感触に安堵しながら実家を眺めたわ。


 ――古風なかわら屋根。堀と塀。そして門構え。


「武家屋敷って言うんだっけ?」


「江戸時代からここに住んどったからのう、我が湯島一族は」呵々と笑い飛ばすおじいちゃん。「ここらを治めとったお侍さんの末裔が、わしらじゃ。文明開化のどさくさで金山の権利も独占したっちゅうわけじゃな。今はこの屋敷も古民家として、県から重要文化財の打診も受けておる。また金が入るかも知れんのう」


「え~。そうなったら管理が面倒にならない?」


「そうは言うがな。もはやこの屋敷にゃ、わしと妻と、あとは小間使いの関口せきぐち鮎湖あゆこくらいしか住んどらん。国の援助が入った方が楽じゃ」


「凍助おじいさんは?」


「あいつは数に入っとらん。昔からいろいろいがみ合っておったからな、裏庭で別居中じゃ。家長はこのわし、文句は言わせんよ」


 い、いろいろ根が深そうね……。


 私はとやかく首を突っ込むのも煩わしいし、話を切り上げて門をくぐったわ。


 おじいちゃんも物凄い勢いで車をターンさせて車庫入れを済ませると、けろっとした顔で後を付いて来る。


 い、いつもあんな調子で駐車してるんだ……?


 屋敷の敷地内は、和風の庭園だったわ。玉砂利敷きの庭に、灯籠や飛び石が散りばめられてて、ため池には鯉が跳ねてる。池の上には橋までかかってるし、奥では鹿威ししおどしがカコーンって鳴ってるの。


 これ、お手入れが大変そうね……まぁ庭師を雇ってるんだろうけど。お金持ちだし。


「あ、いらっしゃいませ~!」


 屋敷の玄関を開けると、ちょうど奥の廊下から、パタパタとスリッパを鳴らして来る女中さんが居たわ。旅館の仲居さんみたいな着物をまとってる。


 住み込みのお手伝いさん、関口鮎湖さんよ。


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