解答編

4――どんでん返しも三度まで

   4.




 まさか沢谷先生が、呪詛の貼り紙を持ってたなんて……。


 宇水雫に自殺を教唆した犯人なの?


「待て! 自分は警察署になんて行かないぞ! 任意同行なら拒否も出来るはずだ」


 ひぇ~。沢谷先生ってば、めっちゃ反発してる。


 けどまぁ、正式な手続きをしないと逮捕とか強制連行って出来ないんだっけ?


 素直に従わなきゃ禍根を残しそうだけどね……常に警察から付け狙われそう。


『警察が強制連行できるのは、現行犯の場合と、緊急逮捕の場合だね』


 お兄ちゃんのとろけるようなイケボが、スマホから語りかけたわ。


 はぁ~、この緊迫した場面で、唯一の癒しだよぉ。


 背後では沢谷先生の抵抗が続いてるけど、私は人混みから外れてスマホを耳に当てる。


「緊急逮捕って、なぁに?」


『証拠隠滅の恐れがあるときや、容疑者が海外逃亡しそうなときなど、喫緊の場合に限って被疑者を拘束できる権限だよ』


「わぁ~、お兄ちゃんってば物知り! 博学! 生きる百科事典ね! 抱いて!」


『いや、大したことは言ってないし、物知りと博学って意味が重複してるし、抱くって普通のハグのことかい?』


 あ~んもう、お兄ちゃんってば律儀に全部突っ込んで来るぅ。


 けど、いちいち突っ込んでくれるお兄ちゃんって、それだけ私の一言一句を聞いてくれてるってことよね? やっぱりお兄ちゃんは寛大だな~。


『それに、沢谷先生が犯人かどうかは、現時点では早計だしね』


「え? どうして?」


 反射的に聞き返しちゃった。


 あ~馬鹿馬鹿。お兄ちゃんがそう言うなら、それが真理に決まってるのに。


「あのですね、沢谷さん」


 三船さんが沢谷先生に詰め寄って、柄にもなく凄んでたわ。


 後ろからは、おば……姉さんが剣呑に見守ってる。さっさと沢谷先生を警察署まで引っ張りたいんだろうな~。早くしろって背後から殺気を発してるわ。


「沢谷さんって、ガイシャと不仲だったんですよね? 演劇部の配役を巡って。その話がこじれて、一年経った今も目障りだから、わずらわしくなって自殺に追い込んだんじゃないですか?」


「失礼なことを言わないで下さい!」ムッとする沢谷先生。「大体、自分がどうやって、呪詛の貼り紙を剥がしたんですか! 準備室は鍵がかかっていて、警察が来るまで誰も入れなかったのに!」


「うっ。それは――」


 三船警部ってば、腰が引けちゃった。


 やっぱこんなもんよね、あの人は。


 睨めっこに負けた三船さんは、おば……姉さんへ救いを求めて振り返ったけど、助け舟を出したのは反対側に立ってたお母さんだった。


「……貼り紙を剥がしたのは……単純な方法が一つだけあるわ……」


「え!」


 途切れ途切れに語り出したお母さんが、一同をゆっくりと見回す。


「溜衣子さん?」


 おば……姉さんが眉をひそめたけど、お母さんは「お願い……言わせて」と両手を合わせて、民間人でありながら淡々と切り出したわ。


「……聞いた話だと……準備室に踏み込めたのは、警官の立ち合いの下で、引き戸を壊したから……よね?」


「ええ」頷くおば……姉さん。「通報を受けた巡査官と一緒に、力ずくで戸を破ったとのこと。その直後、血相変えた沢谷先生や瀬川先生が、我先にと室内へ踏み込んだため、現場を荒らさないようなだめるのが大変だったそうです……って、あ!」


 あ。


 至って単純な話だったわ。


 お母さんは微笑んでる。


「……真っ先に踏み込んで、引き戸の内側にあった貼り紙を剥がし、懐に回収すれば……ひとまずは誰の目にも付きませんよね……?」


「いや、待て、そんなことはしていないぞ!」


 沢谷先生、なおもがなってる。


 ぶんぶんと振りまくる両手は真っ黒で、ろくに手すら洗ってない有様よ。ハシゴを運ぶときに汚れたまま――。


 ん?


 汚れた手?


「……ええ。沢谷先生ではありません……」


「違うんですか?」


 三船さんを始めとする警察連中が、あんぐりと口を開けたわ。


「……沢谷先生の手は、黒く汚れたままです……そんな手で貼り紙を剥いだら、紙にも汚れが付着するはずです……が」


「貼り紙は綺麗よ。真っ白なものだわ」


 おば……姉さんが、押収したしわくちゃの貼り紙を改めて掲げたわ。


 うん、さっき発見したときから白かったよね、あの紙って。黒ずんだ汚れなんてどこにもない。


 沢谷先生が触った形跡は、ない――。


「……つまり、これは沢谷先生に罪をなすり付けるための、偽証なんです……」


「冤罪ってこと?」


 私、ついお母さんに尋ねちゃった。


 お母さんはにっこりと微笑んで「そうね……」って返してくれる。


 まんまと引っかかる寸前だったんだわ、私たち。


「……そもそも、呪詛の貼り紙を剥がす必要なんて、あったのでしょうか……? 演劇になぞらえて自殺を装うのが犯人の目的ならば……貼り紙はむしろ残しておかないと成立しません……つまり、宇水雫の死は沢谷先生の仕業だと誤誘導ミスリードするために……わざと剥がして、沢谷先生の鞄へ忍ばせたんです……」


「じ、じゃあ一体誰が」


「……グレート・マザー……」


 グレート・マザー?


 偉大な母性の心理?


「……瀬川先生」


「はっ? わ、わたし?」


 瀬川先生、自分の顔を指差して、素っ頓狂な声を上げてる。


 一気に疑惑の目を向けられて、慌てふためいてるわ。沢谷先生、教頭先生、さらには父である校長先生からも睨まれて――。


「……瀬川先生……話によると、首吊り死体を発見したとき……ハシゴを登るのを制止したのは……あなただったとか」


「ええ。だって、窓から死体がぶら下がっていたんですよ。迂闊に接近できるわけないでしょう?」


「……それは建前ですね……」


「はぁ?」


「……本当は、ハシゴを登って窓に近付いたとき……室内の様子を覗かれたくなかったんじゃないですか……? 引き戸の内側に『呪詛の貼り紙』が貼られているのを、目撃されたら困るでしょう……?」


「!」


「……貼り紙を目撃された場合……少なくともその時点までは紙があった、と証言されてしまいます……そうなったら、引き戸を破った後に剥がしたことも露見します……冤罪のために紙を回収したことが、バレてしまうんです……」


「わ、わたしじゃありませんよ! 大体、動機は何ですか!」


「……あなたはグレート・マザーを目指していましたね……学校での相談役、慈愛に満ちた母親代わり……と同時に、白雪姫コンプレックスでもありました……」


 白雪姫コンプレックス。


 母が娘を、殺したくなる複合心理。


 母親の心情を抱いたが最後、娘を殺さずに居られなくなる――。


 ――宇水雫を、死へ追いやりたくなる。


「……あなたは恐らく、次のように宇水雫さんを焚き付けた……『準備室に籠城して、沢谷先生を一泡吹かせれば、燃え尽き症候群を克服できる』と……」


「そんな、わたしは」


「……雫さんは、マザーであるあなたを信じて、従ったんじゃないですか……? 沢谷先生への当て付けとして、演劇の仮面をかぶり……演劇と同じロープを首に巻いて……室内に一人で立てこもったんです……」


「え、それじゃあ!」


 三船さんが急いでメモを取ってる。


 お母さんはゆっくりと人差し指を立てたわ。


「……教唆犯は、最初から密室の外に居ました……外から命令していただけです……雫さんに室内の用意を全部やらせて……たった一言だけ、引き戸越しに告げれば良かったんです……」




「……仮面に呪いあれ、と」




 呪いの言葉で、劇が始まる。


 あ~、そっか。


 私は全部、光景が目に浮かんだわ。


 お兄ちゃんも黙りこくってる。


「……雫さんは、あの劇がトラウマになっています……カウンセリングで多少は克服したみたいですが……それは瀬川先生の主導による心理操作マインドコントロールだとしたら」


 心を癒すよう取り繕いつつ、実は条件反射的に演劇の心傷を蘇らせるよう、一年かけて誘導してたってこと?


 自殺へ至る再現性を高めるために?


「……貼り紙を見て、仮面をかぶり、首に縄を巻いて、亡霊から呪詛を囁かれて自殺する……」


 丸っきり台本通りだわ。


 宇水雫は、役になりきっちゃう。


 ペルソナの心理に操られて、上っ面の役柄を演じちゃう。


「……雫さんは瀬川先生に操られるまま……呪詛から逃げようとして窓の外へ飛び出し、首を吊ってしまった……その後、息が苦しくて我に帰り、首筋やロープを手で引っ掻いたものの、ほどけずに窒息死したんですね……」


「わ、わたしは。わたしは――」


 瀬川先生、目が泳いでる。


 助けを求めるみたいに、父である校長へ目線を投げてるわ。


 けど。


 校長は、やる瀬なさそうに顔をそらしたの。


 見捨てられたんだわ。一度ならず二度までも白雪姫コンプレックスで相談者を死に追いやったら、さすがに父親も擁護できないみたい。


 瀬川先生はうなだれて、しぶしぶと歯噛みしながら、ぽつりと吐き捨てたわ。


「はい。わたしがやりました」




   *




「お兄ちゃん、ただいま~! もう、一日が長かったよぉ。お兄ちゃん分を補給できなくて、禁断症状が起こりそうだったよぉ~」


「オニーチャンブンって何だい、その謎の成分は」


「妹が生きて行くのに欠かせない、稀少な栄養素だよ~。知らないの? これテストに出るよっ?」


「出ないよ。というか、どうやって供給されてる栄養なんだ……」


「えへへ~。こうしてお兄ちゃんに接触すると、自動的に吸収されてくの~」


「わ、いきなり抱き着くなってば。倒れる、倒れる」


「は~、すりすり。お兄ちゃんの体、あったか~い。ほら、私の背中に腕を回してよ。ぎゅっとして」


「はいはい。それで? 事件が終わって、母さんと帰って来たんだよね?」


「うん。お母さん、すぐに仕事へ戻っちゃったけどね。忙しいみたい」


「そうか。母さんも泉水さんも、ひとまずは一件落着ってことにしたいんだろうね。瀬川先生が自供しちゃったし」


「ん? ひとまず、ってどういう意味?」


「ちょっと思う所があってね。いいかい、ルイ? これは飽くまで、僕の勝手な憶測だよ――」



「――だ」



「え~? またそれ~?」


「僕は所詮、現場に居なかった安楽椅子アームチェアだから、物証のない蛇足だよ。蛇足あるある」


「ないわよ、蛇に足なんて。もしかして、また真犯人が別に居るって言うの? 今回は瀬川先生が自供もしてるのよ?」


「かばってるんだよ、真犯人を。そういうの、よくあるだろう?」


「ふえぇ?」


「真犯人は、瀬川先生でも頭が上がらない、大恩ある身内なんじゃないかな? かつ、不登校寸前だった宇水雫を思いとどまらせ、保健室登校へ導いた賢人でもあった。心理学では『フィレモン』と言ったね」


「ちょっと、お兄ちゃん。それって――」


「宇水雫もまた、その人をフィレモンとして慕ってた。騙されてるとも知らずにね。彼女が導かれた保健室には、白雪姫コンプレックスの瀬川先生が居た。先生は宇水雫を白雪姫とみなし、仮面をかぶせ、自殺を教唆する……ありがちありがち」


「じゃ~宇水雫が保健室登校を勧められたのって、瀬川先生のコンプレックスを満たすための生贄、だったの?」


「そうだよ。真犯人は、フィレモンという仮面ペルソナをかぶった悪人だったんだね……ありがちありがち」


「う、嘘でしょ――?」



「無論、これは単なる『思考実験』だよ。僕は通信制へ転学するとき、そいつに妨害されたからね。その恨みが募って、そいつを真犯人に仕立てたいだけかも知れない」



「ええ~……じゃあそいつは、家族である瀬川先生のコンプレックスを満たすために、宇水雫へ自殺をそそのかして、事件のお膳立てをしたってこと?」


「そう――」




「――




   *








「校長先生が、本当の黒幕かぁ~。お兄ちゃんの転学を邪魔してたっていう、忌々しい学校責任者……!」


「いや、まだ続きはあるけどね」


「……あれ?」



「よく聞きなって、ルイ。本番はむしろ、ここからだ。



「ええええ?」


「宇水雫を巡る、瀬川父娘の心理は把握できたよね? さらにそれを、別方面から焚き付けた『もう一人のフィレモン』とも言うべき人物が居る」


「ふぁっ? フィレモンって、校長だけじゃないの?」


「だけじゃないよ。ないない」


「こ、今度はないない言い出した……」


「瀬川父娘に刃向ってた要職が一人、居ただろう?」


「要職?」


は、校長の私的な縁故採用に反発してた。加えて、僕の転学妨害も、が助けてくれたおかげで、無事に通信制へ移れたんだ。今朝、ちらっと話したよね」


「え! まさか――」


は、僕にとっての恩師・賢人フィレモンというわけさ」



「……の仕業なの? お兄ちゃん?」



「ルイもずいぶん物判りが良くなったじゃないか」


「う、うん。お兄ちゃんに褒められるのは嬉しいけど~……」


「雨宮教頭は、学校運営に私情を持ち込む瀬川父娘と、真っ向から対立してた。そこで瀬川父娘を失脚させるべく、宇水雫の自殺騒動を誘発した」


「はうぅ。自殺教唆を画策してたフィレモンが、もう一人居たなんて~」


「教頭は、瀬川先生の縁故採用を知ってた。ならば当然、前歴の過失も知ってたはずだ。ゆえに、教頭は事あるごとに瀬川先生へ難癖を付けた。今朝も口論してたよね」


「確かに……でも、それってひどくない?」


「ひどい? とんでもない! 雨宮教頭はとして、大いに義憤してくれたんだよ」


「そ、そうだけど~」


「公私混同する瀬川父娘へ、僕の代わりに鉄槌を下してくれたんだ。気骨がある素晴らしい教師だよ。気骨あるある」


「てことは、瀬川先生は雨宮教頭からしょっちゅう、縁故コネや白雪姫コンプレックスにまつわる誹謗中傷を受けてたのね」


「そうさ。雨宮教頭が瀬川先生を責め続けたせいで、瀬川先生は白雪姫コンプレックスのトラウマを忘れることが出来なかった……脳に繰り返し刻まれて、ついには再発してしまったというわけだ」




   *








「そっかぁ~。校長だけじゃなく、教頭までもが瀬川先生を刺激した結果の、事件だったのね……」


「うん。僕の恨みを晴らすために、雨宮教頭フィレモンはここまでしてくれたんだ。僕は一生、あの先生には頭が上がらないだろうね」


「お兄ちゃんのために……」


「そう。欲を言えば、校長も逮捕されて欲しかったけどね。恨み募る元凶の校長をさ。あと一歩、手が届かなかったね。警察や母さんには、ちょっと荷が重かったかな」


「お兄ちゃん、そんな言い方――」



「っと、ごめんごめん。これは飽くまでも『思考実験』だからね? 僕は決して、雨宮教頭に復讐を依頼したわけじゃない。彼がさ。正義! ああ、良い言葉だね。正義!」



「え、何その言い方……まるでお兄ちゃんが全ての発端みたい」


「だから違うってば。これが思考の公平さだよ。頭脳だけを純粋に働かせると、僕自身も容疑者になってしまう。自分だけ特別扱いは出来ない。探偵はどれだけ部外者で居られるか。これはミステリーの永遠のテーマでもあるよね……あるある。あははっ」




   *









迷宮入り(表向き解決)







 湯島涙は可能性を述べたにすぎません。真相は藪の中……人の心の数だけあります。あなただけの解答を考えてみて下さい。

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