1――初詣へ(後)



 女店主を含む五名のうち、一人だけが男性だったわ。他はみんな女性。お客さんかな?


「レンタルありがとよ、店長ぉーっ」


 男性の声、大きい。


 賑やかを通り越して、やかましいわ。血気盛んでワイルドなのは伝わったけど。


 周りには三人の女性がはべってて、そのうち二人は男性の右腕と左腕にしがみ付き、残り一人は背中にしなだれかかってる。


 全員がド派手な和服に着替えてるの。男性も紋付き袴で仰々しいわ。


「いやー、店長のおかげで、オレの女たちに良い衣装をあてがえたってなもんよ。な?」


「――わたしめは自前ですけど」


 右腕の女性が述べる。


「おかげさまで着付けの勉強になりました」


 左腕の女性が微笑む。


「あたしは窮屈でヤだなぁ、和服なんてさぁー」


 背中の女性が砕けた口調で吐露したわ。


 最後に、そんな女衆を侮蔑する和風美人――ここの店主さんだわ――が、やれやれと首を横に振ってる。


「仕立ててあげたんだから、さっさと出て行ってちょうだい。よくも顔を出せたものね」


「そう言うなって、店長……いやさ、渓子けいことオレの仲じゃねぇか」


 男性が馴れ馴れしそうに、店主の肩へ手を乗せたわ。直後、振り払われたけど。


 ――速水はやみ渓子さん。


 ここの店長にして、お母さんの知り合い。


 元『被験者』――。


「なぁ渓子ぉ。お前がウンって頷きゃあ、よりを戻してやっても良いんだぜぇ?」


「結構よ。これ見よがしに女三人もはべらせて来るなんて、当て付けのつもり?」


「おぉ怖い怖い、邪推は勘弁してくれよなっ」


 はぐらかす男性は、脂の乗り切ったツヤツヤの肌だったわ。


 痩せ型だけど妙に血色が良くて、髪の毛も茶色く染めてる。耳にピアス付けてるし、金ピカなアクセサリもジャラジャラ身にまとってるわ。袴のくせに。


 全然似合ってない。成金自慢って感じ。


「なぁ渓子ぉ。オレぁ変わったんだよ。町外れで香水と化粧品を売ってた歯牙ない自営業だが、秋に宝くじが当たってさぁ! そしたらこの通り、女の方から寄って来る! な、羨ましいだろ? 後悔してるだろ? よりを戻そうぜ――」


「だから、結構よ」見向きもしない渓子さん。「あなたのお店から、着物に合う香水やアロマテラピーを買っていたけど、復縁する気はないわ。用が済んだら帰ってちょうだい」


「つれねぇなぁ、ヤキモチか?」


「きゃはははっ」


 背中の女性が言葉尻を合わせて一緒に笑ってる。


 ……何なの、こいつら?


「しつこいわね」


 やおら渓子さんが、袖の下からコロンを取り出すと、男性の鼻っ柱にシュッと噴霧してのけたわ。


 その香りを嗅いだ途端、男性は顔を押さえてのけぞり、ジタバタと悶絶し始めたの。


「ぐあっち! そいつぁペパーミントじゃねぇか! ハッカの強烈な刺激臭! 俺、それ苦手なんだよ! 頭がクラクラする……意識が遠のく……おぇっ、吐き気が……腹痛い、気持ち悪くなっちまうんだよおお……!」


 うずくまった男性を、取り巻きの女性陣が甲斐甲斐しく世話してる。


「大丈夫ですかっ」


「ひどいことをする店主ね!」


 香水店の男性が香水で撃退されるなんて、滑稽な風景もあったものね。


「あら、湯島さん。お帰りなさい」


 渓子さんが私たちに気付いて、慌てて駆け寄ったわ。


 男性たちはまだ店頭にうずくまってる。あんまり見てて気持ち良い連中じゃないわね。


「……あの人たちは一体……?」


 お母さんが一瞥すると、渓子さんはフンと鼻を鳴らしたわ。大和撫子にふさわしくない悪態だけど、ま~気持ちは判る。


「半年前に別れた男です。宝くじに当たったらしくて、復縁を迫って来るんですよ。女をはべらせて、嫌味っぽくて困っています。着付けの金払いは良いから我慢していますが」


「……大変なのね……」


 お母さんが同情してる。


 むむ。私には納得できないけどな~。


「あの男に寄って来る女は、みんな彼の財産目当て。これほど判りやすい絵面もないわ」


「そんな客、入店拒否しちゃえば良いのに~」


「そうも行かないのさ、ルイ」耳打ちするお兄ちゃん。吐息がくすぐった~い。「着物業界は年々、利用者が減ってる斜陽業種だからね。客を選んでられないのさ」


 へ~、そういうものなのね。


 確かに和服なんて、現代じゃ滅多に着ないもんな~。


「さ、ルイちゃん、和服を脱ぎましょうね」


「は~い」


 渓子さんに招かれて、私は奥へ案内されたわ。


 着付け室は当然、畳を敷き詰めた和室になってる。壁際には窓が一つあって、そこだけが唯一のガラス戸だわ。


 部屋の隅には、私の服を収納したスポーツバッグが預けてある。シャツとセーター、プリーツスカート、ニーハイソックスと靴下は、脱いだときと同じ状態で保管されてた。


 ブラとパンツも、ちゃんとある。


 特にパンツは、今年の干支えとがプリントされてる。え、子供っぽい? うっさいわね、これがラッキーアイテムだって雑誌の占いに書いてあったのよ。


 バッグの横には、男性用のボストンバッグと女性用のアタッシュケース、紙袋が並んでる。多分、さっきの連中の私服かな。


「荷物、置かせてもらってありがとうございました」


 ぺこりとお辞儀をした私に、渓子さんは笑顔で制したわ。


「いいのよ、そのくらい。仲が良い人は荷物を預かっているのよ」


「さっきの集団も預かってるんですか?」


「まぁね」渓子さんの溜息。「何だかんだで、仕事の取引で顔を合わせる人だから」


 大人の事情だな~……ここは曖昧に流して、さっさと脱いじゃおっと。


 私は渓子さんに手伝ってもらって、素早く洋服に着替えたわ。着付け室を出ようとすると、去り際に渓子さんが例のコロンを振りまいてる。


(ペパーミントの芳香だ~)


 鼻にツンと来る、爽やかな刺激臭。


 渓子さんはそれだけじゃ飽き足らず、室内にあった一本のロウソクをライターで点火したの。もわ~って、煙と香気が充満してく。


「それは何ですか~?」


「アロマキャンドルと言って、アロマテラピーのエキスを染み込ませたロウソクよ。ロウが溶けるごとに香りが立ち込めて、匂いに即した効能をもたらすのよ」


「へ~……くんくん。これもペパーミントですね」


「あいつの嫌いな香りだからね、厄払いみたいなものよ」再び鼻を鳴らす渓子さん。「ほんと、あんな男とは縁を切りたいんだけどね」


 どんだけ怨嗟を溜め込んでるのよ。


 あんまり関わりたくないな~。私は急いでスポーツバッグを抱えると、ほどいた黒髪を振り乱しながら外に出たわ。


 店頭にはお兄ちゃんとお母さん、それにさっきの男性たちもまだ居座ってた。


「あーっ、やっと出て来たぁーっ」


 男性の背中にべったりだった軽い口調の女性が、私を指差したわ。


 む。何よ、失礼な女ね。


 冬だっていうのに小麦色に焼けた肌と錆びた髪色が目立つ、浮ついたギャルみたいな外見してる。やたら胸がでかくて、和服の上からでも膨らみが見て取れるわ。


「あたしぃー、着付け室の紙袋に忘れ物しちゃったからぁー、取りに戻りたいのぉー」


 それで待ってたのね。


 私の着替え中に乗り込まなかったのは、一応の分別は付けてるみたいね。


「他の方の荷物には触れないようお願いします」


 渓子さんが釘を刺すと、ギャルは「判ってまぁーす」って手を振り振り、着付け室の方へ消えてったわ。


 あの部屋にはもう、男性たちの荷物しか置いてないから、私には関係ないけど。


「すみません、おトイレ貸していただけませんか?」


 今度は男性の左手に居た女性が、渓子さんにお願いしてる。


 髪の短い、小ざっぱりした淑女よ。お化粧はバッチリ決めてるけど、クドくない印象。


「廊下の突き当たりがトイレです。着付け室の隣です」


「着付け室の隣ですね、ありがとうございます」


 その人は反芻しながらトイレに向かう。さっきのギャルとは全く違ったタイプの、実直そうな女性だわ。男の趣味がよく判らないな~。


 ほどなく、ギャルが戻って来る。ブランド物っぽい蛇革の財布を手に持ってる。


「オレが買い与えてやった財布じゃないか!」


 男性がニヤついてる。


 恩着せがましいっていうか、自慢入ってる発言ね。渓子さんへ聞こえよがしに喋ってるのが丸判りだわ。よりを戻せば、好きなものを買ってあげるぞって感じ。


「――あ、わたしめもお化粧室をお借りしてよろしいでしょうか?」


 男性の右手に居た女性が、そっと手を挙げたわ。


 化粧室? ああ、トイレね。


 この人、言葉遣いも仕草も丁寧だわ。さっきのギャルとは大違い。着物の着こなしも雲泥の差がある。


 この人だけは、自前の振袖だって言ってたっけ。


 女性陣は三者三様、全くかぶらない容姿と振る舞いだわ。こうも千差万別な女性が群がるなんて、お金の力って怖いなぁ……お兄ちゃん一筋な私には、理解できない世界よ。


「なぁ渓子! 羨ましいだろ? いい加減折れろよ。今日は印鑑も持って来てるんだ、お前がその気になりゃあ今すぐにでも婚姻と転居届を――」


 印鑑?


「お断りよ」


 ――言い終わる前に拒否されちゃった。


 男性はムスッとむくれて、気を取り直すように店外へ踵を返したわ。


「どこ行くのぉダーリン?」


 ギャルが彼の背中へ問うと、男性は振り向きもせず、一言だけ告げるの。


「散策だ。女が全員戻って来るまで、ちょいと店の周りをぶらついて頭冷やして来らぁ」


 ふらふらと道を曲がって、行方をくらましちゃった。


 何よあいつ。肝っ玉の小さい男ね。渓子さんに振られるのも当然だわ。私だって御免だもん。あんな男がモテるなんて、財産目当てしかあり得ない。


 トイレへ行った最初の女性が戻って来たけど、渓子さんは気にせず打ち明けるの。


「あの男は酒井薫さかいかおると言って、昔はもう少し大人しかったんです。小さな香水店を営んでいて、一時期は交際もしていたんですけど――」


「なるほどね」頷くお兄ちゃん。「そういう男ほど、いざ大金をせしめると、今までの反動で散財したり、成金趣味に走ったり、異性を囲って放蕩してしまうのさ。ありがちなパターンだよ。あるある」


 そ、そうなんだ……お兄ちゃん無駄に詳しい。


 なんてことを話すうち、席を外してた女性陣が全員戻って来たわ。


 みんなトイレが済んだみたいね。あとは酒井薫が合流すれば退店なんだろうけど――。


「……酒井さんという方……帰りが遅いわね……」


 お母さんが眉をひそめたわ。


 確かに、散歩に出た酒井薫さんだけが、一向に帰って来ない。


「店の周りをほっつき歩くだけなのに、なぜこんなに遅いのかしら?」


 渓子さんも首をかしげてる。


「――わたしめが見て来ましょうか」


「では、わたしも。これが最も賢明ですね」


「あたしもダーリン探すぅ!」


 三名の取り巻き女性陣が、一斉に店を出てく。


 お店自体はそんなに広くないから、外周を見て回るのは簡単そうね。


 敷地は格子状の柵で覆われてるけど、柵の隙間から建物や側庭そくていの覗き見が可能――。




「きゃああああ!」




 ――悲鳴。


 そして、事件が起こったわ。


 え、何? 私たち湯島家は弾かれたように、声のした方へ走り出す。


 店の脇、柵の外に貼り付いた女性三人が、側庭を指差してる。


「し……死んでる?」


 側庭は、着付け室の窓に面してたわ。隣にはトイレの窓もある。


 そこには台車が転がってて、車輪のわだちも地面に刻まれてたわ。


 その上に、酒井薫が仰向けに倒れてるの。


 白目を剥いて、首が変な方向に折れ曲がって、頭から血を流して――。


「救急車を呼ぼう」スマホを取り出すお兄ちゃん。「まだ死んでるとは限らない」


 一人だけ冷静沈着なお兄ちゃんが、唯一の救いだったわ――。




   *



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