第六幕・黒い未亡人は匂い立つ

問題編・よくある財産目当てと保険金について

1――初詣へ(前)

   1.




「ナミダお兄ちゃん! 明けましておめでと~っ」


「それ、今日で何回目の挨拶だい、ルイ」


「えへへ~、六回目っ!」


「律儀に数えてたのか……」


 冬空が明け、半日が過ぎた頃、私はお兄ちゃんに何度目かの抱擁を求めたわ。


 今日は元旦。賀正よ、賀正!


 記念すべき年越しの祝日を、大好きなお兄ちゃんと過ごせるなんて幸せ過ぎる。


 どんなに気温が低くたって、私の心も体も火照りまくりよ。


 そんな二人を照らし出す澄んだ青空は、まるで前途を祝福するかのよう。


 二人の向かう先には、実ヶ丘みのりがおか市でも随一の神社がそびえてるの。


「お兄ちゃん、神社に着いたよっ。石段、登れる?」


「これくらいなら造作もないよ」


 カジュアルスーツにステンカラーコートとマフラーを着たお兄ちゃんは、ステッキ片手に軽々と石段を踏み越えてく。


 さすがお兄ちゃん、お散歩くらいなら常人と遜色ないくらいリハビリしてる。


 お兄ちゃんは左足首が義足だから、万が一のことも考えて私が付き添ってるんだけど、心配なさそうね。個人的には、もっと私を頼ってくれても構わないんだけど~。


「僕よりもルイの方が心配だよ」


「え。なんで?」


「ルイの服装、歩きにくそうだから」


「ふぇ? そんなことないよ~、ほらっ私はご覧の通り元気に――あうっ」


 こけた。


 いった~い。


 石段の段差にがつっかかっって、危うく転げ落ちそうになっちゃった。


 つんのめったせいで、の裾がめくれちゃってる。


 そう――着物。


 今日の私、いつもと違う格好してる。




「……こら、ルイ……慣れない和服で暴れるんじゃないの……」




 ひゃあっお母さん!


 ずっと沈黙を守ってたお母さん――湯島ゆしま溜衣子るいこ――が、私に手を差し伸べたわ。


「だって~、振袖なんて着るの初めてなんだもん。つい浮かれちゃうのよ」


 振袖。


 ふふ~ん。今日の私は、普段とは違うのです。


 着物屋さんでしたのよ。プロの人に着付けてもらって、髪型も結い上げて、かんざしで留めてるの。おかげでうなじがスースーするけど、お兄ちゃんとペアルックのマフラーを巻いてるから問題なし。


「母さんは着物じゃないんだね」


 石段を登り切ったお兄ちゃんが、私たちを振り返る。


 お母さんは、ブラウスとタイトスカートの上にコートを引っかけてるわ。


「……わたしは……このあと病院に行かないといけないから……」


 お仕事か~。


 お正月は人手が不足しがちだもんね。お母さんは仕事の鬼だから、そっちを優先させたいのも無理ないのかな~。


「……初詣が終わって……ルイの着物を返却したら、すぐ病院へ向かうわ……」


「ぶ~。せっかくの振袖なのに、脱ぐのもったいないよ~」


「あるある。身の丈に合わないものを手放したくない見栄、よくある」


 お兄ちゃん、さり気なく毒舌よね……。


 そりゃ私は着物なんて慣れてないし、馬子にも衣裳かも知れないけど~。


「何むくれてるのさ、ルイ」


「大体お兄ちゃんのせいだよ」


「ほら、境内に茅の輪くぐりがあるよ、あるある。あそこを8の字にくぐって、お参りしたら一緒に写真でも撮ろうか」


「えっ、写真!」


 パッと顔を赤らめる私に、お母さんが背中を押したわ。


「……良いわね……新年の始まりに、家族の記念撮影……」


「私、お兄ちゃんとツーショットがいいんだけど」


「それも撮るよ。さ、行こう」


「は~い」


 お兄ちゃんの手を握って、私たちは参拝を済ませたわ。


 二礼二拍手一礼だっけ。お兄ちゃんの隣で、見よう見まねで氏神様にお辞儀。御賽銭を投げて、鈴を鳴らして、お兄ちゃんと結ばれますようにってお祈りをするの。


 そのあと、近くを歩いてた巫女さんにお願いして、みんなの写真をスマホで撮ってもらったわ。んふふ~、お兄ちゃんの横は私の指定席。


「お兄ちゃん、社務所でおみくじ引いていい?」


「ああ。僕はお守りを買おうかな」


「……じゃあ……わたしは破魔矢でも……」


 神社のお参りって、楽しい。


 人で賑わいつつも、神域のしめやかな雰囲気もあって、身が引き締まる感じがする。


「お兄ちゃん! 私、大吉だって! 恋愛成就、子宝も恵まれるって! きゃ~、どうしよ、私ついにお兄ちゃんの子――」


「ないよ」


「即答っ!? あ、お兄ちゃんは何のお守り買ったの?」


「普通に学業成就だけど」


「私も買っていい? 安産のお守り」


「だから、ないから」


 お兄ちゃんってばつれないっ。澄まし顔でぴくりとも動じないお兄ちゃんに不満を募らせるけど、私の下駄の歩調に合わせて進むさり気ないはからいが心憎い。


 あ~、優しいよぉ。今年もずっとそばに居たいな~。


「……それじゃあ、着付け屋さんに戻りましょうか……」


 ひとしきり神社を堪能したあと、お母さんの一声で引き上げたわ。


 あんまり遅くなると、お母さんの出勤が詰まっちゃうもんね。


「着付け屋さんには、お母さんも同伴しなきゃいけないの~?」


 だから私、尋ねたの。


 お母さんだけ先に帰って、私はあとで振袖を返せば問題ないと思うんだけど――。


「……着物のレンタル……わたしの顔利きで割安にしてもらったのよ……だから、わたしが一緒じゃないと駄目なの……」


「あ、そうなんだ」


 お母さんのコネだったのか~。


 でもこれ、そんなに高い着物なの?


「道理で良い生地だと思ったよ」横で頷くお兄ちゃん。「振袖の柄と色合い、相当な値打ちものと見たね。綺麗な桜色だし、金箔もまぶしてある。あるある」


「あ、このキラキラしてるの、金箔なの?」


「……わたしの口利きで、特別にレンタルさせてもらったのよ……平時は貸し出してくれない、高価な染め物だから……」


 うわ、うわ、途端におっかなびっくり、慎ましやかな足取りになっちゃったわ。


 私、さっき盛大にずっこけちゃったんだけど、汚れたりしてない?


 あうぅ~、怖いよ~。


「……着付け屋さんの女店主が……かつての『被験者』なのよ……」


 お母さんがしみじみと漏らしたわ。


 なるほど、それで伝手があったのね。


「……今は着物の教室を開く傍ら……和服の販売や貸し衣裳も営んでいるの……ルイも、あの人に着付けをしてもらったでしょう……?」


「うん」振袖を見下ろす私。「綺麗な女性だったわ。楚々とした美人で、ああいうのを大和撫子って言うんだろうな~」


「ルイも黙って立っていれば似合うのに」


「どういう意味よ~お兄ちゃん」


「そのままさ。ルイは小柄だし、長い黒髪も古風な和人を想起させるからね。あるある」


 あっ。お兄ちゃんが褒めてくれた。


 初詣の願掛けがさっそく効き始めてるのかしら。


 ここは一気に畳みかけるべき?


「えへへ、髪を褒められるの嬉しい~。他にもいろいろ教わったのよ。帯の締め方とか、和服の歴史とか。ブラやパンツは着付けの邪魔だから、本来は付けないとか」


「……こらこら、ルイ……」


 道を歩きながら、お母さんが軽く小突いて来る。


 え~私、変なこと言った?


「……もしかして下着、付けてないの……?」


「ふっふっふ。パンツ穿いてないよ!」えっへん、と胸を張る私。「本格的でしょ? それにほら、その方が綺麗に着こなせるって言われたし、お兄ちゃんを誘惑――」


「お店に着いたぞ、ルイ」


 食い気味にお兄ちゃんがのたまったわ。クッ、全然意識されてないっ。


 お兄ちゃんが指差した先には、一軒の民家が建ってたわ。一階部分は店舗として改築されてて、呉服屋みたいにいろんな生地や反物、着物、袴、浴衣などが陳列されてる。


 奥は和室がいくつも仕切られてて、着物の教室や、試着用の着付け室が備わってるわ。


 あ~あ、この晴れ姿ともお別れか~。


「お兄ちゃんも袴、着れば良かったのに~」


「僕は無理だよ。義足だから、不慣れな格好だと歩きづらい」


「それもそっか~」ほっぺを膨らます私。「ま~いいや。ごめん下さ~い」


 店内に声をかけたけど、しばらく待っても返事がなかったわ。


 ……あれ?


 きょとんとする私の両脇で、お兄ちゃんとお母さんも眉をひそめてる。


 留守かな? いや、お店を開けたまま留守にするわけないか。


「ごめん下さ~い」


 もっかい声をかけると、ややあって、奥の方から喧騒が近付いて来たわ。


 がやがやと騒がしい会話。


 談笑ってわけでもなく、歓談でもなく。


 ざわざわと徐々に大きくなって来る。程なく現れた声の主たちは、女店主を含めた五名の大人たちだった。

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