解答編
4――どんでん返しの化かし合い
4.
「おはよう、お兄ちゃん……もう大晦日だね~」
自宅のリビングでうつらうつらと船を漕いでた私は、お兄ちゃんが入室するなり居住まいを正したわ。
うん――今日は十二月三一日。
明日には年が明けちゃう。私はろくに外出もせず、寝正月になる予定よ。
だって、お兄ちゃんと四六時中一緒に過ごせるのって、
お兄ちゃんが家にこもるなら、私も家に残る。人として当たり前のことよね。
襟付きのポロシャツにベストを引っかけたお兄ちゃんと同じく、私もペアルックを着てる。お兄ちゃんは私を一瞥すると、ソファのちょっと離れた位置に腰を落としたわ。
「ね~ね~お兄ちゃん、あれから一週間経ったね!」
私、即座に距離を詰める。冬だもん、くっ付いてなきゃ寒いでしょ? 一応エアコン入れてるけど。
「一週間? ああ、ペンションの事件か」
足を組んだお兄ちゃんは、左足の義足を撫でてから、遠い目を虚空にさまよわせる。
見上げた天井は、蛍光灯が煌々と照らすのみ。お兄ちゃんには何が見えてるんだろ?
「そ~そ~ペンションの事件。どうなったんだろ~ね?」
私はそんなお兄ちゃんの膝の上に飛び付くの。わぁい膝枕。ぽてんと転がった私は、足をパタパタさせながら、お兄ちゃんの顔を見上げる。
「確か~、ポリグラフ検査ってやつの鑑定結果が、ようやく出るのよね?」
「らしいね。分析に一定の時間を要するのは、よくあることさ」
そう告げたお兄ちゃん、私の髪をそっと指で梳かしてくれたわ。
ふぁ~、幸せ。このまま一眠りしたいくらい。
「検査に用いる測定機器は、科学警察研究所がメーカーと共同開発した全国統一規格で、使用時は警察の立ち合いが必要だ。被疑者への質問も、犯人をあぶり出すために一ひねり加えないといけないから、どうしても手間と日数を食ってしまう」
「さすがお兄ちゃん、詳しいねっ」
「科学が発展するほど、能率は悪くなる。皮肉にもほどがあるなぁ。あるあ――」
ぴんぽーん。
「――る?」
家の呼び鈴が、軽やかに響いたわ。飛び起きた私は、お兄ちゃんの膝を名残り惜しく見返してから、おずおずとインターフォンの受話器を手に取るの。
「は~い、どちら様ですか?」
『三船です』
『津波、です』
うわ、二人並んで来訪してる。
お兄ちゃんも気配を察したのか、義足を床に下ろしてぎこちなく起立したわ。
ステッキ片手にリビングを出ると、私より先に玄関まで出迎えに向かってる。
「ようこそ三船さん。あいにく、母さんは年末も仕事で留守ですけど」
「ああ、お構いなく。用事が済んだらすぐ帰るからねぇ」
三船さんが玄関をくぐったものの、
後ろから津波さんも立ち入って、じっとお兄ちゃんを見据えてる。む、何見てんのよ。
「鑑定結果を、お伝えに、来ました」
津波さん、噛みしめるように一言ずつ語句を連ねたわ。
三船さんは主任として付き添ってる感じ。きっとポリグラフ検査の立ち合いも、この人が出向いたんだろうな~。相変わらず着崩した紫色のスーツがケバいわ。
津波さんはビジネススーツをピシッと着こなして、鑑定結果の書類が納められたカバンを手に提げてる。どこに出ても恥ずかしくない身なりね。ピリピリした空気。
(どっちが容疑者だったんだろ? 左利きなら湧子さんだけど……)
私は緊張して、知らず知らずお兄ちゃんの手を握っちゃう。
お兄ちゃんも、されるがままに手を提供してくれたわ。優しい~。温か~い。
「吹屋、清一を、逮捕、しました」
清一さんを!?
私、あんぐりと口を開けちゃった。お兄ちゃんは微動だにしない。
どういうこと? 納得が行かないんだけどっ。
「え~と、左利きのお話って、どうなっちゃったんです?」
「あれは、容疑者を、
「虚言~っ?」
「当時、現場に居た、吹屋清一を、騙すために、嘘の、心理的見解を、放言しました」
ええ~。
あのときの左利きの根拠、デタラメだったんだ……。
「一から説明しようかねぇ」話を引き継ぐ三船さん。「この事件の最難関は『雪密室』だけど、これに関しては、ちょっと考えればすぐに謎は解けるねぇ。多分、君たちにも」
「え、私さっぱり判んないけど……」
皆目見当も付かない私がお兄ちゃんを見やると、お兄ちゃんは軽く肩をすくめたわ。
「風車ですね」
風車?
お兄ちゃん、三船さんと津波さんから深い相槌をもらってる。
「風車の羽根は特大で、隣接するペンションの屋根に迫るほどでした。機関室で羽根を回し、羽根の一本をペンションに最接近する位置で停止させれば、屋根から羽根へ飛び移って、往来が可能です。三階の寝室は全て屋根裏部屋で、窓から屋根へ踏み出せるので、容易に出来ます」
「正解。雪の上を歩かずとも、羽根にしがみ付けば建物の移動が可能だねぇ」
「え~? じゃ~矢川さんは、清一さんを羽根伝いに招き入れたんですか~?」
「いいや、本当は湧子さんが行く予定だったんだろうねぇ」
湧子さんが? どうして?
「湧子さんは矢川さんの世話をしに、夜な夜な通い詰めていたんだろうねぇ。彼女の奉仕精神がゆえに、ね」
「ええっ? た、確かに湧子さん、矢川さんの世話もしてるって言ってたけど~。清一さんから浮気を疑われるほどに……って、もしかして!」
本当に浮気してたの?
他人のために尽くす、メサイヤ・コンプレックスが行き過ぎた結果――。
「ペンションの出入口から馬鹿正直に出向けば、夫の清一さんに見付かってしまう。だから密会する手段として、風車塔の羽根伝いに移動していたんだろうねぇ。でも――」
でも、その晩は違った。
清一さんが気付いちゃったんだわ。
「湧子さんを招き入れるべく、矢川さんはあらかじめ羽根を回しておいたら、それを清一さんが怪しんだ。――だよね、津波さん?」
「はい。妻の、浮気を、察した、清一さんが、浮気相手を、成敗したんです」
「うわ~……」
「吹屋湧子は、メサイヤ・コンプレックスの、新たな、奉仕先として、風車塔の、管理人・矢川漱一郎へ、白羽の矢を、立てました。食事を、作ったり。洗濯を、したり。時には、宿直室の、掃除まで。そうするうち、肉体関係も、許すように、なりました」
あ~、弁解の余地もない浮気だわ。
「あるある。自己犠牲精神って相手の要望を断れないからね。相手が喜ぶなら、NOと言えないんだ」
お兄ちゃんが知った風な口を利いてる。
そういう人、ときどき見るわね。献身を勘違いして、自分を安売りしちゃうタイプ。お人よしも度を過ぎて、しなくてもいい苦労を買っちゃう人。
三船さんが大きく頷いたわ。
「うんうん。だからこそ、清一さんは使命感と正義感に燃えたんだねぇ。浮気を制裁するという大義名分は、正当性を演出しやすいからねぇ」
――自分が正しいと思い込む『使命型』の犯行だわ!
湧子さんのコンプレックスに付け込んで肉欲を満たした矢川さんに、断罪の鉄槌を下すっていう案配ね。
「あの夫婦は元被験者だ」顎に手を当てるお兄ちゃん。「つまり『感情の共有』も人一倍強かったはず。湧子さんの苦心も、清一さんには筒抜けだった可能性が高い」
感情の共有!
それって、泉水さんと同じ体質――?
「湧子さんは悩んでたんだ。本当は浮気しちゃいけないのに、メサイヤ・コンプレックスなので断れない。ありがちな板ばさみさ」
「じゃ~お兄ちゃん、あの晩、心理試験で湧子さんの回答が遅かったのって、矢川さんの殺人を計画してたから? 犯罪関係の単語にドキッとして、回答が鈍ってたの?」
「ああ。その計画を清一さんが『共有』し、犯罪を『代行』したのかも知れないね」
「!」
それって『シンクロニシティの怪物』じゃないのよ!
まさか、あの呪縛が、こんな所にも根を張ってたなんて。
私たちは、お父さんの禍根から逃れられないの?
「話を進めよう」メモ帳を見開く三船さん。「浮気に義憤した清一さんは、事前に宿直室から包丁をくすねたみたいだねぇ。あるいは、湧子さんがくすねたものを借用したのか」
犯罪の代理として。
心理を肩代わりするために。
「雪が止んだ夜、ペンションの屋根から羽根伝いに機関室へ渡った清一さんは、矢川さんを刺殺した。彼は右利きだったけど、背後から声をかけて振り向きざまに不意打ちしたんだろうねぇ。正面から相対したわけじゃないから、ななめに包丁が刺るのも当然だ」
「それも、ポリグラフ検査から割り出したんですか~?」
「ポリグラフで、カマを、かけたのです」淡々と述べる津波さん。「我々は、現場で、犯人が、左利きだと、喧伝しました。しかし、清一さんだけは、右利きである自分の犯行だと、知っています。ポリグラフで、犯人の利き腕について、質問すれば、彼だけは、常人と異なる、生体反応を、示すんです」
「あ~。そのために騙してたんですね」
CITによるポリグラフ検査は、犯人しか知り得ない質問をして、動揺したり緊張したりと言った生体反応を汲み取るわ。
犯人が『右利き』だと知りながら、知らない振りして『左利き』だと答えるのは、心理的に無理が生じる。そこを機械が感知するのね。
「ふ~ん。三船さんはそれを判ってて、私たちにも吹聴してたんですね。意地悪~!」
「敵を騙すには味方から、ってね」
「これも、また、心理テクニック、です」鑑定結果の書類をカバンからひけらかす津波さん。「矢川漱一郎が、手に握っていた、黒い糸くずは、吹屋清一の、パジャマでした」
「あっ」
そう言えば清一さん、あの晩は黒いパジャマを着てたっけ。
「夜中、パジャマ姿で、機関室へ、乗り込んだ、吹屋清一は、矢川を、襲撃した際、多少なりとも、抵抗された、はずです。大方、パジャマの
「だから黒い糸が矢川さんの手許に残った……?」
「殺人を、終えた、吹屋清一は、再び、羽根伝いに、ペンションへ、帰還します。そのとき、屋根へ、飛び移った、着地の衝撃で、屋根に積もっていた雪が、滑り落ちました」
あのときの落雪!
ちょうどお兄ちゃんの部屋へ押しかけてた最中だったっけ。あれは自然に落ちたものじゃなくて、犯人が羽根と屋根を往復してたことを示唆する傍証だったのね。
「屋根から、自室の窓へ、舞い戻った、吹屋清一は、何喰わぬ顔をして、廊下を歩き、たまたま騒いでいた、あなたたち兄妹に、話しかけたのです。偶然を、装って」
つじつまは合うわね。
お兄ちゃんも無言を貫いてる。探るような目付きだけど。
「吹屋清一も、容疑を認める供述を少しずつ漏らしているねぇ」
三船さんが最後に付け加えたわ。
あ、自供してるんだ……。
じゃ~確定なのかな。
三船さんと津波さんは、私たちに深いお辞儀をして、玄関を退出したわ。お母さんにもよろしく、って言い残して。
玄関にわだかまる、妙な静けさ。
「な~んか、呆気ない幕切れだったね。今回は心理学のプロが来たから、お兄ちゃんの出る幕はなかったね」
「それはどうだろう」
「へっ?」
「よくあるのさ。科学に裏打ちされていれば、どんな結果でもそれが正しいと錯覚することって。ありがちありがち……あははっ」
「お、お兄ちゃん?」
ぞくり、と背筋が凍っちゃった。
お兄ちゃん、冷笑してる。目付き怖っ。
前髪の合間から眼光をほとばしらせたお兄ちゃんは、リビングへ取って返したわ。
私も慌てて追従するけど、義足とは思えないほど足早でビックリしちゃった。
「お兄ちゃん……何か思い付いちゃったわけ?」
「心外だなぁ、ルイ。事件は警察が解決した通りさ。そのことに文句はないよ。ただ僕は自分なりの憶測を重ねてみただけ。ごくごく個人的な
*
「この事件、清一さんの仕業じゃないかも知れない」
「お兄ちゃん、開口一番から爆弾発言すぎるよ~……清一さんは自供してるのよ? 自分で罪を認めちゃってるの」
「それは清一さんが『被験者』だからさ。他人が考えた犯罪心理と計画を、知らない間に共有・移植されたんだ」
「自分がやったと思い込まされてるってこと~?」
「そう。このように、身に覚えのない記憶を刷り込むことを『フォールス・メモリー』と言う」
「あ、以前ちらっと話してたよね、その用語」
「よくあるんだよ。同じことを何度も聞くうち、それが真実だと信じてしまうとかね」
「あ~。冤罪事件でよく聞くわね。無実なのに自白を強要されて、本当に自分が犯人だと思い込んじゃう倒錯した心理状態」
「それを矢川さんが思い描き、清一さんが共有してしまった」
「矢川さんが~?」
「そう。もともと湧子さんに横恋慕した矢川さんは、彼女を観察するうち、吹屋夫婦がしょっちゅう口論してたことを知ったんだ」
「メサイヤどうしの口喧嘩、よくやってたわね」
「矢川さんはこう考えた。同じコンプレックス持ちの清一さんでは、彼女を幸せに出来ない。だから清一さんに汚名を着せ、彼女を解放したい使命感に駆られた」
「使命型の心理!」
「歪んだ正義感、一方的な義憤。矢川さんは――自殺した」
「じ、自殺ぅ?」
「他殺に見せかけた自殺さ。自分殺しの罪を、清一さんに押し着せようとして、偽の証拠を残した。警察はまんまと乗せられたんだ。ありがちありがち」
「な、ないわよっそんなの! 本気で言ってるの~?」
「本気さ。矢川さんは真っ白な汚れ一つない作業服を着てた。ヒゲも丹念に剃ってた。身なりに気を遣う几帳面かつ計画性の高い人物像だ」
「あ! 津波さんが言ってたプロファイリングに合致する犯人像だわ……!」
「だね。矢川さんは自殺する直前、風車の羽根に積もった雪をかき集めて、羽根の先端からペンションの屋根に投げ落とした。雪は屋根に激突し、滑り落ちた」
「あのときの衝撃音と落雪って、それだったの~?」
「あたかも清一さんが羽根伝いに飛び移ったかのような捏造をしたのさ」
「じ、じゃ~、あのあと私たちが清一さんに声をかけられたのって、偶然?」
「そうだね。矢川さんは羽根を引き返し、機関室に戻ると、宿直室の包丁で自害した……死亡時刻と落雪が前後してしまうけど、誤差の範囲だ。包丁はななめに刺し、タオルを一枚挟んで、まるで他殺体のように演出した。使命型らしい用意周到さだよ」
「て、手に握ってた黒い糸は~?」
「あらかじめ、清一さんのパジャマから抜き取ったんじゃないかな? 矢川さんは洗濯や風呂もペンションで世話してもらってた。清一さんがあの晩に着る予定だったパジャマから、糸くずを一本抜き取るのも容易だろうね」
「そこまでして清一さんを
「矢川さんは、自分を犠牲にして湧子さんを救いたかったんだよ。自己犠牲精神……彼もメサイヤ・コンプレックスだった、いや、なったと言うべきか」
「コンプレックスに、なった?」
「元被験者の湧子さんに接するうち、矢川さんも被験者の影響を受け、コンプレックスという感情を『共有』してしまったとしたら、どうだい?」
「あ~! 矢川さん、湧子さんのこと『恩返しが出来りゃあ良いんだがなぁ……』って話してたわね! あれって、人を救いたがるメサイヤが伝染した証左だったんだわ!」
「矢川さんは、自殺という自作自演で想い人の英雄になろうとしたんだ。これって『英雄指向型』の犯罪心理だね。津波さんが言ってた」
「メサイヤだけに、英雄志向……」
「ルイ、覚えておくといい。フォールス・メモリーは、ありもしない記憶を他人に植え付ける『怪物』の一例だ。感情は伝染し、連鎖して、たやすく操られる。警察の見解なんてあっさり引っくり返る。どんでん返しの化かし合いに、君は付いて来られるかい?」
*
迷宮入り(表向き解決)
湯島涙は可能性を述べたにすぎません。真相は藪の中……人の心の数だけあります。あなただけの解答を考えてみて下さい。
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