1――風車塔へ(後)



 隣接した風車塔とペンションは、回転する羽根がペンションの屋根にぶつかるんじゃないかって危惧しちゃうけど、そこはきちんと計算されてるみたい。


 羽根が最も接近しても、一メートル以上の間隔が空いてるわ。


 ペンションは三階建ての高さがあるけど、一階と二階は天井ぶち抜きの広々とした空間で、レストランを営んでる。


 じゃ~三階は何かっていうと――。


「……ナミダ、ルイ……今夜はここに泊まるわよ……もう夜も遅いしね……」


 ――民宿になってる。


「……二人とも、着替えは持って来たわね……?」


「入園所のコインロッカーに、荷物を預けてあるよ。あるある」


「私、取って来るねっ!」


「いいのかい?」


「いいの~! お兄ちゃんは足が悪いんだもん。私が馬車馬のように働くの! 決してお兄ちゃんの私物を漁ったり、衣服をくすねたりしないから安心して!」


「とてつもなく心配だな」


「私も着替えやお化粧道具を預けてるし――あっ、お兄ちゃんは私の服や下着、欲しくない? お兄ちゃんになら、あげてもいいよっ」


「いらないから早く行きなよ」


 なんてやりとりをしつつ、私は二人分の旅行鞄を両肩に吊り下げて――もちろんお兄ちゃんとペアルックな鞄よ――戻って来たの。


 ふ~、重たいよぉ。愛が重い。


「母さん、クリスマスの宿泊なんて予約殺到だろうに、よく取れたね」


「……まぁね……ここの経営者夫婦は昔、お父さんの『被験者』だったから……」


「!」


 たちまち空気が凍ったわ。


 いくら雪が降ってるからって、ちょっとこれは寒すぎない?


 被験者――。


 かつて、生前のお父さんが論文を発表したの。それは普遍的無意識による『感情の共有』と『共感能力』に関する悪魔的な研究で、当時のお父さんが診察した一〇代の患者たちを実験台にしてたみたい。


「あるある。他人と同じ言動を引き起こす『シンクロニシティ』や、本人の知り得ない記憶を植え付ける『フォールス・メモリー』なんてモノも、この作用によるものだと提唱してたよ」


 お父さんが夭折した今も、その力を持つ『被験者』たちは成長し、社会に息づいてる――。


「ようこそいらっしゃいました!」


 ペンションの宿泊口から出迎えてくれたのは、経営者の旦那さんだったわ。レストランでは厨房を担当してた人ね。


 雪がいよいよ降り積もる中、レストランの営業時間も終了したみたい。


 その人、男性にしては小柄で、お兄ちゃんよりもさらに低かったわ。まるで、被験者だった時代から成長が止まってるような――。


 不思議な雰囲気に、私は頭がクラクラしちゃった。


吹屋ふきや清一せいいちと申します。今夜はごゆっくりおくつろぎ下さい」


「あうぅ、ど、どうもです~」


 うやうやしく一礼されて、私はしどろもどろに泡食っちゃう。


 厨房ではエプロンとコック帽を付けてた清一さんだけど、今は蝶ネクタイとタキシードでビシッと決めてる。


 小柄で、大人びてて、心理学の被験者――。


 どことなくお兄ちゃんに似てるの。なんでだろ。


「皆様のお部屋はこちらですわ」


 三階に案内されるなり、廊下に立ってた夫人が呼びかけたわ。


 レストランでは給仕と会計をやってた奥さんよ。


「……改めてこんばんは、湧子ゆうこさん……」


 お母さんが手を握りしめる。


 この人も被験者なのよね。被験者どうしで結婚するなんて、どんな心境だったんだろ。


 メイド服みたいなエプロンドレスの湧子夫人も小柄で、見た目が若いわ。私と大差ないもん。何? お父さんの実験を受けると成長が止まる副作用でもあるの?


 心理的な要因で成長が止まるとか、ストレスフリーな生活を心がけるといつまでも若々しい、って事例は聞いたことがあるけど。


 で、三階はほとんど屋根裏部屋みたいなもので、階段の向かいの壁に三部屋、階段の左右に一部屋ずつ、計五部屋があるわ。


「階段側の二部屋は我々夫婦の個室ですので、湯島さん方は向かいの壁にある三部屋をお使い下さいませ」


「え~。みんなバラバラなの?」


「はい。三部屋まるごと貸し切りですので」


「私、お兄ちゃんと一緒がいいのに~」


「……ルイ……せっかく貸し切ったのに、むくれるんじゃないの……」


「だって~、クリスマスに愛する二人が結ばれないなんて、理不尽だよ~」


「僕は別に愛してないぞ」


「ひど~い! 今夜はとっておきの勝負パンツを穿いて来たのよ? ほらっ未使用のローライズ、布面積が少なくて恥ずかしいけど、触り心地は抜群で――」


「スカートをたくし上げながら解説するんじゃない」


「あうっ」


 お兄ちゃんが頭を小突いて来たので、私は舌かんじゃった。


 あ、吹屋夫婦、めっちゃ引いてる。清一さんなんて目のやり場に困ってるし。


「……ルイ、あなたは今晩、部屋から出るの禁止ね……」


 お母さん、それは殺生すぎるよぉ。


 お兄ちゃんに夜這いをしかける自由さえないっていうの?


「と、とにかく寝室へお連れしましょうか」


 気を取り直した湧子さんが、改めて私たちの荷物を持ち上げようとしたわ。


 すると清一さんがそれをかすめ取って、代わりに先導し始める。


「重たいものはボクが持つよ。湧子さんは楽にしてなさい」


「えっ、駄目よ清一さん。あなたは店内の片付けや売り上げの計算もやっていたし、疲れているでしょう? 今はわたしが荷物を運ぶべきです」


「それを言ったら、湧子さんだって客室を掃除していたじゃないか。君こそ休むべきだ」


「いいえ、これはわたしの仕事です」


「いや、ボクが運ぶ。女性に力仕事はさせたくない」


「もう! どうしてよ! わたしが身を挺しているっていうのに!」


「ボクだって君のためを想って言っているんだ! この判らず屋め!」


 え……いきなり何なの、この茶番。


 延々と荷物を奪い合う夫婦に、私たちは目が点になったわ。


 苦労を互いに買って出てる……のかな?


 ていうか寝室ってすぐそこだし、自分で運ぶわよ……。


「ご夫婦そろって、奉仕精神が旺盛ですね」


 お兄ちゃんが誉めそやすと、夫婦はハッと手を止めたわ。


 奉仕精神……まぁ、人のために労働を代行するのは良いことね。ちょっと過剰だけど。


(代行、か――)


「……吹屋夫妻はもともと『メサイヤ・コンプレックス』の患者だったのよね……」


 お母さんが一言、添えたわ。


 メサイヤって何?


 全然サッパリな私を尻目に、夫婦は「懐かしいですね」って、はにかんでる。


「ボクたちが『被験者』になったきっかけは、メサイヤ・コンプレックスの診療を受けるためだったんです。今も治っていませんけど」


 複合心理コンプレックス


 心の病気を患ってたのね。亡きお父さんのかかりつけになった原因か~。


「メサイヤか、あるある。人を救うために我が身を差し出す、行き過ぎた英雄行為や奉仕精神、自己犠牲の心理だね」


「わ~、さすがお兄ちゃん、博識! 天才! 抱いて!」


「まとわり付くなって。この心理は、他者の苦労を肩代わりしすぎて過労死したり、ていよく利用されて危険にさらされたりする。厄介な病理なのさ」


「その通りです」清一さんの苦笑。「ボクたちは十年前、実験患者の『憎悪の共有』によって、湯島医師を殺す集団心理に呑まれかけましたが、間一髪、逃げ出したんです」


 へぇ~。


 じゃあ、この二人はお父さん殺害には関わってないのね。ちょっと安心したわ。


「離反するとき、他の被験者から『裏切り者を逃がすな』と追い回されたのですが、ボクは『湧子さんだけでも逃げろ、ここはボクが食い止める』って自分を盾にしました。まさにメサイヤ・コンプレックスですね。そしたら――」


「わたしこそ『清一さんを置いて行けない、むしろわたしが犠牲になるわ。追っ手は、か弱い女の方を先に狙うはず。その隙にあなただけでも!』って身を挺したんです」


 うわ~……そこでも口論しちゃったの?


 シリアスなのか笑い話なのか、捉えにくいわね。自己犠牲こじらせすぎ。


「あのときは結局、被験者のリーダーが深追いを止めて、湯島医師の襲撃を最優先したので、ボクたちは見逃してもらえました」


「…………っ」


 私たち、表情が曇っちゃう。


 お父さんを殺した被験者の中に、リーダーが居たのね。感情の共有を発信した元凶であり、心理操作の首魁――。


「以降、ボクたちは同じコンプレックスどうし支え合うべく、結婚しました。仕事も奉仕精神を満たせるサービス業にしようと思い、ペンションを開業したんです」


「わたしたちにとって、接客業は天職です。と言っても、同じコンプレックス持ちだからこそ、先ほどのような口喧嘩をすることもありますけど」


 ま、喧嘩するほど仲が良いって言うしね。


 ともあれ、私たちは寝室へ入ったわ。お兄ちゃんと別室なのは残念だけど、きっとまたチャンスがあると信じたいな~。ぐぬぬ。


「それでは皆さん、お風呂の用意も出来ていますので、ご自由にお入り下さい」


 お風呂っ!?


 ピコーンと私の頭上で電球が点灯したわ。


 さり気なく廊下の方を振り向けば、お兄ちゃんが全身を震わせてるの。


「僕が一番風呂で良いかな? 左足を温めたくてね。寒い日は古傷がうずく、あるある」


 こ、これだわ!


 私はいそいそと部屋に引っ込み、鞄からバスグッズを引きずり出したの。


 ふっふっふ~。待っててね、お兄ちゃん……!




   *




「必殺! お兄ちゃん、背中流してあげる~っ」


 あれこれ身支度を整えて、やっとの思いで部屋を飛び出したとき、すでにお兄ちゃんが浴室に向かってから十数分が過ぎてたわ。


 大急ぎで洗濯籠に脱衣を突っ込んだ私は、一糸まとわぬ裸体で浴室へ突入する。


 途中、もう一つの籠に入ってたお兄ちゃんの服と下着――トランクスだわ――に手を伸ばしたい衝動にかられたけど、今は我慢よ我慢。


「わ、ルイ。来てしまったのか……」


 浴場で鉢合わせたお兄ちゃん、すっごい引いてる。


 何よその言い草~っ。


 すでに体を洗い終えてたお兄ちゃんは、湯船で半身浴しながら私を見つめ返す。あ、お兄ちゃんの乳首見えた。少年のようにほっそりした肢体が艶めかしいよぅ。


 私は手拭てぬぐい一枚で前面を隠してるけど、お兄ちゃんに見つめられて紅潮しちゃう。こ、これでも勇気を振り絞ったんだからね? 私もそんな凹凸があるわけじゃないけど、望まれれば柔肌だってさらすんだから。


「風呂場で騒ぐな、ルイ。転んだら大変だ」


「え、あの、反応する所、そこ?」


「僕はそろそろ出るけど、ルイはゆっくり入るように。今夜は寒いから、女の子は体を冷やさないようにね」


「ま、待ってよ~お兄ちゃん、私が背中を洗いたかったのにぃ。他にもいろいろ……」


「いや、もう洗ったし。他には何かしてくれるのかい?」


「す、するわよっ。全身くまなく嘗め回したいし、その、あれよ、石鹸を自分に塗りたくって、ぱぱぱ、パイズリとか」


「ルイは胸ないだろ」


「今ひどいことさらっと言われた気がする」


「線が細いのは魅力だけどね」


「虚しいフォローされた気がする」


「ルイは自分を大切にした方がいい。僕のために従事するのは嬉しいけど、それも一種のメサイヤ・コンプレックスかも知れないよ。うん、ありそうありそう」


「!」


 メサイヤ――。


 人に奉仕する余り、自分をないがしろにしてしまう心理。


 私も知らず知らず、罹患しつつあるってこと?


 お兄ちゃんは湯船から上がって、義足を器用に動かしたわ。私の横を素通りして、浴室から出ちゃう。


「また後で、ルイ」背後から呼びかけるお兄ちゃん。「レストランの上、ペンションの中二階にリビングがあるから、そこに集まろう。母さんや吹屋夫婦も団欒してるはずだ」


 ぴしゃりと浴室の戸が閉まって、私は一人、取り残されたわ。


 はぅ~、顔が熱いっ。


 耳まで真っ赤だよぉ。


 お湯に触れる前から、のぼせちゃったみたい。


 クリスマスの夜はこれからなのに、私はすでに限界寸前だったわ……。




   *



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