2――ペンションへ(前)

   2.




 私がむくれっ面でお風呂を上がると、ペンションのリビングから談笑が聞こえたわ。


 む~。何よ、みんなして楽しそうに……。


 はやる心を抑えつつ、黒髪をドライヤーで乾かしたわ。ノンスリーブのセーターとアームウォーマー、ホットパンツにニーハイソックスの部屋着をまとって、準備完了。


 ペンションの一階はレストランと厨房だけど、その上には中二階があって、そこは吹屋夫婦が居間として常用してる他、宿泊客のレクリエーションルームとしても解放されてるんだって。


 長方形のテーブルを囲むようにソファが並べられ、お兄ちゃんとお母さんが並んで座ってる。吹屋夫婦は対座に居る。


「ルイ、遅かったね」


 お兄ちゃんが、お母さんとは反対側の隣席に、私を手招きしたわ。


 きゃ~、私のために隣を空けててくれたのねっ?


 って、たった五人だもんね、席に空きが出来るのは当然か。でも嬉しい~。


 タートルネックのセーターとチノパンを着たお兄ちゃんは、お風呂の出来事なんか欠片も気にしてなさそうだったわ。


 それはそれで乙女心が複雑だけど、お兄ちゃんのすることは絶対だから従う。くすん。


「お母さんはお風呂、入らないの?」


「……いただきたいけれど、ちょうど今、話が盛り上がっていてね……」


 そんなに被験者との会話って楽しいのかな。


 昔の古傷を蒸し返されたりしない?


「ルイちゃんにもお茶、用意しましょうね」


 湧子さんが、卓上に置いてたティーポットから紅茶を注いだわ。


 私の分とおぼしきティーセットも、とっくに準備されてる。さすがおもてなしのプロ。


 左手で器用にティーセットを配膳してるわ。この人、左利きなのかな?


「湧子さん、左利きなんですね~」


「ええ。意外と便利なんですよ」にっこりほころぶ湧子さん。「夫が右利きなので、彼がやりにくい作業を代わりにやったりとか。利き腕によって勝手が違いますもの。ね?」


「そうそう。野球でも左利きの投手が有利な場面ってあるからね」よく判んない例えを出す清一さん。「ボクたちは、互いに足りない所を補い合って生きています。助け合いの精神、奉仕精神の根幹は、ここにあるんです」


 ふ~ん。確か心理的には、利き手によって右脳や左脳の働きがどうのこうのっていう機微があるらしいけど、私には難しいことは判んない。


「あとは、風車塔の矢川さんを待つだけですね」


 湧子さんが壁時計を見上げたわ。


 あ~、あの管理人さんね。


 豪放磊落だけど、身だしなみはきちんとしてたな~。あの人もこっちで休むの? それとも、お風呂を借りに来るとか?


「宿直室で寝ているんじゃないか?」顔をしかめる清一さん。「湧子、いくらメサイヤだからって、世話を焼き過ぎだぞ。風呂や食事、洗濯まで面倒を見ているじゃないか」


「それが奉仕精神ですもの」


「君がそこまで尽くす義理はないだろうに」


 清一さん、ちょっと面白くなさそう。


 さすがに夫の前で他の男性を気にかけるのは、デリカシーがないかも知れないな~。


「なぜ湧子さんが、そこまで矢川さんを気にかけるんだい? まさか浮気とか――」


「そ、そんなこと! わたしはただ、人に喜んでもらいたくて、身を粉にしているだけ」


「どうだか。困っている人を放っておけず、情に流されて一線を超えることもある。相手の望むがまま、自分を安売りしてしまう……メサイヤ・コンプレックスの問題点だ」


「してませんってば!」


 あちゃ~、何だか知らないけど修羅場になりつつあるわね。


 さっきも荷物運びで口論になってたし、コンプレックスって厄介だな~。


「ね~、お兄ちゃん。今は面倒なことになってるけど、さっきまでは何を話してたの?」


「ああ、これだよ。心理試験」


 そう述べたお兄ちゃんが指差したのは、卓上に置いてあった一冊の書物だったわ。


江戸川乱歩えどがわらんぽ 心理試験』


 って表紙に書かれてる。


「心理……試験?」


「ユング心理学を、日本で初めて創作に取り入れた小説さ。これにより、心理学は世間一般にも爆発的に認知されるようになったんだ。あるある、それまでは超マイナーだったのに、大衆向けに発表された途端メジャーになることって、よくある」


 やっぱり心理学のお話か~。


 私は食傷気味でげんなりしたけど、この面子なら致し方なしって所かな。


「……『心理試験』は……ユングが編み出した画期的な連想検査よ……」


 お母さんが噛み砕いたわ。


 専門家の口から説明されると頭に入りやすいわね。


「……要は、一種の連想ゲームね……いろんな単語を矢継ぎ早に提示して、そこから連想した別の単語をいかに早く答えられるか、測定するのよ……」


「何それ~。本当にただの連想ゲームじゃないの」


「……単語の中には『刺激語』と呼ばれる、相手にとって後ろめたいキーワードも仕込んでおくの……その単語を提示されたとき、相手はビックリして一瞬、回答に詰まる……そうした時間差から、相手の心理状況を見抜くのがユング式『心理試験』なのよ……」


「へ~。それをどうやって小説にしたの?」


「簡単さ、ルイ」私の頭を撫でるお兄ちゃん。ふにゃ~。「容疑者に『心理試験』を受けさせて、その回答速度から真犯人を割り出したんだ」


「今いちイメージが湧かないよぉ~」


「なら読んでみなよ。今夜、寝る前にでもさ」


「え~。お兄ちゃんが読んで聞かせてよ~。一緒のベッドで、子守唄みたいに~」


「あいにく僕は、一人じゃないと寝付けない体質なんだ。あるある」


「咄嗟に思い付いたあるあるネタっぽいよぉ!」


 お兄ちゃんってば、あの手この手で私を拒絶するから辛い~。


 駄々をこねる私に、お母さんがとりなす声をかけたわ。


「……試しに今……やってみましょうか……『心理試験』を」


「えっ!?」


 意外な提案に、私は目を剥いちゃった。


 お兄ちゃんも度肝を抜かされたのか、お母さんの顔を見返してる。


「母さん、本気かい?」


「……ただの余興よ……ルイに教えておくのも、悪くないでしょう……?」


「そりゃまぁ」


 お兄ちゃん、あっさり引き下がっちゃった。


 お母さんの申し出ってめったにないから、興味を持ったのかも知れないわね。


「……本来の連想検査は、一人ずつ行なうけど……今回はお遊びだし、みんな一斉に回答速度を競いましょうか……返事までの時間を測るという目的は果たせるはずよ……」


「ボクたちもやってみたいです!」


「溜衣子さんがどんなお題を出すのか、楽しみですわ!」


 清一さんや湧子さんも喰い付いて、テーブルに身を乗り出したの。さすがは被験者、心理学関連に目がないわ。


「……二人とも、ありがとう……」肩をそびやかすお母さん。「……ではまず、一つ目の単語……無難に、乱歩にちなんで『探偵』……」


「明智」


 即答したのはお兄ちゃんよ。早っ!


「安楽椅子」


 次は清一さん。


「怪盗かしら」


 これは湧子さん。


 最後まで一言も発せなかった私は、え~とえ~と、どん詰まりしながら「金田一?」なんて答えちゃった。


「それは横溝よこみぞだね」


 お兄ちゃんに駄目出しされちゃう。


 ぶ~。いいでしょ別に、ただの連想なんだからっ。正解よりも、何を思い描いたかが重要でしょっ?


 お母さんの問いは続く。


「……じゃあ次は……『殺人』……」


「事件。あるある」


「刃物かな」


「わたしも刃物ですね」


 清一さんと湧子さん、示し合わせたように返答してる。


 連想の速度を競うんだから、もっと張り合ってよ~。


 って、またしても私が最後になっちゃったので「は、犯罪」と普通に呟いたわ。二回連続で私がビリか~。


「……次は『心』……」


「左胸かな」


 あ、清一さんが最初だ。


 次にお兄ちゃんが「夏目なつめ漱石そうせき」、湧子さんが「秋の空」なんてひねった回答を寄越す。


 なるほど~女心ね。秋の空。


「……『風車』……」


「羽根かな」


 清一さん早いよ~。


「ドン・キホーテ」


 お兄ちゃん、ひねって来たわね。そのせいで回答が遅れたのかな?


「塔ですね」


 湧子さんはいつも通り。


 私? 私はもう、答えるのを半ば諦めてるわ。どう逆立ちしたって他の人たちに勝てないもん。みんな回答に慣れ過ぎよ。


「……『雪』……」


「白い」


 お兄ちゃん、またもや一番手に返り咲き。


「密室かな」


 清一さん、えっ密室?


 雪で密室? よく判んな~い。


「お化粧ですね」


 湧子さんは女性らしい回答が多いな~。雪化粧か、なるほどね。


 ――とまぁ、こんな感じで、連想する速度や回答の妙味を探るうち、あっという間にくつろぎのひとときは過ぎ去ったわ。


 徹頭徹尾、私はドベだったけど、頭を使うのは楽しかったし、いつの間にか夢中になってたから結果オーライかな。不思議だよね~、だんだん空気に呑まれて白熱しちゃうの。


「そろそろ日付が変わりますね。お開きにしましょうか。ボクは厨房で、明日の仕込みがありますんで」


 清一さんが席を立ったことで、ひとまず解散となったわ。


 初めてやったけど、なかなか面白かった~。たまには連想ゲームも悪くないわね。


「夜は冷えますので、皆様あたたかくしてお休み下さいね?」


 湧子さんもうやうやしくお辞儀したわ。


 左手で器用にティーセットを片付けると、お盆に乗せて奥の台所へ引っ込んじゃった。


「ホワイト・クリスマスだからね、風邪には気を付けよう」


 お兄ちゃんも立ち上がったわ。左足首の義足をかばいつつ歩き始めるの。


 隣にくっ付いたままの私も、引っ張られるように起立しちゃった。


「でもお兄ちゃん! 外、見てよ。もう雪、んでるっぽいよ~?」


 私、リビングの窓ガラスに顎をしゃくったわ。


 ペンションの庭を一望できる大きな窓は、一面の銀世界が埋め尽くしてる。わ~、すっかり積もっちゃったな~。


 庭の向こうには、風車塔も見て取れる。


 三本の巨大な羽根はすっかり停止して、電飾も消えてた。


 ペンションに影が覆いかぶさらないよう、羽根の位置もうまく停止させてる。


「……雪は止んだみたいね……」カーディガンのボタンを締めるお母さん。「……でも、寒いことに変わりはないから……ナミダもルイも、厚着して寝るようにね?」


「は~い。お兄ちゃん、寒いと人肌が恋しくならない? 添い寝してもいいよ!」


「ならないよ。ないない。お休み」


 お兄ちゃんってば、私の腕を振りほどいて、リビングから出てっちゃった。


 つ、つれない……こうなったら最後の手段だわ。私はクリスマスの夜になぞらえた、とっておきの作戦を実行することにしたの。




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