2――お母さんの病院へ(前)

   2.




「もしも~し、お兄ちゃん? 私、もうすぐ病院に着くんだけど、夜空のお月様が真ん丸なの! 満月だよっ満月!」


『本当だ。僕の部屋からもよく見えるよ。月が綺麗だね、ルイ』


「えへへ~。お兄ちゃんに告白されちゃった」


『え?』


「何でもな~い。あ、病院の門に入ったから、いったん通話切るね。院内でも通話できる場所に行ったら、また連絡する!」


 私はうきうきと――しかし名残り惜しく――通話を切ったわ。


 本当は死ぬまでお話してたいけど、ひとまずお兄ちゃんに「月が綺麗」って言わせたから満足よ。はぁ~、顔が腑抜けちゃうよぉ。きゃ~っ。


 っと、気を取り直さなくちゃ。


 ここは、実ヶ丘市民病院。お母さんの勤務先であり、実ヶ丘市でも有数の大病院よ。


 実ヶ丘駅の裏に建ってることもあって、交通の便も良いし、私ん家からは徒歩で往復できちゃう。お母さんも近場の勤務は楽だって言ってた。


 私は勝手知ったる足取りで、奥にある『精神科・心療内科』の立て札を通り過ぎる。


 お母さん、時間取れるかな?


 今なら夕飯どきだし、休憩してるかな~と思ったんだけど。一般患者の診療もぼちぼち終わる頃よね。ちょっと通りすがりの看護師に声をかけてみよっと。


「あの~、精神科の湯島溜衣子るいこさんってどこに居ますか? 私、娘の泪って言います」


「あら、湯島先生のお子さんね?」


 うわ、顔知られちゃってる。


「今は会えないかも知れないわねぇ」


 看護師さんが眉をひそめたわ。


 なんでだろ? 忙しいのかな……?


「実はね、さっき警察が聞き込みに来て、今もその応対をしているの」


「警察!」


 ハッと仰天しちゃった。見上げた白亜の天井には、別に何もなかったけど。


 警察って泉水おばさん? あ、お姉さんって呼んだ方が良いんだっけ? ともかく、泉水おば……が来たとしたら、やっぱり秀海ちゃん絡みよね?


(カルテ上では、秀海ちゃんじゃなくて張河さん名義だろうけど)


 う~ん、私もお話を聞きたいんだけど、どうしよう?


 私よりも警察の面会が優先されちゃうわよね。いくら泉水おば……姉さんが身内だからって、お話に混ぜてくれそうにない。


「え~と、お母さんは今どこに?」


「病棟の裏口で話を伺っているみたい。でも邪魔したら駄目よ?」


「それは心得てます。ありがとうございましたっ」


 私は看護師さんと別れて、裏口へ歩く。ちっとも心得てなくてごめんなさいっ。


 病棟の裏口は人っ気がなくて、しんと静まり返ってる。なるほど、ここなら警察も安心して聞き込めるわね。まさか私が立ち聞きするなんて夢にも思わないだろうし。


(お母さん、見っけ!)


 裏口を抜けた先に、お母さんの姿があったわ。


 大きめの白衣を肩に引っ掛けた、線の細いシルエット。白衣のすそが地面を引きずりそうになってる。


 私やお兄ちゃんが華奢なように、お母さんも小柄なのよね。おかげで、支給された白衣が大きく見えちゃう。


 お母さんはこちらに背を向けて、スーツ姿の警察二人と対面してた。警察って大概、二人一組で捜査してるよね。片方に何かあっても、もう一人が行動できるようにって。


(やっぱり泉水おば……姉さんだ)


 ダークスーツのおば……姉さんと、同年代の男性が並んでる。


 今日の昼、私を訪ねて来たのと同じ人物だわ。


 その人は、紫色のメガネをかけた、髪の短い精悍な外見。二〇代後半くらいかな? 青みがかった紫色のスーツを着てる。ネクタイも紫、タイピンも紫、靴下も紫。


 捜査官のくせにケバすぎ。普通は人目に付かない服装を心がけるんじゃないの?


「溜衣子さん。お忙しい所、呼び出してごめんなさい」


 おば……姉さんがぺろり、と悪戯っぽく舌を出してる。


 こうした仕草は、身内ならではって感じ。対するお母さんもとっくに承知してるから、穏やかに手で制するの。


「……いいわ、気にしてないから……捜査で関わるのは久し振りね、泉水ちゃん……そちらの三船みふねくんも……」


 お母さんは、途切れ途切れのおっとりした口調で挨拶したわ。


 職業柄、誰とでも穏やかに接して、かどを立てないようにしてるみたい。


「あっどうも。三船みつるです。お世話になります」


 男性捜査官が改まって、背筋を正したわ。


 昼間、私に会ったときは、警察手帳を見せられたっけ。


 確か階級は警部だったかな。警部補のおば……姉さんより偉いのよね。多分キャリア組ってやつ。あの若さで捜査の指揮もしてるけど、おば……姉さんの方が現場の叩き上げで経歴も長いから、主導権はおば……姉さんが握ってるみたい。


 まるで、三船さんが尻に敷かれてるみたいで面白~い。


(あ。お兄ちゃんに電話かけなきゃ……)


 ワンタッチ登録してあるお兄ちゃんの番号へ、瞬時に繋いだわ。


 うまく会話を拾えれば良いけど――。


『やぁ、電話が来たね。可能な限り母さんの話を拾えるよう、接近してくれるかい?』


 百も承知よ、お兄ちゃんっ。


 私は大人たちに気取けどられないよう、物陰へ潜伏したわ。盗み聞きする後ろめたさもあったけど、お兄ちゃんの頼みとあらば無視できないもんね。


 だって私は、お兄ちゃんの虜だから。愛の奴隷だから。絶対服従だから。


 半年前からは、特に――。


「……先に言っておくけど、患者のカルテは、令状がないと提供できないからね……?」


 お母さんが小さな肩をすくめたわ。


 おば……姉さんは、もちろんよって首を振ってる。


「今日は聞き込み捜査に来ただけです。話せる範囲で教えてもらえれば充分ですよ」


「むしろ見たら俺らの首が飛んじゃいますんで」


 三船さんも茶目っ気を込めて苦笑してる。


 その辺は警察も心得てるのね。お母さんは口許をゆるめたわ。言質を取ったって感じ。


「……最後にあの子をたのは……先週末だったかしら……娘の友達と瓜二つだったから覚えているわ……苗字も同じだし、あぁ双子なのね、って合点が行ったけれども……」


「病名は何だったんです?」


 おば……姉さんが詰問する。


 隣では三船さんがメモ帳とボールペンを持って、必死に書き取ってるわ。


「……最初は、妄想性パーソナリティ障害かなとも思ったけど、微妙に違ったのよね……」


「妄想性なんたら、とは?」


「……ありもしない被害妄想に偏執する妄想症パラノイアよ……だけど、あの子は決して妄想ではなく……明確に『自分のしたこと』をのよね……」


「待って、溜衣子さん」言葉を挟むおば……姉さん。「患者が『双子の演じ分け』をしていたこと、聞いていたんですか?」


「……明言はしていないけど……何となくほのめかせるような感じよ……罪を隠そうとする曖昧な受け答えや自己正当化だらけで、少年課には無視されていたけど……」


「ええー。少年課の連中、手抜きし過ぎ!」


「そりゃ信じないっしょ」失笑する三船さん。「双子の入れ替わりを頻繁にやってたなんて。ましてや片割れは秀海役に収まって、オイシイ優等生を独り占め出来るんだから、入れ替わりを認めるわけがない。結果、張河の狂言だと判断されちゃうわけだ」


 そうなのよね~。


 どんなに瓜二つでも、普通は入れ替わったら細かいボロが出るし、記憶だって齟齬が生じるはず。何もかもを共有し、完璧に成り済ますなんて前代未聞よ。奇跡的にバレずに済んだ、とも言えるけど。


「……光と影を演じ分けたとしたら……張河役の秀海ちゃんは器用な神経の持ち主ね……彼女は現実をはっきり認識した上で、張河ちゃんを恨んでた……憎悪していた」


 光と影。


 心のいろんな一面。


 お兄ちゃんは核心を突いてたんだわ。さすがお兄ちゃん、抱いてっ。


「……ゆえに彼女は、そうした精神を複数抱え込んだコンプレックスと呼ぶべきね……」


「コンプレックス?」


「劣等感、と一般的に訳されているけど……正しくは『複合的な心理』って所かしら……有名なのはロリコンやブラコン、シスコン、ファザコンやマザコンね……」


「あぁ、よく聞きますね」


 三船さんがうんうんと頷いてる。


 私も心当たりがあるわ。思いっきりブラコンだもんね。お兄ちゃん最高。




「……秀海ちゃんと張河ちゃんは……『カイン・コンプレックス』なのよ」



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