1――お兄ちゃんの部屋へ
1.
「ただいま~お兄ちゃん! 相談があるんだけど、入れ替わった双子の死体が遺棄現場から消え去ってたらどう思う?」
私は
あいにくお兄ちゃんは、自室の安楽椅子で読書にふけったまま、微動だにしなかったけど……。
「それがどうかしたのかい?」
むぅ……お兄ちゃん、素っ気ない。私の色仕掛けすらも無視されてるっ。
せっかく
もう、ついでだからこのままここでブラウスもはだけちゃおっと。暑い暑~い。上着を脱いで、ボタンを一つずつ手にかけて~……。
「こら、着替えは自分の部屋でしなさい」
「だぁって~、お兄ちゃんが構ってくれないんだも~ん」
やった、食い付いたっ。
私は安楽椅子の背後からお兄ちゃんの首に抱き着いたわ。ぎゅ~。うん、落ち着く。人肌って温かいよね~。冬はやっぱり家族のぬくもりに限るわ。
「ルイ、離れろって。本を読みづらい」
お兄ちゃんは私の名を呼びつつも、相変わらず
――そう、ルイ。
私、
一六歳。高校二年生。
身長は一五二センチ、体重は四二キロ、胸のサイズは……聞くな。好きなものはお兄ちゃん。尊敬する人もお兄ちゃん。宝物もお兄ちゃん。命より大事なものもお兄ちゃん。理想の男性像はお兄ちゃん。結婚したい男性もお兄ちゃん。趣味はお兄ちゃんにまとわり付くこと。特技はお兄ちゃんにまとわり付くこと。
そして命の恩人も――お兄ちゃん。
「お兄ちゃ~ん、私のお話聞いてよ~」
断腸の思いでお兄ちゃんから離れた私は、くるりと身を
その拍子にスカートがふわっと舞って、黒のニーハイソックスと絶対領域から覗くパンチラがお兄ちゃんを
「ああ、もうこんな時間か。結構長く読み込んでしまったなぁ」
「って、お兄ちゃん無視しないで~! 今日は新しいパンツ
「見せびらかすんじゃない。痴女か君は」
「だって~、お兄ちゃんに構って欲しいんだもん! 妹・ルイちゃんは人肌恋しい季節なのです。頭撫でて、撫でて」
「はぁ……よしよし」
「えへへ~」
お兄ちゃんの細い手が、私の
ふぁ~、幸せ。
私、お兄ちゃんにしか髪を触らせない主義だからね。美容院にも行かないから、かなり長め。たまに自分で切るけど、普段は後ろで結んだり、ねじったりしてる。
お兄ちゃんも私と同じ黒髪の、
私たち、二卵性双生児なの。
一卵性ほど生き写しじゃないけど、お兄ちゃんと同じ顔・同じ遺伝子を共有してるなんて、すごく幸せだと思わない? 特別な存在って感じがする。
「ルイ。そんなにじろじろ見るなって」
「あ……ごめんね、ナミダお兄ちゃん」
――湯島
それがお兄ちゃんの名前。
一六歳の高校二年生。
私と同じ高校に通ってる……はずだった。
お兄ちゃんは制服を着ずに、私服でくつろいでるわ。タートルネックのセーターとスラックス。学校どころか、今日は家から出てないと思う。
ちょっとした事情で、お兄ちゃんは全日制高校を辞めたのよ……半年前に。
今は、同じ高校の通信制へ移籍してる。月イチで登校日が定められてるけど、基本は家に居たまま、郵便やインターネットを介した課題提出で単位がもらえるみたい。
「お兄ちゃん、何の本読んでるの?」
私は
ときどき足を組み替えて、ニーソの美脚(自称)をお披露目するけど、反応ないな~。
「この本かい? ユングの自伝さ」
え、ユング?
「ユングって、心理学で有名な~? ま~たお母さんの部屋から拝借して来たの?」
「あそこには心理学の本がたくさんあるからね。あるある」
お兄ちゃん、家中を物色しすぎ。ひょっとして私の部屋も入ってたりする?
あ、でも私、お兄ちゃんになら全てをさらけ出せるから、むしろどんどん物色して構わないけどね。私はいつでもノーガードよ、お兄ちゃん。
「母さんの職業、精神科医だろう? 心理学の入門書が多くて、読むと面白いんだ」
「確かにお母さん、お医者さんよね。心理学科を出たあと医学部に再入学したっていう、変な経歴だけど……」
うちのお母さん、三〇歳をだいぶ過ぎてから医者になったのよ。学部も二つ卒業してるし、かなり特殊だわ。
もともと精神科医だったお父さんが、
(お父さんの死因は、深夜徘徊してた非行少年に絡まれての傷害致死……)
おかげでお母さん、少年犯罪に異常な関心を持ってる。
今では警察の紹介で保護観察者の心障を診たり、補導少年の更正も務めたりしてる。
ただでさえ多忙な医業だから、家に帰って来ないこともザラよ。だから私たちは兄妹二人きり、昔から仲が良い方だったわ。
「いやぁ、読めば読むほどユングっておかしな人物だよね。変人説あるある」
「え、おかしいの?」
「そうさ」ポン、と本を手で叩くお兄ちゃん。「この人、洒落にならない女たらしだよ」
か、仮にも心理学の
「ユングってさ、ロリコンストーカーなんだよね」
「ろ、ろり?」
「ユングの妻・エマとは年の差結婚なんだよ。エマが一四歳のとき、成人済みのユングがいきなり求婚を迫ったらしい」
「うわ……事案すぎる~」
「だろう? エマは全力で拒否したけど、ユングはその後六年間、交際を迫り続けた」
「へ、変態ストーカー……」
「結局エマは根負けして、結婚を受け入れたんだってさ」
「エマちゃん陥落!」
「そこまでした以上、さぞかしユングは愛妻家なのかと思いきや、浮気と放蕩の日々」
はわわぁ~……。
ていうか、お兄ちゃんの端正な唇から、そんな下劣な言葉が出て来るのが嫌ぁ~っ。
「仕事の助手や、診療に来た患者まで、身近な女性をとっかえひっかえ、公然と交際したそうだよ。羨ましい」
「今、余計な一言が聞こえたよ~な……」
私の空耳かな?
お兄ちゃんが「羨ましい」なんて低俗なこと言わないよね。女っ気ないのがお兄ちゃんの魅力だもん。お兄ちゃんは私だけのモノ。私以外の女に興味持っちゃ駄目!
「ま、偉業と人格は別物さ。天才だからこそ性格破綻者、なんてパターンはよくあるからね、あるある。そういう意味では、フロイトも大概だし」
「フロイトって~、ユングと並ぶ心理学の著名人よね」
「フロイト自身、重度の神経症に悩まされてたのは有名な話だ。コカイン研究なんてものに傾倒してたしね。心理学者が心を病んでたなんて、医者の不養生だね。あるある」
「う、うん……えーと、断言するお兄ちゃんのドヤ顔もかっこいい」
「僕は彼らを尊敬してるよ? ただ、どんな人も多面的で、良い面と悪い面があるのさ。画一的な人間なんて居やしない。
「ヤブノナカ――」
「それが人心の面白い所なんだよ」
は~。人の心は多面的なのね。
だって、すごく楽しそうだもん。部屋に閉じこもってたから話し相手が欲しかったのかな。話すだけじゃなく、抱きしめてくれてもいいのにな~。
「どうした、ルイ? 僕の顔をじっと見てるけど」
「だって、お兄ちゃんかっこいいんだもん」
「ルイはブラコンだなぁ。俗語だけどね、ブラザー・コンプレックス」
「お兄ちゃんはシスコンじゃないの?」
「違うと思うよ」
ガ~ン……私、傷付いた。めちゃくちゃ傷付いたっ。私はお兄ちゃん一筋なのに、お兄ちゃんは何とも想ってないなんてっ。
「泣くなって、ルイ」私の頬を拭うお兄ちゃん。「気持ちのすれ違いはよくあることさ」
「すれ違いまくりよっ。私、さっきからチラリズムで誘惑してるのに無視されてるし~」
「ルイはスレンダーだから、体の
「……何かトドメ刺された気がする」
「あ、ところでネットのニュース見たかい? この街のことが載ってたよ」
「って、また話を逸らす~!」
「まぁまぁ」ポケットからスマホを出すお兄ちゃん。「
実ヶ丘市は、私たちが住んでる街の名前。市街化調整区域っていうのは、都市開発を制限して自然を保護してる、環境に優しい地域のこと。
市の中央を突っ切る
「山の枯れ草が出火元だって。あるある、冬は空気が乾燥してるから、自然発火しちゃうこと、よくある」
「そんなのどうでもいいよ~。いつまで経っても本題に入れないじゃないの~!」
私、ついに不貞腐れちゃったわ。
そう。もともとは違う話をするために来たのよ。
――冒頭の謎かけ。
双子の死体。
それは私にとっても大切な案件なのに――。
「ごめんごめん」背もたれに体重を預けるお兄ちゃん。「双子の死体が消えたんだっけ」
「うん。実はその死体っていうのが――」
私は小さな胸に手を当て、いよいよ本題を話し始める。
「実はその死体っていうのが――私の友達だったの」
「……何だって?」
お兄ちゃんが端正なまなじりをぱちくりさせたわ。
「ん~と、お兄ちゃんは『双子の入れ替わり』って判る?」
「推理小説でよく見るね」本棚へ目を向けるお兄ちゃん。「双子の外見は同じだから、成り済まして行動するとか、アリバイ作りに利用するとか。よくあるトリックだ」
「私の友達が一卵性双生児で、事件に巻き込まれちゃったみたいなの~……」
「一卵性なら瓜二つだね」
「私とお兄ちゃんは二卵性よね!」
「今それ確認する必要ある?」
「……ないけど」
そ、そんなつれない顔しないで~。でも、お兄ちゃんだから許す。
「私の友達……
「秀海?」まぶたをすがめるお兄ちゃん。「その子、知ってるよ。僕が全日制に在籍してた半年前、一度会ったことがあるなぁ」
中洲秀海、一七歳。私のクラスメイト。
とっても優秀で品行方正な、いわゆる委員長タイプの子。生徒会長も目指してた。
お兄ちゃんとも面識があるわ。秀海ちゃんが『生徒会選挙』に立候補したとき、みんなで手伝ったのよ。
「僕がまだ全日制に居た頃だね」思い出に浸るお兄ちゃん。「生徒会長に出馬した秀海ちゃんと、対抗馬の
水野、霙――。
「お兄ちゃん駄目っ! あいつのことは思い出しちゃ駄目~!」
「どうしたのさルイ」
「今はそんなことより、双子の話~!」
慌ててお兄ちゃんを抱擁したわ。私の胸にぎゅっと美貌を埋ずめさせるの。これで気を
「何だか洗濯板をあてがわれた感触だな」
……聞かなかったことにしよっと。
私、細身だからね。余計なお肉、付いてないからね。ぐすん。
お兄ちゃんに引き剥がされて、私はしぶしぶベッドに座り直す。
「でね、お兄ちゃん。秀海ちゃんは双子なんだけど、もう片方の子は、高校へ入った途端に堕落しちゃったみたい。秀海ちゃんとは正反対の不良生徒で、ろくに登校もしなくて」
「初耳だな。まぁ不登校なら知りようがないか」
「そっちは
「出来の良い身内を持つと、片方は荒んでしまう。よくある話だ」
「補導された張河さんの更正に、お母さんの精神科が紹介されてたんだって!」
「母さんが?」目を丸めるお兄ちゃん。「そう言えば、警察の依頼も受けてるんだっけ」
「死体で発見されるはずだったのも、この張河さんだったそうよ」
「はずだった?」
「だから、死体が消えてたんだってば。張河さんの死体が消失してたの」
私は懐中からスマートホンを取り出すと、一枚の画像を表示したわ。
「これが張河さんの写真よ~。もらい物だけど」
……ケバい。
厚化粧しまくった、どぎついヤンキー女が眼光を鋭く飛ばしてる。
スプレーで染めた髪、濃ゆいファンデーションのムラ、口紅は毒々しい紫色。糸くずみたいな細い眉や、厚ぼったいアイシャドウなんて、仮装大会かと思っちゃうほどよ。
前髪を下ろし、あまり目立たせてないのが不幸中の幸いね。
「アイシャドウが妙に濃いなぁ」画面を指差すお兄ちゃん。「大人ぶるための化粧とはいえ、背伸びし過ぎじゃないか?」
いわゆる反抗期の不良よね。我欲のためにレールを外れて、自分を誇示する
「秀海ちゃんと同じ顔とは思えない。化粧は人を化けさせるね、あるある」
お兄ちゃん、私以外の異性をじろじろ見過ぎ。ちょっと嫉妬。
「それでね」スマホを引っ込める私。「どうやらこの子、暴走族や不良仲間とも親交が深かったみたい。無免許なのにバイクや車を乗り回してたって」
「無免か。補導歴も多そうだなぁ」
「もちろん。指紋もばっちり採られてるんだって……でも」
「でも?」
言い淀む私に、お兄ちゃんが優しい眼差しで問い直した。
ああ~穏やかな瞳! そんな目で見つめられたら私、何でも話せちゃうっ。
「でも~、実は補導されたのって張河さんじゃなくて、成り済ました秀海ちゃんなのよ」
「え?」
お兄ちゃんは一瞬考え込んだあと、声を裏返らせたわ。
「双子の入れ替わりって、そこかい?」
「うん」
そこ。
「素行不良を最初に実践したのは、実は秀海ちゃんだったの~! 双子は両方とも優等生であり、不良でもあったのよ」
「両方とも?」
「ずっと優等生をやってたら、ストレスが溜まっちゃう。そこで秀海ちゃんは、双子の張河さんに成り済まして、夜遊びで羽を伸ばしたの」
「へぇ……」
「張河さんも、たまには優等生としてチヤホヤされたいから、秀海ちゃんに成り済まして登校した……入れ替わりの利害が一致したのよ」
私自身、自分で喋ってて信じられなかったわ。
双子は言葉遣いも、仕草も、癖も、その日の出来事や記憶まで完璧に模倣し、ボロが出ないよう入れ替わってたの。
もてはやされたいときは、秀海ちゃんに。
羽目を外したいときは、張河さんに。
「アイシャドウを始めとする厚化粧も、理由は『双子の抽象化』らし~わ」
「そうか。厚化粧で顔を包めば、双子の判別が曖昧になる。入れ替わりをごまかせるね」
「ただ、やっぱり秀海ちゃんは不良に慣れず、うっかり補導されて指紋を採られたの」
双子でも、指紋は異なるわ。
指紋は後天的に形成される模様だから。たとえ双子でも、同じ指紋は存在しない。
「なるほど」本を
「そ~なのよ!」お兄ちゃんに身を乗り出す私。きゃ~至近距離。「入れ替わりは破綻したわ……優等生と不良、光と影のバランスが崩れちゃった。光だった秀海ちゃんが影になり、影だった張河さんが光になった」
影の悪行は、秀海ちゃんが一人で背負っちゃった。
「あるある。役割的にも光と影を読み取れるね。双子の心に潜む『シャドウ』って奴だ」
「シャドウ?」
「人間は、普段の自分と異なる、相反する人物像に憧憬や反骨を抱くんだ。優等生と劣等生のようにね。それは心の奥底に押し殺された自分の鏡……
「相反する人物像~って、秀海ちゃんと張河さんみたいな?」
「影の自分が暴走し、捌け口を求めた結果が、双子の入れ替わりだったわけだ」
光と影……心の多面性が招いたってこと?
「ユングは、そうした影の自分を受け入れることで成長できると
いや、しょっちゅうあったら困るけど……。
「そんな真似したら、張河さんが損をするだけなのになぁ。張河さんの経歴ばかりが汚れて、秀海ちゃんは綺麗なまま……歪みだけが蓄積される」
お兄ちゃんは憮然としながら、所在なげに本をぱらぱらとめくった。
私も本になりたい。お兄ちゃんの手中で愛撫されたい。
「それで? 補導後の秀海ちゃんは?」
「秀海ちゃんは……狂ったわ」お兄ちゃんの手を握る私。「栄光ある秀海役の座を奪った張河さんを恨んで、殺害したそ~よ」
「殺害! あの子が?」
驚いて安楽椅子から飛び上がるお兄ちゃんも、可愛くて好き。
「秀海ちゃん家の双子部屋には~、血痕が大量に残ってて、凶器に使われた大型カッターナイフもあったみたい……日用品だから、指紋もばっちり検出されて~……」
「やけに詳しいな」
「今日、学校へ警察が聞き込みに来たのよ……実ヶ丘署の
「あぁ。あの人か」たちまち脱力するお兄ちゃん。「湯島泉水。実ヶ丘署の警部補で二七歳。母さんの親戚だよね。母さんはもう四〇歳超えてるけど、よく似てる」
私たち、遠縁に警察が居るのよ。しかも強行犯係の。
二〇代で警部補まで叩き上げた泉水おばさんは、相当なスピード出世らしいわ。
「それとルイ、おばさん呼びはやめなよ。泉水さん、まだ若いんだから」
「え~。どうも馴染めなくて……あのおばさん、捜査となると鬼気迫る形相で怖いし」
「張河さんの死体、自宅になかったのかい?」
「双子部屋のパソコンに書き置きだけ発見されたらしいの。私も泉水おばさんから聞きかじっただけだから、うろ覚えだけど、確か――」
『――私は、入れ替わった張河を殺す。私は張河が憎いし、指紋を採られた自分の失態も許せない。張河を市街化調整区域の山に埋めて、私も自害する――』
「それはまた、よくある無理心中だね」
「……ないよ~普通」思わずずっこける私。「ここ最近、学校で会ってた秀海ちゃんが実は張河さんだったなんて、も~ビックリよ。信じらんないっ」
「殺害された推定時刻は?」
「昨日の夕方五時~八時よ。五時前後に秀海ちゃんと張河さんがそれぞれ帰宅するのを、近所の人が見てる……そして八時頃、父親も仕事から帰って、書き置きと血痕を発見したの。父親の帰宅時間は自己申告だけど、その時間に警察へ通報したのは本当みたい」
「そうか。僕が居ない半年の間に、大変なことになってたんだな」
半年の間――。
嫌な記憶が、頭の奥でうずく。
私、お兄ちゃんを見返しちゃった。顔から胸へ視線を下ろし、さらに腰へ、下半身へ、膝へ、
――ない。
お兄ちゃんには、左足首がない。
義足が
椅子の脇には、歩行補助のステッキもあるわ。これが半年前、お兄ちゃんが全日制高校をやめた一因……あの『事故』に連なる忌まわしい記憶。
「ルイ。秀海ちゃんは、張河さんを殺したあと、死体を山へ埋めに行ったんだよね?」
「うん……ベランダから死体を庭へ突き落して、車庫まで引きずった痕跡があったって」
「車に乗せて山へ向かったのかい? 運転は誰が?」
「張河役は無免でバイクや車を乗り回してたって言ったでしょ~。不良仲間の教えで」
「ああ、そうか。おまけに日没の早い冬なら、夕方以降は人目も忍べる」
「車は、山ふもとに放置されてたんだって」
「なぜ死体を運んだんだろう? 書き置きを残したってことは、隠蔽目的ではない。死体遺棄場所には、本当に何もなかったのかい?」
「判んな~い。穴を掘って埋めようとした痕跡は見付けたらしいけど、空っぽ。張河さんの毛髪や衣服の繊維は採取できたから、そこに運んだのは事実っぽいわ」
「秀海ちゃんが別の場所に移したのか? 何らかの理由で、気が変わって」
「別の場所まで張河さんを運ぶの? そんな体力、秀海ちゃんにあったかな~……」
女子高生が死体を運ぶのはキツそう~……男性でも重労働じゃない?
「車で運んで、戻って来たんじゃないか?」
「あ、そっか……わざわざ再び山に戻る理由は判んないけど」
「車内には、何もなかったのかい?」
「それ私も聞いたけど、至って普通よ~。発煙筒とか、車の工具とか、給油用の携行缶とか、ありふれた備品ばっか」
「変哲なし、か。ガソリン残量はどうだった? 乗り回したから減ってたかな?」
「タンクも携行缶も空っぽだったみたい。運転に慣れてない人って、燃費悪いのね」
「となると、パソコンの書き置きが怪しいな。手書きじゃないから誰でも書き込める。本当に秀海ちゃんの文言かな? 中洲家の親は何か言ってる?」
「さぁ~? 秀海ちゃん家は父子家庭で、父親は日中、お仕事だから……双子の入れ替わりとか軋轢とか、全然知らなくて途方に暮れてたって聞いたわ」
「父子家庭か」目を丸めるお兄ちゃん。「つくづく、僕らと対照的だなぁ。母子家庭と父子家庭。二卵性双生児と一卵性双生児。対比あるある」
「茶化さないでよ~。とにかく秀海ちゃんが心配で……車を捨てて、どこ行ったんだろ」
「母さんに聞いてみれば? 今はまだ病院だろうけど、張河役の秀海ちゃんを受け持ってたんだろう? 何か知ってる可能性はありそうだ。うん、あるある」
――お母さん!
医者が患者の個人情報を口外するとは思えないけど、泉水おばさんも聞き込み捜査に行くだろうし、こっそり立ち聞きするチャンスはありそう……?
「私、ちょっと行って来る。病院は家から近いし、すぐ戻るわ!」
はだけてた制服のボタンを
「行ってらっしゃい――あ、それと」スマホをちらつかせるお兄ちゃん。「母さんと話すときは、通話をONにして欲しい。電話越しに、僕も傍聴したいからさ」
「判ったわ、任せて!」
「あと、ルイの色仕掛けは色気ないよ」
「あうぅ……」
*
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