3――宿敵のマンションへ(前)

   3.




 半年前。


 生徒会選挙の前日。


 私は、あの日を忘れない。


 私に憎しみを植え付けたあの日を。


 お兄ちゃんに一生治らない傷を負わせた、あの日を。


 ――秀海ちゃんを妨害した、あの女を!


 秀海ちゃんは優等生で、生徒会長にも立候補したわ。私は友達として、それの手伝いをすることになったの。


「わたしが当選したら、ルイちゃんを副会長にしてあげる」


「えっ、秀海ちゃんよしてよ。私ってそんな柄じゃないし……あうあう」


 なんて冗談も交わしたっけ。


 翌日に投票日を控えた放課後、校門前で最後のスピーチとビラ配りをしてたのよ。


 ちなみにビラを配布するのは、お兄ちゃんよ。


 当時は足が健在だったからね。物腰柔らかにビラを渡す一挙手一投足を取っても、あり得ないくらいスマートで、優雅で、人の心を鷲掴みにしちゃう。


「ありがと~、お兄ちゃん。手伝ってくれて」


「これくらい構わないさ。ルイの頼みだからね」


 そう言って私の頭を撫でてくれるお兄ちゃんの手、とても温かかった。


 今思うと、すっごいご褒美よね、これ。当時ブラコンじゃなかったのが悔やまれるわ。


「お兄さんにまで手伝ってもらえるなんて、とても助かります」


 秀海ちゃんが改めて頭を下げたわ。え~、私には感謝なし?


 思えばこのときから、秀海ちゃんは双子の入れ替わりを画策してたのかな。彼女たちと私たち、同じ双子なのに在り方が違い過ぎて、思う所があったのかも知れない。


 それはさておき――。




「あーら。卑しい対抗馬が無駄な悪あがきをしてますのね」




 ――下校する生徒たちに混じって、おぞましい汚物まで流れ出て来やがったわ。


 私たちを鼻で笑ったその女は、いかにも高飛車なお嬢様然とした振る舞いなの。態度もでかいし、胸もでかい。ここが個人的に一番むかつく。な、泣いてないわよ。


(こいつ……水野霙!)


 私の中で警戒音が鳴り響く。


 彼女の足取りも、挙措も、しつけられた深窓の令嬢らしい振る舞いにも関わらず、目が笑ってないの。やたら大きな豊胸をふんぞり返らせて、見下してる。


 背後には、従者みたいな取り巻き生徒もぞろぞろ同伴してて、通行妨害以外の何物でもなかったわ。


「次期生徒会長はワタクシがいただきますので、アナタたちは辞退した方が賢明ですよ」


 なんてことを正面からぬかすし。


 そんなに自信があるなら、私たちのことは放っといてよ。いちいちコナかけて来るなんて、肝っ玉小さすぎ。


 勉強の成績は秀海ちゃんが首席だから、嫉妬してるのかな。あ~やだやだ。


「秀海ちゃんは、途中で辞退したりしません」


 だから私、言い返しちゃった。


 まさかの反論に、取り巻き連中がどよめいてる。水野霙に噛み付くなんて、奴らには考えられない暴挙なんだろうけど、知ったことじゃないわ。べ~だ。


「アナタ、ワタクシを誰だと心得ているの?」


「知らないわよそんなの。朔間学園は市内有数の進学校だから、金持ちの子息令嬢が在籍する『特進クラス』があるのは聞いてるけど……」


「ならば覚えておきなさい。ワタクシは世界に名だたる大企業の令嬢で――」


「あ、どうでもいいんで」


 私は水野の口上を手で遮ったのみならず、その手をシッシッと払ってみせた。


 これは効果覿面だったわね。みるみる顔を真っ赤にする水野霙が面白かったな~。


 たまらず、側近の何人かが前に出て来たけど、颯爽とお兄ちゃんが立ちはだかって、私をかばうの。きゃあ~素敵。神よ神。


「今は選挙活動中なので、これでもどうぞ」


 お兄ちゃんはにっこり笑って、連中にビラを押し付けた。うん、良い牽制。


 苦虫を噛み潰したような面相を彩った取り巻きどもは、それ以上突っかからなくなったわ。えへへ~、いい気味。


 最後に秀海ちゃんも一歩進み出て、水野霙を真っ向から見据える。


「明日は投票日です。全校生徒の清き一票に期待しましょう」


「偉そうな小娘が!」


 水野霙の奴、外見に似合わず下品な歯ぎしりを繰り返したわ。


 うわ~、お嬢様なのにそんな表情を見せて平気なの?


 ヒステリー持ちの女って嫌よね……ていうか小娘って、あなたも同い年でしょうに。


「平凡な市民の分際で、特進のワタクシより成績が上で、あまつさえ選挙にまでしゃしゃり出るなんて、目の上のタンコブ!」


「そう言われても」失笑する秀海ちゃん。「勝負ごとに恨みっこはなしでしょう?」


「そうよそうよ!」お兄ちゃんの後ろから顔を出す私。「いい所のお嬢様なら、もっと余裕を見せたらどうなの――」


「お黙りっ!」


 ――そして、事件が起こった。


「ぁ痛っ!」


「きゃあ!」


 顔を出した私と秀海ちゃんが、水野霙に突き飛ばされちゃった。


 右手で秀海ちゃんを、左手で私を。


 このクズ女、カッとなって咄嗟に手が出たのね……やっぱり最低だわ。


 しかも、意外と力が強いっ。


 私たちもまさか暴力を振るわれるなんて思わなかったから、思いきり転倒しちゃった。


 ――校門の外、車道に。


 ほら、私たちって校門前でビラまいてたでしょ? だからちょっと足を踏み出せば、そこはもう公道なのよ。


 おまけに今、夕刻のラッシュアワー。車道の交通量がめちゃくちゃ多かったの。


「うぐっ……」


 早いとこ避難しなきゃいけないのに、秀海ちゃんは額から血をしたたらせてた。転んだ拍子に強くぶつけたみたい。水野め!


 私は秀海ちゃんを抱き起こそうとしたけど、か弱い女子高生の腕力じゃ、ちょっと重労働だったわ……あうあう。


 もたつく私たちへ、クラクションの音とタイヤの摩擦音が肉迫する。


 大型車両が猛スピードで突っ込んで来る――。




「危ないっ!」




 ――お兄ちゃんが、横から飛び出して来た。


 私と秀海ちゃんを、勢い任せでさらに突き飛ばして、車両から遠ざけたの。


 でも、お兄ちゃん自身は避けきれない。


 鈍い衝撃音。


 轢き飛ばされるお兄ちゃん。


 手足が折れ曲がるお兄ちゃん。


 路上をもんどり打って、のたうち回った挙句、動かなくなるお兄ちゃん。


 いびつにねじれた左足首へ、さらに車両が激突する。


 ぐしゃり。


 お兄ちゃんの左足首が、潰れる音。


 飛び散る鮮血。


 広がる血の海。


 暮れなずむ朱色に混じって、路面まで紅蓮に染まっちゃう。


 地獄絵図の中、それでもお兄ちゃんは私の顔を見て、こう告げたのよ。


「僕なんかより……君が無事で、良かった」


「嫌ああっ! お兄ちゃん! お兄ちゃん!」


 私のことより、自分のことを心配してよぉ……!


 むせび泣く私。


 のけぞる水野霙と、たじろぐ従者ども。


「わ、ワタクシはこんな、こんなつもりでは……」


 うるさい死ね。今すぐ死ね。


 この有様には、さしもの取り巻きどもも擁護できず、ドン引きしてたわ。


 ――翌日、水野霙は学校に来なかった。


 秀海ちゃんも、傷の治療で欠席したみたい。


 お兄ちゃんは病院で手術を受けたけど、左足首は縫合しても完治せず、ついには細胞が壊死し始めたから、泣く泣く切除するしかなかったの……。


 翌日の選挙は中止となり、秀海ちゃんも水野霙も出馬を諦めたわ。後日、全く別の第三者が立候補して、漁夫の利で当選してた。




   *




(あのあとすぐ、お母さんが訴訟に動いたのよね~)


 お母さんは絶対、泣き寝入りしないもんね。


 警察に相談して、立件できそうな案件で交番に届け出たわ。ついでに裁判所と弁護士にも掛け合って、民事訴訟を手続きしたの。


 そしたら、さすがに水野家側も泡食ったみたいね。水野霙の両親が、取り繕うように示談を申し込んで来たわ。


 あいつん家、本当に富豪だったみたい。想定してた賠償金よりもかなり色を付けた金額が提示されたので、ひとまず私たちは誠意と受け取って、拳を下ろした。


 水野霙は書類送検されてた。逮捕じゃないみたい。間接的な加害者だけど、直接お兄ちゃんの足を奪ったわけじゃないからね。秀海ちゃんの怪我も致命傷ではなかったし。


 おまけに、水野は今も高校に在籍してる。こっちにも相当なお金を積んだっぽい。


 余談だけど、お兄ちゃんを轢いた運転者からもたんまり賠償金をせしめて、うちにはしばらく遊んで暮らせる貯金があったりする。


(以来、あの女は学校に来たり来なかったりの繰り返し。求心力も徐々に失いつつあるわ。自業自得、因果応報よね~)


 私は鼻息を荒くして、水野の住まいを訪問したわ。


 お兄ちゃんの事故以降、直談判するために何度も押しかけたのを思い出す。


 ――実ヶ丘市の一等地、高級住宅街に建てられた高層マンション。


 その最上階が、奴のハウスよ。


 裏手には私有地まであって、馬鹿高いスポーツカーを乗り回せる簡易サーキットみたいな設備も備わってるわ。うわ~、金持ち過ぎでしょ。


「水野霙。居るんでしょ、出て来なさいよ」


『…………』


 入口のインターホンで問い合わせると、しぶしぶ応対しようとする物音が聞こえたわ。


 ったく、さっさとしなさいよ。心の病らしいからモタつくのも仕方ないけど……。


(お兄ちゃん、聴こえてるかな?)


 私はこっそり、手の中に忍ばせてたスマホの通話ボタンを押したわ。


 水野との対話も、お兄ちゃんに届けば良いけど……。


「……何の用ですの」


 水野が入口まで降りて来たわ。


 おいでなすったわね。


 いよいよ目の敵と対面よ!


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