3――宿敵のマンションへ(後)



 水野霙は、ふかふかのニット帽と手袋を装着して、所在なげに目を逸らしてる。


 中に招こうとはしないのね。ま、頼まれても入りたくないけど。


「水野、その格好は何よ。大仰な帽子と手袋ね」


「何って……冬用の防寒ファッションですわ。外出時には必ず着用しておりますの」


「ふぅん。着膨れしてて肥満にでもなったのかと思ったわ」


「い、言わせておけば……アナタのようなちんちくりんのまな板じゃありませんので」


「私はスレンダーなの! 見なさいこの脚線美! そっちは巨乳デブで足も太いわね!」


「何ですってぇ?」


「何よぉ!」いがみ合う私たち。「フンだ。ちっとも変わってないわね、あんた。本当に病気なの? 精神科に通院してるって聞いたけど」


「え……なぜご存じですの?」


 水野の奴、めちゃくちゃ目を丸くしてる。


 こいつ、心の病のくせに感情表現がハッキリしてるわね。な~んか怪しいなぁ。神経症を装って嘘の診断書をもらうクズってたまに居るけど、もしかして……?


「私のお母さんも、お医者さんなの。だから偶然、あんたの姿を見てたのよ」


「アナタの母君が……」


 当然、院内であんたが鉢合わせた、張河役の秀海ちゃんとの悶着も目撃された。


「水野霙、あんたは私たちに怪我を負わせ、取り巻きどもの信用を失って、学校も休みがちになった。大方、鬱にでもなって、精神科へ通うようになったんでしょ?」


「そう、ですわね……あれ以来、ワタクシは情緒不安定、ヒステリーも激しくなりましたので。今はお薬を処方していただいて、だいぶ収まって来ましたけど」


「病院で『秀海ちゃん』に出くわしたとき、何を話したの?」


「それを聞きに来たんですの? あのときはヒステリーが再燃して、思わず飛びかかってしまいましたわ。口汚い罵り合いばかりで、内容なんてほとんど覚えておりません」


 ありゃ……そんなもんか~。


 ま~こいつが、まともな記憶力を持ってるなんて期待してないけど。


「もう一回よく思い出してよ。そしたら私、帰るから」


「……いて言うならば、彼女はワタクシのことなんかどうでも良くて、双子の片割れを何倍も憎んでいるとうそぶいておりました」


「あ~。カイン・コンプレックスね」


「それですわ。その後すぐ看護師や警備員が仲裁に入ったので、喧嘩は終了です。ムシャクシャして、帰りにゲームセンターで何時間さ晴らししたことか……」


「ゲーセン? あなたみたいなお嬢様でも、ゲーセンに行くの?」


「親が全国展開のアミューズメントパークを経営しておりますので、理解はあります」


 あ、そうなんだ。


 お金持ちだとは聞いてたけど、まさか娯楽施設経営者とは……。


「特にレースゲームが好きですの。最近は、本物の車と体感が変わらない筐体も多いですね。マンションの裏には私有地のサーキットもあって、家族と楽しんでおりますわ」


「そこまでは聞いてない」


 ん~。これは外れかな?


 結局、こいつと秀海ちゃんは、あんまり言葉を交わしてなかったっぽい。


 骨折り損だったわね……私は挨拶もそこそこに、マンションを立ち去った。


 う~、寒いっ。


 夜の帳が降りた冬空は、ニーハイソックスとスカートの絶対領域を容赦なく冷やす。


「もしもし、お兄ちゃん? 今の話どうだった? 収穫ありそう?」


 少し歩いてから、私はスマホを耳に寄せたわ。


 お兄ちゃんにとっても、水野霙の一件は辛い過去だから、今のやりとりをまともに聞いてたかは定かじゃないけど――。


『収穫あるある。一言一句、頭に刻み込んだよ』


「良かった~。でも平気? 無理はしないでね?」


『平気さ。で、気になったことが一つあるんだ』


 お兄ちゃんが考え事してる。


 私はその仕草がありありと思い浮かんだわ。椅子の上で足を組んで、手を顎に付けて、物憂げに窓の外を遠く眺めるの。満月の光を浴びながら……きゃ~、かっこいいよぉ。私をはべらせて~。


『半年前の事故で、秀海ちゃんは顔に怪我してたよね? 確か額に……いや、目頭?』


「そうだよ~。転んだとき右目の上をぶつけて、ぱっくり切れちゃってて」


『その傷跡、すぐに治ったのかい? しばらく残らなかった?』


「どうだろ~……あの子、前髪を伸ばしてたから、ちょうど傷跡が隠れるのよね」


『もしかしたら、それは証拠になるかも知れない。うん、こういうのよくある』


「ほぇ?」


 証拠って、どういうこと?


『頭に傷を負ったのは、秀海ちゃんだ。張河さんには傷がない。もしも警察に指紋を採られた中洲張河が秀海ちゃんだとしたら、額に傷が残ってるはずだ』


「あ~、言われてみれば!」


 瓜二つの双子において唯一、秀海ちゃんにのみ存在する識別記号。


 秀海ちゃんが入れ替わりで補導されたなら、目頭に傷跡があったはず。


『不良の張河役が、濃い化粧とアイシャドウを不自然に際立たせてたのって、目頭の傷をごまかすためじゃないか? 入れ替わっても傷跡で識別されてしまうからね。個体差を曖昧にする象徴が、目頭に塗りたくったアイシャドウだったんだ』


 アイシャドウ。


 それは秀海ちゃんの素姓を隠すための、抑圧された『影』シャドウの象徴なんだわ。


「ありがと~お兄ちゃん、愛してる! 私を好きにしていいよ!」


『それは遠慮するけど』


「でもその前に、ちょっと確認してみるから、いったん電話切るね!」


 私はスマホの通話相手を変更したわ。


 お母さんの携帯番号をアドレス帳からタッチする。


「もしもしお母さん? 聞きたいことがあるんだけど」


『……あらルイ……なぁに? 実はさっき、泉水ちゃんたちが来訪したせいで、患者さんを待たせているの……用件は手短にね』


「お母さんのかかり付けだった中洲張河さんって、目頭に傷がなかった? それをアイシャドウや前髪で隠してたと思うんだけど」


『……目頭に、傷……?』


 一か八かの賭けだったわ。


 お願い、思い出して――。


『……傷なんて、なかったわよ?』


「え?」


『……いくらあの子が厚化粧でも、女子高生のウブなメイクなんて、大人はすぐ見抜けるものよ……何度も対面したから断言できるわ……』


 天地が引っくり返された気分だったわ。


(書き置きと、違う!)


 張河さんは、張河さんのままだったんだ。


 ということは、まさか――。


「私、ちょっと中洲家まで行って来る!」


『え……あなた今何しているの……おうちじゃないの?』


「またねっ!」


 私は強引に電話を切ると、打って変わって進路を変更したわ。


 もう夜だっていうのに、あちこち走り回らせないでよっ。




   *




「やっと着いた~、秀海ちゃんの家!」


 はふ~。走って来たせいで、めちゃくちゃ息が弾んでる。冬なのに汗だくだよ~。


 中洲家は木造モルタル二階建て。先日まで警察が捜査してたけど、今は解放されてる。父親がこの家で双子の生還を待ってるのかと思うと、胸が締め付けられるわね。


(市街化調整区域が、近いな~)


 すぐそこに土手があって、出流川が横たわってる。対岸には手付かずの自然が残されてて、野山の稜線が月光に浮かび上がる。


 あっち側へ渡る陸橋も架かってるから、山ふもとまで車で五分とかからないわ。徒歩でも十四~十五分くらい?


「ごめん下さ~い……って、誰も居ないかな? 中、暗いし」


 中洲家を軒先から観察する限り、お留守みたい。


 無駄足だったかな~と思ったそのとき、月光が玄関を照らした。


 玄関の隙間に、光が射し込んでる。


「開いてる?」


 え、え、どうして?


 吸い寄せられるように、おずおずと玄関をくぐっちゃう。


「お、お邪魔しま~す……どなたが、いらっしゃいませんか~?」


 慎重に暗がりへ目を凝らしつつ、私は靴を脱いで上がってみる。


 土間には、男性用の革靴があるわ。父親のものかな? じゃあ中に居るの? 玄関を閉め忘れたまま寝ちゃったとか?


 まずは一階のリビング、台所、洗面所、お風呂場などを見て回ったわ。


(一階には、誰も居ないわね)


 じゃあ、二階?


 廊下に面した階段を、そっと登る。ニーソで踏んだ床が、ぎしぎしと音を立てる。


 この上に父親の寝室と、双子部屋があるんだわ。


「失礼しま~す……」


 まずは父親の寝室、もぬけの殻。


 次は双子部屋だけど、やっぱり誰も居ない。


 そりゃそうか……って落胆した瞬間、視界の端に光るモノが映り込んだの。


(パソコンの電源がいてる!)


 足早に駆け寄ったわ。


 画面を見ると、ワープロソフトが起動してた。新しい文面が打ち込まれてる。


 また書き置き……?



『遺書 中洲流介』



「い、遺書? それに、この名前って……父親よね?」


 中洲家の絶対神だわ。双子が崇敬し過ぎてファザー・コンプレックスにかかり、果てはカイン・コンプレックスも併発させたっていう――。


 そんな父親が、遺書?


 死んだってこと?


 だとしたら、どこで――?


 ――ひゅうううう。


「え」


 不意に、風が私の肌をなぶったわ。


 見れば、ベランダに面したガラス戸が全開になってる。


 外から吹き込んだ風は、すえた匂いが鼻に突いたの。


(血生臭い!)


 私は鼻をつまみながら、恐る恐る窓際まで足を向ける。ニーソ汚れちゃうかな?


 すっごく怖いし、本当は見たくないんだけど、確認せずに居られない。


 ベランダにぶちまけられた、おびたたしい血溜まりを、ね。


「…………!」


 声にならない悲鳴。


 何よ。何よこれ。せっかく警察が捜査を終えたのに、なんでまだ血痕があるの?


 私はベランダへ身を乗り出したわ。血を踏まないよう、慎重に。


 眼下に広がる、庭。


 そこに転がる、中年男性の死体。


(中洲流介!)


 首筋から、大量の血が飛び散ってる……緑の芝が赤黒いわ。うぇっぷ。


 死体のそばには、首を切ったとおぼしき大型カッターナイフが、月光に輝いてた。


 この死にざまって、双子の書き置きと同じじゃない?


 パソコンに遺書があるってことは、自殺?


「つ、通報しなきゃ。泉水おば……姉さんに、って違う違う、普通に一一〇番で!」


 ああもう、わけ判んない。


 助けて、お兄ちゃん……!




   *



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