エピローグ

+++





 時は流れて、十五年後。

 どこか別の場所では・・・。

(優歌・・今年も会いに来たよ)

 琴音はお墓の前に静かに手を合わせ、目を閉じた。

「─・・・」

 不思議なものだ。

 あの頃は、いくら流しても足らないと思えるぐらいでてきた涙が今では一滴もでてこない。

 琴音は目を開けると、立ち上がる。

 ─・・・自分は、残酷なのだろうか。

(けれど、忘れたわけじゃない・・)

 季節が秋めいた時、絵をかいている時、あの交差点を通った時、昔の友人に会った時・・ふとした瞬間にあなたを感じる。

 そこにはいつも笑顔のあなたがいる。

 きっとこれかも、ずっと。

 琴音は踵を返すと、歩き出す。

 道沿いの木々は赤やオレンジに色づき、頬うつ風もヒンヤリとして澄みきってきている。

 ・・・琴音はそんな今の季節が大好きだった。



 ここはとある町の小さな公民館。

 ソプラノはそこにあるピアノの鍵盤に手を置き、音を奏でていた。

 その音に乗せて、ヒビキの2人のこどもたちが声をのせていく。

 ・・・が、ソプラノはあることに気付き指を止めた。

「今日は声、でてないみたい。ヒビキがくるまえに腹筋30回、ね」

 子どもたちはそれに不服そうに顏を歪めた。

「えーおばさんはいっつも厳しいなー」

「そーだよ!父さんはそんなこと言わない!」

 ソプラノはクスリと笑う。

「おばさんって言った?・・・腹筋10回追加」

「「ええー」」

 ソプラノは立ち上がると、子どもたちを床に座らせ言った。

「もうすぐで私たち4人の初舞台よ。成功させたいじゃない?」

 ソプラノは微笑む。

 子どもたちは「「まぁーね」」と言うと、ソプラノの言ったことをやる気になってくれたようだ。

 ・・・自分が地上に戻ったあの日から、ずいぶんと時間が過ぎた。

 境界でヒビキのことを待ち続け、そしてヒビキに裏切られたと気付いた時、とてもショックだったことを今でも覚えている。

(あの頃は若かった・・)

 歳を重ねるにつれ、見えないことが見えるようになるらしい。

 だから今では、ヒビキが裏切っていないという事実をひしひしと実感することができた。

 だって、今、私はあの時のヒビキと同じ立場になっている。

(きっと・・すず様を裏切っている・・)

 私は、これからも変わり続けるだろう。

 どうあがいても、この流れには逆らえない。

 すずからしたら、それは裏切られたことと同じではないだろうか。

 でも、違う、と言いたかった。

 私はすずのことを裏切っていないと言いたかった。

 だって、今でも私はすずのことが大好きなのだから。

(すず様・・・こんな私でも受け入れてくれますか・・)

「・・・」

 今でもすずは、境界のあの家にいるのだろうか。

 それとも・・・──。



「フミカ、これ同じ切断係の人たちに配っておいてね」

 ミオは、今仕事をおえて部屋からでてきたらしいフミカにそう言ってプリントの束を手渡す。

 フミカはそのプリントに目線を落とすと、微かに眉を寄せてた。

「ミオー、これ何のプリントだっけ?」

「契約書だよ。三年に一回、いつもかいてもらってるよね??」

「あは!そうだった」

 その紙面には、『天界との契約を更新しますか?』と書かれており、『はい』か『いいえ』で選べるようになっている。

 どちらかに丸を付けて、名前をかいて提出すればオーケーだ。

 フミカは「うーん」と唸ると

「あたし、どうしようかな~ミオは決めてる?」

 すると、フミカの後方からきた誰かがそのプリントを一枚抜き取った。

「おっ。もうそんな時期か!

 さっさと書いて、提出しねーとなぁ」

 ミオはそんなシイカに、

「それはいいけど・・シイカ、ちゃんと名前かくんだよ?前回書くの忘れたよね?そーいうことされると、後から大変なんだから」

 ミオは困ったように笑う。

 シイカは「分かってからー」と言うと、胸のポケットからペンを取り出し、近くの壁を下敷きにして紙面にペンを走らせた。

「ほい、よろしくー」

 ミオはシイカからプリントを受け取ると、その紙面に目を落とした。

 思わず、ドキリとする。

「シイカ、更新しないの?いつもしてたよね??」

「まぁなぁ」

「・・・そう、分かった」

 シイカはニカッと笑うと、踵を返しこの場から立ち去っていく。

 ミオはシイカの選択が意外で仕方なかった。

 自分のように地上に興味がなさそうなシイカのことだから、ずっと天界にいるものだと思っていた。

 ・・・何だか少しさびしい。

 でも、この感情は口に出せばやっかいなことになる。だから・・・黙っていよう。

 これは本人にしか決められない、大切なことなのだ。

 フミカはそんなシイカの後ろ姿を見ながら、呟く。

「シイカ、更新しないんだー・・すずも、一回更新しただけだったし、ミオはどうするの?」

「あたしは、しばらくはここにいるつもりだよ」

 ミオは微笑む。

 しばらくが、どのぐらいの期間なのか、ミオ自身にも分からなかったが、取りあえず今はそう思っていた。

「やっぱりそう思うよねぇ~。天界で働くのもけっこう楽しいし、やりがいあるし!」

「うん、そうだよね」

「じゃ、あたしみんなに配ってくるねー」

「よろしくね、フミカ」

「はーい」

 そしてフミカは、まだ仕事場に残っているヒトたちにプリントを配りにいくため、この場から立ち去っていく。

 ・・・契約を更新しないということは、もう一度、生まれ変わるといういうこと。

 生まれ変わるか、変わらないか、どちらが正しいなんて決めることはできない。

 長い間ここにいると、分かることがある。

 それは迎えることはできても、それを追いかけることはできないということだ。

 自分はただ、見送るだけ。

(・・・あたしもいつか、見送られる方になるのかな)

 ミオはいつの間にか、微笑んでいた。

 きっとそれも悪いことではないだろう。



 柚季は机の上のスケッチブックに、ひたすら筆を走らせていた。

 仕事と家事の合間にかけ続け・・・あともう少しで、この絵は完成する。

(琴音の個展に一緒に展示させてもらえることになったんだし、ちゃんと完成させないと)

 ・・・やっぱり絵をかくことは楽しい。

 この歳になってもそう思えることに、柚季は小さな幸せを感じていた。

「ママー絵本読んでぇ~」

「あず、ごめんね。今ちょっと忙しいからパパに読んでもらって」

 柚季は背中にしがみついてくる娘のあずにそう言いつつ、パレットに絵の具を付け加える。

「えぇ~だって、パパ、もう寝てるよ?」

「は?うそ・・・早すぎ・・まだ8時じゃん」

「ママぁー」

「分かった分かった」

 振り返って見てみると、部屋にあるソファではアルトが仕事着のまま眠りこけている姿があった。

(やっぱり仕事、疲れるのかなー)

 柚季はそう思いつつ、アルトのことを起こさないようにあずと共に寝室へ移動した。

 あずは嬉しそうに布団に寝転がり、柚季もその隣に寝転がる。

「・・・あず、またその絵本?」

「うん!」

 柚季があずに頼まれて開くのは、柚季自身も大好きな白い本。

 いや、正確にはあの時柚季が文字も書いたし、絵もかいたのでもう白い本、ではないのだけれど。

 しかし、柚季にとっては・・・ずっと白い本、のままだ。

「昔々あるところに・・・



end.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

境界のすず 夕菜 @0sora

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ