第6話(3)


 どうやら天界で働く人々には、一人ひとりアパートのような部屋が与えられるらしく・・。

 柚季は、仮として用意された自分の部屋にいた。

 ミオが課長の信頼を得るためだけに、わざわざ部屋を使う手続きをしてくれたらしい。

 本当に使うことになるとは、ミオも、そして、柚季自身も考えていなかったはずだ。

 真っ白の床にカーテン、家具も全て真っ白だ。

 けれど、窓に映る景色は、夜空のような色をしていて遠くに街に明かりのようなものが見える。

 柚季はその部屋にあるベッドに腰を下ろすと、そのまま仰向けに寝転がった。

「はぁ」

 無意識にため息がこぼれる。

(やっぱもう、無理なのかな)

 きっと、柚季がしんだという事実を知っている者は誰ひとりとしていないだろう。

 ということは、柚季の死を悲しんでくれる人物も誰ひとりとしていないということになる。

(そんなの嫌だ)

 と思っていた柚季だが、少しだけ考え方が変わってきた。

 みんなの幸せを心から願うならば、こういう結果もありかもしれない。

 ──・・・ただ、自分が少し我慢すればみんなはこれからも平和に暮らしていける。

 それに赤い瞳がただの病気だと思っていた頃は、目が見えなくなるぐらいだったら、しんだ方がマシだと思っていた。

 だから、もういいかもしれない。

 全てを諦めてしまっても。

 そうすれば、きっと楽になる。

「・・・」

 柚季は、ここまで持ってきた白い本を開いて改めてみてみる。

(せっかく頑張ってかいたんだけどねー・・)

 短時間でかいた割には、上手くできた方だと柚季は思っていた。

 もう一度、最初から読み返してみる。

 きっとこれは・・すずのための物語。

 すずのための絵本。

「──・・・」

(─違う・・)

 柚季は絵本を改めて読みかえして、気付いてしまった。

 すずのための物語でなくちゃいけないはずなのに、これはまるで違う。

 どうして今まで気付かなかったのだろう。

 じんわりと涙がにじんでくる。

 すずと同じ立場になって、初めて気付くことができた。

 これ、はすずの一番望むもの、ではない。

 柚季はベッドから立ち上がると、部屋の隅にある机に歩みよった。

「・・・」

 そして、その上に白い本を広げ、ペンを手に取る。

(書き直さないと)

 今さら書き直しても、意味なんてないかもしれない。

 けれど、意味があるかないかなんて関係なかった。

 やはり、自分の思う正解の形にして、この絵本を完結させたい。

 それだけだった。


 ・・・一体、どのぐらいの時間がすぎただろう。

 柚季は白い本を閉じると、周囲を見渡す。

 この部屋に時計はないようだし、窓から見える景色も何一つとして移り変わりがないように見える。

(すず、どうしてるかな・・・)

 いつも母に心配かけてばかりの柚季だったので、せめて今の柚季のことは心配しないでほしい。

 そんなことを思う。

(瞳の色も元に戻ってたし、大丈夫かな)

 その時、部屋のドアからノックする音が聞こえた。

 柚季が「はい」と返事をすると、ゆっくりとドアが開かれる。

 ・・・そこにいたのはミオだった。

 柚季は、ミオの方に歩みよる。

「どうしたの、ミオ」

 ミオはそれにわずかに眉を寄せる。

「それはこっちのセリフだよ、柚季」

「──・・・」

 ミオはやれやれという風に、ため息をつく。

「部屋にはいったきり、でてこなくてさ。

 それとも心配してもらいたかったのかな?」

「そういうわけじゃないしっ・・」

 ミオは柚季の目をまっすぐ見ると

「─なら、柚季はどうしたいの?」

「・・・──」

 柚季はミオの問いかけに、即答することができなかった。

 ・・・自分は、どうしたいのだろう。

 諦めるか、諦めないか。

 すずに姿が見えないことには、もうどうすることもできないのではないだろうか。

 それならば、いっそ全てを諦めてしまった方が・・・。

「・・・ミオ、わたしのキオク消していいよ」

 柚季は、気付いたらそう言っていた。

「折角、協力してくれたのにごめん・・」

「んー大丈夫、大丈夫。これは柚季が決めることだしね」

「・・・」

 ミオはあっけなく、そう言った。

 もしかしたら、引き留めてくれるかもしれない。そう思っていたところもあったので、柚季は少し拍子抜けする。

「天界も常に人手不足の状態だからね。逆に助かるところもあるよ?」

「そうんだーなら、よかった」

 柚季の言葉に、ミオは少しだけ表情を歪めたように見えた。

「本当にいいんだね?柚季。アルトの場合は、たまたまキオクが戻ったけど普通はそんなことないからね??」

「うん、分かってる。大丈夫だから」

 柚季は笑顔でそう言ってみせた。

 多分、上手い笑顔にはなっていないと思うが。

 正直、この辛い心境から抜け出せれば何でもよかった。

 キオクを消してもらえば、地上のことも忘れられるしそれに、地上の家族も何事もなく平和に暮らしていける。

 ──・・・これでいいのだ。

「そう、ならついてきて。キオク消してあげるから」


 柚季が案内されたのは、キオクを消されるフリとした時にきた場所と同じだった。

 天界の建物の一番端にあるドアを通ると、まっすぐな廊下が続き壁際にはシンプルなドアが一定の間隔をあけて並んでいる。

 一番から番号がドアにふってあり・・一体何番まであるのだろう。

 ミオは柚季の方へ振り向くと言った。

「テキトーな番号の部屋に入って?入ると向こう側の壁にドアがあるのね。それに入ってもらえば、地上のキオクは全て抜き取られることになってるから」

「・・・分かった」

 柚季は一番手前にあるドアの方に歩み寄っていく。そして、その前に立った。

(もうこれでいいんだ)

 もしかしたら、アルトに辛い思いをさせてしまうかもしれない。

 けれど、それを忘れられる。

 とその時、ミオが言った。

「あ、その前に契約書とか書いてもらう書類があったんだよね!

 ごめんね~今、とってくるから、ちょっと待っててね」

「あ・・・分かった」

 そして、ミオは踵を返すと立ち去っていった。

 本当は一刻もはやく、キオクを消してもらいたかったのだがこればかりは仕方ない。

 そんなことを思いながらミオのことを待っていると、柚季の前に現れた人物がいた。

「柚季さんっ・・待ってください!」

 ・・・アルトは、ここまで走ってきたのだろう。大分息があがっているようだ。

「アルト・・」

 アルトの姿を見て、やはり柚季は申し訳ない気持ちで一杯になる。

「ほんとよかったですっ・・部屋にいなかったので、てっきりもう間に合わないかと・・」

 アルトはそう言いつつ、手に持っている本を柚季に差し出した。

「柚季さん、これ・・・かきなおしたんですよね・・?早くすずさんに見せにいきましょう!」

 柚季はアルトから本を受け取ると

「わざわざありがとー。でも、今のすずにはわたしたちのこと見えないから、意味ないよねー」

「そのことなんですがっ」

「?・・・」

 アルトの表情は何だかとても固い。

 それに、肌の色もいつも以上に白く具合が悪そうに見える。

 そして、アルトは口を開いた。

「・・・僕には、使える体があります。フミカさんが譲ってくれたものです」

「!」

 柚季はその言葉にはっとする。

 それと同時に、病院のベッドで眠っている人間のアルトの姿が思い浮かんだ。

 柚季は思わず苦笑する。

「譲ってもらったんじゃなくて、もともとアルトの体だよねー」

 それでもアルトは、表情を硬くしたまま

「僕がまた人間になれば、すずさんと会話することができますしっ、柚季さんに体を返すよう説得することも可能です!」

「!・・そっか」

「でも、失敗した場合、僕はもうしばらくは天界に戻れなくなっちゃうと思います・・そうしたら、柚季さんと会うこともできなくなるかもしれません・・」

「──・・」

 アルトは柚季の目を見る。

 それは今までのように、ゆらゆらと揺れることはせず、しっかりとそこにとどまっていた。

「でも、僕は少しでも可能性がある方にかけてみたいんです。

 柚季さんが地上に帰る方法なら、何でもいいから試してみたんです。

 お願いですからっ柚季さんっ・・・また諦めないで下さいよ!」

「っ──・・・」

 可能性がある、その言葉に心にあった大きな闇に小さな明かりが灯ったような気がした。

 何よりアルトが、ここまで柚季のことを想ってくれることが嬉しかった。

 きっとアルトはこのこたえをだすのに、たくさんたくさん迷ったのだろう。

 だってアルトは、地上で生きることをあんなにためらっていた。

「でも、いいの?どっちにしろ、アルト、地上で生きることになるよね・・・?」

 アルトはそれに、首を左右に振る。

「そのことはもう、いいんです・・・本当はフミカさんのためにも、僕は地上に帰るべきだったんです。

 だから、いいきっかけになったと思ってます」

 アルトは弱々しく微笑む。

「──・・・何より僕は、柚季さんの助けになりたいのでっ」

「ありがとう・・アルト」

 思わず泣きそうになる。

 どうしてアルトは、こんなにも自分のことを犠牲にできてしまうのだろう。

 そのことを分かっていても、柚季はアルトの優しさにすがりたかった。

 本当はまだ諦めたくなかった。

「・・・では、行きましょうか」

「うん・・」

 アルトは指を弾くと、目の前に地上に繋がる扉を現し、それを開く。そして、扉の中に足を踏み入れた。

 柚季はそんなアルトの背中を見て、思った。

(もし、地上に戻ることができたら・・・)

 今度はアルトのために、自分が何かしてあげよう。

 出来る限りのことをして、アルトが少しでも幸せになれるように努力しよう。



 ミオは二人が地上へ続く扉の中へ姿を消していく様子を、柱の影から見ていた。

そして、完全に2人の姿が消えたことを確認すると手に握っていた、柚季に書いてもらうはずだった書類をクシャクシャと丸める。

(よかったー・・・)

 本当は、柚季に諦めてほしくなかったのだ。

 天界で働いている自分には、引きとめる権利なんてないし、地上にいくよう説得したとしても信頼される言葉なんてはけなかっただろう。

 ──けれど、アルトにはできた。

 本当によかった。

(柚季・・・アルト、頑張って)

 自分はきっと自らチャンスを手放し、戦うことを放棄した。それと同時に、今までの大切も失った。

 今さらどうでもいい、と思うが、もしかしたらその事実を心の何処かで後悔してる部分があるのかもしれない。

 だから、柚季には後悔してほしくないと思ったのかもしれない。

 思わず、口元を緩める。

(ほんと、今さらって感じだよねー)

 ほんと、自分で自分に呆れてしまう。

「・・・・」

 けれど、二人を見送ったことに後悔はしていなかった。



 柚季は自分のキオクを頼りに、アルトの体が眠っている病院にやってきていた。

 ここはしないにある総合病院で、病室の数も多い。

 アルトの体から、フミカの魂が抜けた時、行ったきりで行けていなかったので、正直アルトの体がどうなっているのか心配だった。

「この病室だっ」

柚季は、アルトの名札が張り付けてある個室を見つけて立ち止まる。

「・・ここに僕の体はあるんですね」

 隣に立つアルトの表情は、とても不安げだった。

 ・・・もちろん、柚季もそうだ。

「アルト・・本当に大丈夫?」

 柚季がそう訊くと、アルトは頷く。

「もちろん、大丈夫です!行きましょう、柚季さん」

 アルトは先頭を切って足を踏み出し、目の前の扉を通り抜け部屋の中に姿を消す。

 柚季もアルトに続いた。

 病室内はとてもひっそりとしており、薄暗かった。

 けれど、大きな窓にかかっている白色のカーテンはうっすらと明るい。

 ・・・きっと、もうすぐで夜明けだ。

 アルトは眠ったままのアルトの体を見下ろしている。

 柚季も隣に立ち、地上人のアルトの顏を見下ろした。

 綺麗な黒髪を持ち、静かに目を閉じている彼は間違いなくアルトだ。

 震える息が隣のアルトから、もれたのがきこえた。

「・・・」

 柚季が目をやると、アルトは固く唇を閉じ力強い目でベッドの上のアルトを見据えている。

「アルト・・」

「柚季さんっ・・僕、行きますね!」

 アルトは柚季の方を見て、微笑む。

 柚季は頷くだけで精一杯だった。

 アルトが両方の掌をアルトの体にかざすと、その掌の部分は少しずつ光の粒になりアルトの体の中に吸い込まれていく。

 掌から、腕、胸、足・・・そして、顏にかけてアルトは光の粒へ変化していった。

 その光は、ゆっくりと確実に眠っているアルトの体の中へ吸い込まれていった。

幻想的なその光景に見とれていると、ピクリとアルトのまぶたが動いた。

 柚季ははっとすると「アルト?」と声をかけてみる。

 すると、彼はそっと目を開いた。

 アルトは人間みのある、黒の瞳で柚季を見る。そして、微笑んだ。

「柚季のさんのこと、ちゃんと見えますねっ・・よかったです」

 アルトはそう言いつつ、上半身をベッドから起こした。

 アルトがちゃんと目を開けたことに安心しながら、柚季は言った。

「うん、よかった!って言うか、アルト、体に戻るのかなり久々だよね?やっぱりきつかったりする?」

「大丈夫ですよっ・・ただ、今の感覚がすごく懐かしい感じがします。

 すっかり忘れてました・・僕ってもともとこんな感じでしたよね・・

 まさか、もう一度戻ってくることになるとは思ってませんでしたよー世の中、分からないものですね」

 アルトは困ったように笑う。

 ・・・柚季も同じ気持ちだった。

「ほんと、そうだよねー・・・

 最初に会った時、アルト、天界人でわたし地上人だったのに・・立場逆になってるし」

「あはは、そうですねー」

 アルトはそう言いつつ、ベッドから降りようとするが腕から伸びている点滴の管のせいでとても動きにくそうだ。

「ちょっと待ってー今、看護師さんよんでくるから・・あ、でも今姿見えないんだった」

「大丈夫ですよ、自分でどうにかしますから」

 アルトはそう言いつつ、腕にささっている点滴の針を無理やり引き抜く。そして、立ち上がった。

「ちょっと・・大丈夫なの?」

「大丈夫ですよ!ちょっと前まで、フミカさんが使っていた体ですから、健康なはずです」

「まぁ確かにそうだけど・・でも、やっぱ勝手に病室から抜け出したらやばいんじゃ」

「そんなこと気にしている場合じゃありません!行きましょう、柚季さん!」

 アルトの前向きな発言と行動に驚きつつも、柚季はそれが嬉しくてたまらなかった。

 ・・・確かな希望が見えた気がする。だから柚季は迷いなく言うことができた。

「うん、行こう」


*


「今日はゆずの好物作ったのよー」

 母はそう言いつつ、テーブルの上に焼き立てのグラタンを並べた。

 グラタンの他にも、この食卓にはサラダやスープ焼き魚などどれも美味しそうな食事ばかり並んでいる。

「やった~ありがとう!ママ」

 すずは、箸をとり「いただきまーす」と言って食事を口に運んだ。

 この食卓には、すず以外に母と父がいる。

 母の手料理に、それを一緒にたべる家族。

 ゆずにとっては、当たり前なのかもしれないこの光景。

 すずにとってはまるで、奇跡のような瞬間だった。

(ゆず・・あなたは本当に幸せものね)

 すずは微笑む。

 本人ははたして気付いているだろうか。

 けれど、今、この瞬間はすずが体験している時間。

 だから、すずも幸せだということには変わりない。

「やっぱり、ママの作るグラタンはサイコーね」

「ゆず、どうしたの?最近、機嫌いいんじゃない?」

「そう?」

 当たり前だ。

 だって今自分は、とても幸せ。これ以上はないってぐらい。

 母の創るグラタンは、すずの大好きだった。

 どうやら柚季もそうらしい。

(やっぱり姉妹は似るのねー)

 その味は、あの頃と何も変わっていなくて。懐かしく、温かい。

 食事の味も、何気なく会話のできる家族も、空の明るさも、頬に感じる風も、テレビの音も、部屋に潜む夜の暗闇も。

 何もかもが愛おしい。ずっとここにいたい。

 でも、分かっている。ここは柚季の居場所。

 当たり前だが、母にとっては自分は柚季。

 すずは、ずっと昔にしんだ存在。

 ──けれど、そんなこと気にならなかった。

 それに、柚季の部屋に、自分が生きていた頃大好きでたくさん読んでもらっていた絵本があった。

 まだ残っていたなんて、嬉しかった。

 ─・・・いいのだろうか、こんなに幸せで。



 柚季がアルトと共に自宅に行く頃には、周囲は明るくなりすっかり朝になっていた。

「・・・」

 アルトは玄関の前に、緊張した様子で立つ。

 彼は後方に立つ柚季の方へ振り向くと、

「今思ったんですけど・・人間の姿で、柚季さんち行くの初めてですよね」

「あ、確かに。家に知らない人がきたら、親に怪しまれるかもだけど・・大丈夫だって!どうにかなるからっ」

「・・・」

「ほ・・・ほら、すず・・じゃなくて柚季さんの友だちとかだって言えば、大丈夫だよ」

 柚季が必死に言葉を並べると、アルトは表情を少しだけ和らげる。

「そ、そうですよね!」

「うんっ頑張れ、アルト!」

 その時、家の中から「いっていきまーす」の声と、こちらに近付いてくる足音がきこえてくる。

「!・・」

 すずと会う心の準備ができないまま・・・玄関の戸は開かれた。

 学生服に身を包んだ柚季の姿をしたすずは、目の前にいるアルトを見て一瞬、顏を引きつらせたように見えたが・・すぐにそれは、微笑みに変わる。

「・・・あなた誰?」

「ふざけないで下さいよ!すずさん!!本当は分かっていますよね?」

「──あたし、学校いかないといけないから」

 すずは、アルトの横をすり抜けようとする。が、アルトは腕をだしそれを遮った。

「・・・」

「すずさん、僕の話を聞いてください」

「・・・」

「─・・」

「本当に諦めが悪いのねぇ。ゆず、アルトくん」

 すずは口元をつり上げる。

「!!・・すず、わたしの姿、見えてるの!?」

 思わぬすずの発言に、柚季はそう叫ぶように言った。

 すすは、柚季の方に目を向け

「あは・・本当にバカねぇ2人とも。あたしはすずなんだし、見えないはずないじゃない」

「っ──騙してたの?ありえない!!そのせいで、今までどれだけ・・」

「これ、は必然的な嘘だったのよ」

「は!?意味分からない!」

「──・・」

 すずは肩にかけたバッグを地面に下ろすと、柚季に歩みよってくる。

 柚季は負けじと

「すず、いいかげん、わたしに体返して!!」

「嫌よぉ折角苦労して、手に入れたんだもの」

 すずは手の周囲にバチリと電気の筋を現す。

「!」

 柚季は思わず、一歩後ずさる

 ──・・・やはり、すずにはかなわないのだろうか。

「今になっては、アルトくんもただのヒトだし・・対抗するすべなんて無いわよねぇ。

 あははっ・・どうするの、ゆず」

 柚季は手に持っている白い本をぎゅっと胸にかかえる。

 書き直したけれど・・こんなもので、はたしてすずは心変わりしてくれるのだろうか。

 その時、アルトが口を開いた。

「すずさん・・もしかして、僕のためにわざと見えないフリしてたんですか・・・?

 こうでもしないと、僕が地上に戻るなんて思ってなかったんですよね?」

「・・・──」

 アルトは弱々しく微笑む。

「今思えば、すずさんはいつもそうでしたよね・・

 優歌さんの時も、ソプラノさんの時も、フミカさんの時も・・だしてくる条件は、いつも無理難題でしたけど結局は誰かのためになっているんです」

 アルトの言葉に、すずの強気な表情は、少しずつしぼんでいき、手の周囲の電気の筋も空気に溶けるように消えていった。

「そして、今回は僕のためなんですよね・・?」

「違・・・」

「すずさん、本当にありがとうございます。お蔭で僕はこうして地上に戻ることができました・・」

「・・・──」

「本当に・・ありがとうございました」

 アルトは、すずの背中に向かって深々と頭を下げる。

 すずは唇を噛みしめ、俯いた。

 すずらしくない、その表情に柚季は何も言うことができなかった。

 ──・・・もしかして、すずは

「こんなあたしにお礼言うなんて・・本当にバカげてるわぁ」

 するとすずは、柚季が手に持っている白い本をそこから抜き取る。

「お礼を言うのはこっちよ、ゆず、アルトくん。

 ありがとうね、今まであたしのわがままに付き合ってくれて」

 すずは、白い本をゆっくりと開くと紙面に目を通していく。

 一ページ一ページ丁寧に読んでいるようだった。そして、顏をあげると幸せそうに目を細める。

「正解よ、ゆず。これがあたしの一番望むものだわ」

「っ──・・すず、もしかして・・最初からわたしの体、奪うつもりなんてなかったの・・・?」

「・・・そうねぇ、多分。そうなるんじゃないかって思っていたわぁ。

 きっとあたしは、ママともう一度話せて、かわいい妹と一緒にいられただけで、十分だった・・」

 すずの表情を見れば、それがすずの本心だということをひしひしと実感できた。

 こんな穏やかやすずの表情、今まで見たことない。

 すずは、そっと柚季のことを抱きしめる。

「─・・」

「物語のすずが幸せになれれば、それがあたしの幸せだと思っていたの・・でも、違うのね・・。

 この世界は、物語の中よりもっと大きな幸せで満ちている・・だから、あたしは物語のすずよりずっとずっと幸せよ」

 すずは柚季から体を離すと、にっこりと笑った。

 その笑顔は、夢の中でみた幼いすずと同じ、可愛らしい人間の女の子の笑顔だ。

 同時に、柚季は居間の棚の中で見つけた、古びたすずの絵本を思い出す。

 確かにすずは、この世界で生きていたのだ。

 思わず涙がこぼれる。

 何だか、やっと実感できた気がする。

 すずは、無理難題を押し付けているようでもきっと誰かを助けようとしていた。

 ──・・・わたしはすずに何ができた?

「ごめんね、すず。わたしきっと・・すずの悲しみに気付けなかった」

「・・そんなことないわぁ。だってゆず、あたしの物語を完成させてくれたじゃない」

「・・・」

 とその時、柚季の隣から誰かの気配がした。

「命拾いしたなぁ柚季」

 はっとして振り向くと、そこには大きな鎌を持ちカゴを肩にかけたシイカがいた。

「・・・シイカ」

 シイカはこんな状況にも関わらず、ニカッと笑うと言った。

「にしても、アルト!ひでーじゃねぇーか!オレに黙って地上に帰っちまうなんて!!

 オレたちの友情は、こんなもんだったのかぁ?」

 アルトは困った様子で

「そ、それは悪かったと思ってますっ・・・でも、シイカ、全然悲しそうじゃないですよ?」

「オレはもともとそーいうキャラじゃねぇーんだよー!こーみえて、けっこう悲しんでるんだからな?察してくれよー」

「は、はぁ・・・」

「まぁでも、地上人になったからって言って話せなくなるわけじゃねーしな。

 お前、レイカンあるしなぁ。だから、許してやらねぇわけじゃねーぞ!?」

「はは・・それはどうも・・」

 そして、シイカはすずの方へ目を向ける。

「んじゃ、そろそろいくか、すず」

 すずは小さく頷く。

「そうね・・・」

「・・・──」

(すず・・・)

 本当にこのまますずとお別れしてしまっても、いいのだろうか。

 後悔、しないだろうか。

 シイカは大きく鎌を振り上げる。

 その時

「あなた、すずなんでしょう!?」

 その叫ぶ声がきこえた。

 はっとしてみると、そこには母がいる。

「ママ・・」

 すずは信じられないような表情を浮かべた。

「ゆずの体をかりて、帰ってきてくれたのね・・?すず」

 母は今にも消えてしまいそうな声で、そう言った。そして、フラフラとすずの目の前まで歩み寄る。

「っ──ママ、どうしてわかったの?」

「あなたの仕草や表情を見れば分かるわよ・・・当たり前じゃない・・」

「っ──・・・」

 その言葉に、すずの目から涙があふれ出した。

 母はそんなすずのことを抱きしめる。

「言ってしまったら、すず、天国に帰ってしまうんじゃないかって・・だから、言えなかったの・・・ごめんね・・」

 すずはそれに、何も言うことはせずただ首を左右に振った。

「あなたを弱い体にうんでしまってごめんね・・ごめんね・・すず」

 母も、泣いているようだった。

 すずもそんな母の背中に腕をまわす。

「違うわママ。あたしはあなたの娘にうまれてこれて・・幸せだった・・!!絶対に幸せだった!」

「っ─・・」

 すずは、母からそっと離れると、涙で濡れた顏で笑う。

「だからママ、うんでくれてありがとう・・ずっとずっと大好きよ・・!!」

 母は声もでないほど、泣いているようだったが、絞り出した声で

「・・・すず、もう行ってしまうの?」

「うん・・行かなくちゃ。ゆずのこと、よろしくね、ママ」

 すずはシイカの方へ視線を送る。

 シイカは頷くと、鎌を振り上げ切り裂いた。

 力なく倒れる柚季の体。それは、地面に倒れる前に母によって支えられる。

・・・体が引っ張られる感覚がしたと同時に、柚季は意識を手放した。

 次に柚季が目を開けると、目の前には涙で濡れた母の顏がある。

(生きてた・・・)

 少し前までは、当たり前だったはずなのに。

 どうしてこうも安心した気持ちになれるのだろう。

 それはきっと、それを失った人たちの悲しみを知ったから?

 それとも、生きていることの嬉しさを知ったから?

 きっと、どっちもだ。

 柚季の視界の端に、すずの白い本が地面においたままになっている光景が映り込んだ。

(すず、置いてちゃったんだ・・)

 けれど、別にいい、柚季はそんなことを思った。

 その時母は、柚季のことをそっと抱きしめる。

 ─・・・柚季も、控えめに母の背中に手を伸ばした。

 すずが手放すことになってしまった大切なもの、これかれもずっと忘れないでいよう。



 それから二か月後。

 柚季は鏡を覗き込む。

 そこには、何の変哲もない黒の瞳の自分がいた。

 今となっては、あの赤色の瞳が懐かしく思える。

 柚季の瞳の色が元に戻ったことで、母も精神的に大分楽になったようだ。

 それともう一つ、母には変化があった。

 それは生きていた頃のすずの話を柚季にしてくれるようになったこと。

 それを話す母の表情は、少し悲しそうだったが、穏やかだった。

 柚季はそのたびに、うんうんと頷きながら、母の話に耳を傾ける。

 好きだった絵本の話、好きだった食べ物の話、数えるほどしか行けなかった家族旅行の話。

 日常の何気ない出来事。

 それらは全て、すずが確かに生きていたということを柚季に教えてくれた。

「いってきまーす」

 柚季はコートを着てマフラーを巻くと、家をでた。

 季節は移り変わり、空気はより冷え込んできている。

(すずは今、どこにいるんだろ・・)

 そんなことを考えながら、柚季は歩みを進め市内の図書館までやってきた。

(待ち合わせまでけっこう時間あるし、まだ来てないかも・・)

 そんなことを思っていると、後方から誰かが走ってくる足音がきこえてきた。

「柚季さん、おはようございます」

「あ、アルト、おはよう」

 アルトは上がった息を整えながら、柚季の隣に立った。

 地上にきてからというもの、アルトは身の回りのことで忙しくしているようだったが・・やっと最近、落ち着いてきたようだ。

「・・・っていうかアルト、着こみすぎじゃない?」

 柚季は苦笑しながら、そう言った。

 今のアルトの服装は・・・一体、何枚着ているのだろうか・・異様に膨れ上がっている。

「そ、そうでしょうか・・体に戻ってから、寒さがほんと身にしみまして」

「あははっ大変だねーじゃ、中行く?」

「ですね!」

 柚季とアルトはそう言いつつ、図書館の中へ歩みを進めた。

 高校の途中から天界人になったアルトは、その空間を埋めるための勉強をしたいらしい。

 ・・・だから、柚季は手伝うことにした。

 それがアルトのために出来ることの第一歩だと思うから。

 あいている席を見つけ、無駄に大きなカバンからアルトは教科書類を引っ張り出し机の上に広げる。

 柚季もその隣に腰を下ろした。

(・・・きっとアルトは、真面目だから・・大丈夫そう・・むしろ、わたしの方が・・もう受験だしちゃんとやらないとヤバいんじゃ)

 そんなことを考える。

「─・・・」

(わたしはこれから何処にいくんだろ・・・)

 十年後、二十年後・・わたしは何処にいるのだろう。

 そんなことも考えた。

 考えてもこたえがでないことを分かり切っているのだが。

 でも、生きていればその答えはおのずと分かってくる・・はずだ。

「・・・」

「柚季さん、ここの問題なんですが・・」

「んーどれ?」

 柚季はアルトの教科書を覗き込んだ。

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