2話 死神との契約

2016年3月29日。

僕は本日も絶賛春休み。アルバイトのシフトは13時から19時までだから、今日は午前一杯はゆっくりできる。どうせやる事もないし、11時ぐらいまではゆっくりふとんで眠ろう。そう思っていたのに。

真月さなつきさん、起きてください、朝ですよ」

可愛らしい声が頭上から降り注ぎ、ゆさゆさと揺り動かされる。

「ん……」

重いまぶたをゆっくりと開けば、そこには何とも美しいひとりの女性の顔が。

「おはようございます、真月さん」

にこりと優しい微笑みを浮かべる女性。ゆっくりと視線を動かすと、露わになった肌。

「…………」

ぼうっとした頭で、しばらく彼女を見つめる。

裸の。

「……裸!?」

その事実に、ようやく頭がさえ、僕は慌てて飛び起きる。彼女の方を見れば、完全に素っ裸の状態で僕の枕元に立っている。瞬間、僕は両手で目を覆い、顔を背ける。

「ななななな、なんで裸!?」

僕の問い掛けに、彼女は苦笑しながら(見ないようにしているから実際にはどんな表情を浮かべているのかは分かりかねるけれど)答える。

「私、あの服と下着しか持っていなくて……。だから、洗濯してしまった今、着るものが無いんです」

「それは昨日のうちに言おう!? そうしたらもう少し手の打ちようあったのに!」

――本当に、彼女との共同生活なんてできるのだろうか。僕はこれから先に待っているであろう様々な出来事に、ひとり頭を抱えた。



昨日、謎の依頼を受けた後。

部屋の中心にある高さの低いテーブルを挟んで向かい合って座り、僕は改めて彼女、シャルルに問うた。

「それで、その課題っていうのは具体的に何があるんですか?」

「はい、その課題についてなんですが……」

そう言いながら、彼女はワンピースの襟の隙間に手を突っ込んだ。……彼女、結構な巨乳だ。どうやら胸の谷間に手を突っ込んでいるようだけれど一体彼女は何をしているんだろう。痴女なのだろうか。

と、僕がそんな訳の分からない事を考えていると、ようやく彼女が胸の谷間から手を抜いた。すると、その手には何やら黒くて四角い物体。

「これは、すべての死神が持っている小型通信機です。私たちへの課題は、この通信機に送られてくるんです」

小型通信機……、この世界で言う携帯電話みたいなものだろうか。

「ただ、その課題がいつ送られてくるのか、私たち死神見習プレ・リーバーには一切伝えられていないんです。なので、今すぐに来るかもしれませんし、ひょっとしたら数日……いや、数週間音沙汰無しかもしれません」

「それじゃあつまり、すべての課題をクリアするまでにどれくらいの日数がかかるのかは全然読めないって事ですか?」

僕の質問に、シャルルは「はい」とひとつ頷く。

「なのでまあ、気長に待つしかないですね」

気長に、ねえ……。

まあ、課題をすべてクリアさえすれば僕は確実に死ねるんだし、これまでずっと生きてきた期間の事を考えれば、ほんの少しの期間待つことくらい、どうって事は無い。

「……まあ、分かりました。じゃあとりあえず僕を殺してもらうために、よろしくお願いします、シャルルさん」

「はい、こちらこそ。私を立派な死神にしてくださいね」

僕を殺すという存在を、僕自身の手で育てる。彼女は、これから殺す相手に、育てられる。なんともいびつな関係だな。握手を交わしながら、思わず自嘲する。

「あ、そうそう」

と、彼女は手を離すと、思い出したように両手をパンと重ね合せる。

「私に対してはそんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。だって、真月さんと同じ歳ですから、私」

「え?」

彼女が、僕と同い年……?

「人間で言えば、ですけどね。私も16なんです」

「マジで!?」

ずっと歳上だとばかり……。

「それから、私ここに一緒に住まわせてもらいますね」

「同い年……そっか……、え? 今なんて?」

同い年だというのが何故かショックだったけれど、そこにさらに追い討ちをかけるような言葉が聞こえた気がした。

「ですから、私、これから先ずっと真月さんの家でお世話になります、それが死神見習のルールですから」

にっこりと笑い掛けるシャルル。

「ま、マジでか……」

同い年の女性と、これから毎日同じ屋根の下……。

そんなまるでラブコメディの様な展開を迎える中、僕の脳裏をよぎったのは「食費がかさばる」という、至極現実的な悩みだった。



「おお、すごい、美味しそう」

食卓に並べられた美味しそうな食事を見ながら、僕は思わず感想を漏らす。

つやつやと輝くごはん、味噌と出汁だしの香りが漂う味噌汁、ふわっふわの卵焼きとこんがりと丁度良く焼けた鮭の切り身。これぞまさに日本の朝ごはんといったラインナップだ。

「初日ですから、腕によりをかけて作りました!」

えっへんと胸を張るシャルル。彼女にはとりあえず応急措置として僕が持っていたパンツとシャツ、それからジャージを着せたが、主に上着のサイズが小さいようで、ふたつの丘がはちきれんばかりにボインボインと主張している。

「あとでシャルルの服買いに行かないとなあ……うわ、うっま」

一体女性ものの洋服や下着はいくらほどするのだろう、と脳内で家計簿をつけながら味噌汁をすする。めちゃくちゃ美味い。

「真月さん、確か午後はお仕事でしたよね?」

「ん? うん、そう」

彼女の質問に僕はご飯をかき込みながら答える。

「でしたら、私ひとりで洋服などは買ってきます。一応本部から経費という事でいくらかは出ていますから」

……それを先に言ってくれよ。出費の事考えなくて済んだじゃん……。

「分かったよ、それじゃあそこはお願い。僕が買うよりもシャルルが選んだ方がいいだろうし」

最後の卵焼きをつまんで、僕は箸を置き両手を合わせる。

「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

シャルルは僕が使った食器を重ねると、流し台へと運び、皿洗いを始める。なんというか、これまでずっと家事は僕がひとりでやってきたから、他の人にこうして料理を作ってもらったり、皿洗いをしてもらったりするというのは、何とも不思議な気分だ。

「えっと、今何時だ……」

部屋の壁に掲げられた時計に目を遣ると、午前9時47分を指し示していた。まだアルバイトまではだいぶ時間はあるけれど、どうしようか。

「あ、そうだ真月さん」

と、シャルルが皿を洗いながらこちらを振り返る。

「そういえばまだ、契約を交わしてませんでした」

「契約?」

シャルルは「はい」と返事をしながら、洗い終えた皿を水切り用のカゴへと入れると、タオルで手を拭き僕の元へとやってくる。そして、僕の隣に座ると、両肩にそっと手を置く。

「今から私があなたに尋ねますので、返事をしてください」

僕の瞳を真っ直ぐ見据える。有無を言わせないような謎の圧迫感と緊張感に、僕は声を出さずに小さく頷く。それを見ると、彼女は両肩に手を置いたまま、そっと目を瞑る。

「……汝は我と死の契りを交わし、その御霊を我に捧ぐか?」

「……はい」

なんというか、すごく中二臭い。いや、彼女にとってはすごく大事な事なんだろうけれど。

なんてどうでもいいことを考えていた刹那、僕の唇になにやら柔らかいものが触れる。それがシャルルの唇だと認識するまでに、そう時間は要さなかった。

「…………!?」

突然唇を奪われ、思わず頭が真っ白になる。そんな僕に構うことなく、彼女は唇を重ね続ける。そして、10秒ほど経っただろうか。彼女はようやく唇を離した。

「これで、契約は完了です。真月さんの生命は完全に私の管轄に下りました。……真月さん?」

そんなシャルルの言葉も届かないほど、僕は抜け殻のようになっていた。

……まさか、ファーストキスが死神とになるなんて、誰が想像するだろう。

結局、バイトの時間ギリギリまで、僕はずっと魂が抜けたような状態になってしまっていた。

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僕を殺してくれないか 小星 悠里 @yuri_kohoshi

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