101 旅立つ我ら

 ヨムギは驚いた。

 目と耳の感覚が鋭い彼女はまだ表情が判別できないほどの距離で一度立ち止まり、それから、堀の緩やかな湾曲を焦れったそうに、角度の深い接線と化してこちらへと突き進んできた。


「オヤジ、みんな、どうして」


 駆け寄ってきたヨムギは一ヶ月半ぶりに再会した家族の顔を順に確かめる。全員が全員、悪戯な笑みを浮かべていたためか、僕とヤクバへと滑ってきた視線に怒りが滲んでいた。ヤクバが「俺は何も知らない、悪いのはニールだ」と余計な一言を発したせいで照準は僕のみに定められる。ヨムギはたっぷり十秒、目を吊り上げていたが、時間の浪費にしかならないと考えたのか、大きな嘆息とともに怒気の露出をやめた。

 良く晴れた空の下、城へと続く跳ね橋の脇で、僕たちは再会を喜び合う。道行く人々は傭兵然とした集団が談笑している姿を訝っているようだったが、それを気にする者は僕を含め、誰もいなかった。


「おい、ヨムギ、魔法習ったんだろ? 見せてみろよ」


 会話の途中で、脈絡なく、傭兵の一人がそう言ってヨムギを囃した。誰かが「それはいい」と頷き、他の傭兵たちもそれまでの話題を忘れたかのように追従を始める。「俺も見てえ」「よっ、魔法使いヨムギ」

「お前らは何も知らないな……一月で魔法を使えるようになれたら苦労はしない」


 言葉だけを聞けば自虐に近いものがあったが、彼女の口調はむしろ誇らしげだった。「魔法が決められた文字を読むだけで発動する他愛のないものではない」と知った自負、みたいなものが感じられ、そして、自分はその長い道程を歩き始めているのだと言わんばかりにヨムギは胸を張っている。

 しかしながら、ほとんどの傭兵たちにとってヨムギのその態度は自慢にならない自慢をしている滑稽な姿に映ったらしい。いくつかの溜息が重なった。


「なんだ、使えないのか」「期待して損した」「ヨムギなら、って思ったんだけどな」


 ああ、僕は微笑みを見咎められないよう、顔を背ける。傭兵たちの辛辣さには愛に溢れている。怒りでむくれるヨムギを見るための演技であることは想像に難くない。

 そして、彼らの目論見通り、ヨムギは面白くなさそうに近くにいた男に食ってかかった。その男はヨムギの勢いにたじろいでいたけれど、他のメンバーは頭領を含めて既に笑いを堪えることをやめていた。


「馬鹿にするな、魔法くらい簡単だ」

「なら、使ってみろよ」


 ヨムギはヤクバを一瞥し、許可を求める。ヤクバも止めることはせず、ヨムギの詠唱が始まった。

 記憶の中を探るようなテンポで紡がれていく歌はやはりまだ覚束ない。不慣れであるのは彼女の表情からも一目瞭然だったが、それを笑う者はいなかった。

 魔法を操るようになれるまでの壁は多い。詠唱の記憶もそうだし、覚えたところでその理解や魔力の扱い方を熟知する必要もある。精神状態にも影響されるようで、感覚をきっちりと自分のものにするまでは時間がかかるらしい。

 その顛末を眺めているとヤクバが僕の耳元に口を寄せてきた。


「あれは一番簡単な水の魔法だ」

「へえ……成功したことは?」

「まだだな」


 演劇であるならばここで華々しくヨムギの魔法が発動するのだろう。家族の前で初めて成功した魔法にヨムギも傭兵団も驚きと喜びに胸を躍らせ、抱擁を交わす。僕も、傭兵団の皆もきっと、そうなるよう期待を込め、固唾を呑んで見守っていた。

 その中で、ヤクバだけが肩を竦めている。

 彼の態度がほのめかすとおり、ヨムギの詠唱はついぞ水を呼び寄せることはなかった。彼女は苛立たしげに足を動かし、その拍子に当たった石が水面へと落ちていく。悔しそうに何度も詠唱を繰り返すヨムギに傭兵団の面々の顔は次第に曇っていき、彼らはいちように頭領に助けを求める視線を送った。


「ヨムギ」彼は嘆息とともに彼女の肩を叩く。「お前が努力しているのとそれが実を結んでいるのはよくわかった」

「オヤジ、邪魔するな!」

「邪魔なんてしていないさ。なあ、ヤクバさん」頭領の声色に嘘はない。「……もう詠唱を教えているだなんて考えてもいなかった」


 その言葉でヨムギの「歌」がぴたりと止まった。彼女は目を見開いたまま、ヤクバを見つめる。問いただすようなヨムギの圧力に、ヤクバは鼻から盛大に息を漏らした。


「……調子に乗るだろうから言わないでおいたんだがな」

「おっと、それはすまなかった」


 毒気の抜かれた顔でヨムギは頭領とヤクバの間に視線を往復させる。

 頭領は軍の出身だ。魔法に関する知識もある程度あるのだろう。彼は諭すように、あるいは救うようにヨムギに一つの事実を教えた。


「ヨムギ、ひと月で詠唱を教えてもらう奴なんて普通はいないんだ」

「え、でも、ヤクバもレクシナもなにも」

「初めはみんな本と睨めっこなんだよ。それが終われば魔力を感じる練習。まともにそれができるようになるまで二、三ヶ月はかかる」

「……嘘じゃないよな」


 頭領は答えず、ヨムギの肩を掴んでヤクバの方を向かせた。ヤクバは頭領の言葉を認めるように眉を上げている。その様に、ヨムギは不満そうに地団駄を踏んだ。


「そうなら、どうして言ってくれなかったんだ」

「ん?」ヤクバは思い切りしらばっくれる。「ヨムギ、お前の目標はこんなところだったのか?」

「それは、違う、が」

「多少褒めるくらい良かったんじゃないの?」と僕はヤクバを肘で突く。

 すると、彼は面白くなさそうに顔を歪めた。「魔力を感じるのが早すぎて褒めると逆に白々しい気がしたんだ。『怯者のように鍛え、勇者のように戦え』って言うだろ」

「きみから軍の教えを聞くとは!」


 頭領が皮肉とともに笑うと、ヤクバは禿げた頭を撫でながらそっぽを向いた。

 どうやらその場しのぎの弁解ではなさそうだ。ヤクバは大人だけど、つまらないことで子どもへと変貌するのも事実で、僕は一人噴き出してしまった。


「しかし」頭領が顎に手を当て、唸った。「魔法陣からじゃないんだな」

「ああ、軍だと最近じゃそっちの方が流行だが、ありゃだめなんだ。さっさと魔法を使えるようになるかわりに詠唱が魔法の基本であることを忘れるからな。それに、あんたの娘さんは戦場でじっとお絵描きしている人間じゃないだろう?」

「それは言えてる」


 一頻り笑い終えた後で、ヤクバは「家族水入らずってことで」と城へと入っていった。背後から礼を言われ、彼は振り返りもせず、手を挙げて応えた。それが妙にさまになっていて、格好良さを感じ、悔しくなる。

 ヨムギと傭兵団――いや、ヨムギの家族たちはしばらく堀に沿って植えられている街路樹、その木陰の下で話を続けた。彼女は家族の数が足りないことに嘆いていたが、残りの面子がレカルタ経由でバンザッタに来ることを聞かされ、一応の納得を示した。


「楽しみが増えてよかったんじゃない?」と僕が慰めると彼女も唸る。

「……たまにはニールも良いことを言うな」

「お褒めの言葉をありがとう。……じゃあ、そろそろ僕も城に戻るよ。『家族水入らず』だし」


 邪魔してはならない。そう思って離れようとした瞬間、「は?」と不可解そうな声が僕の足を掴んだ。全員が眉を顰めて見つめてきている。


「家族水入らず、なのにか?」


 一瞬呆け、小さく笑う。どうやら僕にもそれは適用されているらしい。拒否する理由を探す気にもなれず、また、探したとしても見つからないように思え、僕は彼らの言葉に従った。

 アシュタヤやセイク、レクシナに引き合わせるのは明日でも良いだろう。マーロゥは……少し頭領に会わせるのが怖い。血が繋がっていないとは言え頭領は子煩悩で、寄ってくる男など等しく愛娘を毒牙にかけようとする敵に違いないからだ。


 せめて彼女がマーロゥに迫られている事実を話さないことだけを祈って僕は彼らとともに食事に向かうことにした。ヨムギがイルマの店に行こうと声高に宣言したため、不安で仕方なくなる。あの店の景色にこの傭兵団は似合わない。

 問題は、そう注意すると傭兵団の面々は変に気合いを漲らせたことだった。

 僕は後でイルマに怒られないようにと願い、ヨムギを先頭に出発した彼らの後を追う。

 数日経てば再び別れが来ることになる。それを知る彼女は、それでも今を満喫するかのように笑い続けていた。


「なあ、オヤジ、バンザッタを出発するまでにはおれの魔法を見せてやるよ」

「それは楽しみだ」

「おれも、楽しみだ」

「……どうやら、ぴったりの服は見つかったみたいだな」


     〇


 レカルタへと経つおおよそ十日間、やはり様々なことがあった。

 傭兵団の面々はアシュタヤを紹介するとハルイスカを治めるラニア家の息女ということもあるのか、おおいに恐縮とした。彼らはそのすぐ後にセイクやレクシナ、マーロゥとも面会を果たし、改めてヨムギの状況を喜んだ。ヤクバたちと傭兵団は即座に意気投合し、自己紹介もすまぬうちから面会の場は酒場へと移る。大いに盛り上がり、今さら、というところで自己紹介が始まったが、マーロゥが名乗ると傭兵団の表情に炎が灯った。


「ヨムギさんとは仲良くさせてもらっていまして」


 マーロゥの迂闊な一言は傭兵団に火をつけるには十分すぎるものだった。一人の父と四人の兄、あるいは五人の父から一斉に詰られた彼は泣きそうな顔で僕に助けを求めてくる。自業自得だ、とぞんざいに扱うには哀れで、なし崩し的に僕は慰め役として板挟みにされる始末だ。厩舎での仕事を終えたヨムギが「魔法の訓練はどうなっているんだ」とタイミング悪く酒場に怒鳴り込んでくるとさらにその場は紛糾した。


「おい、てめえ、ヨムギに手を出したらぶっとばすからな」

 ドスの利いた頭領の脅しにマーロゥは縮こまる。「……はい、すみません」

「なんだ、オヤジ。マーロゥも悪いやつではないぞ」


 救われたようにマーロゥは顔を輝かせたが、五人の鋭い眼光に射竦められ、再び僕に泣きついた。「これからだよ」と慰めてみたが、僕自身、なにが「これから」なのか、分かるはずもない。

 昼前から始まった酒盛りは夜になった今でも、衰えを見せることなく続いていた。暗くなるにつれ店には酔客が増えていき、どんどん賑やかになっていく。書き置きを残していたのが功を奏したのか、仕事が終わったアシュタヤが現れると店は騒然とし、女を連れたカクロが顔を覗かせると店主は腰を抜かした。


「なんでカクロさまが」

「城内で暮らしていても街に疎くなるだけだよ。気にしないでおくれ」


 とはいえ、酒を飲みに来ていた市民たちが珍客を気にしないわけがない。周囲で仕事の愚痴を漏らしていた男たちは急にバンザッタの賞賛を始め、泥酔した老人はくどくどとカクロへと説教を始めた。「あんたな、カンパルツォさまみたいになれるのか? え?」と詰め寄られたカクロは真摯に受け答えするようでもあり、飄々と受け流しているようにも見えた。

 やがて老人を迎えに来た老婆はその光景を目の当たりにして、迷惑を顧みる余裕もなかったのだろう、絶叫し、へなへなとその場に崩れ落ちた。それを介抱したのがカクロだったため、バンザッタの賞賛をしていた男たちが今度は本気でカクロへの賞賛を開始した。


 カクロが店に滞在した時間はそれほど長くはなく、少しすると両腕に抱えていた女に別れを告げ、店を後にした。恐れを知らない傭兵団の一人が、名残惜しそうにカクロの背中を見つめていた女たちを誘い、彼女たちも悪い気はしなかったのか、宴の人数がまた、増える。

 隣のテーブルをくっつけ、並んだ酒と料理は数を増す。気の良い人間ばかりが集まっていため、席をともにした女性たちも時間を忘れたようだった。


「俺たちはな、レカルタに住んでたんだよ」


 酔いに顔を赤らめた傭兵団の一人が調子に乗ってそう嘯いた。嘘とは言わないが、拡大解釈だ。

 確かに傭兵団が主に寝床にしていた山はレカルタの近郊にある。レカルタ、と聞いて思い浮かべるような華やかさとは無縁だったはずだ。

 だが、それを諫めようとする者は誰もいなかった。むしろ、王都の洗練された文化は我々を発端としているのだ、と援護とも自分への賞賛ともつかない言葉を並び立てるほどだった。その話題の広げ方はあまりに手慣れていて、かえって作為的な雰囲気を醸し出していることに、彼らは気付いているだろうか?

 しかし、女性たちはしなを作り、顔を輝かせている。


「ええー、すごおい」「なにしてたんですかあ」

「俺らは男の中の男だぜ? 戦いに生きてきたに決まってるだろう?」


 少し離れた席でそれを聞いていた僕は、右に座るヨムギへと顔を近づけた。「あんなんだけど、いいの?」彼らと酒を飲むことがなかった僕は彼らがはしゃぐ姿を知らない。だが、彼女は苦言を呈すのも面倒そうにしていたため、この一連のやり口が地方へ遠征に行ったときの常套手段であることを悟った。


「いつもあんなのだ。ガキの頃からそうだった」

「あ、そうですか」

「ちょっとヨムギさんのお父さん!」慣れない口調でマーロゥが叫ぶ。「ニールがヨムギに迫ってますよ!」

「あ?」ヤクバとセイク、レクシナと酒を酌み交わしていた頭領は立ち上がり、顔を歪める。その怒声の矛先は僕ではなく、マーロゥに向けられていた。「家族が隣で飲むのが何が悪いんだ?」

「え、あ、その」

「お前、ちょっと来い」


 怒気と酒気で顔を赤らめた頭領はマーロゥを呼びつける。顔面を蒼白にしたマーロゥは売られていく子牛さながら、とぼとぼと命令に従い、頭領の隣に腰を下ろした。その姿に、ヤクバたちが腹を抱えて笑っている。

 僕はどうにも心配で堪らず、しばらくその様子を眺めていたが、その憂慮は杞憂で終わった。マーロゥは悪い人間ではない。話し込んでいるうちにそれが伝わったのか、頭領の声にも笑いが混じり始め、最終的には肩を組むようになっていた。


「ヨムギはやらんが、どうやらお前はろくでなしではないらしい」


 酒に負け、感涙するマーロゥが立ち上がり、礼を言うとなぜか拍手が巻き起こった。その拍手に何を勘違いしたのか、ヨムギも腰を上げ、魔法の詠唱を始めた。酒で滑らかになった唇は完璧としか思えない詠唱を紡ぎ出す。

 次の瞬間、歓声が轟いた。


 宙に小さな水滴が浮かんでいる。

 綿飴のように、少しずつ体積を増していく水の球にもっとも驚いたのはヨムギ自身だった。詠唱が止まり、爪ほどの水球が酒の入ったグラスへと落下し、水音を立てる。

 喝采が起こった。ヨムギは震えながら歓喜に腕を突き上げる。


 だが、その騒動にヤクバが怒声とともに切り込んで来る。彼は「なんてことをするんだ!」と声を上げ、頭を抱えた。「酒を薄めるな!」


 一瞬の静寂の後、笑いが巻き起こった。ヤクバは至って本気だったらしく、怒りにまかせて新しい酒をいくつも注文した。えびす顔になった店主が給仕に酒をせっせと渡す。傭兵団の連中からは足並みの揃わない野次が飛ぶ。


「てめえ、ヨムギのこと、褒めろよ!」「いっつも酒飲んでた方がいいんじゃないか?」「飲み比べだ!」


 店内は弾けるような騒がしさに包まれていた。節操のない会話が机の上を往復し、笑い声は質量を持って跳ね、遠くの方まで転がっていく。

 僕は呆れながら、輸入物だという果実酒に口をつけた。左では両手でグラスを持ったアシュタヤが頬を赤くしながら微笑んでいる。


「なんか、こういうの、いいね」

「僕はこんな大人数で飲むのは初めてだよ」

「王都だと陛下主催の舞踏会とか晩餐会とかあるから、慣れておかなくちゃ」

「これに慣れたらどんな粗相を働くか分からないな」

 アシュタヤは「それもそうね」とくすりと笑う。目の前で沸き起こる乱痴気騒ぎに呆れもせず、楽しそうにしていた。

「明後日には出発だってのが、信じられなくなる」


 しみじみと僕が言った一言に、しかし、アシュタヤは幾ばくかの寂寞も浮かべなかった。


「いい思い出、でしょ?」

「……そうだね」

「実は来るときにね、イルマさんと旦那さんとウラグさんも呼んでおいたの。キーンさんはお仕事で夜までお仕事で来られるか分からないけど、もしかしたら来るかもだって」

「きっと来るだろうね。この騒ぎがもっと大きくなったら店も良い迷惑だ」

「大丈夫よ。カクロさまが餞別だ、ってお金渡してたし」

「え」僕はその姿を見ていない。「いつの間に」

「気付かせないところがとても気障よね」


 気付かれてるじゃないか、とは言わない。運ばれてくる酒と料理の量は絶えず増え続けている。これだけの人数でこれだけ飲み食いをしていたらどれだけの金額がかかるか、予想もつかなかったため、素直に厚意に甘えることにした。足が出た分は、傭兵団との約束通り僕が支払うことにしよう。

 しばらくして、イルマと彼女の夫、そしてウラグがやって来た。彼らはあまりの騒がしさに面を食らったようで呆然とし、イルマに至っては非難がましい視線を彷徨わせた。


「なにこれ、どうなってるの?」

「お、ネーチャン、奇遇だな」とセイクが手招きをした。「こっちで飲もうぜ」

「旦那さんも一緒に飲もうよ」とレクシナが唇を舐める。「手は出さないから」

「あんたたちは勝手に飲んでなさいよ」


 イルマたちは誘いに乗らず、僕の座っている席に近いカウンターへと向かった。彼女の夫は会釈をした後、真剣な表情でどの料理を頼むか悩み始める。楽しむため、というより研究のため、といった雰囲気があり、イルマが苦笑を漏らした。

 彼女たちの登場にもっとも色めき立ったのはカクロに連れられてきた女性たちだった。常連なのか、有名店の店主に出会えたことに黄色い声を上げている。握手してください、と求められたイルマと彼女の夫は困惑しながらもそれに応じた。


「おいおい、さっきまでより楽しそうじゃねえか」傭兵団が不満を口にする。「ひどいもんだな」

「だってえ」と女性の一人が反論する。「あんたたち、今働いてないんでしょ」

「戦ってるより料理してる方が格好いいし」

「なんだと」


 そう声を上げたのは、僕が料理人に向いているかもしれない、と言った男だった。彼はつかつかとイルマの夫に歩み寄り、何を言うかと思えば、勢いよく頭を下げた。


「弟子にしてくれ! この前あんたのメシ食って感激したんだ!」

「ちょっと、人の旦那の料理を『メシ』って言うのやめてよ。男臭くなるでしょ」


 イルマの夫は彼女の批難を制し、男となにやら会話を始めた。騒ぎ声がうるさくてきこえなかったが、どうやら面接をしているらしい。顔に諦めを浮かべたイルマは立ち上がり、アシュタヤの隣に腰を下ろした。耳を澄ませ、会話に参加しようとしたが、「女同士の話なんだからあっちに行って」とイルマに拒まれてしまう。

 手持ち無沙汰に酒のグラスを弄っていると同じく話し相手がいなくなってしまったウラグが僕の隣にやってきた。


「いや、すごいな。収穫祭でもこんなにうるさくはならないぞ」

「本当にひどいですね」


 それでも、疎ましくは思わない。ウラグも同様だったのか、褐色の肌を赤に染めるべく、グラスを呷った。


「レカルタに行くんだってなあ」

「ええ……そろそろ前に進まないといけませんしね」

「あっちに行ったらウェンビアノさんとフェンによろしく言っといてくれな」

「分かりました」代わりに、というわけでもないが、お願いをしておく。「あそこにいる傭兵団の人たち、まだ職がないからお世話してあげてください」

「特別扱いはできないぞ?」

「いいですよ、それで」


 了承すると同時に雄叫びが上がった。イルマの夫がいる方で、思わず目を向けると面接を受けていた男が拳を天高く掲げていた。どうやらお眼鏡に敵ったらしく、彼は「一番乗りだ」と騒ぎ立て、祝杯を挙げた。

「うちで働くなら言葉遣いからちゃんとしなさいよ」とイルマが苦言を呈す。

 宴は夜が更けてもまだ続いた。やがてやって来たキーンは何かを喋る前にレクシナに抱擁される。セイクがそれを引き剥がそうとする。酒で興奮した僕もその様子を全力で囃した。


 ここにいる全員が一歩、踏み出そうとしている人間だ。

 そう気付いたとき、なんだか胸に熱いものがこみ上げ、居ても立ってもいられなかった。僕は立ち上がり、酒の入ったグラスを掲げる。


「乾杯!」


 全員が一斉に同じ言葉を返す。

 友達になろう、より良い明日へ、神のご加護がありますように。

 口にした酒は今まで飲んだどの酒より、芳醇な味がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る