61 契機

 エニツィアの王都、レカルタの冬の寒さはそれほどではないが、夏の暑さは脳を茹でるほどにしつこい。朝にはもう熱を感じ、昼には汗とともに生気が蒸発していくようで、夜になっても消え去らない。

 だから、夏の間は街道に出ようと主張する者は少なかった。彼らは昼の間中、川で水浴びをしたり、木陰で涼んだり、仕事に励もうともしない。

 盗みを仕事、と言い張るのもなんだか憚られるが、盗みをしないのであればその方がいい。獣を狩ったり、野草や山菜を採ったりして日々を過ごす方がよっぽど健全だ。


 けれど、そういった、「生きるため」の生活に異論を唱える者もいる。ヨムギだ。彼女は獲物を探す、と言っては僕を連れ出し、鍛錬をする、と言っては僕を引っ張った。断ると「目付役だから」という理由で反論される。

 彼女が年上か年下か、正確な年齢を僕は知らない。彼女自身も知らない。でも、彼女の歳にいちばん近いのが僕であるのは確実だった。若い人間は傭兵に行った先で軍にスカウトされることが多く、軍に入れば食うものには困らない。だから、彼女と僕以外の連中は親と子ほども歳が離れた人ばかりだった。


 ヨムギは僕のことを厄介な子分程度に考えているのだろうけれど、正直に言ってしまえば僕から見ても似たような印象だ。この年齢で盗賊に身を窶しているだけあって、読み書き計算はできないし、そもそも論理的な思考が苦手のようだった。

 ベルメイアよりも聞き分けが悪く、レクシナよりも直情的で、その上凶暴。嫌っているなら僕のことなど放っておけばいいのに、引っ張り回す。僕からしたら厄介この上ない妹ができたような気分だった。

 頭領はそんな彼女を憂いて、知識を教えるように僕に頼み込んだ。

 でも、いくら教えようとしてもヨムギは頑として聞き入れない。二言目には「何の意味があるんだ」、だ。無駄だからやめようと何度も頭領に忠告したが、そのたびに彼は頭を下げた。世話にはなっているだけに、無碍に断ることもできない。

 この日も僕は川縁に連れ出され、彼女の相手をしていた。


「で、今日は何をするつもり? 太陽が君と同じくらい元気なんだけど」

「鍛錬と確認だ」

「……鍛錬は分かるけど、確認って何を?」

 ヨムギは手頃な長さの枝を二本折って、そのうちの一本を僕へと向かって投げた。「レプリカ、お前はこの前も獲物を逃がした。そのくせ、魔獣は簡単に仕留める。強いのか、弱いのか、分からない。だからおれが確かめてやる」

「……で、僕に何をしろ、って?」

「お前は馬鹿か? 手合わせに決まってるだろ。早く棒を拾えよ」


 ヨムギは枝を構え、強く睨んでくる。

 盗賊にしてはこなれた構えだ。軍隊式の硬い構えに少し崩しが入った、自然体。彼女が道行く馬車を襲ったときもその天性の勘とバネに舌を巻いた覚えがある。

 とはいえ、面倒だった。

 枝を拾い、適当に構えて、躱せる攻撃を受けて、うわーやられたー、はい、おしまい。それで済ますのがいちばん波風を立たせない方法にも思える。

 けれど、それ以上に面倒なのが、それからの生活であることは間違いがない。彼女は思考回路は単純だ。勝った方が、強い方が偉い。その論理を最大限に発揮して増長し、僕に今まで以上のどうでもいい雑務を押しつけるだろう。そうなると頭領の頼みも完遂できなくなる。

 僕は観念し、枝を拾い、構えた。じりじりと日光が肌を焼くように降り注ぎ、川面に鱗を作っている。これが終わったら魚でも捕ろう。


「行くぞ!」と叫んでヨムギが地面を蹴った。

 さすがに速い。みるみるうちに距離がつまる。

 だが、僕にとってはそれだけだった。

 ギルデンスを前にしたとき、僕は恐怖で動くことすらできなかった。フーラァタは彼女の比ではないほど速く、縦横無尽に動いていた。フェンのような圧迫感も、ヤクバのような膂力も、セイクのような静けさも、レクシナのような技も、――パルタのような老獪さもない。

 超能力を使うまでもなかった。

 上段から振り下ろされる攻撃を、左に避ける。地面を埋める小石にヨムギの持つ枝が当たり、がちっ、と音が鳴った。それだけの隙があれば、彼女の首元へと枝の先を突きつけるのには十分だった。

 ヨムギは目を見開き、身体を硬直させている。殺気を放ってしまっていたのか、彼女の顔には玉の汗が浮いていた。


「……もういい?」


 ヨムギはこくりと頷く。僕は枝を遠くへ放り投げ、木陰へと移動した。


「あのさ、なんで今さらこんなことしたの? 僕が入ってすぐなら分かるけどさ、もう随分経ってるじゃないか」

「……確認、って言ったろ」


 ヨムギは項垂れたまま、珍しく素直に質問に答えた。いつもこれくらい大人しかったらいいのに、と思うと同時に、彼女が嘘を吐いていることにも気がついた。正確に言えば、嘘、というか、本心を隠している、と言った方が良いかもしれない。

 これまで本気で落ち込んでいる彼女を見たことがなかったため、居たたまれなくなる。


「……何の確認? その感じだと、僕の強さを確認したかったわけじゃないんでしょ」


 図星です、と言いたげに、彼女の身体がびくりと震えた。

 ああ、と僕は呻きたくなる。

 彼女が何かを語ろうとするならば、それは僕の知らない、知らなくてもいい物語だ。これ以上聞くとその中に立ち入ることになる。

 そう考えるが、僕には立ち去ることも、耳を塞ぐこともできなかった。

 だから、彼女の答えを聞いたとき拍子抜けし、呆けてしまった。


「……いや、お前の強さだけど」

「え」図星じゃなかったのか?

「初めから言ってただろ、お前が弱いのか強いのか、確かめるって。今さら何を言ってるんだ?」

「まあ、そうだけど……え、なに? じゃあ、なんで落ち込んでたのさ」

「それはお前程度に負けたからだ。まさかおれより強いとは思わなかった」

「今さら?」

「今さらって」とヨムギはこれまで見たことのないほどの困惑顔になる。「今までおれとお前が戦ったことなんてなかっただろ」

「いや、散々目付だとかなんとかで僕の戦い見てきたじゃないか。傭兵として戦争にも行ってるし」

「お前がおれに戦う姿を見せたことがあったか?」


 思い返してみる。

 確かに、僕が彼女の視界の中で戦ったことはないかもしれない。内乱を抑えに行ったときは別の部隊だったし、僕が馬車を襲うときはできるだけ他の連中を引き離してから襲うようにしていた。つい先日、魔獣を狩ったときも彼女は下がらせている。

 一人で恥ずかしくなり、ごまかそうと顔を背ける。

 茂みの影に人の姿が見えたのはそのときだった。目を凝らすと頭領が顔を出しているのが見えた。何を覗いているのか――と考えた瞬間、合点がいく。役目を果たすことを期待しているのだろう。

 ……しょうがない、一芝居打つことにしよう。

 見なかったふりをして、僕は会話を続ける。


「でも、なんで急に」

「みんながお前は強いって言ったんだ。馬車を襲うのは下手だけど、誰にも狩れない魔獣を何度も狩ってるから。それで、昨日、おれよりも強い、って言われて」

「きみ、馬鹿なの?」

「なんだよ、殺すぞ」

「きみより強い奴なんて山のようにいるよ。たぶん、きみの仲間の中にも」

「おれを馬鹿にしてるのか?」

「そうじゃないよ、戦い方が違うって言ってるんだ。……頭領から聞いた。きみは魔法の才能があるらしいじゃないか」


 彼がヨムギに関してもっとも懸念していたことが、それだ。

 盗賊という人種は概ね気性が荒く、短気な人間がなるものだ。時間と莫大な金がかかる魔法が使える者などいない。このままでは才能を腐らせてしまうことにもなるし、何より半端な才能で戦場に向かうのは彼女自身の命を奪うことになってしまう。

 きっと頭領がヨムギへと何度も投げかけた言葉を僕は繰り返す。だが、彼女の顔には一辺の納得も表れなかった。


「でも、魔法は嫌いだ」

「好き嫌いの問題じゃないだろ。きみは強くなりたいんでしょ?」

「当たり前だ!」とヨムギはがなる。「おれがみんなを守るんだ」

「……じゃあ、魔法、勉強しなよ。軍に行って教えてもらえばいい」

「魔法は弱い奴が使うものだ。おれは戦場で何度も魔法使いを殺した。あいつらは弱い」


 なんて、頑固者だ。

 彼女の言葉は事実だろう。駆り出された戦争から帰るたびに、彼女は酒を飲み、自分の戦果を声高に吹聴していた。

 けれど、少なくとも僕がここに来てから参加した戦争はすべて有利な条件での戦いだった。質と数を揃え、敵軍を圧倒する。軍の大きさを示威し、相手の士気を下げるやり方だ。その中での戦果など偶然にすぎない。


「きみは本当に強い魔法使いを知らないんだ。どうせ大規模魔法を使う奴らを倒す部隊だったんだろ? まともな魔装兵とやりあったことある?」

「マソウヘイ?」

「え、知らないの? 魔法と武器を使って戦う兵なんだけど」

「なんだそれ。どうせこけおどしだろ」


 頭の後ろで熱が弾けた。

 知らないことは仕方がないのかもしれない。けれど、僕の仲間を、僕がこれまで苦しんだ時間を馬鹿にされたようで腹が立った。

 僕は腰を上げ、河原へと降りる。


「……話にならないな。いいよ、じゃあ、次は少し本気出して戦ってあげるからさ、それで力の差を感じたらもっと素直になれば良いと思う」

「……本気、だと? じゃあ、さっきのは何だったんだ?」

「遊びだよ」


 ヨムギの顔が赤に染まった。ぎりぎりと奥歯を噛みしめているのが見える。彼女は屈辱かあるいは興奮で荒くなった呼吸を鎮めようとしながら、屈んで枝を拾った。


「早く武器を持て!」

「武器なんていらないよ。なんならきみは本当の得物を使ってもいい」


 こういうタイプの人間は扱いやすい。力の差を見せつければ矛を収める。

 僕は開始の合図を待たずに〈腕〉を彼女の前へと伸ばした。彼女との距離は攻撃範囲である十メートルに満たなかったため、そのまま胴体を掴んでしまう。

「行くぞ!」と聞こえた瞬間、僕は力を込めた。ヨムギが地面を蹴る。だが、彼女の身体は少しも動かず、敷き詰められている小石を後方へと飛ばしただけに終わった。


「あっ、あれっ」


 彼女は動きを封じられた身体に戸惑う。慌てて何度も身体を捩るが、その程度で僕の拘束が外れるわけもなかった。


「どうしたの? 来なよ」

「うるさい、黙れ!」


 彼女は恐怖を感じたのか、周囲を見回した。だが、僕の〈腕〉が見えるはずもなく、ヨムギの表情はどんどん青ざめていく。


「お前、何かしてるのか!?」

「魔法だったら、どう思う?」


 僕の拙い嘘に、ヨムギの顔が強張った。

 まずは理解できなくても強力な力があることを知らしめるつもりだったが、効果は覿面のようだ。彼女は〈腕〉から抜け出そうともがき、それが意味のない行動だと悟ると苛立たしげに小石を蹴った。膝を曲げられないため足首だけで蹴られた石は力なく跳ねる。

 もういいだろう。

 僕はそっとヨムギを宙へと持ち上げる。それだけで彼女は、ひっ、と短い悲鳴を上げ、ばたばたと手足を動かした。もちろん何も問題はなく、僕は川へと彼女を投げ捨てる。どぼん、と間の抜けた水音が山にこだまし、一瞬彼女の頭は水の中に完全に沈んだ。

 川は小柄な彼女の腹までもない深さで、それほど勢いも強くない。心配するまでもなく、ヨムギはすぐに顔を出した。冷たい水に洗われたせいか、先ほどまでの怒りは消え失せていたが、代わりに濃密な屈辱感が浮かんでいる。その悔しそうな表情に自分の偉そうな態度を省みてわずかに罪悪感を覚えた。

 だが、謝っていては何の意味もなくなる。


「……頭が冷えただろ? そのままじゃ風邪をひく、早く着替えてくるといい」


 そう忠告すると、彼女は何か反論すべく口を開いたが、言葉が思い浮かばなかったのか、顔を伏せた。木々の向こうへととぼとぼと歩いていき、姿が隠れたのを確認し、僕は盛大な溜息を吐いた。慣れない役回りに身体中に疲労感が満ちていて、その場に座り込む。そして、頭領が隠れている茂みの辺りへと呼びかけた。


「頭領さん、もういいですよね」


 がさり、と葉擦れの音とともに頭領が現れる。その顔に浮かんでいるのは満面の笑みで、疲労感が倍増した。


「すまんな、強情な奴で」

「まったくですよ。これ以上はもうしませんから」

「本当に助かった。周りは脳味噌が筋肉でできているような輩ばかりだからな」

「頭領さんが言えばよかったと思いますけど」

「俺じゃだめなんだ」頭領は頭を掻き、微苦笑を浮かべた。「あいつに技を教えたのは俺だからな、俺がそれを否定したらあいつの柱が折れるかもしれん。本当のことはなかなか伝えられないものだ」


 本当のこと、か。

 なあなあに流しても良かったけれど、僕は逡巡の末、少しだけ心の内を晒すことにした。


「本当のことは言っていませんよ」

「なに?」

「ヨムギは強くなって仲間を守りたい、と言いました。でも、本当の強さは戦いの中になんてないと僕は思っていますし、本当に仲間を守りたいなら、盗賊や傭兵なんてやめてまともな職業に就くべきだと考えています」


 頭領は頭が痛そうに顔をくしゃっと顰めた。いつでも正論がまかり通ると思っている子どもを見るみたいな目つきだった。彼はまるで諭すかのようにゆっくりと首を振る。


「そうできるなら、そうしてもいいがな……俺もあいつらもそのやり方を知らん」

「……バンザッタ、という都市を知っていますか?」

「バンザッタ……ああ、南部の要塞都市か。それがどうした?」

「あそこなら方法はあります。……食い扶持に困らないよう職業を斡旋し、もし過ちを犯しても、他の都市のように奴隷のような扱いを受けたりはしません。たぶん、そのための更正施設も作られているでしょう。領主代理がそんなことを言っていました」

「やけに詳しいな、お前がそういうことを話すのも珍しい」

「……生まれ故郷、なんですよ」


 僕は頭領から目を逸らし、南の方を見やる。彼はそれ以上、何も聞かなかった。しばらく言葉を待っていたようだけれど、いつまで経っても僕が沈黙を保っていたらか、鷹揚に欠伸をし、背中を叩いてくる。


「まあ、いい、考えてはおこう。それより、頼みがあと二つあるんだが」

「まだあるんですか? 面倒なのはもうしませんよ」

「そう言うな」と頭領は大笑し、腰に手を当てた。「今、少し腰を痛めていてな……明日、王都に行って傭兵の募集がないか、見てきて欲しい」

「嫌です」


 きっぱりと断る。王都に行けば誰かに顔を見られるだろう。その誰かが、ふらふらと遊んでいるレクシナやセイク、ヤクバかもしれない。無意味な危険を冒したくはなかった。


「そこをなんとか、という奴だ。ここには俺とお前以外に文字の読み書きができる人間はいない」

「……本当ですか?」

「本当だし、その感じだと、やはりお前も文字の読み書きができるみたいだな」

「あ」


 舌打ちを堪える。盗賊稼業では文字の読み書きに関する話題など出ないから油断していた。嵌められた、と辟易し、ヨムギの強情さが彼に由来するものだと思い出す。断り続ける自信をなくし、結局、僕は彼の願いを了承した。

 どこかにフードのついたローブがあったはずだ。それを被っていけば顔は隠せるだろう。奇異の視線くらいは我慢できる。


「で、もう一つのお願い、ってのはなんですか?」

「ああ、もう一つは、あれだ。獣を狩ってきた奴がいるからそれを料理してくれ」

「……まあ、分かりました」

「それと」

「まだあるんですか? 二つ、って言ったじゃないですか」

 呆れの中に偽造した怒りを注いでぶつけると頭領は柔らかな笑みを作り、言った。


「さっき、お前は『あなたの仲間』と言ったが、俺はお前も仲間だと思っているからな」

「……仲間じゃありませんよ。僕は世話になったから、恩を返しているだけです。頃合いが来たら出て行きますよ」


 嘘ではない。僕はあの野蛮な彼らに仲間意識など感じていない。話しかけてくれば答えるし、非論理的極まりないことをやっていれば諫めるが、その程度だ。

 僕が欲しかったのは代わりの場所だった。戦い、盗み、それらを行った後でとりあえず留まることができる場所が欲しかっただけだ。仮の住まいとはいえ、あるとないとでは安心感が違う。


「二年以上もいた奴の台詞じゃないな」

「うるさいですよ」

「だが、みんなも言ってる。お前は遠慮が見え見えだし、近づくなって空気をずっと放っているがな、みんなお前を認めているよ」

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