60 さよならも言わずに

 馬車が走っている。

 小さな馬車だ。

 王都の近くで、夜に馬車が走っているのは珍しい。近頃は魔獣の動きも活発化し、化け物が出る、という噂もある。事実、噂だけでは終わらず、貴族が二人、犠牲になった。

 被害者である貴族と昵懇の関係にあった侯爵エゼル・オルウェダは怒り、王に対して軍による山狩りを進言した。だが、見つかったのは山菜を採りに来ていた王都の住人や訓練をしていたと主張する傭兵団だけだった。


 はかばかしくない結果にオルウェダ侯爵は山狩りの続行を何度も主張し、王都にいる傭兵たちまでもを独自に動かしたが、やはり見つかったのは人か、駆除できずにいた魔獣くらいだった。

 化け物の目撃証言は多岐に渡る。毛むくじゃらの大きな熊のようだった、であるとか、民家ほどもある狼、であるとか、そういったものだ。無論、それらの類は発見されていない。

 様々な流言飛語は信用に足らなかったものの、危険性そのものは認めていた王は、夜間、みだりに王都から出ることを禁じた。そのうちに噂だけが肥大していく。禁じられるまでもなく、夜に外出する者は少なくなっていった。

 だから、こんな夜に馬車が走っているのは珍しい。


 貴族を殺した「化け物」は、僕だ。

 最初は殺すつもりなどなかった。以前のように馬車を襲い、金品を少しだけ奪って寝床を与えてくれる盗賊たちにすべて渡すつもりだった。

 盗賊、と断言するのも少し忍びない。彼らはときに人を襲う盗賊で、ときに国を守る傭兵だった。要は力に溢れたならず者の集まりだ。

 超能力を薄くのばし、身体を包んで地面を蹴る。ジオールが見せた鎧の応用で、うまく使えば身体能力を補助することができる。走っている馬車に追いつき、飛び乗るなど造作もなかった。


 あのときもそうした。馬車の中に乗り込んだ僕を見て、貴族は物語ではお決まりのあの文句を述べた。「なんだ、お前は。私を誰だと思っている」こういうとき、どうすればいいか悩むまでもない。僕は尖らせた〈腕〉で太った身体の端を突いた。脂肪だらけの腕は柔らかく、手応えらしい手応えも感じられなかった。少しばかり血を流しただけで、貴族は滑稽な悲鳴を上げ、命乞いをした。

 なんでもやる、金か、女か? 言ってみろ、と。

 僕はなんだか、その言葉に言いようのない苛立ちを覚えた。そういった即物的なものでどうにかしようとする態度がバンザッタで死んだガズク・オルウェダを彷彿させたからだ。

 貴族はその場しのぎの嘘を言っているわけではない、と証明しようとしたのか、自分の名前と家名、そして爵位を述べた。その名前に聞き覚えがあった。正確に言えば、見覚え、だ。


 カンパルツォと同行して王都へと向かう途中で、僕はアシュタヤに貴族主義の権化たちの名前が連ねられたリストを見せてもらった。何かの役に立つだろうと思い、脳内の記憶ストレージに入れておいたが、どうやら正解だったらしい。目の前で命乞いをする男の名前もその中にあった。

 男は、この国を良くしようと奮闘しているカンパルツォの敵だ。こいつらがいるせいで多くの人間が苦しんでいる。こいつらがいなければ、幸せに過ごせた人がたくさんいた。


 ――気が付くと目の前の男が死んでいた。

 ああ、気が付くと、なんて、ごまかすのはずるい。

 僕は自分の意志で男を殺した。彼が死ねば、カンパルツォたちは楽になるだろうと思ったし、もしかしたら、これを続けていけば僕のことを褒めてくれるかもしれないと思った。だから、殺した。

 誰も褒めてはくれなかったけれど、まあ、別にいい。これは個人的な贖罪のつもりだったから、ずっと迷惑をかけ続けたお詫びのようなものだったから、僕の中に役に立てたという実感さえあれば、それでよかった。


     〇


 そのときのように僕は超能力で身を包み、馬車の荷台に乗り込む。二人目の貴族はこういった荷馬車に偽装していたから、もしかしたら、と思ったが、中にあったのは木箱とかそういった荷物だけだった。軽く叩いてみたが、隠れている様子もない。

 盗賊たちに世話になっている手前、木箱の蓋を開けて中身を確認してみるが、夜の幌の中は幾ばくかの光もなく、ただ徒労に終わった。

 金目のものであるかも分からない荷を奪うのも気が引けて、僕はなにも奪わずに去ることを決めた。

 だが、決心と同時に、馬車が動きを緩め始めていることに気がついた。

 御者が異変を感じ取ったようだ。

 ああ、まずい。これを他の盗賊たちに見られたら、またごちゃごちゃ言われてしまう。僕は素早く荷台から飛び降り、御者台へと移動した。

 御者は目を見開き、悲鳴をあげようとする。その間際、左手で彼の口を塞いだ。


「落ち着いてもらえますか、命に危害を加えませんから」


 僕の口調は他の盗賊とは比べものにならないほど丁寧で穏やかだ。そのせいか、御者も叫ぼうとするのをやめ、こくこくと首を動かした。それを見て手を離し、〈腕〉で馬の尻を叩いた。


「何も盗ってないので安心してください。とりあえず、馬を走らせましょう、魔獣もいるし、盗賊もいる」


 御者の男は口を聞くのを躊躇ったのか、小さく頷き、手綱を振るう。馬が息を吐き、何の騒ぎだ、と批難するように振り返った後、再び忙しなく足を動かし始めた。


「どうしてこんな夜に馬車を走らせているんですか? 危ないですよ」

「……至急の用があって」と震える声で御者は返した。「貴族の頼みだったから断れなかったんだ」

「へえ、誰からの頼みでどこまで」


 御者は例のリストに載っていない貴族の名前を挙げ、それから「バンザッタまで」と言った。


「ああ、バンザッタですか、いいですね。でも、無茶はしない方がいいですよ。しっかり朝に発って、次の街に夜到着する、っていうのがいちばん良い」

「……何なんだ、何なんだよ、あんた」

「いいじゃないですか、なんでも。とにかく、道中、気をつけてくださいね」


 僕はそう言い残し、御者台から飛び降りた。暗闇に馬車が溶けていく。


     〇


「おい、レプリカ、どうだった」


 街道に沿って引き返すと、ヨムギがじろじろと僕を睨め回してきた。一つに括った髪が揺れている。そんなに見てもないものはないのに、と笑うと彼女の顔に怒りが浮かんだ。

 ヨムギは赤茶けた髪の、背の小さな女だ。僕が今世話になっている盗賊に育てられたらしく、そのせいか言葉遣いが男勝りだった。顔立ちは整っているが凶暴で、夜、性欲に任せた仲間に襲われそうになったとき、相手の首を噛みちぎって殺した、という逸話を盗賊団の頭領から聞かされたことがある。

 彼女は僕のお目付役みたいなものだった。普段から僕は他の人間と会話をしていなかったから、未だに信用が集まっていないのかもしれない。着ている服や話し方もまるで違うから、仕方がないと言えば仕方がなかった。


「もう少しだったんだけどね、逃げられちゃった」

「ヘラヘラ笑うなよ、馬鹿が。お前、最近まるで盗れてないだろ」

「謝るけどさ……ああ、でも、肉取っていけば頭領は喜ぶよ。さっき、魔獣を見かけたんだ。ほら、馬を食う奴。狩ってくるけど着いてくる?」

「……目付だから」


 僕は溜息を吐き、馬車の上で見かけた魔獣がいる方向へと進む。

 ただ、ヨムギはがさつだ。彼女が歩けば茂みが揺れるし、足音がうるさい。堪らず僕は足を止め、振り返った。


「ねえ、少し離れてくれない?」

「なんだ、逃げるのか」

「魔獣がね。それか、静かにするか、どっちか」


 そう言うとヨムギは眉根に皺を寄せて、立ち止まった。僕が十歩ほど歩いたところで再び、足を動かし始める。忠告が利いているのか、足音も気持ち静かになっていた。

 無理もない、とは思う。

 盗賊や傭兵は足音がうるさいものだ。自分の力を誇示するためにわざわざ音を立てて歩く人間も珍しくはない。だから、彼らは狩りが苦手だった。僕が彼らの一員として迎え入れられたのはそういった理由もあるのだろう。

 山に入っていくとお目当ての魔獣を見つけた。誰かが罠を仕掛けたのか、地面に落ちた肉を貪っている。

 遠慮することもない。今の僕は盗賊で、盗賊はいろんな物を盗む。他人の成果を盗んでも批難される謂われは、まあ、ある、けれど、納得はされるだろう。ああ、盗賊なのね、しょうがない、だ。


 僕は跳び上がり、肉を貪っている魔獣の前に躍り出る。狼に近い魔獣は突然出現した敵に驚いたのか、飛び退いてうなり声を上げ始めた。

 誰かに見られているときは自分の力を欺かなければいけない。

 バンザッタにいるとき、フェンやウェンビアノは僕にそう教えてくれた。至言だ。人は目に見えるものだけを信じようとする。うまく隠してしまえば僕の力が特別なものだとは気付かれない。

 僕は左手を掲げ、そっと振る。同時に右肩から黒い〈腕〉を展開し、首を刎ねた。ごと、と頭部が落ち、転がる。血が滴り、地面に跳ねる音がした。


「あれ」


 遅かった。

 未だ四つ足で立っている胴体の背中の上で水の塊が生まれている。人間と違い、魔獣は内臓配置を魔法陣として魔法を使う。人間の場合、首を落とせば魔法は消えるが、魔獣の場合、完全に生命活動が停止するまで魔法が消えないこともあった。

 僕は慌てて、もう一度〈腕〉を振るう。今度は左手を動かす暇はなかった。魔獣の背中が手の形に抉れ、その拍子に内臓が破壊されたのか、魔法が消える。塊となっていた水が力なく落下し、魔獣の屍体を濡らした。


「あー、もう、面倒になっちゃった」


 夏とは言え、血と水でどろどろの恰好になるのはあまり好ましくはない。

 ヨムギを呼ぼうと振り返ろうとして、止まる。微かな息の音に身体が反応した。

 木の上に矢をつがえた狩人がいた。怯えの混じった表情でこちらを見ている。恐怖に揺れた眼球が、わずかに届く月明かりを反射している。

 どうやら獲物を横取りしてしまったようだ。隠密の魔法があることは知っていたけれど、その威力に舌を巻く。彼の呼吸が乱れていなければ気付かなかっただろう。僕は申し訳なさに小さく会釈して、笑みを投げかけてみたが、狩人は反応を示さなかった。

 じっとしていても埒があかないので僕は魔獣の身体を持ち上げ、ヨムギの元へと戻った。成人男性と同じくらいはある魔獣を見て、豪華な食事を想像したのか、彼女の眉が動いた。


「……行くぞ」

「もうちょっと労いの言葉をかけてくれても罰はあたらないのに」


 返事はされない。嫌われてるなあ、と僕は笑う。

 肉を抱えたまま、ねぐらへ帰ると、歓声が上がった。現金なもので、普段、僕に遠慮をしている連中もこのときばかりは僕を本当の仲間のように迎えてくれるのだ。


「おお、レプリカ。良いの持ってるじゃねえか」


 歓声にのそりとねぐらから出てきた頭領が僕の背中を乱暴に叩いた。盗賊たちの中で普段から僕に声をかけてくれるのは彼だけだった。ヨムギも憎まれ口は叩くけど、この際は置いておこう。

 元々軍属だったという彼は何かの失敗で軍から追放され、傭兵に身を落としたらしい。戦争が起きるという情報が入るたびに彼は遠征を行っていて、僕も何度か着いていったことがあった。だが、それだけでは生きていけず、この周辺にいた盗賊たちを組織し、馬車強盗を主に働くようになったという。


「おい、レプリカ」と肉を眺めていた盗賊の一人が僕を呼ぶ。「お前、また料理しろよ」

「時間かかるのはやめろよ」

 横柄な頼み方に頭領も苦笑する。「てめえら、焼いて食えるだけでも御の字だろうが」

「つってもよお、なあ?」

「いいよ、やります」

「おお、なんかすまんな」


 そこらに落ちている道具を拾い、水くみついでに川へと洗いに向かう。

 僕が作る料理などそう大したものではない。バンザッタにいた頃、アシュタヤやベルメイアと一緒に作った煮込み料理だけだ。それ以外は知らない。そもそも僕のいた世界では料理などただの趣味でやるもので必要な作業ではなかった。

 だから技術も素人に毛が生えた程度のものではあったけれど、普段ろくなものを口にしていない盗賊たちには評判が良かった。調味料も以前荷馬車を襲ったときに手に入れている。

 僕はそばを流れている川で鍋を洗い、中になみなみと水を入れた。

 川面に僕の顔が映っている。一瞬誰の顔か分からなくて、混乱しそうになったけれど、じっと見つめるうちに自分であると理解できる。


 あの日から二年半が経っていた。


 あの日、僕は夕暮れに目を覚ました。僕の部屋の窓からはいろんなものが見えた。その一つが町外れの墓地だ。そこではカンパルツォたちが悲嘆に暮れながらパルタと思しき亡骸を土に埋めていた。

 彼もこんな敵地で葬られたくはなかっただろう。胸がぎゅうっと締めつけられるようだった。

 僕がいるせいで大事な人たちが不幸になっていく。

 ベッドから立ち上がり、そこで右腕が動かないことを思い出した。

 ――僕はそれまでその右腕で様々な関係性を築いてきた。握手を交わし、ともに料理を食べ、酒を飲み、組み手をした。アシュタヤの手を握った。僕にとって右腕は関係性の象徴だった。

 それが、もう、動かない。動いたとしてもそれらの暖かなものは僕には相応しくなく、求めるのはおこがましいとも思えた。

 だから、切り落とした。もう、僕にはその右腕はあってはならない。誰にも見えない〈腕〉さえあれば十分だった。


 初めて行使した治癒魔法陣は思いの外うまくいった。元々の僕の〈腕〉にあったエネルギーが十全に伝わったのか、強く押さえてじっと耐えていると血が止まった。しばらくすると薄い肉の膜すら張っていた気がするが、もう随分昔のことなので覚えていない。

 血でメッセージを残した後、僕は窓から飛び降りて山へと向かった。山なら馬は入ってこられない。その単純な考えは功を奏したらしい。追って来る者は誰もいなかった。

 雪山の中で一週間ほど過ごした後、僕はセムークの街まで戻った。ちゃんと彼らが先へ進んだか確かめるためだ。街の人はぼろぼろのなりをした僕に「関わりたくない」とほのめかすように眉を顰めていたけれど、そのうちの一人がカンパルツォたちはもうこの街にいないことを教えてくれた。


「ああ、あの貴族サマ。四日だか五日前にこの街を出たよ」

「そうですか」

「何か人捜しに躍起になってたけど、あれ、何だったのかね」


 その事実に堪えきれず、僕は再び街を出て、山へと向かった。

 王都を目指したのは女々しくて汚い僕の感情が原因だ。腕を切り落としたところで関係性がなくなるわけではないことは理解していた。寂しくて、たとえ二度と彼らに会えなかったとしても、少しでもそばにいたかった。

 山を越えて、王都へと向かうのは困難を極めた。残った金をはたいて防寒具を買い込んだとはいえ、山脈は高い。ジオールに刻んでもらった火の魔法陣のおかげで暖を取ることができたが、僕は何度も死の淵を彷徨った。

 道中で生きるために数え切れないほどの命を奪った。

 単純に獣に襲われたこともあれば、空腹を満たすために自分から獣を探したこともある。命を奪えばこの〈腕〉に染みついた感触も消えるのではないか、と期待したが、〈腕〉の芯に染みついた熱と鼓動はいつまでも残っていた。命を奪う感触は上塗りされていくのだと知った。


 僕が頭領に拾われたのは山を越えて、麓の街に着いたときのことだ。傭兵の仕事でその街に来ていた頭領は僕の恰好を見て哀れんだのか、食事と酒を奢ってくれた。

 今から考えると、口調や服装から僕を貴族の関係者だと考えたのかもしれない。そうだとすると、彼が僕を拾った理由がいくつか説明がつく。盗賊としての本分を全うしようとしたならば、貴族相手に何らかの交渉をしようと考えるだろう。血だらけで、腕を失った僕は知ってはいけない秘密を知って逃げてきたのだと判断された可能性もある。

 あるいは、軍属として働いてきた彼が、己と似た境遇の僕を見て本当に同情した、ということも考えられる。這々の体で逃げてきた僕と自身を重ね合わせた、とか。

 どちらにせよ、僕は頭領に拾われた。彼は僕に盗賊や傭兵のやり方を教え、当てにする人もいなかった僕は黙々と仕事をこなした。気付けば冬を越え、春になり、夏を迎えて、秋が訪れた。惰性で過ごしているうちに、再び一年が過ぎ、次々と流れる季節は慣性の法則に従い、夏にまでなった。

 僕は川面に映る自分の顔を見て、いつか、フェンとした会話を思い出す。


「盗賊や傭兵にはなるなよ」


 メイトリンに到着する前の、温泉の湧いている宿場町でフェンはそう言った。あのとき、僕は不審な視線を感じて会話を中断した。もし、ちゃんと「ならない」と断言していたならこうはならなかったのだろうか。

 言葉一つで変わるわけもない。馬鹿らしくて噴き出すと、後ろからヨムギの声がした。


「いつまで油売ってるんだ」

「ああ、ごめん、今行く」


 水の入った鍋を左手で抱え、僕は火元へと向かう。

 ここの居心地は決して良いものではない。寝食を共にする連中は僕に気を許していないだろうし、僕もそのつもりはなかった。僕の居場所は世界で一つだけ、アシュタヤたちのそばだけだ。

 もし帰れば、きっとみんなは僕を何も言わず迎えてくれるだろう。僕の犯した罪を許し、また、何か新しいことを教えてくれるはずだ。でも、その光景を想像しただけで僕の心はばらばらになりそうだった。


 許されることのない罪人でありたいのに、罪人にもなれない。

 僕はどこまでいってもまがい物だ。罪人の、模造品。


「化け物」と僕は色々な場所で呼ばれた。王都で、あるいは傭兵として戦った土地で。確かにそうだ。本来人間にはない力を持って生まれた僕は「化け物」と呼ばれるだけの資格があるのだろう。かといって、感情を捨て去り、化け物になりきることもうまくいかない。

 命を奪って過ごしているとギルデンスの言葉が脳裏を過ぎる。

 ――いつかお前は、理由はどうあれ、戦うことでしか自分を見いだせなくなっていく。

 彼の言葉は当たっていた。〈腕〉を振るっているときだけはすべてから解き放たれた気分になれる。盗賊として奪えば奪うほど、傭兵として戦えば戦うほど、金を得るため、だとか、国を守るため、だとかそう言った理由が理由でなくなっていった。


 僕は力を振るうことで何とか生きていけている。

 確かに心残りはあった。カンパルツォとの約束を守れなかったこともそうだし、ヤクバたちと酒を飲めなくなったこともそうだ。

 けれど、何より、アシュタヤにさよならも言わずに去ったことが僕を苛んだ。約束を破り、自分の心の平穏のためだけに逃げ出して、きっと彼女は僕に幻滅しただろう。あんな置き手紙など怒りを増幅させる装置にしかならない。

 僕にできることは願うことだけ、願うことは一つだけ、彼女がこれからを幸せに生きて欲しい、ということ。

 それだけだ。

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