62 新たな戦場へ

 翌朝、僕は王都へと向けて出発した。

 盗賊たちは大体いつも遅くまで騒いでいるため朝が遅く、挨拶もせずにさっさと出たが、山を下りると同時に見慣れた顔が目に入った。僕の視界の正面にいたのは腕を組んで仁王立ちをしているヨムギだった。いつも着ている盗賊的な出で立ちではなく、王都に紛れ込むための町娘のような服に身を包み、ぼろぼろの鞄を背負っていた。


「なんできみが着いてくるの?」

「きみって呼ぶな、ヨムギだ。お前の口調は気持ち悪いから直した方が良い」

「今まで何も言わなかったじゃないか」

「お前はこれから一生成長しないつもりなのか?」


 彼女の皮肉に溜息で答え、さっさと街道を歩き始める。おい、待てよ、といつも通りのぶっきらぼうな口調でヨムギは僕の後を追ってきた。

 馬車はおろか馬もなかったため、移動手段は徒歩だ。ほとんど会話もなく、歩くことだけに注力していたが、王都に到着する頃には昼が近くなっていた。

 レカルタはさすがに王都と呼ばれるだけのことはあった。バンザッタほど高くはないが、石の壁が都を覆っていて、遠目からでも豪奢な城の天辺が見える。煮え立つ湯のように弾ける喧噪が外にも飛沫を飛ばしていた。


 街道の正面にある門では入都検査の列ができている。

 今まで一度も足を踏み入れたことがなく挙動不審になっていたのか、この暑い時期に顔を隠すようにフードを被っていたせいもあるのか、門番は僕をじろじろと眺めてくる。大いに不安になったが、何度か王都へ入ったことがあるヨムギが門番よりも先にあれこれと指示してきたため、手続きは円滑に進んだ。

 彼女は慣れた様子で真偽判別の魔法陣の上で二、三個質問を受ける。僕も「国への忠誠はあるか」だとか「目的はなんだ」だとかいったことを訊ねられ、正直に答えると魔法陣が発光することはなかった。

 ヨムギは昨日の出来事の後、頭領と相談して、軍に入るということを決めたらしい。うってかわって随分殊勝なことだと感心もしたが、彼女は王都へ入ってからも軍の施設には向かおうとはせず、僕の後ろを着いてきていた。


「あのさ、きみ」

「ヨムギ」

「……ヨムギはさ、周りを威嚇するのはやめた方がいい。悪目立ちする」


 レカルタの人口は他の都市と比べものにならない。昼下がりということもあり、昼食を求めて店を探す人々が数え切れないほど通りを歩いていた。

 ヨムギがその市民たちをのべつまくなしに睨むものだから僕たちの周りだけ不自然に人の流れがなかった。おお、モーセ、と叫びたくもなるが、この世界に理解できるものなど誰もいないから、胸の内に留めておく。


「それで、なんでさっさと軍の施設に行かないのさ」

「オヤジは」と彼女たち盗賊は頭領のことをそう呼ぶ。「軍に入ったら厳しいから少し遊んでからいけと言って餞別をくれた」


 ヨムギは手に持った袋を大事そうに抱える。そのときばかりは年頃の少女らしき、弱々しさが浮かんでいた。一瞬、ベッドの上で膝を抱えて項垂れているアシュタヤの姿が重なり、僕は呻きそうになる。まるで似ていないというのに、記憶は誘爆と燃焼を繰り返した。

 苦い記憶を振り払おうとして、淡泊さを装う。


「じゃあ、どこか店を探して入ればいい。味なら大丈夫だよ、どこで食べても感動するだろうさ」

 彼女は皮肉には気付かず、しかし、口を尖らせた。「けど、おれ一人では入るな、とも言った。レプリカと行け、と」


 頬が引き攣る。

 頭領の真意をすぐに理解してしまった。

 この世界にテーブルマナーの教本があるのなら盗賊式の食べ方は「やってはならない」とされることのオンパレードだ。手づかみで食い、汚れた指を服で拭って、げっぷを漏らす。マナーに厳しくない店でも眉を顰められるだろう。

 きっと頭領は、教えろ、と言っているわけではない。問題を起こさないようにヨムギを諫め、謝れ、と言っているのだ。

 しかし、諫めたところでヨムギが素直に注意を聞くだろうか。

 不安が的中する予感しかしなかったが、放っておくこともできず、僕はいっとう寂れた店を探し、入ることにした。


     〇


 さしたる問題はなく、というか、問題は大いにあったが、寂れているおかげで文句をつけられることなく、腹を膨らませた僕たちは店を出た。


「ここのメシはうまいな」

「それはよかった。じゃあ、もう行きなよ」

「そうだな、お前といるとイライラする」

「……軍はたぶんヨムギが思っているより厳しいから覚悟しておきなよ」

「なんだ、お前、見てきたように言うな」


 見てきた、と言うか、厳しさに逃げ出した三人組を知っているだけだ。きっとヨムギは魔法に関する部隊の見習いとして入ることになると思うが、そこでは彼女の嫌いな座学が待っていることだろう。もしかしたらあの三人よりも早く根を上げるかもしれない。


「ほら、近くに警邏の兵がいる。彼らに聞けば道を教えてくれるはずだ」

「……お前は着いて来ないのか?」

「行かないよ。っていうか、きみは僕と一緒にいるとイライラするって言ってたじゃないか」

「まあ、イライラはする。イライラはするんだが」


 煮え切らないヨムギの背を押して、僕はそばにいた兵を呼ぶ。事情を説明し、軍の施設まで連れて行くようにお願いすると、兵は快く了承した。ヨムギは仲間がいない場所に行くのが心細いのか、ちらちらと何度もこちらを振り返ってきたが、僕の首元にも満たないほど小柄なため、すぐに人の壁で見えなくなった。

 僕は踵を返し、頭領に教えてもらった傭兵募集の情報が集まる施設へと赴くことにする。

 教えられた道順を進み、行き当たったのはバンザッタにある職業斡旋所とよく似た施設だった。看板や外壁はまだ新しく、立てられたばかりの建造物であるのは一目見ただけで分かった。看板には確かに職業斡旋所と書かれている。カンパルツォたちが上奏し、作らせたのかもしれない。そう考えると感慨深くなった。


 窓から中を覗く。壁際にある六つのカウンターと軽食を販売している売店のようなものの周りに人が集まっている。中央には二十脚以上の机があり、その四倍の椅子が置かれていた。王都だからか、それともバンザッタにあるものより後にできたからなのか、どことなく洗練された雰囲気があった。

 斡旋所の中に足を踏み入れる。喧噪が、身体に当たる。

 受付には生活に関わる短期の仕事、生活に関わる中長期の仕事、戦闘に関わる仕事の三つの部門が置かれていた。それぞれがさらに官と民のセクションに別れている。

 僕が向かったのは戦闘に関わる仕事を斡旋しているカウンターだ。私人からの募集は馬車の護衛だとか、私兵の募集、付近の村の害獣駆除が主で、国からの募集は戦争に関わるものが多いらしい。

 後者の、五人ほどの列の最後尾に並び、手持ち無沙汰に壁を眺める。


 壁に備えられた掲示板には様々な知らせが貼られていた。指名手配犯の人相書きや夜間外出の禁止に関するもの――この紙には「化け物注意」と書かれている――などだ。

 識字率向上を謳った無料教室の開催を知らせるポスターもある。タイトル以外は絵ばかりで意味を汲み取るのも難しく、苦笑が漏れた。

 掲示板の中には目当てとしている傭兵募集の情報もあったが、列からは離れなかった。聞いておきたいことがあったからだ。どうやら列には文字が読めない人間の他にカウンターに座る若い女性に言い寄るために並んでいるのもいるらしく、順番が来るまでには随分と時間がかかった。

「次の方」と呼ばれ、カウンターに備え付けられた椅子に座る。若い女性職員はフードを目深に被った僕を遠慮なく訝った。視線は僕の髪にぶつかり、顔を通って、中身のない袖へと移っていった。金髪も隻腕も一般的ではないのだろう。僕が苦笑を浮かべると彼女はごまかすかのように咳払いをした。


「ええと、お兄さん、文字は読めますか?」


 例の識字教室の紙が机の端に置かれている。女性が手をその紙に伸ばそうとしたため、慌てて「あ、はい、大丈夫です」と答えると、じゃあ並ぶなよ、と後ろから舌打ちが聞こえた。女性は慣れているのか、柔和な笑みを浮かべて手を引っ込め、今度は依頼書の束らしきものをたぐり寄せる。


「傭兵業ですか? 色々ありますよ、希望とかあったりします?」

「特にないんですけど、代表で来ているので」仲間、と言いそうになる。「その人たちも参加できる規模で」

「何人くらいですか?」

「えっと、十人ちょっと、ですかね」

「そしたら、そうですね……あ、これとかどうです?」


 女性は依頼書の内容を把握しているのか、素早く紙を捲り、僕の前に差し出してくる。

 隣国との紛争だ。文面を精査していく。

 相手はそれほど強くはないが、降り続く雨のようにしつこく、断続的に戦闘が発生しているらしい。給金も悪くはない。場所はラ・ウォルホル、と書かれていた。この国のもっとも東部の街――かつてアシュタヤが参加していた戦争が起こっていた場所だった。

 どうやら二日後に馬車が出るようだ。願ってもないことだった。盗賊たちは蓄え、という概念をあまり知らず、馬車を借りるだけの金があるとも思えない。

 紙に目を落としたまま、「じゃあ、これにします」と答え、返そうとする。だが、女性職員がそれを受け取った瞬間、僕の身体は硬直した。手を離さなかったせいで女性職員が困惑とともに「あの」と首を傾げた。

 僕が目を離せなかったのは傭兵を募集している貴族の名前だった。

 二人の貴族が連名で記されている。一つはラ・ウォルホルがある領地の主、もう一つはその隣の地域の領主――ラニア。アシュタヤの家名だ。


「あの」と僕は顔を上げ、領主の名前を指さす。「どうしてわざわざ連名で書かれているんですか? この戦いってラ・ウォルホル、なんですよね」

「ああ、それは、ですね」


 女性職員は言葉を濁したあと、周囲を窺い、顔を近づけてくる。


「ここだけの話、ですけどね、どうもかなり逼迫した状況らしいんですよ。ほら、ラ・ウォルホルがある領って縦に長いじゃないですか。で、今、ラニアさまの領地の近くまで押し込まれているみたいで」

「え、でも、自軍優勢、って」

「まあ、それは、何と言うか」


 言葉を濁した職員の顔でぴんとくる。

 一種のプロパガンダ、という奴だ。有利な状況下にあることを印象づけておき、高い給金を支払う。面子も保てるし、割が良い、と傭兵が判断して参加する人数も増えるはずだ。

 そうしなければいけない状況――。

 僕はゆっくりと息を吐く。この巡り合わせに感謝した。

 きっと、これが僕の役目なのだ。

 アシュタヤは幼い頃に両親から引き離された。それでも、彼女は一度も自身の親を悪く言ったことはない。もし、両親が危険な目に遭ったとしたら、きっと彼女はひどく悲しむだろう。

 二度と会えなくても関係ない。僕の守るべきものはアシュタヤの笑顔だ。


「これにします。登録お願いします」

「え」断られるかと思っていたのか、職員は目を丸くする。「本当にいいんですか?」

「ええ、全員参加します。馬車の出発は二日後の朝ですよね」

「あ、はい、開門の時間を目安に門の外に集合してもらえれば。人数が揃わなくても出発するので気をつけてくださいね」

「分かりました、ありがとうございます」


 僕は椅子から腰を上げ、その場を後にしようとして、聞きたいことがあったのを思い出し、立ち止まった。職員が訝り、見つめてくる。


「どうしました?」

「一つ、お伺いしたいんですが……この施設、最近作られたものですよね? 誰が発案したものか、分かります?」

「ええと、名前までは、すみません」

「……そうですか」

「でも、営業を始めたときにいらっしゃいましたよ。二年ほど前にレカルタに来た、あの、熊みたいな風貌の」


 ――やはり、そうだった。カンパルツォたちは今も目標に向けて邁進しているのだ。それだけ聞ければ満足で、僕は礼を言って、今度こそ職業斡旋所を後にする。


     〇


「ラ・ウォルホルぅ? 東の端じゃねえか」と僕の知らせを聞いた盗賊――もとい、傭兵たちはあからさまな不満を口にした。

「決めてきちまったもんはしょうがねえな」

 頭領が宥めるが、傭兵たちは「でもよ」と口を尖らせる。「どうやってそこまで行くんだよ。足なんてねえぞ」

「それは大丈夫です。王都から馬車が出るのでそれに乗せてもらえるらしいので。給金も悪くないですよ」

「つっても、オヤジ、腰痛めてるんだろ。大丈夫かよ」

「ああ、それも大丈夫ですよ、嘘ですから」


 僕が笑顔でそう言うと全員がぽかんと口を開け、それから呆けた表情を頭領へと向けた。頭領は頭領で頬を引き攣らせている。どうしてばれたのだ、と言いたげな顔をしていた。

 まったく、嘘が下手な人だ。あまりに詰めが甘く、溜息が漏れる。

 彼は腰が痛いと言っていたが、痛そうな素振りを見せたのは酒を飲むまでのことだった。もし本当だったとしてもアルコールで紛れる程度の痛みなら問題ない。

 頭領が嘘を吐いたのはきっとヨムギのためだ。彼はこの中でいちばんヨムギを理解しているし、ヨムギも彼のことを知っている。彼女から離れるためにもっともらしい理由をつけたのだろう。


 僕は道中と王都での彼女の行動を思い返す。

 嫌い、と言ったにもかかわらず、彼女はずっと僕の後をついてきて、軍の施設に向かうように指示しても聞こうとはしなかった。挙げ句の果てに別れ際、沈んだ表情のまま、僕を確認してすらいた。新しい環境に飛び込むのが不安でしょうがなかったのだろう、もしそこに頭領がいたら一悶着あったことは容易に想像がついた。

 視線を投げかけてくる傭兵団の面々に肩を竦めてやる。それだけで僕の言葉が真実であると理解したのか、彼らは一斉に頭領を睨んだ。


「おい、オヤジ」

「……いいだろう、たまには。それよりもラ・ウォルホルだったな、腕が鳴る」

「おい、オヤジ」

「出発は二日後の朝なので、それまでに治る程度の暴行にしておいてくださいね」

「おい、レプリカ」


 頭領の泣きそうな声を聞き流し、僕は輪の中から抜ける。ぎゃあぎゃあと喚く傭兵たちの騒ぎ声が背後で大きく膨らんだ。

 ……僕はあの冬の日、自分が犯した罪の重さに耐えきれず逃げ出した。初めて貴族を殺した日からずっと、この程度のことが償いになるわけがない、と知りながら生きている。

 指針も方法も一つしかない。

 彼らのために、戦うこと。

 盾にも剣にもなれなかった僕は、矢のように戦場を飛び回るしかない。

 こうして、僕の新しい戦いが始まった。二日後にレカルタから出る馬車に乗り、アシュタヤの生まれ故郷であるラニア領を目指す。


 ――ただ一つ、予想外だったのは、ともに戦地へと向かう傭兵の中にヨムギの姿があったことだ。三日目、実質二日で軍を逃げ出した彼女は頭領に何度も怒鳴られながらも離れようとしなかった。

 あの三人よりずっと早いじゃないか、と呆れたが、僕は何も言わなかった。

 人には居場所と帰る場所が必要だ。

 彼女にとってはその両方がこの傭兵団だったのだろう。それを無理に引き離しても良いことは何もない。

 同時に、彼女を羨ましく思った。

 僕にはもう帰る場所はない。そろそろ潮時だ。これ以上ここに留まり続けると情が湧いてしまう。これからは戦地を飛び回り、戦場を居場所としよう。

 仲間が作る国を守る、その実感だけでも味わえるならば、それでいい。

 願うこと以外にできることがあるならば、それが今の僕にとっての幸福だ。

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