15 抉る

「おお、これはお久しぶりです、アシュタヤさま。ラ・ウォルホル戦役以来ですね……お美しくなられました」

「ギルデンスさま、ニールから足をどけてください!」


 アシュタヤは顔面を蒼白にしている。唇をわなわなと震わせ、彼女は長髪の男――ギルデンスを睨んでいた。


「ニール……ああ、これはすいません、さすがに無礼ですね」


 背中から痛覚と圧力が消える。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 なぜ、アシュタヤ、きみがそこにいるんだ。

 超能力を使ったのはわかる。敵に狙われているのはきみだ。姿を現したところで事態が悪化するだけじゃないか。

 堀で隔てられていることと衛兵を連れていることだけが救いだった。僕は「逃げろ」と繰り返す。声になっているかどうかすら分からない。だが、今の僕にできることはそれだけだった。

 黙れ、と一喝するようにギルデンスが視線を寄越してくる。


「さて、こうなってしまったら私も働かざるを得ません」


 彼は嘆息とともにローブの内側に手を差し入れる。取り出されたのは指先ほどの大きさもない金属片だった。鏃のようにも弾丸のようにも見える。ゆがみのない円錐は、まるでそのために誂えたかのように鉄の筒の中にすっぽりと収まった。


「吐き気がするほど下卑た台詞ですが」弾丸が装填された筒が、アシュタヤへと向けられている。「死にたくなければこちらへ来ていただけませんか」

「なに、を……」言っているんだ。息も絶え絶えに僕は声を絞り出す。「アシュタヤ、逃げろ!」


 だが、アシュタヤは身体を震わせただけで、その場から離れようとしなかった。小さく息を吸い、口を真一文字に結んでいる。


「ギルデンスさま、あなたは」

「申し訳ありませんが、交渉の余地はありません」


 その瞬間、堀から水柱が迸った。吹き下ろされた風が肌を叩く。周りを囲んでいる野次馬たちが身を竦ませ、悲鳴を上げた。

 何が起こったのか、すぐさま判断ができなかった。


「さすが『拒否の堀』。届かないか」


 水の飛沫がぱたぱたと道を濡らす。ギルデンスが筒の先に弾を装填する姿に、僕はようやく気付いた。

 ……撃ったのか?

 アシュタヤを、こいつは。

 血が煮え立つ。恐怖が消える。思考がまっさらになる。

 気付いたときには、僕の〈腕〉が動いていた。体勢など関係ない。

 ――許すものか。

 横に薙いだ〈腕〉はギルデンスの身体を正確に捉えた。幽界から伸びる触覚を通して、骨の折れる乾いた音が伝わってくる。ギルデンスの身体が道の上を跳ねる。砂埃と落ち葉が舞い、周囲から甲高い悲鳴が上がった。


「ニール! だめ!」


 止めるな、アシュタヤ――こいつは、敵だ。

 全身に力を込める。関節が軋む。膝を立て、身体を起こし、前を見据える。

 同時に、心臓を鷲づかみにするような危機感が翻った。

 どこまでも暗い、穴――ギルデンスの持つ筒の先端が僕を狙っていた。背骨をやすりにかけられたかのような絶望感が頭頂から爪先まで走る。深く、冷たい恐怖。僕を吸い込んだワームホールが目の前に浮かんで、消えた。ちょうどその色と同じ、暗さを凝縮した黒が僕を見つめている。

 次の瞬間、背後にある堀から水飛沫が上がっていた。


 ――ああ。

 どうしてだよ。

 どうして、赤が見えるんだ?

 痛覚が肩口の神経を噛みちぎっている。赤い、熱い液体が肉に開けられた隙間から流出していくのが分かった。右肩に固形となった痛みが充満していた。

 血液が鼓動に押され、身体の外へと出て行く。剥き出しになった神経が血液の熱さと空気の冷たさに削られていく。思考が穴だらけになり、視界がぐにゃりと歪んだ。

 今まで知らなかった、激痛。

 撃たれた、という事実を認識するまでの一瞬が、苦痛によって引き延ばされる。僕の叫びは喉の内側を掻きむしるかのような勢いで奔出していた。


「ニール!」


 アシュタヤの喚声すら、耳を通り抜けていく。

 だが、どうしてだろう。

 僕を撃ったギルデンスの静かな冷たい声だけは、脳に直接刻みつけられるかのような確かさで届いてきていた。


「なんとも不可思議な術を使う……魔力の流れなどなかったから油断した」


 折れたはずの左腕で彼はローブについた埃を払う。貼りつけたような笑みを浮かべ、彼は近づいてきていた。その足音が迫ってくるたび、恐怖と虚脱感が僕の中に広がっていく。

 上手く〈腕〉を形成できない。何も考えられない……。


「少しだけ見誤ったが、問題はない。だが……迷うな、お前を生かしておけば血湧き肉躍る戦乱に身をおけそうな気もするし」とそこでギルデンスは言葉を切り、アシュタヤを一瞥した。「殺した方が、苛烈な戦いが起きる気もする」

「ギルデンスさま! もう、おやめください」


 アシュタヤの声はひどく震えている。

 僕のせいで――僕のせいで!


「さすが、アシュタヤさま、護衛の身などを案じるとはお優しい……、では、あまり好みではないですが、こういうのはどうでしょう」


 がっ、と硬い音がした。鼓膜ではなく、頭蓋骨で感じる音。

 見るまでもない。ギルデンスの持つ筒は僕の側頭部に当てられている。


「ギルデンスさま!」

「この男の頭から咲く赤い花はどんなものでしょうな……。見たくなければ、こちらにきていただけませんか。城門を回ってくるなど無粋な必要はありません。『拒否の堀』――、戦中においては騎士たちが風に乗って至るところから飛び出したと聞く。……いかに力なき御身と言えどできるでしょう? 阻害魔法の線を越えたら私がすくい上げてさしあげます」


 何を言っているんだ……?

 朧になりかけた意識が開く。

 そんな要求が通るはずがない。アシュタヤと僕だぞ。貴族と、護衛未満だ。天秤が釣り合うわけがない。僕は這いつくばったまま、やめろ、と叫んだ。だめだ、とも。ギルデンスではなく、他ならぬアシュタヤへ向けて、喉が張り裂けるほど喚いた。

 だめだ――アシュタヤ、やめるんだ、きみは逃げるだけでいい、それだけで堀が、衛兵がきみを守ってくれる。僕は盾の一人に過ぎないんだ。盾はいずれ壊れ、新調される。それが当たり前だろ。やめてくれ、頷くな、頷くな頷くな頷くな、そんな目をするな、僕が、僕は、きみを危険な目に遭わせてはならないんだ。頼む、お願いだから、アシュタヤ。後ろに控えている衛兵は何をしている、早く止めろ、羽交い締めにして彼女の過ちを正せ、みすみす彼女を危険にさらすな。

 ――ああ。

 ああああ。


「アシュタヤ、来るな!」


 僕の声は虚しい温度で空気の中に溶けていく。

 堀の向こうで、アシュタヤが地面を蹴った。

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