第一章 第一節

  1 収穫祭間近の一日

 お前は笑うのが下手だな。

 この二週間あまりでもっとも衝撃的だった言葉が、それだ。なにもかもが違う世界ではもっと驚くべき事実がそこら中に転がっていたけれど、僕はその何気ない一言に打ちのめされた。

 脳にはめ込まれたマイクロチップ、その中にある翻訳装置は言語を濾過し、意味を与える。初めは何らかの比喩かことわざかと訝っていたが、なんてことはない、その言葉には評価以上の意味はなかった。

 確かに、笑顔に習熟度があり、回数に比例して上達していくものであるとしたら彼らの指摘は誤りではない。今まで僕の周りにいたのは僕の笑顔が嫌いな人たちばかりだったからだ。だから、僕が同世代の人間より笑うのが下手だったとしても自然ではある。


 とはいえ、ずっと仏頂面でいるのもあまり良いこととも思えず、こっそり笑顔の練習を始めてみることにした。鏡や水面、窓に自分の顔が映るたびに、僕は細心の注意を払って笑ってみせる。人目を避けていたつもりだったけれど、そううまくはいかなかった。その場に居合わせた人は僕の奇行に苦笑を忍ばせた。

 ただ、誰一人、「そんなことはやめろ」という人はいなくて、僕はそんな些細なことで「帰りたくないな」と思ってしまった。もちろん、このおかしな――魔法なんてものがある世界を居心地の良いものとして感じられたのはそれだけが理由ではない。

ここには僕を比較し、木偶の坊だとか失敗作だとか罵ってくる人はいなかったからだ。暴力を振るってくる級友、白い目で見てくる大人、そして、出来損ないの超能力者として蔑まれていたニール=レプリカ・オブライエンもまた、いない。

 生来の超能力者――「ニール」という虚像に怯えなくても済む生活は僕にとってとても幸せな日々だった。


     〇


 剥き出しになった山肌、根元から横転した木々、土砂に埋もれた獣の身体から漂う微かな死臭。自然の容赦ない崩壊は得も言われぬ気持ちを呼び起こす。数日前までは優しい緑に覆われていたはずの風景――、その面影を幻視して心がざらついた。

 昨夜まで降り続いていた秋雨が土砂崩れを引き起こしたのだ。山の麓を流れる川は茶色く濁り、僕はその暴力的な色合いに唾を飲み込んだ。


僕が暮らしている街、要塞都市バンザッタから西へ馬で二時間ほど、目的地は人口百人ほどの小さな農村である。山の中腹から転がってきた大岩が川の流れを堰き止めているらしく、それを取り除くのが今回の仕事だった。もちろん、一人ではない。乗馬の訓練に手をつけたのはごく最近で、また、単独で仕事を行えるほどの責任もないから世話役であるフェンが随伴している。当然、馬の手綱を握っているのは彼だ。


「あれだ、見えるか?」フェンは遠くに見える大岩を指さす。「話に聞いていたよりも大きいな……。本当に動かせるのか?」

「きっとね」と返しながら、僕は身を捩る。フェンは百九十センチメートル近くあり、がっしりとした筋肉に覆われているため、そのままの体勢では正面の風景が目に入らない。無理に身体を動かしていると馬が小さく跳ね、体勢が崩れた。

「危ないぞ」


 彼は平静な声色で手を伸ばしてくる。片手で引き起こされた僕はそっと鞍に座り直した。感心とともに彼の背中をじっと見つめる。

 フェンは二十六歳と言っていたから僕の九つ上だ。浅黒い肌とくすんだ赤の短髪で、額から左のこめかみに走っている傷が特徴的な男だった。どことなく野生動物めいた鋭さがある。この国――エニツィアというらしい――の生まれではないらしく、そのせいか、ずいぶんと手を焼いてくれている。

そもそも草原で途方に暮れていた僕を拾ってくれたのもフェンだった。バンザッタには職業斡旋所があり、僕が路頭に迷わずに済んだのもその職員である彼のおかげだ。


「そういえば、お前がまともな仕事をするのは初めてだったな」

「初めてじゃないよ、いつも掃除してるじゃないか」

「あれで掃除しているつもりだったのか」


 ぐっと言葉を飲み込む。掃除なんていつも機械任せにしていたから下手で当たり前だった。


「しかし、まあ、お前にはこっちの方が簡単そうだな。さいこきねしす、だったか……失敗しても俺にぶつけるんじゃないぞ」

「家とかにぶつけたらごめん」

「問題ない、そうなったら俺は一目散に逃げる」


最後まで面倒見てくれよ、と強気に泣き言を口にするのも憚られ、僕は馬を揺らした。返ってきたのは苦笑と、抗議するように激しくなった馬の身じろぎだけだった。

それからほどなくして大岩へと辿りつくと、僕たちは農村の村長らしき男に迎えられた。禿げた頭と蓄えた口ひげが特徴的な老爺はフェンを見た途端に顔を明るくした。


「フェンさんが赴いてくれるとは、なんとありがたい」

「背丈の倍、と聞いたもので」


 フェンに倣って馬から下り、僕は周囲を観察する。山から転がってきたという大岩は成人男性の倍ほどの高さがあり、横幅もそれに見合ったものだった。堰き止められている川は今にも溢れそうになっている。バンザッタから離れているとは言え、鉄砲水が起きたら影響は大きいだろう。街の中央へと走っている水路を思い浮かべるとちょっとした使命感みたいなものが湧きあがってきた。

 意味もないのにぐるぐると〈腕〉を回し、正面にある山の斜面に目を向ける。山崩れは旧来からの懸念だったのか、保安林があったが、その密集した木々も無残にへし折られていた。

 無常さに顔を顰める。声をかけられたのはそのときだ。


「ところでそちらの若い方は……」

「弟子のニールです。身寄りがないらしく、世話をする羽目になってしまいまして」

 背中を叩かれ、慌てて頭を下げる。「今日はよろしくお願いします」

「いえいえこちらこそ、どうぞお願いします」


 そんな、半人前なので恥ずかしい限りです。僕はそう謙遜しながら頭を掻いた。

 ……ぎこちなくはないだろうか。

魔法なんて超常的な力があれど、この世界において超能力は異質なものであるらしい。噂になると不都合があるかもしれない、ということで、超能力の行使にはいくつか条件がつけられていた。

一つは「可能な限り人に見られないようにすること」、もう一つは「魔法と思わせるために詠唱するふりをすること」である。おかげで僕はフェンに師事していることになり、サイコキネシスを使う前にぶつぶつと呟かなければならなくなっていた。面倒ではあるが、無碍にするわけにもいかない。


「さて」馬を木に繋ぎながらフェンは村長に言う。「あとで報告に行くから、村長さんは自宅でゆっくりしていてくれますか」

「え」


村長はあからさまに狼狽し、フェンと僕の間で視線を往復させた。そりゃそうだよな、と僕は顔を背けて含み笑いを隠す。村長は僕の行動に気がつかなかったらしい、ぶんぶんと首を横に振った。


「他人に任せて自分はふんぞり返っているなどできるはずがありましょうか」

「いや、そうではなく……こいつの下手くそな魔法を見せたくないんですよ。俺にも『土の民の誇り』があるんでね」


 フェンは巧妙な苦笑を浮かべ、首にかけていた装身具を持ち上げる。土の民の象徴であるという赤い宝石が煌めき、その光に村長は言葉を飲み込んだ。彼はしばらくうんうん唸っていたが、「土の民の誇り」という言葉を捨て置くことができなかったのだろう、「そういうことなら後はお願いいたします」と言い残して自宅へと帰っていった。

 その姿が視界から外れる見送って、僕たちはほとんど一緒に嘆息を漏らす。


「ねえ、フェン」

「なんだ」

「『土の民の誇り』、安売りしすぎじゃないかな」

「方便だ」


 仏頂面で返して大岩の元へ向かうフェンを、釈然としないものを感じながら追っていく。亡びた祖国の象徴である「土の民の誇り」という言葉はもっと重要な場面で使うべきなのではないか、と少しだけ落胆したが、彼の次の句を聞いて、その思いは鮮やかに消え失せた。


「守るべきものを守るのが『土の民の誇り』なんだ。……ほら、頼んだぞ」


 周囲に村人の姿はない。僕は頷き、仕事を始めることにした。

嘘っぱちの詠唱を行い、「認識」を深めていく。

 超能力の根源は認識である。サイコキネシスであれば、物を動かせるという確信。その確信が別次元に繋がった瞬間、〈腕〉が生まれる。それを知覚するためには肉体に備わった知覚器官に頼ってはならない。必要なのはもっと感覚的で精神的なものだ。


「幽界認識器官」――〈腕〉を発生させる不可視の内臓は、僕の場合、右の肩甲骨のあたりに存在していた。

 あたり――肩甲骨から後方に十六センチメートル。肉体と関わりのない空間にある器官を意識する。伸ばされた認識の〈糸〉は別次元へと繋がり、その瞬間、若草色の光が僕の視界で爆発した。

 幻の光に照らし出され、世界がずれる。耳ではないどこかで風の音を感じる。土の臭いは消え失せ、空気の味すらも変わる。それらが徐々に正常な世界と重なっていき、最後に残されたのは常人には見えざる巨大な〈腕〉だけになった。


 背中から伸びている〈腕〉は狂った蛇のようにのたうっている。僕はそれを何とか押さえ込み、川の中央で鎮座している大岩へとそっと伸ばした。たった五メートルほどしかないというのに、〈腕〉は上下左右に激しく揺れる。一度岩の横を通り過ぎ、水を放出するシャワーヘッドさながらに暴れた。

 ゆっくりと息を吐く。

葉を食いしばり堪えていると、そのうちに〈腕〉が大岩へと触れた。凹凸のある硬い感触と冷たい温度が脳内へと伝わる。


 そして、思い切り力を込めた次の瞬間、大岩はピンポン球を思わせる軽さで跳ね飛んだ。

 巨大な岩は宙を直線的に突き進み、勢いそのまま保安林へと突き刺さる。耳障りな破裂音が水面を揺らし、かすかな波紋が生まれた。舞い上がった樹木の破片と砂埃がぱらぱらと地面を叩いている。突然の轟音に驚いたのか、木に繋がれた馬の嘶きが鋭く響き渡った。

 ……ふわりと浮かべて、木々の手前へと置くつもりだったのに。


「動かせたのはいいが……本当に加減が利かないな」

「うるさいな、早く後始末してよ」


 口を尖らせているとフェンは「そう当たるな」と僕の肩を叩いた。それから彼は瞑目し、魔法を発動させるための詠唱を始める。

 少しだけ楽しみにしていることはうまく隠せているだろうか。

 僕は彼の詠唱を聴くたびに「歌みたいだ」と思うのだ。彼の低い声は何らかの規則性に従い、旋律を獲得している。たった十秒に満たないその歌と、それが引き起こす現象は僕にとってとても美しいものだった。


 土石流で抉れた川縁に彼の静かな歌声が這っていく。わずかな間をおいて地面はまるで液体のように流動を始めた。渦を描いた土が小石や木片を飲み込んでいく。どこから集まってきているのか、地面は少しずつ隆起していき、ちょっとした堤防を形作った。

 超能力とは異なる力。僕は魔法を見るたびに感嘆してしまう。


「……やっぱりすごいな」

「俺は『土の民』だからな」

「ちょっと羨ましいよ。僕には魔力とやらがないんでしょ。そっちならうまく扱えるかもしれないのに」

「無い物ねだりをする前に訓練することだな。お前の力は使わなければ錆びつくんだろう?」


 そうだけどさ、と反論はしなかったものの伝わっていたらしい、彼は「報告して帰るぞ」と手を打ち鳴らし、それから「帰りはお前が馬を操るか?」と悪戯っぽく笑った。僕は呆れ、首を振る。


「僕が手綱を握るくらいなら歩いて帰った方が早いよ」

「だろうな」


 その意見は全会一致だった。木に繋がれた馬ですら僕を侮るように盛大な鼻息を漏らしたほどだ。やれるならやってみろよ、と挑発されているようでもあり、むきになって跨がろうと試みる。だが、馬というものは存外頭が良いらしく、手をかけた瞬間、大きく一歩前に出て、再び、ぶるるん、と鼻を鳴らした。

 僕は頭を掻きながら、黒鹿毛の馬を見つめる。


「……サイコキネシスで操れたらなあ」

「馬を握りつぶす気か?」

「やめてよ、縁起でもない」

「……ほら、帰るぞ」とフェンはもう一度急かす。「暗くなると街に入れなくなる」


 返事をし、僕は背後の川を一瞥する。

 つい先ほどまで停滞していた川は「あ、もういいんですね」と言うように、生気を漲らせて流れ始めていた。その勢いに仕事が終わったことを実感する。同時に幼い頃の思い出が脳裏を過ぎった。

 とうさんは言った。「ニール、お前の力は何にも替え難いんだぞ」

 かあさんは言った。「ニール、あなたの努力はきっと実を結ぶわ」

 拗ねていた僕は彼らに背を向けていたけれど、遠くで聞こえたその言葉を胸に刻んでいた。実験施設で生成されたワームホール、その先にあったこの世界では僕の力も役に立つのかもしれない。

 

     〇


 ぴゅうと一際強く吹いた木枯らしに首を竦める。

 日に日に秋は深まって来ていて、外套を纏っても冷気が染みこんでくるほどだった。朝から武術の訓練に駆り出されていたため、肩に疲労と鈍痛があったが、あまりの寒さに僕は寝泊まりしている職業斡旋所へと向かう足取りを速めた。


「今日はこのあと自由なんだっけ?」

 隣を歩くフェンが頷く。「ああ、お勉強はお休みだ」


 僕はまだこの世界で生きるには知識が乏しい。そのため、午後はほとんど常識の充足に当てられていた。講師はフェンであることもあれば、彼の叔父や職業斡旋所の所長であるウェンビアノが担当することもあった。

だが、今日、ウェンビアノは領主に呼ばれ城へと赴いているらしい。フェンの叔父が所長代理を務めるということで僕には自由時間が与えられていた。


「なんかまともに時間が取れるの、初めてのような気がする」


 この都市に来てから息つく暇もない日々が続いていた。厳密に言えば、ぽっかりと空いた時間はあったが、余暇を満喫するほどこの世界に慣れていない僕には、気晴らしをしよう、と思う心の余裕すらなかったのだ。

 何をしようか、と少しだけ悩む。脳に接続された記憶ストレージには読み切れないほどの本を溜め込んでいたけれど、読書をする気分でもない。


「街にでも出ようかな……まともに散策したことないし。フェン、案内してくれる?」

「悪いが、俺も俺で所用がある」

「え、じゃあ、どうしよう」

「一人で行ったらどうだ?」


 あまりに当然のように言うものだから僕の足も一瞬止まる。斡旋所の中へと入っていくフェンのあとを追いながら僕は訊き返した。


「それ、ありなの?」

「別に問題はない。むしろ、一人で歩くことでできる発見もある」

「それなら適当に回ってみようかな」


 依頼をこなしていることでウェンビアノから給金はもらっている。一日豪遊してもまだ余るほどはあるはずだった。


「あまり遅くなるなよ。あと堀の周りは危ないから近寄るな」

「子どもじゃないんだから」

「それと」

「それと?」

「お前は子どもみたいな面をしてるから、娼婦に声をかけると明日には広まってるぞ」

「……そのときはフェンの使いです、って名乗ることにするよ」


 肩を竦めて言い返し、僕はすぐさま部屋へと戻った。汗と土で汚れた身体を拭い、服を着替えた。冷たい風を思い出し、超能力養成課程の制服を引っ張り出す。あまり着ないように、と言いつけられているが、外套を纏えば問題はないだろう。

 衣替えの前で良かった。冬服は外気温と体温を瞬時に計測し、快適な温度を保つために空気透過率を変動させる。制服に袖を通すと先ほどまで感じていた寒さが身体に触れなくなった。


 街の喧騒はいつにもまして賑やかだった。

 数日後に迫った収穫祭へと向けてあちこちに装飾が目立っている。市民の顔も普段より明るく、昼食時ということもあって城から北門へと続くバンザッタのメインストリートは人でごった返していた。

 僕は客引きの威勢のいい声に笑顔を返しながら、堀に面した通りへと進む。フェンに連れられて自警団の鍛錬に赴く際、目につけていた店があるのだ。洒落た外装の料理店も飾り付けが増えていて心を浮き立たせながら中に入った。


 店内はこぢんまりとしていて、そのせいか、ほとんどの席が埋まっていた。運良くカウンター席が空いていて、そこに通される。柔らかな匂いを嗅いでいるといくつもの視線を感じた。

 無理もない。この街では僕の金色の髪はよく目立つ。

 バンザッタの住民の頭髪は黒か茶が多い。金髪など僕以外には一人もおらず、奇異の目を向けられるのは珍しくなかった。とはいえ、もはや慣れっこになっているのも事実だ。気にせず壁に掛けられた木の板を眺めて注文の選別を開始した。


 神さまは遍く世界に生命のレシピを配布している。魔法があるとはいえ、生態系にはそれほど変わりがなく、僕はそう結論づけていた。

注文し、ほどなくすると褐色肌の女性店員が料理を運んできた。彼女は木の器を置きながらくすりと笑う。


「お兄さん、旅行者?」

 旅行者というより遭難者だ、とも言えない。「……この前引っ越してきたんです。えっと、ここなら色々仕事があるみたいだし」

「ああ、そうなんだ。どう、この街は? もう慣れた?」

「まだ全然ですね。文化の違いが大きくて」

「ってことは、やっぱりお兄さん、異国の人かあ。髪の色も明るいしそうだと思った」


 彼女は一つにくくっている赤みを帯びた髪の毛を揺らしながら、国名と思しき固有名詞を列挙していった。どれも聞き覚えがなく、曖昧に、うんと遠くです、とはぐらかす。すると、彼女は「なにそれ」と顔を綻ばせた。


「こうも外れると騙されてるんじゃないかって思っちゃうね」

「嘘なんて吐いてないですよ」

「ちなみにあたしはロダ・ニダ・ドズクアってとこから来たんだけど」

「ドズクア」と思わず反応する。フェンの祖国の名だった。

「あれ、うそ、髪の色も肌の色も全然違うけど、そうなの?」


 興奮したのか、彼女は無遠慮に顔を近づけてくる。視線が肌を舐め、眼球で一度止まり、髪にいたる。女性にこれほど顔を近づけられるのは初めてで気恥ずかしくなり、僕は慌てて顔を背けた。


「いや、あの、お世話になっている人がそこの出身らしくて」


 その瞬間、彼女の眉がぴくりと動いた。


「フェン?」

「えっと、そうですけど……あの、お姉さんは――」

「イルマ」

「え?」

「イルマ、私の名前」


 名前で呼べ、ということなのだろう。僕は咳払いをして、言葉を続ける。


「イルマさんはフェンを知っているんですか?」

「フェンは私の兄だよ。あたしはもう結婚しちゃったから家名は違うけど……へえ、しかし、偶然もあるもんだね。というか、あいつの知り合いがこの店に来るほど洒落てるなんて思いもしなかった」

「まあ、確かに、彼の知り合いはなんというかもっと質より量にこだわりそうな気配はありますけど……」


 言いながら申し訳なくなる。だが、事実だ。フェン自身も、なんというか無骨だし、自警団の人々や職業斡旋所に来る男たちも荒っぽい人が多かった。


「あんた、名前はなんて言うの?」

「えっと、ニール、です」

「じゃあ、ニール。私もうすぐ仕事が終わるから、っていうか終わらせるからこの街を案内してあげるよ。どうせフェンにこの街のいいところ教えてもらってないんでしょ? あいつ、口を開けば修行だ訓練だってうるさいから」

「否定は、できませんけど」

「なら決まりだね! ちょっとだけ待っててよ」


 返事を待たずに彼女は跳ねるように厨房へと引き返していった。「ねえ、あなた、出かけてきてもいーい?」とこちらまで彼女の声が聞こえてきて僕は言葉をなくした。翻訳装置はご丁寧なことに熱烈な愛の言葉さえ伝える。少しだけ塩辛い魚介のスープがとても良い塩梅で舌に染みた。

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