内なるもの

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内なるもの

「…それで、今回投稿された作品の総数は80。そのうち60が異世界転生ものです。前年の20%増し」

「残りはどんな作品なんだ?」

「魔法学校もの、ミステリー、王道的な作品も少しは」

「…なあ船越よ」

「はい」

「お前ちゃんと応募要項にうちの会社のこと書いてんのか」

「書いてますよ。当たり前じゃないっすか」

「じゃあなんで官能小説の賞だっつってんのに、異世界転生とか、変化球みたいな小説ばっかり送られてくるんだよ」

「さあ…。他の賞に引っ掛からなかった作家がスライドしてくるんじゃないですか?」

「それによ、異世界転生っつっても、美少女に転生してでかい化け物にセックス強要されるみたいな展開ばっかりじゃねえか」

「異世界に行ってまで同族とセックスしても仕方ないっすからね」

「美少女だけど、元々男なんだろ。わかんねえよ。こういう小説はうちの会社の色には合わねえなぁ」

「宮本さん。男だからいいんですよ。男なのに開発されて身も心も女になっていく過程に興奮するんです」

「お前な、もし女になったら、バイブ突っ込まれてよがるか?」

「俺は今でもバイブ突っ込まれてよがりますよ」

「死ねバカ」

 宮本はタバコの火を消して、机の上に足を置いた。古いパイプ椅子がギイィと音を立てる。

「この中から選ぶしかないんだな」

「そうです」

「"推薦"が…」

「10作品っすね。下読みのレビューもつけてます」

「そんで全部」

「異世界転生」

「新妻とか、女捜査官とかないの」

「ないっす」

「これを週末のオカズにしろってか」

「お願いします」



* 



「それじゃあこれで決まりで、いいんですかね…」

「いいよ」

「うん」

「こんなもんだろ」

 川越書院のかび臭い部屋に集められた取締役たちは、気の無い返事を返した。日付が変わった夜中の1時、脂だらけの鼻を掻いたあと、宮本はホワイトボードに書かれた"南リョータ"と"弥撒に捧げるセックス・スレイブ"という単語に赤い丸をつけた。そして、小さなため息。

「本当にいいんですかね。主人公、未成年ですよ」

 携帯電話をいじりながら、取締役の一人が答える。

「転生したら20歳の人間とオークのハーフ美女になるんだろう。問題ない。母娘2代にわたって犯されるというのがいいじゃないか。社会規範に対するメッセージ性もある」

「どんなメッセージが」

「LGBTとか多様性とか、そんな感じのメッセージだ」

「レイプされるんで、逆のメッセージが伝わるような」

「おい宮本、お前の意見は聞いていない」

 違う取締役が栄養ドリンクの蓋を開けながら口を挟む。

「極端に振らないとたいして話題にもならないんだから、過激なのがいいんだよ。犯された後に巨大なオークに変身して、他のオークを皆殺しにするところとか、変に話題になるかもしれんぞ」

 宮本は作家の話に相槌を打ちながら、ポンコツ経営者しかいない自分の会社を呪った。

「全員が太鼓判をおしたんで、これで行きます。明日の朝、南先生に一報を入れて、ニュースリリースを出して。船越、Webの更新を頼んだ」

 書類の束に突っ伏していた船越は、顔を上げた。

「…ふぁぁ……ふぇ?…ああ…はい」

「そういうことで、今年の大賞は『弥撒に捧げるセックス・スレイブ』で行きます」



* 



「南先生…ですよね。はあ…。えっと…。すいませんね、お忙しいのに」

「い、いえ、そんな、大丈夫です、はい、色々な取材の依頼も、落ち着きましたので。その、今日呼ばれたのは、その、どんな」

 宮本は茶を口に含んだあと、目の前にいる南リョータを眺める。伏し目がちで、大人しそうで、黒髪で、顔の整った、女性である。

「ご存じのとおり、"弥撒レブ"、大評判なんですよ。重版決まりましたし、ハマゾンランキングも好調で」

「はあ」

「取材の問い合わせも凄かったでしょ。でも、全部断ってきたんですよねぇ。そりゃそうですよねぇ…」 

 スカートの丈は短く、透き通るような白い太ももは紺色のハイソックスでキュッとしまり、皮膚は弾けんばかり。白いシャツからブラジャーが透けている。

 いかん、と宮本は自制した。

「南さん、失礼ですが、年齢は」

「17歳です」

 自分の娘も、たしか同じくらいの年齢だったと、宮本は思う。そんな女の子が、官能小説を書いている。

「取材とかは、やっぱり、私、無理です。上手く話せるかどうかわからないし」

「受けなくてもいいですよ。正体不明の作家で売りましょう」

 宮本はタバコを咥え、火をつけた。

「南さん、質問なんですが」

「はい」

「何で官能小説を書いているんですか」

「それは」

 南の大きな目が宮本を捕らえた。瞳の色は火のように赤い。

「自分の、その、内なるものを表現したくて。普段は無理ですけど、小説の中では、こう、大胆になれるので」

「そういうものですか」

 宮本は煙で肺をいっぱいにし、頭に浮かんだよからぬ考えをぬぐった。





 箸の先でシャケの切り身を少しづつちぎり、口に運ぶ。皿には皮が綺麗に折りたたまれている。

 台所に立つ妻カオリは一心に皿を洗っている。首筋はあんなに浅黒く、シミだらけだっただろうかと宮本は思う。

「早く帰ってくるときは連絡をしてください。お味噌汁に火を入れておきますので」

 敬語だ、こいつ敬語を使いやがった。宮本はシャケの小さな切り身を皿の上ですりつぶした。

「たまたま早く帰れたんだ」

 食器を洗う音とテレビの音が、会話の合間の沈黙を埋める。シャケの切り身からはぎとられた骨が、一本、二本と、皿の上に積まれていく。

「結衣子は最近どうだ」

 返事はない。宮本の声は、食器を洗ったあとの汚水と共に、排水溝に流れていく。

「どうだって聞いてるだろ」

 カオリは大げさに首を傾げた。

「どうだって、どういう意味ですか」

「学校とか、ダンススクールとか」

「ちゃんとやってますよ」

「帰りが遅いんじゃないか」

「ダンススクールは10時までですから」

「でも、女子高生が」

「ちゃんとやってますよ、結衣子は」

 そしてまた、沈黙が訪れる。

 宮本は椀の底にご飯を残して箸をおいた。頭にまた、よからぬ考えが浮かぶ。




 車での外回りから帰った宮本は、非常階段に向かった。船越が地べたに座り、コーヒーを飲んでいる。

「お疲れ様です」

「…」

「あの、宮本さん」

「…ああ」

「疲れてますね」

「ああ」

 宮本は手すりにつかまり、深く屈んだ。だらしない腰の肉が無理やり引き伸ばされる。

「南さんから電話がありました」

「おう」

「コメント取材について宮本さんに相談したいって」

「そうか」

「弥撒レブ、これだけ売れていたら、メディアミックス行けますよ」

「漫画か」

「実写映画」

「バカかお前」

 船越は缶をあおって、飲み干した。

「でも、南先生、すっげぇカワイイっすよね。まさか17歳の女子高生とはなあ。違う意味で、メディアミックスも行けるかもしれないっすね」

 船越がゲラゲラと笑った。

「最近の女の子はわからねえな」 

「宮本さんの娘も、理解不能っすか」

「どこで誰と何してるかもわからん」

「あーコワイっすね。俺がつるんでるジョシダイセーもヤバいっすよ。ネットで生放送してたり、彼氏がオッサンだったり、薬キメてたり。未知との遭遇っす。でも」

「なんだ」

「年とっても、女はコワイっす」

「知ったような口を聞くな、ワカゾー」





「末永出版のコメント取材の回答、見させてもらいました」

「はい」

「いくつかコメントを付記してるんで、参考にして、修正してもらえば」

「ありがとうございます」

「他にも上がっているのがあれば、すぐにチェックします」

「あ、それは、まだ、できていなくて」

「いいですよ。時間はかからないので、ギリギリでも大丈夫です」

「すみません」

 袖にフリルがついた紺のワンピースに身を包んだ南は、アイスティーの入ったコップを両手で握り、うつむいてる。

「若いのに、物語を書けて、きちっとした文章も書ける。本当に感心します」

「いえ、そんな」

「高校三年生、ですか。受験ですよね。志望大学はもう決めているんですか」

「大学へは行きません」

「え、もったいない」

「母のところで働きます」

 どんな、と聞こうとしたが、止めた。

「まあ、人それぞれですから。大学に行っても、遊んでる奴ばっかりですよ」

「ええ」

「俺も遊んでばっかりで、ちっとも勉強しなかったから、こんなダメ社員なんです」

「でも、立派にお仕事をなさって」

「この歳になっても下っ端ですよ。船越と違うのは名刺の肩書きだけ。給料もほとんど同じです。やってられんですよ、ははは」

 砂糖の袋を何度も折り畳んでは、広げる。

「家族もほったらかしで仕事をしてきたのに、肝心の仕事もこんなんだから」

 上手く言葉にならない。しかし、なぜ二回り以上離れている女に饒舌になるんだろうと宮本は思う。

「こんなんだから…自分が嫌になるんです」

「ええ」

「なりませんか、南先生も」

「ええ」

「どんな時に」

 南は顔を上げた。

「自分の性欲が抑えられない時に」

 口をほんの少しだけ開き、とても穏やかに、微笑んだ。

 宮本は聞き返す。

「そんな時に、どうするんですか」

「小説を書きます。そして、主人公を犯すんです、ボロボロになるまで」

 宮本の足に何かが触れた。ジーンズの上から、なめらかな肌を感じる。

「宮本さんは、そんな時、どうするんですか。抑えられないような、性欲に襲われた時」

 宮本は不思議に思う。目の前にいる女の子を犯すイメージが全く湧いてこない。むしろ、彼女に犯されるイメージばかりが湧いてくる。オークに捕まり、犯される女のイメージ。





 箸の先でぶりの照り焼きを少しづつちぎり、口に運ぶ。椀の底には、皮が綺麗に折りたたまれている。

 台所に立つ妻カオリは一心に皿を洗っている。

「最近どうされたんですか」

「早く帰ったら悪いのか」

「そんなこと」

 のあとに言葉は無い。忌々しい、何か言え、言葉にしろ、何だこの甘すぎるぶりの照り焼きは、いつからこんなに下手になったんだ。

 だが、宮本は口には出さない。きっと妻も同じだから。

「結衣子はいないのか」

「ダンススクールです」

「本当か」

「どういう意味ですか?」

「本当にちゃんと通っているのか?遊んでいるんじゃないか?」

「ご自分で聞いたらどうです?」

「聞けないから、お前に聞いているんだろう」

 その言葉に、カオリは肩を震わせ、うなじを右手で抑えた。何だ、何なんだ、俺と話すのが寒気がするほど嫌なのか。

「俺は忙しいんだから、お前が面倒をみるしかないだろう」

「止めてください」

「何を」

「その、もう、止めてください」

「だからが答えないから」

 と宮本が言ったところで、カオリは手を拭き、ダイニングを後にした。

 ああ、そうか。

 そういうことか。忌々しい。

 忌々しい。

 忌々しい。

 忌々しい。

 また、オークが頭に浮かぶ。緑色のバケモノに犯されて、散々犯されて、そのあと、巨大化して。





 脂臭い社用車が、甘い匂いで満たされていた。

「ここでいいですか」

 宮本はハンドルを握り、深く息を吸った。

「ここで大丈夫です」

 宮本がくわえたタバコは小刻みに震えている。手の汗が止まらず、心臓もバクバクと音を立てている。

「すみません」

「何に対して」

「分かりません」

 宮本はサイドブレーキに手をかけた。

「宮本さん、なぜ、私に」

「なんとなく」

「そうですか」

 南はシートに深く座り、足を組み替えた。窓から入った日差しで白い肌がキラキラと輝いている。この子は女神か何かだろうと、宮本は思う。

「内なるものの正体は、見つかりましたか」

「ええ」

「小説のままで」

「ええ。それでいいです」

「他に要望は」

「特に」

 宮本はサイドブレーキを緩め、ハンドルを切り、アクセルを踏んだ。エンジン音もなく、加速していく。

「心残りは」

「大丈夫」

 車は音もなくひたすらに加速していく。タイヤがギュルギュルと音を立て、ガタガタと車体が揺れる。先にある工業用倉庫がだんだんと近づいてくる。

「そうだ、宮本さん、ここで、決めておかないといけないことが」

「何ですか」

「名前は何に」

「アンジェラで」

「カワイイ名前ですね」





 気が付くと俺は、剣と魔法の世界に転生していた。

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