022 呪縛性リザレクション
■ 1
オレと佐倉環奈が協定を結んだ日は、オレの命日となった。
「お願いを叶えるおまじないが、本当にただ願いを叶えてくれるケースってないよね」
と、姉は言った。確か、まだ姉が高校生だった頃、大学受験で珍しく実家に帰ってきていたときだったと思う。どんな話題から話に至ったのかは、もう覚えてない。
「ジェイコブスの猿の手はあまりに有名だよね。願いを叶える猿の手に、ホワイト夫妻はあまりに高すぎる対価を支払ったけれど、何も得られなかった。ヒラメが願いを叶えると海は荒れるし、ガチョウのお腹に金塊はないの」
ヒラメとガチョウはよくわかんないけど、猿の手は聞いたことある。確か、願いを叶えてくれるアイテムだけど、願いの対価が必要なんだっけ。雨を降らせるためにプールの水抜いたり(そんなことってある?)
「要するに、願いには代償が必要ってことだよ。でもそれって、ただの現実だよね。夢がないよね」
夜舞坂高校七つ怪談の一つに、けむりかみってのがある。
校舎裏の使われていない焼却炉の戸を叩くと、中からノックが返ってくる。そこで、「願いを叶えるにはどうしたらいい?」と尋ねると、アドバイスをくれる。そのとおりにすれば、必ず願いは叶う。
オレはその怪談に関わったことはない。
噂に伝え聞いている範囲のことを語るならば、けむりかみの被害者は二人。一人はけむりかみを実際に試してうまくいきすぎてしまった女子生徒で、願いの内容は「好きな先輩がレギュラーに入れるように」だ。その結果、レギュラー入り確実だった男子が大怪我を負って、入院してしまう。
結果、と表現してみたものの、実際のところ、その事故がけむりかみの結果なのかはわからない。確かめられない。事故そのものは不運としか言いようのないもので、その背後に「誰かの呪いがあった」と言われればそうかもしれないと思ってしまうような。
怪我をした男子に代わってレギュラー入りした三年生はすでに卒業してしまって、けむりかみに願った女子は退学してしまった。そして、怪我をした男子だけが、後遺症をわずかに残したまま、サッカー部に残っている。
■ 2
「
「まあ、一応知ってるけど」
煙紙、という字は知らなかったが。
「また流行ってるんですよ。合わせ椅子の次は煙紙。ね、佐倉さん」
「流行ってる」
「ほら。ねえ先輩、ほっといて大丈夫ですかね」
「オレに聞くなよ……」
氏原とオレ、それから佐倉環奈が部室に残っていた。放課後の写真部室である。
連結した椅子に寝そべってだらしなく腹を出した氏原が、スマホをいじっている。佐倉環奈は中空を凝視していて、オレは自前のパソコンで写真を整理していた。
佐倉環奈は最近、見違えるようにまともになった。少し前に浅葱さんと仲良くなってから、彼女に無理やり風呂に入れられたりしてるらしい。制服も定期的に洗濯されてるとか。お陰様でぼさぼさだった髪はきれいになったし、薄汚れた制服を着ていないおかげで普通にも見える。
佐倉環奈を「まとも」にするのが、浅葱さんの今の目標らしい。
けど、髪を整えて制服を洗っても、佐倉環奈の本質的な異質さは消えない。
「煙紙ねえ。どんな噂?」
「えーっとですねえ」氏原がスマホから目を話して、ふわふわと視線をさまよわせる。話を整理するときの彼女の癖だ。「特別棟の屋上で、願い事を書いた紙を燃やしたら、願いが叶うらしいです。屋上っていうか、
ああ、うん。わかる。あれ塔屋っていうのか。
特別棟の塔屋って、貯水タンクとかあるやつだっけ。
「そもそも特別棟の屋上って行けるんだっけ?」
「鍵壊れてるらしいですよ。試した人もいるっぽいですけど、別に願いが叶ったっていう話は聞かないですね」
そもそも、オレが知ってる話と違うな。焼却炉はどうした、焼却炉は。
「確かに、流行ってる」
佐倉環奈が口を開く。
「やった人、いる。叶わなない、不満、持ってた」
「そもそも怪談に頼って願いを叶えるなよ……」
自分の力でがんばれ。猿の手に頼ってもろくなことはないらしいぞ。
「気持ちはわかりますけどね」
氏原がぼやいた。体を起こして、うーんと伸びをする。暑いからと裸足になって胸元を
「なんかこう、願いを叶えるって一口にいいますけど、いろいろありますよね。絶対に叶わない願いを叶えたいってこともあるし、自分は責任を負いたくないってこともあるし。ちょっと願ってみるなんて、普通のことなんでしょうけど。七夕で短冊に願い事を書くみたいな?」
「ああ、絵馬とかね」
「ですです。それは罪じゃないですよね。手順が一般的でないだけの願掛け」
確かに。
……そもそも、仮に煙紙に願いが叶ったとして、それは煙紙によって願いが叶ったって言えるのか?
あれ? なんで煙紙で崩也に怪我をさせた女子は退学したんだ? どうして、自分の願いのせいで崩也が怪我をしたと思ったんだ?
一眼レフを取り出してレンズをセットする。氏原の方に向けると、ピースしてくれた。地味に顔の角度もいい感じだった。流石に慣れてる。
「どうですか、日が指して可愛くなっちゃいましたか」
確かに、夕日がちょうど氏原の体を照らしていて、柔らかい印象だ。
「めちゃくちゃいい。さすが氏原」
カメラマンは被写体を褒めるものだ。そのほうがいい表情をしてくれる。続けて撮っていると、いくつかポーズをとってくれた。
二十枚くらい撮影して、満足してカメラを収める。SDカードからデータをパソコンに移すと、氏原がこちら側にパイプ椅子を引っ張ってきた。
「お、いい感じですね。私ってば可愛いなー」
いくつか特に写りの良いものを選んでレタッチする。
「あのさ、使われてない焼却炉ってあったっけ?」
「あー、ありますね。たしか、ここから見えるんじゃないですっけ」氏原が部室の窓を開けて、身を乗り出す。「あれです、あれ。ほら先輩」
作業を中断してついていくと、たしかにあった。ブロックで組まれたゴミ捨て場之隣に、赤錆の浮いた黒っぽい焼却炉だ。使われているような雰囲気は一切ない。
「今って、ああいう小さい焼却炉使っちゃダメなんですよね。中学校のときに理科で習いました」
なんだっけ、ダイオキシンがどうこうっていうやつだっけ。
写真部室は特別棟の三階にある。焼却炉の正面は、ちょうど特別棟の階段がある位置だ。したがって、その情報には塔屋――屋上の出っ張った部分があるわけで。焼却炉の正面に立って校舎を見上げれば、事実上、塔屋を見上げるような格好になる。
これは偶然の一致だろうか?
塔屋の上で紙を燃やすという噂話と、焼却炉に願いの叶え方を尋ねるという噂話。どちらが正しいのか。……もしかしたら、どっちも間違っているかもしれない。あるいは、両方が正しいという可能性もあるか。
「先輩、もう私帰りますけど、先輩はまだ残ります?」
「あ、うん。オレも帰るわ。ちょっとまって」
ノートパソコンを閉じてかばんに突っ込んで、肩に背負う。佐倉環奈も立ち上がって、オレの後をついてきた。
「環奈ちゃん、先輩のどこがいいの?」
「静かなところ」
「ええ、騒がしくない? 静かではなくない?」
「ううん、静か」
女子の会話を無視して前を歩く。
「あ、そうだ先輩。煙紙、なんかまたやらないんですか。噂話で世論誘導みたいな」
氏原が言っているのは、合わせ椅子の事後処理のことだ。少し前に合わせ椅子という七つ階段の被害者を助けたとき、オレの提案で一年女子の間に流れる噂話をアレンジしてもらった。それを率先して流布してくれたのが、氏原と浅葱さんだ。おかげで、合わせ椅子の次の被害者は出ていないらしい。佐倉環奈が言うには、だが。
氏原はそうやって噂話をいじるのが面白かったらしい。
「様子見かな。今回は別にやらなくていいと思ってるけど」
まだ決められない。ただ、崩也の怪我の原因だという煙紙を放っておくのも気障りだ。
「先輩、そんなこと言ってまた環奈ちゃんがなにかひどい目にあったらどうするんですか。後輩女子を可愛がる甲斐性ってものはないんです?」
「後輩女子は可愛いけど、別に甲斐性はねえよ」
■ 3
校門で氏原と別れて、佐倉環奈と二人でグラウンド沿いを歩く。途中、崩也に声をかけられた。
「何お前、どうしたの?」
佐倉環奈をチラチラ見ながら聞く崩也に、
「いや後輩を駅まで送ってんだよ。写真部の後輩。佐倉環奈だよ」
「まじ? え、聞いてたのと違うじゃん」
崩也が言っているのは、佐倉環奈の外見のことだろう。まともになった姿は、彼女にまつわる噂からイメージする姿とはかけ離れている。数週間前までは噂通りだったので、別段、噂が間違いってことじゃないんだが。
「噂は噂ってことだろ」
と、説明を端折った。
挨拶もそこそこに崩也と別れて、駅までの道のりを歩く。学校から駅まではそう離れていない。数メートルの歩道を歩いて、横断歩道を渡ればもう駅だ。信号待ちをしていると、佐倉環奈が袖を引っ張った。
「ん? どうした?」
「お兄ちゃん、見つかった」
「まじで?」
頷く佐倉環奈。
佐倉環奈の兄は数ヶ月ほど失踪していて、兄探しのために坂上さんのバイトしてる探偵事務所にこいつを連れて行ったのが二週間くらい前だったはずだ。もう見つけたのか、すごいな。
「お兄さん、無事だったのか」
「大丈夫。あなたに会いたいって」
「なんで?」
「お礼したいって」
「あー、別にいいよそんなの。大したことしてないし」
そう言うと、佐倉環奈は少しだけ俯いた。
……仕方ない。
「ちょっと顔合わせるくらいなら。……ほら、もうだいぶ遅い時間だしな」
「ん」
小さく、けれど嬉しそうに頷いた佐倉環奈。こいつ、表情豊かになったなぁ。
佐倉環奈の案内で彼女の家に向かう。高級そうなマンションの一室だった。ファミリー向けの、4LDKとかありそうなタイプだ。
鍵を開けて中に入る。照明はついておらず、真っ暗だった。佐倉環奈は玄関の照明スイッチを操作して、廊下まで明かりをつける。
「お兄ちゃん、ただいま」
あれ? いるのか。真っ暗だったから、留守にしてんのかと思ったけど。
自分の部屋に籠もってんのかな。
「おじゃましまーす」
挨拶しつつ、佐倉環奈についていく。
廊下を真っ直ぐ進むと、キッチンダイニングだった。ただし、とても散らかっていた。生活力のない人間がだらしなくつかった跡。光が弱くなった蛍光灯の青白い明かりが、かつて暖かだったダイニングを寒々しく照らす。
その中心にあったのは、ロッキングチェアだった。革張りのロッキングチェア。白っぽい革で、骨組みは黒く塗られていた。異様な存在感のあるその椅子に、佐倉環奈はしなだれかかるように座る。
「お兄ちゃん、ただいま」
陶然とした息を吐いて、佐倉環奈はそう言った。
なんて言った?
「うん、そう。この人が、俊晞。お兄ちゃんを見つけてくれた人だよ」
「そういうのじゃないよ。先輩だよ」
「大事な人だけど、そういうのじゃないから」
「うん、聞こえないの。だから安心。ねえ、俊晞。お兄ちゃんが、ありがとうって言ってる」
「俊晞? どうしたの? お兄ちゃんが、こっちにきなよって言ってる。テーブルの椅子、使っていいよ」
「ねえ」
「それは、どんな気持ちのときにする顔なの?」
逃げ出した。
椅子と会話している佐倉環奈を見て、オレは逃げ出した。自分が何に怯えているのかなんて全くわからない。恐ろしくて、怖いものに触れた。恐怖が触覚に残っていた。ざらついた世界に触れたという
佐倉環奈は兄と会話していた。
つまり、あの椅子は兄なのだ。
兄から作られた椅子。
失踪した佐倉環奈の兄は、椅子にされた。そして――そして、佐倉環奈は、椅子になった兄と会話している。
佐倉環奈に異常な力があることは知っていた。せいぜい、些細なテレパシーとか、精神感応の一種だと思っていた。それはきっと、正解だったのだろう。
能力はいい。
そういう力もあるだろう。
世界はまだ未知の領域を残している。
だけど、椅子になった兄と、テレパシーで平然と会話できる、そしてそれを部外者であるオレに見せる、それはもう椅子になった兄のことを受け入れてるってことじゃないか。
飲み込んでしまっているということじゃないか。
大切な人が殺されて椅子にされて、それでも会話できれば良い、なんて。
そんな世界観で生きている存在は、オレの知っている人間じゃない。
髪を整えて制服を洗っても、佐倉環奈の本質的な異質さは消えない。
本質的な異質さ、だって? オレはなにを知って、そんなことを思っていたんだ?
逃げ出した。
逃げ出して、逃げ出して、逃げ出した。
かろうじてかばんだけは掴んでいた。マンションのエレベーターが到着するのを待てずに、転がり落ちるように階段を降りて、エントランスの自動ドアが開くのが遅くて、何度も叩いた。呼吸がおかしくなって、肺は痛い。いつ擦りむいたのかわからない傷がいくつもできていた。
気づいたら、オレはどこともしれない住宅地で、公園の茂みの足元に倒れ込むようにして、ただただ何かを飲み込むように呼吸を整えていた。
そして吐いた。結局、飲み込めなくて吐いてしまった。
気絶して、意識を取り戻した時は、すでに朝だった。
■ 4
なんとか帰宅して、シャワーを浴びる。
母さんにめちゃくちゃ怒られたけど、ぼんやりと聞き流した。何も言わないオレに業を煮やしたのか、オレが学校に遅れてしまうのは良くないと思ったのか、まあとにかく学校に間に合う時間で解放された。
誰かにぶちまけたい気持ちと、誰かを巻き込みたくない気持ちがぐちゃぐちゃになっている。
グラウンド沿いを歩きながら、朝練しているサッカー部を眺めた。なんとなく足を止める。
「あの」
「……ん?」
最初、声をかけられていると気づかなかった。フェンスの向こうに、ジャージを着た女子生徒がいた。一年生だ。ジャージには、内崎と刺繍されている。
「あの、龍宮先輩とどんな関係ですか」
「友達だけど」
「いつも仲良さそうですね!」
「まあ、友達だから」
「……そうですか。ありがとうございました」
去っていった。
……何なんだ?
教室に入る。いつもは重苦しいと感じる空気も、今は少しだけ軽い。少なくとも
どんなに陰鬱であっても、日常は日常らしい。薄暗い湿っぽさに救われる日が来るとは思わなかった。自分の席に座って、ため息を吐いた。
授業は耳に入らなかった。
別に、真面目に勉強してるわけでもない。
考えの整理はつかなかった。
考えることを拒絶していた。
ぼんやりと中庭を眺めて時間を潰す。日常――平穏。そういうものが崩れる音がしそうで、恐ろしかった。中庭の向こうにある特別棟が目に入る。煙紙。願いを叶えるおまじない。崩也が怪我をしたきっかけ。
きっかけ?
煙紙によって、崩也が怪我をしたってことか? 本当に?
願い事をして、それが叶った。だったら、願ったから叶ったのだ、と考える人間はどれくらいいるだろう? オレもその一人だろうか?
……特別棟から飛び降りた人間が潰れて死ねば、それは飛び降りたから死んだのだと誰でも思うだろう。窓の外をぼんやりと眺めて、目に入った特別塔の塔屋から、そんな連想をした。
願ったから叶ったという理解と、飛び降りたから死んだという理解の間に、どれほどの距離があるだろう。結局の所、因果関係に納得できるかどうかという点に尽きるのだから、言ってしまえば、納得するに足る因果関係が補完されれば、飛び降りたから死んだのではなく願ったから叶ったのだと、解釈することは容易になる。
特別棟の塔屋に、女子生徒が立っているのが見えた。手になにか黒いものを持っている。すぐに影に消えたが、たしかに誰か立っていた。
オレは思わず立ち上がって、廊下に出る。教師がなにか喚き散らしたが、無視した。渡り廊下を走って、特別棟に移動し、階段を駆け上がる。鍵は壊れていた。梯子を登って、塔屋の上に。
女子生徒が立っていた。髪の短い女……いや、長い髪を切ったのか。手に髪の束を握っている。彼女はオレを認めて、驚きに目を見開いた。
「やめろ」
短く言うオレに対して、彼女は睨みつけることで応じた。そして、火を付ける。
「龍宮崩也の友人が、死にますように」
束ねられた髪は、群青色の炎に包まれる。甘ったるい匂いが充満し、影が差した。見上げると、黒い煙が渦を巻いて、その中から蛇のような、粘性の、何かが降りてくる。
同時に、突風が吹いた。
特別棟の塔屋には落下防止のためのフェンスが施されていない。風に煽られたオレは、そのまま、強い力に引っ張られて、校舎裏のほうに吹き飛ぶ。見えない手に掴まれて、放り投げられたように。
そうして、落ちた。
空気が背中を支えているように錯覚する。ぞわぞわと胃がひっくり返りそうになる。落下し続ける時間は引き伸ばされていく。
女子生徒は髪を燃やしていた。つまり、けむりかみとは、煙紙ではなく、煙髪だったのか。噂話が変化している。これは偶然だろうか。偶然というより――意図を感じる。何者かの意図を。
そうだ。
おかしい。
そもそも、おかしいんだ。
新任教師である上連が笹舟を知っていることも、
忌避されたはずの七つ階段が一年生の間で流布することも、
実際に合わせ椅子を試す女子生徒が出ることも、
正しい煙髪のやり方を知っている女子生徒がいることも、
全部、おかしい。
不自然だ。不合理だ。
誰かが――誰かが、意図的に七つ怪談を広めている。
そこに悪意以外の何があるのだろうか。
誰だ。
オレの日常を壊そうとしているのは、一体誰だ?
地面が、背中にぶつ あ―― カ――――ふ、あ
「ああああああああああ!」
叫んだ。思わず叫んだ。なんで? オレ、生きてる? 呼吸してる。尻餅をついていた。濡れてる。大量の血で濡れてるけど、生きてる。痛くない。なんだ、何が起こった? 思わず上――塔屋を、特別棟を見上げる。空から伸びた黒い蛇のような粘性体は、返っていく途中だった。
消えて、そして影の指した校舎と、青い空があった。
「なんで帰った?」
佐倉環奈が立っていた。ただ、髪が短くなっている。
ああ、そうか。煙髪に願ったのか。俺の蘇生を。
「なんで昨日、帰った?」
「……いや、あの」
佐倉環奈はオレを見下ろしたまま、問い詰めた。恨むような目でオレを見る。……なんて言うのが正解だろうか。佐倉環奈は、怒っていて、
――そして怯えていた。
怯える? 何にだ。
「私が、怖い?」
――――。
もしかしてこいつ、ひょっとすると、オレに怖がられるのが怖いのか。オレ個人に、というよりは、他人に怖がられることが怖いのだろうか。忌避されていても、攻撃されていても平気だけれど、怖がられることだけは受け入れられないのだろうか。
佐倉環奈にも怖いものがあるのか。
「はは、あはははは、」
そうか。
佐倉環奈は、怖いもの知らずの恐ろしい女ではなく、他人に嫌われるのが怖い後輩の女の子だったのか。
怖いものがある女の子なら、優しくしてやらなければ。
「はは、はあ。怖いわけねーだろ」
オレは虚勢を張って立ち上がる。血でベタついた体が重い。これ、オレの血だろうな。これだけ出血してて生きてるなんて、煙髪が何でも願いを叶えるというのは本当らしい。
「後輩の女子とか、可愛いだけだろ」
「そう」佐倉環奈は短く言った。「じゃあいい」
ひどく安心した表情で、佐倉環奈は小さく息を吐いた。
「助けたのは貸しだから。私の髪に感謝して」
「ああ、うん。ありがと」
短くなった髪と、右手のカッターナイフ。切り口でボロボロにほつれた髪が痛々しい。
再び特別棟を見上げる。女子生徒はもう立ち去っただろうか。あの蛇を見て、二度と煙髪には手を出さないだろうと、今は祈るしかない。だけど、次の実践者が出ないとも限らない。
合わせ椅子のように、何らかの対処を施すべきだ。その方法については、今から考えるとして。
「お前さ、手伝えよ」
「なにを?」
「悪党退治。ヒーローになろうぜ」
「……いいよ。手伝って、あげる」
■ 5
こうして、
オレと環奈が協定を結んだ日は、オレの命日となった。ただし、オレは生きている。
血でべたべたの制服は脱いで、ジャージで帰宅することにした放課後。
グラウンド沿いを環奈と二人で歩いていると、崩也が近づいてきた。挨拶もそこそこに、オレは尋ねる。
「去年退学したサッカー部の女子マネいたじゃん。なんて名前だっけ?」
「あ? 内崎春香だよ。それがどうかした?」
「いや、別に。なんで退学したんだろって」
「知らねえけど……。なんか、ノイローゼとか、うちのカウンセラーでも手に負えなかったらしいぜ」
「そっか。……なあ、なんでお前の怪我って、煙髪のせいってことになったんだっけ」
そう尋ねると、崩也は口元を歪めて眉根を寄せた。
「通りかかったトラックに引っ掛けたんだけどさ、一緒にいたやつが見たっていうんだよ」
「何を」
「髪の毛。俺の足にまとわりついてた、青く燃える髪の毛」
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