020 詐言性アトーンメント
■ 1
小さな学習塾の向かいにあるファミリーレストランで、ぼくはぼんやりとコーヒーを啜っていた。
テーブルには数学ノートが置いてある。ぼくのものじゃない。保坂さんのものだ。三日――彼女が行方不明になる直前、彼女に貸してもらったままになってしまった。
このノートを返さなければならない。
いや、けれど、ぼくにだってできることはあるかもしれない。保坂さんは行方不明になって、事件になっていないなんてことはありえないと思う。ぼくにとって保坂さんは、とても可憐で、真面目で、一生懸命な人だ。他の不良娘共とは違う人なんだ。だから、保坂さんが行方不明になれば、大事件だし、ご両親だって心配するし、警察だって血眼になって探すと思う。けど、もしかしたら、ぼくが見ているのは保坂さんの一面かもしれない。もしかしたら保坂さんはそのへんの高校生とセックスするような女の子かもしれないし、彼女にお金を払うおじさんがたくさんいるかも知れないし、両親とは不仲で外泊ばかりかもしれないし、行方不明になっても誰も探してくれないような孤独を抱えているかもしれない。そしてぼくは、保坂さんのことを本当には知らない。ぼくだけじゃなくて、だれもがだれかのことを本当には知らない。だから、保坂さんを見つけたいのなら、やっぱり、ぼくが行動しなくちゃいけないんだ。すくなくともここに一人、保坂さんのことを探している男がいるんだって、そう主張し続けることが、ぼくにできることだ。ぼくのこの等身大の気持ちを、だれが否定できるだろうか。
ぼくはノートを取り出して、せっせと地図を書いた。保坂さんが通っていた塾――ファミリーレストランの向かいに見える学習塾から、保坂さんの家までの地図を書く。コンビニでこの辺の地図も買ってきて、要所を書き写していく。保坂さんが寄り道しているかもしれないが、まず最初は、家までの道順に不審な場所がないか調べていくべきだろう。
深夜二時。ぼくはノートをまとめ終えて、ファミリーレストランを出た。
■ 2
おれがこの子を手に入れたのは、もう一週間前になる。道を歩いていたら明かりの付いていない古臭い建物に入っていくのが見えたもんで、後をつけたんだ。ここは今は人が住んでない空き家だってことを、俺は知っていた。で、この子はどうやらこういう場所に出入りするのが趣味だったみたいで、その場で犯してやった。はは、怖いもの見たさで死ぬ馬鹿ってのは、どこにでもいるもんだ。
薄暗い裏路地をまるで自分の家かのように錯覚してる、緊張感のない連中。本当はそういう場所は、俺のようななんの後ろ盾もない、やり放題の人間の場所だっていうのに。
この子の名前は保坂
おれは思うんだ。おれとこの子の違いはなんだったんだろうって。それはさ、きっと想像力なんだよ。もちろんおれは馬鹿だよ。学はない。物覚えも悪いし、仕事もしていない。体格はいいけどさ、そりゃあ体重があるって意味で、別に腕っぷしがあるわけじゃない。相手に格闘技の経験でもありゃあ、体格差なんてひっくり返されるくらい、弱っちいさ。けどな、自分が行っちゃいけない場所、危険な領域ってのはさ、ちゃんとわかってるんだ。そういう、動物みてーな想像力、現実的な予想っていうのかな、そういうものが働く人間でいる限り、滅多なことでは危険な目には合わないんだよ。もちろん、事故やミスってのはあるにしても、だ。友梨ちゃんみたいに、俺が背後から付いてきてるのに気づかず、こんな廃墟でぼやっと座り込んだりはしないってことだ。
想像力だよ。
それは武器だ。身を護るのに武器ってのは変な話じゃない。いつだって、身を護るものは武器なんだ。
友梨ちゃん、すごい良い身体してたからなぁ。きっとこの子を好きな男子とかいっぱいいたんだろうな。おれみたいなのに犯られちゃって、もったいないなって思う。まあでも、まだ生きてるっぽいし、別に生きてりゃいつかいい相手とセックスできることもあるって。
もぞもぞと芋虫みたいにすすり泣いている友梨ちゃん。
まあそりゃそうだよな。こんな五十に届くようなおっさんに、しかも家も職もないようなくっさいやつに、のしかかられたりなめまわされたり、どんな罰ゲームだよって思う。おれが友梨ちゃんだったら嫌だし、友梨ちゃんが例えばおれの友達だったりしたら、おれは多分、自分の人生に価値がないことをいいことに、そんなことしたやつをぶっ殺しにいくよ。でもさ、そうはならなかったからなー。
おれは思うんだよね。人と人の出会いってのは本当に奇妙なもんだって。すべての人間が純粋な悪人だったり、純粋な善人だったりはさ、しないんだよ。組み合わせなんだ。例えば冬の寒さに参ってるおれにさ、見かねた友梨ちゃんが缶コーヒーをくれて、代わりにわたしの悩みを聞いてくださいなんて言っていればさ、おれにとって友梨ちゃんはかけがえのない娘だったんだ。もしそうだったなら、おれはどんなに善人だっただろう。けれど実際には、無防備な友梨ちゃんを見つけたのはなんのストッパーも持たない男としてのおれだったわけで、おれだってさ、何も知らない相手がひとりきりで人気のない場所にいたら、そりゃあ好き放題やるよね。最高だったなぁ。
いかん、興奮してきた。友梨ちゃんの手足は折ってあるから身動き取れないんだけど、近づくと首を振って少しでも抵抗しようとする。まあ、一回も二回もかわらないし、そもそもおれはもう、ほら、あれさ。
友梨ちゃんにとって悪人だからさ。
■ 3
ぼくがその場所を発見したのは、保坂さんが行方不明になって二週間が経過した頃だった。ツツジの木が目立つ洋館。このあたりはかつて高級住宅地だった地域で、ぼくみたいな貧乏学生があるきまわることは殆どないんだけど、保坂さんの家はそのあたりのマンションにあって、だから、この洋館の前を通るのは不自然なことじゃない。
この洋館、近所の人に聞き込みをしたところ、今は人が住んでいないみたいだ。要するに、放置されているってことだ。これはぼくの直感だけど、保坂さんはここにいるんじゃないだろうか。やっぱり、保坂さんが通学路から離れて、それも夜遅くに出歩くとは思えない。それにこの洋館、門の扉は立て付けが悪くて開きっぱなしになっていた。ひっそりと入ることができる。
ぼくは門の奥に足を踏み入れた。不思議と怖くはない。保坂さんを探したいぼくの気持ちが、勇気をくれるんだろう。玄関の扉は閉まっていた。ぼくはしばらくそのあたりを散策して、裏手に回り、勝手口を見つける。ここからなら中に入ることができそうだ。
洋館は当然だけど薄暗かった。厨房や本棚のある部屋が一階にはある。一応見て回ったが、保坂さんはいなかった。ぼくは息を殺しながら、二階に進む。ぎしり、ぎしり、と床板が鳴る。二階の部屋のうち一つを開くと、そこには保坂さんがいた。
「保坂さん……!」
懐中電灯の光で照らしながら、保坂さんに近づく。身体は
「……どうして、ここがわかったの?」
「保坂さんの通学路を、何度も往復したんだよ。それで、ここが怪しいって思ったんだ。保坂さん、早く病院に行こう。ひどい怪我だよ」
「いや、まだだめ。ここから出たら、お父さんとお母さんも狙われちゃう」
え、どういうことだ。
お父さんとお母さん? それって、保坂さんの? ぼくは周囲を見渡す。保坂さんのカバンと、学生証が散らばっていた。……たしかに、学生証には住所も書いてある。控えられていたら、保坂さんをここに監禁している人物が、報復に来るというのだろうか。
そう尋ねると、保坂さんは弱々しく頷いた。青白い顔からは、強い恐怖が伝わってくる。ぼくは身を震わせた。ただここから保坂さんを連れ出すだけじゃダメなんだ。そうだ、ぼくが保坂さんを救わなくちゃ。
これは、ぼくと犯人との対決なんだ。
手始めにぼくは、保坂さんに治療を施した。素人の治療なので、ないよりマシ、っていうくらいだと思うけど、保坂さんはホッとしたような表情になった。
「ありがとう、ずっと痛かったの」
「ごめん、これくらいしかできることがなくって」
「ううん、いいの。見つけてくれただけで」
そう言って健気に微笑む保坂さん。なんていい子なんだ。
作戦を考えよう。まず、武器を持ち込む。それから、この部屋に入ってくる人間がいたら、不意打ちで攻撃する。これだ。ぼくは早速、計画をノートに書いた。
■ 4
豚みたいなガキが友梨ちゃんの部屋にいたので、とりあえず木切れでぶん殴って気絶させた。腕を縛って、適当にその辺にあった椅子に縛り付ける。これで動けないだろ。
ガキが床に広げてたノートには、「保坂さんを救うには」と書かれている。バットとかスタンガンとか、武器を調達しておれを倒すって算段だったらしい。笑えるな。そんな事するくらいなら警察に通報すりゃいいんだよ。少なくとも、おれが塀の中にいる間は友梨ちゃんの安全が保証されるんだからよ。
友梨ちゃんを抱きかかえて、ベロベロと舐め回しながら動かす。やっぱりいいなぁ、友梨ちゃん。
隣でぐっすり寝てる白豚は、一体何がしたかったんだろうな。いや、そりゃあ友梨ちゃんを救ってヒーローになりたかったんだろうけどさ。無理だろ、どう考えても。というか普通、女の子がぼろぼろになって倒れてるの見たら、まず逃げるだろ。次に警察だろ。頭おかしいんじゃねえのかな、このガキ。
そりゃあさ、逃げたら家族も殺すよって脅したけど。実際それがどれだけ大変だと思ってるんだろうな。まず一人殺せば警戒されるし、普通に逃げられるわけで。きっちり全員殺そうと思ったら、一方的に有利な状況でボコボコにしないといけないだろ? そうなると、もう、おれみたいなただのおっさんには難しいんだわ。
もちろん何年も時間をかけて殺していくっていう考え方もあるけどさ、それもそれで大変なんだよ。通りすがりの女にどれだけ執着してるんだって。そりゃあ友梨ちゃんは可愛いけどさ、別に本気で逃したくないわけじゃないんだよね。一応釘を差しておくかってくらいで。ていうか、ここにこの豚と一緒に放置してたら、両方死ぬだろうしな。発見される頃にはおれは遠くに逃げてるってわけよ。
まあいいや。
友梨ちゃんも使い終わったので、床に転がしておく。
さて、とりあえず飯でも食いに行くかな。この場所で飯を食うのは下策だからなー。痕跡が残ると、トラブルを招く。友梨ちゃんを使うときだけここに来るのが、一番賢いってわけよ。
■ 5
目を覚ます。真っ暗だ。凄まじい腐臭がする。真っ暗だけど、月明かりが差し込んで、少しだけ部屋の中が見える。保坂さんが眠っていた。それから、ぼくは手足を縛られて、椅子にくくりつけられている。これじゃあ身動きができない。ズキン、と頭が痛む。殴られたのか……。殺されなかっただけ、マシだ。
「中村くん、大丈夫?」
保坂さんが細い声でそう言った。よかった、まだ生きてる。ぼくはホッとして、彼女に答える。
「大丈夫だよ、保坂さん。ぼくがきっと、出してあげるから」
「無理しないでね」
ああ、保坂さん。なんて優しいんだ。自分だってぼろぼろなのに、ぼくを心配してくれるなんて。きっと彼女を救わなければならない。そのためには、あの男を撃退しなければ。きっとあの男はまたここにくる。
窓の破片を見つけて、それでロープを切った。それからすぐに保坂さんのロープも解く。
「ありがとう」
「いいんだ。それより、早くここから出よう」
そうして立ち上がろうとした時だった。
ぎしり、ぎしり、
と床板の軋む音がした。
あいつが戻ってきたのかと思った。けれど、どうやら違うみたいだ。足音は二つある。硬い靴底がこすれる音も聞こえる。あいつの、ぺたんこのサンダルの音じゃない。ぼくは見つからないように慎重に、扉の隙間から外を覗いた。
懐中電灯を持った若い男女だった。女の方は年上のお姉さんといった感じで、きれいな人だ。作業着みたいな服を来て、ブーツにグローブをはめている。男のほうはスニーカーで、冴えない顔だ。ぼくよりはずっと整った顔で、すこし嫌な気分になった。
ぼくたちがいる部屋は、二階に上がってすぐの場所にある。その正面にある突き当りには鏡があって、男女はその鏡を後ろにして立っていた。
「あの人達に見つかったらだめだよ。中村くんがいなくなっちゃう」
びっくりした。背後に保坂さんがいたからだ。
保坂さんは決意したような顔で、ぼくを見つめる。純真な保坂さんの瞳に、ぼくの心臓が跳ねる。
「わたしに任せて、あの人達を遠くに連れて行くから、中村くんはその間に逃げてね」
「あっ」
ぼくが止めるより早く、保坂さんは部屋を出た。
保坂さんを驚いた顔で見る二人。彼女がゆっくりと歩くと、二人は距離を取るように壁際に寄っていった。すごい、保坂さん。それから二人は、ゆっくりと保坂さんを追いかけていく。
途中、一瞬だけこちらをみた女の人と目があってしまったけど、すぐに隠れたので気づかれなかったみたいだ。
よかった。ほっと胸をなでおろす。保坂さんたちが離れた頃合いを見計らって、ぼくは扉から外に出た。階段を降りようとして、立ち止まる。
あの二人組が、保坂さんに危害を加えたらどうしよう?
そうだ。あの二人に見つかっちゃダメってことは、やっぱり、あの二人も敵なのだろう。敵は排除しなければいけないし、それに保坂さんを連れ出すためにぼくはここにきたんだ。なんで保坂さんに頼ってしまったんだろう。頼っちゃダメだったのに、ぼくの心が弱いばっかりに。
がんばろう。
そう思って、三人を追いかけようと、通路の先に進もうと、そうして、だからぼくは、鏡の前に立った。
薄明かりで照らされたぼくの顔は、保坂さんを暴行してぼくの頭を殴りつけた、あの男の顔だった。
■ 6
走った。
走った。
走って、走って、走って、走った。
ぼくは――違う。ぼくは妄想なんてしてない。ぼくは保坂さんを助けるヒーローになりたかった。ぼくが助けるんだ。ぼくは、保坂さんの同級生で、数学のノートを借りて、だから返さないといけなくて、保坂さんを見守っていて。品定めしていたおれは丁度いい場所に入り込むガキが居たもんだと思って襲いかかって、抵抗されるのが面倒で殺しちまったんだっけ? あれ? だったらおれが助けたかった友梨ちゃんは死んでたのか? ぼくがころした? だとしたら二人組が追いかけていった保坂さんはだれ? 幽霊なの? ぼくはいつから妄想していた?
「妄想を現実にする、みたいな超能力は古今東西ありふれたネタだけど、実際、明晰夢と一緒で、理性的に思い通りにコントロールできるケースはレアなんだよね」
女が立っていた。シルエットだけしか見えない。車のヘッドライトを背負って立つ女は、ツインテールで、良い体つきをしていた。友梨ちゃんの感触を思い出す。腐った腹の感触は最高だったな……。
「おい瑞鳥。こいつはもう警察案件だぞ」
「わかってるって。大丈夫、ちょっと起こすだけだから」
そう言って女はこちらに向かってくる。
なんとなく嫌な予感がした。逃げようとして、足がもつれて転ぶ。サンダルでは走りにくい。ブクブクに太ったおれの腕が見える。黒く変色した血がこびりついていて、鬱陶しい。
女がおれの額に触れた。
あ、ぼくが友梨ちゃんを殺したんだ。
犯しながら殺したんだ。助けてっていう友梨ちゃんを殺したんだ。最初に殺してたんだった。その後でぼくはがんばって死んじゃった友梨ちゃんを助けようとしてたんだ。ぼくが殺したのにぼくが助けようとしてて、だからもう助けられないんだけど、あれ? 助けられないならぼくはどうすればよかったんだっけ? 数学ノートは友梨ちゃんの鞄から持ち出したものだった。借りてなんかいなかった。そもそもぼくは男子中学生じゃないし友梨ちゃんの名前だって知らなくて生徒手帳を見たんだった。ぼくは友梨ちゃんのことなんてなにもしらないし、ぼくと話してた友梨ちゃんは全部ニセモノだったんだ。
なんてこった! こまっちゃうな。これじゃあ、友梨ちゃんのヒーローにはなれないじゃないか。どうやったら友梨ちゃんのヒーローになれるだろう。
えーっと、ぼくが殺したんだから、そうだ。ぼくを捕まえればいいんだ!
「ぼくが殺しました」
おれはそう言った。
「ぼくが殺したんです。おまわりさん、ぼくが殺しました」
「ぼくが殺しました
「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました
「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました
「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました
「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました
「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました
「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました「ぼくが殺しました
「ぼくが殺しました
。」
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