015 展望性ナーサリーライム

■ 1


 ぼくが住んでいるマンションについて話そう。

 この建物はそこそこ古いものの、天門大学からほど近い場所にある、言ってしまえば学生向けの安アパート然とした、マンションである。以前、マンションとアパートの違いはなんだろうとゆかりちゃんと話したことがあるのだけれど、どうやら厳密な違いはなく、アパートと呼ばれていればアパート、マンションと呼ばれていればマンションということだった。ただし傾向として、単一の建物はマンション、同タイプの複数の建物があればアパート、と呼ぶような傾向があるとか。一般的なイメージとして、マンションのほうが高級感がある、という側面も外せないだろう。

 ぼくの部屋は一〇〇三号室だ。このアパートは十一階建てで、つまりほとんど最上階に近い場所に入居しているということになる。年季の入ったエレベーターはぎしぎしと不吉な音を立てることがあるし、誰が住んでいるのか知らないが変なものが落ちていることも少なくない。例えば吐瀉物とか、あるいは名刺の束、古めかしい眼鏡、本、髪の束なんかもあった。そんなにしょっちゅうではないけれど、そういうことがあるので、友人を招くのはものすごく気が引ける。

 古いものの、部屋は広い。ワンルームはワンルームなんだけど、洗面所がしっかりとあり、キッチン周りも広く作られている。正直持て余しているくらいだ。いのり先輩みたいに、本棚でも置こうかな。本棚を置いたところで、中に入れるべき本が殆どないんだけど。

 各階には四部屋ずつあり、ちょうど廊下の中央にエレベーターが設置されている形になる。エレベーターを降りると、右手と左手にそれぞれ二部屋ずつ扉があるわけだ。共用部の通路から見える景色は文倉市のちょうど中心部に向かっていて、いくつかランドマークになっている建物も見える。逆に部屋からは住宅地が見えて、ちょうど夕方になると夕日が美しいのも悪くない。階段はエレベーターを降りて右手側の最奥にある。左手側の端から順に、一号室、二号室、三号室、そして五号室だ。要するに、五号室の正面に階段があることになる。四号室を飛ばすのはマンションではよくある配慮だけれど、実際の所意味があるとは思えない。

 僕が住んでいるのは、そういうマンションである。


■ 2


 その音楽を初めて聞いたのは、一回生の夏だったと思う。まだ彩智と親しくなる前、瑞鳥から情報収集して心霊スポットを頻繁に巡っていた時期だ。夜眠っていると、バイオリンだかの弦楽器の音色が聞こえてきた。バイオリンだか、というのは、単純にぼくに知識がなくて弦楽器の音を識別できないから、そう表現するしかないということだ。かすれたような低音が時折混ざる奇妙なメロディで、聞いていると眠たくなるんだけど、どうしてだか眠れなかったのを覚えている。その夜は悪夢を見た気がするんだけど、翌朝起きてみると妙に体がスッキリとしていて、いい気分だった。

 二度目に聞いたのは秋、十月の事件の後だ。その日も同じようなメロディが聞こえてきた。ぼくはたまたま夜更かししていて、ああ、あの音楽だとすぐに気づいた。窓の外から聞こえてくる音楽は頭の中で奇妙に反響して、ぐわんぐわんと眠気を増強していく。どうしてもやらないといけないレポートがあったので、まだ寝るわけにはいかず、だんだんとイライラしてきたぼくは、ベランダに出て演奏者がどこにいるのか見てやろうという気分になっていた。

 音はすぐそばから聞こえていた。斜め下の部屋からだ。どうやら窓を開けて演奏しているらしい。ベランダから見える文倉市の景色は陰鬱で、青白い光がいたるところに灯っていた。

 音楽は不吉なものだった。ただ、演奏の腕は良いと思った。もちろん素人の感想だから、本当に優れた演奏だったのかは、今となってはわからない。少なくとも、不慣れな演奏というよりは自信のある演奏だったと思えるし、また練習しているという感じもない。

 誰かに聞かせるための演奏。

 そういうものだと、直感した。

 とにかくイライラしていたぼくは、部屋を出て、斜め下の住人に文句を言ってやろうと思った。ひとつ下のフロアなので、エレベーターを使わずに直接階段で降りれば良い――二つの扉を飛ばして、階段を降りる。それから、階段の正面に位置するドア……九〇五号室の前に立った。

 時刻は夜の一時だ。弦楽器の演奏は未だ続いている。ぼくがインターフォンを押そうとしたところで、ドアが開いた。

「うわっ、びっくりした。あんた誰?」

「……ええと、こんばんは。十階に住んでる坂上といいます」

 現れたのはタンクトップに煙草を咥えたお姉さんだった。煙臭い。白く染めた髪をオールバックにかき上げていて、あと胸がでかい。やたらグラマラスな体つきが、目のやり場に困る。

「それで何、あんた私のストーカー?」

「あ、いえ。そうじゃなくて、演奏が煩いので止めてほしいんです。えっと、どなたかいらっしゃるんですか?」

 知らないお姉さんはぼくの言葉に眉を顰める。不愉快そうに目を細めて、じっとぼくを睨んだ。

 なんだろ、なんか変なこと言ったかな。

 がしっと、お姉さんはぼくの肩を掴む。思ったより力が強く、自然と顔が近づいて煙の匂いも強くなった。咳き込みそうになるが、我慢する。

「お前さ、もしかして耳が悪いのか? なんだお前、大学生か? ジジイってわけじゃねえよな? まだ十代か?」

「じゅ、十九です……」

「ちゃーんと聞けよ、よおーく聞け。私の部屋から音楽が聞こえるってのか?」

「え?」

 言われて、気付く。音楽は、その部屋――お姉さんの部屋から聞こえてはきていない。その隣――ぼくの部屋の真下から聞こえているようだった。いや――違う。違う。ぜんぜん違う。

 ぞわぞわと違和感が駆け上がる。

 僕の部屋は一〇〇三号室。だけど、ぼくは階段を降りる前に、二つの部屋の扉を飛ばした。一〇〇三号室の隣は一〇〇五号室で、つまり、僕の部屋の奥には扉は一つしかないはずなのに。あの扉は一体何だったんだ?

 そして、今演奏が聞こえてくる部屋。九〇五号室と九〇三号室の間にある部屋は、一体どこなんだ。

 お姉さんがぼくを押して、そのまま扉の外に出てくる。ばたんと、ドアが閉まる。閉まって、だから、ちょうどドアに遮られていた廊下が見えるようになる。そこには二つの扉があった。

「たまによお、こうなるんだな。これが。なんかさ、出るんだよ。部屋のおばけ」

「部屋の、おばけ?」

 思わずオウム返しに聞いてしまう。

 お姉さんはぼくの肩を話して、煙草を吸い、それから煙とともに深く息を吐く。

「四号室ってさあ、縁起が悪いって言われるじゃん? まあ、だからなんだろうな。四号室のお化けが出るんだ。これ多分、二階から十一階まであるんだよ。全部で十部屋。関わりたくはねえけど、煩いからさ。お前、代わりに文句言ってきてくれよ。九〇四号室に。うるさくてイライラするだろ、あの演奏」

「ええ……そんな、嫌ですけど」

「なんでだよ。演奏に文句言いに来たんだろ? じゃあいいじゃねえか」

 そう言われると反論の余地はない。いや、もちろん部屋を出る前にこのことを知っていれば、文句なんて言おうと思わなかったのは間違いない。この頃のぼくはまだこういった怪異現象に慣れていなくて、だから必要以上に怖気づいたというのもあるだろう。

「じゃあお前、代わりに酒盛りに付き合えよ。演奏が止むまで私の気を紛らわせろ」

「勘弁してください。レポートあるんですよ。仕上げないと単位がやばいんですって」

「良いだろ、単位の一つや二つ。私の命令とどっちが大事なんだよ」

 むちゃくちゃだなこの人……。学費払ってくれんのかな。それだと嬉しいんだけど。

「わかったわかった、私もついていってやるから。ほら、行けよ。後ろで見ててやるって。大丈夫、ヤバそうだったらソッコーで逃げようぜ。私、みてわかると思うけど足は速いんだ」

「ぼくは足遅いんですけど」

「残念だったな」

 見捨てる気マンマンじゃねえか。


■ 3


 不吉なるその部屋のナンバープレートには、九〇四号室と刻印されていた。ないはずの四号室、である。とすると、ぼくの部屋である一〇〇三号室と一〇〇五号室との間にも、一〇〇四号室が現れているはずで、そこは一体何者が住んでいるのだろうか。少なくとも、楽器を演奏するようなものではないようだけれど。

 まあ静かなら何でも良いか。

 ともかく問題は九〇四号室だ。

 ドアに変わったところはない。強いて言えば、九〇四号室のドアの前から見る街の景色は少しだけ違和感があったという感じだろうか。何か、普段ないようなものがみえるというか、あんな灯りあったっけ? みたいな違和感を感じる。けど街の景色について深く考えても良いことはないと思い直し、ぼくはドアに改めて向き合った。

「ほれ、インターフォン」

「……はい」

 命令される子分のようである。このお姉さんみたいな体育会系のノリは苦手なので、正直ゲンナリしている。しかも、今から謎の怪異と対決しなければならないのである。十月の件で懲り懲りだったぼくは、この時点でかなり疲れ切っていたように思う。

 インターフォンを押す。

 しかし音は鳴らない。代わりに、演奏が止んだ。

「…………」

「演奏止んだな」

「ええ、はい。止みましたね……。これって、大丈夫なんでしょうか」

「私が知るかよ」

 と、お姉さんが言ったところで、演奏は再び開始された。中断したところから、単に一時停止していたかのように普通に。

 お姉さんが再び深く息を吐く。煙草臭い。

「だめだこりゃ」

 そうですね。

 うーん、なんというか、いまいち緊張感がないな……。毒気を抜かれたというか、このお姉さんのせいだけど。

 演奏されていた曲が終わる。数拍の間を置いて、次の曲が始まった。

 ゆったりとした旋律の、眠くなる曲だった。頭の芯になにか、生暖かい液体を流し込まれたような感触をよく覚えている。

「……私はよー、こういう怪奇現象っていうの? 正直に言って全然信じてないんだよな。見えるけど触れられないものって、原則的に全部信じてないんだよ。勇気とか、友情とか、信頼関係とか、家族の絆とか、約束とか、そういうやつ全部さ」

 イライラした様子でそう語るお姉さん。

 その人生哲学は今となっても理解の外だが、しかしぼくはどちらかというと、彼女の哲学よりもむしろその苛立ちのほうが恐ろしいと思っていた。今にも扉を蹴破りそうな、ギリギリまで加熱されバックドラフト寸前になった閉鎖空間のような危うさを感じる。

 というか逃げたい。幽霊部屋よりこの人から。

「だからよー、そういう信じていないものの中には、幽霊ってのも含まれてるわけなんだ。幽霊ってなんだよ、目には見えるけど触れられないとか、呪ってくるけど殴り殺せないとか、挙句の果てにはすでに死んでますだとかよ。意味わかんねえだろ?」

 そうですね。

 全面的に同意できる。

 だから身体のコンディションを整えるそのストレッチを止めてくれ。

「だけどさ」屈伸を終えて立ち上がるお姉さん。「まあ、こうして実際に実在する部屋として出てくるってのは、ギリギリ、ほんとーっにギリギリだが、許せるな」

「はあ、そうなんですね」

「だってぶっ壊せるじゃん」

 次の瞬間。

 無性に苛立つ演奏なんかより数倍近所迷惑な爆音が轟き、存在しないはずの九〇四号室の分厚い防火ドアは、くの字に折れ曲がった。お姉さんの人間離れした蹴りによって。

 くの字に折れ曲がったドアは蝶番もイカれてしまったようで、そのまま反動で手前方向にぶっ倒れてきた。とっさに身をかわして事なきを得る。ドアに押しつぶされたら結構痛いしそこそこひどい怪我をするんじゃないだろうか。

「へへ、やっぱ暴力は最高だな」

「あんた怖すぎるだろ。どんな身体能力してんだよ」

 思わず敬語を忘れるぼくだった。今思い返せばこの女性に対して敬語を忘れるというのはあまりに蛮勇が過ぎると思えるが、当時はそこまで気が回っていなかったのである。

 彼女はニヤニヤと笑いながら、親指で部屋の中を指さした。俺も彼女もドアの正面から退いたので、部屋の中は見えない。少なくとも、照明が灯っていないことはわかるのだが。

 いや、え?

「ん。ほら行けよお兄ちゃん。お前の仕事だろ?」

「――いや、いやいやいやいや。どういう分担ですか。え、いや、え? ぼくには無理ですって。絶対入ったらやばいやつじゃないですか」

 そうなのだ。

 ドアが倒れた直後から、背筋が泡立つような冷気が部屋から流れ出ている。足首に重しでも繋がっているような錯覚に陥る、物理的圧力を持った気配。それが、部屋の中からただ漏れていた。

 これに突入しろと? 馬鹿じゃないのか?

 絶対に入ったら助からない。――いや、もちろんこれが去年の秋のエピソードである以上、部屋に入ったぼくが助かったという展開になることは目に見えているんだけど。次点で、部屋に入らずに済むというパターンもあるが、このお姉さんの命令に逆らう能力がぼくにあるのかというと、ないのである。

 無言の圧力をたっぷり十秒ほど浴びせられて。

「……わかりました。見てきます。見るだけですからね」

 と、ぼくは折れたのだった。

 今思い返しても馬鹿である。


■ 4


 部屋の中は暗かった。入り口を入ってすぐは細長い通路になっていて、その先には木で作られたドアがある。隙間風がよく通りそうな、立て付けの悪いドアだ。真鍮製――に見える、薄汚れた金色のノブが取り付けられていて、何か丸いものを仰ぎ見る人のような怪物の彫刻が施されている。

 床板は古めかしい。木板が反っていて、風雨にさらされたように乾燥している。足を踏み入れるとぎしりと鳴った。右手側には小部屋があり、その入口にはドアはなく、ぽっかりと暗闇が口を開けている。

 深呼吸をして、ゆっくりと足を進める。自分の心臓の音と、それから呼吸音がうるさい。最初に右手側の小部屋を覗き込んだが、そこにあったのはキッチンのようだった。ただし、冷蔵庫や電子レンジなどの現代的なキッチン家電はなく、何かの粉が入った袋や粘っこい何かが入った壷が並べられている。シンクは錆びついていて、まともな料理などできなさそうだ。ただ、最近使われたのか、少しだけいい匂い――のような、胸焼けする匂いのような、よくわからない奇妙な匂いがした。

「おーい、どうだー。何かあったかー?」

 お姉さんが入り口の外から声をかけてくる。適当に手を振って答え、それからぼくは通路に戻った。お姉さんが部屋から持ってきたペンライトだけが装備品だ。この頃のぼくはまだガラケーで、しかもガラケーを照明代わりに使うなんていう発想はなかったのである。

 深呼吸。カビ臭い。息を吐く。心臓が痛い。演奏は相変わらず聞こえてくる。まるで思考にもやを張るような、不明瞭な旋律だ。海の中から演奏しているみたいだ、と思ったことを覚えている。

 ぼくは通路の奥にあるドアを開いた。鍵はかかっていなかった。ぎい、と蝶番が軋む音を立てて、その奥にある部屋の様子を顕わにする。

 青い月が出ていた。

 その月に照らされたのは、人間離れして美しい女と、揺り籠に眠る赤ん坊だった。女は大きな弦楽器をゆっくりと演奏している。目を細めて赤ん坊を見下ろしており、伏し目がちなその瞼から落ちる睫毛まつげが美しかった。鼻筋の通った、日本人離れした顔で、銀色の髪は青い月明かりに照らされて透き通っている。彼女と赤ん坊の向こう側に、窓はなかった。道理で演奏が僕の部屋に聞こえてくるわけだ。窓を閉めてほしいとはお願いできないな、などとズレたことを思ったのを覚えている。

 女はぼくに気づいて、視線を向けてきた。

「あ、すみません。あの、演奏がうるさくて困ってたんです」

 女はぼくの言葉を聞いて、シー、と言った。指のサインこそなかったけれど、静かにしろ、ということだろうか。

 背後でぼくを待っている煩い女性のことを思い出して、ぼくはドアを閉めた。

 女は微笑んで、薄い唇を艶かしく開く。

「この子を起こしてはいけないの。

「この子を起こしてしまうと、青い月がわたしたちに振ってくる。

「もうずいぶん昔から、私はこの子を眠らせるために、演奏を続けているのよ。

「そう、どれくらい昔からかしら。ずっとずっと昔から。あなたの元にわたしたちの光が届くまで、どれほどかかったのかしら。

「遠い星のあなた。

「青い月は好きかしら?

「あの青い月が落ちてこないよう、わたしはこうして演奏を続けなければならないの。

「もうここがどこだかわからなくなってしまったわ。

「けれど、演奏を止める訳にはいかない。

「この子はすでに時間も空間も歩き終えてしまったから、この子が目を覚ましてしまえば、終わってしまうものがあるのよ。

「それはわたしたちの理、知識の及ぶすべて、あるいは夢、あるいは宇宙。

「だからね? 少しだけお手伝いしてほしいの。

「この演奏が聞こえても、何もしないでほしいの。

「それだけ、お願い。


■ 5


 翌朝。

 ぼくはマンションの共用部、通路でひっくり返って眠っていた。起こしてくれたのは九〇五号室のお姉さんだ。

「起きろよお兄ちゃん」

「……おはようございます」

「おう、おはよう。水でも飲むか?」

「できれば暖かいやつが良いです」

 そういうとお姉さんはニヤリと笑って、ほらと、とペットボトルを差し出してくれた。温かいやつだった。

 とりあえずそれで喉を潤してから、立ち上がってため息をつく。

「あの、どうなったんですかあの後」

「いやお前全然帰ってこないからさ。これはやばいって思って逃げたんだよ私。で、寝て起きて出勤しようとしたらあんたが仰向けに転がってたんで、コンビニ行って飲み物買ってきたってわけ」

「逃げたのかよあんた……最低だな……」

 人を突撃させておいてなんて女だ。信じられねえ。

「まあ生きて帰ったんだし、良いだろ。で、結局、あの演奏はなんだったんだ?」

 …………。

 どうしたものだろうか。見たままを伝えて良いのか? いや、あの美しい女性の言葉をすべて信じるわけにはいかないけれど、それでも、あれが触れてはいけないものだっていうことくらいはぼくにもわかった。

 触れちゃだめだ。

 あれは、絶対に。

「あー」難しいな。「あれは、なんかこう、子守唄なんですよ。子供を寝かせるために弾いているらしくて。だから、申し訳ないけど、我慢してほしいって言われてしまったんです」

 お姉さんはぼくの言葉を聞いて、すこし考えた後で、嘆息した。

「そうか。ま、ガキの子守じゃしゃーない。我慢してやるとするか、不気味でも隣人だしな」

 そう言って、そのまま出勤していった。どんな仕事をしてる人なんだろうか。


■ 6


 なぜぼくがこのエピソードを思い出したのかというと、それは単に、あの演奏が再び聞こえてきたからである。

 夏の夜。蒸し暑い日。窓の外から聞こえる弦楽器の演奏。夏休みにレポートを書く必要はないので、ぼくはその演奏に耳を傾けながら、ベランダから黄色く輝く月を、眺めているというわけだ。

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