006 宿性マウス
■ 1
いっくんとわたしは、ふたりとも四年二組で、家が近所なので一緒に登校している。同級生で近くに住んでいるのはわたしたち二人だけだから。登校する時には、よしののおばあちゃんと挨拶するのが日課だ。よしののおばあちゃんは庭であじさいを育てていて、もうすぐ花が咲く。わたしは毎年、楽しみにしているのに、いっくんはあまり楽しそうじゃない。なんでだろうね。
あじさいは可愛いのに。わたしは青紫色のあじさいが好きで、恋している。
わたしはたくさん恋をしている。
その日の帰りの会が終わって、けいくんがわたしに近づいてきた。
「きーちゃん、おれ、今日はきーちゃんの方に帰るから、一緒に帰ろうよ」
「いっくんも一緒でいい?」
「あー、いっくん、おれあんまり好きじゃないんだよね。なに考えてるかわからないしさ」
「そんなことないと思うけど。いっくん、優しいよ。わたしが困ってると助けてくれるし、わたしがたんぽぽがほしいって言うと、見つけてくれるんだよ」
わたしがそう言うとけいくんは面白くなさそうな顔をした。面白くなさそうな顔をされると、わたしもおもしろくない。
わたしが不満そうな顔をしたからか、けいくんが焦ってとりつくろいます。
「うちさ、弟が生まれるんだよ。それで、ばーちゃんの家に帰るんだよ。だから、いっくんも一緒でいいよ」
なにがだからなのかわからないけど、いっくんも一緒ならよしとしてあげる。わたしは教室の隅っこでぼんやりしているいっくんのところまで歩いた。
「いっくん、帰るよ」
「ん、わかった」
いっくんが立ち上がる。わたしたち三人は一緒に学校を出た。帰りがけに、よしののおばあちゃんの家を通る。わたしはあじさいをみて、溜息をついた。もうすぐ一番美しくなる。明日が楽しみだ。雨がふると、あじさいはキラキラと、ドレスを着たように輝く。伏し目がちな大人の女性のように見える。
ああ、わたしはあじさいに恋をしています。
「今日も来たのかい」
そういって、よしののおばあちゃんが家からでてきます。よしののおばあちゃんはいつもマスクをしていて、だからわたしといっくんは、おばあちゃんは身体が悪いのだと思っている。
けいくんがおばあちゃんにお辞儀をした。
「はじめまして、
「あらあら、礼儀正しいのね。
けいくんとよしののおばあちゃんは仲良くなれそうだなと、あじさいにうっとりとしたまま、そう思った。
■ 2
けいくんとは毎日いっしょに帰るようになった。よしののおばあちゃんとけいくんはすぐに仲良くなった。けいくんはおばあちゃん子みたいだ。おばあちゃんの家に帰っていると言っていたし。
それで、ある日、けいくんはよしののおばあちゃんが出した羊羹を食べていた。わたしといっくんはいつも遠慮している。わたしが遠慮しているのは、いっくんが遠慮しているからで、いっくんが遠慮している理由は、おしえてくれない。
「けいくん、そういうの、図々しいっていうんだよ」
「いいのよ、気にしないで。あなたたちが来てくれて、わたしはとてもうれしいんだから」
よしののおばあちゃんがそう言うのなら、わたしもいっくんもなにも言えなくなります。
「いこ、いっくん」
「……うん」
いっくんはちらりとあじさいに視線を向けた。あじさい、綺麗だもんね。
わたしはいっくんの手を引いて、小学校に向かう。
「いっくん、なにか見つけた?」
「……別に、見つけてないよ」
いっくんが視線を逸らしたので、わたしはいっくんが嘘をついていると思った。いっくんは嘘をつくと、すぐに視線を逸らす。なので、わたしはいっくんのほっぺにぺたりと両手を当てました。
「ほんとに? ねえ、いっくんはわたしに嘘をついちゃダメなんだよ。嘘をついたら、口を縫い合わせるんだからね」
「うそじゃないよ。本当に、なにも見つけてないんだ」
■ 3
そして翌日、けいくんがマスクをして学校に来た。
「けいくん、どうしたの」
クラスメイトが尋ねます。けど、けいくんは首を横に振って、なにも話そうとしなかった。黙っていてばかりなので、そのうちみんな飽きてしまって、元通りになった。
給食の時間になりました。けいくんは牛乳パックにストローを刺して、さっさと飲み干すと、ほかは全部残しました。先生は給食を残すのには寛容ですが、心配だったみたいで、けいくんに尋ねます。
「けいくん、お腹痛いの?」
「ちがう。お腹いっぱいで、食欲がないんだ」
「そう? 体調が悪いなら、ちゃんと教えてね」
「うん、わかった」
けいくんは牛乳を飲んでいる間も、マスクを外さなかった。
■ 4
よしののおばあちゃんの庭先に咲いているあじさいが、黄色っぽい色になって、花びらが元気をなくしはじめた。わたしといっくんはあまりよしののおばあちゃんの家に立ち寄らなくなったけど、けいくんは相変わらず、学校に行く前と、帰る時に、遊びによっているみたい。
恋しいあじさいがいなくなったので、わたしがよしののおばあちゃんの家に立ち寄る理由はないのだ。
「そんなによしののおばあちゃんと話すのおもしろいの?」
けいくんに尋ねた。となりでいっくんも聞き耳をたてている。
「うーん、面白いよ。いい人だし。羊羹とか、煎餅とかくれるし。あと、ばーちゃんの家にはゲームがないから、ってのもあるかな。ばーちゃんと話すのも楽しいけどさ」
「ふうん、そうなんだ」
しばらく歩いて、よしののおばあちゃんの家の前まで来ると、けいくんは「またね」と言って、よしののおばあちゃんの家に入っていった。いっくんが黙ったままそれを見送って、わたしといっくんは歩き始めるのです。
けど、少し歩いたところで、いっくんが立ち止まった。
「ちょっと、よしののおばあちゃんの家に行ってくるけど、きーちゃんも来る?」
「……ん、いく」
いっくんがこんな風に、わたしに一緒にいくかどうか尋ねるときは、危ないところに行くときだと相場が決まっている。なので、わたしはなるべくついていくようにしていた。
いっくんは小さく頷いて、眼鏡を直した。わたしはいっくんが眼鏡を直す仕草がとても好きだ。いっくんの真っ黒な目が、キラリと光るような気がするからだ。そんな時、いっくんはわたしが絶対に気づかないようなことに気づいている。
わたしたちはよしののおばあちゃんの家まで歩いた。いっくんが門の横からひっそりと庭先をのぞいた。どうして中に入らないんだろうと思ったけど、わたしも真似をしてのぞきこむ。
よしののおばあちゃんと、けいくんが、マスクを外していた。まっすぐに立って、白目をむいて、口を開いていた。顔がすこし上を向いていて、校長先生の話を聞いているみたいだと思った。ただ、校長先生が立てるようなステージはないけど。
よしののおばあちゃんとけいくんは、あじさいの方を向いていた。
「……なに、あれ」
「シー、だよ」
いっくんが人差し指を立てて、唇に当てた。そして再び、庭を観察する。いっくんの視線を追いかけると、その目はあじさいの植わっている地面に向いていた。
わたしも目を凝らす。
地面に穴があいていた。もぐらかなにかの巣があるのかな? と思ったけれど、そこからは小さな虫が出てきた。コバエのような、ゴマ粒みたいな虫だ。くるくると飛んで出て行ったり、入って行ったりしている。
よくみると穴はいくつもあいていた。けど、今まではこんな虫、見なかった。地面の下にたくさん住んでるのかな?
たくさんの虫がうじゃうじゃといるのを想像して、気分が悪くなった。
虫達は飛んで、それからよしののおばあちゃんとけいくんの口の中に入っていった。それから、また出てくる。二人の口の中にはたくさんの虫がいて、うぞうぞしていた。黒いゴマ粒みたいなものが、くるくると動き回っている。
それに気づいて、また気分が悪くなった。頭がくらくらする。
「いこう、きーちゃん」
「え、うん。わかった」
いっくんに手を引かれて、わたしはよしののおばあちゃんの家を離れた。
■ 5
「いっくん、いまからわたしの家に来てね」
「え、なんで?」
「だって、嘘ついてたから。口を縫わないとだめだよ。裁縫道具は家だから、家まで来て」
「あ、違うって。あのね、あの穴にはずっと前から気づいてたんだよ。あの時に気付いたんじゃないんだ」
いーくんがワタワタと手をふって言った。本当かな……。けど、いっくんがすごく焦っていて面白かったので、許してあげることにした。
「ふうん。それなら許してあげる」
「よかった……。あれすごく痛いんだよ」
「知ってる」
わたしも前にお父さんに縫われたことがある。唇に傷があって、いっくんは好きだと言ってくれた。だからわたしもいっくんが好きなのだ。
「あの穴から、虫が出てくるのを何度か見てたんだ。よしののおばあちゃんがたまにマスクを外してるのも知ってた。だから、けいくんもおなじになったのかなって。確かめたかったんだよ」
「なるほど、さすがいっくん」
「だから、きーちゃんも気をつけてね。たぶん、虫が口の中に卵を生むんだと思う。羊羹とか食べたから、移ったんじゃないかな」
「人から食べ物をもらっちゃだめだね」
「あぶないからね」
来年からはあじさいを見に行くの、やめにしようかな。わたしは残念に思った。
■ 6
けいくんのお母さんがけいくんの妹と一緒に退院したので、けいくんと一緒に登下校することはなくなった。前と同じで、わたしといっくんの二人だけだ。
そして、七月になった。けいくんは学校に来なくなった。病気で入院しちゃったんだって。
夏休みが開ける頃には、けいくんは他の学校に転校しちゃった。
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