007 偏食性ラビット
■ 1
文倉市でいわゆる「お嬢様学校」と認知されているその学校では、文化祭でもなければ学校関係者以外の男性の立ち入りは禁止されている。出入りする業者にも、なるべく女性スタッフに担当してもらうよう要請するという噂もある。ただ、イメージに反して全寮制ではない。寮はあるらしいが、自宅から通っている生徒も少なくないそうだ。天門大学近辺にも、礼華女学院の制服を身につけた女子高生を見かけることがあるし、悪ぶっている連中が礼華女学院の生徒と付き合っていると自慢気に話しているのを聞いたこともある。
そんな礼華女学院は、彩智の母校だった。
フリルの少ないシンプルな白いワンピースを着た彩智と、夏なのに葬式にでも行くような格好のぼくが並んでいるのは、かなり目立つ。もうすぐ八月だというのになぜ暑苦しい格好をしているのかと彩智には文句を言われたが、こればっかりはどうしようもない。
「それで、そろそろ詳しい話を聞いておきたいんだけど」
ぼくはなんとか自分の役目を果たそうと、彩智にそう言った。
「あ、そうか。輪廻に説明したから、坂上くんも知ってると思っちゃった。うっかりしてたね」
「瑞鳥からは、詳しいことは彩智に聞いてくれって言われたよ。そろそろ依頼人と会うんだよね。結局のところ、依頼人は誰なの? この学校? それとも、生徒?」
「生徒だよ。わたしの後輩。あ、けど学校側ももちろん事情は把握してるの。じゃないと、坂上くんは入れないしね」
「男子禁制なんだっけ?」
「そうなんだよね。だからゲストカード、なくさないようにしてね」
ゲストカード。ぼくは校門で守衛さんに手渡されたプラスチック製のカードを弄ぶ。ポケットに入れておけば良いのだけど、なんとなく手に持ったままここまできてしまったのだ。
「なんかクレジットカードみたいな金色の部分があるけど、機械に通したりするの?」
「接触型ICカードだね。その金色の部分は薄い金属でできてて、カードリーダーに通すとデータを読み取ってくれるんだよ。ここでは扉を開いたりするのに使うかな。建物に入るには必ず必要になるわけだね。それで、使用履歴がサーバーに保存されるから、とてもセキュリティに配慮しています、ということ」
「なるほど。お金がかかってるね」
「まあね。一応はお嬢様学校だから」
「……なるほど。じゃあ、彩智もいいとこのお嬢様なんだ」
ぼくはふと疑問に思ったことを口に出した。すぐにしまったと思った。家族の話は聞かれたくない人も多い。無遠慮な質問だったかもしれない。彩智はゆるりと首を振った。
「わたしは高校から入学したんだけど、両親がお金持ちってわけじゃないの。特待生制度が採用されて、学費が免除されたんだよね。だから最初は大変だったんだよー。中学時代からのグループができてるし、プライドが高い子も少なくないしね」
「それは……気が滅入る話だね」
目を細めて校舎を見上げる彩智の表情は、少しだけ硬いような気がした。ぼくの高校時代は……いや、そうだ。最後にひどいことになってしまって、なるべく思い出さないようにしていたんだった。
「えっと、話を戻すけど、この学園で起こってることね。すこし表現が難しいんだけど、人が消えた痕跡がある、って話なの」
「人が消えた、痕跡?」
人が侵入した痕跡でも、人が消えてしまった事実でもなく、人が消えた痕跡?
「わたしも
「なんだそれ……。ぼく、人探しだって聞いてたんだけど」
「間違いじゃないよ。消えた人を探してほしい、っていうのが依頼の内容だから。あ、ちょうど来たみたい」
言われて彩智の視線を追うと、そこには清楚なワンピースタイプの制服を身にまとった、凛とした顔立ちの女子生徒が立っていた。ぼくを見てゆっくりと微笑んで、それから日傘を差して中庭に出てくる。
仕草はお嬢様然としているが、どこか武装しているような印象を受ける。攻撃的な性格をしているのではないか、と感じさせる何かがある。背筋が通っているからだろうか。それとも、冷たくこちらを観察する瞳のせいだろうか。腕のブレスレットが木漏れ日に反射した。なにかのレリーフのようだ。
「お久しぶりです、
優雅な礼に、ぼくは立ち上がることも忘れていた。
■ 2
「相変わらず、
「そういう一歳先輩こそ、優雅でいらっしゃる。容姿といい仕草といい、じつにやわらかだ」
ゆるふわと優雅はすこし違う気もする。ぼくに言わせれば、彩智はゆるふわであって優雅ではない。そこだけは譲れない。
「……それで、まずは詳しい話を聞かせて欲しいんですが」
学校から貸し出された応接スペースで、ぼくと彩智は御堂さんを対面にして座っていた。二人がけの大きなソファなので、ゆったりと座ることができる。ガラステーブルの上にはアイスティーが並んでいた。
「敬語でなくともよろしいですよ、坂上さん。わたしのほうが年下なのですから」
「あー、その、今はクライアントですので」
「職務に忠実なのですね」
そういうわけではなく、単に初対面の人が苦手なのである。とくに威圧感のある女子とは関わり合いになりたくない。
「では、早速ですが本題に入らせていただきます。行き違いがあるかもしれませんので、なるべく最初からお話しますが――最初の出来事は、机の数が合わないというものでした」
机の数? 合わないって、どういうことだ。
「わたしたちの学校は、一クラス三十名と決まっています。ちょうど、六列、五席ずつです。ただ、例外となる年ももちろんあります。ことしは例外で、一年三組だけは、おそらく三十一名だったのです」
「おそらくってことは、今は……」
御堂さんは頷いた。「今は三十名……三十席です」
「じゃあ、机の数ってのはどういうこと? 三十名なら、普通に並べると、六列か五列でぴったりだよね」
「その通りです。ですが、一年三組の教室の机は、六列のうち一番右側にだけ六席あり、その二つ隣の列には四席しかなかったのです」
ははぁ。なるほど、それは確かに不自然だ。
「とはいえ、それが発見された当初は、不思議な出来事としてすぐに忘れ去られました。次の事件はゴールデンウィーク明けです。今度は二年一組の出席番号が一つ飛ばしになったのです。あらゆる名簿から、二年一組の出席番号十七番の生徒が消えていることが発見されました。加えて、二年一組の図書委員は不在であることも発覚しました」
席につづいて、出席番号か。座席を動かすくらいならいたずらもできるけど、出席番号をいじるなんてのは難しいだろう。
「そして三件目が、今月の頭に起こった一人部屋事件です。ある生徒がふと気づいたそうです。どうしてわたしは、本来であれば相部屋であるはずの部屋に、一人でいるのだろう? ――と」
相部屋に一人。つまり、寮生の人数はきちんと偶数になっているか、あるいはほかに一人部屋の生徒がいたのだろう。その辺りの、最低限の検証は行われているものと、とりあえずは考えておこう。
「存在消失事件、と噂されています。坂上さんには、これら消失事件のトリックを暴いてほしいのです」
「……トリックを暴く?」
「はい。トリックです。人が突然消えてしまうなんて、そんなことあり得ません。科学的な、あるいは心理学的なトリックのはずです。それを坂上さんに暴いてほしいのです」
「なるほど。けど、それなら内部の人間のほうが適任なんじゃないですか? 彩智はともかく、ぼくはこの学校の内情には疎いですし」
「いえ、もちろん内部の人間で調査は行いました。その結果、四月に起こった一年三組の件は一応解決しています。そちらについては、単なるいたずらだと」
「あ、そうなのか」
「ええ、席替えのタイミングと、風邪を引いて寮で寝込んでいた生徒がいたとかで、それが重なった結果として席の配置がおかしくなったことが際立った、というのが真相のようです。いたずらで席をいじった人がいたんでしょう。犯人はわかっていませんが、人が消えたなどという非科学的な説明よりは、ずっと納得できるものだと思います」
つまり御堂さんは、一連の事件は心霊現象や怪異の類ではなく、人為的な、あるいは心理的なものだと考えているのか。たしかにそう考えたほうが自然だ。
御堂さんがじっとこちらを見ているのに気づいた。値踏みするような視線になんとなく居心地の悪さを覚える。
「あの、なにか?」
「……いえ、坂上さんの見解をお聞かせいただければと思いまして」
「見解と言われても、ぼくは人探しくらいしかやってないので、専門的なことはわからないんですよ。その人探しも、別段得意というわけではないので」
「そうなのですか?」
「そうだよー」彩智がぼくたちの会話にはいってきた。「坂上くんは人探しはべらぼうに上手いけど、他はちょっと頼りになるくらいで、オカルトの専門家じゃないから」
取り柄がないって言われた。その通りなんだけどさ。
「ともかく、残る二件に納得できる説明をつければいいんだね。わたしたちは」
「そうなります。学内の事情に巻き込んでしまうのは申し訳ないのですが、お願いできますか? もちろん、気持ち程度になりますが、お礼はさせていただきます」
「坂上くん、火鳴ちゃんはブルジョワ組だから、お気持ちもすごいと思うよ。お金持ちは心に余裕があるんだね」
世知辛い話だ。
■ 3
ぼくたちは二件目の事件について詳細を確認すべく、二年一組の教室に来た。名簿については御堂さんが用意しておいてくれたものを確認できた。名前だけの一覧だったけれど、確かに二年一組の十七番は欠番になっていた。
問題は他に痕跡が残ってないかだ。
当時残ってたとしても、五月からはもう二ヶ月は経過している。既に消えてしまっている可能性は高い。そう思いつつ教室を見て回る。席はちょうど三十。ピッタリだ。ただ、名簿の一番最後は三十一番になっていた。
うーん、こんなことってあるだろうか。
「ねえ御堂さん、このクラスの担任の先生は誰?」
彩智がふと尋ねた。
「
「ああ、あの人か。生徒と全然話さない人だよね」
彩智は懐かしそうにひとりごちて、言葉を続ける。
「……ゴールデンウィーク明け、たしかそのタイミングで、テストがなかった? クラス最初の、前の学年の内容から出題されるやつ」
「あります。それがどうかしましたか?」
「うーんとね、あの、出席番号十七番の人って、四月からいなかった、ってことはないかな? 単に発覚したのが五月というだけで。学校側の事情で、出席番号十七番が欠番になってしまった。出席番号十七番の生徒はいたんだけど、おそらく春休みの間に転校しちゃったの。ただうちの学校、セキュリティが複雑で、出席番号と結びついてるから、単に番号をずらすと不具合がある。それで、急遽名簿から名前だけを消したとか」
彩智の推測を聞いた御堂さんは、唇に人差し指で触れた。考える時の癖だろうか。言葉を選ぶようにして、彩智に言う。
「……だとしても、どうして先生方はそのことを教えてくれなかったのでしょうか」
「それは、たぶん学校にとって都合の悪い理由でいなくなったから」
――彩智の声が奇妙に教室に響いた。
あまり想像したくないことを、彩智は言おうとしているのではないか。そんな気がしたけれど、止めるまもない。
「例えば――妊娠したとか」
「……それは、スキャンダルですね。礼華女学院にとって大きな痛手となるでしょうし、事実なら保護者からの責任追及も免れない。そういった理由なら、先生方が十七番の彼女のことを話したがらないのも頷けます」
「テストの時くらいだよね、他の人の出席番号意識するのって。だから、発覚が五月になった。そんな感じかなって。迫屋先生、出席番号とか読み上げるタイプじゃないし」
「なるほど。とても説得力があります。さすがは一歳先輩だ」
どうやら、御堂さんは彩智の説に納得したようで、しきりに頷いている。ぼくはイマイチ腑に落ちない。何か見落としているような気がする。
「じゃあ、ここはもういいのかな。次に行く? えっと、三件目は寮だっけ」
ぼくが言うと、彩智が悪戯っぽく笑った。
「坂上くんってば、そんなに早く女子寮に行きたいの?」
ちげーよ。
■ 4
校舎から一度出て、中庭を抜けると寮に着く。途中には二階建ての図書館があり、その隣には飼育小屋があった。兎が飼われているようだった。
「飼育小屋、わたしがいたころはなかったよね?」
「はい。今年から赴任された先生が飼いはじめたんです。世話も基本的にその先生がやっていますが、図書館の隣ということもあるので、出入りする生徒も手伝ったりしているようです」
「へえ、そうなんだ。いいね、兎。かわいいから好きなんだよね」
「あら、そうなんですか。わたしは
「すごいいじわるそうな子たちじゃない……」
などという会話があった。ぼくは会話に入れなかったが、猫が好きだと主張しておきたい。御堂さんの手首にあるブレスレットには、
御堂さんと彩智に案内されて到着したのは綺麗な建物だった。ここが寮らしい。大きい。校舎の中からも見えていた建物で、てっきり学園の近くにあるマンションだと思っていたが、まさかこれが寮だとは。
「これだけ大きいなら、相部屋なんていらないんじゃないの? それとも、生徒はもっと多いとか?」
「相部屋なのは、家族以外の人との共同生活を経験するため、ということになっているんです。実際、とても勉強になります。お二人は一人暮らしですか?」
「そうだよー」彩智が答える。「坂上くんもわたしも一人暮らし。前に坂上くんの家に遊びに行ったことがあるよね。ねえ、また遊びに行ってもいいかな?」
「良いけど……今する話?」
「あ、う、えっと、ほら、思いついた時に言わないと! わたし忘れっぽいから! あと坂上くんしょっちゅう女の子と出かけてるし! この間だって輪廻と出かけちゃったし!」
「あの時は悪かったよ……」
「お二人はとても仲が良いのですね」
御堂さんがくすくすと、手で口元を隠して笑った。左手のレリーフが光った。確かに
寮のエレベーターで十二階に上がる。そこから歩いて六部屋通り過ぎたところ、つまり一二〇七号室が目的地だった。御堂さんがインターフォンを押して少し話すと、すぐにロックが解除され、なかに入ることができた。
二段ベッドに学習机が二つ。ベッドも机も、一方だけが埋まっている。その他の私物も一人分しかないようだ。キッチンなどはなく、あくまで学習と休養、それからインドアな娯楽のためのスペースなのだろう。シャワーだけは設置されているみたいだった。そして、バルコニーもある。
住人は小柄な女の子で、一年生かと思ったが三年生だそうだ。部屋を見られているからか、すこし落ち着かない様子だった。
使われていない机を調べる。引き出しの中も空。使われていた痕跡はない。ベッドもそうだ。不思議な事に、部屋の住人である小柄な女の子は、二段ベッドの上の段を使っていた。下の段を使えば、わざわざハシゴを登る手間もないのに。
長居するのも良くないと判断して、一通り調べた後はすぐに退散した。時刻は夕方近い。夏休みに入っているといっても、寮には流石に生徒が多く、彩智はともかくぼくはとても目立っていた。通りがかりの生徒がチラチラとこちらを窺う視線に、胃が重くなってくる。
「注目の的ですね」
「やめてください。死んでしまいます」
寮からさっさと逃げ出して、その日はそのまま解散し、明日、また調べに来ることになった。ぼくとしてはそれまでになんとか当たりをつけておきたい。
「坂上くん、どう思う?」
「どう思うって……どう思うかは、あんまり関係ないんじゃないかな。要は、御堂さんが納得する説明をすればいいんでしょ。……最後の相部屋はすこしハードルが高いけど」
「だねぇ」
誰も使っていないというより、誰かが使っていたのを片付けたような机。そして、なぜか空白のベッド。どうして相部屋の女の子は上のベッドでわざわざ眠っていたのだろうか。
「あの女の子の自作自演ってことはないかな。だってあれ、片付きすぎてると思わない。わたしが一人部屋だったら、片方の机は物置にして、ベッドはぬいぐるみ置いちゃうけど」
「彩智ってぬいぐるみ好きなの?」
「えっ、あ、うん。その、実は、好きなの。へ、変じゃないかな? 大学生にもなってぬいぐるみなんて……」
「変ってことはないと思うけど。彩智には似合ってると思うし」
「なにそれ、わたしが子供っぽいってこと?」
「そうは言ってないよ……。ただ、彩智のイメージと合ってるってことだから。ほら、瑞鳥がぬいぐるみとかたくさん持ってたら、違和感すごいでしょ」
「あー、そうかも。輪廻のイメージじゃないね」
すでに辺りは薄暗い。日が落ちてすこし時間が経っている。街灯が照らす、人通りの少ない道を歩いて行く。
その途中、妙な男を見つけた。いや、男の風貌はそこまで奇妙ではないのだけれど、ピッタリとしたスーツを着て、ポケットに左手を突っ込んで、右手でコインを弄んでいる男が、街灯の下でガードレールに腰を下ろしているというのは、奇妙だった。
この男は何をしているのだろう。ぼくは彩智と歩く側を入れ替わって、男と彩智が近づかないようにした。
極力意識しないように、男の前を素通りすれば良い。そう思っていたけれど、それは叶わなかった。
「オニイチャン、オネエチャン、こんな時間にデートかい」
「デートはいいね。時間というものは有限だ。有限の時間を誰かのために浪費するというのは、若者の特権だよ。おっさんくらいの年齢になると、どうも誰かのために自分の時間を浪費しようと思うのが難しくなる。大人になるということは、ケチになるということかもしれないな」
「はあ、あの、なにか用ですか?」
彩智がぼくの背後に隠れるように移動した。
「なにか用ですか? いやいや、違うぜオニイチャン。用があるのはオニイチャンの方だ。なにか俺に聞きたいことがあるんじゃないのかい? ああいや、わかっているさ。わかっている。おっさんはケチな大人だからね。ケチなことは言わないさ。どうだい、ここから大通りに出た辺りに良いコーヒーを出すお店があってね。バーだけど、おっさんと一緒なら学生の君たちにも入れるさ。そこでゆっくりと話を聞くことにしようじゃないか」
「……あの、何を言ってるのかわからないんですが。ぼくはあなたに話なんてありませんよ。えっと、それに、そう、デート中なんで、彼女を早く家に帰さないといけないんです」
「そうか、なら構わないがね。おっと、おっさんはできた大人だから、適当な嘘にも素直に頷いてやるだけの心の度量ってものがあるのさ。ああ、けど、どうだろう。そんなことをすると、オニイチャンの聞きたいことは聞けなくなっちゃうんじゃないかな」
「ぼくはあなたに聞きたいことなんてありません。それでは――」
さっさとこの奇妙な男から逃げたいと思っていたので、ぼくは強引に話を打ち切ってしまおうとした。けれど、次に男は、無視できないことを言った。
「礼華女学院から生徒が消えたのはなぜか、それが、オニイチャンの聞きたいことだ。違うかな?」
……それは、確かに気になる。知りたいことだ。けど、どうしてそれをこの男が知っている?
「じゃ、俺は黒ヤギの蹄ってバーで待ってるからさ。なんなら、そっちのオネエチャンを送った後でもいいぜ」
それだけ言い残して、男は去っていった。
…………。
街路樹が風に揺れる。男の後ろ姿が遠くなる。ぼくは深呼吸をして、いつの間にかこわばっていた身体から力を抜いた。
「ねえ、坂上くん。あの人が言ってたことって」
「……どうするかなぁ」
ぼくは深い溜息をついた。
なんでこう、変な大人にばかり絡まれるんだろうか。
■ 5
数十分後。ぼくと彩智はバーにいた。対面には奇妙な男が座っている。店の奥にあるソファ席で、ぼくと彩智の前にはお茶が置かれている。数日前に成人したのでお酒は飲めるのだけど、今日は全く気が進まない。
一方、目の前の男は愉快そうに口元だけで笑いながら、琥珀色の酒をチビチビとやっていた。ブランデーかなにかだろうか。酒には詳しくないので、わからない。
「まずは自己紹介といこうか。俺は
「……僕は坂上です」
「一歳彩智です」
ぼくたちが端的に名乗ると、男は何度か頷いた。首が落ちるんじゃないかと思わせる奇妙な仕草だった。
「うんうん、名前っていうのは大事だからね。これで俺も君たちのことをちゃんと名前で呼ぶことができるさ。坂上くんに一歳さんだね。とりあえずこの場では、一歳さんの聞きたいことは置いておいて、坂上くんの方に答えようか。あ、といっても一番聞きたいことじゃないよ。そっちは僕の手に負えないからね。答えるのはさっきの件、礼華女学院で起こっていることについて、俺の知識を披露してあげるだけだ」
あー、なんかこういう人いるよな。人が悩んでると訳知り顔で現れて、あることないこと適当にしゃべる奴。だいたい適当なこと言って困惑させるだけで、ちゃんと答えを出してくれるわけじゃないんだよ。アテにしちゃだめな感じがする。
「どうして礼華女学院のことを知ってるんですか? それに、わたしたちがそこから来たことも」
彩智が不夜鳥円に質問した。たしかに、それはぼくも気になっていた。
「いや、実は君たちを待っていたわけじゃないんだけどね。俺は君たちとは初対面さ。前もってなにか知っていたわけじゃない。ただ、礼華女学院という牢獄のような女子校に怪異が在ることを知っていて、そこから誰か出てこないかと待ち伏せしていたのさ」
「なぜ礼華女学院に……その、怪異がいる、ってわかったんですか?」
「怪異は居るものじゃなく在るものだけど、まあそこはこの際だからいいか。いや実はね、俺は妖怪対峙を専門にしている人間なんだ。詳細は企業秘密だから内緒だけど、いろいろとフィールドワークをした結果、礼華女学院には怪異が――まあ、妖怪が居るとわかったわけだ」
「――妖怪」
ぼくは尋ねるというより、確かめるように呟いた。不夜鳥円は耳ざとく反応する。
「そう、妖怪。信じられないかな? ならば、信じなくても構わないのだよ。信じようと信じまいと、妖怪とは在るものだからね。ただ何が在るのかまでは、流石に中に入って調べてみないとわからない。そこで君たちが礼華女学院に入っていくのが見えたから、おそらく中で起こっている怪現象――あるいはそう感じられるような現象について、調査か相談かを受けたのだろうとあたりをつけて、出てくるのを待っていたのさ」
……うん、この男の説明は、細かな点に目を瞑れば概ね筋が通っている。そもそも妖怪が本当に実在するのかとか、いつから学園を調べていたのかとか、気になることはたくさんあるけど――専門家だというなら、ダメ元で相談してみても良いかもしれない。あくまでも参考程度に、だけど。
「それで、礼華女学院では何が起こっていたのかね?」
問われて、ぼくは彩智を見た。この調査は、あくまでぼくは頼まれた同行者という立場だ。御堂さんの時は事情の確認も兼ねてぼくが質問していたけれど、この男に詳細を語るかどうかは彩智の方が決めるべきだろう。彩智は小さく頷いた。話して構わない、ということか。
ぼくは少し考えて、言葉を選びながら話す。
「人が消えたような痕跡が残るそうです」
「ははあ、それは記憶のほうも消えるのかい?」
「ええ、まあ。座席が残ったり、名簿に空欄が残ったり。あと、寮の二人部屋を、なぜか一人で使っている生徒がいたとか」
「ふうん、なるほどね。そういった痕跡だけで、誰も何も覚えていないのか」
「ぼくたちが調べた範囲だと、そのようですね。生徒に聞き込みはしていませんけど。ただ、二人部屋の件はともかく、他の二件には一応、ただの気のせいだって説明をつけることができます。三件目の二人部屋についても、ぼく個人としてはいくつか説明をつける案があります」
「なるほどね。ええと、そうだな。それじゃあ、今のところ消失事件は三件だけなのかな」
「みたいですね。四月と五月に一件ずつ、それから今月の頭です」
……あれ、なんで六月には何も起こってないんだ?
普通に考えればこういうのって、一定の周期性や規則性があるもんじゃないのか? そちらのほうが、なんとなく納得できる。……いや、仮に妖怪のせいでも、気のせいだったとしても、一定の周期性があるとは限らないし、気にするほどのことではないか。
ぼくの説明に不夜鳥円はしきりに頷いて、グラスに入った酒を舐めた。すこし思案するように目を瞑る。やがてゆっくりと目を開いて、ぼくに向かってこう尋ねた。
「ではもう一つ、礼華女学院に兎はいるかね?」
■ 6
狭間兎、あるいは
つまり俺の話を信じるならば、礼華女学院には今、狭間兎がいるってことだ。人の存在を食う、偏食家の兎がね。
■ 7
「つまり、あの不自然な相部屋は、不自然すぎるんですよ」
ぼくは応接スペースに戻ると、御堂さんにそう言った。不夜鳥円に会った翌日の昼下がり。図書館を調べた後だった。
「不自然というと、どういうことでしょう?」
「もうちょっと正確に表現するなら、不自然なことが起こっていると、わかりやすすぎるんです」
「……? それは、どう違うんですか?」
御堂さんは首を傾げる。
「あの部屋を見たら、誰だって消失事件のことを思い出します。それが犯人――あの二人部屋を一人で使っている生徒の狙いだったわけです」
「では、三件目はあの子の自作自演だと?」
「ええ、そうです。問題は、なぜそのような自作自演を行ったのかということですけど……こちらが、今回の話の要点でして。先ほど部屋を見せてもらった時に、これを使ったと思うんですが」
ぼくはそう言って、ポケットからフーチを取り出した。細いチェーンの先に
御堂さんは少しだけ好奇心をのぞかせたのか、フーチに手を伸ばす。
「触ってみてもいいですか?」
「どうぞ。フーチと呼ばれる道具です」
「面白い形ですね。アクセサリー……ではなさそうですし。こういった専門的な道具も使うのですね」
フーチを使った失せ物探しくらいなら素人でも真似くらいならできることなんだけど、危ないものを見つけることもあるらしいので、あまり説明しないほうが良いか。
「結論から言えば、あの相部屋には地縛霊がいます」
「地縛霊、ですか。それは、ええと、その場所に縛り付けられている幽霊、でしたか。……すみません、わたし、幽霊は信じてなくて」
「信じなくともいるものはいますからね。おそらく、今一人で住んでいる女子生徒は、何らかの方法で二人部屋を一人で使うことができるような手続きを行ったんだと思います。けど、やがて彼女はあの部屋に住む地縛霊の存在を感じ始める。別の部屋に移りたくなった彼女は、四月と五月に起こった存在消失事件を装いました。奇妙な事件が起こったこの部屋にこれ以上居たくないとでも言えば、おそらくは目的を達成できるでしょうから」
「なぜそのような手のこんだことを?」
御堂さんが首を傾げた。
「単に、自分から一人部屋に住めるよう画策しておいて、幽霊が出るなんて騒いで部屋を移るのは、きまりが悪かったのでしょう。どのような方法を使ったのかまではぼくにはわかりませんが」
「なるほど……。それは、わたしにも納得できます。幽霊が本当にいるのかは置いておくとしても、彼女にはなにか、あの部屋を出たいけれど、他の人に言いたくない、あるいは言い出せない理由がある、というわけですか」
「要するにそういうことですね。その理由こそなんらかの心霊現象ではないかと考えて、今日はそれを調べたんですが……信じられないなら、別の理由だと考えてもいいと思います。とにかく、三件の存在消失事件は、すべて何らかの説明のつく現象で、心霊的な要素はありません」
ぼくの説明に、御堂さんはしばらく考え込んでいたが、やがて納得して大きく息をついた。
「わかりました。すべて坂上さんと一歳先輩の言うとおりのことで、説明がつくと思います。本当にありがとうございます、これで不安がっていた生徒たちも安心してくれるでしょう」
「……やはりそういう理由だったんですね、ぼくたちを招いたのって」
「はい、すみません、利用する形になってしまって」御堂さんは可愛らしく舌を出してみせた。お嬢様がそんな仕草していいのか。「本当は外部の方が調査に来たというだけで十分だったんですが。外部の専門家と一緒に一歳先輩が調査に来て、その上でなにも問題がなかったと言えるだけで、おそらく事態は沈静化していたでしょう。それくらい、一歳先輩のネームバリューは高いのです」
「そうなんですか? ぼくもそうですけど、彩智だって別に、専門家ってわけじゃないと思いますけど」
「一歳先輩はわたしの学年のヒーローですから」
艶っぽい声にどきりとしたが、なぜ自分に向けられた言葉でもないのに反応しているのだろうか。
「えっと、それで報酬の件ですけど」
「はい、それぞれ二十万ほど用意しています」
「え、そんなに? まじ?」想定外の金額に少し悩んだが、いやいや、そんな場合じゃないと思い直す。「いや、えっと、やっぱりお金を受け取るのはダメだって話になったんですよ、彩智とね。だから、代わりのものがほしいんですけど、えーっと、飼育小屋の兎を一匹、譲ってもらえないですか」
「兎ですか? しかし、あの兎は五和先生のものですし……」
「そこをなんとか。一匹でいいんです。御堂さんの方から交渉してほしい。どうしてもダメだったら、そのときは諦めるので」
ぼくの申し出に御堂さんは困惑していたが、最終的には頷いてくれた。
「わかりました。わたしから交渉してみます。どの兎でもいいんですか?」
「いや、彩智が飼育小屋で選んでると思うので、そいつを譲ってもらえると」
■ 8
「五和先生、いい人だったね」
彩智と二人で帰路につく。ぼくの右手には兎を入れておくケースがあり、中には兎が一匹入っている。狭間兎、かどうかはわからない。狭間兎という妖怪が本当に存在するのか、そもそも妖怪が実在するのかすら、ぼくにはいまいち確信が持てない。けど、いくつか不整合があるのも事実だし、念には念を入れて回収しておくことにしたのである。
五和先生というのは、今年の春に入ってきた新任カウンセラーだ。兎を管理していたのはこの人で、御堂さんが事情を説明すると、快く了解してくれて、兎選びも手伝ってくれた。
彩智はいい人だと言ったが、ぼくにはイマイチそうは思えなかった。
しばらく歩くと、同じ場所で不夜鳥円に出会った。昨日と同じで不気味なくらい猫背だったが、昼の明かりの下で見るとそこまで警戒すべき男ではないような気がする。
ぼくは手にもっている兎を差し出した。
「こいつが例の兎だ」
「本当にいたのか。俺の見立ては正しかったってことになるね。確かに、札から逃げたんだね?」
「ああ」
札、というのは不夜鳥円から預かったもので、
「確かに、預かるよ」
報酬という名目で受け取った兎は、不夜鳥円の手に渡った。これでタダ働きかと思ったが、今度は不夜鳥円の方からぼくに封筒を手渡してきた。
「お使い代、ってやつさ。受け取っておいてくれたまえ」
確認すると札束が入っていた。ぼくはそのまま彩智に渡した。
「それで、君たちの見立ての方はどうだったかね?」
「当たってました、多分」
彩智が言った。
ぼくたちの見立てというのは、「消失事件は本当は四件あったのではないか」ということだ。四月に一件、五月に一件、七月に一件では、腑に落ちない。なぜ一ヶ月ごとなのかは、不夜鳥円が説明をつけてくれた。狭間兎が人を食うのは、最短でもおよそ二十七日に一回だそうだ。したがって、およそ一ヶ月に一回ということになる。また、隙間兎は人が使うこともできるらしい。要するに、気に入らない人間を隙間兎に食わせることができる、ということだ。
六月に誰が消えたのか――図書館の司書教諭である。
「現在、礼華女学院に司書教諭はいません。カウンセラーがいるのに司書教諭がいないというのは不自然です。法令の問題を考えないとしても、まるごと一棟ある図書館の管理者が不在というのは奇妙過ぎる」
二件目の事件。彩智は何らかの事情で出席番号十七番の生徒が退学したから、名簿から消えたのだと言ったけれど……それは不自然だ。説明がつかないことがある。二年一組の図書委員は不在だったと、御堂さんは言っていた。退学した生徒は図書委員になれない。だから、図書委員だった生徒が消失したと考えなければならないはずだ。
そしてその痕跡はおそらく、図書館にあった何らかの記録にも残っていたのだろう。すでに消えてしまった司書教諭はその違和感に気づき、そして隙間兎にたどり着いた。
たどり着いてしまったために、隙間兎に食われたのか、隙間兎を使っていた誰かに食わせられたのか、それはわからないけれど。
「司書教諭が隙間兎にたどり着けたのは、あなたが言ってた放蕩百鬼集を元に書かれた、妖怪に関する書籍が図書館にあったからです。対策もバッチリ書いてありましたよ。
御堂さんが身につけていたレリーフ。
あのレリーフを用意したのが、司書教諭なのだろう。すでに消失してしまった司書教諭と御堂さんはおそらく親しい関係にあったのだ。そして、御堂さんを守るために、レリーフを渡した。すでに御堂さんの記憶からそのことは失われてしまっているみたいだったけれど……。
不夜鳥円は首が落ちるんじゃないかと思わせるあの不自然な頷き方をして、ポケットから何かを取り出した。
「これ、俺の連絡先。もしなんかあったら連絡してくれ。君たちは優秀だ。じゃあね」
それだけ言って、兎を持ったまま、さっさとどこかに歩いて行ってしまった。
「五和先生、いい人だったけど、あの人が兎を使ってたのかな」
帰り道。電車の中で突然、彩智が呟いた。
「……怪しいとは思うけど、なんで?」
「御堂さんと五和先生、なんだかとても仲が良さそうだったから。仲良くなった女子生徒と、後腐れなく別れるなら、隙間兎ってすごく便利だなって」
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