013 構築性メモリー

■ 1


 私が老人の家を訪ねたのは、取材のためだった。オカルト研究会の顔役のように扱われる私だが、実際のところ、本業は新聞部である。我が新聞部は比較的自由で、各々が好き勝手に記事を書いて、編集長(部長である)の眼鏡に適えば掲載される、というシステムだ。新聞というより雑誌のような気もするが、本業の新聞記者だったことがあるわけではないので、実際のところはわからない。イメージで語っている。

 イメージと言えば。

 その老人のイメージは「柔らかな枯れ木」といったものだった。枯木の香りと木漏れ日を連想させる人物で、微笑みが皺に刻まれている老人だ。近所の評判もよく、大学の近くに住んでいることも手伝って、その噂は私のもとへ届いたわけだ。噂というのは、老人がアマチュアの家具職人であるという件である。文倉市で不定期に開催されるフリーマケットで、老人は椅子屋を出店している。座り心地がよく、柔らかな日差しに包まれているような錯覚に陥るのだと、主婦を中心に評判で、珍しいものや手作りのものが好きな学内の女子にも人気があったりする。といっても、アマチュアなので数は用意できず、また趣味であるため、せいぜいが三ヶ月に一脚が限度で、半年間隔になることも珍しくないそうだ。

「そんな記事、絶対ウケないって」

「そうかなぁ。私はイケると思うけど。というか、このネタがいけなくてなにがいけるんだって気持ちなんだけど」

 新聞部の悪友である佐倉にダメ出しをされたが、私の心は決まっていた。今月はこれでいく。

「もっとセンセーショナルなネタのほうがいいって。そうそう、俺はゴールデンウィークくらいにあった女子中学生行方不明事件を書く予定なんだ。なんか、廃屋から遺体が見つかって、殺人ってわかったらしいんだけど」

 ……うん。それはオカルト研究会のほうが詳しいから、どうだろうな。

「実在の死者のことを面白おかしく書き立てるのは、下品じゃない?」

「あー、まあそれもそうか」そこまで考えてなかった、という感じである。佐倉はいろいろと考えてはいるんだけど、思慮が足りないことが多い。「うーん、じゃあ、もっと昔のことをボカして書くかな。確か、十五年くらい前の行方不明事件が、未解決のままなんだよな」

 あれこれと悩んでいる佐倉をよそに、私はハンドバッグを持ってさっさと部室を出た。今日は件の老人とのアポイントがある。ボイスレコーダーも持ったし、取材のプランも用意してる。完璧だ。

「おい、いのり」佐倉が部室の中から顔を出した。「今度掲載された方がされなかった方にメシ奢るって約束、忘れんなよ」

 そういえばそんな約束したっけ……。正直忘れていたが、佐倉の相手をするのも面倒なので、私は適当に返事をした。


■ 2


 老人の家は、決して小さくない家だった。一人で住むには少し広い気もする。そのことを尋ねると、「そうですね、たしかに少し広いです。けれど、まだまだ健康ですから。もう少し腰が悪くなってしまったら、売り払って施設にでも入らなければなりませんね」と、しみじみと言った。

 どことなく家を見るその視線は柔らかく、ああ、この人にとってここは故郷なのだ、と思う。

 リビングに通される。四人がけのテーブルは丁寧に掃除されている。チェストの上には写真がフレームに入れて飾ってあり、組木細工のような人形が二体、並んでいた。窓からは庭の木が色づけた緑色の光が差し込み、ほっとする。

 ここには安心がある。

 椅子はすべて手作りのようだった。「こちらにどうぞ」と勧められて座った椅子は柔らかく、何かの革が使われていた。木のような石のような独特の質感をもつフレームで、なんとなく肌に馴染む。不思議な椅子だ。テーブルを見ると、他の椅子も同じように作られていたが、どれも個性があって、例えばすこしずつ高さが違っていたりする。

「この椅子も、手作りなんですか?」

「ええ、そうですよ。椅子は、その人が心を落ち着ける場所ですから。来客をもてなす時には、必ずこれらの椅子に座ってもらっています。あなたには、その椅子がよく似合う。そう思います」

 お茶を出しながらそう語る老人。

 いい香りのお茶だ。ホッとする。なんとなく涙が出そうになる。オカルト研究会の厄介事に巻き込まれると、廃病院の除霊などをやらされるので、懲り懲りだ。ここには、死や恨みではなく、安息がある。ただそれだけのことが、こんなにも眩しく感じるなんて……。私は今、優しさの中にいるのだ。

 感傷的になってしまった。

 すぐに考えが明後日の方向に飛んでいくのは、私の悪い癖だ。

 現実のことは忘れていいけれど、ここに来た目的を忘れてはいけない。

「この椅子は、名前などあるんでしょうか? あ、ええと。一応、作品ということでいいんですよね?」

「はい、ありますよ。マユといいます。座る人を優しく包み込んでくれる、そんな意味を込めています」

 やはり、作家なのだろう。椅子のことを聞くと、柔らかい表情が更に一段階ほころぶ。

「いつ頃から椅子を作っているんですか?」

 ボイスレコーダーを示してスイッチを入れ、私はインタビューを開始する。

「そうですね、ちょうど三十年ほどでしょうかね。もともとは木材だけで作っていたんですよ。ほら、小学校の頃に、工作の授業があるでしょう。あれが私は好きでね。それから、材料が手に入ると、仕事の合間を見つけて作っていたんですよ」

「長いですね……。フリーマーケットに椅子を出すようになったきっかけはなぜでしょう?」

「結婚した時は良かったんだけれど、しばらくすると妻が怒り出しちゃってね。あなた、こんなにたくさん椅子を作っても、座ってくれる人はいませんよ、なんて。それはたしかにそのとおりで、しばらく椅子づくりをしなかった時期があったんだ。

 でも妻も死んでしまって、家に一人きりになってね。お金もまとまった額があるし、やることもないから、また始めちゃったんだよ。そうすると、なんとなく、妻に拗ねられているような気がしてくるんだ。それで、椅子は売ることにしたんだよ。フリーマーケットのことは、近所の人に教えてもらって知ったんだ」

 楽しそうに語る老人は、年齢に似合わず子供のように目をキラキラさせていて、ああ、こんなに楽しそうに話してくれるなら、わざわざインタビューに来た甲斐があったな、と思った。


■ 3


 インタビューを続けるうちに、すこしだけ頭が痛くなってきた。

 ちりちりと、脳の真ん中をつままれたような痛みだ。何か、細い針のようなもの――いや、ピンセットのようなもので引っ張られているような、じくじくと響く痛み。これは、良くない兆候だ。

 日が隠れたのか、黄緑色の柔らかな光は、暗く湿っぽい光に変わっていた。

「暗くなってきたね」

 老人がそう言って、立ち上がって照明の紐を引く。蛍光灯の無機質な光が強くなり、部屋は明るくなったが、しかし息苦しくもなった。私は蛍光灯の光が苦手だ。

 もうずいぶん長いこと話し込んだ。一時間は経過しただろうか。ボイスレコーダーのバッテリーを確認しつつ、私はインタビューを継続する。

「娘さんが亡くなられた時は」

「ええ、そうですね。やはり、約束のことが気がかりだったよ。娘に椅子を作って欲しいと言われていたから、うまく作れるだろうか、娘は納得してくれるだろうか、って。けれど、完成した椅子に座ってわかったんだ。娘は喜んでくれているって。その椅子に座ると、まるでゆりかごで眠ったような、心地よい感覚になったんだ。ああ、これはきっといい仕事がてきたな、って思ったんだよ。その椅子はね、今も残してあるんだ」

「そうなんですか……。椅子づくりは、娘さんや奥さんとの絆なんですね」

 老人は寂しさを一切匂わせずに、ゆっくりと頷いた。老人の笑顔だけが、私にとっての救いだった。頭痛がひどい。

 頭痛がひどいのだ。なぜだろうか。まるで、なにか、そう、つまり、私には実は霊感がある。ただ、それがどんなものなのかわからないのだ。頭痛がする場所に何がいるのか。良くないものなのか、気にするほどでもないのか。私に敵意を向けているのか、何かを訴えているのか。加えて、私自身は霊感と無関係な頭痛も患っていて、厳密には判断がつかない。ここになにかいるのだろうか? この、柔らかな家の中に。

 お茶を一口すすって、ぼんやりと周囲を見渡す。きっと、安全を確認しようとしたのだろう。

 チェストの上にある写真には、娘さんらしき女性と、奥さんらしき女性の写真がある。老人の若い頃の写真もだ。それから、二対の人形。木の枝を組み合わせたような人形だ。光の具合が変わって、すこし陰鬱な表情をしているようにも見える。顔はないのだけれど、なんとなくそんな姿に見えるのだ。

 写真はどれも古くなっていて、まるでずっと昔の遠い出来事のようだ。写真の中の人物たちは、みな微笑んでいる。それはもう、失われてしまった過去だ。

 なぜか、私は、突然、聞きたいことができた。そしてそれを聞いてしまう。聞かなければよかったと、今では後悔している。

「娘さん、お名前はなんというんですか」

「ええ、はい。先程言ったとおりですよ。他人を優しく包み込む柔らかな人になってほしいと願いを込めて、まゆと、名付けました」


■ 4


 全身に悪寒が走って、気づいたら私は老人の家を飛び出していた。


 椅子。

 あの、椅子だ。

 あの椅子は、老人の娘なのだ。

 人の革と人の骨で作った椅子だ。

 果たしてどうだろう、あの二対の人形は、指の骨を組み合わせたと言われればそう思えてくる。

 だとしたらなんだ、あのテーブルに備え付けられていた四脚の椅子は、すべて、すべて――誰なんだ?

 柔らかな微笑みで、あんなに、悲しいほど安心できる場所を作るのに、人を殺したのか――いや違うのだろうか。彼はもしかしたら、人ではないのかもしれない――人ではなくて、なにか別のものなのかもしれない。人がペットに優しくするように、彼もまたペットに優しくしているのかもしれない。

 食うために育てている家畜を、愛さない理由などあるだろうか。

 愛さない者もいるだろう。

 愛する者もいるはずだ。

「うっ、ゲエェエエェェッ」

 道端に吐いた。

 あまり昼を食べてなかったから、ほとんど胃液のような吐瀉物を撒き散らす。頭痛が少しだけ収まった。老人の家から離れたからだろうか、それとも吐いたからだろうか。わからない。何もわからないし、わかりたくもない。

 私は何を見ていたのだろうか。

 ええと、そうだ。違う。老人の冗談かもしれない。そうだ、私をびっくりさせようとしただけだ。よく考えれば、人の骨や革で椅子を作るなんて難しいんじゃないだろうか。骨だけでは強度に欠けそうだし、人の革はそんなに大きくないんじゃないか? うん、きっとそうだろう。だから、うん。後で、明日にでも、老人に謝罪をして、インタビューのことはなかったことにして、佐倉にメシを奢ってやろう。もうなんでもいいや。


■ 5


 三日ほど経っただろうか。

 新聞部に、老人が訪ねてきた。忘れ物を届けてくれたそうだ。私は会っていない。

 私の忘れ物は、ボイスレコーダーだ。

 音声は全部消されていた。

 それから、新しい椅子ができたのでといって、もってきてくれたらしい。私は座らなかったが、やたら座り心地の良い椅子らしく、新聞部はその備品を受け入れた。


 ところで、忘れ物といって渡されたボイスレコーダーは二つあった。

 部長は首を傾げていたので私は何も言わなかったが、それは佐倉のものだった。

 佐倉が記事にしようと思っていたのは、たしか、十五年ほど前の行方不明事件だったか。

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