偽証性ヒューマニズム
001 詐称性サウンド
■ 1
心霊スポット巡りを生業とするぼくの元にどこからともなく現れて絡んでくる女がいる。
エキセントリックはミステリアスとは程遠い。
天門大学オカルト研究会の名物部員にして、現二回生で最もオカルティックな女。
瑞鳥とは大学に入学する以前から友人――認めがたいが、友人である――だったのだけれど、去年の十月に命を救われてしまって以来、彼女は僕に対して一層調子に乗ったというか、遠慮がなくなってしまった。
ゴールデンウィーク前の水曜日。昼。食堂にて。一人で黙々とカツカレー定食を食していたぼくの前にかしゃんとトレイを置いたのは、瑞鳥輪廻だった。眩しい金髪が涼しげに揺れる。
「やっほ、坂上くん。一人寂しくランチタイムの坂上くん。なぜか周囲のテーブルに誰も座っていない坂上くん。可哀想な坂上くんを慰めるために、愛しの私が来たよ」
「黙れ。帰れ」
「
「……つまりなんなんだよ」
「私の自己紹介!」
ええと、天邪鬼だから、帰れと言われると帰りたくなくなる、みたいなことが言いたいんだろうか。
そもそも瑞鳥輪廻がぼくの言うことを聞き入れることはない。……絶対ではないが、滅多にない。
第一、ここは食堂だ。つまり公共の場所なので、ぼくが帰れと言って瑞鳥が帰る道理もまたないのである。
瑞鳥はぼくの正面に座り、自分のトレイに置かれている麻婆豆腐丼にカバンから取り出したラー油を大量にそそぎ始めた。かけるって感じではなく、そそぐって感じで、こう、だーっと。油と辛さで、見てるだけで胃が死にそうだ。馬鹿なんじゃないか?
「辛いものを食べると元気が出るらしいからね。五月病にはかからないようにしないと」
「五月病はそういうので治らないやつだと思うんだが」
「何言ってるの坂上くん。病は気から、心は体から、健康な肉体は何より得難い原資なんだよ。知らないの?」
知ってるけどさ。
辛いものは体に良くないんだよ。
知らないのだろうか。
「それはそうと私が冴えない坂上くんを探し回って学内を三十秒ほど徘徊したのには理由があるのだよ。私に興味津々の坂上くんはその理由を知りたいと思っているみたいだから、しょうがない、教えてあげよう」
「ごちそうさま」
「まだ小鉢とデザートの杏仁豆腐が残ってる! 朝ごはん食べてないんだからちゃんと全部食べて!」
「なんでぼくが朝飯食わなかったことを知ってるんだよ」
きもい。
瑞鳥はぷりぷりと怒っている。ぼくの質問は全く聞こえてないのか聞こえていて無視しているのか、あるいはぼくが昼食を残して席を立つのが心の底から許せなくて耳が遠くなっているのか。
「あのねえ、坂上くん、私のことをなんだと思ってるの? べつに貧乏神でも疫病神でもないんだよ。味噌も蝿も好きじゃないんだから」
ちなみに瑞鳥が食している麻婆豆腐丼定食には味噌汁がセットになっていて、一切手を付けられていない。
「私は坂上くんが喜ぶかなーとおもって、心霊スポットの情報を持ってきたんだよ。あ、ていうか麻婆豆腐辛い。辛っ!」
…………。
仕方ない。立ち上がりかけた腰を下ろして、瑞鳥の話を聞いてやる。
「あ、それでね。心霊スポットのことだけど」
麻婆豆腐丼を脇に避けてぼくの杏仁豆腐を強奪した瑞鳥は話を続ける。
「なんかねー、だいたい二ヶ月前くらいからネットで流れてる怪談なんだけど。ええと、
「……誰が特定したんだ?」
「んー? そりゃあ、
■ 2
ワンピースやルーズなニットセーターなんかを着ていることが多い彼女だが、廃墟探索に出かける時は専門装備に身を包むので、今日はつまりそういう装備だ。ウェーブのかかった短めの髪だけが、彼女本来の気質を残している。
「坂上くん、あのね、輪廻は来れなくなっちゃったんだって。なんだか用事ができたとかどうとか言ってた気がするな。だから二人でいくことになります」
なるほど。気まぐれで掴みどころがないのが瑞鳥なので、そういうこともあるだろう。彩智と二人で廃墟探索をするのは珍しくないし、むしろ不用意に歩き回る瑞鳥がいない方が安全度は高い。
全く問題ない。
むしろ展開としては良い。
余計なトラブルは抱えたくない。
「それで坂上くん。言っておくことがあります。坂上くんはあまり装備が整っていないように見受けられるので、わたしから離れることは禁止」
「これでも整えてきたつもりなんだけど……」
いくら経験を積んだとはいえ所詮は素人の備え、やはり専門家の目からみると不足は否めないということか。
「今回はまちなかの廃屋だからそんなに心配することはないと思うけどね。はいこれ坂上くんのグローブ。靴も本当はブーツがいいよ。スニーカーだと紐が危ないし」
「なるほど……。勉強になります」
いつも履いているスニーカーをダメ出しされてしまった。履きなれたもののほうが良いという判断だったけど、確かに靴紐があると危ないよな。床板の割れ目に引っかかって転んで、転倒した先に釘が飛び出してる、みたいなシチュエーションが目に浮かぶ。
彩智からグローブを受け取る。薄い黒の丈夫そうなグローブだ。彩智は同じグローブを付けたままスマホを操作して、最後に時間を確認してからポケットにしまった。
「じゃあ、行こうか」
「ん、了解」
時刻は午前一時過ぎ。場所は文倉市端矧四丁目。ツツジの木が目立つ洋館。
夜、この洋館から人の気配を感じる、らしい。
普通に不審者が住んでるだけじゃねえのと思ったのだけれど、近隣住民への聞き込みでは、そもそも人の気配を感じたことなどない、という意見が多数。管理人のおじさんは「ずっと放置してるから、まー不審者が住んでても、おかしくはないかもねえ」とか言ってたけど。
大学生の肝試し(客観的には)に自分が管理してる物件の鍵を渡すというの、普通に考えてありえないんだけど、大丈夫なのかなあの人。
軋んだ音を立てる鉄門を通り抜け、敷地に踏み込む。荒れた庭を、光の細い懐中電灯で照らしながら、慎重に歩いていく。玄関まで続く石畳は割れていたり、あるいはめくれていたりする。足を取られて転倒しないよう注意しながら進んでいく。
どれくらいの期間、放置された建物なのだろうか。
「そもそも、この建物の管理人さん、ただの近所のおじさんみたいだしね。オーナーさんとは数年前に会ったきりだって」
「なんで管理続けてるの?」
「お金は振り込まれてるみたい」
なるほど……。
ぼくだったらそんな怪しい物件の管理、やりたくないな。
彩智と並んで、寄り添うようにして歩く。庭からの草木の生臭い匂いと、朽ちた洋館の埃っぽい匂いが混じり合って、落ち着かない。懐中電灯を持っている手が微かに震える。鉄門と塀の内側――洋館の敷地は、異界だった。植物たちが折り重なって暗闇を作り、生臭い匂いと虫たちの気配がなにかを誤魔化しているような。本能的な警戒心が逆立てられる。
玄関扉は両開きの豪奢な造りで、取っ手には山羊のモチーフが使われていた。当然、施錠されている。冷たい金属の取っ手を引いてみたが、わずかに金属がぶつかる音を立てただけで、開かない。
「やっぱ開かないね。じゃあ、はいこれ」
彩智は腰のポーチから鍵を取り出して、渡してくる。ぼくが開けるのか……。
しかたないので受け取って、鍵穴につっこんで回す。すこし引っかかりを感じたが、途中で重くなって、カシャンと音がした。無事解錠できたようだ。
両開きの扉の片方だけを引くと、ギギギ、と扉が軋んだ。ギリギリ体が通るくらいまで開けて、ぼくから先に建物に入る。
西洋風の館だ。といっても、日本に建てられたものだからだろうか、どことなくチグハグな――まぜこぜな印象を受ける。彩智がもってきたライトの光が、すばやくエントランスを走った。目立った異変はなく、薄くホコリが積もっただけの廃墟だ。
「全く手入れされてないってわけじゃないみたいだね。一応、管理人さんも、年に一回は掃除に来てるって言ってたよ」
「仕事してるんだかしてないんだか……。ていうか彩智、なんて言って鍵借りたの」
「大学の研究で、江戸時代後期に建てられた洋館を調べて回ってるって言ったんだよ。大学生って良いよね。高校生だとこうはいかないから」
彩智の趣味は高校生の頃からだという。廃墟に侵入するために、あの手この手を使った実感が込められた言葉だった。
洋館は二階建てだ。エントランスは吹き抜けで、階段には手すりが
普通の家――いや館だから、普通の家ではないんだけど。薄暗く人気がないという以外、特に違和感はないというか。例えば、人が住んでいる痕跡とか、出入りした痕跡がないような――
「ホコリがまばらだね。人が出入りしてるかも?」
「あ、なるほど」
言われてみると、たしかに。ホコリがまばらになっている箇所がちらほらとある。二階に向かう階段や、エントランスを横切るような方向に。足跡とまではいかないけれど、何かが通ってホコリが舞った跡、のような。
痕跡はないと思ったけれど、単にぼくが鈍感なだけだった。
「犯罪者だったらまずいなぁ。いちおう、輪廻に連絡しておこう」
撤退する気はないんだ……。
■ 3
インターネットの書き込みを総合するとだいたいこういう話になるらしい。
「文倉市に昔からある洋館の一つ。かつてそこに住んでいた一家が心中して以来、誰も住んでいない建物がある。そこには何らかの呪いの品が置かれていて、入ってくる者を館に閉じ込めて取り殺してしまう」
呪いの品、にはバリエーションがある。呪いの人形だとか、いわくつきの絵画だとか、壺や鏡の場合もある。とにかくありそうな、それっぽい品物が怪異の原因である、という内容らしい。
「輪廻がいうには」
ぼくが懐中電灯で照らした部屋を、彩智が写真に収める。
「呪いの品、は結構適当なんだって。ほら、このあたりって古い洋館が多いでしょ。昔からの貿易港が近いからだと思うんだけど、ここより肝試しに向いた場所もいくつかあって。そこで見つけた品物を、呪いの品だって書き込む、みたいなことが何度もあったんじゃないかって」
ああ、なるほどね。自分が見つけたものが呪いの品だと思いたくなる――すごいものを見つけたって言いたい心理は、確かにある。
肝試しに来て何もありませんでした、っていうのもそれはそれで興ざめだからな。
「そうやってネットの書き込みが増えていくうちに、どこの話かだんだんわからなくなっていって――怪談が統合されていったというわけ」
一階を巡り歩いていると、半開きの勝手口を見つけた。本来なら錠が落としてあったのだろうけれど、今は外れてしまっている。鍵がなくとも、ここからなら中に侵入できるだろう。
まばらになっているホコリも、ここから人や動物が侵入したからかもしれない。まれに蜘蛛や虫の死骸を見かけるのも、説明がつく。
一階を一通り見て回ったので、玄関前のエントランスに戻ってくる。そこから二階に続く階段が伸びている。ぼくが踏み板に足を乗せると、ぎしりと軋んだ。
「気をつけてね、坂上くん」
足場の強度を確かめるように、慎重に上っていく。
階段を上りきると、左手側にすぐ扉があった。微かに腐敗臭がする。通路は右手側に伸びていて、突き当りに鏡が置かれていた。薄汚れていて、ところどころヒビが入っている鏡。
ぼくと彩智の姿が、懐中電灯の光で照らされてぼんやりと浮かび上がる。薄汚れた鏡に映る僕たちは、霧の中に立っているようにも見えた。
「鏡があるとびっくりするね。不気味だし」
「たしかにね」
鏡にまつわる怪談は多い。呪いの品のバリエーションには鏡も含まれていたっけか。
「別に変な鏡じゃないね」
懐中電灯で隅々まで照らしてみたけれど、違和感はとくに感じなかった。表面が曇っていて白っぽくなっているけれど、後ろにある扉まで映っている。特に歪んでいるということもないし、木枠も古いがしっかりしている。
少し近づいてみると床板が軋んだ。ぎしぎしという音が、木造の館に吸収されて消える。小柄な彩智が歩いても軋むので、そこそこ傷んでいるんだろう。
「床が抜けたりしないよね」
懐中電灯を床に向けてみるが、素人が見てもなにもわからない。
「これくらいなら全然大丈夫だよ。普通の家でもこれくらい軋んだりするし、そもそも床が抜ける廃屋はこんなもんじゃないもんね」
こんなもんじゃないのか。
その言葉を信じよう。と、鏡のある突き当りの、さらにその先に懐中電灯の光を向けた。その時だった。
ぎしり、ぎしり、
背後で床板の軋む音が聞こえる。ぞわりと背筋が泡立つ。とっさに懐中電灯の光を向けると、そこには何もいない。彩智も、振り返って懐中電灯を向けている。彩智にも聞こえたのなら、気の所為ではない。
扉と埃っぽい床。それ以外はなにもないし、何も動いていない。
ぎしり、ぎしり、
――いや、動いていた。
床板が微かに上下する。何かが、見えない何かがそこに立っていて、こちらに向かって歩いてきていた。
音だけが歩いて、こちらに向かってくる。思わず唾液を飲み込んで、自分の喉が鳴る音がやけに大きく聞こえた。手が緊張でしびれて、体が重い。
ぎしり、ぎしり、
何者かの歩く音が近づいてくる。彩智がぼくの袖を引っ張ったので、引かれるまま突き当りの角に身を寄せ合うようにして縮こまった。
果たして――足音は、僕たちの目の前で横切って、通路の奥に進んでいく。
息を吐く。止まっていた呼吸を再開させて、角から離れる。さっきまでは足音に追い詰められる位置関係だったけれど、今はこちらが足音を追いかけられるようになった。彩智が声を潜めて言う。
「どうする?」
「……追いかけてみよう。どこかに向かってるのかもしれない」
掌を開いて、閉じる。体の調子は戻ってきた。緊張もほぐれてきた。なんということはない、ただの足音なのだから。ついていって、案外なにもないかもしれない。
彩智が一瞬だけ、懐中電灯で背後の扉を再び照らした。足音が聞こえ始めたのは扉の前からだったか。それからぼくたちは足音に導かれるままに、通路を慎重に進んでいく。
ぎしり、ぎしり、 ぎしり、ぎしり、
ぼくの足音と、彩智の足音と、正体の見えない床板の軋む音が、夜の洋館に連なる。
途中にもいくつかの扉があり、家具が設えてあったが、それらを調べることはしなかった。何者かの足音は決してぼくたちを待ってくれる様子はなかったからだ。
やがて足音が立ち止まったのは、一つの扉の前だった。そしてそのまま、足音は部屋の中に入っていく。丸いドアノブは他の扉と同じく真鍮製で、長く使われていたのか放置されてしまったからなのか、ところどころ黒ずんでいる。触れるとガタついた。
「開けるよ」
彩智に言う。ぼくの右腕にひっつくみたいに寄り添う彩智が、小さく頷いたのが気配でわかった。
扉を開けた先には――
■ 4
扉を開けた先には何もなかった。
なにもない。空っぽの部屋だった。家具もないし、荒れた痕跡もない。カーテンのない窓の向こう側に、街の灯りが見える。懐中電灯で部屋中をくまなく照らしてみたけれど、なにもない。
もともとこの洋館は落書きやゴミなんかがなかったけれど、それにしてもここはきれいだ。ホコリもあまり積もっていない。二階の一番奥にある部屋だから、ほとんど誰も入らなかったんだろう。
「なにも、ないね」
「うん。なんだったんだろ、あの足音。ここにぼくたちを連れてきたかった、とか?」
彩智は口をとがらせて、首をかしげた。
「さあ……。部屋の中まで入っていったから、廊下になにかあるってわけでもないだろうし。それに、もう聞こえないよね」
例の足音は、部屋に入るなり聞こえなくなってしまっていた。
「隠し扉とか、隠し通路とか。そういう仕掛けがあったりして」
「そんな、ホラーゲームじゃあるまいし……。それに、あったとしても、ノーヒントで探すのは無理でしょ。せめて建物の見取り図がほしい」
「坂上くんは夢がないなあ」
そういう話なのか?
少し考えて、彩智はちょっとだけ不満そうにため息をついた。
「仕方ない、今日はもう引き上げようか。また来ればいいよ」
ぼくと彩智は部屋を出て、元きた通路を戻った。いくつかの扉を素通りして進む。こうして歩いてみると、来る時より短く思えるから不思議だ。
そうやって鏡のある突き当りまで戻ってきた時だった。
異変が起こっていた。些細だが、確かな変化があった。
扉――足音が聞こえ始めた場所にある扉。二階への階段を上ってすぐにある扉が、開いていた。
むわり、と鼻を刺すような腐敗臭に気づく。
本能的に吐き気を催す、不快な匂い。
扉の向こう側、部屋の中は見えない。けれど、その先に腐敗臭の原因があることは明白に思えた。彩智が再び、ぼくの右腕を掴む。そちらを見ると、彩智と目があった。
怯えて揺れる彩智の瞳。
「あのね、坂上くん。そういえば、言いそびれてたことがあって」
彩智が口を開く。視線は、開きっぱなしの扉に戻す。懐中電灯を持つ手が震えて、うまく先を照らせない。深呼吸して握り直した。
「顔が見えた気がしたの。扉の隙間から、男の人の顔が。気の所為だと思って、後で言おうって。だけど、誰か居たのかも」
扉の向こうに、と消え入るような彩智の声が、響かずに、建物に――壁に、床に、天井に吸収されて、消える。
ぎしりと、床が軋んだ。ぼくが踏み出した足が、床板を鳴らす。
ぎしり、ぎしり、
慎重に歩いて、開け放たれた扉から部屋に一歩踏み込む。
二歩、三歩。
部屋に入って、懐中電灯の光をぐるりと巡らせた。ちらりと、光がなにかを捉える。もう一度息を吸って、腐敗臭にむせ返りそうになる肺を無理やり抑え込んで、光を向ける。
その先には、腐敗して半ば溶けかかった、
制服を着た女の子の死体が、窓際に横たえてあった。
ぼくも彩智も、悲鳴は上げなかった。代わりに、喉が胃液で焼ける感触がした。
■ 5
「犯人、捕まったみたいだよ」
「そりゃあよかった……。いや本当に。あんな住宅街に死体があるなんて」
彩智と待ち合わせた場所は Vent Arriere(ヴァンタリエル)という喫茶店だ。彩智が良く通っている店らしい。高い天井と、そこに設置された天窓が特徴的な内装だ。高校生くらいの若いウェイトレスの女の子が注文を取りに来たので、ホットコーヒーを頼んだ。
今日の彩智はブーツや帽子で武装しておらず、ゆるふわな外見に相応しいゆるふわなファッションだった。ただし、いつもより少しだけ上品にまとまっている印象を受けた。可愛らしい外見なので、中身がとんだ廃墟フェチだとは、誰も思わないだろう。
ホットコーヒーが到着するのを待ってから、彩智は話を始める。
「坂上くん、死体じゃなくてご遺体だよ。創作怪談じゃないんだから。実在する被害者なんだから。こうして話すのも、本当は不謹慎なんだよ」
「うん、まあ。それはそうだけど。……それで、あのご遺体はだれだったの」
「あのね、あの子、先月行方不明になった近所の中学生だったんだって」
そう言って彩智はその中学生の名前を教えてくれた。もちろん、聞き覚えはなかった。
「えーっと、三年生になって、塾に通うようになったんだって。それで夜遅くに歩いていたところを、襲われたんだろうって。殺人犯が捕まったあとで、改めて部長のところに刑事さんが来てくれたんだってさ。よく知らないけど、知り合いだったみたい」
「部長も伊達にオカ研の部長ってわけじゃないのか。警察関係にコネがあるなんて」
「あはは……。去年の事件の時に色々あったからね。それで、殺人犯が捕まった経緯なんだけど――えっと、自首したんだって」
「――自首? えーっと、自分で罪を告白した、ってこと?」
「そうみたい」
それはどういうことだ?
……いや、もちろん。素直に考えるのなら、良心の呵責に耐えかねて、ってことなんだろうけれど。女子中学生を殺して人気のない洋館に放置するような人間にも、罪の意識があったのだろうか。心温まるエピソードだ。
「自首した理由は全然わからないというか、錯乱してるみたいで。けど、遺体があったのは事実だし、遺体からその――犯人の痕跡が見つかったから、嘘をついているわけでもないみたいで」
痕跡、ね。
コーヒーが不味くなる話だ。
彩智が言いにくそうに目をそらして、うつむき気味で話す。
「あのね、居たんだって」
「居たって? なにが?」
「犯人が」
「ん? どこに?」
「あの洋館の、遺体のあった部屋に。ずっと住んでたんだって。わたしたちが探索してた時もずっと」
――それは、なんだろう。
薄氷を踏むような話だ。
同時に合点がいく。彩智が見たという顔は、犯人のものだったのだろう。
足音の正体は、謎のままだ。
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