変心

八艘跳。

変心

「ちゃんと聴いてるの? ふざけないでっ」


 肩を震わせて怒る彼女をなだめる言葉がみつからない。確かに、沖縄の所得は低い。最低賃金だって平成二十七年に上がってもだ。福岡で暮らす現状と比較するだけ無駄だろう。婚約解消に踏み切った罵声をうけるのも当然のことのように思えた。叩かれた頬の感触を思い出すのさえ億劫おつくうになるほどの時間が過ぎている。それでも彼女の笑顔だけは覚えていた。



「とはいってもね。不謹慎かな」



 かつての婚約者、いや、恋人にかけた電話は繋がらなかった。沖縄に帰った俺を待っていたのは、不況のしわ寄せと年老いた両親であり、彼女を連れて帰らなくてよかったと思っている。ひどく身勝手な自分に苦笑しながら歩く街中は明るい。春先とはいえ、かりゆしウェアのサラリーマンの脇をすり抜けて着いたのは潰れかけの映画館だ。学生の頃の思い出が蘇る。。それだけの仕事がとても格好良く思えていたかつて。それも今日で店じまい。


「お、ケンちゃん! 元気だったかい」

「しばらくぶりです、店長」

「懐かしいな。本当に……それも今日で終わりになるがね。久しぶりに回すかい?」

「鈍ってますって。勘弁してください」


 ポケットが震える。スマホの通知は通信アプリからで『もう連絡しないでと言ったのに……無事です』とある。『ならいい』と返して頬を叩いた。すぐに返ってきた文面に苦笑してしまう。


「彼女かい?」

「勘違いですよ。ただのアプリです。……そうだ、店長。一緒に回しませんか? 最後の思い出ってヤツで」


 背筋のしゃんとした店長が猫背になっている。こんなところでもはあるのか。スマホで打つ文面は決まっていた。


『ちょっとね。悪かったと思ってる。やり直してみたいの』

『それは。不安なだけだろ。無事ならいい』


 久しぶりに回す映写機はひどく格好悪くて暖かかった。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

変心 八艘跳。 @Jump-eight-boats

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ