ある日予告も無しに赤紙が届いたんですが

江戸川ばた散歩

とある火曜日の夕方。

 大学から帰り、俺はアパートのポストを開いた。

 そして次の瞬間、閉じた。

 数秒考えた。開けるべきか否か。

 開けたくない、という気持ちに応えてやりたかった。正直、一瞬見えたものを脳裏から消去したかった。

 だが現実に全ては敵わない。

 俺はおそるおそる、ポストを再び開けた。

 ため息をついた。嗚呼。

 見間違いではなかった。濃いサモンピンクの定形サイズの封筒が一通。

 差出人の名は無い。あえて頭の中を空っぽにして、封を破った。中には同じ色のカードが一枚。ただ一言金文字で「招待状」と書かれただけの。

 気が付くと、ポケットから携帯を取り出し、親指が無意識に友人の一人を呼びだしていた。

 コール音が聞こえるかどうか、というくらいの早さで相手は出た。思わず耳に受話器を強く押し当てる。


『高村か』


 低い、問いかける声が耳に飛び込んできた。俺は唾を一度飲み込んでから、できるだけ冷静に、と思いながら口を開いた。


「……佐久田、赤紙が来たんだ、俺。やだね、誰が俺のことからかったんだろ。こういうイタズラって信じられる? このご時世でさ。ねえ、聞いてる?」


 まくし立てる俺に、佐久田は「聞いてる」といつもと同じ口調で言った。そして少しの間を空けると、こう付け足した。


『俺もだ』

「え?」

『俺にも、来た。赤紙が』


 その時俺はようやく「そんな馬鹿な」と思った。

 そんなことはあり得ない。

 あっていいはずがない。

 だって。


***


 あれは半年程前のこと。


『……えー…… ここで臨時ニュースをお知らせします』


 学食の真ん中にある馬鹿でかいTVモニタの中が不穏な空気を漂わせた時、俺と佐久田はいつもの様に昼飯のおかずの取り合いをしていた。

 昼食時、賑やかな食堂の中、腹を減らした学生達(男女問わず)の耳に、緊張した顔のアナウンサ氏の声はすぐには届かなかった。

 届いたのは、彼がこう言った時だった。


『……すみません。戦争が始まり…… 始まったそうです。始まりました』


 ほえ? とその時やっと俺は箸を止めた。一方佐久田はモニタに目を引きつけられた俺の、口元についたご飯粒を当たり前の様に回収していた。

 さすがに学生達もようやく「お昼のニュース」がいつもとは違うことに気付いたらしい。声が少しだけ静まり、視線がモニタへ集中した。

 声が止まった。アナウンサ氏は放送事故になる寸前まで黙りこんだ。

 画面が変わるか、と思われた瞬間、彼はデスクの上にばん、と手を打ち付けると、文字通り飛び乗った。マイクを掴み、目を大きく見開きヒステリックに叫びだした。


『繰り返します! 聞いてくださいよ!』


 はい、と思わず俺はうなづいてしまった。


『全世界で戦争が始まっちゃったんですよ!! お笑いぐさですよ!! ねえどうしたらいいいんでしょうかね!!』


 あーはははははははははははははは。

 笑う。笑い続ける。モニタの中で止める者は誰も居なかった。

 ただでさえ滑舌の良いアナウンサ氏の、響く声、乾いた高笑いに、学食内が一瞬しん、と静まりかえった。

 反応は様々だった。何が起こったんだ、と顔を見合わせる者、とりあえず箸を止める者、何のネタだ、と胡散臭げに目を細める者……

 ちなみに。


「なあ、戦争って今言った?」


 俺は横に座っていた佐久田の顔を見た。自分の耳が信用できない時には、奴に確認を取るのが常だった。


「そう聞こえた」


 奴は平然と言った。


「何それ。お前もアレはネタと思ってる方?」

「いや……」


 黒い四角いフレーム眼鏡の下の視線が動き、奴が何か言いかけた時。

 画面が切り替わった。

 穏やかな色彩の某国営放送のスタジオから、サイケデリックな色彩が閉じたり広がったりを繰り返す万華鏡の映像に。悲痛な声を張り上げるアナウンサ氏から、嘘臭い笑みを満面にたたえた国籍不明の金髪男に。

 ただ、浮かび上がった彼は、美男子でありながら、オールバックにチョピ髭、そしてロイド眼鏡。手にはしゃかしゃかと算盤を動かしている。


「さいざんす・マンボ?」


 誰かの声が飛んだ。そうそう、そんな感じだ。その姿は、数日前にネットの無料動画で見たトニー谷を思い出させた。

 その男の顔が、ぐい、と目を中心に広角レンズを使った様にズームアップされた。


『わっかりませんかー? そんなご理解できないなんて、まあお馬鹿さんですねー。それではわっかる様に正確に言いますよぉ。今からアナタ方に、戦争をしてもらいましょ、ということです』


 ……これまた実に神経に障る口調で。流暢すぎる日本語が更に嘘臭かった。

 その頃には既に、学食は水を打った様に静まりかえっていた。何かの冗談か、と思いつつも不吉な予感がしているのだろう、席を立つ者は誰も居なかった。

 金髪男はにへらにへらと嫌らしく笑いながらその口を動かした。更にそこに白手袋をした手も実に表情豊かに加わった。


『あなた方はよぉやく、ここまで育ってくれた。我々は、とても、嬉しい。さぁてさぞ、これからのゲェムは楽しいものになるでしょうねえ』

「ゲームだって?」


 佐久田の声が俺の耳に飛び込んで来た。「冗談じゃねえ」というつぶやきがそれに続いた。珍しく本気で怒っている。


『さて、それでは今からたナタ方の言うところの各「国」という名の共同体を全て分断しまーす。はいっスタート!』


 掛け声が決まった―― とばかりに、胡散臭い金髪男は「かっかっか」と水戸黄門式高笑いと共にフェイドアウトしていった。

 彼が消えると同時にサイケデリック万華鏡もぷつりと消えた。

 暗転。

 数秒、テストパタンのカラーが出て。

 復帰するまで、どのくらいかかっただろう? ひどく長く感じた。


『……失礼致しました。臨時ニュースを追加します」


 だから、その声、その姿が現れた時には何となくほっとした。見慣れた、穏やかな色彩のニューススタジオだ。

 だけどデスクに座っていたのはさっきまでのアナウンサ氏じゃなかった。


『先程入りました連絡によりますと、東海道・山陽新幹線、東海道本線が米原で分断…… 北陸本線…… 同様に各自動車道も分断……』


 読み上げて行くその声は、籠もった棒読みだった。心なし、原稿を読む視線が虚ろに見えた。

 だがやがてモニタに近い場所を取っていた学生達から「何だそれ」「冗談じゃない」と声が上がりだした。

 俺は、と言えばなかなかアナウンサ氏の言うことが理解できず、とりあえず友人の顔を見た。

 佐久田は俺よりずっと頭が良いのだ。俺にとってはちょうどいいランクのこの大学に居るのが不思議な程だ。「師事したい教授が居たから」と言うのが奴の言だった。

 奴は眼鏡の下の目を細め、黙って食器を持つと立ち上がった。いつの間か、すっかり綺麗に食べ尽くしていた。

 俺も慌てて残りをかき込むと、奴の後を追った。 


 学食を出て黙々と早足で歩く佐久田を、俺は慌てて追いかけた。

 だが身長が頭半分以上違う相手とのリーチの差は厳しかった。追いついた時には学食から既に五百メートルは離れていた。


「ちょ…… 待てよ」


 へろへろになりながら、俺はその腕を掴んだ。


「ああ?」


 佐久田はびっくりした顔で振り向いた。その顔がちょっと憎らしくて、俺は掴んだところをぎゅっと握りしめた。


「どうしたんだよ、いきなり!」

「情報収集に学部棟へ行こうと思っただけだが…… 高村、お前も一緒に来るか?」


 奴の腕を捕まえたまま、俺は大きく首を縦に振った。そしてそのまま学部棟へと向かった。奴の専攻している学部には自由に使えるPCが沢山あったのだ。

 もっとも、ネットの海の中もてんやわんやだった。

 どうやらあの瞬間、金髪男はワールドワイドに電波ジャックを行ったらしかった。

 ただし国によって、言葉と外見はそれなりに違った。面白いことに、どんな国であれ、共通する要望つき感想があった。


「も一度出て来い! モニタ越しでもいいからあのツラ殴ってやりてえんだ!」


 残念ながらその要望はその夜、ゴールデンタイムに実現してしまったのだが。


 なお、その時間になるまでに、国内国外関わらず、様々な事実が判明した。

 大まかに言うと。

 あちこちに「見えない壁」が出現した。

 透明で、厚みが感じられない、だけど「壁」。向こう側は見えるけど、決して通り抜けることができない「壁」。

 ネットを飛び交う情報によると、「材質に関しても調査中だが結論の目処が立たない」とのこと。

 ちなみにその「壁」で、日本は琵琶湖付近で東と西の二つに分けられた。

 アメリカも東部と西部に分けられた。

 中国は仮首都が北京と上海になった。

 大陸の細々とした国々も、半島の元々分けられていた国も、バチカンの様に小さな国ですらも、例外無しに真っ二つだと。

 何のために。皆そう思った。

 そして「彼」がその答えをくれた。更に嫌みたらしい憎たらしい殴ってやりたい笑みと共に。


『さあ戦争の始まりです』


 夜、再びの電波ジャック。

 金髪男は白手袋で包まれた手を胸の前で組んでにたにたと笑いつつ。


『ルールを遵守して』


 全世界に、全人類にそう呼びかけた。


『戦って下さい!』


 何と何が?

 内心突っ込んだであろう俺を含めた多数の人類に彼はこう付け加えた。


『アイする者同士が!』


 ズームアウト。両手を広げて叫んだ。さもそれは世界の真理であるかの様に。

 佐久田の部屋で一緒に見ていた俺は、思わず下唇を突きだして「うー」とうなった。


 そんな訳で、「戦争」が始まった。


 だがしかし、俺とか佐久田とか、そのもろもろの一般市民の生活には大して影響が出た訳じゃなかった。

 金髪男曰く、「戦争」は分かたれた国同士「のみ」がやり合うものであり、他を巻き込むものではないのだ、と。

 「壁」に関しても、別の国を中継点にすれば、分かたれ場所同士でやりとりもできる。人の出入りも貿易も可能だ、と。

 それを聞き、確かめた結果「何の意味があるんだ」と各国首脳は頭をかかえた。「何だかなあ」と俺を含めた一般市民はその現実から目を逸らすことにした。

 そうだろう。ただちょっと移動が困難になって、少しだけ物流に手間取るだけだ。

 これまでに起きてきた地震だの台風だの竜巻だのといった自然災害に比べれば何ってことはない、日常の延長だ。

 遠距離恋愛、単身赴任、出稼ぎその他流通に携わる人々ならともかく、半径数キロメートルで全ての人間関係が終わってしまう人々にとって「戦争」は遠い世界の出来事に過ぎなかった。

 いや、遠恋の人々にしたところで、本気の思いさえあれば何とかなった。他国で逢えばいいのだから。


 ――「赤紙」さえ来なければ。


 そう、問題はそれだけなのだ。

 あの日を境に、「見えない壁」で分かたれた「アイする者同士」の元に、手紙が舞い込むようになった。「戦争に参加せよ」と。

 召集令状だ。ある日突然。予告もなく。

 赤みの強いサモンピンクの封筒に「招待状」と書かれたカードだけが入ったものを「赤紙」と呼ぶようになったのは皮肉だろうか。

 「召集」された者はそれから数時間から数日以内にその場から消えた。文字通り「消える」のだ。ふっ、と。

 最初はお昼の生放送のトーク番組で司会の前から女性ゲストが消えた。驚く司会者の姿は、あっという間にサイケデリック万華鏡に切り替わった。

 その中に女性ゲストと、誰だか判らない男が映し出された。お昼時、学食で「ありゃ誰だ?」「何で**ちゃんが?」等の言葉が飛んだ。

 そこに金髪男の皮肉な声だけが響き渡った。


『さーあ、相手と戦いましょう! 選ばれたアイし合う恋人達よ! 殺し合いましょう!』


 「戦争」がようやく形をとった瞬間だった。俺は「これか!」と頭を横からがん、と殴られた気分だった。

 二人の頭上に白手袋だけが浮かび上がる。下手に顔が出てくるよりずっと怖かった。


『ルールは簡単。相手を殺したら終わり。できないならずっとこの中。いいですよ? 別に。ここではアナタ方、お腹空きませんし疲れもしません。アナタは東。アナタは西。勝った側にポイントがつきます。負けた側は…… むふふふふ』


 ぞくり。悪寒が走った。


『さーあ、がんばって戦って下さい。考えつく自分の最も得意なもので。ここには何でもあります。相手を倒すためのものは。思えば出てきます。何がいいですか?銃? 刀? 爆弾? それとも包丁?』


 この時を皮切りに、不意打ちにこの「戦争」が全世界一斉にTVモニタに映し出される様になった。

 毎日何処かで誰かが戦う姿が見られる様になった。一組の場合もあれば、画面が九つに区切られたこともあった。

 当初はサイケデリック万華鏡が背景だったが、やがてそれでは「戦争」が見にくいと誰かさんは思ったのだろうか、実に目に優しい背景色となった。

 その目に優しい背景色の中では、殺伐とした「戦争」。


 例えば。


 とある日映されていたカップルは、泣きながら包丁とダイナマイトを手にしていた。彼等が互いに突進して爆散した。そして画面には「GAME OVER」の文字が出た。

 また別のカップルは、様々な武器を山と積みながら横並びに膝を抱え、じっと動かずにしばらく悩んでいた。どれだけの時間が過ぎただろう、やがてふっと顔を上げた女は小型のマシンガンを掴むと、男に向かってぶっ放した。撃たれた男は血まみれになってその場に倒れた。撃った女は銃の反動で何処かへ飛んでいき、その行方が知れないまま。

 またまた別のカップルは「アンタアタシを殺してもいいと思ってたの!?」「お前こそ!」といった会話を繰り広げた挙げ句、殴る蹴るの肉弾戦の果て、不意に爽やかな笑顔になると、それぞれ自分自身の頭をピストルで打ち抜いた。

 一番嫌だったのは、その場でお互いが好き合っているということが判ってしまったカップルだ。そういう時に限って、一組だけしか画面に登場させず、無駄にカメラアングルも凝っていた。……さすがにその結末を俺は見る勇気は無かった。

 例は挙げればきりが無い。

 いずれにせよ、吐き気がする程嫌な光景なのに、TVのスイッチを切ることもできず、俺達はその様子を見続けていた。

 負けた側、について金髪男は何も語らなかった。また、ポイントがつくという、勝った側の帰還の話も聞かない。

 ひどく胸くそ悪く、そして良くも悪くもカタルシスも無い「戦争」。

 その召集令状が「赤紙」。


 俺達の元に届いたのは、そんなものだった。

 だからあり得ない、と俺は思った。

 何故なら、俺のアイする相手は、当の電話の向こう側に居る奴なのだ。


***


『なあ高村、お前今、何処に居る?』


 低い声が問いかけてくる。


「え、あ…… 今、……帰ったとこ」


 そうか、と短く答えると、数秒間が空く。


「おい、佐久田」

『高村』


 いつもより凄みのある声に、思わず「あ、はい」と俺は即座に返してしまう。空いた方の掌を置いていたポストの冷たさが妙に心地よい。


『十分…… いや、十五分。お前、今からそこ動くな。部屋に居ろ。いいな。今から俺、そっちへ行く』

「行くってお前……」 


 ぶっ、と通話の切れる音。

 俺はあくびをした猫の様な顔で携帯を閉じた。そのままアパートの階段をがんがん、と音をさせながら上っていく。

 身体のあちこちに変に力が入っている。けど発散どころが無い。仕方が無いから足に一気に。がんがんがん。

 そして頭の中はやはりまだ大混乱しているらしい。ドアを開けることさえままならぬ。まず別の鍵を入れ、次に鍵穴とチャイムを間違え、三度目にようやくドアを開けることができた。後ろ手に閉めて、ようやくほっとすることができた。

 荷物と上着を放り出し、カーペットの上に手足を投げ出して、ごろりと寝ころぶ。

 ああ天井が回っている。目眩? 違う。ただびっくりしすぎただけだ。あまりにも唐突に。

 天井の揺れ幅が次第に小さくなっていくのを確かめると、俺はあらためて佐久田と交わした会話の意味を考えた。


 赤紙が来た。

 俺もだ。


 飛び起きる。


 おいおい、アイし合ってるカップルの所に赤紙は来るんだろう? 

 まず俺のところへ来た。その時点で、相手は奴だ、ということになる。まあそれはいい。

 奴が俺をアイしているかどうか、は…… とりあえず棚に上げて置く。

 でもやっぱりあり得ない。絶対間違いだ。間違いに決まってる。そう言い切れるだけの事情がある。

 そうだ。何と言っても、俺達は壁越しに分けられてはいないじゃないか。

 奴と俺は幼なじみだった。幼稚園の入園式で奴が俺の髪を引っ張って泣かせて以来の。つまりはご近所だ。

 以来、奴と俺は小中高と同じ学校に通ってきた。

 ランドセル背負ってお手々つないで小学六年間。

 横並びで自転車で突っ走り、中学三年間。

 そして「家が近いから」という理由でお互いのランクを無視して通った高校の三年間。

 無理して入った俺はそこで中の下。余裕で入った奴はいつもトップクラスだった。

 そう言えば、奴が黒縁眼鏡を掛けだしたのもその頃からだ。

 無闇に黒くて固い癖毛にそれは濃すぎる、きつい、と皆からは不評だったが、奴は笑って流した。俺は何も言わなかった。似合っていると思っていたからだ。背が急に伸びだした頃。

 ……ああそうだ、この頃だ。佐久田のことをただの幼なじみでも、友人というだけでもなく、「好きだ」と自覚したのは。

 わわわわわ。思わず両頬に手を当てる。熱い。熱いぞ。思い出したら、急に恥ずかしくなってきた。

 慌てて俺は立ち上がり、赤紙の封筒をテーブルに放り出すと、キッチンの流しで慌てて顔を洗う。ぶるぶる、と振って熱を冷ます。

 ……そう言えば、クラスや部活が違うことはあっても、登下校が一緒になることも多かった。休みとなれば、何かとつるんで遊んでいた。

 そして今もまた、同じ大学に通っている。

 住処も決して遠くない。飛んで三分、歩いて五分といったところだ。

 週末になるとどちらかの部屋でレンタルしたDVDを徹夜で見るのも日常茶飯事だ。

 そんな時にはメシも作り合う。ただし俺の作る方が多い。奴曰く「美味い」んだそうだ。

 料理に関しては俺はカンがいいらしい。誉められると悪い気はしない。いや、奴に喜んでもらえるのが嬉しくて、ついつい気合いが入る様になった。そして気が付いたらレパートリーがずいぶんと増えていた。

 俺の部屋には鍋やら調理器具、時には調味料やら香辛料がどんどん増えていった。ちなみにその大部分は奴が「百均にこんなのあったぜ」と言って持ち込んだものだ。目玉焼き型やら調味料入れ、ゆて卵切り、ハーブの小瓶と言ったものが決して広くないキッチンの棚にどんどん増えていったのは見物だった。

 あれ? そう言えば最近俺の部屋に来る回数の方が多いのはそのせいか? そう考えると微妙な気分になる。奴の目的はメシか? 俺か?

 いやいい。ともかくメシ目当てだろうが何だろうが俺の部屋にやって来るんだから。 

 それにしても十分? 十五分? 歩いて五分の所で何手間取ってんだ。うろうろとキッチンを歩き回る。うろうろぐるぐる。


 果たして十五分後、さっきの俺と負けず劣らず、がんがんと階段を上る音が耳に届いてきた。

 ぴんぽんぴんぽん、と奴は恐ろしい勢いでチャイムを押すと、ドアの前で怒鳴った。


「おい高村! ちゃんと居るか!」


 そんな大きな声で。慌てて俺はドアを開ける。何やら大きなバッグを持っている。そう言えば、今日大学で見たのとは違う格好だ。着替えたのだろうか。


「……い、居るよ…… 入って」


 まだ頬の赤みが残っているだろうか。それに気付いたか気付かないか、奴は無言で俺の横を通り抜けて行く。つかつかとキッチンのテーブルに近付くと、放り出したままの赤紙に視線をやった。


「あ……」


 それに俺が気付いた時には赤紙は既に奴の手の中だった。奴は眼鏡のブリッジを軽く押すと、封の中を神妙な顔で確かめる。そして内ポケットに手を突っ込み。


「ほら」


 同じ色、同じ形の封筒を取り出した。


「お前のことだから、嘘だろうとか何とか、ぐるぐる考えてると思ってたけど」

「別に」


 ぷい、と横を向く。その顔を掴まれ、ぐい、と元に戻される。


「やっぱり考えてたんだろう?」


 そう言ってふっ、と笑った。そこは笑うところじゃないだろう。


「……考えてたよ。考えてたら悪いか?」

「悪くない」


 もう一度首を振って、その手を離す。すると今度は手首を。

 そして空いた方の手で。


「本物だよ」


 奴は手にした赤紙を二つ、ひらひらと振ってみせる。


「……そんなこと無い」

「何で」

「何でって」


 声が詰まる。目を逸らす。奴は続ける。


「俺が好きなのはお前なんだから、これは本物だろ」


 うああああああ。直球で来た。来やがった。頬だけでない。掴まれた顔全体の温度が一気に上がるのが判る。

 そして俺に来た方をかざし。


「お前は?」


 最後通牒を突き付けやがった。


「いや、あの! だけど! 俺達幼なじみだろ? お前ずっと俺のご近所だったじゃないか!」

「……それについてはさっき親に電話して聞いてみた。俺の本籍は、残念ながら向こう側だった」


 本籍。

 そうか本籍ですか。

 そういうものをいちいち調べてカップルを見つけだし、赤紙を出す訳ですかそうですか。

 へなへな、と腰の力が抜けるのが判る。尻餅をついていた。

 考えるのも馬鹿馬鹿しくなってくる様な「戦争」なのに、何でそんなところばかり、変に細かいのだろう。

 姿勢が低くなると、奴のバッグに視線が行った。   


「……何ですか佐久田くん、その荷物は」


 そう、確か、それも先程から気に掛かっていたはずなのだ。


「ああ。しばらくここに居させてもらおうと思って」

「そんなお前、一方的な」

「今、お前と離れているのは嫌だ。俺達はいつ召集されるか判らないんだぞ。その時には俺はお前の側に居たい」

「どうしてそんな恥ずかしい台詞を言えるんだあ!」

「さっきも言ったろう。好きだからだ。お前は絶対気付いていないだろうと思っていたが、ずっと好きだった」

「まさかお前、それで俺と同じ高校大学……」

「当然だろう」


 胸を張るな胸を。そして問い返してくる。


「お前はどうなんだ? 高村。あいにく俺は怖くて聞けなかったんだ」


 佐久田は腰を屈めた。俺と目線の高さを合わせる。思わず俺は後ずさりする。奴はそれを見逃さない。退いた分だけ寄ってくる。

 じりじり。じりじり。やがて俺は背中がシンク下の収納庫の扉につくのを感じる。行き止まりだ。デッドエンド。

 俺ははあ、と大きく息をつくと、がくんと首を前に落とした。


「……なあ佐久田」

「うん?」

「俺さ、こういうことで知りたくなかった。お前の気持ち。……知られたくなかった。俺の」


 言い終わる前につ、と顎に手を掛けられた。

 そこでキスするなんて、反則だ。


 カーペットの上で、二匹の猫の様に軽いキスや、じゃれてごろごろとしているうちに夜が来た。

 そして腹が減った。佐久田からも要望があったので、冷蔵庫の中のもので俺は適当に食事を作ることにした。

 買いだしに出ようかとも思ったが、佐久田がそれを嫌がった。外に出ている時に召集されたらどうする、と。

 赤紙が来てから召集されるまで、何日、いや何時間かかるのだろう。遠いことではないのだろう。何にせよ、当初の動揺はいつの間にか治まっている。奴が一緒に居るせいだろう。

 その佐久田は、キッチンに立つ俺を横目で見つつも、TVを何となくつけていた。狭い部屋だ。料理をしながらでも内容は判る。

 芸能界一のおしゃべり男が今日も今日とてハイテンションで司会をしているトーク番組。最近では珍しいゴールデンタイムの生放送だ。

 お題に沿って、ゲストが司会に指名され、自分自身の体験のトークをしていくというもの。大物芸人が若手をいじる時のそのリアクションが受けて、最近では生も見直されつつあると聞く。

 本日最初のお題は「生まれてこのかた最悪だったと思うこと」。


「おい佐久田ー、誰が今日出てるー?」


 俺はざくざく、と白菜を切りながら問いかける。今日はもう適当な煮込みだ。幸い白菜もネギも肉も少しずつ買い置きがあった。味付けは何にしよう。だしにしょうゆ。味噌? それともいっそごま油で炒めて中華風……


「若手芸人特集だな。最近売れ出した連中。年末のM―1の決勝がどうの、と言ってるぞ」

「M―1グランプリかー。見たいなあ」


 つぶやいてからはっとする。それまで自分達は無事でいられるだろうか。いや、無理だ。

 ふとトマト缶が目に入る。オリーブオイルは…… まだあった。バジルも佐久田が買ってきて置いたのが。ガーリック…… ある。そうだいっそイタ飯もどきにしよう。

 そう思って、両手鍋を下ろして片手鍋を取り出し、コンロの上に置く。炒めてからならこっちの方が楽だ。

 その間にもトークが進められているらしい。時々一気に笑いがTVの中から聞こえてくる。

 皆そんなに最近「最悪なこと」があったのか、大変なことで。俺等なんか。

 やや自嘲気味に、内心悪態をつく。

 そして安売り輸入缶のホールトマトは片手で開けられる様なものではないことに気づき、引き出しから缶切りを取り出す。


 と。


「高村!」


 佐久田の叫び声が聞こえた。

 瞬間移動でもしたのか、というくらい奴は素早くこちらへ移動した。そしてぐい、と俺を抱き寄せる。


「ななななな」


 黙って佐久田は画面を指さす。そこには目と口をこれでもかとばかりに大きく開け、硬直している司会者の姿があった。他の出演者も皆、声が止まっていた。

 次にカメラが不自然に素早い動きで、俺達も知っている若手芸人コンビを映す。


『やっぱコレって最悪ちゃいます?』

『なぁ』


 顔を見合わせ、並ぶ二人の揃って挙げた右手には、何処かで見た様な…… サモンピンクの封筒が……


「え、こいつ等できてたの?」


 思わず俺はそう叫んでしまった。いや問題はそこではなく。


『大体コイツが、実はあっちの県でしたー、なんて、オレ言われるまで気付かんかったわ。どないしてくれる』


 片方がそう言って相方の頭をげし、と殴る。うわ、哀しい。それ何処かで聞いた話だ。


『そんなコト言うたかて、生まれるトコ指定できひんし』

『オマエおかんの腹ん中で何とかできひんかったか?』

『キミ時々無茶言うな』


 そんな応酬の後、彼等はふと黙り込み―― やがてひし、と抱き合った。


『ネタやったら良かったのになぁ』

『ホンマやわぁ』


 二人はその場でおいおい泣き出し――

 ……やがて、ふっ…… と消えた。

 司会者は特有の声で、「ほぇー!」と叫んだ。


 他の出演者の動揺が次々に映し出されて行く中、自分の視界が次第に揺らぎ、色を無くして行くのを俺は感じていた。


***


 気付くとそこはアースカラーの空間だった。

 背中に佐久田のぬくもりがある。腕が肩に回っている。確かなのはそれだけだ。

 足は確かに地面についている感触がある。だが周囲360度、何処を見てもアースカラー。


「佐久田、なあ、ここ、何?」

「……判らん」


 背後からの声はいつもより低い。俺を抱き留める手の力も、心持ち強くなる。


「怖いか?」


 佐久田は問いかける。俺は首を横に振る。怖いという気持ちは奇妙な程に無かった。

 ただもう、性懲りも無く俺は考えていた。


「……なあ、ここってあの、みんなが戦わされてるとこ?」

「一応目に優しい色だな」


 そうなのだ。アースカラー。上から下まで右から左までぐるりとひたすらアースカラー。光源が何処にあるのかも判らないのに、辺りは明るい。くっと顎を上げると、佐久田の顔がはっきり見える。


『SO! OK、れっつ・すたーと・ふぁいてぃんぐ!』


 あの金髪男の声が響いた。


『何でもいいですよー。考えたものが出てきますよー。いいえどんな方法でもいいんですよー。相手を抹殺できるのなら』


 途端に俺はむっとくるものを感じた。あの胸くそ悪い映像の中、彼等はいつもこんなことを言われてたのか?


『おやおや仲いいですねー。そうだあなた方は赤紙でお互いの気持ちを知ったんでしたよねー。いいですよねー。今が幸せ絶頂でしょうねー』


 声のする方向を俺は睨み付けた。


『でもここからも出たいでしょう?』

「ここは何処だよ!」


 俺は叫んでいた。答えは無い。


『相手を倒せばアナタが出られます。アナタが死ねば相手が出られます。さあどうします?』


 そうでなければ、ずっとこの空間に居続けることになると。そう聞かされたのか。

 でも、もし戻れても、それでどうする? 全国の視聴者が生き残った方が、相手を死に追いやったと知ってるじゃないか。

 ああそうだ。それで皆絶望したのか。二人して死ぬ道を選んだのか。


 冗談じゃ、ない。


 怒りが更にふつふつと湧き上がる。せっかく両思いになったというのに! 叶うなんて思っていなかったのに!

 ぐるり、見渡す。アースカラーの周囲には果てが何処にも無い。でも、だからと言って「本当に」果てが無いとは限らないんじゃないか?


「佐久田」


 するり、奴の腕の中を抜け出し、俺は奴の両腕を取る。どうした、と無言で眼鏡越しの視線が問いかけてくる。


「戦おう」


 ガラスの向こうの目が大きく広がる。


「本気か?」

「お前とじゃない」


 奴の腕を握ったまま、目を閉じる。ドラマや映画やゲームで見知った武器をおぼろげながら想像する。そして願う。出てこい出てこい。

 するとばらばら、と音を立てて、何処からか武器が降ってくる。湧いてくる。銃だの剣だの刀だの、何だこれは手裏剣か。ああこれも判る。手榴弾。マンガで見たことがある、ピン型の信管のついた奴。拾い上げてみるとずしりと重い。


「何を……」

「もちろん」


 俺はぐい、と信管を抜いた。そして勢い良く斜め上に投げる。数秒。アースカラーの中に、突然ひどい爆音と共に炎が広がる。危ない、と佐久田が俺を抱え込んで伏せた。


「お前、何無茶なことしてるんだよ」

「無茶じゃない」


 キーン、としている耳を押さえながら、俺は投げた方向を指し示す。斜め上から更に上に向かって煙が出ていた。空中で破裂して落ちたなら、もっと下から上がるはずのものが。

 「何か」ある。この生中継の舞台は全く何も無い場所じゃない!


「結末は、どうせ同じなんだろ!」


 俺は金髪男に対して叫んだ。


「だったらここをぶっ壊してやる!」


 いいだろ? と俺は佐久田に視線で問いかける。

 奴は少しの間、黙りこんだ。眼鏡を取り、ふう、と軽くため息をつく。

 どうだろう。俺は奴の反応が怖かった。信じたい。でももしかしたら同じ様には考えてはくれないかもしれない。

 やがて眼鏡をかけ直すと、佐久田はおいで、と俺に手招きをした。無心で俺は近寄る。


 と。


 ぐっ、と右手で腕を引き寄せられ。

 ぐい、と左手で顎を掴まれ。

 気が付けば深い深いキスをされていた。

 ややかさついた唇も、そのすき間から俺の中へ侵入してくる舌の熱さも、これまでに俺がこっそり想像していたものよりずっと強烈だった。

 身体から力が抜ける。


 一分…… 二分…… 


 どのくらい続けただろう? 山の様に積まれた武器の真ん中で、俺達はひたすらお互いの唇を貪っていた。

 やがて下半身にも興奮が伝わってくる。そのままなし崩しにセックスになだれ込んでしまってもいい様な気も、一瞬、した。

 だが一瞬だ。俺は勇気を出して奴の身体を引きはがした。耳たぶまで熱くなっている顔で、まっすぐ奴を見つめる。


「続きは、生き残ってからだ。……それから、しよう」


 最後は小声になった。佐久田は黙って笑った。そしてうなづいた。うなづいてくれた。

 生き残る? 無理だろう、まず。

 でも俺の気持ちの何処かに、ほんの少し、ほんのほんの少しでも、そんな思いがある。

 俺は奴と心中する気は無い。信じてる。俺達は何とかして、生き残るんだ。

 生き残って、それから存分にセックスするんだ。

 何となく情けない目的の様な気もするが、まあいい。望みがあるのは良いことだ。鼻息荒く、俺は武器の山へと突進した。

 佐久田も俺が想像できる程度の武器はそれなりに取り扱える様だ。さすが幼なじみ。傾向はよく知ってらっしゃる。

 何かれ物色していた奴はやがてぽん、と手を叩くと、何やら小さなものを呼び出した。


「高村、これつけて」


 投げてよこしたのは、プラスチックのケースに入った、オレンジ色のウレタン。


「耳栓」


 にやり、と佐久田は笑った。ああそうか。さっきの爆音。確かにあれはひどかった。大丈夫、奴も未来に希望を持っている。


「よーし、やってやろうぜ!」


 くいくい、と耳栓をねじり込むと、俺は転がっている手榴弾を手当たり次第に投げ出した。

 佐久田ときたら、最初からバズーカ砲を手にしている。敵には回したくない奴だ!

 そして俺達の「どんぱち」が始まった。


 いつの間にか俺達の装備にゴーグルと衝撃防止の関節パッドが増えていた。

 周囲には無闇に煙が立って、遠く何処かで燃えている所もある。時には破片らしきものが飛んできてかすり傷を作ってくれる。

 つまり。

 確実に俺達は「何処か」を破壊しているのだ。そう思うと何故かわくわくしてきた。

 今は、ぴったりと背中を合わせて俺達は同じマシンガンをぶっ放している。

 奴の背から振動が伝わる。弾倉を変えている様子は無いのに、延々撃てる辺り、実に都合の良い武器だ。

 振動の間に間に奴は俺に問いかける。


「なあ高村、『俺たちに明日はない』って映画知ってるか?」

「知らない。どんなの?」

「今度DVD借りてきてやる。……見ような」


 おう、と俺は答えた。


 それからどれくらい経っただろう。 


「あああああもう! やめて下さい~!」


 斜め上から情けない声が響き渡った。

 と同時に、煙と埃が立ちこめる空間にぽーん、と穴が空き、そこに在るのとは違う種類の光がさっと差し込んだ。

 穴を越えて、ひょい、と誰かが飛び降りた。

 俺達は思わず口をぽかんと開けた。煙の向こうに居たのは―― 金髪男。

 慌てて俺は手にしていたマシンガンを向けた。すると相手は両手を挙げて、首を大きく横に振った。


「あ~ やめてやめて。ああでも良かった良かった。こっちもまだ生きてましたねー。ホントに良かった良かった、これでワタシの責任問題も少し軽くなりますよ」

「……あんたは……」


 佐久田はさっと俺の横に移動する。


「いやいやいや、ワタシはアナタ方を脅した者とは別です」

「別だって? 顔同じじゃないか! この色男が!」


 トーン高く、俺は問いつめる。あれだけ延々と電波ジャックでズームアップを繰り返されたのだ。見間違える訳が無い。

 すると男は再び両手をひらひらと振る。


「いやっははは、これはですね、アナタ方と同じ種族の姿をしていた方が、話しかける時に適していると判断致しましたので便宜上我々の種族が使っているパタンの一つですよ。ワタシの本体は違いますよ。こんな不細工じゃない。初めまして。**空間管理局の*****と申します」


 まくし立てる金髪男ダッシュに、はあ、と俺達はうなづいた。


「……空間管理局?」


 話の途中で耳栓を取った佐久田は、どうやら胡乱な単語を聞き取ったらしい。眼鏡の奥の瞳が訝しげに光る。

 俺も耳栓を外した。どうやらこの男の言葉が聞き取れないのは、耳栓のせいだけじゃなさそうだ。


「や、実はワタシ、違法に惑せい体を作る連中を摘発する係なんです。アナタ方の言葉では『おまわりさん』です。何ですかまあ、最近ギャンブル目的で使われることが多くて、困ったもんですよ」

「……だからそれ、何だってんだよ!」


 相手の口調があまりにも脳天気なことに俺は苛立った。


「ソレとは何ですか」

「聞き取れない所が多い」


 佐久田は補足する。あー、と金髪男ダッシュは納得した様に首を縦に振る。


「それに惑せい体、というのは惑星・体なのか? 惑・生体なのか?」


 低く、そして冷静に佐久田は問いかける。奴は怒っている。いや当然か。

 すると相手は口元をにっと上げると小首を傾げた。こいつがやっても可愛く無い。


「詳しく言うと長くなりますが」

「じゃあ短く!」


 俺は叫んだ。


「短く言うとあなた方には理解できないかと」

「どっちでもいいからさっさと言え!」


 とうとう切れた佐久田に、ははははははは、と金髪男ダッシュは笑った。


「では手短に」

「……一言でもいい」


 俺は佐久田の肩をぽんぽんと叩く。


「ではまずアナタ方の最大の心配ごとから」


 こほん、と咳払い一つ。


「アナタ方は、もう戦う必要はありません」

「え、本当?」


 思わず俺は身体を乗りだした。


「はい、犯人は捕まりましたし」

「犯人」


 だからその「犯人」は何処から出てくるんだ。

 事情を最初から説明する様に佐久田は低い声で促す。自称「おまわりさん」は、そうですね、と前置きをして話し出した。


「そもそも惑せい体は、許可申請を出した実験施設か、農産物等の生産にしか使ってはいけない筈なのですよね。内部での知的生命体の進化は***法によって***に****で**に禁じられています。と言ってもやる輩が多いからワタシの様な者が居るのですがねー」


 はははははは。だからその惑せい体って。


「ともかく戦う必要ナシ。こっちも事件解決。良かったですねー」


 確かにそこは。解決か。俺は胸を撫で下ろす。 


「あ」


 思い出した様に金髪男ダッシュは腕に付けられた冊子らしきもののページを繰る。何となく腕そのものからめくっている様にも見える。そして再び両手を挙げた。


「すーいーませんー」

「……今度は何だ」


 佐久田の眼鏡がぎらりと光る。まさかこいつ、そこにレーザーでも仕込んでいないだろうな。


「えー、申し訳ないことに、アナタ方はどーも解決はしても元の惑せい体には戻れないようですー」

「は?」


 俺達の声が揃った。


***


 とりあえず、俺達及び、その時点でまだ生きていた「戦争」参加者達は一つの部屋に連れて来られた。

 ありがたいことに、全部で八人、四カップルが生存していた。皆金髪男ダッシュの「おまわりさん」に保護されたらしい。

 その中には例の若手芸人の二人も居た。俺達がどんぱちやっている時間を、一体どうやって過ごしたのだろう、とやや俺は気になる。

 だがこの場では聞かない。と言うか、聞けない。大事な大事な説明がある、と「おまわりさん」が言ったのだ。

 彼は部屋の真ん中にあるショウケースの様なものを俺達に見せる。ケースの中は真っ暗だった。その中に時々きらきらと光るものがある。綺麗だ、と俺は思った。

 何となく目が離せなくなる、吸い込まれそうな魅力がそのショウケースの中身にはあった。


「えー、さて、これがアナタ方の惑せい体の属する合成小宇宙です」


 ごうせい、と誰かが繰り返した。


「この中にアナタ方の住んでいた地球と呼ばれる惑星も含まれます」


 ぎょっ、とした顔で皆ショウケースを見る。「小」ということはまさか……


「これは惑せい体創造装置の旧式のモノです。困ったことにここまで大きいとどうにも動かしにくく。まあそれでもやがて撤去して、当局に保存されることになります」


 はあ、と皆生返事をする。


「で、あなた方の住んでいたのは」


 いきなり皆の意識が集中する。彼はショウケースの近くに両眼用の覗き眼鏡を出現させた。


「はい。これで見えるはずです」


 我先に、と近寄ろうとする中で、佐久田の手が一瞬早かった。奴はのぞき込むとひどく不機嫌そうな顔になって俺に代わった。

 闇に浮かぶのは確かに青い惑星。思わず俺はつぶやく。


「……地球は青かった」

「ガガーリンかい! 俺にも見せ」


 肩を横に押される。それを佐久田が受け止める。芸人の一人が次だった様だ。

 そう、本当に地球は青くて丸かった。彼等もまた、それ以外の言葉は出なかった。


「本当に綺麗ですねえ。旧式にしては実にいい出来だと思いますよ」


 「おまわりさん」はさらりとそんな感想を述べる。


「……なぁ、コレが俺等の地球言うなら、何で帰れないんや」


 芸人のもう一人が険しい目で彼に問い掛けた。全くだ。出てきたなら何で戻れない。


「すみません。アナタ方、既にこの付属装置の限界範囲で細胞拡大させてますから」


 かくだい、と何名かの声がユニゾンになった。


「ええ。しかも残念なことに、またこれが旧式なので、拡大はできても縮小ができないのです」

「ポンコツや……」 

「あー! だから、帰ったって噂、聞かないのか!」


 別の誰かしらの声も飛ぶ。


「まあ心配なさらずとも、アナタ方は一応保護されて一定期間の生活の保証もされます。あああと、アナタ方の地球に送り込まれた『見えない壁』は撤去してあります。アレをそちらの科学力で解析できるとは思いませんが、万が一できてしまったら、そちらの歴史が確実に滅茶苦茶になってそれも困りますし。あ、ですので『ゲームの終了』は、宣告しましたよ。それなりにキリの良いところで」


 ふとその言葉に俺は止まった。何となく嫌な予感がする。


「あのー、おまわりさん、キリのいいところって」


「はい。アナタ方が次の行動に移る辺りからですか。皆さん非常に素晴らしい恋愛表現をして下さったのでそれを区切りに」


 と言うと。

 芸人の一人は真っ青になってほそりとつぶやいた。ぼそりとつぶやいた。


「あっちゃー…… 俺等伝説の芸人になってもうたわ……」

「嬉しくないわ!」


 相方は真っ赤になってその場にへたり込んでいる。お前等何をやったんだ何を。

 他のカップル達も強烈な叫び声を上げる者やら、恥ずかしさにうずくまる者やら、相手にビンタを食らわせる者やら。

 俺と佐久田も顔を見合わせ、声も無かった。何せあのディープキスが全国に流れてしまったのでは!


「帰れなくて…… 良かったかも」


 思わず俺はつぶやいた。

 すると佐久田は支えてくれた腕で背中から抱きしめてきた。

 そして耳元で囁く。


「俺は高村と一緒なら何処でもいいけど」


 うわうわうわ。

 ぞくぞくっ、と耳元から一気にその声は腰にまで伝った。こんな時なのに、何で俺の下半身はこんなに元気なんだ。


「それに」


 声は続く。


「生き残ったら、の約束は有効だから」


 どうやら佐久田のそれも実に元気らしい。

 俺は心の中で祈りを捧げる。


 すみません遠い場所に住む俺達の家族親戚一同皆々様。

 俺達は帰れませんが、幸せになりますから、ご安心下さい。


 さてこの先、どんな日々が俺達に訪れるのやら。けどまあ、二人なら何とかなるんじゃないか…… なあ。

 微妙に不安は含みつつも、そう思いながら、俺は佐久田の腕に自分の腕を絡めた。

 絶対に離すものか、と思いつつ。

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ある日予告も無しに赤紙が届いたんですが 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo

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