ピーク

 peak、波が押し上げられ、これから崩れようとする部分。





 月曜日。鏡面のような凪を照らす陽を数枚、スマートフォンで写した。砂浜と波打ち際を行く人々が逆光に陰って、海が光っている。





『テイクオフ』9:24 


 今朝、サクトから動画が届いた。誰が撮ったのだろう。サクトの顔はよく写っていなかったけれど何度も繰り返して観た。サクトに出会わなかったら、働き出す事も、アミと出会う事もなかったかもしれない。午後のビーチの写真をサクトに送った。


 部屋に戻って「サーフィン テイクオフ」を検索した。テイクオフ、波に乗る瞬間。波と同じ速さにパドリングが出来ていないとテイクオフは難しいらしい。やはりサーファーは波と同化していたのだ。

 パドリングは、ボードに腹這いになって腕で水を掻いて進む事。初めて出会ったサクトはパドリングを繰り返し、ボードに跨り波を待っていた。波待ちの姿勢から波に方向を変えてパドリングに入り、ボードに立ち上がるまで。そのタイミングで動画を撮って欲しいと言われた。私もひたすら波を待っていた。波はほとんどなくてテイクオフらしい動きは三回しか撮れなかった。

 今朝の動画の海は、波が立っていた。テイクオフしたサクトが波を滑って行くところが撮られていた。八月には見た事がない動きだった。あれから二ヶ月。サクトのサーフィンは確実に上達していた。





 火曜日。遅番だった私はビーチからレストランに向かい、身につけていた半袖のスウェットとショートパンツから制服に着替えた。二階ではオーナーがマックのノートパソコンを広げている。店のフェイスブックを更新しているらしい。

「今日のオススメは何ですか?」

 しらすのピッツァと地野菜のバーニャフレイダ。「バーニャ」はソース。「フレイダ」は冷たい。仕事を始めてから初めて知った。十月に入ってもまだ暑い日が続いていた。

「スタッフ募集も載せたから、連絡があったら俺か金子に繋いでな」

 ナポリで修行をしていたオーナーの窯焼きピッツァが評判になり、レストランは毎日満席状態だった。私たちサーバーはオーダーを受けると、料理のオーダーをキッチンに通し、ドリンクは自分で作ってテーブルに提供する。満席のディナータイムはかなりの数のワインと生ビールとカクテルのオーダーが入るので提供時間が遅れがちだった。今回の募集はバーとデシャップを担当するスタッフだ。

「人が増えたら連休取れるかな」

「来月になったらまとまった休みが取れるようにするよ。十二月に入ると忙しくなるからその前にリフレッシュしてもらわないとな。オープンからずっと目まぐるしかっただろ」

 忙しさに救われていたところがある。でも出来たら三連休以上の休みが欲しかった。


「どっか行くのー?」

「いや。ゆっくりしよーぜ」

 スタッフ募集一日目で既に五件の問い合わせがあった。オーナーの「交替で連休を取る」発言を受けて、営業後の賄い飲みは盛り上がった。

「温泉行きたい」

「いいねー。子供と泊まれる宿、とか検索しようかな」

 十一日からのシフトはもう決まっていたけれど、一度白紙にして、週末を除いた最長五連休の希望を出すように言われた。連休が取れるのは十月十一日から十二月十日。正社員の二人のシフトはバイトのシフトが決まってからオーナーが設定するので、バイトの四人で話し合って八日までに提出する事になった。

「今日急に言われてもなー」

「八日は土曜日だし全員いるよな。希望を出し合って土曜日調整しようか」

 最長五連休。オリエンテーションの時に、長期休暇は二月と八月の予定だと言われていたので、当分は隔週の二連休が続くと思っていた。

「ミウはあまり嬉しそうじゃないね。仕事の方がいい? 変な意味じゃなくてさ」

「ううん。一緒に出かけるような友達もいないし、どーしようかなぁって」

「行きたいところあるんだ? 連休が交替じゃなかったら一緒に旅行とか行くのにね」


 小学校を卒業して中学校に入学する間。六年前の三月の終わりにこの町に越して来てから、毎日を旅行しているように生きてきた。中学校までの道のりは小さい山や川を迂回し、山には桜や樹に咲く花が咲き、若葉が芽吹いていた。小川には蛍がいて、学校の教室からは遠くに海が見えた。小学四年生からやっていたバスケット部に入って、同じ部活の友達も出来た。中学生でサーフィンをする子たちもいた。新しい家の周りの山々を眺め、うぐいすの声や、初めてひぐらしの鳴き声を聴き、新しい自転車に乗って海に行った。夏でもキャップが飛ばされるくらいの南西の海風が吹いていた。

 中学三年生と高校二年生の修学旅行以来、遠出はしていなかった。この町で暮らしているだけで何処か遠くから迷い込んで来たような、そんな気持ちがしていた。自ら遠くに行ってみたいと考えたのは初めてだった。

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