ショルダー

 shoulder、波が崩れる部分から少し離れた、まだうねりの部分。





 家から五分くらいでその新築のレストランに着いた。八名が客席に座って同時に面接を受けた。スーツで来ていた二十一歳の女の人と私、二十五歳と二十歳の男の人が残されて四人でオリエンテーションを受けた。四人以外に男女一人ずつのスタッフがいて、自己紹介があった。レストランのコンセプトやオープンまでのスケジュールを聞き、明日からのトレーニングの説明を受けた。トレーニングは月曜日を除く毎日行われて、二日以上、毎日参加しても良かった。トレーニング中は一日に五千円ずつの賃金が支払われる。オープン前日の九月一日は、メニューの試食会とトレーニングの成果を兼ねたオープニングパーティーが行われるので、極力参加して欲しいと言われた。パーティー当日はオーナーの知り合いや、近隣の数組の招待客が訪れる予定らしい。未成年の私にだけ親権者の同意書が渡された。夜、仕事から帰ってきた母に同意書を書いてもらった。トレーニングのスケジュールを立てているとスマートフォンが振動して着信を知らせた。サクト。ビデオ通話……少し躊躇ってから電話に出た。

『寝とった?』

 メイクをしていない顔が眠そうに見えたのかな。

「ううん。明日から仕事するから書類とか書いてた」

『声が眠そうだったもんで。今日が面接じゃなかったっけ』

「そう。その場で決まったの」

『採用おめでとう。俺もそっちのサーフショップで働きてぇよ。一度で住みたくなった。また金貯めて行くわ』

「すごく遠いから、そんなに来れないでしょ」

『次は半年後の予定』

「半年後かぁ。今度は彼女と一緒かもね」

『今はサーフィンばっかだで、こんな俺でもいいって女はいねぇと思うけど。ミウは仕事したら男が出来そう……モテるだろ』

「こんな私でもいいって思ってくれる男はいないよ」

『はは。何だてそれ』

「てか。何でビデオ通話?」

『よくない? 顔が見れてよかったよ』

 サクトが私の名前を呼ぶと「ミュウ」に聴こえる。サクトは関西のようなイントネーションで話す。





 レストランに着いて、入り口から入った。オーナーに挨拶すると、スタッフの男の人が裏口に案内してくれた。

「家近いんだね」

「歩いて五分くらいです」

「緊張してる? ここから二階に上ると休憩室とロッカー室になってるから。上がろうか」

 レストランの二階は屋根の梁が剥き出しの作りで、畳敷きになったいた。古くて味がある丸いテーブルが二台並んでいて、その上にダークグリーンのサロンと深紅のネクタイが置いてあった。オープン前日までに用意する物として言われた、白いブラウスとカジュアル過ぎない黒いロングパンツ。持っていた薄手の白いブラウスと黒のスキニーを着てきた。これにネクタイとサロンを合わせるらしい。先に来ていた二十一歳の女の人も白いブラウスと黒いスーツのボトムにネクタイとサロンを合わせていた。

「うちどこ?」

「すぐそこ。歩いて来れる」

「いいね。私は横須賀から車。十五分くらい」

「車持ってるんだ? 私免許持ってない」

 十七歳の時に原付の違反で免許取消になって二年の失格期間中だった。 

「この辺は車ないとキツくない?」

 今日は私たちだけらしい。十時からトレーニングが始まった。





 デシャップに並ぶ出来上がったばかりのパスタの皿は熱い。他の人は平気なのかな。出来上がった皿を三枚持った。三枚の皿をテーブルからテーブルへ。決して熱さに顔を歪めたり出来ないし、お客さまの前では笑顔でメニュー名を伝えなければならない。大げさではなく熱さは拷問のようだった。火傷を怖れて皿をぶちまける想像を何度もした。毎回が火傷しそうな熱さではない事と、客席の窓から遠くの海が見えている事が救いだった。

 トレーニングの時、何枚も大きな皿を持つ方法を教えてもらった。右手は一枚しか持てない。テーブルに置けなくなる。左手に三枚、更に左腕に一枚。トレーナーのスタッフの金子さんは五枚の大皿を運ぶことができた。ドリンクなどを一度に運ぶ時は、トレイの自分側から背の高いものを並べる。万が一、倒れてしまう時は自分が汚れるように。お客さまの側に倒れないように努める。色々なことを教えてもらった。金子さんはイタリアンレストランのスタッフというよりはヒップホップのDJをしているような見た目だった。オープニングスタッフということもあってみんなとても仲が良くなった。営業後は全員残って賄い飲みの時間。ハウスワインとサラダとピッツァを摘みながら遅くまで話した。二十一歳のアミはバツイチで小さい子供がいた。アミとは一番仲良くなった。





 九月最後の定休日の月曜日。アミが迎えに来てくれて横須賀までドライブした。小さい子供を連れたママが集まるカフェがあった。

「じゃあミウは遠距離してるんだね」

「付き合ってないよ」

「ふうん。私は年下の男と付き合ってるよ。学生なんだ。アキラの面倒も結構見てくれるから、うちの親とも仲良くしてるの」

 アミの息子のアキラはキッズスペースで楽しそうに声を上げていた。

「金子さんとかミウに優しいよね。二十七歳独身か……ありだな」

「軽蔑すると思うけど」

 小さい子たちの声が響き渡っていて、隣のテーブルの声も聴こえなかった。

「七月に堕したんだ。父親が分かんなくて」

「そっか。キツかったね」

 高校の時から続けていたバイトを辞めて、毎朝ビーチに出かけた。両親に心配も迷惑もかけた。自分を産んでもらった事に心から感謝した。償いたくても、どうすれば償えるか分からない罪。

「私は十五の時に堕したよ。すぐには別れなかったけど、そのうちお互い浮気して、その時の浮気相手がアキラの父親なんだけど。そいつがギャンブルにハマり過ぎててミルクやオムツも買えなくて、お互いの実家に頼ってばかりだったんだけど、うちは母親しかいないし、借りても返せないってのが毎月続いてマジキツかったからさ。自分ん中で、今度親に金借りるハメになったら別れようって決めたんだ。すぐにケジメつけることになって黙ってアキラを連れて家出たんだよ。それが去年の七月」

 父は、私が中学に入るまで母のパートナーだった人だった。横浜で一人で私を育ててくれた母は父と籍を入れて今の町の父の家に引っ越してきた。

「親は子供が幸せになるのをいちばんに願ってくれてるからさ。ありがたいよね。自分が親になって身に染みたよ。ミウはその子の分まで幸せになってあげること。そうすれば親孝行にもなるし」

 アミの息子を抱かせてもらった。人見知りするという一歳七ヶ月のアキラは、アミが驚くほど大人しく抱かせてくれた。





 綺麗な遠浅の水色の海が拡がっていた。サクトがメールで送ってきた画像。

 白い灯台。立ち並ぶパームツリー。

『内海』

「なんて読むの」

『うつみ、だよ。俺のローカル』

 シーズンオフの内海は、海水浴客の姿はなくても多くのサーファーが浮かんでいた。

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