グラウンド・ゼロ

岸 武丸

本章

結局、何も変わらなかった。

取らぬ狸の皮算用、というのは人間の悪い癖で ある。我々は太古より未来の世界というものを想像し、それに向けて創造してきた。人類は数十万年の間に文明を築き上げ、社会的動物へと昇華した。長い目で見れば、おそらくは「成功した」発展であっただろう。しかしそれはいつまでも続くものではなかった。長いこと夢見られてきたタイムマシンはおろか火星移住計画も遂にはその姿を見せなかった。また、かの有名な猫型ロボットの誕生日を迎えてもその影すら我々には感じられなかった。技術の進歩はいつの間にか停滞し、何の発見も発明もなく、しかし争いは絶えるどころか増加し戦火は激しくなる一方であった。かつて、ニーチェはこんな事を言っていた。

「地球は皮膚をもっている。そしてその皮膚はさまざまな病気を持っている。その病気のひとつが人間である。」

人間は与えられた自然を自らの私利私欲の為にその手で抹消し、"人類の進歩"と称して偽善化してきた。しかし何も変わらなかったのだ。人類の進歩は次第に限界を見せ始め、遂には行き詰まったのである。

廃工場の中に男はいた。灯りは携帯用のランタンと卓上用ライトのみで、他には電池駆動式のタイマーが無機質な台の上に置かれている。十字架を首から下げる無精髭の顔が現れた。

「後悔はしていない。この腐りきった世の中には天誅が下されるべくして下されるんだよ」

「それももっともだな。だがいいのかい。人間が長いこと築き上げたこの産物を失くすことは惜しく無いのか?」

もう1人の男が暗闇から顔を出した。酷く痩せているからだろう、淡い光の下で見ると髑髏のようである。

「人間という生き物は愚かだ。技術の進歩には輝かしい面があるが必ずその陰の面もある。技術は戦争に転用される。いや、戦争あってこその技術革新といったほうが正しいかもしれないね。争いが絶えることはおそらく無いだろう。だから遅かれ早かれ人間は自らが作り上げたもので自らを滅ぼすんだ。ただそれが早まっただけだよ。」

痩せた男は何も言わなかった。

タイマーはアナログ風の作りで、長身と短針のある、いわゆる「時計」のような外観であった。短針と長針はそれぞれが迫る目的へと向かうためにせっせと働くゼンマイの音がジリジリ漏れている。

無精髭のある男は十字架を握りしめ、続けた。

「確かに地球環境の改善策や平和条約の批准、そして世界中での技術力競争等多くの努力をしてきた」

「しかし、何も変わらなかった。」

男の額に脂汗が浮かぶ。タイマーの針がカチリと動く音が響く。

「グラウンド・ゼロという言葉を知っているかい。大昔に初めて人間が核兵器を兵器として使用し、無となったその土地のことを指していたんだ。だがグラウンド・ゼロはゼロの状態から脱した。有り得ない事だよ。生物はまず存在できないだろうと言われていたのに僅か数十年で元以上のかたちを取り戻したんだ。神様が哀れみの目を向けたからに違いないだろうね。今、グラウンド・ゼロがゼロでないとしたら、そしてもしどこかをグラウンド・ゼロにするとしたら、それはこの星自体だろうね。これが正しいかどうかは知らないよ。でもそれは自ずと分かるさ。今も神の為に世界中で花火が上がっている。多くの血をこの地に流しながらね。素晴らしい事だろう。グラウンド・ゼロは様々な場所で求められているんだ。そしてグラウンド・ゼロがゼロから脱する遠い未来、そこはきっと我々が作り上げた以上の素晴らしい世界が待っているに違いないんだ...」

痩せた男はタイマーを手に取る無精髭を見た。薄暗い灯りの向こうで彼は微笑んでいた。取らぬ狸の皮算用は人間の悪い癖だ。痩せた男はため息を吐いたがむしろ清々しい気持ちだった。何かがちらりと光った。十字架であろうか。否、カチリ。それは綺麗に重なった時計の針だった。

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グラウンド・ゼロ 岸 武丸 @blackstar_5110

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