秒速300メートルの初恋

濱太郎

秒速300メートルの初恋




 季節は、春。

 新学期が始まり、ソメイヨシノが辺りをピンク色に染める中、現在俺の立っている場所は体育館の裏。辺りには人気はなく、この場所にいるのは俺と、目の前にいる女子との二人きり。胸の鼓動は祭りの太鼓のように大きく鳴り響いていた。まだ暑いとは言えない、むしろ肌寒い気温のはずなのに額には汗が垂れる。逃げ出したくなる衝動と闘いながら、意を決して思いを吐き出す。


「あの、実は、前からお前の事がす」

「ごめんなさい」

「断るのはやっ!?」


 その瞬間、俺ことカズキの高校二年生、生涯初の意を決した告白は、二秒と経たずはかなくも散ってしまった。いや、散る暇もないくらいに恐ろしくスピーディにだ。


「も、もう少しなんか、ないのかよ」

「なんかって、なによ?」

 

 あまりにも速度のある回答に対して、ついつい文句が出てしまう俺だったが、当然のごとく棘のある声が返ってくる。告白をして間もないというのにこの温度感での対応はなかなかない体験だと思う。まあ、告白をするということ事態、人生のうちでそうそう味わえない体験なのかもしれないけど。

 幼馴染で、小、中、高と一緒の学校を通い、何の因果なのか、奇跡的にも全ての学年同じクラスになるという快挙を果たしてしまっている、そんな見慣れた顔、いや、むしろ見飽きた顔といっても過言ではないほど顔見知りの彼女の名前はマリ。

 マリは、親の敵を見るような眼で睨みつけてくる。腰まで届きそうなロングヘアーが風になびいて、ふわり、ふわりと踊るようだ。つい触れてしまいそうになる自然な色の茶髪は、色素の薄いマリの瞳にとても良く似合ってる。

 明らかに不満そうな表情のマリに、負けじとこちらの不満をぶちまける。


「いや、なんか、こうさ、もっとあるじゃんかよ。『ごめんなさい、私、あなたの事嫌いじゃないけど、今はまだあなたの事を友達としか見れないの』とか、『嬉しい! 私もあなたの事が大好きよ。だけど、きっと私たちの交際を、厳しい父親は認めてくれないわ、だからあきらめて。ごめんなさい』とか『もぉ、そんな事、改めて言わなくてもわかってるわよ、でも学校じゃ恥ずかしいからこの続きはまたあ・と・で』とか色々あるだぐぼぁ―――っ!?」


 これまたスピーディーにかつ綺麗なボディーブローが俺の腹に深く突き刺さる。正確無比にみぞおちにめり込んだその拳。力な跪いてしまう。


「なんで、基本的に肯定した方向で話を進めてるのよ! 私が、あんたの事を好きになるわけないでしょ? ふざけるのも大概にしてよね。……じゃあ私もう行くから」


 さっきのボディーブローで膝まづいている俺に、はき捨てるようにそう告げる。なんとか立ち上がり、速足で去っていこうとするのを引き止める。


「ちょっと待ってくれ。一体俺がお前に何をしたって言うんだ?」


 そうだ、俺は、そんなゴミを見るような目で、瞬時に告白を断られるような事をした覚えは断じてない―――


「スカートめくり、上履き隠し、ランドセルの中に大量のカエル&コオロギ、スカートおろし、机に卑猥な絵のラクガキ、椅子に強力瞬間接着剤、北海道名物まりもっこりからとって、もっこり女ってあだ名を勝手につけた、机の中にバッタ&キリギリス、などなどを小学生のころから延々と……もう少し詳しく話した方がいいかしら」


 ―――……ような気がしたのは、あくまで気のせいだったようですね、はい。小、中学の俺バカヤロー。

 氷点下30度を下回るような冷たい視線に、眼を合わすことができない。そっぽを向いてやり過ごしていると、いつのまにかマリは姿を消していた。


「あぁ、ちくしょう」


 そう、つぶやくのと同時に、午後の授業が始まるチャイムが辺りに鳴り響いた。 









 日は沈み始め、人も、犬も、ネコも、建物も、道路も、辺りは夕日のオレンジ一色に染まっていた。

 夕日がゆっくりと沈んでいく中、俺の気持ちも海に投げ込まれた鉛のごとく沈んでいくこと真っ最中である。


「はぁ……」


 自然と、深いため息が口から吐き出される。今日何度目なのかは数えきれない。

 いつもの帰り道を通りながら、小、中学の頃の事を思い出しては、ため息はエンドレスに繰り返される。

 何故、マリに対して今まであんなことをしてきてしまったのか、そんな後悔の二文字が頭の中そこらじゅうを駆け巡っては、頭をかきむしる。

 もちろん、何故そんな事をやってしまったかという疑問に対しては、

ある程度答えは思いついている。楽しかったから、という単純な理由以外の事は思いつかない。これがまた、好きだった気持ちを隠すためにやってしまっていたというのであれば、恥ずかしくもあるがそれなりに青春の1ページとして語れる話になるのだけど。

 理由は単純。だからこそタチが悪い。


「そりゃ、俺の事嫌いにもなるわな」


 それだけのことをやってきた、と自負できるほどだ。

 いつからマリの事を好きになったのか、正確な事は自分でもわからない。気付いたら、ちょっかいばかり出していた近所に住んでいる幼馴染が、時折、見違えるような、大人びた表情を見せる高校二年生の女の子に変わっていたのだ。

 元々マリは男勝りな部分もあったが、男女関わらずクラスメイトとは仲がよく、正義感が強い所もあり、人気が無かったわけではない。中学生の頃、何度か他のクラスの男子から告白されているところを見かけたこともある。まあ、その度にそのネタでからかったりもしたのだけど。

 それに、小、中学生の時は、女子の中でもかなり身長が低く、背の順で並べば必ず一番前に並び、両手を腰に、というポーズを取っていたマリを散々馬鹿にしてきたものだったが、成長の早い女子にしては珍しくもマリは、高校に入学してから爆発的に身長が伸びた。もちろん、自分よりも身長が高くなったわけでもなければ、女子の中で一番高くなったわけでもない。でも、今までのイメージが覆るほどは伸び、そして高校生になった今でも、男女共に人気者の存在である。特に男子は昔よりも多くなった気がするのは間違いではないだろう。

 そう思うと、身長が高くなってからだろうか、ただの幼馴染だったマリが、クラスの魅力的な女子に変わっていったのは。

 気づいたのが遅かったのか、もしくは最初から駄目になる運命だったのか、そんな事は神のみぞ知るというものだろうけども、湧き出るため息は留まる事を知らない。

 

「まさか、あの頃はマリの事を好きになるなんて思わなかったもんなぁ……」

「……あっ」


 と、メランコリーなエンドレスため息を吐きながら歩いていると、あらぬ方向から声が聞こえてきたような気がしたので、顔を向けてみる。ちょうど立っている場所から、右隣に生えている桜の木の上を見上げる。

 木の上には見慣れた、むしろ見飽きたと言っても過言ではないほどに見知った女の子が、身体を震わせながら木の枝にしがみつき、猫が威嚇するようにこちらを睨みつけていた。


「えと、あの」


 そんなに怖い思いをしたのか、眼をうるうるとさせながら言葉を選んでいるようで、無言になったかと思うと、ぽつりとつぶやく。


「…………………なによ?」


 その声は、いつもより棘が何本か少ないようにも感じる。表情を見る限り、ピンチである状態なのは間違いないと思うのだが、それ以上に俺に見られてしまったことの方が嫌だったようなのか、必死に睨みつけようとしている。 

 そのまま何事もなかったかのようにスルーして通り過ぎるのも一興なのかもしれないが、さすがに今のこの状況を見てしまった以上、聞かずにはいられないだろう。


「いや……なによ、じゃなくて何してんの?」

 

 俺の視線の先には、現在進行形であり悩みの種である張本人のマリが、身体を震わせながら、斜め上に位置する木の枝にしがみついていた。


「別に、そ、その、さっきまでここにネコちゃんが降りれなさそうにして鳴いてたから、登って降ろしてあげようと思って、でもネコちゃんさっそうと下に降りちゃって……」


 なんでわざわざそんな事をしてしまうのか。ネコだって放っておけばそのうち、勇気を出して勝手に降りて行っただろうに……まあ、そんな事を何も考えず突発的にやってしまう女子高校生が、幼馴染で腐れ縁であるところのマリであるわけだ。


「んで、高い所が昔から苦手なマリさんは、今度は自分が降りれない事に気づき途方にくれていた、というわけだ」


 自分の肩の位置より高い場所に立つだけで怖い、という正真正銘の高所恐怖症スキルを持つマリ。仲はそこまで良くなかったが、伊達に十年以上近くにいたわけじゃない。大体の行動は予測できる。そんな事を考えながらも、図星といわんばかりにマリの顔はどんどん赤くなっていく。


「う、うるさいわね! もうどっかに行きなさいよ」

「でも、降りれるの?」


 俺のその問いから、数秒間の無言が続き、俯きながら、マリは顔をさらに真っ赤にさせて、またもつぶやく。


「……降ろして」

「え、なんだって?」

「……いいから降ろしなさいよ、この茶碗蒸しの中に入ってる黄色いやつっ!」

「そりゃ銀杏だっ! つかなんでまたその微妙なチョイス!?」


 そんな斜め上から来た事を言われつつも、また斜め上に位置する、マリに手を差し出す。手を震わせながら、マリは強く俺の手を握り締める。


「こ、これで、どうすれば良いの?」


 出されるがままに手を繋いだは良いが、困惑の表情を浮かべるマリ。


「えーと、とりあえず、飛んで」

「えぇっ!?」


 そうするしかほかないだろう、自力で降りることが出来ないんだから。

 無理の二文字が顔に浮かんできているのが、一目でわかる表情のマリ。本人は自覚していないのかもしれないが、もうすでに半べそかいているような状態だ。


「大丈夫だ、ほら、小さい頃もこんな事あって、その時もちゃんと受け止めただろ? 落とさないから飛んでみろって」

 

 言ってはみたが、そこまでその時の事は覚えていない。確か、そんな事があったような気がする程度だ。というのも、昔から正義感が強かったマリは、よくこういったトラブルに陥ることが多かったため、いつの頃だったのかなんていちいち覚えてはいられない。また家が近所だったこともあり、タイミングが良いのか、また悪いのか、偶然立ち会ってしまう事が多々有り、何度か助けた覚えがある。

 その時の事を思い出したのか、ハッとした表情を浮かべてから、覚悟を決めたようであり、眼を閉じたまま木の枝から離れて、そのまま倒れこむようにして、俺の元に飛んでくる。

 ふわり、と香水のキツイ香りとは違った、女の子特有の甘い香りが鼻をくすぐる。別に鼻を伸ばしてしまったわけでは断じてない。

 もちろん、落とす事なく抱きかかえると、見た目以上の軽さにびっくりする。

 まるで、少女時代のあの頃から、全く変わってないのではないかと、思えるほどだ。


「よ……っと、おし、それじゃあ帰るか……っておい、大丈夫かよ」


 そのまま立たせようとすると、マリは力なく膝が折れてしまった。


「あ、安心したら、立てなくなったみたい」


 ぼそり、と言うと、顔を伏せてしまう。


「ああ、しょうがねーなぁ……ほら」


 マリに背を向けて、しゃがむ。


「……なによ」


「なによ、じゃなくて。それじゃあ家に帰れないだろ? おんぶしてやるから、早く乗れよ」

「な、なんで、私があんたにおんぶされなきゃいけないのよ!」

「昔もこんな事があった時、おんぶして家まで帰っただろ? どうせ家も近くなんだからさ」


 これは確か覚えがある。公園で遊んでいて、生まれて初めて土佐犬を目の前にした時に、腰が抜けた、とかだったような気がする。

 数秒悩んでいる表情を見せて、キョロキョロと辺りを見渡した後、うつむいたまま小さな声でつぶやく。


「……わかった、乗せて」


 


 日が沈みかけて、ゆっくりと昼が終わり、夜が始まる。心なしか、辺りは静まり返るようで、まるで俺達二人だけの世界にいるかのような、そんな錯覚を覚えるようだった。

 背中に確かな温かみと重みを感じながら、俺達二人、いや、俺は、桜吹雪が舞い散る並木道を歩いていた。一見、男子高校生が女子高校生をおんぶしている姿というのは、かなり異様にも見えたりするかもしれないが、運よく辺りには人影も少なく、またこの辺りはすでに近所とも呼べる地域であり、見知った人が多く、こんな状態の俺たちを見かければある程度の状況は察してくれるに違いない。まあ、見られてしまったら恥ずかしいことには変わりはないけどな。

 ―――さて、とにかくなんだか空気が重く感じるような気がするのは気のせいだろうか。いや、気のせいじゃない

 マリは怒っているのか、もしくは恥ずかしいからか、一言も喋ろうとはしない。それじゃあ、俺が何か気の利いた話でも、と思ったりもしたが、良く考えれば、つい何時間ほど前に愛の告白をした相手をおんぶしていると思うと急に恥ずかしくなってくる。十年以上の付き合いであり、たかだかおんぶをする事くらいなんの問題もないと思っていたが、やはり気まずい、じつに気まずい。おんぶするためにやむをえなくつかんでいる太ももあたりとか、もうベリーベリー最上級に気まずい。

 そのまま五分程時間が過ぎたが、一向にマリは口を開こうとしない。さすがに寝てしまったなんてベター事はないと思うが、やっぱりマリも、告白された事によって気まずい感じに陥ってしまっているのだろうか。

 いやいや、マリに限ってそれはないだろう。告白した自分が言ってしまうのもなんだけれども、きっとマリは、俺の人生初の大告白ですら、自分をからかうネタのひとつと勘違いしているに違いない。

 

「……あのさ、マリ」


 このままこの空気を纏いながら歩き続ける自信がない俺は、どうにかこの暗雲を晴らそうと果敢に喋りかける。


「桜の花びらがさ、こうひらひら舞い落ちるスピードって、どれくらいか知ってる?」


 あまりにも唐突だが、そこは許してほしい。だが、おあつらえ向きに桜の花びらは舞い散っている。ここで普通なら知り得ない情報をさらりと言う事で、博識な所をアピールし好感度をあげ

 

「秒速五センチメートル、でしょ」


 ることは叶わぬ夢だった、ということで。


「なんだよ、どこでそんな事知ったんだよ」


 意外と誰でも知ってるような情報だったのかもしれない、と少し恥ずかしくなってきていると、頭の後ろで、「馬鹿ね」とつぶやくのが聞こえた。


「だってこれ、小学生の頃、カズキが教えてくれたんじゃない」

「あー……そうだっけか?」


 そんな昔の事は、よく覚えていない。マリに散々行った悪行の数々さえ実際のところおぼろげにしか覚えていないんだから、本当にタチが悪い。

 でも、俺の言ったそんな桜の花びらの落下速度なんていうどうでも良いことを、今まで覚えてくれていたことが、むずがゆくもあり、なんとも嬉しかったりする。


「―――なあ、マリ。やっぱり俺、お前の事」

「すみません」

「さっきよりも断るの早っ!? てか、他人行儀!?」


 やっぱり俺の事そんなに嫌いなのか、とうなだれている内に気付くと、くすくす、と耳をくすぐる様な笑い声が後ろの方で聞こえてきた。心躍るような、もしくは、落ち着くような不思議な声で。

 きっと、昔と変わらないあの頃の笑顔で笑うマリがそこにいるんだろう。


「でも、あのねカズキ」


 秒速五センチメートルなんてゆっくりな速度じゃなく、弾丸よろしいスピードであっという間に過ぎて行ってしまった俺の遅めの初恋。こんなものは初恋とも言えないのかもしれないし、もうすでに終わってしまっている物語なのかもしれない。

 でも、それでも、俺は目には見えない微かな希望を信じている。


「別に……―――嫌いじゃないよ」


 数打ちゃ当たる。弾丸なだけにね。

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秒速300メートルの初恋 濱太郎 @hamajack123

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