第三章「楽しいラジオ」

 教室に入るとわたしの机の周りに百合ちゃんとりんちゃんが居た。

「……おはよう」

「いやーもう、めーちゃんの羊のモノマネ最高だったー!」

 挨拶もなしに真っ先にその話を振る。いつもSNSでラジオの感想をくれる百合ちゃんの連絡がなかったけど、もしかしてこれを言うためにチャージしていたということなの?

 昨日、わたしのモノマネ回がオンエアされて、今朝予想通りの展開になった。

「いや百合の言うとおりだわ。わたしだって部屋で笑いころけたし」

 いつにも増して陽気なりんちゃんが机を叩きながら言う。

 椅子を引きずる音が聞こえたと思ったら、わたしがやってきたのに気がついたきょーちゃんがハードカバーの本を閉じてやってくる。

「おはよう、めーちゃん。昨日のラジオ、お父様もお母様もすっごく笑ってましたわ」

 りんちゃんはひとりで笑ってたからまだまし――よくないけど――きょーちゃんのお父さんとお母さんにまでラジオ聞かれてると思うと、すぐにでも映画みたいに溶鉱炉に飛び込んで『二度と出てくるかー』って言い残すと思うよ。

「どうしたらあんな声出るんだ?」

「どうしたらって……こう、喉の大きさを調整して、舌の位置や口も調整して……」

 ラジオでやったのと同じ声を出す。ほら、かわいい羊でしょ?

 すると三人は収録のときのスタッフ陣みたいに大爆笑。教室の数人がわたしたちの方を向いてどうしたんだという顔。

 今すぐ外に飛び出て北鎌倉の山の中に逃げ込んでいい?

「それにしても咲さんもすごかったねぇ。動物の声できると結構仕事のオファー来るかもだよ」

「そうなの?」

「声優は役者というカテゴリの中でも、人間以外を演じることも求められるからね。それができるっていうことは演技の幅が広い証拠だよ」

 百合ちゃんがお得意のうんちくを語る。

「そういう意味ではめーちゃんは、羊じゃない何かの役ができるかもしれないってことだな」

「だからー羊だってば!」

 わたしが嘆きの言葉を叫んでいるとケータイのバイブが鳴る。

「誰恋人?」

「嘘っ! めーちゃんに恋人なんで百合が許さないから!」

「百合ちゃんはわたしの何なのー?」

 百合ちゃんにツッコミを入れながらケータイを確認すると、

「さくちゃんだ」

「噂をすればなんとやらだな」

 でもよく見るとパラレルのSNSグループじゃない。わたし個人宛てに来てる。

『突然だけど聞いて、アニメのオーディション2本受けることになったの! 詳細は言えないことになってるんだけど、明日オーディションなんだ』

 という嬉しそうな文面とデフォルトで入っているスタンプ。嬉しくて連絡してくれたんだ。さくちゃんもわたしのこと友達だと思ってくれてるなんてうれしい。

「めーちゃんの顔がすごいニヤニヤしてるぞ」

「やっぱり恋人なのね!」

「百合は許しません!」

「ちちちちち、違うってさくちゃんだよさくちゃん」

 この内容なら見せてもいいかなって思ったので、SNSで貰った文面をそのまま見せる。

「「「おおー」」」

「ついにデビューじゃん。タイトルが気になるなぁ」

「百合、タイトルとか予想とかできるか?」

「無理無理。多分タイトルすら公開されてないアニメのオーディションやってると思うよ」

 それは残念。でもこっそり黒川さんに聞いちゃおうかな。多分何か知ってるだろうし、黒川さんの持ってる声優さんも同じアニメのオーディション受けてるかもしれないし。

 さくちゃんがまた一歩前に進んだと思うと、素直に嬉しいと思う。


     #


 夕食の後、部屋にこもって漫画を読んでいた。わたしは漫画雑誌は買わないんだけど、百合ちゃんやきょーちゃんからオススメの本を教えてもらって、それを買ったりしている。

 今読んでるのはきょーちゃんのおすすめで『カローラの姫君』という少女漫画。植物と会話できる女の子と国の王子様の恋愛物語で、鎌倉の書店では特集コーナーみたいなのが作られていた。

 さらわれたヒロインが、王子様に助けられたところでケータイが鳴る。名前は『風祭咲』さくちゃん? すぐに応答をタップする。

「夜遅くにごめんね?」

「どうしたの? なにかあった?」

 さくちゃんの方から連絡が来るのは初めて。収録についての連絡なら、SNSのグループで連絡があるだろうし、だから何かあったのかもしれない。ちょっと構えて電話にでた。

「えっと、トラブルとかそんなんじゃないんだけど――」

 よかった。肩に入ってた力が抜ける。

「昨日のメールしたオーディションがうまくいったから、一応報告したいなーって思ったんだけど」

「ホント!? もしかして役に選ばれたとか!?」

 だとしたらさくちゃん声優デビューだよね。ウィキペディアにページが作られたり、雑誌にインタビューやグラビアが載ったりするかもしれないと思うと、自分のことのようにワクワクする。

「結果はまだ出てないんだけど、撮り終わったあとすごい達成感っていうか、うまくいったーって感じがあって、それだけなんだけど」

「十分だよー。自分で手応え感じたらそれはうまくいってる証拠だって、まちさんも言ってたよ」

「うん、ありがとう」

 学校のテストもそうだけど、結果が出るまでは十分にうまくいったと思っておかないと不安だしね。

「アニメのオーディションってどんな感じでやるの? 守秘義務とか言っちゃいけないことならいいんだけど」

「タイトルとか関係者さんの名前を言わなければ大丈夫だと思う。まずはマネージャーさん、私の場合はめーちゃんも見てくれてる黒川さんだね。そのマネージャーさんから連絡があって、オーディション用の台本と簡単な資料を渡されるの。それで会場になってるスタジオの場所と時間を教えてもらって当日挑むって感じかな」

 台本は予めもらえるのか。漫画とかからのアニメ化なら原作をチェックすることもできるし、さくちゃんならこういう研究や練習をたくさんやってそう。

「会場のスタジオへはひとりで行くの?」

「いつも付いてきてくれるっていう訳じゃないみたい。今日二件オーディションを受けたんだけど、ふたつ目は黒川さんが付いてきてくれたよ」

 黒川さんが忙しいのはこういうことをしているからかもしれない。わたしたちを含めてたくさんの新人の面倒を見てるからなぁ。ここで言っても聞こえないと思うけどいつもご苦労さまです。

「じゃあ、分からないこととかあったら誰に聞くの?」

「予め全部調べておくとか、当時分からないことは待ち時間にちょうど隣に居る他の声優さんに聞いたり、思い切ってスタッフさんに確認したりする、かな。バイトの面接とほとんど変わらないけどね」

「んー、アルバイトはしたことがないからちょっとピンと来ないかな。今のラジオしかしたことがないし」

「そう……」

「スタジオってどういう風になってるの?」

「ラジオのスタジオとかと似てるんだけど、もっと大人数が張れるようなブースっていうとイメージしやすいかな? でもテーブルはなくて、ミキサールームの向かいにモニターとスタンドマイクがあってそれに向かってひとりずつ台詞を言うの」

「ブースにひとり?」

「ええ、本番のアフレコのときは沢山の人が入るけど、オーディションはひとりずつ。だから他に受けた方の声っていうのは全然分からないし、誰がどのキャラの役を受けてるかも基本的には分からないの。でも待合室は一緒だし親しい人ならどのキャラを受けてるかは聞けるし、知ってる人がいれば同じアニメのオーディションを受けてるのは分かるけどね。あ、誰が居たとかは答えられないよ?」

「多分言われても分からないと思うから大丈夫」

 百合ちゃんならすごい血相で聞いてきそうだけどね。多分この話は百合ちゃんにはできない気がする。

「その結果が分かるのっていつくらい?」

「早ければ一週間、長ければ一ヶ月後、決定したときだけ連絡があるって言われたわ」

「なんかその期間ドキドキしちゃって落ち着かないかも」

 わたしだったら勉強も手につかなくて、必要以外のことはしないで過ごすかもしれない。時間を早送りできるリモコンがあったらどれだけ楽だろう。

「そうかもね。でもその間にもまた違うお仕事の話がくるかもしれないし、もし受かってるとしたらなおさら練習しておかないとね」

 常に先を先を見て、向上心を持って時間を過ごすさくちゃんはやっぱりすごい。なので、

「オーディション、受かってるといいね」

 そういう風に素直に思える。


     #


「おはようございます」

 いつもより遅めにスタジオに入ると、さくちゃんが収録ブースにひとりぽつんと座っている。

「あ、おはようございます」

 いつも収録前は鎌倉海浜公園で声出しやって、声とテンションの調子を整えてからやってくるさくちゃんだけど、今日の元気はそれをやってないのがすぐに分かる。

「どうしたの?」

 一番に考えられるのは体調不良。

 この仕事で体調を崩すのは場合によっては致命的なこともある。わたしは鼻声とかになる風邪をここ数年引いたことはないし、他に仕事に影響がでる症状になっていない。元気なのが取り柄ってよく家族のみんなに言われるほどだ。そらにぃもみちにぃもあまり風邪引いたりしたのを見たことがないので、わたしたち体が強い家系なのかもしれない。

 さくちゃんの家系はどうか分からないけど、さくちゃんほどの子が風邪引いて収録に影響が出るなんてわたしは考えられない。まだ出会って数ヶ月の付き合いだけど、それは分かるし、それをマネージャーの黒川さんもスタッフの皆さんも分かっている。

 だから、『体調悪いの?』とは聞かなかったし、他の原因が思い当たらない。

「なんでもないです」

 なんでもない風には聞こえないよ。ここで簡単に相談してくれたり、何か答えてくれたりする子じゃないのも分かってたけど、聞かずにはいられなかった。

 っていうか昨日オーディションだってものすごく張り切ってたじゃん。終わったあとも手応手があったって良い報告もしれくれたし、昨日のだよ? 気にならないわけがない。

 収録までちょっと時間があることを確認すると、荷物を置いて、ケータイだけ持ってブースを一旦出る。

「あ、めーちゃんおはよう」

「おはようございます。収録の前にちょっと電話してきます」

 通りかかった大野さんに声をかけて、FM江ノ島の外へ出る。空は灰色、天気予報では雨だけど、まだ降ってない。

 アドレス帳より発信履歴から出したほうが早い、黒川さんの番号選んで通話をタップ。わたしからあまり掛けたことはないので少し緊張。そもそも出るか分からない。

 養成所ではさくちゃんとは違うクラスだし、授業のある時間も被らない。なので、養成所でさくちゃんと共通の知人というのは黒川さんしか思い当たらなかった。

「もしもしめーちゃん?」

 と凛々しい声が電話に出てくれる。わたしはほっと一息して、

「お忙しい中ごめんなさい、松田です。ちょっとさくち――風祭さんに気になることがあって」

 久しぶりにさくちゃんの苗字で呼ぶ。こういうときは歳とか芸歴とか立場とか関係なしに、さん付けが基本。まよったらそうすればだいたい間違いはない。

「さくちゃんって呼んでいいわよ。今は事務所の外だし」

 見た目はガッチガチのキャリアウーマンという感じの黒川さん。普段も苗字通りの黒いスーツに固めて、事務所内やスタジオなどでは怖いくらいしっかりした方という印象を受ける。でも気がしれてる方――例えば付き合いのあるうちのスタッフやそらにぃ――にはこういうフレンドリーな対応をとる。メリハリがついているというか、必要以上に構えない方だ。わたしはいつも同じ調子なのでたまに注意される。けど今はこれでいいので、

「はい、さくちゃんなんですけど、今日ものすごく元気なくて……風邪引くようなひととは思えないし、仕事前はしっかりコンディション整えてくるのを知ってるので、何かあったのかなって思って」

 黒川さんは少し『んー』と曖昧な声を出す。何か知ってるのは確かで、それをわたしに伝えていいのか悩んでる声。これを察しちゃうのはわたしの悪いところなのかもしれない。

 ラジオとか長いこと『声だけで物事を伝える』ことに触れていると、声だけで相手の様子を想像することができるようになる気がする。もちろん100%は不可能だ。

 だから分かっても口にしない。それをわたしの中では厳守してる。特にこの場合。

「咲ちゃんがうちの養成所一番長いっていうのは知ってるよね? 当たり前だけど同期の仲間も居てね、一緒に頑張ってるのを私はよく見てたわ」

「でもね、この業界厳しいからうまくいかないとひとり、またひとりとクラスから人は抜けていく。事情や理由はそれぞれ、だから止めたりはできない。咲ちゃんの同期の仲間だった子が先日辞めちゃってね。同期の仲間だった子がいなくなっちゃったの」

「その方と、とても仲良かったんですね」

「そうね、授業の前は公園でふたりで練習してたわ。最初は自主練もふたりじゃなくて四人位だった、もしかしたらもっと多かったかもしれない。そういう風に一緒に頑張ってた仲間が抜けていくのは辛いと思うわ」

「あと、追い打ちなのかもしれないけど、今度やる『カローラの姫君』ってアニメのヒロインに、養成所に入って一年くらいの子に決まったの。ホントは二週間とかかかるのに異例のスピードでね……。咲ちゃんも実はこのオーディション受けてて、うまくいったって喜んでて……あ、この話はオフレコでね」

 わたしが読んでた少女漫画だ。アニメ化するかもしれないって噂自体は百合ちゃんから聞いてたけど、本当だというのは初耳だ。しかも黒川さんがオフレコ(簡単に言うと口外不可ってこと)にしてる内容ということは、発表はまだ先かもしれない。

 確かにさくちゃんがあのキャラクターの声をアテる(声優が声を演じるときによく使われる表現)なら似合いそうだけど、それ以上の子が同じ養成所の歴の短い子から出てくるなんて、わたしでもショックかもしれない。

「そういうことがあって、ちゃんと頑張ってるのに認められないことに、苦しめられてると思うの。できるなら、その件に触れなくてもいいから、優しくしてあげて」

「はい、分かりました!」

 黒川さんも心配しているようだ。こういうときは元気に答えるのが一番! すると安心したように笑って、

「じゃあ私はそろそろ次の現場に向かうから。めーちゃんも収録頑張ってね」

「はい、ありがとうございます!」

 と、電話を終えてすぐにブースへ戻る。

 さくちゃんはちょっと無理したような声で収録に挑んだ。


     #


 誰もいない由比ヶ浜駅。空も灰色から黒くなりつつある時間、車通りもなくとても静か。

 普段なら気にならない静寂が今は少し耐え難い。もぞもぞする。さくちゃんは収録が終わるならさっさと帰ろうとするのでわたしもそれを追いかけた。さくちゃんが元気がないのをどうにかしたくって。

「さくちゃん、今日声の調子悪そうだけど何かあったの?」

「え、そうかな?」

 収録中はいつもどおりの声だった。ただ『なんとかも筆の誤り』というか『なんとかも木から落ちる』というように告知のところでトチった。本人はそれが許せなかったのか、その箇所を撮り直してほしいとお願いしている。エンディングの最初の数秒だから、いいでしょうということで撮り直した。初回からトチるなんてことがなかったさくちゃんだけど、慣れてきてミスったんだろうとおだぴーたちは思ってるみたいだった。それでも、同じ声の畑にいるわたしとしては『らしくない』トチりかただなと思ってた。

 それが分かるのも黒川さんから聞いている理由を知っているから。でも黒川さんから聞いたとは言えないし、なんとか本人の声から聞き出して元気づけたい。その一心。

「いつもコンディション完璧のさくちゃんがらしくない状態ならそう思うって。それに、声で分かっちゃう」

「声で?」

「そう、微妙なニュアンスや息遣い、収録中は元気だけどわたしには『元気に演じてる』って聞こえた。もちろん元気に聞こえてるからいいだけどね」

 多分そう言わないとさくちゃんは『収録に失敗した』と思ってしまう。だから収録自体は問題ないよって言わないといけない。

「すごいね、めーちゃん」

「それはこっちの台詞。何かあって落ち込んでても、しっかり仕事ができるのはプロの証だよ」

 みちにぃが言ってた。『俺は風邪を引かないけど、運転手は風邪引いたってミスっちゃいけない。電車の運転は人命がかかってる仕事だからな。加えて、インフルエンザとか事故で怪我したとか不可抗力は除く、だな。人間の可能な範囲で全力を尽くすのがプロだぜ』と偉そうに。

 その『人間の可能な範囲』で全力を尽くすさくちゃんをわたしは素直に尊敬している。

 そんな気持ちを伝えると、さくちゃんは見たことない寂しそうな目で、

「私の同期の子がね、今日で養成所やめて普通に就活するって今日連絡があって。これ以上やっても所属にならないし、あんたは仮所属まで行けたんだから頑張ってね、って」

 聞いてたとおりだった。知らなかったのはさくちゃんに励ましの言葉を送っていたことだけ。自分の叶えられなかった夢をさくちゃんに託したんだね。

「その方、どのくらい続けてたの?」

「私と高校生コースから一緒にやってるから5年ほど。彼女が最後の同期の友達だったのあとはみんなちらほらと辞めていっちゃって……。うちのクラスって実は一個前の入所生と合併してるの。人数減っちゃってね」

 まるで少子化が進んで生徒が減った学校みたいだった。もちろん普通の学校とは違うんだけどね。

「あと……クラスで噂になってるんだけど、その合併したクラスにひとり中学生の子がいてね、今度やる有名少女漫画のアニメのヒロインに決まったらしいの。わたしもオーディション受けたから、その子がいるのは知ってた。オーディションは落ちたら連絡はないし、噂が本当なら私は落ちたってことだし……」

 これも黒川さんから聞いたとおりだった。でもまさか私より年下だとは思ってなかった。さくちゃんと同じくらいだと思ってたから、わたしとしても驚きを隠せない。

「でもさくちゃんはがんばってるじゃん、だから……」

「頑張ったって結果がでないと意味ないじゃん! めーちゃんは、お兄さんのコネでラジオに出れて、家のお金で勉強できて、学校には友達たくさん、家族だって皆応援してる。なのにわたしは!? 学費だって高校――いいえ中学の年賀状のアルバイトときから貯金して、家族には一切支援されず『頑張ってね』の一言だって言われたことない! それどころか『そんなくだらない仕事目指してないで金になる仕事に就け』って言われたんだよ! そのうえ五年も一緒に頑張ってきた養成所の仲間はみんな辞めていっちゃった。今の私はひとりだよ! 状況に流されてやりたいことできるようになって、目標もないようなあなたとは違うの!」

 雨が降ってきた……。同時に踏切の音がなり無音という怖い状況ではなくなっているけど、わたしは次にかけてあげる言葉を見つけられずにいた。

「えっと、さく……ちゃん。わたし――」

 次の言葉が思いつかず、そうしてるうちに電車がやってくる。

 さくちゃんは何も言わずに電車に乗り、わたしはホームに残された。


     #


「おはよーめーちゃん」

 横須賀線のドアのガラスから見える煉瓦の建物をボケーッと見ていたら、いつの間にか百合ちゃんが背後に居た。その後ろからひょっこりときょーちゃんとりんちゃん。

「あー、おはよ」

「テンション……低いわ」

「どうしたよ?」

「うん……えっとね――」

 さくちゃんと一緒に声優を目指していた仲間が養成所をやめてしまったこと、それをなんとか慰めてあげようとしたけどうまいかずさくちゃんを怒らせてしまったことを簡単に説明する。

 それに加えてさくちゃんの言葉を詳しく説明する。すごく胃が痛いけど、それだけズキリと刺さっており、今でも鮮明に思い出せる。頑張らなくても恵まれてる。そらにぃのコネクションでラジオに出れて、家のお金で勉強できて、学校には友達たくさん、家族だって皆応援してる。なのにさくちゃんはというと、学費は中学の年賀状のアルバイトからためて、家族には一切支援されず『頑張ってね』の一言だって言われたことない。養成所の仲間はみんな辞めていっちゃった。状況に流されてやりたいことできるようになって、目標もないようなわたしと一緒にしないでって。

 そんなことになってしまって、さくちゃんがラジオを辞めてしまうのではないか。そんな不安を昨晩からずっと思ってたこと。

 ほとんどしゃべり終わる頃には電車は北鎌倉に着いていた。昨日からの雨のせいか道が歩きづらく感じる。

「あー、なるほど。咲さんの言うこと分からなくはない」

 とかわいい百合の花の柄の傘から、ひょっこり顔を見せながらコメントをしたのは百合ちゃん。続けてビニール傘のりんちゃんは、

「うん。親に応援や支援されないっていうのを甘えとは言い切れないところはある」

「そうなんだ。わたしはちょっとどうしてこうなっちゃったのか分からないから、めーちゃんと同じ気持かな」

 和傘の似合うきょーちゃんの回答で見事に共感できる派とできない派で別れた。

「確かに長いこと同じ夢を追いかけてきた仲間がいなくなっちゃうのは辛いけど、めーちゃんはがんばって慰めようとしたのでしょう? そこに言葉の齟齬、語弊っていうのかしら? そういうのがあっちゃったとしても、原因が全然分からないわ」

「原因を率直に、誤解を恐れずに言っちゃうと『嫉妬』だね。咲さんと比べてめーちゃんは確かに優遇された立場にいると百合も思う。咲さんは一緒に頑張れた仲間がいなくなっちゃって、頑張ることができた支えが減っちゃって潰れたんだ」

「今の話を聞いてると、咲さんはあたしが自分を惨めに追うもほど頑張ってると思うよ。親の金銭的な支援だけじゃなくて、親から夢を追いかけるなみたいなこと言われると結構キツイ」

「まあ、声優もオタクの目指す職業だから、一般人からの扱いが酷いのはしょうがないんだけどなぁ……。そういう風に言われちゃうと、百合も怒りたい。この業界の仕事ってそれだけ誇らしいんだよ」

 というのが『できる派』の考えのようだ。

「わたしからすればさくちゃんは綺麗なしゃべり方するし、時間配分を考えたトークもできるし、綺麗だしかわいいし、わたしの方が嫉妬しちゃうよ……」

 正直わたしよりもさくちゃんのほうが優れてる要素のほうが多いと思ってる。

「さくさんってそれを手に入れるための努力をしてきて、ようやくめーちゃんと同じラジオの仕事ができるんだけど、めーちゃんってお兄さんのお誘いだけでラジオの仕事ができちゃってるんだよねぇ。百合は業界において実力よりもコネクションや運が強く作用することを知ってるんだけど、さくさんにとってそれは許せないことなんだと思ってるんじゃないかな。めーちゃんが誤解しないように補足するけど、めーちゃんみたいな形で仕事ができることは本当はいいことなんだよ」

 そういう百合ちゃんの傘が岩のトンネルに引っかかった。

「熱くなるのはいいけど気をつけろよ」

 りんちゃんは引っかからないように傘を一度たたんでトンネルをくぐる。りんちゃんの身長だと結構屈まないと通れなくて不便そうだ。

「今回の本題は『さくさんとめーちゃんの仲直り』だからな。さくさんほどの人間はそうそうやめたりはしないだろうけど、人間は壊れるとあっという間だ」

「そうね、原因は分かったのだから、どうしたら次の収録までに仲直り出来るかよね」

 どうしたら仲直りできるか。それもそうだけど、

「ねぇ、さくちゃんやめちゃったりしないかな……」

 トンネルを潜れずに立ち止まる。一番の不安要素が引っかかった。

「わたしのことはともかく、さくちゃんはどうしてあげたらいいかな。わたし、さくちゃんとラジオ続けたいし、さくちゃんに声優を目指すのをやめてほしくない」

「そう言えばいいじゃん」

 りんちゃんが即答する。喧嘩しちゃった相手から言われてホイそれと聞いてくれるかなぁ。「百合もみんなくらい気の知れた子じゃないと漫画家目指してるなんて言えないんだよ。親にも言ってないんだから。そのうえ、作業はもちろんひとり。だからみんなみたいに応援してくれる人がいるってことはすごい幸せなんだなってさくさんのお話を聞いて思ったよ。だから百合たちが、めーちゃんがさくさんにしてあげられることって応援して、道が一緒のときは手をつないで歩いて行くことなんじゃないかなって」

「道が一緒のときは手をつないで歩いて行くこと……?」

「今の私たちみたいにね」

 きょーちゃんと、百合ちゃんと、ちょっと照れ気味のりんちゃんが不安を潜れないで居るわたしに手を差し伸べてくれる。

 そっか、やっぱりわたしは恵まれてるなぁ。きょーちゃん、百合ちゃん、りんちゃん、そらにぃ、みちにぃ、お父さん、お母さん、スタッフの皆さん、黒川さん、相談できるひとがたくさんいるんだ。道が一緒だから。もちろんさくちゃんもそのひとり。

 そのことを噛みしめるとわたしもトンネルを潜って、みんなの手を取る。

 次はわたしがさくちゃんに手を差し伸べないと……。


「第一回めーさく仲直り会議ー」

 昼休み、いつもどおりわたしの机の周りに集まるや否や、百合ちゃんが謎のポーズと共に、自作のお弁当をオープンしながらの会議開催宣言。

「なにそれ」

「ちょっと辛気臭い話になっちゃうかもしれないから、ノリだけでも軽く行こうって。それに今朝みたいに百合も熱くなっちゃいけないからね」

 下手にテンションあげたほうが百合ちゃんが変なことを言う率があがる気がするけど……。

「めーちゃんがいいなら、いいんじゃない?」

「天気もあまりよくないし、わたしも前向きに考えたいから」

 みんながわたしに元気になってほしいということはとても伝わってきてる。だったら形だけでもそれに乗っかろうと思う。

「で、今朝からなにか思いついたことはあるか?」

 りんちゃんの質問にうなずいて

「目標ができたら見なおしてもらえるかな」

「「「目標?」」」

「朝からずっと考えてたんだけど、どういうパーソナリティになりたいのかとかそういうの。それに知ってると思うおけどおだぴーからの宿題もあるし、こういうのがぶれてるのもさくちゃんとしては許せないって言ってたし」

「百合だって漫画家としてデビューするっていう目標はあっても、具体的なビジョンってまだピントが定まってないし、どういう漫画が描きたいかっていう被写体もおぼろげだよ。だから今はがむしゃらに思いつくものを書いてる。さくさんもそんな気がするんだ」

 漫画家を目指す百合ちゃんでも、目標が高いから今はできることを片っ端からやってるって感じなんだ。

「私なんてもっと漠然としてて『地域に貢献できる仕事がしたい』それだけ。プランなんてなにも……」

 この4人の中では一番しっかりもののきょーちゃんでも、将来像までは漠然としてるらしい。

「あたしに至っては目標すらない!」

 どーんと言うりんちゃん。りんちゃんはなんだか毎日精一杯生きてるって感じがする。未来は見えないけど一所懸命って感じ。

「今は目標を探すのが目標でいい気がするわ。めーちゃんは最初の目的地まで歩けた。だからその先の分岐点を探してる。私なんてまだ道が見えてないんだから」

「あたしはそれすらもない! だから、京子はすごい先に進んでるように見える」

 またもや威張るところじゃないのにドーンと言うりんちゃん。

「目標がないって思ってても、『目標を探す』という目標なら立てられるってこと。京子もそうしてみたら?」

「うるせー」

 わたし目標を立てたよって言ったところで、さくちゃんがいい顔をするだろうか。自分で言っておいてなんだけどちょっと違うと思った。

 でも目標はちゃんとあったほうがいいかもしれない。漠然と今のラジオをしてるけど、この先は想像できてない。このままラジオをしてていいのか、ラジオ以外の仕事もできるようにしておいたほうがいいのか。

 それよりもまずは今やってるラジオをどういうラジオにしたいか、ということかもしれない。そういう方向性すら決めてない。だから前に宿題として出されてしまったのかもしれない。

「サブレ」

 わたしはふと思いついた単語を口にする。

「「「さぶれ?」」」

「サブレってあの鎌倉のおみやげの?」

 りんちゃんは焼きそばパンの袋を開けながら別の食べ物のことを聞く。

「そう、さくちゃんサブレが好きらしいんだけど、収録のために鎌倉来てるのに、買いに行く余裕がなくて食べれないって前に言ってたのを思い出したの。だからたくさん買ってプレゼントしてあげたら仲直りのきっかけになるんじゃないかなぁって」

 少しぼかしたけど、咲さんは色々と生活を切り詰めてお金をためている。だから、趣味もサイクリングとか筋トレとかあまりお金のかからないものにしてるらしい。自転車は高いけどお兄さんのお下がりから買い換えてないらしく、丁寧にメンテナンスしてるって聞いたことがある。

 そのうえ普通の女の子なら大好きなお菓子とかスイーツなんかも殆ど食べない。スタッフさんとの食事会でおごってもらうとき以外、食べたことないんじゃないかな。

「わたしも百合ちゃんと喧嘩したことあるけど、あの時は一緒に江ノ島丼食べて仲直りしたなぁ。そんな感じかしら?」

「多分」

 それで仲直りってどんなシチュエーションだろう。このきょーちゃんと百合ちゃんには謎が多い。そもそもこのふたりがどうして知り合ったのかも不明。想像できない。

「女の子の喧嘩なんて、何かきっかけがあればすぐに仲直りできると思うよ。案外咲さんも言い過ぎちゃったかもしれないって、思ってると思うし」

「トークやめーちゃんのお話を聞く限り、咲さんってすごい真面目な方に見えるの。だから何かあっても人に話せなくて溜めちゃって、今回爆発したって感じがする。だから多分あとで冷静になって反省してるわ」

「だなぁ」

 百合ちゃんもきょーちゃんもりんちゃんも大丈夫って言ってくれる。


     #


 鎌倉のおみやげとして有名なサブレ。その中でも元祖と言われている老舗の本店が若宮大通のスタート地点の目の前にある『馬サブレ』

 わたしも小さい時からおやつ代わりによく食べていた。サブレは江ノ電の形をしたやつとか、しらすが入ってるやつとかあるけどやっぱりここが好きだ。

 本店というだけあって、中はすごい綺麗なお店だ。ガラスケースにディスプレイされているサブレはまるで宝石みたいで、店員さんもきれいな姿勢と笑顔で『いらっしゃいませ』と挨拶をしてる。

「あら、めーちゃんじゃない、こんにちは」

 その綺麗な『いらっしゃいませ』のあと、後ろからすごく聞き覚えのある、安心する声に名前を呼ばれた。

「まやさん、おはようございます……じゃなくて、こんにちは。お久しぶり、でもないかな」

 声の主はすぐに分かる。ラジオ越しに何年も、同じ部屋で一年も聞いていた声。聞き間違えるはずがない。

「今日はどうしたんです?」

『馬サブレ』といえばおみやげ。こういうおみやげは地元民だとあまり食べないと思う。わたしもそうだけど、なにかないとわざわざ買いに来ない気がする。

「親戚が泊まりに来るっていうのでお菓子を買いに来たの。めーちゃんもお買い物? 今日は収録日よね」

「そうです。実はさくちゃんとちょっと喧嘩しちゃって……。仲直りのきっかけにサブレを買っていこうかなって」

「仲直りできそう?」

「はい! もちろんです!」

 実際は仲直りできるか分からないけど、やらなきゃいけないって思うし、ここで不安がってたらできることもできなくなる。気持ちだけでも断定するというのはみちにぃの弁。

「いい返事ね。めーちゃん、わたしが抜けたあとだいぶ成長した気がするわ」

「そうですか? あまり変わってない気がするんですけど」

「そんなことないわよ。まずさくちゃんのことすごい気を使ってる。さくちゃんが失敗したとき必死にフォローしてたし、初回のオンエアじゃすごい緊張してたさくちゃんのトークも楽しそうになってきたし。めーちゃん自身もすごく喋れてるわ」

「いえ、そんなにうまくいってたら喧嘩なんてしなかったかもしれないです」

「真剣に仕事してたら喧嘩のひとつやふたつもするわよ。多摩さんとミスターだって一回すごい喧嘩して収録止まっちゃったこともあるし、私も多聞さんとお便り選びで一度やりあったことがあるわ」

 今のスタッフ陣の仲の良さからは信じられないことを、小学校の思い出のように語るまやさん。わたしはその情報の処理が追いついておらず、その笑顔だけを見てた。

「一度喧嘩しちゃうと仲直りしてからすごいうまく言ったわ。わたしの言いたいことも、多聞さんの言いたいこともよく分かった。だからその両方を考えながら仕事ができるようになったし、新しい意見も恐れずに言えるようになった」

 笑顔を変えずに真剣で、それでいて頭のなかに溶けこむような口調で語るまやさんの言葉が、さっきの喧嘩の件とは違ってしっかりと耳に入る。

「喧嘩したからうまくいかないって思わないで、喧嘩したからこそうまくいってるの」

「喧嘩したからこそ」

『喧嘩するほど仲が良い』なんて言葉があるけど、仲良くし続ける過程に喧嘩があるってことなのかな。まやさんの言葉をオウム返しするけど、ここはいまいち消化がうまくいかない。

「そうそう。ほら、早くサブレを買って行って。収録遅れちゃうわよ」

 まやさんに押されてわたしは店員さんに話しかける。


     #


「ごめんなさい、わたしとさくちゃん少し遅れるかもしれません」

 電車でSNSのグループにそう連絡して早々と目的地へ向かう。さくちゃんならいつもここにいるはず。

 鎌倉海浜公園。さくちゃんは本番の前にここでウォーミングアップをしている。さくちゃんの性格から、こういうときでも――こういうときだからこそ絶対に発声をここでしてると思う。

「水馬赤いな、あいうえお。浮藻に子蝦もおよいでる。柿の木、栗の木、かきくけこ。啄木鳥こつこつ、枯れけやき」

 今日もいつもどおりのさくちゃんの発声練習が聞こえてくる。江ノ電――タンコロの前で真剣な表情で本当にいつもどおり。

 わたしは口から息を吐き、鼻で思いっきり吸って、

「さくちゃん!」

 北原白秋の『五十音』で発声練習をしているさくちゃんの声に負けないような声で、名前を呼ぶ。

「めーちゃん?」

 ちょっと怖がってるような、驚いてるようなそんな表情でさくちゃんはわたしの方を向く。逃げるかと思ったけど、首から下は発声練習のままで、肩幅に開いてがっちり構えてる足は動かない。

「収録の前に話がしたいの。いい?」

「うん……」

 用件は分かってるみたいだ。

「立って話すのもあれだから」

 わたしは一歩も動かない――動けないのかもしれない――さくちゃんの手を取りタンコロの中へ連れて行く。

 木で出来た車内はやっぱり落ち着く。収録ブースに似てるのかもしれない。声を受け取ってくれる素材で、程よく狭くて、人がしゃべったりする空間。

「これ、食べる?」

「サブレ?」

 わたしは早速バッグから八枚入りの馬サブレを出してさくちゃんに渡す。ギリギリ千円しないし、量的にもちょうどいいと思った。

「いつも食べたがってたのに、収録終わるとお店しまってるんだよね。収録前も予定時間ギリギリですぐ打ち合わせに入っちゃうから買えないって前言ってたでしょ」

「うん、ホントはお金ないからなんだけど」

「おやつも節約してたんだ」

 大学は奨学金、養成所の学費や生活費は毎日バイトして、美味しいものは食べたくても食べられなかったのかもしれない。

「……もらっていいの?」

「今日はさくちゃんに食べてもらいたくて買ってきたから」

「……いただきます」

 さくちゃんとお互いの呼び方を決めたときと同じように、動物みたいな食べ方をする。もしかしたら、少しでも長い時間味わいたくて、無意識にこういう食べ方をしているのかもしれない。

「あのね、確かにわたしはさくちゃんと比べて恵まれてるんだと思う」

 今のサブレの食べ方ひとつにとっても違いを感じるほど。

「実家ぐらしで、家族もみんなわたしのことバックアップしてくれて、そらにぃのおかげでこの仕事出来てるし、みちにぃもアドバイスくれたりしてくれる。さくちゃんに言われるまでわたしがどれだけ恵まれてたか分からなかった。それなのに咲ちゃんは、わたしと真逆の状況と言えちゃうくらいの状況で、その上養成所で仲間が辞めていっちゃうのにずっと続けてて、やっぱりすごいって思うよ」

 わたしが今の状況で、そらにぃかみちにぃ、お父さんかお母さん、百合ちゃん、りんちゃん、きょーちゃん、スタッフの皆さん、黒川さん、その誰かが欠けてたとしたら今のわたしは居なかったし、ラジオを続けられなかったかもしれない。

「すごく、ないよ」

「ううん、すごい。尊敬するよ。だから無神経なことを言ってしまってごめんなさい」

 頭を下げる。ラジオを始めた頃、全然うまく行かなくて三十分をまるまる撮り直したときに謝ったように。

「あ、謝らな――」

「だから一緒に続けたいって思う」

 さくちゃんの言葉を食って次に繋ぐ。わたしのごめんなさいは次に続けないといけない。ごめんなさいで終わらせない。それがわたしがこのラジオで学んだことのひとつ。

「どこかで道は別れるかもしれないけど、今は同じ道を歩ける。さくちゃんと一緒に歩きたいって思う」

 運命のめぐり合わせなのか、偶然という名の必然だったのか、それは分からないけど、さくちゃんと一緒にラジオをすることになって、それを続けたい。

「目標のないわたしがこんなこと言ったって説得力ないかもしれないけど、わたしは目標を探して今、さくちゃんと一緒に歩いてる気がする。一緒にラジオをしてほしい!」

「私、あんなにひどいこと言ったんだよ? めーちゃん全然悪くないもの。私が勝手に落ち込んで、勝手に妬んでそれであんなこと言ったんだよ?『もう組みたくない』って言われてもしょうがないのに。どうして?」

 さくちゃんの声が涙で歪む。聞いたことのない聞き取りにくいピンぼけしたような声。流れる大粒の涙が木製の床に落ちて染みる。鼻をすする音が車内に響く。

「さくちゃんにはラジオを楽しんでほしいから。仕事だし夢を叶えるために真剣にならないといけないのかもしれないけど、楽しくないと楽しませることも難しいと思うんだ。だから楽しんでほしい、トークを、ラジオを、この時間を」

 さくちゃんが時折見せる楽しそうなおしゃべり、曲紹介をする時の『本当にこの曲が好きなんだ』と分かる声、あこがれの人のことについて話す声、わたしのモノマネに大笑いする声、そんな声でラジオをしてほしい。

 ずっとは無理かもしれない。でもその声で喋ってくれる時間が少しでも多くなってくれたらわたしは嬉しい。

「うん……楽しみたい。だって、楽しそうな仕事だって思って始めたんだもの。今は苦しいけど、わたしは楽しめる声優になりたい」

 ああ、そうか。わたしの創りたいラジオってこういうことなんだな。楽しむことはもちろん、楽しませること。それは共演者、スタッフ、リスナーみんなが楽しめるように。

「めーちゃん、ごめんなさい」

 わたしの膝に泣き崩れたさくちゃんの頭を優しく撫でた。


     #


「みんな、ありがとね」

 朝教室に居たいつものメンバーに精一杯のお礼を言う。今のわたしが居るのはみんなのおかげでもある。今まで分からなかったけど、こうして応援してもらえるということはとてもありがたいこと。照れくさくてなかなか言う機会もないかもしれない。だからここぞという時はたくさん感謝を伝えたいって思うようになった。

「その調子だとうまくいったみたいだね」

「オンエアが楽しみね」

「百合たちのアドバイスが役になってなによりだよ」

 わたしだけじゃなくて、さくちゃんのことも考えてくれたみんな。こうしてわたしたちの仲直りも喜んでくれる。

「これ、みんなにも」

 今朝鎌倉駅で買ってきた馬サブレを見せる。昨日さくちゃんにわたしたサブレは、収録中ずっと台本の横に置いてあって、それを見てなんだかみんなにもあげたくなった。

「おっ、今回の仲直りアイテムかー」

「百合太るぞ」

「ありがとう、めーちゃん。今夜美味しい紅茶と一緒にいただくわ」

 みんな遠慮無く箱からサブレの袋を持っていく。わたしも余ったら食べよう。

「そいえば、前に咲さんアニメのオーディション受けてたじゃん。あれってどうなった?」

「ひとつは落ちっちゃったのよね?」

 きょーちゃんの言うとおりの状態であることろまでしか、わたしも聞かされてないし、多分さくちゃんも同じ状況だと思う。

「うんー。だからもうひとつの結果待ちだね。前に結果がわかるのに早くても一周間、遅いと一ヶ月らしいから」

「うわ、バイトの面接そんなに焦らされたら他の受けるわ」

 りんちゃんがちょっと驚いたように言う。やっぱり結果待ちの期間は、バイトの結果をもらうより長い方らしい。

「でも、その結果待ちの間も違うオーディションの話を貰えれば受けられるし、アニメ意外にも最近はソーシャルゲームとかの仕事もたくさんあるし、なにより咲さんにはめーちゃんたちとやってるラジオがあるからね」

 百合ちゃんの言うとおり、声の仕事はたくさんあるし、さくちゃんの実力ならいろいろなことができるはず。

 わたしはラジオでこれからもさくちゃんを応援したいと思っている。


     #


 学校の帰り道。鵠沼で電車を降りてひぐらしが鳴く道を歩く。ここらへんはさすがに住宅街で観光名所らしいところは全然ない。江ノ電の線路より東側にいけば美味しいパン屋さんとかグルメスポットはあるんだけどね。

 あ、パン食べたくなってきたけど我慢我慢。今朝みんなにあげたサブレが残ってるんだ。

 おなかの虫がなる前に、ケータイのバイブが鳴る。着信、さくちゃんからだ。

「もしもしめーちゃん? お疲れ様。今時間大丈夫?」

「うんー」

 お疲れ様と言うのは定番の挨拶といか癖みたいなもので、プライベートでの会話にもポロッと出てくる。それに『仕事仲間』って感じがしてわたしは好きだ。

「前にね受けたオーディションの二つ目なんだけど、十三人いるヒロインのうちのひとりをやらせてもらえることに決まったの!」

「マジで!?」

「マジマジ」

「ねね、どんな役? どんなアニメ?」

 守秘義務とかあるんだろうけど、そんなの無視して色々聞かせて欲しかった。もちろん知らないタイトルでも。

「そのオーディションではね、メインのひとりを演じたあとに別の役もやって欲しいって言われてね。そしたらそのあとで演じたキャラのほうで採用してもらったんだよ」

「すごいすごい。そんなことってあるんだ」

 ひとりのキャラクターを受けたのに違うキャラも演じるように言われ、それも演じることができる。それをその場でやってしまうさくちゃんはすごい。

「うん、黒川さんが言ってたけど、スタッフのひとが『こっちのキャラのほうが合うかもしれない』って思ったらその場でやってほしいってお願いすることも結構多いらしいよ」

「さくちゃんがいろんなキャラクターを演じられるってことだね。おめでとう」

「……ありがとう」

 ちょっと声が歪んだ。もしかしたら嬉し泣きをしているのかもしれない。努力して努力して、一度挫けそうになって、それでようやく掴んだキャラだもんね。それにラジオを除いたらデビュー作ってことになるし、嬉しくないわけないよね。

 わたしも自分のことのように嬉しい。

「でもヒロイン十三人ってどういうアニメ?」

「えっとね、美少女ハーレムモノっていうと分かるかな。女の子が沢山出てくるいまどきの萌えアニメみたいな感じなんだけど……」

 わたしには全く想像がつかない。百合ちゃんが知ってるかもしれないから聞いてみようと思う。


     #


「「めーさく湘南鎌倉パラレルワールド!」」

「FM江ノ島をお聞きのみなさんこんばんは。パーソナリティのめーちゃんこと松田恵海です」

「こんばんは、パーソナリティの風祭咲です。よろしくおねがいします」

「この番組は――」

「江ノ島、湘南、鎌倉の面白いこと、噂のお店、地元の方もあっと驚くスポットのお話をする情報バライティ番組です」

 いつもどおりの番組紹介が終わったあと、さくちゃんは、

「さて、普段はここで近況報告のお時間だったりするんですけど、前に出されたメーちゃんへの宿題、目標が決まったって聞いたので早速発表してもらいましょう」

「少し恥ずかしいんですけど……」

 わざとらしく咳払いっぽい声を出して覚悟を決める。

「わたしめーの目標は『楽しむこと、それができたら楽しませる』ことです。当たり前に聞こえるかもしれないけど、それができるパーソナリティになりたいです。そんなパーソナリティのわたしたちがお送りしているこのラジオは、つらいこと、苦しいこと、嫌なことたくさんあるけど、このラジオの時間だけでも、いつもと違うパラレルワールドが楽しめる。そんなラジオにしたいです」

 言い終わると間もなくすぐに拍手が上がる。SEも歓声とかではなく、オーケストラの演奏が終わったあとのような拍手だけの音。

「ありがとうございます。がんばります」

「そんなめーちゃんの目標を実現するため今日も初めてまいりましょう。めーさく湘南鎌倉パラレルワールド――」

「「スタート!!」」

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わたしたちの楽しい湘南カマクラジオ 雨竜三斗 @ryu3to

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