第二章「めーさく湘南鎌倉パラレルワールド」
「『町松田の湘南鎌倉パラレルワールド』あっという間にエンディングのお時間です。先日よりお伝えしております通り、わたしくし町田まやは今回のオンエアを持ちましてパーソナリティをお休みいたします」
「ま、まやさん……」
知ってた。分かってたけど、わたしはまやさんがこの番組からいなくなってしまうのが不安で嫌で仕方がなかった。
今日の収録前にすごい覚悟してきて、友達に話してきて、泣かないって決めてきた。
「も~、めーちゃんったら。台本には泣けなんて書いてないでしょう?」
「だってー」
わたしには無理だった。
「めーちゃんが泣いちゃうようなしんみりとしたお別れは悲しいので、次回のお話をしましょう。次回からは『風祭咲』ちゃんという子がめーちゃんと一緒にこの番組を続けてくれます」
「で、その風祭さんなんですが、実はこのブースにいまいらっしゃいますので挨拶していただきましょう!」
ちょっと涙を拭きながら明るく元気に言う。明るくしないと面白いサプライズにならないからね。
「えっ!?」
わたしに泣けということは台本に書いてないけど、この件は書いてある。風祭さんは慌てて手に持ってて、出演しないのに熟読している台本を見返すけど、
「風祭ちゃん、台本見てもそっちのには書いてないわよ。作家さんの大好きなサプライズ!」
大野さんに呼ばれるまま、わたしの隣に座る風祭さん。わたしたちは拍手でお出迎えする。SEまで入ってものすごく大げさな盛り上がり方をする。
「ささ、簡単でいいので挨拶してください」
とまやさんが促す。恐る恐るマイクに向かって、
「か、風祭咲と申します。ご縁があってこの番組のパーソナリティを町田さんと交代という形で努めさせていただきます。未熟者ですがよろしくお願い致します」
「はい、ありがとうございます。風祭さんは声優さんの卵で、ナレーションや演技の勉強をしています。このラジオのリスナーの皆さんには馴染みのない島の子かもしれませんが、わたくし町田とは違ったおしゃべりをしてくれると思います!」
「そんな風祭さんへの質問や音楽のリクエスト、各コーナーのお便りの宛先は、郵便番号二四八―〇〇一四 鎌倉市由比ガ浜五丁目五―五 FM江ノ島ラジオ、次回から番組タイトルが変わりますので送っていただく際には新しいタイトルの『めーさく湘南鎌倉パラレルワールド』の宛まで。メールの場合は全て小文字で『parallels@fm-enoshima.ne.jp』まで。こちらは変更がありませんね。件名にコーナー名を入力のうえ送信してください。FM江ノ島公式ホームページのメールフォームからも送信できます」
「ではお別れのお時間です。めーちゃん、風祭ちゃん、この番組をよろしくね」
「「はい!」」
「今までありがとうございました。またFM江ノ島でお会いしましょう。町田まやと――」
「これからもよろしくお願いします、松田恵海でした!!」
キューランプが消えるとブースとミキサールームから拍手があがる。みんな町田さんへお疲れ様とありがとうを伝える。
「皆さん、本当にありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました」
すぐに町田さんの元へ駆け寄り手を取る。
「めーちゃん、みなさん、これからも番組をよろしくお願いします。風祭ちゃんも……あれ?」
「まやさん、今までお疲れ様でした」
「これ、私たちからです」
実はキューランプが消えた直後、風祭さんはブースの外へ出て、サプライズの準備をしていた。おだぴーが用意してくれた花束を取ってきたのだ。
「町田さん、わたしは一ヶ月だけでしたがたくさんのことを教えていただきました。まだうまく喋れる自信はないですが、がんばってラジオをしたいと思います。お疲れ様でした!」
風祭さんから色とりどりの花束が渡され、再びブースの中が拍手に包まれる。
「みなさん、ありがとうございました」
#
「しばらくまやさんの声を聞けなくなるのかー」
と、メロンパンを食べながら残念そうに言うりんちゃん。わたしをきっかけに番組を聞いてくれるようになったりんちゃんは、まやさんのファンだと前から言っていた。
「りんちゃんまやさんの声好きだったからねー」
わたしは自分が加わる前と別の番組でもまやさんの声を聞いていて、好きだったので、りんちゃんの感想にわたしも同意。
「まやさんメインのコーナーに『まやママのみどりの窓口』ってあったじゃん。あのコーナー宛にお便り送ってるほど好きだったんだよね」
「えっ、それ初耳。わたしがいたときに採用されてた?」
なんでわたしが知らなくて百合ちゃんが知ってるの? でもわたしが居る時だったら気が付きそうな感じもするけど……。
「いや、されてない。中学生のときだから」
「どんな内容だったの? 差し支えなければ聞きたいわ」
「名前のことだよ。自分の名前がイヤだから、友達になんて呼んでもらえばいいかって……」
きょーちゃんが丁寧な聞き方をしたからか、りんちゃんも少し恥ずかしがりながらも答えてくれた。
「そうしたら『アダ名を自分で決めて、それで呼んでもらえばいい』って教えてくれたんだ。『アダ名は友達が呼びやすいように親しみを込めてつけてくれるけど、自分で考えちゃいけないことはない。親しみを込めて呼んでほしい名前を名乗ればいい』 まやさんの教えがなかったらあたしは今頃どうなっていたか」
「大げさだなぁ」
「んだと! わたしにとっては死活問題だったんだぞ!」
りんちゃんの名前へのコンプレックスはかなり強く、先生ですら下の名前で呼ぶとすごい怒る。冗談でもわたしたちが彼女の名前をいじったりしないのはそこがよく分かってるから。大げさとコメントした百合ちゃんもそれを分かってると思う。
「でもステキね。ラジオパーソナリティの言葉がひとりの少女を救ったなんて」
うっとりとした表情で天井を仰ぐきょーちゃん。きょーちゃんのリアクションのほうが大げさかもしれないけど、
「わたしもそういうエピソード聞くと憧れるかも」
「めーちゃんも人の人生を変えるようなことが言いたいって?」
「きょーちゃんの言うとおりなんだけど、今のりんちゃんみたいな返しができるか自信ないし、変なこと言って失敗させちゃったら怖いし」
いくら神奈川県の藤沢市、鎌倉市、逗子市、ぎりぎり横浜市と小田原市あたりまでしか聞こえないラジオと言っても、何万って人間が聞くことができる電波に乗っている。FMのラジオチューナーは今どきスマートフォンにもついていて、一部FM局はインターネット上でも同じタイミングで配信をしている。ローカル番組とか考えて変なことを言うと、すごいところからお便りが来て驚くこともあるかもしれない。そう考えるとちょっと怖いかも。
「いやいやめーちゃん、SMSやインターネットが発達してない昔ならさておき、今は色んな所でいろんな人が情報を配信できるんだよ。めーちゃんがラジオで喋ってることはそのうちのひとつ。間違ってても誰かが正してくれるし、自分にはなかった考えだって感心させることもできるかもしれない。だから『自分の意見です』って堂々としてればいいんだよ」
「おっ、漫画家先生は言うことが違うねー」
「まだ漫画家じゃないし、りんと百合は同い年でしょ」
さっきのお返しと言わんばかりに茶化し合うふたりだけど、言っていることをお互い否定してない。一見するとどうして仲良くなったんだろうと思うふたりがいいコンビなのはそういうところにあるのかもしれない。
「でも自分に自信を持って語ることは重要だと私も思うわ」
「自分に自信を……」
「めーちゃんも頑張ってね。何もできないかもしれないけどわたしたちは毎週めーちゃんのトークを聞いてるからね」
「お便りが一通も来なくなったら言ってね。百合がひとりで十通くらい書いちゃうから」
「クレームが来たら言いなよ。あたしがぶっ飛ばしに行くから」
きょーちゃんの言うことはともかく、百合ちゃんとりんちゃんの言うことは極端で、わたしは乾いた笑いでしか返せない。
#
「では皆さん、おはようございます」
「「「「「おはようございます」」」」」
いつもどおりみんなで挨拶をするけど、今日から町田さんは居ない。わたしの隣にはボールペンを強く握りしめる風祭さん。周りのスタッフの方々はいつもどおりの表情。いつもと違うところを強いて言うなら、小説の原稿を終わらせた大野さんがいつもより少し元気そうというくらい。
「まずはプロデューサーの僕から。今回より番組タイトルも変わりリニューアルしました。パーソナリティもめーちゃんと風祭さんのふたりになって、新しい番組になった感じもするかもしれませんが、番組のテーマや方向性に変更はありません。新しい風が流れ始めただけです。今まで通り、楽しく良い番組を作っていきましょう!」
そう今までどおり。まやさんからラジオの名前を引き継いだということは、番組が変わったわけじゃない。その証拠に環境は何も変わってない。ひともさっき確認したように変わってない。
まやさんが、スタッフのみんなが続けてきたラジオをわたしも続ければいい。
「パーソナリティのふたりも前回までと同じようにしてくれればいいから。変に気を張ったりしないで、ふたりで仲良く話しをしてくれればいいから」
「「はい!」」
「良い返事をありがとね。僕達スタッフがサポートするから、一緒に頑張ろうね。じゃあ多聞くんから今日の流れをお願い」
「はいはい。今回はリニューアル後一回目ってことで、前半戦は改めて二人に自己紹介をしてもらう。早いことに風祭さん宛のメールが数件あるので、トークに絡めていきたいと思う」
「も、もうですか? 私、前のオンエアで最後に少し喋っただけで……」
「事務所のホームページのプロフィールまで見てきたって人もいたから、喜んでネタに使わせてもらうぞ」
大野さんは小説に新しいキャラクターが出てきたみたいな口調で楽しそうに言うけど、風祭さんは恐縮してるのか文字通り縮こまっている。緊張度が増したかもしれない。
事務所のプロフィールは一週間くらい前にホームページにアップされていた。わたしと同じ仮所属だけど、検索エンジンに引っかかるし、日本語で書いてあるけども全世界で見ることができる。さらにサンプルボイスも三種類アップされていて、本当に声の仕事を依頼することができる状態になっている。だから風祭さんのこともすぐに調べることができるんだけど、改めて『調べました』と言われると恥ずかしいのは分かる。
「それだけみんな気にしてるんだ。いいことだと思うよ」
とミスターがフォローを入れる。
「はい……」
でもやっぱり恥ずかしいのか、弱い返事。最初はわたしもそうだったし、少しずつでいいから慣れていってほしい。
「めーちゃんも気が抜けないぞ~。この機会に便乗してめーちゃんにも質問のメールが来てるぞ」
「ほへ、どうしてですか?」
わたし一年も喋ってて、今更リスナーさんが知らないことって、
「今まで聞かなかったけど、いい機会だから聞かせてほしいとか、最近から聞き出したから聞きたいことがあるっていうメールがあったな」
印刷したメールの文面をペラペラと見ながら大野さんが教えてくれる。
「こういうラジオはいつも聞いてくれる人、たまに聞いてくれる人、たまたま聞いてくれた人、いろんな人がいるからね。このリニューアル初回オンエアを『たまたまた聞いてくれた人』も楽しんでもらえるようにしないとね」
とおだぴーが付け加える。
「前半はそんな感じで。曲リスエストが来てるからそれを。CDも持ってきてるのでこのあとチェックお願いします」
「持ってたんだ。多聞さんがCD自前なんて珍しい」
ラジオで流れる音楽はスタッフさんや、FM江ノ島の事務員、わたしたち出演者などいろんな人が流行りの曲などを持ち寄ってその中から選んでる。または地元出身のアーティストさんが宣伝も兼ねてプレゼントしてくれたりもするので、それを流したりすることも多い。
一曲目は『ヘイウッド・ありあけ』の『流れ星を追いかけて』って曲のようだけど、わたしは知らないタイトルだ。
「ロボットアニメの主題歌とかそんなんじゃないの?」
多摩さんが何気なくつぶやくと多聞さんの表情が文字通り固まる。図星っぽい。
「『蒼い流星のチェイサー』ってアニメですね。私もこのアニメもアーティストさんも好きですよ」
思わぬところから声が上がった。風祭さんも知ってるとは意外。
「おっ、見てたのかい?」
「この曲って七月からやる2期のOPになるんですよね。中村智さんが新しい主人公の声をやるって聞いてすぐにインターネット配信で全部見ましたよ」
「一期でいなくなっちゃったあのヒロインどうなるんだろうなぁ」
「ヒロインってミナですよね。その声をアテた四森空さんが名前を付された状態でキャストの一覧に載っていたので、もしかしたら出てくるかもしれないですよ」
「そんなところから想像するのか。風祭さん、なかなかいけるね」
「多聞ー打ち合わせー」
呆れた声で多摩さんが言う。わたしも大野さんのスイッチが入ったのでただただ聞いてた。
でも今の風祭さんの声、なんだか楽しそうだった。みんなで中華を食べに行ったとき、自分のあこがれの声優さんのことを話す風祭さんもそうだったけど、時折楽しそうに語るのを聞いていつもこんなふうに喋って欲しいと思う。けれどそれをアドバイスするのも、わたしがそういう空気を作るのも難しい。
「……どこまで話したっけ」
「前半の一曲目のところで脱線したね」
大野さんもなんだかんだでおしゃべりだ。話題を脱線させなければわたし以上にラジオパーソナリティに向いているかもしれない。でも喋れる話題が偏ってて難しいかなぁ。そらにぃも同様。戦艦とか飛行機とか戦車の話題ってどこのラジオ局なら需要ある?
「ああそっか、曲の話で盛り上がったんだっけ。ミスターありがと。後半は『あなたが見つけたパラレルワールド』をやります。時期的に紫陽花のスポットがたくさん届いてるのでたくさん紹介したいね。多分ふたりともコメントして話を広げていくのが難しいかもしれないから、そうなったら次のメールにじゃんじゃん回していいから」
「分かりました!」
「後半からは新コーナーの紹介をしてほしい。『発見! パラレルワールド』と『登場! パラレルなひとたち』は今までどおり。『まやママのみどりの窓口』をめーちゃんが引き継いで『めーちゃんの青春の窓』ってタイトルでお悩み相談コーナーをやってほしい」
「えっわたしが?」
だってそのまやさんのコーナーだった『みどりの窓口』ってりんちゃんの人生を変えた(気がする)影響力のありそうなコーナーだよ。ラジオだけじゃなくてそんなコーナーまで引き継ぐって、すごい不安なんだけど。
「誰が提案したんです?」
「めーちゃんならどんなお悩みも一刀両断だっておだぴーが」
「現役高校生ならではの回答をしてほしいってミスターが」
「まやさんのモノマネをすれば余裕だってにゃおじが」
「コーナー名思いついたからこれはめーちゃんやらせたいって多聞くんが。あとタカ、にゃおじって言うな」
と男性陣が次々に発案の責任の押し付けていく。多摩さんとミスターのやりとりを加えて一周したところで、
「結局誰が言い出したんですか!?」
「「「おだぴー」」」
「やっぱりおだぴーですか!!」
「みんな賛成したのは確かだよ。話し合いの結果さ。それにまやさんも『めーちゃんならできるよ』ってほら」
物的証拠と言わんばかりに、まやさんとのSNSのやりとりをしたスマホを見せてくる。いくらまやさんの推薦とは言え、りんちゃんみたいに人生を左右するような質問が来ちゃったらどうしよう……。
「大丈夫だって、なにもめーちゃんひとりで考えなきゃいけないことはないよ。風祭さんもいるし、僕達みんなで考えればいいんだし、そもそも答えにくい相談とかは採用しなきゃいいんだし」
「そうそう、人生経験いくら積んでも他人の相談全てをフォローできるほど手に入らない。それにめーちゃんはまだ十七歳だし、十七歳なりの考えで答えてくれればいいから」
ミスターとおだぴーはそう言ってくれるけど、わたしの口から答えるわけだし、なんか起こったときのの責任が怖い。
「そんなに怖いなら、最後に『この回答について起こった損失などについて当番組は一切責任をおいません』って言えばいいんだよ。ほらドラマとかでも『この物語はフィクションです』って言ってるじゃん」
「そりゃいい、多聞くん傑作だ!」
「もうそのくらいの軽いノリでいいじゃね」
大野さんの意見にみんながどっと笑う。おだぴーも多摩さんも絶賛してる。
「そういうノリで、いいなら……」
「コーナーをそういうノリにしちゃえばいいんだよ。そうすればそういうお便りが多くなる。リスナーってそういう空気を読むことが上手だからさ」
「つまりリスナーさんを信じろってことですか?」
「そういうこと。テレビなんかと違って、リスナーと一緒に番組を作っていけることがラジオのいいところことなんだぜ」
「多聞、そのドヤ顔やめろ」
多摩さんは冷たいツッコミをいれるけど、大野さんはいいことを行った気がする。リスナーさんと一緒に作るラジオかぁ。そう考えると、わたしがテレビじゃなくてラジオが好きな理由がひとつ見えてきた。
「あと、風祭さんのコーナーなんだけど、今考え中だから今回はパスね」
「いえ……」
『わたしは結構です』と言いたげな返事。
あなたもコーナー持つんだよー。といじりたいところだけど、まだそんな仲じゃないんだよなぁ……。もうちょっと仲良く慣れたらやりやすいんだけど。
「じゃ他になにかあるかな? なければ各自、収録の準備へ」
たくさんあるメールや、最近バッタリと減ってしまった手描きのお便り、その中から今回の収録で読めそうなのを選ぶ作業。この担当は出演者と構成作家さんの担当で、わたしはこれが好きだったりする。いろんな人達がわたしたちにお話を聞いて欲しくて、わたしたちに聞きたいことがあって、リスナーのみんなに聞いてほしいことがあってキーボードを打ったり、スマホをタップしたり、筆を執ったりしてくれる。そう思うと嬉しくて仕方がない。
でも選定のときに全部読んでしまうと新鮮味がなくなってしまうので、ささっと読んで使うか決める。
惜しくも不採用にしてしまったものは、収録の空き時間に読んだりしてる。読みきれないやつや私宛のファンレターは個人情報の箇所だけ消したり切ったりして持ち帰ったりする。もちろん許可もらって。
と、わたしはそんな考えがちゃんとあって説明もできるんだけど、風祭さんは一通目のメールから目が進んでなかった。
「そいえば風祭さんってお便り選ぶの初めてだよね」
リニューアル前からラジオの収録の流れを見てもらったけど、そのほとんどは見聞きしてばかりで実際にやってもらったことはなかった。
「はい……いつも何気なく聞いていたので、選ぶ側の考えってしたことがなくて……おふたりはどういう基準で選んでますか?」
「読んでて面白いか、かなぁ」
でも面白いメールが多くてあれこれ選んでたら大野さんに『多すぎ』ってよく言われる。
「それじゃ伝わらないか。大体五通くらい選ぶかな」
「めーちゃんがもっと上手になって、人気になって、一時間番組になったら五通くらい選んでいいよ」
「あう……」
と言ったものの、大野さん的には多いらしい。
「ふつおた――普通のお便りの選定基準だけど、パーソナリティへの質問が入ってるとしゃべらせやすいからそこをチェックするかな。んで、その質問で自分がどのくらい喋れそうかとか、これに答えてあげたいとか、そういう風に思ったものに絞っていく。まあ、最終的には収録時に僕がその中からさらに選んで差しこむから、そんなに難しく考えなくても大丈夫」
「そうそう、自分で読んで面白いかが大事だよ。自分が面白いと思えないと、リスナーも面白くないからね」
「めーちゃんのこういう考えは見習っていいぞ。でも、そんなに選ぶ必要はないからな」
わたしの採用している束はすでに六枚。どれも平仮名の『め』に丸をつけてわたしが選んだと分かるようにしてあるから否定もできない。
「あ、あとこの番組のこだわりとして、アナログのメールはよっぽど内容がしゃべりにくいものじゃなければ即採用してるんだ」
ちょうどコピー用紙の中に一通封筒が出てきた。綺麗な紫陽花の柄と、丸い文字が可愛らしい。
「どうしてです?」
「このご時世、わざわざ切手を貼って、手で書いたってことはその人の気持が特別篭ってる。それにはちゃんと答えないといけないって、おだぴーと町田さんの方針」
「それに手書きの文字を見て、この人がどんな人なのか想像すると楽しいからね」
「それはめーちゃんだけだ」
「えー」
わたしそんなに変なこと言ってるかなぁ。そういうこだわりは必要だし、リスナーさんも汲み取って欲しいと思うけどなぁ。
「分かりました。私なりに選んでみようと思います」
風祭さんは持っていたメールに『咲』と色紙に書くサインみたいな字を書いて、そこに丸を付けた。ちらりと見えた内容には、初投稿であることが書かれていた。
準備が終わってよいよ収録。マイクのセッティング、イヤモニをつけて、ガフボックスに手を置く、
「じゃ、オープニングから回すよー。キューと同時にタイトルコールを楽しそうな声でよろしく」
「「はい!」」
多摩さんの指示に元気に返事をする。
風祭さんとは初の収録になるから少しドキドキする。
「じゃ、始めるぞ! ……3、2、1――」
ガフのスイッチをONにして、マイクにブレスノイズが乗るんじゃないかと思うほど息を吸って、
「「めーさく湘南鎌倉パラレルワールド!!!」」
(OK、続けて)
とおだぴーの声がイヤモニから聞こえる。うまくいった。
リニューアルしてオープニングの曲も変わったのか、前のロックからポップスのようなインストに変わった。
「FM江ノ島をお聞きのみなさんこんばんは。今週から番組をリニューアルしてお送りいたします。パーソナリティの松田恵海です」
「初めまして、今回より松田さんと番組をお送りいたしますパーソナリティの風祭咲です。よろしくおねがいします」
「この番組は――」
「江ノ島、湘南、鎌倉の面白いこと、噂のお店、地元の方もあっと驚くスポットのお話をする情報バライティ番組です」
わたしがこの番組を始めたての頃、カミカミだったこの番組概要をすらすらと読み上げる。これが初めての仕事とは思えない。けど、それだけに声に硬さを感じる。ラジオというよりはナレーションの言い方。
「今回はリニューアル第一回ということで、前半はわたしたちの自己紹介、後半は番組のコーナーを改めてご紹介いたします」
オープニングのフリートーク、短めでいいけど風祭さんの現在の心境とかを、って書いてある。わたしが話題を振るのか……。打ち合わせ中に考えて、メモしてあるけど、
「初めての収録ということで、風祭さんどうでしょう? 緊張してます?」
「はい……緊張もそうですけど、何を喋っていいのか分からなくて」
「一年前のめーよりも喋れてるので安心してください。番組の紹介をすごくスラスラ読めたじゃないですか」
「そ、そんなこと……」
そこで風祭さんが次の言葉を思いつかないのか、声が途切れる。わたしの振り方がまずかった気がする。もうちょっと考えておけばよかったかも。
「初めての収録で一年前めーがカミカミだった文章をスラスラと読めてしまう、風祭咲さん。どんな方なのか? ではオープニングはこれくらいにして、めーさく湘南鎌倉パラレルワールド――」
「「スタート!!」」
(はい、頂きました)
無意識に肩に力が入っていたみたいで、多摩さんの声と消えるキューランプを見るとため息が出る。先週まではリラックスしてできてたのに、別の世界に来てしまったみたいに緊張してる。
(このまま前半パート録っていくけど、風祭さん)
「は、はい!」
おだぴーに呼ばれて立ち上がって返事をする。ここも番組を始めた当初の自分を見てるみたいだ。もしかしたらスタッフの方々も同じことを思ってるのかもしれない。
(あ、いいよ座ったまんまで。番組概要スラスラ読んでもらってそこはよかったんだけど、あまりナレーション過ぎちゃうとラジオ味がなくなっちゃうから、あれだよあれ。うまく言えないけどあれ)
「あれじゃ分からんって」
作家としてわたしの隣に座ってる大野さんがわざわざマイクをオンにしてツッコミを入れるけど、今回の『あれ』はわからないようだ。
わたしも風祭さんの声の硬さは感じるんだけど、アドバイスとしてどういうふうに言ったらいいか分からないでいた。
(おだぴーの『あれ』がなんなのか分からないけど、前回までのめーちゃんみたいにやってもらえばいいでしょう)
「えっと……あー」
多摩さんのアドバイスを受けて、まるで楽器のチューニングをするみたいに声をだしてから、
「江ノ島、湘南、鎌倉の面白いこと、噂のお店、地元の方もあっと驚くスポットのお話をする情報バライティ番組です」
(ニアンスはあってるかもしれないけど、それじゃめーちゃんのモノマネだ)
多摩さんのツッコミでスタッフ陣がドッと笑う。
「わたしってこんな感じなんですか? わたし毎回オンエアちゃんと聞いてますけど、違うじゃないですか?」
「わたしにはそう聞こえてます」
(モノマネが得意かどうかも気になるけど、それはそのうち。次に行こう。ほら、おだぴーもにゃおじも笑ってないで)
(にゃおじっていうなって)
「改めましてパーソナリティの松田恵海です」
「同じくパーソナリティの風祭咲です」
「リニューアル初回ということで、わたしたちの自己紹介をいたします。リニューアル前からご存知だと思いますが、わたし『めーちゃん』こと松田恵海と申します。高校生ですが、あれこれあって当番組のパーソナリティを努めております。今でどおり皆様を『別世界』をお見せできるようがんばります!」
この自己紹介、考えておいて正解だった。百合ちゃんからはちょっとクサイとか、きょーちゃんからロマンティックな言い回しって言われると思うけど、これがわたしのセンス。
「では風祭さんお願いします」
「は、はい。皆様おはようございま……じゃなくてこんばんは」
『やっちゃった……』という顔になる風祭さん。この業界に入ると一日中、年中挨拶が『おはようございます』になっちゃうからね。わたしは逆で、この『おはようございます』に慣れるのに苦労した。
恐る恐る風祭さんがミキサールームを見ると、
(大丈夫続けて)
とおだぴーの指示。それを見てすぐ表情を切り替えた。この切り替えの早さも風祭さんのすごいところ。わたしだったらもっと引っ張っちゃう。
「御縁があって、この番組でパーソナリティを勤めさせていただくことになりました『風祭咲』と申します。未熟者ではありますがよろしくおねがいします」
(皆さん拍手)
「わー!」
おだぴーの台本にない指示を受けて、スタッフとわたしは暖かく手を叩く。ミキサールームのスタッフは音が聞こえないけど、気持ちは風祭さんに伝わるように。ブースの中にいるわたしたちはその分マイクに音が乗るように大きな音で。
FMラジオとかは数秒以上無音になると放送事故になっちゃうから、一応無音にならないようわたしも声を出したけど、ディレクターのどちらか――多摩さんかミスターか、どっちが入れたのか分からないけど――が拍手や歓声を入れてくれた。
台本にない思わぬ出来事に少しポカーンとしていた風祭さんだけど、
「ありがとうございます。よろしくおねがいします!」
またもや立ち上がってそのままみんなへ礼をする。
「ラジオでは伝わりづらいですが、風祭さんはわざわざ立ち上がって礼をしくれてます。こんなふうに真面目で、ステキな声を持っている方です。わたしからもよろしくおねがいします」
拍手や歓声のSE(サウンドエフェクト)がフェードアウトすると風祭さんも座ってトークスタートという感じ。
「では、自己紹介していただこうと思いますが、風祭さん宛の質問のお便りが早速届いておりますので、答えていただきながらその人となりに迫っていこうと思います」
大野さんがちょうどいいタイミングでメールを一通くれる。『大』という字に○が付いているので大野さんが選んだメールのようだ。
「ラジオネーム『考え中』さんからいただきました。ありがとうございます。ラジオネームが決まったらまた教えて下さいね」
まやさんならこういうアドリブをスマートに入れられるんだろうけど、今回のは大野さんが追記してくれたのでそのまま読んだ。
「『パーソナリティのおふた方、スタッフの皆様こんばんは』はい、こんばんは」
(((こんばんは)))
「「こんばんはー」」
この番組ではお便りに『スタッフの皆様こんばんは』と書いてあったら、マイクにはのらなくても挨拶を返すことになっている。さっきの拍手もそうだけど、この番組のアットホームないいことのひとつだ。
「『まやさんと交代する形で番組の新パーソナリティになった風祭さんが、この番組のパーソナリティになった経緯を、お話できる範囲でいいので教えていただけますか?』とのことです」
(隠す必要はないからざっくり話していいよ)
おだぴーの指示がイヤモニから聞こえた。
こういうのって秘密になってることも多いけど、今回のはオープンでいいらしい。わたしのときもほとんど話しちゃったし、意外と秘密主義みたいなところはないみたいだ。
「えっと、私がこのラジオのお話を頂いたのは、二ヶ月ほど前……になるんでしょうか。弊社のプロダクションの新人を持っているマネージャーより、ラジオをできる人を探しているから、サンプルボイスを録りたいということで三パターン、あとフリートークをひとつ録りました。そこを聞いて私を選んでいただいて、当番組のプロデューサーと面談して、出演させていただく運びになりました」
「風祭さんは、わたしと同じ声優の養成所に通っているんですよ。コースが違うので養成所や事務所でお会いしたことはないんですが、お話にあったマネージャーさんがわたしを担当してくださってる方と同じなのでそういうつながりです」
風祭さんの説明だけだと分かりづらいと思って補足説明。
「なので、風祭さんは綺麗なしゃべりをします。噛み噛みなわたしは喋る場所がなくなっちゃうかもしれないですね」
「そんな、私なんてまだまだで……」
「そう謙遜しないでくださいよ~。では次のおたより……ラジオネーム『波にさらわれたヒトデ』さんからいただきました、ありがとうございます。『パラレルの皆様こんばんは』こんばんはー」
(((こんばんは)))
「「こんばんはー」」
「『リニューアルしましたね。まやさんの声がしばらく聞けなくなるのは少し寂しいです。でも新しい方も加わるということで、今までのように賑やかなラジオを楽しみにしています。ところで、新人さんは湘南や鎌倉に詳しいのでしょうか。もし好きなスポットなどがあれば教えて下さい』とのことです。どうでしょう、風祭さん?」
「好きなスポットですか。スポットというのかちょっと分からないですが、趣味で乗っている自転車――ロードバイクで国道百三十四号線沿いを走るんですよ。坂を登ったあとに江ノ島が見える景色が好きですね」
「多分、稲村ヶ崎の公園のところだと思います。あそこはいろんなテレビ番組や映画、ドラマなんかに使われる有名なスポットなんですよ」
「そうだったんですね。確かにあそこの公園はすごいロケーションいいですね」
「有名な映画だと『南風の恋』でヒロインが告白するシーンは個々の公園で撮影してますね。一年位前のドラマになっちゃうんですが『チェック!?』でも度々出てきますよ」
「すごい詳しいですね。わたしそういうお話にも疎いので、この番組で色々教えていただけるとうれしいです」
他にもアニメとか、アーティストのPVでも使われてるんだけど、あまりしゃべると時間をオーバーしてしまうかもなので自重しておく。収録時間外でもいいから機会があれば教えてあげたい。
「では、次は風祭が読みますね……あ、どうも」
風祭さんが大野さんからメールを受け取るとき、無意識に言っちゃったのか、お礼を言った。今のは確実にマイクのってる。
(ふふっ)
わたしより先におだぴーが笑った。わたしも我慢してたけど、続けて大野さんが笑い出してそれに釣られて笑ってしまう。
「ど、どうしたんですか?」
「ご、ごめんなさい。メール受け取ったときにお礼を言ったのが新鮮というか、面白いというか……」
「ありがたいけど、次からはアイコンタクトとかでいいからね」
リスナーさんにも分かるように大野さんがマイクにのるように言う。
「ご、ごめんなさい! リスナーのみなさんも失礼しました」
(続けて続けて)
「大丈夫ですよ」
ミスターとわたしがフォローする。わたしはやったことのないミスだけど、最初はやっぱり失敗するよなぁ。
普通ならカットだろうと思うこういうシーンだけど、この番組ではそのまま使ってしまう。収録時間が短くなっていいのかもしれないけど、わたしの失敗とかトチったところとか、普通に乗るから怖い。
「で、では改めて……えっとラジオネーム『太っちょ探偵の助手』さんから頂きました。探偵ネロ・ウルフの助手さんですね、ありがとうございます」
「えっ? 知ってる方なんですか?」
知らない名探偵の名前が出てきて思わず聞き返した。一般的な探偵のイメージといえばシャーロック・ホームズとか漫画に出てくる少年探偵くらい。
「有名な探偵小説ですね。ネロ・ウルフはシャーロックやエルキュールみたいに現場に出てこない安楽椅子探偵として有名です。あっ、お便り読まないとですね」
シャーロックはホームズ探偵だけど、エルキュールって誰? っていうか風祭さんってどんな知識を持ってるんだ? よりこの人が分からなくなる。
「『めーちゃん、風祭さんごきげんよう』」
「ご、ごきげんよう……」
なんだか変なリスナーさんだ。風祭さんが居なかったら分かりもしない名前の由来もそうだけど、挨拶もごきげんようって。一年やってきて初めてだ。
「『風祭さんがどんな方なのか、気になって調べたところ声優事務所VJPの所属のタレントと同じ名前がヒットしました。サンプルヴォイスと声もにてますし、同じ方でしょうか? またラジオ以外にも出演しているアニメとかあれば教えて下さい』」
『日本ヴォイスアクタープロデュース』略して『VJP』日本の声優をプロデュースする事務所という安直な名前。ちなみに養成所は『日本ヴォイスアクタースクール』略して『VJS』こちらもそのまんま。
「打ち合わせで少し話題になったメールですね。タレント事務所のVJPはわたし、めーも所属なのでよければ調べてくださいね。で、風祭さんのことですね」
「はい、私はこのラジオが初めてのお仕事で、まだアニメとかそういうのには出たことがないです。期待させてしまって申し訳ないですがまだ新人です」
「風祭さんはこれから活躍する声優さんなので、リスナーの中でアニメとか興味ある方がいましたらぜひともチェックしてくださいね」
わたしからすれば風祭さんほどの方がどうして仕事をもらえてないのか疑問だ。わたしだって仕事してるのに、わたしより旨い人はたくさんいる。声優とか役者って実力主義だと思ってるんだけどなぁ。
「続きまして、ラジオネーム『横浜黒レンガ倉庫』さんからいただきました」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
わたしの言ったリスナーさんへのお礼を聞くと、風祭さんも慌ててお礼を言う。
どうも流れがちょっと良くない。風祭さんが失敗で慌てちゃってる。
「『めーちゃん風祭さんこんばんは』こんばんは」
「こんばんは」
「『リニューアルおめでとうございます』」
「はい、ありがとうございます」
「『今頃は新しく入った風祭さんへの質問メールがたくさん行ってると思いますが、僕はめーちゃんに質問です』」
「えっ、この流れで!?」
「『リニューアル後の目標や抱負などあれば教えて下さい。なければここで考えて発表してください』とのことです」
「目標か、抱負……ら、来週じゃだめですか?」
「ダメ」
(ダメ)
「作家さんはともかくブースの外からも言わなくたっていいじゃないですか!」
「ハハハハ」
「み、皆さんお厳しいですね……」
「か、風祭さんはありますか? この番組内の目標とかありますか? わたし収録の度にいっぱいいっぱいであまり考えたことなくて……」
目標とかがないのは冗談とかでもなく本当。収録だって、打ち合わせ含めてもあっという間に終わっちゃうし、ラジオを始めてから一週間がものすごく早い。
みにちぃにが、二十歳を超えると時間の流れが早くなるって言ってた。でもまた一六歳のわたしがこの調子で大人になったら、わたしの人生は時速何キロで進むんだろうか。そんな中で目標を立てるのは今のわたしには難しい。なので風祭さんがわたしよりめまぐるしい生活をしている中、どんな目標や抱負、考えを持っているのかとても気になる。
「私は、一刻も早くこの仕事に慣れることですね。せっかくお時間を頂いているのですから、リスナーの皆さんに楽しい時間を過ごして欲しいですし……。まずは何よりもそこですね」
「かっこいいです」
「いえいえ、わたしなんて……。えっとプロデューサーさんから『めーちゃんは目標を考えておくように。決まり次第ラジオで発表です』とのことです」
「学校の宿題ですか!?」
「が、がんばってください……。ここで一曲『ヘイウッド・ありあけ』で『流れ星を追いかけて』」
「さて、ここからはリニューアル後のコーナー紹介をします。リニューアル前と変わってないコーナーもありますが、改めてご紹介いたします。ではせーのっ」
「「発見! パラレルワールド」」
(はいOK続けて)
今の声はジングルに使われるらしく、渾身の一言でお願いしますって台本に書かれてあった。収録とは別撮りにすればいいのにと思うし、他のラジオはそうしてるはずなんだけど、何故はうちのラジオはジングルやアイキャッチを変なタイミングで収録する。
「このコーナーは、湘南鎌倉の知る人ぞ知るスポットや新たな発見を特集、募集したりするコーナーです」
「めーとまやさんでやっていた時と変更はありませんね。次々回に放送予定の特集は『暑い時期にはまったりと、オススメのカフェ、喫茶店特集』です。自薦他薦は問いません、藤沢市、鎌倉市、逗子市のオススメのカフェを募集します」
「松田さんはオススメのカフェとかありますか?」
ここまでは台本。ここからはわたしオススメのカフェを喋ることになってて、一応ここを紹介しますっていうのは決めている。
「めーは鎌倉の『ムーンライトコーヒー』ですね」
「『ムーンライトコーヒー』って全国チェーンのですか?」
最近鳥取にも開店してついに全都道府県を制覇した大手コーヒーショップ『ムーンライトコーヒー』もちろん鎌倉にもあって
「そうですよ。でも鎌倉のムーンライトコーヒーにはすごいお店があって、御成町店なんと、カフェにプールがついてるんですよ!」
「えっ?」
わたしも初めてきた時は驚いた。りんちゃんが駅から近いほうじゃなくて、わざわざここまでくるというのもよく分かる。
「プールは泳げないんですけどね。でも、プールを眺めながら涼しい外でコーヒーが飲めたりする面白いカフェなんですよ。だから、わたしの友達がみんなここをおすすめするんですよ」
「鎌倉ってすごい街なんですね」
「そんな鎌倉のおもしろスポットを紹介するコーナーです。では次のコーナーを、せーのっ」
「「登場! パラレルなひとたち」」
「風祭さん、ご紹介をお願いします」
「こちらは湘南鎌倉で活躍するひとたちを募集、紹介するコーナーです。藤沢市、鎌倉市、逗子市にお住まい、あるいは出身であれば自薦他薦は問いません。こんな活動をしてるよ、こんなお店で働いてるよという方々へ取材をして毎週紹介をしています」
この取材はわたしたちが実際に行っているのではなく、おだぴーや大野さんがしているとのこと。だからご飯やさんの紹介の時はわたしたちは食べることはできなくて、空きっ腹に料理の写真を見せられることに。
「風祭さんは『この人はすごい』とか『この方は尊敬している』という方はいますか?」
これも台本に書いてある。なので風祭さんは予め答えを考えているはず。でもその答えもある程度予想してたりする。
「えっと、今回のは湘南や鎌倉の方以外で大丈夫ですか?」
大野さんはマイクに乗らないような声で、
「いいよ」
「はい、わたしの尊敬する声優さんに『桜井美華』って方がいます。私たちと同じ『VJP』というタレント事務所の所属なんですが、『ハンバーくん』の『アップルパイちゃん』の声の人って言えば皆様お分かりになるんじゃないかと思います」
予想通り、風祭さんは尊敬する自分の先輩のことを話しだした。
「はい、とっても可愛らしい声の方ですよね。幼い頃から聞いていたのでめーも耳に残っていますよ」
実は前の会食で風祭さんの話を聞いてから少し調べた。歳柄もなく『ハンバーくん』がテレビでちょうどやってたので見たし、それ以外の活動についても調べて、今やってるアニメは見てきた。
「その方の影響を受けて私も声優を目指し始めたので、影響というよりは理想の方、あこがれなのかもしれませんね」
「そんな風に、身近で尊敬する方や、このひとはすごいというのを紹介していただくコーナーになっています」
そこでタイミングも良さそうだったので、一旦区切ってコーナー紹介とした。風祭さんも台本の時間配分と自身で測っていた時間が少しオーバーしたのに気がついたみたいだ。もっと喋ることができるのは分かってるけど、番組の尺っていうのもあるからね。
「次のコーナー……これ自分で言うの恥ずかしいな」
自分のあだ名が入ってるからね、前のコーナーの時も恥ずかしかった。しかもそれが毎回ジングルとして流れるわけで……辛かった。
「めーちゃんの青春の窓」
声にエコーを入れてもらって一人でもそれっぽい演出にしてもらうと、余計に恥ずかしい。
「こ、このコーナーはわたしめーが皆様よりお悩みを募集し若い感性で考え、解決していくコーナーです。以前にあった『まやママのみどりの窓口』のめーバージョンです」
「どんな風に解決してくれるのか、例題でご紹介しましょう。ラジオネーム『飛龍多聞』さんから頂きました」
「それ構成作家さんが小説書いてるときのペンネームです」
「えっ、大野さん小説家なんですか?」
「ラジオ局勤めながら合間合間で小説書いてるんですよ。話を聞くと、ラジオの収録時間独占するほどしゃべるので気をつけてくださいね」
わたしが入った当初知らなくて、打ち合わせ中に話を振ってしまったことがある。結果は延々と軍艦の話を聞かされることになり、以降わたしの中ではNGワードのような感じになった。
「あっ、お悩みですね。『僕の書いた、銀河系を巻き込むスペースオペラの超大作が編集の一言で没になりました。でも僕はこの作品を書くことを諦めたくありません。どうすればいいでしょう』とのことです。漫画さんはよくこういうことで編集と揉めるって聞くんですけど、やっぱり小説家さんでもあるんですね」
「諦めてください」
わたしのひとことに大野さんは、銃で撃たれたように机に倒れた。
「……バッサリ切りましたね」
「それがイヤでしたら、インターネットの小説投稿サイトにアップすればいいじゃないでしょうか。わたしの大好きなバンドの『長波サマーデイズ』だって、最初は動画投稿サイトに曲をアップしていたんですよ。同じですよ」
「なるほど、つまり出版はできなくても、発表する場所はあるということですね」
「そういうことです! でも、リスナーさんからのお便りもこんなかんじになっちゃいそうです……それでよければお便りお待ちしております!」
「では一曲。『さざなみシルクロード』さんで『海の日』です」
「はい、お送りしていました『めーさく湘南鎌倉パラレルワールド』エンディングのお時間でございます」
エンディングの曲はリニューアル前と同じJAZZだったけど、今までまやさんが喋ってきたところは、わたしの担当になる。それが分かっていたので、まやさんが居た頃から実は結構練習してた。おかげで出だしはOK。安心して次の風祭さんの言う告知へバトンを渡せる。
「番組では音楽のリクエスト、湘南や鎌倉のアッと驚く情報、各コーナーへのお便り、普通のお便りや私たちへの質問をお待ちしております。宛先は郵便番号二四八―〇〇一四 鎌倉市由比ガ浜五丁目五―五 FM江ノ島ラジオ『めーさく湘南鎌倉パラレルワールド』の宛まで――」
今日が初回の収録とは思えないほどスラスラと読み上げる。おまけに聞き取りにくい箇所も、変な癖もなくとても丁寧だ。その告知は、大野さんがちょっと驚いた顔をするほどすごかった。
「メールの場合は全て小文字で『parallels@fm-enoshima.ne.jp』まで。パラレルの綴りは全て小文字でp/a/r/a/l/l/e/l/sです。『s』を忘れないように気をつけてください。件名にコーナー名を入力のうえ送信してください。FM江ノ島公式ホームページのメールフォームからも送信できます」
あっ、ちょっと綴りを言うところは早かったかもしれない。一応造語とかではなく英語だから間違える人はあまり居ないと思うけど、次週はできるようにしないと。
「次回放送の『発見! パラレルワールド』の特集は『オススメの海が見える場所』次々回放送の登場! 『パラレルなひとたち』の特集は『江ノ島で働く人達』です」
台本では『初回収録の感想。松田から聞く感じで』と書かれている。わたしから話題ふりかー。まあ定番というかベタベタな聞き方を、
「さて初めての収録でしたが、風祭さんはいかがでしたか」
「……まだちょっと慣れないですね。松田さんが引っ張ってくれないと多分殆ど喋れなかったかもしれないです」
「そんなことないですよ。さっきの探偵の話だって、わたし知らなかったのにさらっとお話してくれたり、何よりもメールや台本をスラスラ読んでくれるのでとても頼もしいです」
「そうでしょうか?」
「そうですよ、そうですよ! むしろわたしがトチりそうで怖いくらいです」
わたしとしてはここまできっちりしてくれるのは嬉しい。わたしだってまだまだで、自分のことで精一杯なところも多い。そういうときに風祭さんに安定感があるのはありがたいというのは本音。
「なので、もうちょっと自信を持ってください。わたしも頑張りますので、これからよろしくお願いします」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「それではお時間です。この時間のお相手はめーちゃんこと松田恵海と――」
「風祭咲でした」
「「また来週~」」
#
「あれ、そらにぃ、みちにぃ」
「「おう! おかえり、めー」」
「ただいま」
双子特有のシンクロニシティ? オフのタイミングも一緒なら挨拶も同時。違うのは上げてる手。そらにぃは左利きなので開いてる右手を、みちにぃは右利きなので左手を上げている。
そんな兄達の顔を見るなり、ピンと思いついてちょっと急ぎ気味に部屋へ歩いてかばんを置く。着替えもせずに食卓へつく。
「いただきます」
両手を合わせてから早速、
「ねぇねぇ、風祭さんと一緒にうまくラジオをやるいい方法ってないかな?」
「風祭さんって今度一緒にやることになった子か?」
「そうそう」
そっかみちにぃには新しい人が入るとしか説明してなかったっけ。そらにぃは多少関わってるからいいとしても、みちにぃに聞いても難しいかもしれない。
回答を待ちながらしじみの味噌汁に口をつける。みちにぃはハンバーグを箸で割りながら、
「ラジオって技術というかセンスな気もするけど、そらはどう思う?」
「そうだなぁ……。ラジオ以外で親しく話してみたらどうだ? 仕事以外で仲の良いパーソナリティや役者って、一緒に仕事するといいトークや演技をするんだよな」
「そうなの?」
「例えばお前たちのラジオの次にやってる『サーファーナイツ』のふたり、あいつらサーフィン仲間だから組ませたんだ」
『組ませた』っていうことはそらにぃが関わったラジオなんだろう。
「じゃあ、趣味が一緒だから組ませた結果、ラジオで仲良くなったわけじゃないんだ」
「あと多聞さんが作家やってる『鎌倉フェイバリット』の代々木さん。多聞さんとミリタリーの話題で二十四時間喋れるほどのミリオタだ。俺がアメリカのフレッチャー級駆逐艦の名前をようやく覚えたのに対して、あちらは世界中の駆逐艦の名前を覚えてる水雷戦隊の鏡だ」
「ほへー」
『くちくかん』っていうのが何なのか分からないけど、とりあえずすごいマニアックな人だというのは分かった。
「みちにぃはどうかな? ラジオをうまく録るって言うと分かりにくい質問だったかもしれないから、ちょっと質問を変えて『一緒に仕事してる人とうまくやる方法』って考えだったら何か浮かぶ?」
みちにぃはご飯を噛みながら少し考え、飲み込んでから、
「『分からないことがあったらすぐに聞く』かな。先輩後輩の場合特にお互いのことが分かってないし、話題も振りづらい。でも仕事のことだったら聞けるし、答えられる。そこから話題を広げていってるかな」
「先輩だったら『なにか分からないことある?』みたいに気を使ってあげたり、『ここはこうするといい』みたいに聞かれなくても勝手に教えてあげたりすると『この人は喋ってもいい人だな』って思ってもらえるんだよな」
「そうそう。俺らは転職とかしたことないけど、転職してきた人から『先輩が質問に答えてくれないのに、失敗すると怒るから困ってた』って話を聞いたりするし、やっぱり何かかしらでコミュニケーションを取るとうまくいくと思うのはそらに同意だ。多分コミュニケーションっていう考え方だったらそれはラジオだろうと電車の運転だろうと、サラリーマンだろうと変わらないはず」
「つまり仲良く慣ればどんな仕事もうまくいくってこと?」
「「そういうこと」」
またハモった。今日は特にシンクロ率が高い。
「仲良くなりたいって気持ちはあったけど、それって公私混合にならないかな?」
「そんなこと言ったら俺と多聞さんはどうするんだ。休憩時間すっげーうるさく喋ってるし、多摩さんとミスタースマイルは幼なじみだぜ。それ故にあのふたりの仕事は早い。かなりの量のラジオの編集をやってるぜ」
「そうそう『仲良くする』と『慣れ合う』は違う」
「つまり、『友達』になるんじゃなくて『仲間』になるってこと?」
あ、またトンチンカンなこと言ったかもしれない。そらにぃとみちにぃのちょっと考えてる顔と返答までのこの間で思った。
「いや、それでいいんじゃないか」
「めーの中でその言葉の表現がしっくり来たならそれがベストだと思う」
「『仲間』か……」
#
「ねぇ、風祭さんのおしゃべりってどんな感じだった? 率直に聞かせてもらえるとありがたいんだけど」
初回オンエア後の次の日の朝、いつもどおり北鎌倉行きの電車の中でいつものメンバーに聞いてみる。そらにぃやみちにぃにも意見をもらったけど、大人の意見すぎるというか、リスナーからの意見ではない。そらにぃに至っては業界人の意見だ。
「まだちょっと固いねぇ」
「まあ初めてにしてはすごい喋ってる感あるよ。しゃべりの練習してるしょ」
百合ちゃんとりんちゃんがすぐに答える。わたしも現場に居て思った意見と同じことは、やっぱりリスナーにも伝わるようだ。
「うん、今大学生二年生で、高校一年生からずっと養成所通ってるから、わたしなんかよりもずっと勉強してるよ」
わたしがいかにシロウトか、風祭さんと一緒にいると分かる。わたしが今あの場所で喋れてるのは現場で叩き上げられたというのが強い。
「なんだか、お互い出会ったばかりで何を喋っていいか分からない、って感じかしら?」
「きょーちゃんの言うとおりかも。わたしも台本とかおたよりがなかったら、うまくフリートークする自信がないかな」
そう考えるといかに町田さんがわたしを引っ張ってくれてたかよく分かる。どういう話の振り方をしたらわたしが答えやすいか、どういう受け答えをすれば次に繋がるか。始める前は適当に喋ってるようにしか聞こえなかったフリートークが、こんなに難しいものだとは思わなかった。自由すぎるキャッチボールなんだ。
「でもタイトルコールはすごいよかったよ。まるで仲の良い声優ラジオみたいだった」
声優ラジオをほとんど聞いたことがないけど、百合ちゃんの言いたい『仲良さそう』っていうニュアンスは分かる。
「そいえばその新しい方も声優さん志望なんですよね。そのタイトルコールも演じたのじゃないかしら?」
「演じる? そういうのって演技なのか?」
「演技って言うときもあるねー。声優ラジオだとタイトルコールや、番組名を言うアイキャッチで、『アニメ声』ってキャッピキャピの声を作ってるときもあるよ」
「どんなだ?」
「『めーちゃんのラブラブ湘南ラジオ~』って感じで」
「キモイ」
「かわいい」
「なんできょーちゃんとりんで感想が真逆なのよ!」
百合ちゃんがりんちゃんに飛びついてライオンみたいにじゃれてるけど、わたしはそのラジオのタイトルにツッコミを入れたい。
そんな百合ちゃんときょーちゃんを見てて、
「そらにぃとみちにぃが、仲良くなったらうまく喋れるんじゃないかってアドバイスをくれたけど、そのとおりかもしれない」
「こっち見て言ってるけど、あたしは百合が攻撃してきたから抵抗してるだけだから仲良くしてないぞ」
「百合はきょーちゃんに抗議してるだけだよ!」
これを仲良くしてるって言うんだとわたしは思うけどなぁ。男性だけど、いつも同じやりとりをしてるディレクターの多摩さんとミスターみたいな仲。
「つまりわたしたちみたいになれればラジオでもうまく喋れるってことかしら?」
「そうかもしれない。うん、次の収録のときに仲良くなれるように頑張ってみるよ」
#
由比ヶ浜駅周辺はコンビニがない。わたしが学校からFM江ノ島まで移動するルートの中にコンビニは一箇所。鎌倉駅のリニューアルのときにできたおみやげ屋さんとかコロッケ屋さんとかくっついてるところだけ。それもあまり大きくなく、飲み物とかおにぎり、パンとかのような最低限のものしかない。でもわたしが今買い忘れた電子マネーはここにもあった。
どうして忘れたかと言えば、お父さんからSNSで『馬サブレ買ってきてくれ』って連絡があったから。電車で鎌倉まで着いて、江ノ電への乗り換え改札を通過したところで連絡が届いた。そっちに思考を持って行かれたからかもしれない。
その買い忘れを思い出したのは由比ヶ浜駅のICカードの機械にタッチをしてから。このままくるりと周って鎌倉まで戻るって手もあるけど、とっても馬鹿馬鹿しいので運動だと思って海の方にあるコンビニまで歩くこと。
大体十分くらい歩くと開放感のある公園がある。見渡しもよくて子供を遊ばせたり、フェンスの用意してあるエリアではキャッチボールなどをやってる人をよく見る。
「そりゃそりゃそらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ」
聞き覚えのある声、聞き覚えのある言葉。
「アワヤ喉、サタラナ舌にカ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重開合爽やかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ」
演技、声の仕事に係る方ならほぼ確実に勉強・練習に使うであろう題材のひとつ『外郎売り』 その早口になる箇所だ。実際にやるときは早口であることを考えずに確実に読むことを重視したほうがいいらしい。
それをスラスラと読み上げているのはもちろん風祭咲さん。本番前のウォーミングアップ、日々の基礎練習、そんな感じだと思う。
風祭さんは公園に展示されている古い江ノ電の車両――タンコロの前にいた。まっすぐ海の方を向かって発声している。外郎売りは暗唱しているみたいで、何も見ていない。
でもこういうときに声をかけていいのか悩む。練習の邪魔しちゃいけないだろうし、集中してて気が付かないかもしれない。そんなことを考えてると向こうから気がついたようだ。
「おはようございます」
「お、おはようございます。練習の邪魔しちゃってごめんなさい」
「大丈夫ですよ。ウォーミングアップみたいなものなので」
そう言ってもらえるとありがたい。
「収録前に毎回やってるんですか?」
「ええ、発声練習自体は毎日です。自分なりにコースを決めて、基礎だけでもしっかりしないとと思って」
「すごいです……他にいい言葉が浮かばないのが失礼なくらい」
「そんな大したものじゃないですよ」
と微笑む。その余裕というか、自慢にせずそこで微笑むところがまたすごい。
「まだ時間もありますし、立ち話じゃなくてジュースでも飲みましょうか。おごりますよ」
「あ、飲み物は大丈夫です。それに座るならベンチじゃなくて、面白いところがありますよ」
「入れたんですねここ」
「観光スポットにしてはマイナーなので全然人がいないんですよここ」
と説明しながら木のぬくもりを感じる席に腰を掛ける。クッションとかついていないのになぜか柔らかく感じるのが好き。
鎌倉海岸公園のタンコロはレトロな雰囲気のある現在の江ノ電よりさらにレトロ感があり、白黒の映画に出てきそうな感じが今も保存されている。
わたしはここがそうなっていることを知っている――みちにぃに教えてもらった――のでひとりになりたい時とか。今はないけどラジオでミスりまくって泣きたくなった時にはここに来ている。
「サブレ」
わたしの隣に腰掛けた風祭さんがつぶやく。学校のかばんと一緒に持っていた紙袋に書かれてる単語。
「お父さんに買ってこいって言われて。食べる?」
袋から出していつもどおり風を開けると、
「えっ、お父さんの頼み事ってことは誰かに渡すためもものじゃ」
「これね、家用。みんなサブレをおやつ代わりに食べたり夜食にしたりするんだよ。だから、いいよ」
「ありがとう、ございます」
サブレをひとつ渡すと、袋を丁寧に開けて小動物みたいに一口かじる。年上なんだけど、わたしより背が低くって妹とか後輩みたいでかわいい。
「初めて、食べました」
「ホントですか。サイクリングでここらへん来るって聞いたことあるので、おみやげとかで買ったことがあるものだと」
「いえ、お菓子とか買わないようにしてるんです。太るし、なにより節約しないとなので……」
風祭さんは一人暮らししてるって言ってたっけ。大変だろうなぁ。
「風祭さんって実家どこです? 遠いんですか?」
「いえ、実家も横浜にありますよ。ただ、親と勘当状態なのであってないようなものです」
「何かあったんです? おせっかいかもしれませんが、困ったことがあったら話して欲しいです」
思ったことはすぐ口に出してしちゃうのがわたし。仲良くなりたいというのもあるし、困ってる人は放っては置けない性格。
「両親はね、私の夢に大反対だったの。声優になりたいっていうのはもう小学生とかそういう頃から言ってて、その時は何も言わなかったのに中学のときにそういう話になったら否定して、家にお金がないなら学費ぐらい自分で稼ぐって中学の郵便局のアルバイトして、高校入ってからもすぐアルバイト始めて頑張って養成所に入った。あまりに理解もしてくれないからその頃からはまともに口を利いてないな……そんな感じだから奨学金で大学入って養成所も続けて、ようやく声をかけてもらったって感じ。早い子は中学生にはもう仕事してるっていうのに」
何か言葉を返してあげたい。風祭さんはこんなにも頑張っている。でも自分の境遇を語るその目はわたしには泣いてるように見えて、その声は悲しんでるようにも聞こえた。そこまでして夢を追いかけられる彼女は強い。
そんな風祭さんにかけてあげられるいい言葉が浮かばない。どういう言葉をかければ、どうしてあげれば、その……元気づけてあげられるか、目標に向かて頑張ってもらえるか。
「あ、ごめんなさい。こんな私のこと喋ったってしょうがないのに」
「いえ、話してくれただけでも嬉しかったです。まだお互いのことあまり良く知らないから少しでも仲良くなりたいって思って」
そうだ、ちょうどいい機会だから提案しないと。ラジオでいいトークするため、なにより風祭さんと仲良くなるために。
「それで、前にも黒川さんから話があったけど、もっとフランクにしたいって思ってました。だから、わたしのことみんなみたいに『めーちゃん』って呼んでほしいんです。そうしたらもっと気楽におしゃべりできて、トークもうまくいくかもしれないって思って。それに」
ぐいっと風祭さんに近づいて、
「風祭さん……さくさんにもっと頑張って欲しくて。少しでも、声優の仕事ができるように頑張って欲しいから、一緒にラジオを頑張りましょうって思って」
あー。もうちょっと喋ることを考えておけばよかったかもしれない。フリートークのときに行き当たりばったりな癖がこんなところにも出てくるなんて。
「頑張って欲しい、私と一緒にラジオを?」
「そうです! 風祭さんみたいに頑張ってて、技術もすごい人が夢を叶えられないってわたしはイヤです! だからわたしにできることといえば一緒にお仕事頑張るくらいで。だから仲良くしたいなって。そ、そうです! そらにぃとみちにぃ、うちのお兄ちゃんたちが仲良くすれば仕事もうまくいくかもしれないってアドバイスくれで、それで――」
「松田さん……めーちゃんって面白い人です」
笑った。いつも真剣な表情の風祭さんがこういう風に笑うのを始めてみたかもしれない。初めてあったときも、見学のときも、収録を始めたときも、緊張した表情か真剣な表情のどちらかで、リラックスしてるというか力の入った顔しか見てなかった。
「私のこともちゃん付けで呼んで、友だちと話すみたいにしてもらえると、嬉しいです」
「う、うん。よろしく、おねがい――」
「あ!」
「どうしました? ……じゃなくて、どうしたの?」
「コンビニ行って電子マネー買うの忘れてた。何のためにここまで来たんだろう」
さくちゃんは笑ってくれた。
「「おはようございます」」
なんだかいつもより元気に挨拶できた。いつも元気がないとかそういうんじゃなくて、気合の入り方かな。
風祭さん改めさくちゃんは、新入りとは言ってもわたしより人生の先輩にあたる方で、やっぱり友達と言うよりはお姉さんという感じだった。だから、さっきタンコロの中で話をしてお友達になって、その新しい友達と遊びに来たという感じのテンションなのかもしれない。もちろんここへは遊びに来たわけではなく、仕事をしに来たんだけどね。
「「「おはようございますー」」」
ミキサールームには大野さんとミスター。ひとり不機嫌そうな挨拶だった多摩さんが、収録ブースで何かをやっている。
「くそー前のやつこんなにコードを散らかしやがって、なんのコーナーやったんだよ。面白くないコーナーだったら文句言いに行くからな……」
「て、手伝ったほうがいいのでしょうか」
不機嫌な多摩さんが怖いのか、恐縮気味にさくちゃんが聞く。
「あー気にしないで。にゃおじは自分の仕事場が片付いてないと気が済まないだけだから」
「は、はあ……」
いつものことだからね。それに不機嫌でもミスター以外のひとにはあたったりしないから、わたしは安心してバッグからペンやメモ帳を出したりして準備を進める。
「にゃおじっていうな!」
どんな状況でもそのツッコミは返すんだ……。本当にこのふたりは仲がいい。まるでお笑い芸人のコンビ。
それを見守ってからさくちゃんも準備を始める。
「ほい、今日の台本」
「はい、ありがとうございます」
頂いた台本に早速目を通す。収録ブースの中で座って読みたいけど、多摩さんの几帳面な片付けが終わらないのでしばらく待とうと思う。
今回も普通のお便り略して『ふつおた』でわたしたちの自己紹介の続きという感じ。前回以上に質問メールが届いてるみたいでたくさん紹介したいみたいだ。後半は『登場! パラレルなひとたち』で、きれいな花壇のある境川沿いの介護施設に勤める方々を紹介するとのこと。
コーナーといえば、
「そいえばさくちゃんのコーナーってまだ決まってないんですよね?」
「うん、そうだけど。『さくちゃん』って風祭さんのこと?」
大野さんの一言にそいえばついさっき決まった呼び方をスタッフの方々に説明してなかったのを思い出す。
「はい。今日、ついさっきそう呼ぶってふたりで決めたんです。さくちゃんもわたしのこと『めーちゃん』って呼ぶことにして」
「呼ばれるのはいいのですが、呼ぶ方はまだ慣れないですけど……」
自分で言うのもなんだけど、わたしの対応が早過ぎるんだと思う。
「思いついた!」
「な、何をです?」
大野さんが急に立ち上がり、音のならない指パッチンをする。
「おだぴー! 新コーナーのタイトル『花咲けさくちゃん』でどうかな……っておだぴーいねーし!」
「し、新コーナーですか?」
大野さんの謎のハイテンションに引き気味なさくちゃんが聞く。大野さんに変なスイッチが入った時は大体のひとは引く。わたしは身近に大野さんと同じスイッチを持ってるひとがいるのでなれてるけど。
「そうそう! めーちゃんがまやさんの相談コーナーを引き継いだから、風祭さん――あ、僕らもさくちゃんって呼んでいい?」
「は、はい」
大野さんの作家らしからぬ散らかった言葉の数々。台本や作る文章はきちっとしているのに自分でしゃべるときはあまりきちっとできないみたいだ。
「めーちゃんがやってた『チャレンジめーちゃん』を引き継いでもらおうって思ってたんだけど、いいコーナー名が浮かばなくてね。めーちゃんがさくちゃんって呼んだときに天から降りてきたんだ。これはイケる」
『チャレンジめーちゃん』は早口言葉や言いにくい言葉、ナレーション台本などを視聴者さんから募集して実際にやってみるコーナー。わたしが新人ということもあって、実力を上げてもらおうという名目の元、わたしをいじるコーナー。
確かに新人声優と言ってもいいさくちゃんにこういうことをやってもらうなら、なかなかいいコーナーになるかもしれない。わたしもいじられずに済むようになる。うん、一石二鳥。
「ちょっと台本一部書き直すよ」
結局おだぴーのOKを確認せずにテーブルに自分の分の台本を置いて、早速書き込みを始める。
「あ、そうだ。ふたりともCDとか持ってきた?」
と思ったら手を止めてわたしたちに質問をする。忙しい人だなぁ。
「はい」
今日かける音楽はわたしたちの好きな曲にしようということで、CDを持参あるいは購入した音楽データを持ってきてほしいと言われた。わたしは鎌倉出身の男性ヴォーカルアーティストの『長波サマーデイズ』のシングル『日の出Hello World』を持ってきた。それをバッグから取り出して早めにミスターに渡しておく。
「これの一曲目をお願いします」
「うん、ありがと。借りるね」
「私はこれを」
さくちゃんもCDを持ってきたみたいだ。『遠藤深雪』の『水の星に生まれて』というシングル。
「お、『アクアの世界』のエンディングテーマじゃん」
「これもご存知です?」
また大野さんが見てるアニメらしい。なんだかこのふたり変なところで共通の趣味があるなぁ。さくちゃんがそらにぃみたいにならなきゃいいけど。
でもこのタイトルどこかできいたことがあるような。
「アニメやるって言ってから知ったタイトルだけどな。さすがにラノベとはいえ恋愛小説は読めない。背中が鳥肌だらけになっちまう」
「あ、これ百合ちゃん――クラスの友達に借りてた小説だ」
「まつ……めーちゃんも読んでたんだ」
「まだ、一巻しか読めてないけど」
「大丈夫一巻だけでも十分の楽しめるから。面白かった?」
「面白かったよ。収録終わったら話しようか」
なんだか初めて共通の話題を見つけられた気がする。さくちゃんもこういう話題は特に好きみたいで、大野さんと同じくらい食いついてくる。
これなら仲良くなれる気がしてきた。
「「町松田の湘南鎌倉パラレルワールド」」
「FM江ノ島をお聞きの皆さんこんばんは、パーソナリティの『めーちゃん』こと松田恵海です」
「こんばんは、同じくパーソナリティの風祭咲です」
リニューアルして二回目だけど、やっぱりまだ慣れない。わたしが最初に名乗ることも、以前とは違う台詞の振り分けも、ひとり抜けてしまったブースも、リニューアルして変わったオープニングのインストも。
「この番組は――」
「江ノ島、湘南、鎌倉の面白いこと、噂のお店、地元の方もあっと驚くスポットのお話をする情報バライティ番組です」
「今回の『登場! パラレルなひとたち』では、境川沿いの介護施設『四つ葉の花園』の方々をご紹介します。この施設は花壇のお花が綺麗ということで推薦をいただきました。番組の後半にご紹介します」
無事にコーナー紹介が終わったけど、次のフリートークの話題振りもそのままわたしの担当になっている。でも今回は喋りたいことが決まってるので、自信を持ってどんとイケる。
「さて、近況報告! ついさっきあったことをお話したいと思います。先週からパーソナリティになりました風祭咲さん。前は苗字でお呼びしていたんですが、今日から『さくちゃん』と『めーちゃん』で呼び合うことになりました! 拍手!」
わたしが煽ると拍手のSEを入れてくれる。本当にノリの良いディレクターさんだ。
「わ、私はまだちょっと呼び慣れないんですけど、これから自然にお呼びできるようになりたいなって――」
「さくちゃん、敬語も解除って言ったでしょ?」
「そうで……そうだったね」
「そういうわけで、リスナーの皆さんも『さくちゃん』って呼んでもらえると嬉しいです。そいえば、風祭さんて呼んでて思ってたんだけど、珍しい名字だよね」
風のお祭りなんて百合ちゃんの読んでるラノベとか、かっこいい目のJ―POPとかみたいでおしゃれな印象を持ってた。覚えてもらうために芸名としてこういう名前をつけるっていうのは聞いたことがあるけど、本名っていうのは珍しい。
「小田原に同じ名前の地名があるの。東京都に町田市があるのと同じ感覚かも」
「そうだったんだ」
そういう風に表現されるとなんとなく分かる。調べれば松田とかも地名になってそう。
「ところで、地名の町田って神奈川じゃないの?」
「……えっと、確かに東京の二十三区からは結構離れてるけど、町田市は東京都だよ?」
「えっ、マジ?」
「まじまじ」
大野さんも肯定してるし、ミキサールームの中も頷いてる。
もしかしてわたし大ボケかました?
「で……でも、あまり行かない人や遠方の方は知らない人も多いから安心して?」
「あ、あはは、町田市の皆さん聞いてたらごめんなさい」
ここでおだぴーからホワイトボードでカンペが出てきた。『toさくちゃん』って書いてある。
「めーちゃん、熱海は何県?」
「それは分かるよー、神奈川でしょ」
「あーははははは」
大野さんが答えを聞くなり大爆笑。イヤモニからも笑い声が聞こえるから、ミキサールームも同じ状態らしい。
わ、わたしまたおかしなこと言った? え、でも熱海ってあの熱海だよね?
「めーちゃん、熱海は静岡県……」
「えっ」
「だ、大丈夫。熱海は静岡県と神奈川県の境目にあって、結構勘違いされやすいから。静岡に住んでた養成所の仲間も『熱海はほとんど神奈川みたいなもの』って言ってたし大丈夫」
「熱海の皆さんごめんなさい」
わたしはオープニングで何回謝るんだ。わたしの世界が湘南と鎌倉しかないってことがみんなにバレバレじゃないかー。
「そうだ! オープニング録り直しましょう。それで解決ですよ」
「だめ」
大野さんが食い気味に答える。ミキサールームからも両手で☓を作るスタッフの方々が見えて、わたしの希望は途絶える。
「このまま使われちゃうみたいだね。ど、ドンマイだよめーちゃん」
「それでは『めーさく湘南鎌倉パラレルワールド』スタート……」
「です!」
フリートーク三分ほどと言われてるけどストップウォッチでは二分半を超えたところ、もう三十秒もオープニングを撮れる自信もなかったし、スタッフさんも取れ高OKみたいな表情してるしいい気がした。
今すぐにでもブースを逃げ出して、相模湾にダイブしたい。
「改めまして『さくちゃん』こと、風祭咲です」
「……改めまして『めーちゃん』こと松田恵海です」
「めーちゃん、そう気を落とさないで。間違いは誰にだってあるから」
「そうだけどー」
わたしが怖いのはやっぱり身内からのリアクション。百合ちゃんを筆頭にクラスメイトからもあれこれ言われそうだし、お兄ちゃんふたり、両親、その後のお便りでもあれこれいじられそうで恐ろしい。ウィキペディア(まだわたしの記事はないけど)なんかに書かれちゃったら後世に残るよ……。
「では、めーちゃんが元気になれるよう、私たち宛に届いてるメールを読みたいと思います。ラジオネーム『ももももも、ももも、ももももも』さんから頂きました、ありがとうございます『おふた方こんばんは』」
「はい、こんばんは」
まるで『スモモも桃も桃のうち』という早口言葉を言い間違えたような名前だ。でも道間違えてもこうはならないと思う。
「『風祭さんは声優さん志望ということですが、何か得意な声づくりとか声真似とかありますか? ありきたりな質問で恐縮ですがよろしければ持ちネタなど披露していただけると嬉しいです』とのことです。ありがとうございます」
「声優さんってみんなそういうの持ってるの?」
芸人が持っている持ちネタに近いものなのか、役者が持ってる『定番のキャラ』みたいな感じだろうか。確かに気になる。
「得意な声質とか役とか、そういうのは把握しておいたほうがいいから、自分の声を研究したり、授業でいろいろな声をやってみて、仲間や講師の方に聞いてもらって教えてもらったりはするかな。その中で評判よかったのは……んー、猫とか」
ちょっと間を置いてから、さくちゃんの体のどこから出てるのか疑問を感じるような子猫の鳴き声が出てきた。
「かわいいー」
「ありがと」
さすが声優と褒めていいのか。普通の役者と違って人間以外の声を演じることがあるのが声優だって百合ちゃんは言ってたけど、さくちゃんはそれもできるすごい子。同じ声の仕事をわたしもがんばらないと。
「あ、わたし羊のモノマネやりまーす」
喉の形と舌の位置をうまく調整しながら、動物番組とかで聞いたことがある羊の声を出してみる。やってみて思ったけどわたしってもしかしてさくちゃんとモノマネなら互角?
と思ったけど、ブースもミキサールームも空気が静かだ。
「……ごめんなさい、もっかいやってみて?」
とさくちゃんのリクエストにお応えしてもう一度。うん、やっぱりいける。わたしって意外とうまいじゃん。
って自己評価したところで、またもやオープニングの熱海のやりとりみたいに、大爆笑が起こる。さくちゃんも顔を背けて肩を震わせている。
「えっ、ちょ、えっ?」
わ、わたしまた何か粗相をいたしましたでしょうか。でも町田や熱海みたいな間違いってわけじゃないし。羊に失礼なことをするって考えられないんだけど。
「ご、ごめんなさい。めーちゃんの中では羊ってそういう鳴き声なのね……ふふふ」
さくちゃんが今まで見たことないような崩れた表情で笑いをこらえている。声もだいぶ触れているけど、なんとか聞き取りにくくならないように頑張ってるって感じがする。
そんなに笑ってくれて本来はうれしいと思うところなんだけど、なんだか今は複雑だ。
「次のおたより行きますよー! もう!」
なのでわたしもスタッフさんにからかわれた時と同じようなリアクションで返すことにした。
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