わたしたちの楽しい湘南カマクラジオ

雨竜三斗

第一章「町松田の湘南鎌倉パラレルワールド」

 暖かそうな茶色の収録ブース。机の上にはマイクや、時計のついたキューランプ。目の前には台本の最後のページ。もうエンディングかぁ……まだ終わった訳じゃないし、しっかりしないと。

「めーちゃん大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 わたしがひつじ年のひつじ座で、さらに名前が松田恵海(まつだめぐみ)だから、みんなからは『めーちゃん』って呼ばれてる。

 わたしの目の前にいる、綺麗な白のブラウスを着た相方の町田まやさんが聞いてくる。一部のファンからは『ママ』と呼ばれて愛されている。わたしにとっては母親じゃなくてステキな先輩。その隣には構成作家の大野多聞さん。たくさんの声を聞いてきたような名前と、大きな声と大きな体が特徴。

「エンディング回しますー」

 わたしの右側には大きな防音ガラス。その向こうにBGMを流したり、声のボリュームを調整したりするミキサールーム。そこにいる、 ディレクターの多摩さんの指示がイヤーモニター(略してイヤモニ。マイクに音を乗せないように指示を出す時などに使うイヤフォン)越しに聞こえる。

 わたしはガフボックス(マイクをオンオフする機械)をオンにする。通称『ガフ』と呼ばれるこの機械のオンオフするのは今でもとても神経質な作業。オンにしないで収録スタートなんてすると生放送だと放送事故。このラジオは収録だけど、致命的なミスには変わりないんだよね。

「はい、3、2、1」

 多摩さんが指パッチンでスタートの合図――キューを送る。キューが見え、

「はい、お送りしていました『町松田の湘南鎌倉パラレルワールド』エンディングのお時間でございます」

 町中の地下にあるバーで流れていそうなJAZZと一緒に、エンディングを告げるのはまやさんの担当。その先の告知はわたしの担当だ。

「当番組では音楽のリクエスト、湘南や鎌倉のアッと驚く情報、各コーナーへのお便り、普通のお便りや私たちへの質問をお待ちしております。宛先は郵便番号二四八―〇〇一四 鎌倉市由比ガ浜五丁目五―五 FM江ノ島ラジオ『町松田の湘南鎌倉パラレルワールド』の宛まで」

 よし今日も噛まずにちゃんと言えた。わからないようにガッツポーズ。続けてまやさんが、

「メールの場合は全て小文字で『parallels@fm-enoshima.ne.jp』まで。パラレルの綴りは全て小文字でp/a/r/a/l/l/e/l/sです。『s』を忘れないように気をつけてください。件名にコーナー名を入力のうえ送信してください。FM江ノ島公式ホームページのメールフォームからも送信できます」

「次回放送の『発見! パラレルワールド』の特集は……やってきました紫陽花の季節『あなたの好きな紫陽花スポット』です。藤沢市、鎌倉市、逗子市のにあるあなたの好きな紫陽花スポットを教えて下さい」

「はーい、ところでまやさん。大切なお知らせがあるそうですが」

「ええ、その前に……めーちゃんがラジオを始めてから1年ちょっとかしら?」

 うん? 大切なお知らせとしか書いてないけど……プロデューサーの小田さんも多摩さんも話題を修正するような指示しないし、いいのかな?

「高校生になりたての頃に兄から話があったので、そのくらいになります」

 ちょっと不思議に思いつつも話を切らさないように受け答え。

「あの時は最後のお知らせもカミカミで……今では立派に成長しましたね」

 リスナーさんには見えないけど、まやさんは嘘泣きのようなポーズをする。

「その話はなしでお願いしますー」

 確かに最初の頃は私も収録後に泣きそうになるくらいひどい有様だったけど、今はちゃんと喋れるし、楽しくできるからそろそろ黒歴史にしたいんだけどなぁ。

「なのでこの番組はめーちゃんにお任せします」

「えっ?」

 素のテンションで言ってしまった。

「わたくし、町田まやは来月でこの番組を卒業します」

「ええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」

 驚きのあまりラジオでは出せないような声を出してしまった。あとで北沢ミキサーさんにごめんなさいしないといけないけど、そんな場合じゃない。

「ちょっと作家さん! おだぴー! わたし聞いてないんですけど」

 とガラスの外の部屋を見ると、皆さんわたしの顔を見てニヤニヤしている。作家の大野さんはお腹を抱えて笑っている。これはわたしだけ知らなかったってこと?

「えっ、わたしだけにだまって、このリアクションが見たかった?」

 ディレクターさんの声が片耳のイヤホンから聞こえてきて、思わずそれをオウム返しする。ラジオではディレクターさんや構成作家さんの声を届けたいときはこうするっていうテクがあるんだけど、思わずやってしまったのは場数を踏んだゆえになせる技か、思わずやってしまっただけなのか。

「6月いっぱいはわたくしとめーちゃんのふたりで、お送りいたしますので引き続きよろしくお願いします。新番組についてはまた後日告知いたしますので、しばらくお待ちください。ではこの時間のお相手は、町田まやと……」

「ま、松田恵海でした」

「またこの場所でお会いしましょう」


     #


 収録の後の恒例であるお食事会。今日は鎌倉の若宮通りにあるお蕎麦屋さん。鴨南の入ったつけそばが美味しいとプロデューサーの小田さん。通称『おだぴー』が言っていた。観光雑誌にも紹介されていて、休日はかなり混むし平日の夜だって賑わうんだけど、今日は予約をとってあるらしい。

「皆さんひどいですよー」

 席に着くなりわたしは文句を言い出す。こんなに大人げないドッキリを仕掛けたのは誰かと問い詰めたいわけだ。高校生のわたしより子供の発想をしそうな人は……みんなそうなんだよなぁ。

「申し訳ない、めーちゃんの素のリアクションが録りたいってにゃおじが」

 真っ先に素敵な笑顔で丁寧に謝ったミキサーの北沢隆雄さん。通称『ミスタースマイル』 さらに略して『スマイルさん』

「にゃおじって言うな。それを言ったらおだぴーだって同罪でしょう」

 猫みたいなアダ名で呼ばれたのはディレクターの多摩直治さん。ミスタースマイルとは高校時代からの付き合いらしい。『にゃおじ』と『たか』で呼び合うほど仲がいい。猫と鷹。

「あれだよ、これができるのは構成作家の多聞くんだろう? ズバリあれは多聞くんで、僕はそれにすぎない」

 おだぴーの『あれ』と『これ』と『それ』がまた始まってる。これは多分今回の卒業隠匿事件のことで、あれとこれは犯人とかそういう意味? まるで警察の隠語。

「あれが主犯ってことで、それは共犯ってことでしょう? 主犯とは人聞きの悪い……。俺も共犯で最初に言い出したのは何を隠そうまやさんじゃないか」

 構成作家の大野多聞さん。さっき一番笑ってたのに共犯者とはどの口が言うのか。

 そしてみんなの視線が真犯人のまやさんへ集中する。収録の際のニッコリとした笑顔で、

「そうね。だって、面白そうだったから」

「というわけだ! めーちゃん、僕たちは無罪だ! というわけでドッキリ成功を祝してビールを――」

「おだぴーさん? これが終わったら東京で打ち合わせですよ」

 笑顔を崩さずにミスターが言う。顔文字がつきそうないい笑顔だけど、この後も仕事なんだ……。大人は大変だなぁ。

「そういうわけで、めーちゃんの分はわたしに奢らせて?」

 騙して悪かったというのか、騙したことを口実に奢りたいのかどっちにしても、

「そ、そんな悪いですよ。高校生とは言ってもわたしもお給料もらってますし」

 週に木曜日だけ、打ち合わせと収録の時間をあわせて3時間働いてることになっている。週1とはいえタレント業にあたるからか、高校生のアルバイトの給料程度はもらってる。それに好きなことやってもらってるお金で贅沢させてもらってるんだから、気が引ける。

「いやいや、こういうときはあれだぞ。素直にご馳走になるのも礼儀だぞ」

「そうなんですか?」

 おだぴーさんの言うのは『どれ』なのかはさておき、奢られるのも礼儀?

「そうそう、社会人はお金はあるが使う時間がないからな」

「多聞さんは自分で仕事増やして首を絞めてるだけでは?」

 ミスタースマイルのツッコミがクリティカルヒット。大野さんは構成作家の仕事以外にも、もう一つ作家業をやってるらしい。雑誌連載の小説らしいけど、まだ読んだことはない。

「では、お言葉に甘えて……『これ』にします」

 まやさんはにっこりと笑ってくれた。

「そいえば打ち合わせって言ってましたけど、東京まで行くんですか?」

「そうそう、めーちゃんとコンビを組む新しい子の件についてね」

 ビールの代わりにお冷を飲み干したおだぴーが言う。

「FM江ノ島のパーソナリティから決めるんじゃないんですか?」

「それもいいかなと思ったけどね。まやさんが以前のめーちゃんみたいに新人を入れてもいいかもしれないねって。それで上の方にも聞いてみたらオーケー出たし、君のお兄さんも賛同してくれたよ」

「そらにぃ、わたしに後輩の指導してみろって言ってるのかな」

 わたしがこのラジオをやることになったのは、FM江ノ島に勤めているふたりいる兄の片方、『そらにぃ』こと宙太の紹介だ。意外と仕事ができるらしく、社内では偉いらしい。あともうひとり顔が同じ兄がいるけど、こっちもこっちで誇らしい仕事をしている。友達からすればふたりともイケメンらしく、よく羨ましがられる。これで趣味がよければわたしの自慢の兄たちだった。

 そんな兄の片方が、おだぴーや局の偉い人達とどんな話をしたのか若干不安。

「めーちゃんはそれだけラジオが上手になったってことよ」

「まやさんも買いかぶりすぎですよ。それで、誰がやるかって決まってるんですか?」

「ほぼほぼね。今日は君のところの黒川マネージャーと最後の調整って感じ。だから君と同じ養成所の子が来ることになるよ。クラスは確か違ったけど」

 そう聞くとちょっと楽しみになってきた。歳はどのくらいかな? どんな声なのかな? どんなトークをしてくれるのかな? そういうパーソナルな部分が気になって仕方がない。

「早ければ来週には顔合わせしてもらって、収録も見学してもらうようにするよ。いきなり来ると困るだろうし」

「そうですね。なんだか、めーちゃん最初の収録の頃を思い出しますね」

「多聞さんまでその話はやめてくださいよー。そろそろ黒歴史として封印したいんですから」

「いやいや、黒歴史は封印を解いてこそだよめーちゃん。そもそも黒歴史っていう言葉はだな、ロボットアニメのガ――」

「はいはい多聞さん、ロボットのお話は今度宙太くんとやりましょうねー。おねえちゃん注文お願いしますー」

 わたしたちパーソナリティよりも濃いかもしれないスタッフ陣に新入りさんが引いたりしないかちょっと心配になってきた。


     #


 すっかり日が沈んで、帰りのバスと電車で賑わう鎌倉駅。鳥居の向こうの小町通りの人通りも少なくなってきて、一日の終りを感じる。わたしたちと一緒に改札を通る人々も帰路につくサラリーマンや学生が多く、逆に改札を出る人たちは疎ら。

「それじゃ僕たちは東京まで行ってくるからここで失礼するね」

「はい、お疲れ様でした」

「あと一ヶ月ですが引き続きよろしくお願いします」

 男性陣は打ち合わせのために横須賀線へ、まやさんも横須賀線を乗り継いで帰るのでわたしはひとり、みんなが帰路につく人たちの波に飲まれるのを見送ると、江ノ島電鉄――通称江ノ電の改札へ向かう。

 この時間の江ノ電は空いており、旅行客の多い土日とは対照的でとても静かだ。本当に田舎の私鉄って感じもする。

 おみやげ屋さんやコロッケ屋さんのシャッターがしまっているし、この時間は疲れた会社員とわたしのような学生がほとんど。わたしはこの静かな時間がやっぱり好きかな。

 江ノ電のホームへ着くとベンチへ座るよく知ってるひとと大きなビニール袋を見つけた。西風になびく爽やかなショートヘアで、ワイシャツをラフに着こなす青年。

「みちにぃ!」

「おう、めー。今帰りか?」

「うん。ところで、なにそれ?」

 その重そうな袋をわざわざ持ち上げて見せびらかす。黒い瓶に読めない漢字が3文字書いてあって、それと似たようなのがもう2本。

「またお酒ぇ?」

「おうよ! 新作が入っててさ、迷わず買ってきたわ」

 わたしの兄、『みちにぃ』こと道夫はこの江ノ電の運転を仕事にしている。電車の運転手っていうのは責任の重大な仕事であるのだが、この常に酔っぱらいのような兄に勤まっていることがたまに心配になる。

 お酒を飲むというか、お酒を集めて飲むのが趣味らしい。そのために遠出して大量の酒瓶を実家宛に宅配便で送ってくるということもたまにするくらいだ。みちにぃのお部屋は瓶が飾ってあったり、ラベルを丁寧に剥がして収集しているファイルが沢山あって、いるだけで酔いそうになる。

「お、電車来たな。この時間は田中さんだったかな。相分からず丁寧な停車だ」

 そういうことを言う当たりは職人らしくて尊敬したいんだけど……。ちらりと酒瓶の入った袋を見る。

「持とうか?」

「大丈夫だって。仕事してた妹に手伝わせたりなんかするかよ」

 カッコつけちゃって。

 兄とふたりで久々に江ノ電に乗る。木製の床が足音を響かせるほど、席はガラガラなので、ふたりで悠々とロングシートに腰掛ける。

「今日そらも実家帰ってくるらしいぜ」

「そうなの?」

「おう。連絡行ってないのか?」

「聞いてない聞いてない」

 なんだか今日は色々と聞かされてない日みたいだ。みんなわたしにドッキリしかけるのが好きなんだろうか。

「だから久々にみんなでご飯~って思ったけどめーはスタッフと会食だったんだよな」

「うんー、若宮大通のお蕎麦屋さんで食べたよ」

 車掌さんの笛の音が聞こえてドアが閉まる。ガッタンと揺れながら、ゆっくりと、混んでるときも空いてるときもマイペースに江ノ電は走る。普段乗っている横須賀線や湘南新宿ラインと比べると本当に遅い。

「あそこ飯時だと結構混む気がするけど、よく六人も入れたな」

「おだぴーがわざわざ予約入れておいたみたい。メニュー見ないで注文してたし、常連だよ」

 おだぴーはそういうグルメ関係に詳しい。うちの番組を企画したのだって鎌倉や湘南にたくさんあるお店を紹介したいっていう考えもあってのことだろう。大野さんが言わないと毎回グルメ特集になりかねないらしいし。

「蕎麦と言えば長野も美味しいぞ。毎年行く度に必ず一食はそばにしてるぜ」

「へー、っていうかみちにぃ、どうして毎年長野行ってるの?」

「毎年酒のイベントがあってだな――」

「もういいです」

 うちの兄はどうしてこうも変なところにマニアックなのか。お父さんもお母さんも普通だったのに、どこで道を踏み外したのやら。

 電車は和田塚に着いた。ここのホームの向かいにはステキなお茶屋さんがあるんだけど、行ったことはない。学校の友だちが常連で良く行ってるらしいので、今度連れてってもらおうかな。そんなことを思ってると電車はひとりも乗せずに出発する。

「そいえば仕事はどうだ?」

「それなんだけど、ちょっと不安なことがあって、どこまで話していいやら」

 こっちの仕事のことは結構喋っちゃいけないことも多い。身内とは言えしゃべっていのか悩むところだ。

「先週の放送は聴けてないんだけど、なんかあったのか?」

「先週じゃなくて、今日収録した次の放送なんだけど、わたしも知らない出来事が水面下で進行してて……」

「サプライズか? めーのリアクションは面白いからな」

「そうそう、ホントみんなわたしで遊ぶんだから」

「ははは」

 と笑いながらみちにぃはわたしの頭を撫でる。もー馬鹿にしてー。

 そして電車は由比ヶ浜で着く。駅の間はとても短く歩けるほど。この時間、ここで降りる人は居ても乗る人は居ないと思ってた。

「よう」

「そらにぃ!」

「おう、みちか。おつかれ」

 とそらにぃはわたしの隣へ座る。何故か双子の兄に挟まれる。

 そらにぃこと『松田宙太』はわたしと同じFM江ノ島に勤めている。役職はよくわからないけど、おだぴーと同じくらい偉いらしい。

「おつかれ、そら。明日休みだろ? おやじと3人で呑もうぜ」

 またもや今日買ったお酒を身内に自慢するみちにぃ。おかげで自分たちはお酒を買ってこなくても、つまみだけ用意すれば晩酌し放題、ってお父さんが言ってた。

「そうだそらにぃ、お酒入れる前に聞きたいことあるんだけど」

「めー、こういうときは酒を入れてからのほうが本音を聴きやすいぜ」

「いや、仕事の話だから」

 みちにぃの提案を真顔で返す。飲みたいだけじゃん。

「まやさんが卒業って当たり前だけど知ってたよね」

「あー、今日の収録で知ったかー。めーがどういうリアクションしたか、オンエアが楽しみだわ」

「そらにぃまでわたしのリアクション見たかったの!?」

 はー。もうそれはいいやと、大きなため息をわざとついて本題に移る。

「まやさん辞めちゃうってわたし結構不安なんだけど」

「うん? めーってラジオやって一年だよな。俺からすれば一年って結構慣れたころじゃないか」

 そうみちにぃが言う。

 そりゃ、みちにぃみたいに毎日のように電車を動かしていればかなり慣れてくるとは思うけど、わたしは週に一度の収録。他に本気の声出しと言えば、同じく週に一回放送部でやっている校内放送と、週末の養成所の授業。本番のラジオ収録の回数なんて、一年四八週としたら四八回。まやさんなんて十年以上やってるベテランだし、わたしの今の声の仕事量を全部加えても比較にならないよ。

「いや、町田さんだって、お前と同じくらいのときには一人喋りを任されてたぜ。それにお前の場合は、新しいパートナーが就くんだしスタッフも変更なし、大丈夫だって!」

 そう言いながらそらにぃもわたしの頭を撫でる。安心させようとしてくれてるんだろうけど、

「やっぱり、自信ないよー」

 まやさんとわたしの実力を比較しないでほしいよ。どういう環境に生まれたらあんなに綺麗なトークができるのか、まやさんに聞いたこともあるけど『毎日が楽しければできるようになるわよ』という抽象的な回答しかでてこなかったし、わたしは週一のラジオのために毎日必死で楽しめてるか自信がないよ。

 そんなわたしと違い、兄ふたりは楽しそうだ。内容はともかく趣味が充実してるというのもあってなのか、仕事が純粋に楽しいのか、最近のゾンビみたいなサラリーマンとはぜんぜん違う。うちの番組のスタッフも苦労はしてても仕事に不満はないようだ。大野さんが〆切に追われて、ゾンビみたいな顔でパソコンに向かってるときもあるけど。

 結局兄ふたりからも参考になりそうなアドバイスはもらえなかった。週末の養成所の授業で講師の方に聞いてみるくらいしかないかなぁ。


     #


 わたしはラジオのパーソナリティのスキルを磨くために、声優の養成所に通っている。週二日、土日をほとんど潰している。

 その授業が終わってからわたしは寄り道せずに早く帰ってしまう。養成所は代々木にあって、わたしのうちからは湘南新宿ラインでだいたい一時間くらいかかる。プラス江ノ電で数駅だからこの時間から帰路につかないと帰りが遅くなっちゃう。

 お兄ちゃんふたりがシスコンなんじゃないかって思うほど、わたしのことを大切にしてくれるんだけど、お父さんもお母さんもわたしのことをとても可愛がってくれる。そのせいか、五分でも予定時間より帰りが遅くなるとSNSでメッセージが飛んで来る。

「松田さん、おはようございます」

「あっ、黒川さんおはようございます!」

 教室の出口で待っていたのはマネージャーの黒川さん。わたしのマネージャーをやってくれてる。スーツの似合うきれいなお姉さん。わたしに姉がいたらこんな感じの人がいいなって思う。フルネームでは『黒川しのぶ』だから『しのねぇ』になるかな。

 黒川さんは新人の声優さんたちをマネージメントしている方だ。色んな所に引っ張りダコなタレントさんならひとりひとりマネージャーがつくけど、わたしみたいにまだ活動が少ないひと、所属になりたてでまだ仕事が少ないひとはひとりのマネージャーさんが複数のタレントを見ている。

「このあと一時間弱くらい時間をもらえない? あなたのやってるラジオの件についてなんだけど」

「はい!」

 帰りが遅くなっちゃうけど仕事のことなら話は別。優先しないとね。連絡すれば親も納得してくれるし、終電がなくなるってことはないし。

「それじゃ、近くのカフェでお話しましょう」

 黒川さんに付いて行ってビルの階段を降りていく。通りすがる養成所の生徒がみんな『お疲れ様です』と挨拶するのでわたしも返す。当然だけど黒川さんは事務所の人だからね。しっかり挨拶しないといけないんだけど、流れ的にわたしも返さないといけないのが若干複雑。芸能界とかこういう仕事の場としては当たり前なのかもしれないけど、いまいち慣れない。

 同じ調子で十回くらいの『お疲れ様です』を返したところで黒川さんが足を止めた。

「松田さん、この子が今度あなたと一緒にラジオをしてもらう子になります」

「はじめまして、タレント養成クラスCクラスの風祭咲(かざまつりさく)です。これが初めての声の仕事になりますのでご迷惑をお掛けすると思いますが、よろしくお願いします」

 礼儀正しく挨拶をしてくれたのは、中学生くらいでも通じそうなくらい背が低い女の子。でも声は今で言うロリっぽい声とかアニメ声とかじゃなくて、ふわふわしてないで地面に足が付いている。

「こちらこそ~、わたしラジオ養成クラスBの松田恵海! めーちゃんって呼んで」

 新しい友だちに話しかけるみたいな感じで自己紹介をする。

「風祭さんは松田よりふたつ上ですよ」

「えっ、ごごごご、ごめんなさい! いくつも上の方にタメ口聞いてしまって」

 大変失礼なことにまったくそうは見えなかった。高く見てもわたしと同じくらいかと思ってた。業界で活動してる人にはいろんな人がいるって分かってたけど、わたしと組むことになるとは思わなかった。

「気にしてないです。わたしのほうがあとに来たのですから、気楽に喋ってください」

「松田さん、こういうときは芸歴のほうが優先されるのであなたのほうが上ですよ」

 おふたりはそういうけどわたしは気が引ける。黒川さんとか、おだぴーみたいな方にタメ口を使おうなんて難しい。そんな理由。

「分かりました。慣れるまで少し時間がかかるかもしれないですが、フランクに話せるようにしたいと思います」

「はい、それで大丈夫です。よろしくお願いします、松田さん」

「その代わりと言ってはなんですが、風祭さんも同じくらいフランクにしてもらえるとありがたいです。やっぱり風祭さんの方が年上ですし」

 風祭さんは年上だし、多分わたしが妹分のほうがいいと思う。黒川さんの言うように芸能界は芸歴で上下関係が決まるんだろうけど、わたしはそうじゃなくてもいいって考えを持ってるからね。一緒にラジオをやっていくなら仲良くやっていきたいし、そのほうがいいラジオになる。それはスタッフの皆さんを見てれば間違いないって分かる。

「黒川マネージャー……いいのでしょうか?」

「付き合いの長い子たちを見てると、芸歴や歳関係なしに仲良くしてますよ。二歳差なんて大した差ではないですから、お互いフランクにしてると思います。最初のお仕事なので難しいと思うかもしれないですが、リラックスしてがんばってください」

 黒川さんもそう言ってくれてるので、風祭さんとも仲良く出来るといいなぁ、と思う。

「さて、そろそろ行きましょうか」

「はい!」

 カフェは教室から本当にすぐ近くのビルの一階にあって、講師の人が打ち合わせに使ったり、わたしたちみたいにマネージャーさんとの話し合いによく使ったりしている。

「いらっしゃいませ、奥の席空いておりますよ」

 店員さんもどんな人達が何をしに来ているのかよく分かっているのか、こんなふうに案内してくれる。それに素直に従って外が見える奥のテーブル席へ。わたしと風祭さんが隣同士、黒川さんは説明する側なので向かい側と自然に座る。

「あとで小田プロデューサーさんが来ますが、先に打ち合わせを進めててくださいとのことでした。ご馳走しますのでお好きなモノを頼んでください」

 ここのお店の推しははちみついりの紅茶とアメリカから輸入してる珈琲だ。わたしは紅茶が好き。

「そ、そんな申し訳ないですよ、ご馳走していただくなんて……」

「風祭さんって、目上の方やお世話になってる方にごちそうになるって経験あまりなかったりします?」

「ええ、やっぱり失礼なんじゃって思うので……」

 最初に自己紹介してもらったときに『これが初めての声の仕事』って言ってたから打ち合わせみたいなことも初めてだと思ったけど、やっぱりそのとおりだったみたいだ。

「場合にもよるけど、ご馳走してくれるって言ってくれてるのに断るのは失礼に当たる場合もあるんですよ。素直に『いただきます』って言うほうが喜んでいただけると思いますよ」

 なんだか先輩振った言い方になっちゃったけど、つい先日教えてもらったことだけどね。

「そうなのですか?」

 風祭さんがチラリと黒川さんの方を見ると、黒川さんも『そうですよ』という感じで笑ってくれる。わたしもどや顔――はしてないけど――で言ったのに間違ってたら火を噴くように恥ずかしいので、肯定してくれるのはありがたい。

「なのでわたしははちみつレモンティーを」

「では、アメリカンコーヒーを」

 それでもちょっと遠慮しがちな感じに風祭さんは言う。黒川さんはそれを聞いて、

「はい。店員さん、オーダーしてもいいですか? はちみつレモンティーとアメリカンコーヒーとあと『いつもの』ひとつね」

 きれいな茶髪のおねえさんが伝票に書いて去っていくけど、今すごい注文が出てきたぞ。

「黒川さん今『いつもの』って言いませんでした?」

「言ったわよ。ここのお店はそれで『ブレンドコーヒー砂糖ミルクなし』が出てくるのよ。常連さんが多いからそれで通じる用にしたらしいわよ。かっこいいでしょ」

 ビルから出てきた黒川さんとは別人のようなことを言うけど、この方はこんな風にかわいいところが多い。スマホの待受はペットのうさぎだし、バッグには四つ葉のクローバーのストラップが付いてたり、事務所の机にはクマのぬいぐるみがたくさん並んでる。それを知らなかったひとは今の風祭さんみたいなきょとんとした顔になる。本人は気にしてないけど、わたしはこういうギャップが見てて楽しい。

「それじゃ今回風祭さんが参加してもらうのはこれ」

 黒川さんからA4の紙が渡される。企画書というのを初めて見るけど、こうなっているんだ。

「わ! タイトル変わってる」

 まず一行目が目に入って驚く。タイトルは『めーさく湘南鎌倉パラレルワールド』になっている。わたしの『めー』と風祭咲さんの『さく』がタイトルに入っていて、そこが変わっている。

「そりゃそうよ。今までは町田さんのお名前が入ってたからね。それと、彼女のようなベテランと組ませるのではなく、若い子だけにやらせるっていうスタンスに変更になったのだから。タイトルから一新って聞いてるわ」

 これは少し重くなってきたかもしれない。タイトルになるっていうことは文字通り看板背負うんだから、なにかあれば局にも自分にも跳ね返ってくる。

 そりゃ『松田恵海の湘南ブギーモーニング』なんて感じのタイトル憧れてたけど私ほどの経験値で持っちゃっていいのかなぁ。

 それに風祭さんはこれが初仕事も当然って聞いてるし、わたしよりプレッシャー感じてるかも。

「でも、スタッフ編成は変えずに行くそうよ。時間も変えないから入れ替えとかしなくて楽だし、なによりめーちゃんが慣れてるからね」

「そうですね、それは安心です」

 あの個性あふれるスタッフで風祭さんがドン引きしないという条件であれば。

「めーちゃん寄りの解説になっちゃうけど、コーナーも最初は前のものを一部引き継いで進めて、徐々に独自の物を加えていくってことになるそうよ。だからめーちゃんは前と同じように、風祭さんはそこから学んでいくってことで」

「は、はい! わたしから学べることがあれば」

 わたしだってまだまだまやさんから教わりたいことばかりなのに、いきなり教えるっていうのは自信がないなぁ。

「大丈夫よ。めーちゃんの番組ずっと聞いてきたわたしが言うんだから」

「そう言っていただけるなら」

「私は少し不安です」

 企画書を見ていた風祭さんの口からそんな言葉が出てくる。

「企画自体はちょっと前から聞いたので、松田さんのラジオはその時から聞くようにしていました。松田さんって大勢の人が聞いているラジオの前でもハキハキとしゃべっていて、いろんな方に愛されてるなっていうのを感じます。こうして実際に会ってみてそれがより良くわかりました。わたしはそういう風にラジオを進められるか、自信がないです」

 店員さんが空気を読んでくれたのか、静かに注文のコーヒーや紅茶を持ってきてくれた。黒川さんが会釈でお礼をする。こんなこと考えてる場合じゃないけど、ここの店員さんすごいな。

「いやー、ごめんねごめんね。あいつがなかなか帰してくれなくってー」

 そんな空気を読まずにやってくるおだぴー。スタッフの誰かが居たら『空気読め』ってツッコミ入れてるのが想像できる。

「あ、おねーちゃん、僕にも『いつもの』ちょうだい」

 ほら店員さん苦笑いで返してるよ。

「小田プロデューサーさん、お待ちしておりました」

 と黒川さんが席を譲ろうとする。でもおだぴーは大丈夫というあまり見たことない優しい表情をする。

「君が風祭さんだね。僕はFM江ノ島の小田むつみ。黒川さんからお話を聞いてるよ。僕の思った通りの子だ」

 風祭さんの前に座りながら自己紹介。そいえば最初におだぴーと会ったときもこんな感じだったのを思い出す。そのときは今以上にわたしも自信がなかった。

「君以外に候補は十人以上いたんだよ。その十人の中から番組スタッフ全員が君を選んだ。その理由を想像して聞かせてみてくれないかい?」

「……わたしが一番養成所のキャリアが長いから、ですか?」

「それも理由の一つにあったけど、それは決定的な理由じゃなかったね。もし君が一番短いキャリアだとしても選んだと思うよ。そうじゃない理由は二つあった。思いつかないようなら実践させてみよう。めーちゃんストップウォッチ持ってる?」

「はい! もちろんです」

 わたしが使っているのは一般にスポーツで使われているやつ。わざわざスポーツ用品店で探してきた。

「そうだね、今から『一分半ちょうど』で自己紹介してもらえる? よくオーディションとかでやるじゃん。声は張らないでいいから、そんな感じで」

 おだぴーも腕時計を操作しながら優しい声でお願いをする。わたしもそういうのはちょっと興味があるから風祭さんには悪いと思いつつもワクワクしてる。

「……はいどうぞ」

 キューがでた。

「『日本ヴォイスアクタースクール』タレント養成クラスCクラス『風祭咲』と申します。小学校の頃から声優という仕事に憧れ只今勉強を続けています。趣味は体を動かすことで、夜はラジオや音楽を聞きながら筋トレやストレッチ、ランニングをしています。休日に時間があるとロードバイクでサイクリングに出かけたりするのも好きです。住まいは横浜ですが江ノ島や逗子の方へサイクリングに行くことも多いです。競輪よりは遠くへ走ることが好きなので余裕があれば認定されたコースをロングライドする競技などに挑戦したり、日本一周なんかもやってみたいと思います。なので体力には相当な自信があります。今回ラジオへの出演ということで普段聞いている媒体へ関わることができることはとても嬉しくありますが、反面緊張もしています。至らぬことが多いと思いますがよろしくお願いします」

 ストップウォッチを止めた。

「めーちゃん、どうだい?」

「一分半ジャストです」

「これが風祭さんの特技だよ。サンプルボイスも聞かせてもらったけど、どれも規定の時間ちょうどなんだよ。風祭さん、これ最長でどのくらいまでできる?」

「五分です。それ以上は多少の誤差が出てきます」

 よ、世の中恐ろしい人が居たものだ。そらにぃや多聞さんが好きそうなロボットアニメに出てくる特技みたいだよ。しかもその唯一無二かもしれない特技に自信がないなんて、それは世界の損失と言っても言い過ぎじゃないかもしれないよ。

「この技術は、よく喋り過ぎちゃうめーちゃんをコントロールするのに役に立つと思うよ」

「さ、最近は伸びてないじゃないですかっ!」

 確かにおだぴーの言うとおり、ラジオに慣れてきたころは喋り過ぎちゃうことも多かったけど、今はストップウォッチもしっかり見るし大丈夫だって。

「君の人柄も、特技もそういうことも含めて、めーちゃんと風祭さんは相性が良いと思ったんだ。だから選んだ。これを自信に一緒に仕事をしてもらえないかい?」

 今日であって初めての、花が咲くような笑顔を見せてくれた。わたしは思わず拍手をしてて、黒川さんも、何故かコーヒーを持ってきた店員さんも一緒に拍手してた。


     #


 はー、昨日のラジオ、放送されちゃった……。ちょっと重めのテンションで朝の江ノ電を降りる。

 わたしたちの番組『町松田の湘南鎌倉パラレルワールド』は周波数八三.八のFM江ノ島で水曜日夜九時から放送している。ラジオとしては聴きやすい時間だけど、人によってはドラマを見てる時間でもある。

 そんな時間だけど、わたしの友達や学校の人達はドラマじゃなくて、わたしのラジオを聞いてるという人が結構いる。

 ラジオがどうなるかはまだ言わないでほしいって、おだぴーから言われているから、風祭さんのこととか言えないし、どうやって説明したものか……。

 その『結構聞いてる』うちの誰かが『まやさん卒業するの!? まさかめーちゃんひとりでラジオなの!?』って聞いてくるんだろうなぁ。

「あー! めーちゃんおはよー! ねえねえねえねえまやさん卒業するの!? まさかめーちゃんひとりでラジオなの!?」

 思った通りの台詞が江ノ電の入り口から飛んできた。朝から頭が痛い。

「……おはよう、百合ちゃん」

「ついにめーちゃんひとりでラジオなの! めーちゃんのファン第一号であるこの『座間百合』としては感激ですよー!」

 と言うように、彼女はわたしのファン第一号を名乗って譲らない漫画家志望の『座間百合』ちゃん。秋葉原とか池袋を歩いていそうな女の子。

 まあ、誰がファン第一号だとかはどうでもいい。そんなわたしのファンであり、友達でもある百合ちゃんはいつもカメラを持ち歩いててよくわたしを撮影する。わたしだけを撮ってるわけじゃないみたいだけど、実際彼女が自分で選定してアップしている写真を見ると七割くらいわたし。

「えっと、詳細はまだ言えないんだけど――」

「っていうことはやっぱりめーちゃんついに一人喋りなんだね!」

「どうしてそうなるの!」

 わたしのツッコミは通学・出勤ラッシュの喧騒に飲み込まれてしまうのか、百合ちゃんが都合のいいことしか聞かないお調子者だからなのか、なかなか通じない。

 もー、早く風祭さんのこと話したいよー。こういう放送業界(?)にいると喋っちゃいけないこととかもやっぱりあって、それがたまに辛かったりもする。面白いことがあっても『先日収録のときにこんなことがあってー』みたいなノリで話せないときもある。それに引っかからない珍事件――それこそ、まやさん卒業のお話を直前までわたしだけ聞かされてなかったこととか――は結構話したりする。そらにぃとみちにぃが同僚の話をしても仕事の話をしないのはそういうことろを察しているからなのかもと勝手に思っている。

 でもそれは男子の価値観であって、おしゃべりな女子としては変なストレスだったりする。まやさんはどうしてるのかなぁ。覚えてたら聞いてみよう。

「大丈夫! めーちゃんがどんなにラジオでボケボケなトークしても、百合は応援してるからね!」

「それはどうも」

 ちょうどやってきた北鎌倉方面の電車の音で、気のないお礼が伝わったかどうか分からない。聞こえてたとしてもやっぱり伝わるかどうか分からない。

 電車のドアが開き、降りる人がいなくなってから急がずに電車に乗る。どうせ一駅だし、今乗ったドアの反対側が開くって分かっているので、席が空いててもそのままドアの前で立ってることもある。

「おっ、聞き覚えのある声だと思ったらめーちゃんと百合じゃないか」

「おはよう、めーちゃん、百合ちゃん」

 またもや聞き覚えのある声が聞こえてきて、そこでドアが閉まる。

「おはよー、きょーちゃん、りんちゃん」

「おはー」

 わたしと百合ちゃんもふたりに挨拶を返す。

「昨日のラジオのお話? わたしも聞いたわ」

 おっとりと聞いてきた『足柄京子』ちゃん。湘南というより京都にいそうなタイプの美人。わたしたちの通う『北鎌倉山ノ内高校』学校指定のカーディガンが一番似合う女子ナンバーワンという声もある。

「まやさんのおしゃべりあたしは好きだったんだけど、なにかあったの?」

 と気にしてくれてるのは『和泉りんご』ちゃん。名前で呼ばれるのを嫌がっていてみんなには『りん』って呼ばせてる。京子ちゃんと違いこちらは渋谷とかにいそうなタイプ。制服も着崩してるし、見方によってはヤンキーに見えるかもしれないけどいい子。

「まだ詳しくは話せない、というよりわたしも聞かされてなくて」

「やっぱりめーちゃんが一人喋りなんだって!」

 百合ちゃんそんなにわたしの一人喋りが聞きたいの? わたしがソロでラジオなんて始めたらグデグデで三十分終わっちゃうよ。わたしが来るまでまやさんはひとりで今の番組『湘南鎌倉パラレルワールド』をしてたけど、よく間をもたせられるなぁって思う。

「それはないでしょう。めーちゃんがひとりでラジオなんて、荒野に羊を一匹放り込むようなものだわ」

「それはライオンやヒョウのいい餌だな」

「わたし食べられるの!?」

 きょーちゃんのその例えはどうなの? りんちゃんもわたしのことなんだと思ってるのかなぁ。そりゃ、ひつじ年のひつじ座でさらに名前がめぐみなんだけど……羊じゃないからね。

「そんなめーちゃん見てみたい!」

「わたしは食べられたくない!」

 そんなわたしの友達の中で、一番わたしをおかしな目で見てるのは、今の発言からして間違いなく百合ちゃん。

「それはそうと、先週ラジオで紹介されてたしらすうどんのお店ですけど、父が獲ったしらすを使ってるって聞いたわ」

「きょーちゃん、ホント! すごいすごい!」

 きょーちゃんのお父さんは漁師さんだ。朝日が登る前に船に乗り魚を獲ってくる海の男。朝の片瀬漁港に行くと会えるのでわたしのお母さんとも仲がいい。それを知ったのはきょーちゃんと友だちになったあと。あのときは世間が狭いと感じたなぁ。

 そしてわたしたちの番組のコーナーのひとつ、湘南や鎌倉で活躍する人たちを紹介する『登場! パラレルなひとたち』というコーナー。そこで江ノ島の中に新しく出来たうどん屋さんの方々を紹介した。

「あの時間にうどんとか飯テロにも程があるよー。めーちゃんは食べたんだよね?」

「百合ちゃんが思ってるほどこの仕事はおいしくないよ」

 残念ながら、わたしたちはお店の人が考えた紹介文を読んで、大野さんの書いた台本通りに褒めるだけ。読んでるわたしだってお腹がすくんだから。

「そんなにいいものばっかり食べてたら、めーちゃんは牛になっちゃうだろう?」

「そうしたら『もーちゃん』ね」

「それはそれであり」

「も~、みんなわたしのことなんだと思ってるのー?」


     #


 今日の収録は風祭さんが見学にやってくる。黒川さんも一緒の予定だったけど、別の子の付き添いのために来れなくなってしまったとのことで、由比ヶ浜の駅で待ち合わせてわたしとふたりで行くことにした。

 出演者スタッフの集合は五時。わたしも学校から直で来れば四時過ぎに由比ヶ浜の駅につくから何かあっても間に合うんだけど、結構暇を持て余しちゃうんだよね。時間つぶしに使えそうなところといえばコンビニだけど、一番近いコンビニは海の方まで出ないとないから面倒臭いんだよなぁ。

 だからこうして四時に付いちゃうと誰もいないスタジオに先に来るとか、本を読んでるとかして時間つぶしかな。本を読んでると言っても友達の百合ちゃんから借りたライトノベルだけどね。タイトルは『アクアの世界』という海しかない惑星で繰り広げられる恋愛物語。百合ちゃん曰く、この本が今度アニメ化するらしい。風祭さんは声優志望だったらこういうことに詳しいのかな。機会があったら聞いてみよう。

 ICカードをタッチする機械の『出る』方へタッチすると、茶色いカバーのついた文庫本を取り出して、昨晩の続きを読み始める。

 そんなことを考えながら読んでいると、鎌倉方面から電車がやってくる。由比ヶ浜は鎌倉文学館くらいしか観光地がないので降りる人は地元民くらいだとわたしは勝手に思ってる。このへんはおしゃれなお店や美味しいお店があるからいいと思うんだけどなぁ。

 案の定誰も降りてこないと思っていたけど、きょろきょろと降りてきた見覚えのある子が出てきた。子と言っても年上だけど。

「風祭さん!」

「あ、松田さん。おはようございます。お待たせしました」

「おはようございますー。時間もまだまだ余裕があるので大丈夫ですよ」

 この業界はどの時間でも挨拶は『おはようございます』だ。なんでかは分からないけど、そういうことになってるからあまり深くは考えたことがなかった。

「制服、なんですね」

「学校から直行なんで」

 一回帰る時間はありそうでないし、面倒臭いからね。最初は少し恥ずかしかったけど今は慣れたし、こういう仕事をさせてもらってるなら正しい服装じゃないとって気もするからね。

「それじゃ行きましょうか」

 栞を挟んで本をバッグへ。先導してホームを出ようとすると、階段のところで風祭さんがきょろきょろと何かを探してる。

「どうしました?」

「えっと、ICカードをタッチするところが分からなくて……」

「改札らしい改札がないですからね。今いる入り口のところに立ってる機械がありますよね。ホームの内側が『出る』ときにタッチする方で、出入り口側のが『入る』ときにタッチするところです。『出る』『入る』だけ書いてあったりするとわかりづらいですよね」

 都会の人は無人駅ってどうすればいいか分からない人が多いから、こうして手間取ってる人がいるのをたまに見かける。

 風祭さんが機械へICカードをタッチさせたようでピピッと音がする。大丈夫そうだね。

「では、行きましょう! と言ってもすぐそこですけどね」

 風祭さんに先導して狭い歩道を歩き出す。歩道が狭くても車もあまり通らないし、通っても地元の人だけどね。

 そんな田舎のような道を十分ほど歩くと、青い自販機が何故か離れて置いてあるのが見えてくる。

「ここがFM江ノ島だよ」

 小さな会社のような一階建ての白い事務所。看板には配信している周波数とローマ字で局の名前。建物の前には車が三台ほど駐められる駐車場。車で通勤してるひとは少ないらしく、みんな電車だったり、自転車だったり、はたまた歩いてこれる人もいる。

 目印のような自販機にも看板と同じように周波数と曲の名前があり、いかにもって感じがわたしは好きだったりする。

「ここが、ですか?」

 きょとんとした、というよりここであってるの? と言いたげな表情。

「どうしたの?」

「ちょっと失礼かもしれないですが、ラジオ局ってもっと大きな建物を想像してたので……」

「あー、都内とかだとね」

 都会のほうだとラジオ局って何十階もあって、入るのにセキュリティカードとか必要ってそらにぃから聞いたことがある。忘れないように電車のICカードとかと一緒に持ち歩いてるとか。

「以前に見学に行ったラジオ局だと、一階は一般のかたも入れるようになってて、イベント会場とか物販スペースとかがあったんですよ」

「いずれはそういうところで収録したいです?」

「もちろんです! あ、でもここの仕事がしたくないってことじゃないですよ。声の仕事をする人間としていろいろなところで仕事がしたいってわけで……」

「分かってますよ」

 年上なんだけどこういうところが初々しくてなんだかかわいいなぁ。背が小さいっていうのもあるんだろうけど、しっかりとしてるんだけどいろんなところでギャップがあってそこがかわいい。

 わたしがいる時間は事務員さんやスタッフさんがいるので鍵が開いている。入るとすぐオフィスになってて、構成作家の大野さんの机にある大きな戦艦のプラモが目に入る。曰く『くうぼひりゅう』らしいけど、どういう字を当てるのか分からない。詳しいのはそらにぃだ。

「おはようございます」

「おはようございますっ」

 いつもどおり挨拶をすると、事務員さんたちからも挨拶が帰ってくる。そのあと大きなプラモの向こうから顔が出てくる。大野さんが今日の原稿の準備をしていたようだ。

「おはようめーちゃん。僕以外のメンツは後で来るから先にブース入って待っててー」

「分かりました。あ、それと今日から風祭さんが見学に来てますのでお願いします」

 多分おだぴーから連絡が行ってると思うけど、一応教えておく。うちのスタッフ陣だともしかしたら誰か聞いてないとか言い出しそうだから。

「よろしくお願いします」

「はーいよろしくー。スタッフメンツは打ち合わせのときに改めて紹介するねー」

 そういうと首を引っ込める大野さん。カタカタとキーボードを叩く音がするあたりまだ台本ができてないのかもしれない。

「それじゃ、先に待ってましょうか。ここのスタジオは奥の方にAとBのふたつあって、Bは生放送によく使われるほうだからわたしたちはほとんどAを使ってるよ」

 スタジオの入口には今日の使用予定がホワイトボードで書かれており、わたしたちの番組『町松田の湘南鎌倉パラレルワールド』は四時半~六時までと書かれている。終わった予定から消して一日の収録が終わったら真っ白になり、次の日の朝にその日の予定がまた書かれるという運用になってるらしい。

 電気が付いているミキサールームへのドアを開けて、

「おはようございますー」

 さっきと同じように挨拶をする。

「おはようございますっ」

「と言っても誰も居ないけどね」

「えっ、じゃあなんで挨拶したんです?」

 風祭さんがわたしに続いて挨拶するものだからツッコミを入れちゃったけど、普通に考えたら不思議だよね。

「ほら、わたしってこの業界に入ったの高校一年生のときで『おはようございます』『お疲れ様でした』とかそういう当たり前のことができなくて。それを習慣づけるために人のいるいないにかかわらず挨拶をするようにしてるんだ。スタジオ一番最後に出るときも『お疲れ様でした』って言うんだよ」

「すごいです」

「そんなんじゃないですよ。わたしはボケボケだから、こうでもしないと覚えないっていうか、回数重ねて覚えるので。出演者とかブースに入る人はそこにバッグを置いてくださいね。ケータイとか鳴らしちゃうのが不安だったらバッグに入れちゃうといいかもですよ」

 前に鳴らしちゃって大野さんにすごい笑われたことがある。このスタッフさんたちだからよかったものの、他の方だったらすごい怒られたかもしれないと思うとぞっとするのでこれも結構心がけてる。

 自分で言ったようにブレザーのポケットからケータイを出して、マナーモードを再確認するとバッグの手前に入れる。代わりにペンケースを出してそれをポケットに入れる。学校で使う用のペンケースとは別のをわざわざ用意している。これならどっちか忘れても大丈夫だしね。

 風祭さんも手にはメモ帳とボールペンを用意しており、予想通りとてもしっかりしてるように感じる。メモ帳の角が汚れてたりするあたり、結構な使い込みを感じる。多分あれは公私ともに常備してる。

 準備ができたところで、収録ブースの電気を付けてドアを開ける。明かりがつくとわたしのいつもの仕事場が見えてくる。落ち着く淡い色合いの部屋には、四本のマイク、束ねられたたくさんのコードが見える。

「やっぱりブースが気になります?」

「はい」

 電気をつけたのに気がついた風祭さんはガラス越しに見えるブースを熱い視線で見つめていた。恋する乙女のような目、あこがれの劇場の舞台を見つめる目、わたしの居場所というのは風祭さんにとってそういう場所なのだろう。

「他の局のブースは入ったことあるんですっけ?」

「いいえ、収録の見学だけでしたのでブースまでは入ったことがないです。パーソナリティ体験とかそういうのはカリキュラムでもないので」

「じゃあ、今日はブース内で見学できるようにお願いしてみましょうか?」

「えっ、そんなご迷惑じゃ」

「大丈夫ですよ。ちょっと音立てたくらいじゃマイクに入りませんし、作家の大野さんもマイクに乗っちゃうくらい大笑いしますよ」

「でもそれって、リスナーの笑いを煽るためって聞いたことがありますよ」

「えっ、そうなんですか?」

「そうだよー。だから、僕の大笑いは計算なんだよ」

 とミキサーブースに大野さんがやってくる。手に持ってるクリアファイルを見るあたり今日の台本ができたようだ。

「でも大野さんあまりに笑うから、前にミスターから大笑いするときはそっぽ向いてくれって言われたじゃないですか」

「マイクに乗るくらい笑わないとリスナーに伝わらないだろう」

 あの馬鹿笑いはあくまでリスナーの笑いを煽るという演出だということを譲らないらしい。笑われてる身としては納得いかないけど。

「はいこれ今日の台本」

「はい、ありがとうございます」

 台本を大野さんから受け取って早速読んでみると、最初の方にはやっぱりまやさん卒業の話から触れるみたいだ。お便りも結構来てるっぽい。

「はい、風祭さんも」

「えっ、私も見てもいいんですか?」

「そりゃそうだよ~。番組の雰囲気を掴んでほしいからね。台本見るのも初めてでしょう? だったら見慣れておかないと」

 見学だから文字通り本当に見るだけだと思っていたようだ。わたしも最初まやさんの番組を見せてもらったときは、大野さんから台本をもらった。百聞は一見にしかずって言われたことを今でも覚えている。

「僕にももらえるかな?」

 ひょっこりとおだぴーが出てきた。

「おっ、おはようございます、おだぴー」

「おはよう。風祭さんも一緒に来てくれたんだね」

「はい、おはようございます」

 おだぴーもやってきた。大野さんから台本を受け取るとミキサールームのソファーに腰掛けて、台本を読み始める。

「まやの姉さんが卒業するって昨日放送されたけど、メール来てる?」

 おだぴーもやっぱりそこが気になるみたいだ。

「すごい来てますよー。放送終わってから十分で届いてるメールとかも」

「あー、やっぱり熱狂的なファンはそうだよねぇ。でもまやさんには他に出てほしい番組ができちゃうからねーむふふ」

 おだぴーの含み笑いからしておそらくは、別の番組を企画してるんだろうと思う。まやさんは今かなりのファンが付いている。それなのに番組から卒業させるってことはそれなりの理由があってのことだと思う。

「おはようございます。大野さん、コンビニで頼まれてたものを買ってきたけどこれでいいかな」

「タカはこういうの見分けがつかないからあまり頼まないほうがいいですよ」

 続いてディレクター組の多摩さんとミスターがやってくる。『タカ』と『にゃおじ』で呼び合うのは、高校時代からの親友ならではって感じ。わたしも高校出てからも『めーちゃん』って呼ばれたら嬉しいかもしれないと、おふたりを見ててそう思う。

 そんなミスターから受け取ったコンビニの袋を確認する大野さん。

「あってますよー。いやぁ、助かりました。鎌倉駅の中のコンビニに置いてなくて」

 そう言いながら取り出したのはペットボトルのコーヒー。何やらおまけがついている。もしかしてオマケ目当てで買ってきてもらったの?

「海上自衛隊の護衛艦シリーズって書いてありますが、僕にはどれも同じに見えるんですけどねぇ」

「いやいや、こんごう型とむらさめ型とじゃ全然違うじゃないですか。しかも今回はあきづき型とかしらね型も加わった超豪華ラインナップ! 原稿が溜まりまくってて、これを発売日に手に入れられないと絶望してましたが、ミスター本当にありがとうございます。これでそら君に自慢できますよ」

「いやいや、そんな大したことしてないですよ」

「ほんとにな」

 物腰柔らかな声でミスターが言うけど、対照的に多摩さんの呆れた声に思わず笑う。本当にここのスタッフは面白い人ばかりだ。

「ごめんね、風祭さん、変な人ばっかりで」

「あ、いえそんな」

「いえ、おだぴーに言われたくないです」

「同意」

「僕もですよ」

 大野さんを筆頭におだぴーの『変な人』発言を否定するスタッフ陣。コントのような流れに思わず笑う。

「君たちそれはあれだよあれ! まるで僕があれだからこうなったと言ってるようなものじゃないか」

「おだぴーさん、類友って言葉ご存知です?『類は友を呼ぶ』おだぴーさんのやってる番組だからこそスタッフが濃いんですよ?」

「あ、まやさんおはようございます」

 おだぴーに的確なツッコミを入れてエレガントに現れたまやさん。そのエレガントで切れ味のある指摘はとても魅力的だ。ラジオの仕事をやらせてもらう前からファンだったのはそんな魅力もあるからこそ。

「おはようめーちゃん。残り四回になっちゃったけどよろしくね」

「はい、こちらこそ!」

「ま、まやさんの言うことは置いておいて……みんな揃ったし打ち合わせ始めようか?」

「逃げましたねおだぴー」

「俺達をイロモノ扱いしたツケは今度払ってもらいましょう」

「そうですね~」

 時計を見ればちょうど4時半。集合時間までのやりとりはとても濃厚だった気がする。


「改めて、おはようございます」

「おはようございます」

 さっきまでの冗談ばかりのやりとりとは打って変わって最初の挨拶は丁寧だ。こういうところを見てるとみんな根はすごい真面目で、しっかりした人たちがそろっていることがとてもよく分かる。

「先日オンエアに乗りましたが、次のあれにあわせてまやさんは当番組を卒業してしばらく休暇をとることになります」

「『改変にあわせて』ですね」

 おだぴーの『あれ』や『これ』が分かりにくいときに補足を入れるのはだいたいミスターの仕事。この人は技術的にもすごい優秀なのにADみたいなサポート役に徹することが多い。性分なのだろうか?

「それに合わせてめーちゃんの新しいパートナーになる風祭さんが今日の収録から見学に入ります。皆さん仲良くしてあげてくださいね」

「風祭咲です。どうぞよろしくお願いします」

 おだぴーの紹介にあわせて風祭さんが丁寧に挨拶をする。かっこいい社会人みたいですごい。ここの人たちがこういう挨拶というか、やりとりをしているのを見たことがないから新鮮だ。そらにぃ曰く、うちのスタッフはどこ行ってもこの調子らしい。

「んじゃ僕から時計回りで自己紹介してね。僕はお初じゃないけどプロデューサーの『小田むつみ』みんなからはお菓子みたいに『おだぴー』って呼ばれてるよ。君もそう呼んでくれていいからね」

「は、はい……お、小田プロデューサーさん」

「慣れたらでいいからね」

 おだぴーは気軽に話しかけられるタイプの人だから、すぐに慣れてくれると思う。

「んじゃ僕だね。構成作家の大野多聞。『多くを聞く』って書いて『たもん』って読む。珍しい名前って言われるけど、第二次大戦中の軍人さんからとったかっこいい名前なんだ。おだぴーみたいにボケてないからわからないことがあったらなんでも聞いて」

「はい、よろしくお願いします」

 番組を始める前からそらにぃからよく大野さんのことは聞いてたし、配置上一番やりとりをするもんで、なんやかんでよく喋る。とりあえず軍艦とかロボットの話をふっちゃいけないって後で教えておこう。

「俺はディレクターの多摩。他の男性陣みたいにおかしな癖のないまともなヤツだから、あまりに周りが濃くてドン引きだったら俺に相談しな」

「わ、分かりました。よろしくお願いします」

 几帳面、カフェイン中毒、毒舌ツッコミと癖がないってどの口が言うのかってツッコミをしたいけど逆襲が怖いのでやめておく。でも、飲んだコーヒーでピラミッドを作ったりせず、缶をしっかり捨てるのはある意味癖がないのかも。その代わり多摩さんは毎日ゴミ袋を取り替えている。

「僕はさっきのにゃおじの同級生で、ADの北沢隆雄だよ。音響周りは僕がしっかり見てるから、本番のときは遠慮無くしゃべってね」

「はい、よろしくお願いします」

「おいタカ、新しい子の前で変な呼び方するな」

 多摩さんからミスターへのお決まりのツッコミが入る。このやりとりホント飽きないでやってるなぁ。今度一日で何回やるかカウントしてみようかな。そんな北沢さんこと『ミスター』はいっつもいい笑顔で笑ってる。

「わたしは町田まや。ウチの番組は聴いてくれてるのなら、自己紹介は不要かな」

「ランニングしながら聞いてます。先日お話していた歌唱力をつけるための筋トレ方法すごいためになりました」

「友達の受け売りだけどね。それでもそう言ってくれるのはうれしいわ」

 その話はわたしもすごい印象に残っている。まやさんのお友達のアイドルの人がリズム感覚と筋力を同時に鍛える方法として、音楽にあわせて腹筋や背筋をしているらしい。ダンスは自分のペースじゃなくて音楽にあわせて行うのだから、体も自分のペースではなく音楽に合わせて作っていかないといけないという発想らしいけど、歌を唄うことを仕事としていないわたしでも目からうろこの話題だった。

「そして最後は……」

 まやさんにバトンを渡されたので、

「改めまして、松田恵海です! ラジオを初めて一年で、そこから養成所に通ってる未熟者ですがよろしくお願いします」

「未熟者だなんて、松田さんのトークは等身大で共感しやすくてすごいと思いますよ」

 風祭さんに褒められるとなんだか恥ずかしい。ここまでまじめにやってる人からすれば、わたしのトークなんか未熟だと思ってるのに。

「めーちゃんはキャラ作りせずありのままなのがいいからねー」

「そらくんの推薦だけはあるよ」

「めーちゃんの声はいじってて楽しいよ」

「たまにおだぴー以上のボケをかましてくるけどな」

「めーちゃんと話をしていると女子高生に戻った気分になれるわー」

 とスタッフ陣が片っ端からわたしのことをつぶやく。数名褒めてるのか貶してるのか分からないけど。

「はい、そういうメンツでこのラジオはやってるよ。風祭さんも急には難しいかもしれないけど、ゆっくりでいいから仲良くしてくれるとうれしいな」

「はい、皆さんよろしくお願いします」

 パチパチパチパチと温かい拍手で風祭さんを歓迎する。わたしも早く仲良くなりたいなぁって思う。

「じゃあ、今日の流れを多聞くんから」

「今回の収録ですが、まやさん卒業のオンエア直後結構なメールが来てます。早いと放送十分後には熱いお便りがあって、こういうお便りを紹介しないのは惜しいって感じがある。なのでお便りのコーナーをちょっと多めに作ってあるから、このあとメールの選定を出演者とおだぴー、俺でやりたいからよろしく。予想だと次回はもっと多いから、来週はディレクターふたりも選定たのむ」

「分かりました」

「了解だ」

 ディレクターはこういうのに関わらないんだけど、よっぽどメールが来てるんだろうなぁ。うちは普通のお便りも受け付けてるからもしかしたら、来週はそれも多いかもしれない。まやさんはアナログなおたよりをすごい好むから優先して選びそう。

「んで今日の一曲もまやさん絡みでリクエスト来てるから、用意を頼む。前にもかけたことあるから多分曲データ残ってるんじゃないか」

「そうだね。前にかけた覚えがあるよ。会社のライブラリから引っ張ってくる」

 大野さんとミスターが言うようにわたしもこの曲は覚えがある。曲紹介もしてるし、わたしもCDを買ったからなおさら。

「後半からは、梅雨の時期のイベント特集で紫陽花スポットの紹介。写真があるんだけど刷ってくるのを忘れたから、あとで持ってくる。三枚ほどあるんだけど、一枚につき二分ほど感想をよろしく」

「それって、予め見ておいたほうがいいです?」

 そいえばあまり写真を見てそれについてコメントするってやったことがなかった。いろいろ聞いてると、投稿された写真についてしゃべってるけど、あれって予めチェックしてるのかなぁ。

「新鮮なリアクションが録りたいから本番中に差し込む予定。場所は台本に書いてあるからどんなんか想像しておけば感想はまとめやすいかもな」

「分かりました」

 他のラジオもそうしてるかな。体感だけど大野さんは結構差し込みが多い印象。でもまやさんにはいかないから、もしかしたらわたしだけ? 大野さんならやりそうだけど……気にしないでおこう。

「今日の大まなか流れは以上。あとは台本読んでおいてくれればいいかな」

「僕からは特にないよ。じゃ、何かある人?」

「はい、風祭さんの見学なんですけど、収録ブースの中でしてもらうのってOKです?」

 手を上げてさっきの件を確認する。

「プロデューサーとしてはOK、ディレクターとしてはどうかな?」

「僕はかまいませんよ。現場の空気を直接感じて欲しいです」

「俺もOKだけど、多聞みたいなでかい声出さないよな」

「はい、ありがとうございます」

 お礼を言うと風祭さんと顔を合わせる。彼女としては意外なOKだったようで、きょとんとした表情。そのはとハッとして、

「あ、ありがとうございます。勉強させていただきます」

「だからー、僕の笑い声はリスナーの笑いを煽る演出なんだって!」

 喚く大野さんを尻目に、みんなぞろぞろと持ち場に移動し始める。やっぱりみんな演出だなんて思ってないじゃん。


「それじゃ、本番オープニングから回しますー。3、2、1」

「町松田の湘南鎌倉パラレルワールド!!」

 カウントが始まってからガフのスイッチを入れて、タイミングで声を合わせて元気にタイトルコール。ここがうまくいかないと全部つまずくので結構慎重に声を出してたりする。

 ロックフェスとかで流れてそうな軽快で夏らしいインストゥルメンタル(通称インスト。ヴォーカルが入ってない音楽)が流れだして、

「FM江ノ島をお聞きの皆さんこんばんは、パーソナリティの町田まやです」

「こんばんは、同じくパーソナリティの『めーちゃん』こと松田恵海です」

「この番組は――」

「江ノ島、湘南、鎌倉の面白いこと、噂のお店、地元の方もあっと驚くスポットのお話をする情報バライティ番組です」

 最初はカミカミだった番組の概要だけど、今ではスラスラと読めるようになった。誰もいない海岸で永遠と練習してたのも過去のお話。

「今回の『発見! パラレルワールド』の特集は……やってきました紫陽花の季節『あなたの好きな紫陽花スポット』です。藤沢市、鎌倉市、逗子市のにあるあなたの好きな紫陽花スポットを教えて下さい。ということでたくさんのお便りを頂いていますので、番組後半にお送りいたします」

 まやさんが特集の紹介をしたあとはオープニングトーク三分ほど。テーマは紫陽花と書かれている。どういう風に話をつなごうかは、台本チェックのときに決めてメモしてある。まやさんくらいになると単語だけ書いてあったり、本当に何も書いてなかったりするけど、わたしの場合は具体的に書いてある。

「この時期はたくさんのカメラマンさんが鎌倉に来ますよね。江ノ電に乗ってると、重そうなカメラケースとか、高そうなカメラとか持ってる人をたくさん見ます」

「海外からもたくさんの人が来てるわね。私たち地元民でも綺麗だって思っちゃうくらいだもんね」

「そうですねぇ、学校へ行く途中で紫陽花に見とれてふらふら~っとお寺に行っちゃいそうになるんですよ」

「あら? お寺に修行に行くのかしら?」

「紫陽花を眺めながらのんきにできるならそれもいいかなぁ……って思うんですけど、お寺の修行はそんなに甘くないですよね」

「うふふ、めーちゃんもよく分かってるじゃない」

「めーが座禅してたらすぐにうとうとして、すぐにスパーンってされるところまで想像できます……」

 この自分のことを『めー』と呼ぶのはわたしの精神年齢が幼いとか、百合ちゃんのマネとかじゃなくて自分が誰であるかリスナーに分かりやすくするためのコツみたいなもの。ラジオだと誰がしゃべっているのか分かりづらく、特に初めて聞く人にはどんなひとがいるのか分からないので、一人称を苗字や名前、アダ名にして声と名前を覚えてもらおうというテクニック。同様にふたりだけの番組でも相手をしっかり名前やアダ名で呼ぶことで相手の名前を覚えてもらったり、誰に呼びかけているのか分かりやすくするということもしている。

「学校をサボることを考えてるような子は、一度スパーン! ってされたほうがいいんじゃないかしら?」

「サボりたいなんて言ってないじゃないですか。紫陽花ですよ紫陽花! 紫陽花が綺麗なのがいけないんですって」

「座禅体験ができるお寺もあるのよ。もちろん紫陽花の綺麗なお寺で」

「それじゃ紫陽花を見に行くのか、スパーンってされに行くのか分からないじゃないですか」

「今度一緒に行きましょう?」

「この番組のスタッフさんと行ってください。めーは学校があるので」

「座禅体験は土日もやってるわよ」

「土日は土日で養成所の授業がありますー」

「うん? 特番組むから仕事としていきましょう? お金はFM江ノ島で持ちますよ? はい、今プロデューサーさんのOKでました」

「アーハッハッハー」

「なんでノリノリなんですか!?」

 おだぴーも急に変なこと言い出すし、大野さんまた馬鹿笑いしだすし、多摩さんもミスターもスルーだし、も~。

「めーちゃんが座禅行きたいっていうから」

「言ってないです! どうして先日といいこういうところだけみんなまとまるんですか!?」

 大野さんはまだ壁に向かって大笑いしてる。やっぱり演出なんかじゃなくて、素で笑ってるよ。

「出演者、スタッフが綺麗にまとまったところで『町松田の湘南鎌倉パラレルワールド』スタートですー」

 まやさんが綺麗にまとめてくれる。ストップウォッチを見ると三分ちょっと過ぎたところ。でも大野さんまだ笑ってる。

「多聞の気が済んだらふつおたコーナー録るぞー」

 ミキサールームから多摩さんの声が聴こえるけどお構いなし。

「特集OKとは言ったけど、僕は座禅しないからね」

「「「「「えっ?」」」」」

 風祭さんと、変なことを言い出したおだぴー以外の全員が同時に声を出した。

「いや、おだぴーはスパーンってされるべき」

「多聞くんだってあれなところスパーンって」

「あれじゃわかりませんって」

「はいはい、ふつおたコーナー録りますよー」

 と両手を叩いてミスターが止めに入る。


「ふつおたコーナー回しますよー。3、2、1」

 多摩さんの鳴らない指パッチンキューにあわせてストップウォッチを押す。

「改めまして町田まやです」

「同じく松田恵海です」

「皆様から頂いているお便りをご紹介したいと思いますが、先日の卒業の件について改めてお話したいと思います」

 まやさんはいつも以上に姿勢を正して、

「私、町田まやは六月二四日のオンエア回を持ってこの番組を卒業いたします。ですがこの番組がなくなるわけではないので、七月からも引き続き『町松田の湘南鎌倉パラレルワールド』をよろしくお願いします。私はしばらくお休みをいただくので、戻ってきましたら別の番組に出演させていただくことになりますのでご安心ください」

「はぁ……」

 まやさんがひと通り説明すると思わず安心のため息が出た。当たり前だけど台本にない。

「ちょっとなんでめーちゃんが安心してるの?」

「だって、わたしまやさんがこのラジオで一緒にやってる仲間でもあって、大ファンなんですよ。まやさんがラジオをやめちゃったらどうしようかと――」

 あっやばい。この流れは進行切っちゃってるかもしれない。反射的にミキサールームを見ると、

(続けて)

 と多摩さんの声がイヤホンから聞こえてくる。おだぴーもミスターもやさしく笑っている。

「大丈夫よ。私はこの仕事大好きだもの。もちろんこの番組も。それに――」

「それに?」

「まだ多くは話せませんが、めーちゃんはひとりでこの番組を続けるわけじゃないからね」

「は――」

 わたしよりも先に風祭さんが『はい』と返事を言いかけた。言い切ればとてもよい返事だったであろうけど、今は慌てて口を両手で抑えている。

(多聞くん、今の乗ってないって風祭ちゃんに伝えて)

「では、そんなめーちゃんみたいな心配性さんたちのメールをご紹介したいと思います」

 ミスターとまやさんの声が同時に聞こえてきた。おふたりともナイスフォローだ。原因作ったのはわたしだから前半パート撮り終わったら謝らないと。

 大野さんはメールを一通まやさんに渡す。

「ラジオネーム『海の男』さんからです。ありがとうございます」

「今のマイクに乗ってないから安心して」

 まやさんがメールを受け取ると、すぐに大野さんは風祭さんにさっきの返事のことを伝える。風祭さんは安堵の表情。

「『まやさんめーちゃんこんばんは』 はいこんばんは」

「こんばんはー」

「『まやさんがこの番組からいなくなってしまうと聞いてすぐにメールを打っています。改編期にあわせてのようですが、番組が変わってしまうのでしょうか。気になって昼しか寝てません教えてください』とのことです。夜寝てくださいね」

「実はわたし、詳細をあまり聞かされてないんです」

「あれ、そうなの?」

「はい、わたしもこの『海の男』さんたちリスナーさんと同じくらいのことしか聞かされてないんじゃないかと」

「そうなんですか?」

 視線がおだぴーに集中する。

(ごめん忘れてた)

「ちょっとおだぴー!!」

「アーハッハッハー」

「はい、今プロデューサーから『ごめん忘れた』といただきました。私本当に降りていいんですか? なんだか不安になってきました」

「わたしも不安です」

「それじゃこうしましょう。めーちゃんが知ってて、今発表できることをここでご紹介してもらって、そこからリスナーさんにお伝えできることを私から紹介するってことでOKです?」

(それで)

「OKでましたね。ではわたしが知ってるのは、番組リニューアル、わたしやスタッフさんはそのまま続ける……くらいです」

「これだけ聞くと本当に何も知らない感じに聞こえるわね」

「実際そうですよ」

「それじゃ、リニューアルについてもうちょっと詳しくお伝えしますね。まず、タイトルが少し変わります」

「少し?」

 風祭さんとの初顔合わせのときにタイトルについては聞いていたけど、ここは知らない体で話をすすめる。そのほうがリスナーさんにも説明しやすいと思った。

「本当に少しだけね? 肝心の内容はまったく変わりません。今までどおりの情報バライティ番組です。パーソナリティについては……来週またお伝えできればと思います。めーちゃんからもご紹介がありましたが、めーちゃんはそのまま続けてくれるのでファンのみんなは安心してね?」

「はい、これからもよろしくお願いします!」

「これでリスナーの皆さんもめーちゃんも安心してくれたと思いますので、次のお便りをご紹介しましょう」

 大野さんが束の真ん中くらいのところからメールを抜いて、まやさんに渡す。

「ラジオネーム『猫になりたい』さんから頂きました。ありがとうございます。まやさんめーちゃんこんばんは」

「こんばんは」

「『まやさんがこの番組を卒業と聞いてびっくりましたが、何か理由があるのでしょうか? まやさんに新しい番組が始まるとか、まやさんが歌手デビューとか、まやさんが湘南の海沿いのレストランを開業するとか? 気になる人も多いと思いますので理由を教えていただけますか』とのことです」

「わたしまやさんがお休みする理由も聞いてないんですよ」

 台本には二通目のお便りのあとにこの話をすることになっているけど、その肝心の理由はやっぱり書かれてない。大野さんのアバウトな台本がいつにも増してアバウトに見える。

「理由は二つですね。ひとつはお便りの中の予想にも入ってました、新しい番組が始まります。ですがまだ企画が動き出したばかりなので、詳細をお伝えすることができるのはだいぶ先になってしまうかもしれません」

「わたしも楽しみですー」

「うふふ、ありがとう。もう一つは……お恥ずかしながら私、ママになります」

「ええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」

 悲鳴にも似たような声を出してしまった。前回の突然の卒業宣言以上に驚いた。驚きのあまり顔が熱くなってきて周りからすると真っ赤な顔になってるだろうなぁと思うけど、まやさんもちょっと顔赤い。

「安直に言ってしまうと産休ですね。落ち着いて仕事ができるようになるまではラジオのお仕事自体をお休みすることになっています」

「ま、まやさん……お、おめでとうございます」

 放送事故にならないようになんとかトークを繋がなければいけない。でもショックが大きすぎて水揚げされた魚みたいにパクパクと口を動かし、なんとかして声を出す。

「めーちゃんありがと。まだ男の子か女の子か分からないけど、分かったらまた番組内でお伝えしようと思います」

「これも皆さんは御存知で、私だけ知らないってドッキリですか?」

 スタッフみんなが頷いた。

「みんな頷いてるのでそうみたいですね……」

「ごめんね、めーちゃん。でもめーちゃんの素直なリアクションが私は好きなの」

「ないと思いますが、これ意外にわたしに仕掛けてるドッキリってないですよね? ……なんでみなさんそっぽ向くんですか?」

「うふふ、めーちゃんかわいい」

「あまり褒められた気がしませんけど」

「そんなことないわよー。あ、ほらこのお便り読んで」

 大野さんがまやさんに差し込んだお便りをわたしにパスしてくる。これはお便り選ぶときにわたしがチェックしたやつには入ってなかった。

「ラジオネーム『湘南の虎』さんからいただきました。ありがとうございます。『こんばんは。まやさんがこのラジオのパーソナリティを抜けてしまうということは、僕を含めリスナーも驚いたと思いますが、それと同時にめーちゃんのリアクションが面白くて久しぶりに大笑いしました』」

「ほら、リスナーのみなさんもめーちゃんのことかわいいって思ってるわよ」

「これって褒められてるのか分からないですけど、続き読みますね。『番組の今後は気になりますが、まやさんとめーちゃんのファンとしてこれからもおふたりの出演する番組を聴き続けたいと思います』ありがとうございます……」

「ほらほら、このラジオのヘビーリスナーさんもそう言ってくれてるし」

「ちょっと引っかかりますけど、ラジオを聞いてくれるのはうれしい、です」

「はい、めーちゃんも納得してくれたのでここで一曲お聞きいただきましょう。リクエスト頂いております。『芯なしホッチキス』さんのリクエスト『アレン・サムナー』で『I don't forget your voice』」


「「発見! パラレルワールド!!」」

 録画してあるジングル(番組の開始や節目などに使われる音楽やタイトルコール。テレビ番組でいうアイキャッチ)をキュー代わりにタイミングを合わせて次の説明、

「このコーナーでは湘南や鎌倉の知る人ぞ知るスポットや、新たな発見を特集、募集したりするコーナーです」

「今回の特集は、やってきました紫陽花の季節『あなたの好きな紫陽花スポット』です。藤沢市、鎌倉市、逗子市のにあるあなたの好きな紫陽花スポットを教えて下さいという、テーマで募集しました」

 わたし、まやさんと交互にコーナーの趣旨を案内すると、大野さんから印刷したメールを受け取る。メールを読むのもわたしから。

「では、めーからご紹介しますね。ラジオネーム、呼び捨て希望『レンズ野郎』から頂きました、ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 たまにいる『呼び捨て希望』さん。構成作家大野さん曰く『ドM』、パーソナリティまやさん曰く『フレンドリーに接してもらいたい方』、友達の百合ちゃん曰く『豚』らしい。ラジオ関係者としては神様に等しいリスナーさんを呼び捨てにするというのは結構気がひけるんだけど、その神様のご希望ということであれば仕方なくその通りに呼ぶ。

「『めやさんめーちゃんこんばんは。江島神社から西の方、交番のあるところですね。赤い橋をくぐって坂を登って行くと紫陽花が見えてきます。観光客の方はあまり通らない道なので穴場スポットです。その先にも何箇所か咲いてるところがあるので、海を見ながらゆっくりと歩くのが楽しいです』とのことです、ありがとうございます。写真も添付していただきました。写真は後ほどFM江ノ島の公式ブログにアップいたします」

 写真の件はお便りに追記されていたので、そのまま読んだ。ブログは毎週放送後におだぴーや大野さんが更新することになっていて、オンエア後にわたしも確認している。変なことが書かれてないか。

「紫陽花を見に来る方のほとんどは、鎌倉のお寺に行く印象だけど、江ノ島の中もたくさん咲いてるのよね」

「江ノ島のたこせんべいを食べながら紫陽花を探すと楽しいかもしれませんね」

「めーちゃんって『花より団子』な考え?」

「そ、そんなことないですよー」

「ふふ、では続きまして町田から、ラジオネーム『与太郎』さんから頂きました。名前は『太郎』ですが女性ですね、ありがとうございます。こちらも江ノ島の紫陽花ですね。『エスカーの2カ所目の乗り場の隣に色とりどりの紫陽花がたくさん咲いていますよ』とのことで写真も頂いております……これすごいわね、紫陽花がたくさん固まって大きな紫陽花になってるみたい」

 わたしが見たいと言う前に、まやさんがお便りをそのまま見せてくれる。

「形が丸くなってて面白いですね。写真も素敵ですが、これはぜひとも現地で見て欲しいです。エスカーに乗ってても見つけられる箇所なので、階段がちょっと辛いと思っている方でも見れるので、行ってみてはいかがでしょう」

 江島神社から展望台の前までをつなぐ屋内エスカレーターが『江の島エスカー』 階段が多いから体力に自信のない人がよく利用する。有料だからケチなわたしは使わないけどね。

 そいえば、施設や建物によっては江ノ島の『の』がひらがなだったりカタカナだったり、または省略されてたりするんだけど、なんでだろう。

「江ノ島は階段が多くて、それを登ってまで探すのはちょっと……と思ってる方でも、こういう場所なら行きやすいのではないでしょうか?」

「はい、では次はめーから。ラジオネーム『自称湘南人』さんから頂きました。ありがとうございます。『まやさんめーちゃんこんばんは。自分のおすすめは定番の明月院ですね。明月院ブルーと言われている真っ青な紫陽花は、初めて行ったときに圧倒されたのをよく覚えています。おふたりは明月院に行ったことはありますか?』とのことです」

「町田は、小さいときに行ったきりかもしれないわ。それだけ有名な場所だと平日でもひとが多くて、ゆっくりできないのよね」

「めーは行ったことないんですよ。テレビとかでよく見る有名なお寺っていうのは知ってるんですけど、地元の観光スポットってあまり行かないのが身元民あるあるで、めーもその例にもれないというか……」

「違う市の方や他県の方だと『どうして?』って思うのよね。町田も親戚の方に言われたことがあるわ」

「行ってみたいとは思うんですけど、最近は土日も勉強してて難しいですね。祝日と言いたいけど、六月って祝日ないんですよね」

「そうなの?」

「こういう業界の方だと曜日感覚はあっても、祝日って関係ないですから。これも『あるある』です」

「では次は町田から。ラジオネーム『食べかけカルパス』さんから頂きました。ありがとうございます。わたしのおすすめは『長谷寺です。明月院と並び、鎌倉では有名な紫陽花スポットです。ただ、このスポットは有名すぎて入場まで2時間待ちなど、夢の国と同じくらいの待ち時間ができることもあります。行かれる場合は平日を狙ったり朝一に着くように行動したりする工夫が必要になるかもしれませんね』とのことです」

「ほへー、二時間待ち。確かに夢の国みたいですね」

「私もお寺で二時間待ちなんて聞いたことなかったわ」

「長谷寺って近くには大仏様もあるから、そっちのほうが混みそうな印象ありますが、みんな紫陽花の方に行っちゃうんですね」

「その後に大仏様へ行く方も多いのではないでしょうか。次が最後かな。ラジオネーム『マリー』さんから頂きました。『わたしのおすすめは御霊神社です。名前だけ言われるとどこ? と思われてしまうかもしれませんが、極楽寺駅と長谷駅の間にある神社といえば、お分かりになるかもしれません。江ノ電に乗ってると見える神社です。その神社は江ノ電と紫陽花を撮影することができる写真家の中では有名な場所で、ケータイ電話のカメラが普及した昨今、さらに撮影する方が増えた気がします。おふたりもケータイのカメラで紫陽花を撮影してみたはいかがでしょうか』とのことです。ありがとうございます」

「あの神社って、観光雑誌によく使われる場所ですよね。前にやってたミステリードラマでも、ヒロインの勤める古本屋さんがそこにあるって設定でしたよ」

 そのドラマの古本屋さんだけど、実際の設定は北鎌倉らしい。

「紫陽花の季節以外は人が少なくてとても静かな神社です。鳥居の真ん前を通る江ノ電もとてもステキなので、オフシーズンもお勧めです」

「まやさんは行ったことあるんですか?」

「ええ、前は鎌倉の方に住んでてね。ここへはひとりになりたいときとか、考え事をしているときによく来てたの。鎌倉って立派なお寺も多いけど、御霊神社みたいな静かで落ち着く神社やスポットも多いのよ。めーちゃんもそういう場所ってない?」

「ありますあります! でも紫陽花は咲いてないので、また今度お話しますね」

 ふつおたのコーナーなら話したかもしれないけど、今は紫陽花の話がメイン。あまり脱線するとリスナーさんも変に思っちゃうからね。

「では町田から次のおたよりを。ラジオネーム『みさ』さんからです。ありがとうございます。『わたしのおすすめは和田塚駅のホームの前にあるお茶屋さんです。古都鎌倉らしいお茶屋さんで、紫陽花を眺めながら、江ノ電の音を聞きつつ美味しいお茶や和スイーツを味わえます』とのことです」

「めーは行かないんですけど、友達がよくここでお茶してるそうです。行ってみたいなぁとは思うんですけど、わたしなんかが行ってもいいのかなって」

「わたしはラジオの先輩に誘われて一回行ったことがあるわ。確かにいいお茶屋さんなんだけど、座敷に正座して静かにお茶を味わうから、おしゃべりなめーちゃんには合わないかもしれないわね」

 まさにお嬢様のきょーちゃんが行くお茶屋さんだからもしかしたらって思ってたけど、わたしには合わないかもしれないなぁ。

「わたしは街の『ムーンライトコーヒー』でワイワイするのが一番です。お花とは程遠いですけどね」

「でもこういう女子トークって『話に花を咲かせる』って言うじゃない? いいのよ、めーちゃんも綺麗な花よ」

「あ、ありがとうございます。つ、次のお便り行きましょう! うん」

 まちさんに面と向かって褒められた(?)からか、なんだか恥ずかしくなってきたので大野さんへメールを急かす。大野さんはメールを渡してくるも、ニヤニヤとしたその顔に一言申したいところだけど収録中なのでスルーする。

「ラジオネーム『江ノ電監督』さんからいただきました。運転手さんか駅員さんでしょうか? いつもご苦労さまです」

 みちにぃが江ノ電の運転手をしているからか、なんとなく親近感がわいたのでラジオネームにリアクションしてみた。

「お世話になっています」

 いつもなら『ありがとうございます』のところをアドリブで返してくる。わたしのパッと出の思いつきに乗ってくれるのは嬉しい。

「『僕のおすすめは藤沢駅です。えっ、と思われるかもしれませんが、この時期になると江ノ電の改札正面の時計はたくさんの紫陽花で彩られます。これを見てから江ノ電に乗られるお客様の笑顔が大好きです』と頂きました。ステキなお便りですね」

「町田は藤沢駅をあまり利用しないのですが、このお話を聞いて行ってみたくなりますね」

「すごいキレイですよ。兄が江ノ電に勤めていて、この飾り立ての写真を送ってくれたんですが、その後わざわざ藤沢駅まで見に行きました」

 カメラマンさんみたいに江ノ電の車両が来るのを待って、紫陽花と一緒に写真を撮るということを毎年している。あれは沢山の人に見てほしいと思っていたけど、江ノ電の方もそういう風に思ってるんだなぁ。

「それじゃあ、今度辻堂にお買い物に行くとき寄ってみようかしら」

「そんなわけでたくさんのお便り有難うございました。ここでもう一曲お送りしましょう。この時期にピッタリの曲ですね。『レベッカ望月』さんで『雨の日の過ごし方』です」


「はい、お送りしていました『町松田の湘南鎌倉パラレルワールド』エンディングのお時間でございます」

 エンディングのお知らせの分担はまやさん、わたし、まやさん、わたしのように交互に言うことになっている。わたしがラジオで最も苦手としていたのが次の住所をいうところ。

「番組では音楽のリクエスト、湘南や鎌倉のアッと驚く情報、各コーナーへのお便り、普通のお便りや私たちへの質問をお待ちしております。宛先は郵便番号二四八―〇〇一四 鎌倉市由比ガ浜五丁目五―五 FM江ノ島ラジオ『町松田の湘南鎌倉パラレルワールド』の宛まで――」

 今回も噛まずにはっきりと喋れた。一年もやってればいくらわたしでもできるようになる。

「メールの場合は全て小文字で『parallels@fm-enoshima.ne.jp』まで。パラレルの綴りは全て小文字でp/a/r/a/l/l/e/l/sです。『s』を忘れないように気をつけてください。件名にコーナー名を入力のうえ送信してください。FM江ノ島公式ホームページのメールフォームからも送信できます」

 次のコーナーの予告は毎回変わるのでたまにトチったり(ナレーションなどの放送業界で噛んだり読み間違えたりすること)することもある。時間があれば練習するんだけど、打ち合わせからあれこれあるとそんなこともやってられない。それができるように養成所で毎週練習してるわけなんだけどね。

「次回放送の『発見! パラレルワールド』の特集は『夏の甘味! あなたのオススメのアイスクリーム』です。お店の自薦他薦は問いません。アイスクリームを家で作るよという方はレシピをお送り頂いてもOKです。たくさんの情報をお待ちしております」

 うまく言えたところで、安心はできない。台本ではここからアイスの話題2分程度と書かれている。フリートークと言っても好きなことを喋ってればいいというわけではない。

 この仕事をしてから、こういうフリートークこそが一番難しいんじゃないかと勝手に思ってる。さっきあれだけ住所や告知が難しいとか言ってたけど、そっちは技術でどうにかなる。フリートークはセンスを磨かないとできない。

 そういうわけか難しそうなフリートークの話題振りはまやさんがしてくれることになっていたり、ある程度大野さんの台本に書いてあったりする。

「めーちゃんはどんなアイスが好き?」

 そんなまやさんの話題振りは定番というか分かりやすく、答えやすい質問だった。

「めーが食べてるのはコンビニのばっかりなんですけど、柔らかいバニラアイスが好きですね。口の中で溶けるような味わいがたまらなくって」

「学校で食べたりしてるの?」

「実は学校の近くにコンビニがないんですよ。通学は鎌倉駅を通るんですけど、そこで買って学校で食べようとしたら多分ドロドロに……」

 北鎌倉駅の周辺は意外と何もない。コンビニとか行こうと思うと鎌倉駅の中か、西口の方に一件ある。他の買い物とかしたいって思ったら大船まで行くこともある。大船駅のほうが大きいし、お店が充実してる。

「なので帰りに鎌倉で買い食いはしますね。小町通りの入り口にもありますし」

「小町通りだったら『はちみつアイス』がとてもお勧め。『どら焼きソフト』みたいな面白いアイスを作ってるお店もたくさん」

「小町通りは甘味処が多いですからね。アイスやかき氷も充実してますし、アイス食べたいって思ったら鎌倉行くのがいいかもしれないです」

「鎌倉以外にも美味しいお店はたくさんあると思います。特に隠れ家的な甘味処の推薦や紹介は大歓迎です。ぜひともあなたの知ってるパラレルワールドを教えて下さいね。それではお時間です。この時間のお相手は町田まやと――」

「めーちゃんこと松田恵海でした!!」

「「また来週~」」


「お疲れ様でした」

 エンディングを撮り終わり、今日の収録も無事終わる。でもまやさんとラジオができるのがあと三回と思うと寂しかったりもする。

 帰りも駅までは送っていこうと思って、風祭さんに声をかけようとしたとき、

「あの! この台本なんですけど、持って帰っていいですか?」

「いいよー、そんなんでよければ。あ、でも他の人に見せたりしちゃダメだよ。念のためそれだけね」

「ありがとうございます。勉強になります」

「そんな大げさなもんじゃないって」

 今日は特によく笑ったからか、収録前にミスターたちに買ってきてもらったおまけつきコーヒーが嬉しかったのか、大野さんの機嫌がとても良い。

「さて、風祭さん。夕食とかって先約あるかい?」

 ミキサールームへのドアを開けると、今度はおだぴーが風祭さんに話しかける。

「いいえ、夕飯もスーパーでお弁当買って帰ろうかと思ってたので特に予定はないです」

「よし決まりだね。お店も予約してあるし、風祭さん歓迎会だ」

「って理由をつけて飲みたいだけでしょう?」

 と片付けを始めている多摩さんの一言。

「そういうにゃおじは行かないのかい?」

「行くに決まってるだろう。おだぴー生しらす丼のある店を予約したんだぜ。あとにゃおじって言うな」

 こちらもこちらでごきげんだ。多摩さんは湘南地方の特産である生しらすが好きで、週一回は食べていると聞いている。

「んじゃあ、行ける人は玄関で待っててくれるかい」

「冷蔵庫にコーヒーを入れないと」

 そう言っておだぴーと大野さんはブースを出てオフィスの方へ移動する。わたしたちもそれに続いて、

「お疲れ様でした」

 と習慣化した挨拶をしてブースを出る。続けて風祭さんも、

「今日はありがとうございました」

「いやいや、これから一緒にラジオを作っていくんだから、あまり固くならずに一緒にやっていこう?」

「はい!」

 ミスターは書き込みが沢山されて黒くなっている台本をクリアファイルに入れながら言う。

 この番組のスタッフはみんな優しい。ミスターは特にこういうメンタル的な気遣いができる方だ。わたしもそれに助けられたのは一回や二回じゃない。

「忘れ物はないか? 俺はペン一本でも落とし物があったら持ち主を探すからな」

「か、確認します!」

 多摩さんのややキツめの言葉に慌てて収録ブースへ戻る風祭さん。多摩さんがこういう言い方をするのは別に怒っていたり気難しいタイプというわけじゃなく、几帳面なだけ。このブースの配線や機材の設置位置がとても綺麗だったり、落とし物がまったくないのは多摩さんのおかげ。もう一つのブースは落とし物や忘れ物が多く、忘れ物ボックスにペンやトークに使った雑誌などがたくさん入っている。

「大丈夫でした」

「よし!」

 風祭さんの一言に満足気な多摩さん。実際に忘れ物をしても、地獄まで追いかけてくるだけで怒ったりはしないらしい。

「残りの片付けはやるから」

「はーい」

「いつもありがとね」

 まやさんがお礼を言うと、女性陣は玄関へ。オフィスの方をちらっと見ると、大野さんがさっきのコーヒーを開けて飲んでいた。これからご飯なのに大丈夫なのかな。

 女性陣三人が揃ったところで、

「風祭さんって、ご家族と暮らしてるの? それとも一人暮らし?」

「一人暮らしです。大学が横浜なのでそこのアパートを借りてます」

「大学生だったのね。でも大学と養成所の両立って大変じゃない?」

「大変ですけど、大きな目標があるので」

「やっぱり風祭さんってすごい」

 わたしが思わずもらした言葉にふたりの視線がわたしにくる。思わず言っちゃったけど、変なこと言ったかな?

「そう……でしょうか?」

「だって、ちゃんと目標があって、学校ふたつも行ってて大変なのに一人暮らしまでしてるなんて」

「めーちゃんだって高校通いながら養成所行ってるじゃない」

「わたしは土日しかやってないコースですし、基礎的な内容だから風祭さんのコースほど厳しくも難しくもないです。風祭さんは平日のコースですし、そこの講師の方ってものすごく厳しいって噂があります」

「土日でしたら私もバイトを入れていますよ。あと平日も大学の講義とか今日みたいな声の仕事が入らない限りはバイトを入れたりしてます。じゃないと生活できなくて……」

「それじゃ実質休みなし?」

 ラジオの仕事とかは土日入っても嬉しいスケジュールだけど、バイトとかだったら遠慮したいなぁ。

「そんなことないですよ。バイトのシフトがいっぱいなら外してもらって、追いついてない大学の勉強したり、筋トレやランニング、サイクリングで体を動かしたり、養成所の授業でできなかった箇所の練習したり、あと録画してるアニメを見たりしてますよ」

 そうは言っても風祭さんのスケジュールってどうなってるのか。収録中に持っていたメモ帳にスケジュール帳がついてたらどうなってるのか、考えるとぞっとする。

 それにアニメを見てるって行っても趣味的なものじゃなくて業界の流行を知ったり、うまい人の声を聞いたりする半ば研究として見てるんだろう。これはあまり休んでいるとは言いがたいかもしれない。

「そんなに忙しいとご飯とか作れないでしょう? お母さんとか心配しない?」

 そういう風に言うまやさんがすでにお母さんみたいだ。今度生まれるお子さんは、こんなお母さんでとても幸せだろうなぁと勝手に思う。

「食事は確かにスーパーやコンビニのお弁当、お惣菜ですね。一応サラダとかお味噌汁とかつけてますけど。あと母も父も上京して大学に通うことも、声優の勉強をすることも大反対でしたから。それで喧嘩して家を出てきました。こっち来てから一度も会話してない、ほとんど絶縁状態ですね」

 まやさんもわたしもこう思った。『この話題は駄目だ』わたしは慌てて、

「お友達とかはどうです? 養成所とか大学とかの」

「大学では声優の勉強をしていることを話してないです。理解してくれないですし、オタクキモいで終わってしまいますから。中学高校のときにそういうことがあって、それから本当に理解していただける方以外には話さないと決めたんです」

 声優志望イコールオタクキモいっていう、安直というかステレオタイプというか、偏見に満ちた考えの人って未だにいるんだなぁ。漫画家志望の友達の百合ちゃんとか堂々としてるけど、そういうこと言われたことってあるのかな。

 どっちにしても、親の反対とか周りの目とか、そういうネガティブなものに当てられても頑張って自分の目標を信じている。それはとてもすごくて、その強さは尊敬するんだけど、なんだかかわいそうに思える。だから何かを言ってあげたくて、この瞬間必死に悩んで、

「か、風祭さん――」

「お待たせしました。あとはおだぴーと多聞かな?」

 何か、風祭さんに何かを伝えたかったけどそれは偶然にもやってきた多摩さんとミスターに阻まれた。おふたりが来なかったとしてもわたしは風祭さんの名前を呼ぶ以外に言葉がうかばなかったので結果は一緒だっただろうと思う。

「こっちは今終わった。おだぴーはよ」

 おだぴーを煽りながら大野さんもやってくる。

「本社に送るメールの文面を考えてるんだよ~」

「そんなの適当にビジネスで使いそうな言葉を並べるだけで、それっぽくできるって」

「活字を仕事にしてる人と同じ風にできるわけないでしょう~」

 おだぴーと大野さんの漫才のおかげで雰囲気は良くなった気がする。

 でも風祭さんになにか言ってあげたいという気持ちだけが、わたしに残った。


 今日おだぴーが予約していたお店は鎌倉駅のJR側の出口を出てすぐにある『小町通り』のお店。なんとなく小町通りじゃなくて横浜の中華街にありそうなお店だけど、外の看板に貼ってあるメニューにはしらす丼なども中華と同じくらい推している。セットで両方がついてくるコースもある。

 店内に通されると雰囲気はやっぱり中華のお店で、大人数のわたしたちは円卓へ案内された。

「こんなお店あるんですね」

 低い天井の店内を見ながら風祭さんが珍しそうに口にする。

「このへん、というより鎌倉のお店ってハイカラなところが多いけど、中華っていう感じのところは珍しいんだよね。メニューも他店とは違ってて、いつもと違うものを食べたいって時はここに来たりするね」

「おだぴー『ハイカラ』って……」

 と思わず口に漏らす多摩さん。

「俺でもそんな言葉選ばんぞ」

「昔の少女漫画以外で久しぶりに聞いたわ」

「おだぴーの言葉選びは面白いなぁ」

 それに続けて大野さん、まやさん、ミスターとコメントを続けていく。

「そんな! みんな言わないのハイカラって? 風祭さん使うでしょ?」

「え、えっと……」

 急に話をふられて、メニューを見ようとしてたのを止められる。他のメンバーみたいにツッコミを入れないといけないのか、おだぴーの『プロデューサー』という顔を一応は立てないといけないのか、困ってる感じ。

「使いませんよ。だいたいおだぴーより年下の大人組が誰も使ってないって言うんですから、わたしたち学生組が使ってるわけないですよ」

 風祭さんの代わりにツッコミを入れてあげる。正解はこれだと思ってる。おだぴーのボケに対しては立場とか、上司部下とか、歳とか関係なしにツッコミを入れる。ボケに対してツッコムのはむしろ礼儀。番組始めた当初まやさんにそんなことを言われたことがある。こういう楽しい現場ならではの礼儀らしい。

「えー」

「おだぴーのことはいいから、決めようぜ。俺は三色しらす丼」

 メニューの最初の方だけ見てすぐに決めた多摩さん。よっぽど食べたかったと見える。

「僕もにゃおじと同じかな」

「私もこれは気になるわ」

「わたしも」

 ミスターとまやさんに続き、わたしも決定。他のお店では見たことなかったし珍しいと思った。

「えっと……どうしようかな」

 一方で風祭さんは悩んでいる。

「今日は風祭さんの歓迎会だから僕らのおごりだよ。値段とか気にせず、好きなモノ選んでね」

 とおだぴー。そうは言うけど値段で悩んでるわけじゃない気がするんだけど。

「え、でもここの値段が……」

 丼もののセットとかになるとだいたい千五百円くらいになる。このへんの飲食店だと大体こんなものだと思ってるからわたしは不思議に思わないんだけど、風祭さんは食費とかも結構節約してるらしく、これくらいのだと高く感じるのかもしれない。

「いいのいいの。美味しそうなの選んでね」

「でも……」

「おだぴーはこう見えてすごいお金持ってるし、いざとなったら経費で落としちゃうからさ、遠慮しない」

 さらっとすごいことを言うミスター。経費でこういうの落ちるのかなぁ。

「いえ、その、歓迎会っていうのが、どうしたらいいか分からなくて」

 恥ずかしいとかもどかしいというより、こういうのに慣れていないという感じなのかもしれない。社会人になると理由をつけて飲み会をやりたがる、ってそらにぃもみちにぃも言ってたけど、アルバイトだとそういうのもなさそう。

 そいえば、

「風祭さんってどうして声優を目指してるんです?」

 言ったあとに話がそれてしまう気がしたけど、わたしは思いついた一言を口にした。

「きっかけとか、そういうのですか?」

「そうです。わたしみたいに小さいときからラジオを聞いてたら自分もやってみたくなったとか、そういう感じなのかなぁって」

 わたしはそういう単純な動機。そらにぃも同じ理由らしいけど、ラジオでやりたいことは結構違ってた。

「私も気になるわ」

「僕も」

「僕もそういう話大好きなんだよね」

 とまやさん、おだぴー、ミスターが次々と興味を示す。スタッフ出演者一同に一気に一気に注目されて少し恥ずかしがる風祭さんだけど、少しずつみんなと顔を合わせながら、

「『桜井美華』って、事務所の大先輩に当たる方がいるんですが、皆さんはご存じですか?」

 聞いたことがない名前だ。みんなも顔を合わせていて、知ってる人はこの中にはいないようだ。

「『ハンバーくん』の『アップルパイちゃん』の声の人って言えば分かります?」

 みんな思わず声が出る。そうかあの声の人か。

『ハンバーくん』はわたしが生まれる前から放送している国民的アニメだ。小さい頃にその『アップルパイちゃん』が初登場する劇場版を見たことがあるので、そのキャラクターはわたしもよく覚えている。今でも放送してるんだけどね。

『アップルパイちゃん』の声は、猫というか子供というか、可愛い声がとても耳に残って離れない。

 そんな超有名キャラクターの声をやってる人が同じ事務所の先輩にあたる方だったなんて……この場じゃなければ袋叩きにあってたかもしれない。

「その桜井さんがわたしの小さいときに普通のテレビのバラエティ番組に出たことがあるんですよ。他のタレントさんに混じってても見劣ったりせず、むしろオーラが違うとてもステキな方でした。そのときに聞かせてくれた演技がとてもすごかったんです。春の桜のような綺麗な声、夏の向日葵のような眩しい声、秋の紅葉の様なおしとやかな声、冬の柊のような素直な声、それがたったのひとりの口から出ていることに驚き、魅せられました。そして私も、こんな花咲くような声で人を感動させたいって」

 やっぱり風祭さんてすごいって思う。こんなにもステキな考えを持ってて、高い目標に向かって歩いてる。

 わたしって漠然と『ラジオがしたい』って言葉だけでここまで来ちゃったんだなぁ。だから技術が追いついてこなくて養成所に通って勉強してる。結果論かもしれないけど、もっと勉強してから始めたほうがよかったのかもしれない。

「あ、ごめんなさい。私のつまらない話なんかしちゃって」

「そんなことないです! わたしは風祭さんの夢とかあこがれとかステキだなって、今の話でそう思います」

 両手をとって、目を見てわたしの感動を伝える。その気持は謙遜したりするものじゃない。大切な物だって。

「そうだよ、君の知っていることは僕達の知らないことばかりなんだ。それを君が楽しそうに話をする。すると僕たちは楽しい時間を過ごせる。僕のプロデュースするラジオはこうありたいんだよ。だから僕は君の……そう。あれ、あれなんだよ。あれしたい」

「もっと話を聞きたい、でしょう?」

「おだぴーカッコつけようとしてるけど、いっつもうまくいかないんだから」

 と多摩さんとミスターがアシスト――でいいのか? いつもどおりのやりとりにみんな笑う。風祭さんも少しずつでいいから、笑ってほしいと思う。

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