五、東渡船団
「おれたちは道具ではない」
琅琊の治所に怒鳴りこんできた男がいる。けがで戦場にゆきそびれた農民である。けがが癒えて、動けるようになった。集団東渡の件を談じこみにきたものらしい。
「道具だなどと、だれも思うてはおらぬ。なんという名だ」
「おれたちには名なぞない。二番目の兄い、
「では老二、事情は存じておろう。いま琅琊は守備兵がなく、国境が危うい。楚に侵攻されたらひとたまりもない。抵抗すれば殺される。黙っていれば拉致され、奴隷になる。そのまえに避難するのだ」
「新しい都ができるとき、琅琊に来れば土地が分けてもらえる、働けば働いただけ自分のものになる、琅琊には自由がある。そんなことばにつられ、百年前におれのひい爺さんは故郷を捨てて、この琅琊にやってきた。ことばどおり、土地もたくわえもできた。うそじゃなかった。でもそこまでだった。五十年前、もとの呉の都姑蘇にうつってからは、事情がかわった。いつも戦ばかりで、しじゅう狩りだされ、田んぼは荒れたままだ。こんどはどこへつれていこうというのだ。おれたちは、あんたらの道具じゃない」
老二は人目もはばからず、泣きだした。同行したものたちも、つられていっしょに泣きだした。他意はなさそうである。
「いや、わるかった。ことばが足りなかったようだ。むりじいするつもりはない。じぶんで決めてよい。しかし琅琊が楚の手に落ちたなら、悲惨な結果が待っている。だから逃げる。どこへでもということではない。東海の向こうに、迎えてくれる地がある。そこには争うものがいない。その地で魚を取り、稲を育てる。家をもち、子を生み、祖先を祀る。
思わず范蠡の名が口をついてでた。不悍は、じぶんでも驚いた。しかし効果は
「范蠡さまが護ってくださるのなら、心配は要らない。范蠡さまは神さまだ。稲穂の神だ。収穫を約束してくれる。金もたまる。長生きができる。范蠡さまとならどこまでもついていく」
范蠡はすでに
その日いらい、琅琊の民で不安を口にするものはいなくなった。東渡は、もはや退避や逃亡ではなかった。新天地への雄飛、未開の地の開拓を意味するようになった。
「東海を踏む」とは自殺することではない。「死ぬ覚悟で東海を渡れ」という積極的な合言葉にかわったのである。
調達した船隊をひきいて范蠶が戻った。大小さまざまな
越都は主がかわっていた。生き残った舟軍は将軍不悍を慕って、琅琊に帰還した。
范蠶は琅琊に戻るにさいして、新たに多くの人々をともなっており、帰還者がさらに上積みされた。
琅琊の住民一万人の集団移住がはじまる。そのうち四千人が東渡する。それ以外の農民では屯田兵とその家族だけを除き、残りは近隣へ引き取られる。行くも残るも、容易なことではない。準備や後始末に諸事万端、やるべき仕事はいくらでもある。労をいとわぬ実務技能者は、引っ張りだこの忙しさである。
「定陶の商人で、
なかで、てきぱきと指図し、みずからもよく動く男を、范蠶が不悍に紹介した。
「定陶の朱といえば、陶朱公の係累か」
斉の国に赴いた范蠡が次に移り住み、農牧業と商品相場で巨万の富を築いたという、
「三人あった子のうち、末子の曾孫にあたります」
定陶は済南の南、商丘の北、開封の東に位置する内陸交通の要衝、物資流通の要である。江蘇琅琊の西三百四十キロ、淮河水系を利用すれば、琅琊の海運に直結する。
「取り残された琅琊が死の町にならないように、琅琊を生かす手立てを考えております」
数日後、舟船を見回った不悍は、桟橋を警護する軍兵を目にした。甲冑が不揃いである。
「例の野盗のたぐいではないか」
「おことばですが、生まれながらの盗賊はおりません。生きる手段としてやむをえず身を落としたものも大勢います。しかし、住まいをあてがい、食を保障すれば、りっぱな護衛兵になります。軍兵の足りない
朱頓は不悍に自説を語った。ことばの端々に確信がみちていた。
「疑人不用、用人不疑。疑わしければ用いない、用いる以上は疑わない。これが要諦かと存じます。去る人がいれば、来る人もいます。軍備のない農業国が草刈り場となるのは世の習いです。逃げ場があれば、とことん逃げればよい。空いた農地は占領され、捕らえられ奴隷となったものたちの手に引き継がれます。逃げるか、奴隷になって使役に耐えるか、あるいは立て籠もって反抗をつづけるか――いずれも容易なことではありません。ならばこれだけの覚悟をもって、ほかになすべき手立てはないものかと、商人なら考えます」
歩きながら、黙って聞いていた不悍が、急に立ち止った。
「あるのか、その手立てが」
「ございます」
「それは、なにか」
「物資集散地―
「港市か」
不悍のこめかみがピクリと動いた。
ついでながら、当時の舟船について述べておきたい。
舟船の原形は、「木をくりぬいて舟とし、木をけずって
小型の
水をかいて動かし、方向をとるには
周代、身分により乗る船の等級が決められていた。天子は
軍船は種類が豊富である。いくつか列記すれば、
大小さまざまな舟船がでそろった。一艘ごとに吟味し、外航に耐えない舟は外した。
「百艘には足らぬが、これでいこう。全員に櫂を漕いでもらわなければならぬ。病気のものは早く治し、つぎの機会まで待っていてもらいたい」
東渡するものがそろった。四千人を超える人数である。
チカミと五島の海人一党が先導する。不悍を総司令とし、海蛇など舟軍兵が各艘の指揮を分担する。漁民もいる。海の経験者を
飲料水・食糧などが積み込まれた。五穀や蔬菜の種や苗も搭載した。
范蠶はかなり荒っぽい手段で船を集めたらしい。北の海洋は、斉の軍船が総がかりで警戒し、海上を封鎖した。西には陸路、楚の侵略軍が迫っている。南からは、野盗と化した越の敗残兵が行き場を求めて北上している。
ゆく道は、東しかない。しかし不悍は東進ルートの安全性について、まだ納得していない。任せておけとチカミは胸をたたいた。
范蠶がチカミにかわって説明した。
「おっしゃるとおり、東への航海には危険がともないます。闇雲に突き進んだのでは、まさに海の藻屑です。大海を無事にわたるには、海の
海神の忠実な
海神の意とは自然現象のことである。大風や豪雨、津波など、予測は難しいが、前兆というものはかならずある。吉兆をみきわめ、出航したのちもたえず祈り、海神の意を問いつづけるのである。そのうえで危険な前兆を感じれば、ただちに計画を中断し、避難する。
臆病なほどの慎重さが安全を約束する。
江南―五島、約七百キロ、漕げば時速四キロ、日夜漕いで七日間、海流に乗れば、漕がずとも速度は高まる。范蠶は経験上、五日から三日と見ている。
江南の海岸から出発するばあい、淮河や、長江、銭塘江下流域の河口から東海に注ぐ潮流の勢いに押し出され、海流に乗る。潮流には干満がある。潮時を見誤ってはならない。
海流は黒潮である。フィリピン沖合から日本列島に向けて流れている。この海流と西南の季節風を利用する。江南からだとまず五島付近をたどる。ここからは櫂を漕いで、奥まった湾にはいり、接岸地点で上陸し、川に沿って進むのである。
九州の北部沿岸一帯は古くから原住の民がひらき、さらに朝鮮半島の南岸沿いに、対馬経由で渡来した移民者で占められている。あえて東海ルートにこだわるのは、かれらとの競合を嫌ったからである。手垢のついていない未開地の開拓こそが望ましい。
そのルートが、いまの地図でいうと、五島列島の南側を超え、さらに東進、長崎半島南端の野母崎をまわって、早崎瀬戸と天草灘の接する島原半島と天草のあいだの狭い海峡を抜けて有明海に進入する、密かなる航路である。
有明海の北岸一帯には肥沃な佐賀平野が広がっている。阿蘇の外輪山を源とし、東から西に向かって悠然と流れる
そこに目的地「瑞穂の郷」がある。
「わしは残る。あくまでも琅琊を死守し、後発隊を送り出す」
不悍は残った。不悍にかわって東渡実行部隊の総司令は范蠶が担った。
辛女は范蠶と行をともにする。娘子軍と舟軍兵の半数は東渡し、半数は不悍にしたがって残留する。「大翼」は残す。
「わが祖翁に会っていただきたかったが、残念です」
「いや、すでにお会いしている。そのほう、いやあなたこそ五十年後の范蠡どのであろう。ようやくそのことが分かった」
范蠡二百歳のいわれである。一族のだれかが、范蠡の名と事業を継ぐのである。識見卓抜、容貌は神仙のごとくあらねばならない。
「わしは兄を斬り、父王の仇を討つ。そして越国は他の兄にまかせ、琅琊を護る。あなたには蓬莱での瑞穂の国造りをお願いする。収穫した米は送っていただきたい。琅琊で交易の市をたて、
「琅琊を護る手立てを考えつかれましたな」
「西施のひそみではないが、范蠡どののひそみにならい、『貨殖の道』にて琅琊を護る手立てだ。定陶の朱頓が陶朱公なみの叡智を授けてくれた。范蠡どのには重ねて礼を申さなければならない」
「なんの、祖翁には結果を訊ねる楽しみが増えたと、喜ばれることでしょう。途中、困難なことがあれば、いつでもかまいません。心にみたび范蠡の名をおよびください。かならずや方策をたずさえて、参上いたします」
朱頓の手立ては、琅琊の
そのためには、広大な農地は捨てなければならない。農地を守るだけの兵力がないからである。現有の兵力は千に満たない。分散できる数ではない。港湾の守りに集中する。しかもその半数は舟に乗せ、海から湾岸の港市を守る。
農業生産を切り捨て、商業活動に特化するのである。海の安全は最優先で保障されなければならない。
この時代、定陶は内陸交通の要衝である。さまざまな物資がここを通って中原に流通する。淮河水系を利用し琅琊につなげば、新たな商業交通路が形成でき、いま以上の繁栄が期待できる。琅琊は東海に臨んでいる。東海の南北をむすぶ良港琅琊の海運を利用し、南北の物資を流通させるのである。東海の沿岸航路はすでに開拓されている。あとは航路の安全を保障する治安にかかっている。
朱頓は思う。
――わが祖范蠡は、定陶をもって天下の中心とみなした。諸侯が四方から行き交い、貨物が交易される地であると直感し、新たな居と定め、朱公を名乗った。いまもその事情にかわりはない。いやむしろ、むかし以上に発展しようとしている。
戦国時代、都市の発展は顕著である。
戦国に先立つ春秋の時代、城壁に囲まれた地方都市の規模は、一辺が一キロていどとみられるから、せいぜい一平方キロの面積である。農民も城壁内に居住した。農地は城壁の外側にあるから、夜明けとともに城門を出て、日の落ちるまえに戻るのである。これを怠ると、敵方に拉致される。人口に限りがあったから労働の担い手はきわめて貴重で、しばしば戦争誘発の要因となった。だから、耕作地も日帰り就農が可能な範囲に限定され、大きな発展にはつながらなかった。
戦国にはいり地方都市の規模は、一辺が二キロていどにまで拡大した。面積は四平方キロになる。ここに三万戸、一戸に五人として、十五万人の人口が居住したとみられる。とくに大きなものは、斉の国都
この時代、全国の人口総数は一千余万人とみられる。うち七列国の都城だけで二百万人を占め、総人口の三分の一が都市に集中していたと推測されている。郡府・県城などの地方都市で万余から数千の平均人口である。
都市の発展により商工業人口が都市人口の三割を超えるようになると、もはや食糧は自給できない。農牧漁村部から大量に購買し、輸送搬入せざるを得なくなる。交易が促進されるゆえんである。
農村部を切り離した新たな琅琊は、物資流通の拠点に徹し、財政は港市の交易収入でまかなう。総人口三千余人、うち軍兵だけで千人弱、ほとんどが水軍で構成される。
七列国のいずれにも属さない。合従連衡を超えた政治的中立ゾーンとする。完全武装した水軍で海州湾と近隣河川の治安秩序をまもり、物資の安全な交易を保障する。
これが新生琅琊の最大のセールスポイントになる。
「不悍さまが申されたように、あなたが范蠡さまの名をお継ぎになるのですか」
絡ませた指をいざないながら、辛女は耳元でささやいた。
「さきのことは分からぬ。いまは無事にかの地へ着けるよう、祈るだけだ。それより、よくゆくことに同意してくれた。残るものだとばかり思っていた」
「ご縁でございましょう。腐れ縁、もう二十年にもなる」
蓬莱で生まれた范蠶は、幼児のころ范蠡廟にあずけられ、方術修行した。学問と武芸を学んだのはその一環である。辛女はそのころからの、いわば幼馴染である。
「いつからこういう仲になったものか、忘れてしまったが、学問、武芸、なにをやってもかなわなかったことだけは、しっかり憶えている」
「まあよくおっしゃいますこと。ひとを、こんなにしておきながら」
辛女は范蠶にからだをあずけ、任せきっていた。范蠡廟祭司の職をみずから解
き、自由の身になった。ひとりの巫女に戻ったのである。不安はない。二年ぶりの再会にもかかわらず、その翌日にはもう范蠶は
そして休むまもなく、あすは蓬莱へ立つ。しかし別々にではない。ともにゆく。
「わたくしは、会稽の外を知らずに巫女として育った、ただのおぼこ娘です。范蠡さまの御用で各地を飛び歩くあなたを、いつもうらやましくみておりました。いつかは廟を出るのだ、あなたとごいっしょに。これがわたくしの夢でございました。巫女のみる夢は、神のお告げ、どなたであろうと拒むことのできない
辛女は声をあげて悦びをあらわした。そんな辛女を、范蠶はしっかりと受けとめた。
「ほんとうのことをいえ。どうして蓬莱へゆく気になった」
「じつは、おんな郷長のはなしを聞いて、お会いしてみたいと思いました。同じ巫女同士、くにはちがっても、通じるものはあろうかと」
出航前夜である。思いは過去にさかのぼり、まだみぬ未来に飛ぶ。
白々と夜が明けている。月はまだ空にある。残月―有明の月である。
「かの地にても、この月を見ようぞ。出発する。東海を踏むのだ」
范蠶は号令した。
「ター・トンハーイ(踏東海)!」
「オゥ、オゥ!」
四千人の渡航者はいっせいに呼応した。
呉越の民唄が競われた。やんやの喝采が、港湾の眠りを一気に覚ます。
あかつきの東渡船団は琅琊を出航、朝日に向かって進行した。
海面に航跡がいく筋もえがかれ、やがて波間に溶け入った。
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