二、江蘇琅琊


「討斉北伐軍をひきあげる。対楚戦に投入し、全兵力を西方戦線に集中する。琅琊の常備軍は南に移動し、国境南部の防御にあたる」

越王無彊は、新たな軍事行動を発令した。おりから斉王の使者があり、その説得を受け入れ、戦略を転換したのである。

「楚を伐つのは、いまをおいてない」

斉の使者は、楚の兵力が分散している事実を指摘した。

「楚の主力軍はいま三方面に分かれて、拡散している。魏の曲沃きょくよく(山西南部)、秦の於中おちゅう陝西せんせい東南部)、無仮むかの関(洞庭湖の南)の三拠点において広く拡散し、各軍は孤立している。無仮の関を落とせば、長江対岸の楚都は、わが手の内にあるもどうぜんである」

 さらに楚将大夫 景翠けいすいの軍が、斉・魯・韓三軍の南陽(河南)攻めに対抗し出動、首都のえい(湖北荊州沙市)はもぬけの殻だという。

 楚都からの距離は、曲沃六百キロ、於中三百五十キロ、無仮の関二百キロである。越楚の首都間距離八百キロ、行く手を阻むものはない。長江を軍船で一気にさかのぼり、無仮の関を突破し、首都を攻略する。呉もかつてまた楚の首都を落とし、覇者になりあがった。

「天の与えたもうた千載一遇の好機である。一気に楚を殲滅する」

 無彊は越軍の勝利に賭けた。

 事実確認のため各地に密偵を放った。しかしすでに放ってある密偵から、斉王の使者の言辞を裏付ける確答が届いていなかった。十日待ったが、新たな密偵からも消息はない。

「もはや、待てない。開戦と決し、出陣にかかる」

 無彊は腹を決めた。出陣を内示し、各地に檄を飛ばした。

この時点で無彊は、情報の収集を兼ねる先駆け軍を先攻させるべきだった。

 無彊は全軍の一糸乱れぬ華麗な出陣にこだわった。過去の例がある。歴史に特筆される数字、まとまった軍勢十万にこだわったのである。

 越の全土から将兵と軍船を長江下流に集結した。みずから征討軍をひきい、楚の内懐へ躍り込む。国土を空にしてでも、全兵力を投入する。乾坤一擲の大博打おおばくちは、数が多いほど効果がきわだつ。

 無彊は出陣に先立ち、長子の太子 子侯しこうと末子 不悍ふかんを呼んだ。斉の使者をとりもったのは子侯である。征楚論の熱心な主唱者でもある。

「こたびは、覇王をかけた領土の再編と人狩りの戦いだ。勝てば土地と人を得る。負ければ取られる。戦国の世にはいり、いずこの国も土地は足らず人手が払底し、獲りあいになっている。数年前からたびたび国境が侵され、多くの民が村ごと拉致されている。さきの王が琅琊から姑蘇へ国都を還したのは、越の南部が楚の侵略にさらされているためだ。よって、こたびは楚に鉄槌を下す。わが民を取戻し、国境を西に拡大する。楚の土地と楚人を掠奪するのだ。全面戦争も辞さない。準備は整えてあるが、この戦は長引く。二年が三年におよぶやも知れん。そこで、両名に命ずる。子侯は姑蘇と会稽の護りにあたれ。不悍は琅琊を死守し、琅琊の民を楚の拉致から防ぐのだ」

 ふたりは互いの顔を見合わせた。寝耳に水の残留命令である。

 ことに子侯は征楚戦の積極的主唱者で、先陣をつとめるくらいの意気込みだったから、命令を聞いて血相をかえた。不悍も思いは同じである。しかし、顔を上げていいかけた子侯を制し、無彊はことばを継いだ。

「不満はあろうが、わしにも考えがあってのことだ。ふたりともいなやはいわせぬ。このあと楚国との戦がはじまれば、容易に連絡は取れなくなる。以後の戦略、方策は、おのれで考え、おのれで行動せよ。よしんば進退に窮することあれば、かの范蠡はんれいに問え。会稽山に向かい、みたび心に范蠡の名を称えよ。さすれば遠からずして、范蠡の策がもたらされるであろう。『残月をみて、東海を踏め』。これこそ、勾践大王伝来の祖訓である。しかと心に留めおくのじゃ」

 半月後、越王無彊の対楚征討軍が進発した。不悍もまた琅琊に向かわなければならない。子侯は不悍に、会稽回りで琅琊にゆくよう指示した。

「一子相伝であるから、ほんらいなら寡人わしがゆくべきであるが、都を離れるわけにはいかん。かわって其許そこもとにいってもらう」

 無彊出陣いらい、子侯は「寡人かじん」と自称しはじめた。「寡人」は、諸侯が謙遜していう自称の代名詞である。国王気取りのそしりをまぬかれない。不悍は不快な感情にとらわれたが、黙って受諾した。

 子侯は子侯で、一子相伝といいながら、不悍にも大事を伝えた父のやり方に不満を持っていた。居丈高な物言いは不満のあらわれでもある。

 訓戒のあと史官が呼ばれ、無彊の言辞を補充したが、これにも不悍を同席させた。それがさらに子侯の不満をあおった。

「往時、勾践大王との別離のさい、范蠡 大夫たいふは越の民にたいし、秘めたる助勢を約されました。国にではなく越の民にたいしてです。『国が興亡は天命によるもので、人智にては奈何いかんともなし難い。されど民の災禍はその多くが人為によってもたらされた結果であり、これが難儀を救うのは、人たるものの道である』との仰せでありました。そのおり、琅琊への遷都を提言され、つぎのことばを残されたのです。『琅琊は、かならずや覇王への道を拓く。琅琊が繁栄すれば国は栄え、琅琊が衰退すれば国も衰える。琅琊を捨てたとき国は滅び、新たな占領者のもとで万民は牛馬どうぜんの奴隷となり、塗炭の苦しみに喘ぐことになる。国が存亡の危機に瀕したるそのときは、わが民の救恤きゅうじゅつ援護のため、万難排して参上つかまつる』。勾践大王はその言を善しとし、宝刀勾践剣を賜り、范蠡大夫を送り出しました。それ以後、会稽山に廟を建て、神として祀ったのです。范蠡大夫の徳に報い、その約定を忘れないためと、いつでも連絡が取れるようにとの慮りがあってのこと、と国史には記録されてございます」

 百三十八年まえの誓約ながら、その廟は現存している。みたび心に念ずるまでもない。子侯にかわり不悍が、会稽山にある范蠡廟を訪ねることになった。琅琊へゆくには大回りになるが、海路なら造作はない。

 不悍は舟軍を統括する将軍である。この戦でほとんどの軍船は越王がひきいて長江をさかのぼったが、一艘だけ手元に専用船を残してある。

 軍船「大翼たいよく」である。呉の伝統船を改造して使っている。長さ三十三メートル、ひろさ約四メートル、九十人を超えて乗船できる。すでに不悍麾下の舟軍兵五十人を乗せている。かれらは戦のできる水手かこであり、漕ぎ手と操舵手を兼ねる戦士である。かれらが船を走らせ、戦場で勝敗をわける。


「大将、こたびは戦に出ぬのか」

 舵をとる水手かこ頭の海蛇うみへびが、不悍に訊ねた。仲間うちの挨拶がわりだから遠慮がない。

「ああ、大王のお指図で、さきに会稽へ回ってから、琅琊の護りにつくことになった。長くなるかもしれん」

 海蛇を筆頭に水手の大半が越の海人かいじんの末裔で、航海技術の伝統を受け継いだ海の男たちである。かれらには、呉もなければ越もない。板子一枚、下は地獄の海の底、船が命のすべてである。故郷はあっても、土地に縛られることはない。家族はあっても、男のつきあいが優先する。

「海に縄張りはない。船が動けばどこへでもゆく」

 これが海人の心意気である。

「大翼」は碇をあげた。姑蘇の都から長江の河口に出る。海岸伝いに南から西へ回れば杭州湾にはいる。左岸に古都会稽がみえる。


「祭司の辛女しんじょにございます」

 おうなを予想していたが、若い祭司である。三十まえの不悍よりも若い。

 范蠡廟に着くなり、不悍はいくつかの疑問を、辛女に質した。

「わしのことは存じておろう。不悍である。ちと訊ねたいことがあってまいった。ちなみにそなたはいまの役について、何年になるか」

「不悍公子、お初にお目にかかります。祭司を仰せつかって、十年になります」

「その間、わしのように訪うてまいったものはあるか」

「いいえ、どなたも」

 そういって、辛女は笑みを浮かべた。

「天下国家が安泰なれば、見向きもされませぬゆえ」

 皮肉めいた答えには素知らぬふりで、不悍は質問をつづけた。

「この廟の由来は知っておるな」

「とうぜんのことでございます」

「されば率直に訊ねる。いまが国の存亡をかけた大事のときである。救国の策を問いたい。范蠡はんれいに問え、との託宣は聞きおよんでいる」

「救国の策はございません。范蠡さまの約したるは、民を救う道、これのみのはずでございます」

「それでよい。してその策とは」

「『残月をみて、東海を踏む』、伝来の秘奥は、これのみでございます」

「『ター東海トンハイ』か。東海にはいって自殺せよ、とはいかなる仕儀か」

 不悍は頭をひねった。辛女もそれ以上のことは知らないという。

「琅琊にゆかれますね。琅琊にて范蠡さまゆかりの、心利きたるものがお導きいたします。わたくしもお供つかまつります」

 そこまでは考えていなかった。拒否する理由もない。

「そなたは、いったい」

「勾践大王におつかえした大夫 計倪けいげいの末裔にございます。祖国の危急存亡のときとお聞きした以上、このままお見送りするわけにはまいりませぬ。配下の娘子軍じょうしぐん三十名もごいっしょいたします。范蠡廟を鎮守するものにて、用間ようかん(スパイ)など影の御用をつとめます」

 計倪といえば、范蠡、文種にならぶ功臣のひとりである。范蠡はすでに去り、文種また死を賜ったのちの越を、覇者に仕立て上げた財経大臣である。范蠡に師事したが、范蠡もまた計倪の才をたのんだ。

 経済の規律を深く理解し、時宜のみきわめが的確で、はずすことがなかったという。鬼才といっていい。物資の過不足に応じて物価の先行き騰落を予測し、安く買い入れ、高く売りさばく、いわば商品相場の達人である。国の物資の調達、販売に欠かせない人材といえる。范蠡は、計倪を深く信頼した。

 斉に去ってのち、范蠡は十九年間に三度、千金の利を得たが、越を離れたのちも、計倪との連絡は絶やさなかった。ここぞ、というときの相場指南を仰いだのである。

 その後、計倪自身も范蠡の示唆により功を他に譲り、会稽山に隠棲した。出る杭をみずから外し、誹謗中傷、冤罪の難を逃れたのである。廟の鎮護をこととし、廟を維持し後世につないだ。


 廟の取仕切りをべつの祭司に委ね、辛女は娘子軍を引きつれ、不悍にしたがった。軍といっても特別な装備はない。戦で父や夫を失い、みずから家を立てるに影の仕事もいとわぬ女たちの異能者集団である。こどもから年増まで年齢もさまざまで、思い思いの衣装を身につけて、乗船した。主として管弦舞曲などの技芸を武器に、諜報の任務をこなす。女ならではの忍び働きが身上である。剣の達人もいる。ときに刺客といった仕事もある。

 なかでハッとするような美形が目についた。蠱惑的な魅力とでもいおうか、男を惑わす妖しい美しさが零れでている。われを忘れて見とれていたらしい。辛女に脇をつつかれ、不悍はわれに返った。

西施せいし鄭旦ていたんの故事はご存知でしょう」

 西施といえば、呉王夫差を迷わせた稀代の色香の持主で、呉越戦争を勝利に導いた陰の功労者である。典雅にして妖艶、閨房の秘儀に長けていたという。「傾国けいこくの美女」の異名で、つとに名高い。鄭旦もまた西施とならび称される「傾城けいせいの美女」で、ふたりは同一の目的で呉国に送られたのである。あいにく鄭旦は病気でまもなく亡くなるが、残された西施はみごとに使命を果たす。

「いや、これはおそれいった」

 不悍は生唾を飲み込んだ。

 その後、不悍は船上で「傾国の美女」を見かけることがなかった。

「どうしたのか」

 たまらず辛女に詰問した。

 辛女は黙って、ともの片隅で一心に洗濯している女を目でしめした。化粧っけのない額に汗を浮かべ、せっせと手を動かしている女は、よく見れば、あの「傾国の美女」にちがいなかった。しかしいまは、どこにでもいる健康な若い娘にしか見えなかった。名を問うと、

阿嬌あきょう

 と消え入るような声で答えた。


 翌日の夕刻、船は琅琊の港に着いた。他に停泊する船はない。

 あたりはひっそりと静まり返り、物音ひとつしない。吟味の役人すら出てこない。不悍は治所のある城内に、物見の兵を出した。しかしそれっきりである。一時いっときすぎて返事もない。ちなみに一時は、ほぼ二時間。夜昼を十二支で区分するので、夏冬では長さが異なる。

 夕刻ならとりの刻だから、いまならさしずめ夕方の五時―七時といったころあいである。

「奇妙だな」

 琅琊にはいくどとなく往来しているが、かつてないことである。半信半疑ながら、不悍は辛女をともない、下船した。舟軍兵の過半と娘子軍も、あとにしたがった。海蛇ら主だった水手は船に残している。

 下船者の大方が降りきったころ、夕闇をついて一群の軍兵が建物の陰からとつぜんあらわれ、不悍らをとりかこんだ。様子をうかがっていたらしい。不揃いの甲冑をつけ、武器を手にしている。越の兵士ではない。

「どこのものだ」

 不悍は腰の剣を抜き、手に提げたまま一歩踏み込んで、頭目らしいおとこに質した。

 相手はそれに答えず、あごをしゃくって仲間をうながした。不悍は剣を構え、襲撃に備えた。そのとき怒号が、軍兵の背後からあがった。城方の越の軍勢である。不揃いの軍兵は算を乱し、包囲を解いた。

「正規兵ではない。野盗のたぐいだ。隊列を乱さず、城方にまかせよ」

 不悍がいうまでもなかった。舟軍兵は一糸乱れず、整然と戦いの備えについていた。

 娘子軍は辛女をかしらに、防御の構えをとっていた。船を護り、桟橋を確保する陣立てである。いつ用意したのか、それぞれが短槍、短刀、短弓など、小型軽量の接近戦用武器を手にしている。

「大事ないか」

 軍勢の奥から大きな声がして、城方の男が姿をみせた。剣を背に負っている。その声に辛女が応じた。

「大事ございませぬ。范蠶はんさんどの」

 こころなし辛女の声は、ときめいて聞こえた。


 城門の前で城方のものが、恐縮した態で不悍らを出迎えた。

「琅琊の守備兵が南に移動したため、城内は火の消えたようなありさまです。いま敵に侵入されたらひとたまりもありません。すべて公子にお任せします」

 言葉どおり薄暗い城内の治所で、一同はあらためて挨拶をかわした。

 包囲を解いた男は不悍と似た年まわりだが、越の官人ではない。辛女が紹介した。

「この方が越の公子不悍さま。こちらは」

「やあ、不悍公子ですか。お待ちしておりました。手前わたしは、范蠡が曾孫にて范蠶です。蠶はかいこの意。お見知りおきください。このたびは越王に助勢いたせとのいいつけにて、馳せ参じたしだいです」

 いいかけた辛女のことばをひきとって、みずから名乗った。ものおじする様子はない。率直そうな印象に、不悍も警戒心を解いた。

「造作をかける。不悍とお呼びくだされ」

「では不悍さま、こののちのこと、なんなりと手前においいつけください」

「さきほどのものたちは、野盗のように見受けられたが、なにゆえかかる狼藉を許しているのか」

「ご領内の兵は、南へ移動し、残っているのは屯田の農兵のみ。耕作地は船着場から離れており、警備の手が回りません。それをよいことに野盗が横行し、寄港する賈船こせん(商い船)を襲っております」

 訊ねながら不悍は、范蠶の立場に疑問をもった。

卒爾そつじながらそこもと、越とはどのような関係にあるか」

「これは申し遅れました。手前は、お国の交易の御用を請けたまわる賈人こじん商人あきんど)でございます。范蠡の代からもう百数十年、米穀・野菜・塩・魚・薬草・衣料・木材・武器など、なにからなにまで売り買いを商わせていただいております。おかげさまで治所の方々ともご懇意にしていただき、軍の移動で人手不足のおりから、ご到着をお待ちするかたわら、城方のお手伝いをしておりました」

 不悍はうなずいた。ただの老百姓ラオバイシン(平民)とも思えぬ立ち居振る舞いに、興味をもったのである。かつて一国の大夫を勤めたものの末裔であれば、貴人といっても通用する。

「父王から琅琊を護れと命じられている。いまいちど兵を戻すか」

「そのことでございますが、大王はいま、どのあたりでしょうか」

「長江中流まで進んでおろう。ほどなく上陸し、開戦におよぶ」

「もはや引き返すことは、かないませぬな」

 范蠶は不悍を直視せず、独りごとめいてつぶやいた。

「なんのことだ。遠慮はいらぬ。仔細をお聞かせくだされ」

「さきほど、わが手のものから報せがございました。斉国の情報にございます。蘇秦そしんなる口舌の徒輩の画策により、韓・魏・趙・斉・楚・燕の六国同盟が成立したよし」

 この時期、西方に秦国が台頭し、東側諸国の脅威になっている。商鞅の変法(制度・法制の改変)により富国強兵の実をあげ、大国に伸しあがろうとしていたのである。東進の軍を活発に動かしている。

 中原の六国で喰い合いをしていては、いずれ秦に蚕食される。六国力をあわせ、秦にあたるべきではないか。蘇秦の持論が、秦にたいする六国 合従がっしょう論である。

 この盟約が成立すれば、楚は韓・魏の国境に張りつけてある軍を自由に移動できる。魏の曲沃きょくよくに派遣した軍も戻してよい。それ以上に大きなメリットは、斉・魯・韓三軍が兵を引けば、南陽(河南)に派遣した軍を首都に還せることである。

逆に、進撃した越軍にとっては、不利な形勢となる。寝耳に水の不吉な情報である。不悍はぼうぜんとした。

「斉にたばかられたか」

「いや、斉も越王に使者を立てた時点では、合従の成約までは考えていなかったはずです。斉に向かって北上してくる越軍の、流れの向きをかえるだけでよかったのですから」

「このさき、越はどうなる」

「楚と戦うまえに引き返し、兵を損じなければ、国境は安泰です。国境線さえ確保しておけば、他日ふたたび楚に侵攻できます」

「長江中流にて開戦におよべば、どうなる」

「既存の兵力では越軍が優勢ですから、無仮の関は落せましょう。そのまま戻れば、勢力は温存できます。しかし余勢を駆って、つづけて楚都の攻略にうつれば、引き返した楚の南陽派遣軍と真正面でぶつかることになります。短期決戦で勝利し兵を引けばよし、長引けば楚は各地に分散した兵を首都に集結できるので、越軍は四面に楚軍の攻撃を受け、全滅はまぬかれません」

 非常事態である。不悍は、父王無彊の身を案じた。

「急使は放ってあるか」

「わが手のものが、子侯太子に急報すべく、不悍さまのご到着をお待ちしておりました。不悍公子の御名にて、伝令つかまつります」

 戦時である。情報が錯綜し、誤報・偽報の類も多い。出所の疑わしいものには信をおかない。一刻も早く兵を返すよう作戦変更をうながす急使を、不悍は太子に向けて特派した。

「最悪の事態が出来しゅったいしたばあい、琅琊はどうなる」

 そのことである。不悍の任務に直結する。

「さきほどの野盗がいい例です。遠からず無防備の琅琊は、斉と楚の草刈り場となりましょう。収穫した稲と農民は、残らず掠奪されます。農兵だけでは琅琊は護れません。ならば草刈り場となるまえに、琅琊の民を逃がさなければなりません」

「まさか、『東海を踏む』のではあるまいな」

「そのまさか、でございます」

「して、東海のさきは、いずこをめざすか」

蓬莱ほうらいでございます」

「蓬莱と申さば、方丈ほうじょう瀛州えいしゅうとならび三神山のあるという仙境ではないか。神仙のおわす、ありがたき地と聞いておる。そこにどなたか、見知りの方がおられるのか」

「わが祖翁范蠡が、お待ちしております」

「笑止千万。奇っ怪なことを申すでない。范蠡どのご存命であれば、すでに二百歳にもなろうが」

「おおせのとおり范蠡二百歳にて、なお矍鑠かくしゃくたるものにございます。すでに神仙の域にあれば、寿齢重ねるはいとやすきこと」

 平然と語る范蠶をまえにして、不悍は呆気にとられて、二の句が継げなかった。


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