背伸びとヒール
夏の熱が上がって、街中でも手を繋いで幸せそうに歩く男女をよく見かける七月。
そんな七月、私は幸せに男の子と手を繋ぐでもキスをするでもなく一人で学校帰りの道を歩いていた。
お小遣いが入ったので、ずっと履いてみたかったヒールを買いに行こうと思った。紺のデニム素材の紐でボタンをぱちっととめて。かつかつ、ころころかかとを鳴らして大人の仲間入りをしたみたいに歩くのだ。
それに、あの人と話すときに近いようで遠い、深い差を感じなくていいんだから。
私の好きな人は身長が高い。私は155センチしかないのに、彼は180センチ近くもある。爽やかでカッコいいのにどこの部活にも入らず帰宅部で、私と一緒に帰って、同じ電車に乗る。
今日は彼がいないから、さっと買って家に帰ってすぐ履くんだ。
あぁでも、夕方になっちゃうから。
夕方に新しい靴をおろすと、お化けがその靴についちゃうから、ダメだよって、お母さんに小さい頃言われた。
お母さんのその忠告、他にも枕を踏むと枕の神様が怒るとか、ご飯を残すと神様が怒って鳩に目を突かれてしまうとか、そんな話を未だに信じている。
お母さんであろうと、友達であろうと幼い頃に言われたことも、高校生の今だって言われたことも、大抵は信じてしまうから、私はきっと、クラスで苦手なあの子に、子供っぽいってばかにされてしまうんだろう。
あの子が私をちんちくりんだって、チビだって子供体型だってばかにしているのを聞いた時、なんとも悲しくなったし、どこか虚しかった。きっとあの子は、私が彼と仲良くしているから、“嫉妬”しているんだろうな。ぼんやり思ったけど、言わなかった。
そんな子に構っているより、校門で待ってくれている彼と早く話したかった。
優しくてかっこよくて、完璧とも言えるような“彼”だけど付き合っているわけじゃない。告白なんてできない。それに子供っぽいのを私も自覚して、気にしていて、なんとなく溝を感じてしまう。
その溝が、自分の作っているものだって知っているのに素直になれないでいる。
だから、ヒールを履いて、背伸びしてみたらちょっと勇気をだして彼をお出かけに誘えるかなって、思ったから。
そうおもったけど、私は結局ヒールを買わなかった。なぜなら、彼が私を子供っぽいって悪口を言ったあの子と、笑い合いながら靴屋にいたから。
そしてあの子が、私の欲しかった靴を手にとっていたから。私はそれを反対の歩道から、お店のショウウインドウを透かしてみていた。
結局あの子も靴を買わなかったみたいだけど、どうにも買う気は起きなかった。
自惚れていた。彼は私に好意を持ってくれていると、期待していた。彼が今日、帰れなかったのはあの子とのデートの為だったのだろう。嫉妬しているのは私の方だ。みにくい。
家に帰る気にはなれなくて、電車にも乗らずにもう5時だ。夕方のチャイムがアーケードに鳴り響いた。
公園のブランコを揺らして俯く。ざくざくと砂を踏みしめる音が聞こえるけれど、人なんてこないで欲しかった。
もう悲しくて、悔しくて、涙ができてて。拭っても拭っても鼻水と一緒にでてくる。もうすぐ夏なのに、寒くなってきた。今日の夜は寒いんだなぁ。
ふわっ、肩に掛かる黒い布。ばっと顔を上げると、今見たくもない彼。こんなに泣くほど好きなのに、言えなくてつらい。
また優しい言葉をかけてくれるんだろう。どうして泣いてるのっていうんでしょう。
「なんで泣いてるの、だいじょうぶ?」
ほら、ほらね。それで次は何を言うの。あの子にも言ったような言葉を、その綺麗な紅いの唇でいうんでしょう。
「ちょっと、鼻水も涙もだらだらじゃん」
ティッシュを差し出して、あげるよって。
私がそれを受け取って盛大に鼻をかむとにっこりする。なんでそんなに優しく笑うの。
なんでその柔らかい髪の毛を揺らして、しゃがんで、首を傾げて顔を覗き込んでくるの。
なんで私の涙は止まらないの。もういやだ。
「ねぇ、辛そうだよ、何があったの」
首を降ってなんでもない、の意思表示をする。
なんかあったんでしょ?そんな言葉が返ってくる。
なにか嫌なことでも言われたの?
俺、なんかできない?
優しい言葉ばっかりくれて、いい加減にしてよ!
「あの子と、靴屋さんで楽しそうにデートしてるから!」
「それ見て悲しくて悔しくなったの、それだけ!」
彼はめをぱちくりさせて、一瞬。それから、なんのことだか思い当たったように手をぽん、と叩いた。
「それさ、デートでもなんでもないよ」
えっ?
そんなわけない。だってあんなに楽しそうに笑ってた。
「あれね、俺が靴買いに行くって話を聞いてたみたい。張り込まれてたんだよ、あいつに」
だから楽しくなんかなかったんだよ。俺はお前と帰ってる方が楽しいの。
照れくさそうに、鼻の頭をかいて彼は言った。
笑ってたのは、愛想笑い。全部お前の勘違いだよって、優しい笑顔で言われてしまった。
ほら立って。
言われるままにブランコから立ち上がると彼は肩にかかっていた布を取って、私に着るように言った。布の正体は彼のカーディガンだった。上着として、持ってきていたみたい。
「俺さ、お前が好きなんだ。ずっと、好きだった」
付き合ってください。
彼はまた鼻の頭をかいてそう言う。
ヒールも背伸びも、いらなかった。彼との差は、ヒールでも背伸びもなくならなかった差は、今この瞬間に全てなくなった。
ノータイトル 真珠 @fairytale
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