僕のテリトリー

ハル

第1話

 あなたは、「自分が今なぜ生きているか」なんて考えたことがあるだろうか。

 多分、誰しも一度くらいはあるだろう。でもきっと全ての人が納得のいく理由を見つけ、自己満足、優越感に浸ることは残念ながらできない。

 ぼくが勝手に得た結論は、人類が誕生してから今まで、これからも、きっと生きる意味なんてみつからない。

 死んだ時に生きていた意味を見出すんだろうが、死んだら記憶なんて残らないから、また生まれ変わっては生存理由を求めては死んでいく。

 同じことが延々と繰り返され続けて、今も昔も何も変わらない。

 ……どうしてそんなことを言い出したかって?

 そりゃぁ、ぼくが本当に聞きたいことは、あなたは「生きる理由を求めて、死のうとしたことがあるか」ってことだからさ。


 先に結果を言ってしまえば、今言った通り死んだら記憶なんてないから、生きるために死んだらやっぱり意味がない、っていうことなんだけど……。

 それはさておき、人間ってどうやら不思議で異端な生物らしい。

 なぜなら、動物の中で唯一自殺をしたがる生物だから。

 野良猫はしょっちゅう道路に「投身」をしてぐちゃぐちゃになってるけど、でも別に死のうと思って死んでるわけじゃないし。


 ……え、そういうお前はどうなのか、って?

 決まってるじゃないか。思いつくことはひと通り試してみたよ。

 たとえば夜中に家を出て道路に人気のない寝っ転がってみたり、自分の首にスズランテープ巻きつけて試しに締めてみたり、風呂に潜って溺れようとしてみたり、リストカットしてみたり、ガキなりに思いつくことはやってみた。

 言い換えればその程度のことしか出来ない。こうしてダラダラと戯言を並べられるほどに元気で、心臓は今も勝手にどくどくと血液をぼくの体内に送り出し続けている。

 ぼくは左腕に刻まれたの数本の「証」に触れる。ボコボコとした手触り。数度撫でてから、視線を薄暗い室内の本棚へ向けた。「霊」とか「死」とか、一般的には不吉だと言われる単語が背表紙にかかれた本ばかりが並んでいる。

 悲しいことに霊感はまったくと言っていいほどないし、空腹や眠気にも勝てない。つまりぼくは、ぼくが自分で死ねないことを知ってしまっている。だからそういうものに頼るほかないのだ。そして今みたいに、くだらないことをウニウニとこねくり回して、駄々をこねている。

 ぼくもまた終わらないループに加わり、ぴーちくぱーちく喚いているに過ぎない。


 こんなぼくでも人並みには生活できてると思う、一応。

 ぼくと同じ子どもが集まる学校はよくサボるけど、成績も中の下、「ぼっち体質」ではあるけど協調性はあるつもりだし、不思議と運動はできる方。

 ……ちなみに、だ。

 ぼくはさっき言った、生きている理由を知るために死を求めてみる、なんていう壮大なテーマのもと努力してきたことへの副産物として、「黒魔術」、「きもい」、「暗い」っていう名誉ある三大称号(略して3K)を、今年クラス替えをして間もなく同級生から与えられた。今ふと気づけば、黒魔術が良い感じにぼくのあだ名として定着している。


 両親はまぁ普通だと思うけど、父親に関しては怒ると口よりも手が先に出るタイプ。痛みに快感は得られないぼくには少しばかり厄介な存在。

 彼女は、と言うと、実はいちゃったりする。ここだけの内緒。ぼくのクールで少し変わったところが気に入ったらしい。自覚が全くなかっただけに、すごく意外だった。

 そんな彼女はというと、平日である今日は学校。ベッドの上の目覚まし時計は、午後三時を回ったところ。下校まではあと一時間くらいかな。

 ぼくが言わばオカルト趣向を持っているせいか、時々彼女はオバケの類なんじゃないかと疑われる。期待を裏切って悪いけど、ぼくの彼女は正真正銘の人間だ。手を繋ぐことだってできるし。チャンスがあれば抱きしめることだってきる。

 ああ恥ずかしい何を言っているんだろうぼくは。らしくない。

 考え過ぎたせいか、ぼくは頭の中がなんだかぼんやりとしたのを感じて、万年床に潜り込んだ。長めのタオルケットに頭を埋め、別に眠たくもなかったけど目を閉じた。孤独を感じたかったのかもしれない。

 そうそう、初めてぼくが生存理由を疑問に感じたのは多分、小学生の高学年の頃だったと思う。さぁ、きっかけはなんだったのかな。暇だったからかな。

 両親はこんなに健康なぼくのことを、まるでグチャグチャのクリーチャーとはち合わせた時のような目を向け、先生もまるで腫れ物のように扱うようになった。なんだろう、玉手箱みたいな? そうは言っても別に開けたところで爺さんになるわけでも、死神に取り憑かれて不幸になったりするわけでもない。まぁ、不愉快にはなるかもしれないけどね。


  ぼくは首筋になんだか生暖かいものを感じて目を開ける。どうやら知らない間に眠っていたらしい。目の前には、半分髪に隠れた耳が見える。小さな耳の穴にぼくの右の人差し指の先を軽く添えてくすぐってやる。

「ぁんっ!」

 首元で響く甘い声。頭が上がる。紅潮した丸っこい顔と、潤んだ丸っこい瞳、目にかかりそうなボサボサの前髪と、手入れをしていないボサボサの眉毛。それから紺のボタンを半数外した長袖の制服姿。薄緑の大人っぽい下着が覗いている。

「ああ、びっくりした!」

 そう言って、八重歯が特徴的な目の前の少女が笑う。

 こいつがぼくの彼女。名前はサエコっていう。苗字は忘れた。そんな度胸もないくせに、生きてる理由はセックスの中にあるとか小振りな胸(本人曰く、発達途中)を張って言う呆れたやつ。ちなみにサエコが言うには、寝てるぼくの顔が可愛いあまり、いつも我慢ができなくなるのだそうだ。年頃女子の欲求不満が解消できるし、ぼくも起きるしで一石二鳥なんだとか。別に一石二鳥だろうか一石何鳥だろうがどうでもいい。

「それで。今日、何か発見は?」

 サエコが言うのは、例によってぼくのこと。首を振る。

「そっか」

 困った顔。慣れたやりとり。ただぼくはこいつと付き合いはじめて少し経った今、一つの秘密を抱えていた。だけど、知らん顔出来るようになったってことは、ぼくも少しは大人になってしまったということなのかもしれない。ちょっとカッコイイだろ?

「でも諦めずに続けてれば、いつかはきっと……」

 ぼくは頷く。残酷なことをしているという罪の意識に胸が疼いた。

「あたしはねぇ、今日もまたエロ動画巡りかなー。毎日更新のサイトも多いしさぁ」

 ぼくから離れ、部屋の学習机の上にある「ぼくの」ノートPCへ近づいていく。フィルターがかけられていないのをいいことに見放題だ。まるでエロ動画を見に来るためだけに、家にほぼ毎日とやってくるんじゃないか、という気になってしまう。まぁサエコの生きる理由が、本当にセックスの中にあるのなら、日々のエロ動画サイト巡りさえも、十分に生きてく上で重要な要素に成り得るのかな、って最近はちょっと思うようになったりもして。

 困ったこと、なのかはわからないけど、サエコは割とよく、……ここだけの話、すごく言いづらいんだけど、動画を見ながら自慰に発展してしまう。ぼくがすぐ側にいてもおかまいなしだ。

 一応、性別上では男に分類されているぼくとしては、なんとも言えない居心地の悪さがある。

 サエコが言うにはぼくがヘタレだからワザワザ誘惑しているんだ、って言う。そりゃ確かにドーテイだけどさ、その言い方はなんじゃないか。自分だってヘタレなくせに。

「あ、そうだ。そういえば学校の帰りにね?」

 ぼくのPCをの電源を入れたサエコが、再びベッドにゴロゴロしていたぼくの方へ不意に振り返った。ぼくは視線を向けて頷き、続きを促す。

「いつも通る川の土手の道にさ、すっごいいっぱい真っ赤な花が咲いてて!」

 両手を広げ、壮大なポーズ。それから、椅子から下りたと思ったらぼくの腹の上に乗り、顔を覗きこんで来る。

「これから一緒に行こ? お散歩。……いいでしょ?」

 この手のオネダリに、どうしてかぼくは「ノー」といえない。


 渋々着替えて外へ連れ出されたぼくは、夜が近い夕空の下、サエコの半歩後ろを歩いていた。

 制服姿のサエコと私服姿のぼくとでは、すごく見た目に違和感のある組み合わせだ。しかしそんなの慣れっこのぼくの彼女は、鼻歌を歌いながらぼくを先導する。

「ユウくん家から出るの何日ぶり?」

 ユウタ、ぼくの名前。略してユウ。ありきたりな名前。っていうか、何日ぶりの外かなんて覚えてないしどうでもいいことなのだが、それを正直に言うときっと渋い顔をされるので、とりあえず黙って聞こえないふりをしておくことにする。

 サエコはちらとぼくを見て何か言いたげな顔をしたが、無言のまま前に向き直った。少しだけ罪悪感。

 通学路の途中にある土手の沿いの道は、ぼくの家から歩いて五分ほどのところ。

 終始ぼくらは無言だったが、いつの間にか歩幅を合わせて手を繋いでいた。どこからか金木犀の香り。

「着いた」

 サエコの声に興奮が混じる。前しか見ていなかったぼくは、華奢な指先の向こうを目で追って、初めてその光景に気づいた。

 ぼくらの立っている土手の柵の側から、流れる川の方へと緩やかに幅を広げながら、緑と茶色の野草に縁取られ、まだら模様の帯を描く真っ赤な花、花、花。

 真っ黒な流水に合流する、真っ赤な河口。

「ね! ね! すごいでしょ!?」

 ぼくは言葉を失って、ただ頷きながら、この花の名前を考えていた。

 どこかで聞いたことがあるはずなんだけど、思い出せない。この世のものとは考えられない、というほどでもないけど、なんとなく死んだあとに渡る三途の川っていうのは、きっとこんな感じなのかもしれない。そんなこともないか、多分。

 ぼくとサエコはぎゅっと手を握ったまま、川の方へ向き、柵に寄っかかってしばらく眺めていた。もうだいぶ空が暗くなって、夜の匂いが漂っている。

 もうそろそろ帰ろうか。そう口にしようとサエコに向き合った時、不意に接近した体に、一瞬だけぼくの唇にほんのりと湿った温もりが触れた。

 反射で繋いでいた手を離したぼくに、サエコは照れくさそうに笑う。

「……実は、これが私の初めてだったりして……?」

 言われてみれば確かに今までサエコとキスもしたことがない。とたんにぼくの鼓動が、耳の奥でうるさく響き出した。

 ほくは恥ずかしさのあまり、クルリと方向転換をして、きた道を引き返すという暴挙に出ていた。

「あ!? ちょっとっ! 今頑張って勇気出したのにヒドイ!」

 小走りでぼくの隣に並ぶ。そっちを見れば、ちらちらとぼくの表情を伺う丸っこい瞳。しょうがないから手を繋いでやると、満足そうな顔。

 ぼくは早鐘を打つ心臓の鼓動から沸き上がってきた感情に、耳をかたむける。道端だろうが人ごみだろうが関係なく、サエコを無性に抱きしめたくなる感情は、ぼくの知っている限り一つしかない。いいや、不可侵領域であるぼくの心のテリトリーは、サエコと一緒にいればいるほど、より強い一つの感情でいっぱいになっていく。

 ぼくはサエコのおかげで、もう死を求める必要も、生きる理由を求める必要もなくなった。

 ……なぜなら、それはーーー。

 でもきっと、口にしたらサエコはぼくと付き合っている理由を失くすだろう。だからぼくは黙って知らんぷりをするしかないのだ。

 だからぼくはずっと、罪深いひめごとに縛られているしかない。

 サエコがいつか、ぼくから離れていくその時まで……。

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