Episode4~帰路の行方~


 その日も高殿五月は倉庫で仕事の依頼を受けていた。


「はい……はい……ええ。では、一週間後に窺わせて頂きます」


 チンと黒電話の受話器が静かに置かれる。


 この時代、ケータイやスマホ一つ持たないライフスタイルで生きていける職業は極めて少数派だろう。


 それと言うのも個人営業。


 その上、オーバーワークや残業なんてものとは無縁だからこそ為せる技かもしれない。


「ふぅ」


 真冬に入った山間部はよく冷える。

 霜が既に都市部では降りた師走。

 運送会社跡地にある神前遺品整理所有の倉庫は極寒だ。

 市場に流してしまう品々も今は衣替えの季節。

 厚手の冬物や暖房器具に占領されている。


 冬らしいニットのセーターやらヒーター類が格安となれば、冬は飛ぶように売れるのが常だ。


 勿論、業者に流せば大喜びだし、個人で稼ぐにも十分だろう。


 今時、エアコンではなく石油や練炭系、薪ストーブなんてものに需要がある。


 これも寒い地方ならではかもしれない。


 外国製は良い値が付くし、比較的新しいものは半値で売っても十分な儲けになる事が殆どだ。


 無論、彼の黒檀製のデスク横には大きなパイプが外に伸びる薪ストーブがデンと鎮座している。


 倉庫全体は暖められないが、それでも十分傍は温かい。


 燃料は知り合いや山間部での仕事時に知り合った相手の持つ山で採取しており、一冬くらいなら軽トラ一台分の薪で足りる。


 このような金の掛からない暖房器具は倉庫住まいの五月にとって冬の生命線だ。


(もうクリスマスか……)


 聖夜の季節。


 先日の仕事で手に入れた2mのツリーが電飾も飾られずにポツンとデスク横にあるだけでも少し気分が踊る。


 サンタさんを卒業してもう十数年近いとしても、祭りが嫌いな人間は少ないのである。


「こんな時期だって言うのに危篤相手を見て、すぐ仕事を依頼する家族が増えたって言ったら、お前信じるか?」


 今日はストーブの前にある小さな掌に収まる鳥篭は少しだけ開いている。


「聞いてないのは知ってる……はぁ」


 電話の先で話された事は五月の人情を抜きにすれば、合理的なものだった。


 一週間以内にも死ぬ人間がいるから、頼みたい。


 それがどんな仕事でも問題が無ければ引き受けるのが神前遺品整理の流儀だ。


 蓄えが近頃多くなったとはいえ。


 それでも年末年始の食事を少し豪華にと思うなら、一仕事入れるのも悪くはない選択肢だろう。


 相手が誰であれ。

 仕事を頼んでくる人間は大抵困っている。


 一助けではないにしても、人様の役には立つ仕事だ、とは……先代神前遺品整理社長兼従業員兼経理の言葉だ。


「……まぁ、とりあえずは今出してる品が売れるか次第か」


 デスク上に置いていたノートPCに直結したコードの先から送られてくるデータは未だ更新されていない。


 最大手のオークションサイトは掻き入れ時とばかりにセールの文字が躍っているが、現在出している暖房器具は少し強気の価格設定。


 中古品でも出てくるのが稀な商品はそれなりの額で競り落とされる事が多いのだが、生憎とまだ一人も落札者は出ていない。


 そんな時、倉庫が大きくノックされた。


「どうぞ」


 来る客がいるとすれば、それは一人。

 そんなのは最初から分かっている。


「おーう。さっちゃ、ちゃ、ん……寒い。そっちで当たらせてくれ」


 佐武学さたけ・まなぶ


 いつもの刑事家業な独り者がヨタヨタと長靴にロングコート姿でやってくる。


「今日は何の用?」


「ああ、それが今回は……ちょっと早いクリスマスプレゼントを持ってきたんだよコレが!!」


「………ああ、うん」


「信じてないな?! その瞳!? はははは、だが心配ご無用!! ほれ、これを見てもらえば分かる」


「?」


 コートの内側から一枚の白い封筒が出された。


 その表面には『空滝そらたき旅館。二泊三日お一人様の旅』との文字が踊っていた。


「―――今、四月だっけ?」


「おぉーい!? その反応はないだろ!? これでもさっちゃんの為に泣く泣く手放そうという心意気で来たというのに!? ああ、おじさん悲しい!!」


 何やら大げさな身振りで嘆く最近加齢臭を気にしているオヤジが一人。


 その胡散臭さは無限大といったところか。

 仕事か。

 あるいは自分の仕事に関する仕事か。


 来る時の理由が必ずその二択である相手が突然に旅行のチケットを持ってくるとすれば、警戒せざるを得ないのが世の常だ。


「それで仏さんの部屋は?」

「ははは、無いぞ?」

「嘘、だろ……熱でもあるんじゃないか?」


 そのあまりの一言に五月の体は思わず後ろへ引けていた。


「酷いなぁ。これでもさっちゃんの事を唯一気に掛ける一般的で善良な市民兼刑事だぞ?」


「……本当に?」


「ああ、商店街の福引で当てたんだが……生憎と、本当に……生憎と……仕事が……うぅ、仕事があるんだ……署長の野郎!!? オレが善良な警官じゃなかったら、今頃どうなってるか!!? くそぅ!?」


「はは……マジかよ」


 本気で悔しそうな顔の常連はパタンと封筒を置いてストーブに手を翳した。


「とりあえず、ネットで確認したら豪勢だったぞ。何でも峡谷沿いの温泉街にある宿屋らしい。雪見露天やら日本海も近いから海の幸、山の幸のおもてなし。雪深いスキー場もあるとかでウィンタースポーツにも持ってこい。もう積雪が50cmくらいあるんだと」


 ザッとPCで検索し、場所を確認。


 ついでにサイトを見付けてシッカリと内容を頭に叩き込んだ五月は呆然とした。


 本当に、本当に、嘘では、無い、ようだったからだ。


「さっちゃん。行くだろ?」

「行く!! おっさんも偶には仏になるんだな」

「その例えは止めてくれ……」


 年始は特に餅を喉に詰まらせてというパターンが多い事から、個人営業にも仕事は舞い込んでくるのだが、年始明けまでの一週間は仕事も入っていない。


 五月が行かない理由は何一つ無かった。


「ちなみにこれって期限あるのか?」

「ああ、確かええっと……今日から、だったか?」


 それを聞いた青年はザッと封筒の中身を出して確認し、それが真実であると悟り、PCのお告げに従って雪山用の装備一式を倉庫内を一周して拾い集め、二階の方へと上がって一分程着替えと必需品を掻き集め戻ってくる。


「悪いが倉庫はおっさんが閉めておいてくれ。コレ鍵、倉庫裏の配電盤に入れておけばいいから」


「おおっと!?」


 空中を舞う鍵をキャッチした佐武を尻目に五月がウィンター用品……主にスノーボードを担いでウェアを着込み、PCの電源を落として敬礼一つ。


「じゃ」


 そう片手を上げた。


「ま、ゆっくり楽しんで来い」

「ああ、そうする」


 倉庫の大扉を開けて、助手席に荷物を積み込んだ軽トラがそのまま発進。

 雪山の夕暮れ時に消えていった。


「………ん?」


 佐武が今までデスクの上に有ったような気がした鳥篭が無い事に気付いて首を傾げる。


 視界の端に刹那前まで有ったような気がしたからだ。

 その跡らしき場所はほんのりと何かの液体で濡れている。


「あ、言い忘れた……ま、いいか。さっちゃんだしな……おーさむ」


 刑事が倉庫を閉めて自家用車で帰る途中。

 山道には確かにタイヤ痕が付いていたのだった。


 *


 サンタ。

 メリークリスマス。

 冬と言えば。

 キーワードはいつだって人々の欲望を映し出す。


 それがネットの世界なら覗く映像の先には幸せそうな像があるのは当然だ。


 造られた季節。


 なんて……世相の明るさは各界各企業のマーケティングの賜物かもしれない。


 恋人と楽しい一夜を過ごす輩がいる一方。


 当日後に賞味期限の切れたクリスマスケーキを食べる者もある。


 何もせずに過ごすというのも十分に有り得る話だ。

 いつだって物事には二面性がある。

 それは事実であり、明るさは背後の暗さの裏返し。

 その時期死ぬ人間に五月はいつでも一定の暗さを見付ける。


 それはプレゼントの無い聖夜に無くなった老人であったり、サンタとは無縁の若者であったり、様々な形で仕事となり舞い込むが、孤独が影を落とすという点は共通だ。


 ケーキの残骸すらない12月25日以降の仕事相手。

 彼らが如何にして日々を過ごしていたか。


 容易に察せられれば、それが世の無常という言葉そのものだと気付くのである。


 だからこそ、年始明けくらいまで仕事があまり無ければ良いと思う事もしばしばだ。


 限りある幸せは他人との間に求めるのが健全だが、それを知らない人間が近頃は増えているとも五月は体感している。


 人間の最後の敵は人間。

 人間を最後に救うのも人間。

 だから、人間を最後に不幸とするのもまた人間なのだ。


「………騙された、とは言うまい」


 青年は三時間半掛けてやってきた温泉街が近年の異常気象よろしく早過ぎる豪雪に埋もれ掛けている事に決して絶望していない。


 ガス欠覚悟で飛ばしに飛ばしてチェックインした時にはもう夜中であった事も気にしていない。


 夕食が遅れた事だって許容範囲だ(とても豪勢であった事は腹部の幸福度からして言うまでもない)。


 五月が来た道に途中で崖崩れがあって、山道が回復するまで三日以上という話も仕方ない事だと諦めている。


 しかし、しかしだ。


 温泉が止まっているという現実を前にして明暗が分かれた事は遺憾に過ぎた。


 今日の夕方以降まで大丈夫だった、との事。


 とりあえず、お湯が冷水になっていた事に気付かなかった温泉旅館側の責任は追及しない。


 が、確実に風邪を引いたのは痛過ぎる。

 仲居から貰った薬は飲んだが、熱は下がらず。

 布団に包まって震えているのでは何をしに来たのか分からない。


 まったり、温かい部屋で下らない年末特番でも眺めているのも良いかと思ったが、部屋が……寒い。


 温泉を使った床暖房だったらしい。


 その上、室内暖房は全て最新式のエアコンであったらしく……雪で電線が切れている以上は何を満喫する事も出来ない。


 石油式の暖房器具は館内でも玄関ロビーにしか無いらしく。

 一夜を其処で過ごす客もいるとか。


「呪われ過ぎだろ……」


 二重にした布団の中で呟くとそれに返す言葉がポツリ。


「寒い?」


 現在、五月の暗い部屋には2人切り。


 これが旅館にお一人様と偽って入った罰ならば、それは致し方ない事かもしれない。


 付いて来た鳥篭の主。


 黒ゴス衣装の彼女は五月の布団の後ろに潜り込んでピットリくっ付いている。


 久方ぶりのまともで豪勢な食事に釣られた食いしん坊と仲良く食事を分けたわけだが、片や人間、方や非人間。


 健康管理を問われるのは確実に前者のみ。

 満足した様子で後はスヤスヤ眠るだけのお子様が後者である以上。

 両者の間には深くて長い溝がある。

 基本的にひんやり体質な背中の主は五月の熱を奪ってヌクヌクだ。


(偶には生きた人間相手の空間でまったりするのも悪くないかと思ったが、中々上手くいかないもんだ)


 ぼんやりと薄れていく意識の中。

 已んだ雪夜の雲間から絶世の月が瞳を捉える。


「………」


 蒼く清んだ白い月。


 凍える程の静寂が運ぶ満月は地の光の在らざる山の全てを睥睨しているようにも見えた。


 *


 遺品整理の仕事を始めて間もなかった頃。

 行方知れず。

 要は蒸発か失踪か。

 という案件で仕事を受けた事がある。

 殆どの場合、そういった仕事は借金を抱えていたとか。

 連帯保証人だったとか。


 そういう背後事情が絡んでいるものだから、家が借家ならば、差し押さえられるものは差し押さえたいと債権者達に殆どの品は渡る為、実際に仕事が入るという事は非常に稀だ。


 だが、世の中にはそうしたいのに出来ない事情を抱えてしまう者もいるにはいる。


 例えば、差し押さえに行く度に怪我をするとか。


 不気味な場所で行くのも帰るのも一苦労の上、必ず車がエンストするとか。


 要は呪われているとしか思えない、という場合だ。


 所謂クローズドの状況が一歩間違えば死に繋がりかねないという現実は確かに存在する。


 変人、奇人は世の中それなりにいるのだ。


 推理小説の類ではないが、季節によっては専用の移動車両が無ければ一冬閉ざされるという場所での仕事もぶっちゃけ経験した事がある。


 ハッキリ言えば、その男の遺品整理もそういう類だった。


 季節は秋。

 資産家で山間に邸宅を構えた独り身男の自殺。


 冬に死に、春に気付かれず、秋にようやく山で猟師をしていた男達がガラス張りの邸宅内にその遺体を見つけた。


 男は元々が株のトレーダーだったらしく。


 人に会わずとも生きていける環境で稼いだ後はゆっくり山の中で不足無く暮らしていたらしい。


 生活費は口座から引き落とされ続けていたが、半年程度では到底、底を尽く事は無かった為、もしも猟師達が気付かなければ、更に発見は遅れていただろうとの話。


 邸宅は鉄筋二階立てで山の斜面に地下一階に相当するシアタールームが一つ。


 内部は黴と埃といつもの異臭によって包まれていた。


 邸宅は数百mも敷かれた私道を通らねば、県道に出られない場所に有り。


 警察は現場検証した後は自殺で片付けたという。

 男の親族が遺品を相続しようとした回数は四回。


 一度目は遺品を載せた車が原因不明のエンストでどうやっても家具を持ち出せなかった。


 二度目は冬に行われたが、家屋内部で次々に業者が体調の不良を訴えて不可能になり。


 三度目は家屋の何処からか猛烈な異臭がして、現場を探したものの原因を特定出来ずに解散。


 四度目は終に親族が家屋内部で倒れて救急車に運ばれ、亡くなった。


 恐れをなした他の親族達は結局、相続するのを諦め、遺品整理業者に頼む事にしたわけだ。


 金になりそうなものは売った後、その金額の半分を渡す契約。


 それがダメなら放置されるか。


 あるいは相続放棄で国に土地建物をそのまま渡す事になるらしい。


「……」


 玄関は普通。

 平均的な戸建て住宅の入り口は狭く。


 靴を脱いで入れば、冷え冷えとした板張りの廊下が奥へと続いている。


 正面に面した草の生え放題な庭の先のダイニングには埃が積もっていると分かっていたが、中に入れば、確かに床が薄っすらと白くなっている。


 現在、電気水道は止まっており、ガスは通っていない。


 あるのは軽油式の給湯器と自家発電用のエンジンとガソリンがタンクに一杯。


 さて、何処から手を付けようかと思った五月は一頻り平凡なリビングを見て周り、個人の持っていたブルーレイとDVDを見付けたが、然して新しいものではなく金にはならなそうだと二階へと上がった。


 家の端を回るようにして付けられた階段を昇ると部屋は4部屋程。


 寝室、書斎、書庫と回っていったが、一つだけ鍵が掛かっていた。


 一応、鍵類は依頼人から事前に受け取っていたのだが、どうやらその開かずの扉のものはないらしい。


 一階から下の地下室とボイラー室は開けっぱなしになっているのが階段からも見えていたので、問題なかったのだが、しょうがないと七つ道具の一つを取り出す。


 今時、ヘアピンで鍵が開く、なんて事は無くなってきているが、ピッキングツールというのも進化しており、それさえあれば、素人にも一定の手順さえ踏めば簡単な仕事……と思っていたのは最初だけだ。


 結局、マイナスドライバーを使う事になった。


 とりあえず、単純な鍵はこれで大体はどうにかなるというのが彼の心情だ。


 無論、出来れば携帯するのは避けたいが、遺品整理業は時間が命。


 出来れば、家一件は二日三日で済ませたいというのが本音である。


 殆どの依頼人は物件よりも遺品の処分を望む傾向にあるので契約時に開かない扉などがあった場合は工具で開ける胸の条項が入ってさえすれば、後から一言掛けるだけで問題ない。


 解体された鍵とドアノブを外して内部へと入る。

 中は薄暗くは有ったものの。


 すぐ横にある窓のカーテンを開けば、視界の確保に問題は無かった。


「これは……」


 開かずの間に置かれていたものを繁々と見やる。

 それは少なくとも遺品というには生々しい石膏像だった。


 男の姿を象った首から上だけがデンと中央の木製の台座に置かれている。


 不意な出来事だったが、それが誰なのかはすぐに分かった。


 今回の依頼人が話を持ってきた時、書類に遺品整理で個人の写真などを持ってきて欲しいと予め、故人の顔写真を渡されたからだ。


 この家の主。

 目を閉じたソレは一見して眠っているように顔も穏やかだ。


「………」


 石膏像以外に何か無いかと周囲を見渡して、部屋の奥にある複数のトランクと椅子、ロングコートを発見する。


 近くによってみれば、それが全て肌色ベージュのものだと分かった。


(そう言えば、特定の色のものをよく好んで使ってたって言ってたな)


 他に何か無いかと辺りを見回すと。


 奥の壁の中にクローゼットがあるようで長方形の可変式の扉があった。


 壁のようにも見えるが、壁の一部の丸い部分を押せば、其処が飛び出てきて取っ手となり、引いてみれば、壁の内部の品が露となる。


 まだ固める前の石膏の材料らしき袋が床に詰まれており、その上には鋸や糸鋸、靴ベラのような器具や金槌やバールのようなもの……少なくとも大工道具一式が詰め込まれていた。


「?」


 石膏で何かを作るのが趣味だったとすれば、別に二階にそういうのがあってもおかしくないが、大工道具は果たして二階にいるのだろうかと首を傾げるのも無理は無い。


 そういうのは普通、地下室やボイラー室などに置いておくのが一般的ではないだろうか?


「道具自体は……綺麗だな」


 使い込まれた大工道具なんて買い手が付かないだろう。

 だが、少なくともまだ買ったばかりのように新品同様。


 手垢も付いていなさそうな品々はカーテンの先からの光をキラリと反射するくらには錆びの一つも浮いていなかった。


 クローゼットの奥を探してみても、何か落ちている様子は無い。


 とりあえず、開かずの間は開いたが、熟れそうなものは大工道具くらいだろう。


 確認し終えたので再び部屋の中をザッと見渡すが、やはり台座の上の首だけが異様なだけで他には然して見るものが無い。


 途中にあった部屋を探した方が売れるモノも出易いだろうと踵を返す。


 部屋を出て本棚が数列に及ぶ個人のものとしては結構な蔵書量の書庫内で端から端まで埃の積もった本を見てみる。


 故人には乱読の家があったらしい。


 入れられている本の大半は中古市場になら幾らでも出回っていそうな本ばかりで、その上、大きさも出版社も分類も全てバラバラだった。


 小説から学術書の類までランダムに買ったのかと思えるような節操の無さ。


 何かを学ぶ為、読んでいるにしては何一つとして同じような本が見付からない。


 しかも、言語すら統一感が無かった。


 日本語、英語、中国語、独逸語、ラテン語やイタリア語の類までは分かったが、それ以後はサッパリだ。


 コミックのようなものから、児童書まで、本当に読まれているのか妖しいとすら感じられるラインナップは一個人が読んでいるにしては言語も種類も多過ぎた。


(もし、これを読んで分かるって言うなら十数ヶ国語が分かるって才能のある部類だが……)


 ふと書庫の端を見ると机があるのに気付く。

 その上には一冊の本が置いてあった。

 表紙には古めかしく英語でダイアリーとある。


「日記? このご時勢に?」


 今時、日記なんて紙じゃなくても良さそうなものだったが、紙媒体が隙だったのだろうかと僅かに開いてみる。


 本来なら、倉庫に持って帰り、供養してから処分するのだが、さすがにこの雑多な本を一斉に中古市場に出しても日本国内では大して売れないだろう。


 その労力を思えば、どうしてこのように本をランダムに集め読んでいたのかの理由くらいは分かるかと思ったのだ。


―――20××年10月1日晴れ。


 今日から新しい日記を付けよう。

 旧いものは記憶と共に焼き捨ててしまった。

 心機一転、子供達との暮らしが待っている。


(子供?)


 とりあえず、続きをパラパラと飛び飛びに読み勧めてみる。


―――20××年4月××日曇り。


 本日、子供達が増えた。

 非常に喜ばしい。

 彼らを新居に連れて行くのが愉しみだ。


「また、子供……」


 故人の情報には天涯孤独という表面的な事情しか残っていなかったのだが、子供がいるらしい。


 それが本当に子供なのかはさておき。

 必ず、数日や数週間置きに子供の記述があった。


―――20××年8月××日雨。


 子供達が騒いでいる。

 どうやら退屈らしい。

 本を与えて、これからの事を考えよう。


(どうやら、この書庫は“子供達”のものらしいな)


―――20××年3月××日晴れ。


 子供達が近頃は増えている。

 大変喜ばしい。

 賑やかなのが好きなのは性分だ。

 煩い大人よりも煩い子供の方が良い。

 子供は世の宝、国の宝である。

 この新居に移ってきたのは良い判断だった。


 少なくとも、此処には騒音が無いし、子供達の声が良く聞こえる。


 次に病院へ行くのは水曜日の午後がいいだろう。

 新しい子供達に会えるのが愉しみだ。


―――20××年2月××日曇り。


 兄に結婚しないのかと見合いを勧められた。

 余計なお世話だ。

 私には子供達がいる。

 見知らぬ他人と暮らすなんて考えられない。

 そもそも私は人間が好きではない。


 少なくとも、そう思えるだけの経験をしてきたし、今もその気持ちに変わりは無いのだ。


―――20××年8月××日曇り。


 そろそろこの新居も手狭になってきた。

 子供達も窮屈なのは嫌だろう。

 しばらくぶりに大きな買い物になるが、その価値はある。

 新しい新居に山奥の一軒家を立てる事にする。

 地下を広く広く造ってもらうつもりだ。

 子供達もウキウキするに違いない。


―――20××年9月××日雨。


 ようやく我が家が完成した。

 地下室はとにかく広く広く造って貰った。

 施工業者は首を傾げていたが、大金の前には黙らざるを得ないだろう。

 病院が遠いのは難点だが、子供達を増やすのは手間ではない。

 例え、どんな場所に行ったとしても、子供達を増やす事はとても簡単なのだ。

 これからも子供達を増やしていけるだろう。


―――20××年10月××日曇り。


 この国には子供達が溢れている。

 それが先進国の性というものなのか。

 嘆かわしいが、私の孤独を癒してくれるのは子供達だけだ。

 人間は愚かな生き物だが、同時に二面性を持ち合わせる。


 子は世の宝、国の宝、子供達を捨てる女は愚かだが、それが私の孤独を癒してもいる。


 皮肉な話だ。

 私は彼女達にお礼を言うべきなのか。

 それとも彼女達の愚かさを罰するべきなのか。

 答えは一生出ないだろう。


―――20××年11月××日晴れ。


 久方ぶりに首都で子供達を集めてきた。

 今日はとても満足している。

 どうやら国外の子も混じっているようだが、問題は無い。

 子供達には区別など無いのだ。

 この国で平和に暮らして欲しいものである


―――20××年12月××日晴れ。


 近頃、体調が悪い。

 今日は病院で見てもらおう。

 子供達を集めるのは今度になる。

 口惜しいが、まずは身体あってだ。


―――20××年1月××日曇り。


 どうやら、病気らしい。

 遺伝病らしく。

 そう言えば、父も同じ病だった事を思い出す。

 長くないと宣告されたが、そんなのはどうでもいい。

 死ぬのは怖くないが、子供達の事だけが心配だ。

 これから善後策を考えよう。


―――20××年2月××日曇り。


 もう長くないのが感覚的に分かる。

 自分の寿命というものだろう。

 子供達の家を守らなければならない。

 だが、形あるものは全ていつか消え去るのも真実だ。

 私がいなくなった後も子供達には幸せでいて欲しい。


 だが、私が死ねば……この家はきっと業突く張りの者達に取られるだろう。


 しょうがない。

 この身体に鞭打つ事となるが、出来る限りの事をしよう。


―――20××年3月××日曇り。


 これが最後の日記だ。


 永久とは行かずとも、子供達の最後の家として此処が残る事を信じる。


 全ての準備は終わった。

 地下室の鍵は開けた。

 子供達に説明もした。

 ようやく眠る日が来た。


 この日記を読む事の出来る方がいた場合、一つお願いを聞いて欲しい。


 それがいつなのかは分からない。

 だが、これは一人の人間の切なる願いだ。

 子供達が地下室にいる。


 もし、彼らが家から出る事を望んでいたら、どうか解き放ってやって欲しい。


 私の日記を読んでいるとすれば、それはたぶん同業だろうから。


 その対価として子供達との接し方を教えよう。

 書面ではなく。

 技能はこの日記そのものに残しておく。

 読み終えたら、君も子供達との接し方を覚えているはずだ。

 では、これで。

 親愛なる子供達の次なる日を願って………。


「………なるほど」


 不意に目が覚めた。

 旅館の一室。

 夜中である。


 夢というのは必要だから見るのであって、意味が無いように見えて、そうでもない。


 熱はどうやら引いている。

 今日は鳥篭も仕舞っている。

 モソモソと起き出して、寝汗を拭い。

 衣服を着替えて通路に出る。


 電気も温泉も無い宿は未だ水底に沈んだような冷たさに支配されている。


 玄関前まで行くと数人の旅行客らしき厚着の人々が温かいストーブの前で倒れていた。


 寝ていたのではない。

 倒れていた、だ。


 寒くないように毛布を掛けて、その足で雪に半ば埋もれた正面玄関の二重の硝子製の自動ドアを開ける。


 一枚目の先で背後のドアを閉め、二枚目を空けた途端。


 冷気が一気に押し寄せてくる。


 ドアの先には僅か月明かりの下でチラチラと僅かに降る雪。


 星明かりも見えない冴えた光の下では溶けそうにも思えるが、寒さはそれを否定する。


 道端に積もる雪は風で吹き飛ばされたのか。

 石畳は見えていた。


 ザクザクと氷を潰すように歩き出せば、温泉街の端に辿り着いた。


 ゲレンデが一面見渡せる絶景。


 白銀の斜面と月明かりのコントラストはナイターで滑れば、さぞかし幻想的な一夜になるだろう。


 しかし、その雪と月の狭間の虚空に浮かぶものが一つ。

 凍り付いた小さな小さな胎児は物言わず。

 縮こまっている。


「………清きもの、眩きもの、青きもの、月剥がれる水に浮かびし君」


 僅かな振るえ。

 その中にあるのはただ冷たさか。


「夢、努々と忘るる無かれ」


 声も発せず。

 耳も聞こえず。

 目も見えず。


「子(ね)は宝、出ずる者はやがて去りし日に惜しまれん」


 しかし、それでも振るえは確かに冷たく。


「我……天の階より、汝に報いるものなり」


 ゆっくりと雪が舞い上がり、月に逆巻き昇っていく。

 全てを隠すように。

 愚かなりし視線から遠ざけるように。

 何処からか世を嘲笑う声がした。

 不意に視界が遮られて、腕で僅かに顔を隠せば。

 次の刹那、世界は暗闇に閉ざされる。

 雪は雲より津々と降り続いていた。

 静かに静かに何一つ見せる事無く。


「……また、いつか……そう無情な事が言える人間は……都合が良過ぎるんだろうな……」


 パッと背後で寂れた温泉街の火が灯る。

 世に人の光が戻る。


「本日はお疲れ様でした」


 翌日、温泉街にはパトカーのサイレンが鳴り響いた。


 凍り付いていたとしても、確かに弔われるべきものが見付かった事で。


 高殿五月のクリスマスは常に憂鬱なもの。

 昼には再会した佐竹だけがいつもと変わらず。


 終わらない喧騒にゆっくりと湯煙は別たれる事なく融けていった。


 *


 カタンコトンと電車が揺れる。


 年始の雪道を車で走る馬鹿はガソリンの燃費に押し潰されるがいいと五月は朝一番の電車で周辺にある一番近い三が日開いている神社へと向かう。


 道すがら、街のシャッター街を通り。

 閉まっている喫茶店横のコンビニで缶コーヒー一つ。


 無論、ホットを注文し、ついでのサンドイッチ片手の行軍は目的地に近付くに連れて、路肩駐車紛いの大名行列を目にして勝ち誇るものとなっていく。


 人の足が最後にものを言う。

 無論、神社近くは完全なる魔窟だ。

 屋台が出ていたが、そんなものには目もくれず。


 缶コーヒーとサンドイッチのビニールを其々のゴミ箱に捨てて。


 五月は神社の鳥居の前まで行く。

 そこから先には行かず。

 僅かに頭を下げてから舞い戻れば、帰り道に人はまだ然程ではなく。


 鳥居近くにある枝代わりの無数に樹木の合間に渡された枝には大量の御神籤が結び付けられている。


「……何か引くか?」


 黒ゴスな少女がいつの間にか五月の横で屋台の籤を見ていた。


 絶対に1等が無いに違いないと確信するに足るゲーム。


 お面だの遊具を商品にしたボッタクリに違いない番号の書かれた三角折の紙切れを引くタイプのものだ。


「………(コクコク)」


 頷いた少女にワンコイン。


 毎度有りと強面なオニーサンが勧める箱の中に手を突っ込み。


 スッと一枚の紙が引き出された。

 それが手渡され、開かれた瞬間。

 カランカランカラン。

 そう鐘が鳴らされる。


「大当たり~~~」


 どうやら3等。

 五月が見る前でちょっと大きい細長い箱が袋に入れられる。

 どうやら前年度に人気を博した魔女っ子アニメの杖らしい。

 今時、電池でピカピカと光る事も無いちょっと大きめの杖だ。

 どうやらストイックな作品だったらしく。


 妙に凝ったディティールで箱の表層には白亜の杖(鴉バージョン)と書かれている。


 プラスチック製ではなく。

 どうやら木製らしい。


 よくよく見れば、大きなお友達専用アイテムっぽい。


 だが、そんな事は露知らず。


 黒ゴス少女は五月の近くに戻ってくるとさっそく箱を開け。


 杖を引き抜いて手に持ち。

 残りはゴミ箱に捨てて。

 ズイッとソレを見せ付けてくる。


「あ、ああ……うん、まぁ……いいと思う、ぞ?」


 微妙な表情で答えた五月だったが、少女がいつになく上機嫌そうに杖を胸に抱くのを見て。


 いいかと僅かに笑みを浮かべる。


 そんな二人の横をベビーカーがお参りを終わらせた夫婦と共に抜けていった。


 婦人の手には安産祈願のお守り。

 今度はそれを見た少女が青年に顔を向ける


「………」

「お守りとか買わないし、買えない」


 少女はシャランと音がしそうな杖を五月に一振りして、そのままその背後へと走り込んで何処かへと消えていく。


 機嫌は損ねなかったが、残念だったらしい。


「……帰るか」


 帰ろうと歩き出した背中に不意に何かを感じて振り向く。

 まだ肌寒い曇り空の下。

 雲の隙間から僅かに陽が差し込んでいた。


 その最中に何かを見たような気がして―――そのまま家路に歩き出す。


「そう言えば、此処は……ああ、そういう場所だったな」


「?」


 いつの間にか現れた少女が横で首を傾げる。


「オレ達みたいなのにも奇跡くらいは見られるって事さ」


 シャランと何処からか取り出された白い杖が振られて、僅かに小さな煌きが散る。


 こういうのかと訊ねた少女に苦笑して。


 ママ、あれほしーという幼子の声から遠ざかるように早歩きで……五月は曇り空を見上げた。


「捨つる人在れば、祀る人在り。人はいつでも二面性の生き物って事だ」


「?」


 やはり分からないという顔で少女は屋台の先にある綿飴に向かって青年を導く。


「行くぞ」

「♪」


 冷たい雲はやがて昼に掛けて晴れるでしょうと何処かでラジオが告げていた。

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孤独葬 TAITAN @TAITAN

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