ガンフィッシャー・ガールズ

@negi_qely

第1話

 海には、かつて『海水』という水が溢れていたらしい。

 わたしはずっと、湖という言葉は“水が溜まって海のようになっている”ところから生まれたんだと思っていたけど、そうじゃなかったということになる。

 今のように『海晶』が打ち寄せる姿しか知らないわたしと違って、おじいちゃんなんかは海が水だった頃を知っているみたい。

 そして、その頃の魚はなんと――海の中に住んでいた、ということも。


「千秋、来たぞ。魚群じゃ」


 おじいちゃんの声にハッとなる。

 レーダーが捉え、映像化して端末に送られてきたその様相は……例えるなら、雲。

 ぼんやりと一定範囲に広がる赤い染みみたいな反応は、おじいちゃんの言った通り『魚群』。

「イワシ……かな?」

「そうじゃな。じゃが、この動きは……それだけじゃないぞ」

 言われてみれば、密度が濃い。イワシの群れがこうした動きを取る理由はひとつ。

「……サメかな。それともマグロ?」

「来りゃ分かる。千秋はイワシを落とせ」

 おじいちゃんの言葉に頷くと、わたしは猟銃を握り締める。

 ほどなく、それが見えてきた。

 空の一角を埋め尽くす、黒い靄のようなもの。

 それが時々、不規則に進行方向を変えながら近付いてくる。

 イワシの群れだ。

 そして、おじいちゃんの言った通り――あのイワシたちは、もっと大きな魚に追われている。

 片膝を付き、猟銃を空の魚群に向ける。息を止め、銃口を寸分もぶれさせないよう保ちながら……ひたすらに待つ。

 やがて、青一色だった視界の半分ほどまでが黒に侵蝕された頃。

「千秋、やれ! 散らさんと本命が見えやせん」

 その合図で、わたしは引き金を引いた。

 散弾――バードショットと呼ばれているタイプのもの――が、雲霞のごとく押し寄せ頭上を通り過ぎるイワシの群れに放たれる。

 肩で反動を感じていると、イワシの群れが水面に石を投げたみたいに丸い波紋を描いて揺らぐのが見えた。

 直径1ミリちょっとの無数の金属の粒が、イワシのうち運のなかった一部の体を食い破ったはず。その証拠に、一拍置いて何匹かのイワシが周囲の草むらに墜落した音が聞こえてくる。

 一瞬だけ膨らんだ群れが再び収束する辺りに向けて、わたしはもう一発の散弾を撃ち込んだ。

 すぐさま引き金前方のヒンジで銃を折り、空薬莢を飛ばす。急いで次の弾を篭めて、振り上げるように銃身をロック。

 おじいちゃんの使うような銃と違って、わたしのミロクは弾が二発しか篭められない。でも、だからこそ淀みなく再装填ができるよう、ずっと練習してきたんだ。

 再び照準を空に向けた時、魚群の中に一際黒い影が一瞬だけ覗く。

「おじいちゃん、いた!」

「分かっとる! 散らせ!」

 言われて、イワシの進路を予測する。

 小魚の群れはまるで以心伝心で一斉に進路を変えてるように見えるけど、実際は危険を感じ取った一匹の動きを周囲がトレースし、それが全体に伝播しているらしい。

 つまり、群れの進行方向自体を変えるには――アタマを狙う!

 三度目の撃発。まだイワシが到達する前の空間に、弾を散布してやるイメージ。

 その射線上に飛び込んだ格好の先頭集団が、あるものは金属の粒に体を貫かれ、あるものは急制動で進路を変え――

 一瞬の混乱を見逃さず、もう一発もお見舞いする。

 再び不可視の金属雨が襲来したその空域を避けるように、群れが完全に左右に分かれた。

 突如進路を、それも二手に分かれる形で変えられたことで、どちらを追うべきか迷ったのか――結果、『そいつ』は魚群を突き抜けるように、その姿を現した。

「おじいちゃん!」

「おうよ」

 ヴッ、と。

 虫の羽音を極限まで迷惑にしたような音と閃光が木霊する。

 秒間何発だっけ……おじいちゃんのミニガンが吐き出す弾が、鎖のように連なって本命の横っ腹を叩く。

 わたしの散弾なんかじゃたとえ当たっても傷一つ付かないであろうその大きな魚影も、7.62ミリの瞬間的数の暴力の前には無力だった。

 空中でそいつはへろへろと力なく降下し――開けた草地に、突き立った。

 落下地点を双眼鏡で睨み、猟果を確認していたおじいちゃんが、わたしにも分かるくらい嬉しそうな色を滲ませて言う。

「バショウカジキかあ。この頭なら3メートルはあったかも知れんな」

 あったかも、というのは、後ろ半分が吹っ飛んでしまって正確なサイズはもう誰にも分からないからで。

 このサイズのカジキが街まで下りていたら、大変なことになっていたはず。

 ともかく、これで今回の猟は無事達成。

 さすがはおじいちゃん。お疲れさま。

 普段口癖のように「年を取りすぎた」なんて言ってるけど、マタギとしての腕も勘も、全く衰えているようには思わない。

 『マタギ』――猟師は、昔は猪や鹿なんかを狩猟していたらしい。

 でも、魚が空を飛ぶようになってから……コンクリートを求めて度々ようになってからは、その対象は専ら魚に変わった。

 おじいちゃんは、鞍替え以前から代々マタギとして山に生きてきた、最後の世代。

 そして――

「千秋、ようやった。お前も今日からは一人前のマタギじゃの」

 わたし――最上千秋も、こうして山人としての第一歩を踏み出したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ガンフィッシャー・ガールズ @negi_qely

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る