第3話 頼りにならない男たち

栄雄野高校 体育館


時刻は午前10時過ぎ。日曜日、休日の校内は、そのほとんどの教室と施設が施錠されている。体育館も例外ではない。今日はどの部活動も体育館を使用していないため、鍵は開いていないはずだった。だから、中に誰も入れないはずだった。しかし、体育館の中には、確かに施錠されているにも関わらず、数名の生徒と職員の姿があった。意識を失って倒れている守也の横に、唇から血を流す歩久の姿があった。


「6人か。やけに少ないが、まぁいいだろう」


ウサギは腰に差していた刀を鞘から抜き、刃を人質たちにチラつかせる。ウサギの横には、キャットが体操座りで携帯電話を使っていた。彼らのその余裕の姿を見て、歩久は疑問に思う。こんなことをすれば、遅かれ早かれキャプテン・ヒーローが駆け付け、恐らくこいつらは成敗されるだろう。だが、なんだこいつらのこの余裕は。


「大丈夫?」


「え?」


突然声をかけられ、驚く歩久。隣を見ると、女子生徒が心配そうに歩久を見ていた。歩久には見覚えがあった、彼女は確か図書室で自習勉強をしていた女子生徒だった。制服の胸に着いたネームプレートを見ると、「2年生 京野塔子」と書いてある。


「図書室で、あのウサギの仮面をした人に殴られてましたよね、大丈夫かなって」


「はっ、あっ!!大丈夫ですよ!!あっはっは」


「女」という存在に慣れていない歩久は、年下にも関わらず敬語を使い、明らかに緊張していることが伺えた。塔子はスカートのポケットからハンカチを取り出すと、歩久の唇に付いていた血を拭きとる。その瞬間、歩久は顔を真っ赤にして仰け反った。


「ちょっ!!なにしてるんだっ!!」


「血が付いてますよ」


「あ、あ、ありが…とう……」


歩久は、塔子の純粋な優しさに気が付き、一瞬だが心に落ち着きを取り戻した。だがしかし、それは本当に一瞬だった。塔子の視線が上を向き、表情が青くなる。歩久が塔子の向いている視線の方向を見ると、歩久の真後ろに、いつの間にかウサギが立っていた。


「青春を謳歌しているな、少年」


「あっ……」


「決めた、そこの少女を連れていこう」


ウサギは刀を塔子に向ける。塔子の首元に、冷たい感触が走った。塔子は持っていたハンカチを床に落とし、恐怖で震え、涙目になる。


「立て」


ウサギの言う通り、塔子は震える足を手で押さえながら立ち上がる。一瞬、塔子は歩久に救いの眼差しを向ける。しかし、歩久は目が合う前に視線をそらした。「クズだ」と自分の心に言い聞かせた。自分に優しく声をかけて助けてくれた女性を、俺は見捨てた。歩久は震える両手を拳に変えて握りしめ、恐怖に打ち勝とうとする。そして、彼女の首元に刃を向けているウサギを睨んだ。



「何か文句があるのか、少年」



ウサギの仮面から垣間見えた、その冷たく燃える視線を見た瞬間、歩久は感じた。これが、「恐怖」「絶望」「死」。歩久は塔子を見る。


「サイテー」


塔子はそう言い残し、ウサギと共に歩久のもとを離れた。ウサギは塔子を連れてキャットのもとへ行く。キャットはまだ携帯電話を触っていた。


「か弱い女の子の首にさ、刃向ける普通?」


携帯電話の画面を見ながら、ウサギは言った。


「黙れ。正門に飛ばせ」


「はーい」


キャットは元気なく返事すると、携帯電話を閉じ、ウサギと塔子の肩に触れる。その瞬間、歩久たちの目の前からキャット、ウサギ、塔子が消えた。それは、歩久たちが図書室から体育館に一瞬で移動した謎の現象と同じものだった。しかし、歩久の頭の中には、そんなことよりも塔子の言葉が頭に残っていた。


「サイテーっか、まぁサイテーだし、クズだよな」


歩久は一人悲しく呟き、自分を恥じた。



*****



栄雄野高校 中央棟5階 女子トイレ



女子トイレの一番奥の個室に籠っている透とあゆみ。2人はいつ現れる分からない鼠の仮面の男・ラーターに怯えていた。ラーターが守也に馬乗りになった時、ラーターは廊下に拳がめり込むほどのパンチをした。もし逃げる途中に捕まれば、確実に、あの力から逃げきることはできないだろう。最悪、殺されてしまう。


「パトカーのサイレンも、救急車のサイレンも聞こえない。まだ誰も気が付いていないのかな」


「分からない」


「携帯電話も図書室に置きっぱなし。なんでこんな時に忘れちゃうんだろう…」


栄雄野高校に限らず小中高では、10年前の立てこもり事件以降、生徒への携帯電話所持を義務付けるところが増えた。犯罪に巻き込まれた際に、すぐに連絡が取れるようにするためだ。しかし、その携帯電話を忘れてしまっては、元も子もない。


「どうすればいいの、日月君」


「え…それは、ここに隠れて過ごした方がいい」


「……もし、あいつが来たらどうするの?」


「来るはずないさ。この学校は広いし、見つかる確率も少ないよ」


「少ないって、絶対に見つからないってわけじゃないでしょ?」


「……まぁ」


「中学の頃からそうだよね。日月君、肝心なところで頼りにならない」


「……分かってるよ、そんなの」


中学時代。中学3年生の体育大会、最後の体育大会。そのラストに行われた3年生だけの競技、騎馬戦。僕はクジ引きの結果、チームの主将を乗せる馬役となってしまった。練習では見事にほかのチームメイトやみんなの足を引っ張ったが、それでもみんなは優しく接してくれた。しかし、僕は本番当日にその優しさを無駄にすることになる。本番当日、試合開始直前、僕は皆から浴びせられた大きな期待に耐え切れず、お腹が痛いという理由で黙って保健室に逃げ込み、結果、チームは騎馬戦にも出場できぬまま負けた。ルールがあったんだ。クジ引きで決まったチームは練習から本番まで、絶対にそのメンバーを変えてはいけない。これは、普段あまり話さないクラスメイトとも協力していけるようにという、学校の社会勉強も含めたルールだったが、僕からしたら知ったことではない。


そのルールのせいで、僕は、みんなのやさしさを受け、期待を背負わされ───


最後は、耐え切れずに逃げた───


体育大会後は悲惨な学校生活だった。誹謗中傷、罵声、嫌がらせもあった。それでもどうにか残り数か月の中学校生活を耐え抜いた。そして、忌まわしき地である中学校から極力離れようと決意し、周囲の人間が受けていないであろう、この栄雄野高校を受けた。もともとキャプテン・ヒーローのファンだった僕からしたら一石二鳥の選択だった。しかし、ここで誤算が起きた。


中学校3年同じクラスの、同級生がいたこと───


せっかくあの嫌な記憶から逃げきれると思ったのに、彼女・衛藤あゆみも栄雄野高校を受けていたのだ。キャプテン・ヒーローのファンでもないのに、別に栄雄野高校に縁もゆかりもない彼女がなぜ、栄雄野高校を受けたのか、今では知るつもりもないが。とりあえず、僕は彼女のために命を張るつもりなど、まったくない。


「分かってるなら、少しは変わったら?」


「変わろうと思って、この高校に来たんだろ」


透の口調が強くなる。負けじと、あゆみが言う。


「違うじゃん。逃げてるだけじゃん。誰もこんな高校受けないと思った?残念、私は受けて、合格して、ここにいるよ!!」


「なんだよ。なんで思い出させるんだよ!!僕は必死に忘れようとしてるのに!!」


「忘れようとすんなよ!!馬鹿!!学んで次に活かせよ!!」


「うるさいな!!衛藤さんに関係ないだろ!!関わるなよ!!」


「じゃあ、なんで私の誘いに乗って、図書部に一緒に入部してくれたの?」


その言葉に、透は口を止める。


「私には分かるよ。日月君は弱虫だけど、本当は優しい。でも、その弱虫を隠そうと自分から逃げてる。そうやって逃げても、優しい。私は、日月君のそういう優しさが好きだよ」


「は…?」


好き?え、今、僕、告白された?2人の間に、静寂が訪れる。2人は顔を赤くし、目をジッと見つめ合う。その時だった。近くで、あの下品な笑い声が聞こえた。



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The Captain Hero @tenshi

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