第31話「ミミのしっぽ」⑩

「あれは盗まなかったから、ほっとけば良かった。でも今回は泥棒だから、いつ普通の家が狙われるか分らない。それに、見た人がいなかったから良かったものの、もし顔を見て殺されたらたまったもんじゃないよ。最近、そういう話が多いからね」

そう言って祖母は茶を啜った。君の祖母はいつもリヤカーマンびいきだ。君の祖母だけでなく、君の祖父も、他の老人たちも、リヤカーマンの悪口を言わない。ホームレスにはかなり汚い口を叩くが、リヤカーマンは同じ宿無しでも特別な存在らしい。

君も、感覚的にその特別さに気付いていたはずだ。君が見たのは、光を背負って黄金の草原を行くリヤカーマンだった。逆光の中に浮かぶ影絵のようなその姿はあの時の君にとって神々しくさえ映った。

「リヤカーマンは盗まないって、どうして分るの? だって、お金なかったら食べるのに困るよ」

「本当はだんなしだもの。お金なんか、普通の人なんかよりずっと持ってた。それに、リヤカーマンは頭がおかしいわけでもないから、こっちが何もしなければあっちも何もしてこない。だから安全だった。全く、最近はこんな田舎にまで物騒なことが起こる」

「だんなし」とは、裕福な家庭とか立派な人だとか学識高いとか、何かステイタスのある人や家を指す言葉だ。

「そんな人が何でリヤカー曳いて歩き回るの?」

「知らね。ん、漬物食べろ」

祖母は茄子と胡瓜の漬物が山盛りになった皿を君に押しやる。この土地ではこれが当たり前だ。扇風機が首を横に振って漬物の匂いを君の顔に吹きかけた。

「茄子、ちゃんと色が着いているみたいだけど、どこが白いの?」

君は箸に手を伸ばすことなく、皿を覗き込んだ。

「あんな物、全部捨てた。気味が悪いからね」

「あの一樽全部? もったいない。真っ白には見えなかったのに」

「茄子の漬物が白いと家に不幸が起こるって、昔から言うだけだ。真っ白になるわけじゃない。ただ、色が冴えなかったり白い部分があったりするんだよ」

「そうなんだ。知らなかったな」

「お前たち若いのは、漬物の匂いが嫌いといって昔から近づかなかったからね。知らないのも無理ないさ。今はスーパーで売ってる漬物を皿に盛ればすむことだよ。そう言えば、庭の椿見たか?」

君は扇風機のように首を振った。

「気持ち悪い実がなってる。何もかも変だよ、最近は」

君は駅で見た蛾を思い出した。そして故郷が不変だという幻想は嘘だと思った。そう思うと、君はこれ以上祖母と話したくない気がしてきた。

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