第30話「ミミのしっぽ」⑨

「さようなら、ミミ」

君がぼくにそう言ったのは、引っ越しをするまさにその時だった。このときにはもう、君に見えるぼくは幽霊猫のような姿だった。ぼくの頭と胴は向こう側が透けて見え、君にはっきり見えたのはぼくの下半身だけだ。君はこの時、ぼくが見えなくなることを実感した。彼と同じように、ぼくも君の目の前から消えてしまう。君は次にぼくに会ったとき、ぼくが全く見えなくなっていても動揺しない覚悟を決めたのだ。


君が畦道の分岐点を前に踵を返して家に戻る頃には、すっかり日が暮れていた。

 「坂にある神社に何か変わったことがあった?」

君は家族に質問攻めにされる前に、自分から家族を質問攻めにした。神社には、スズメバチが巣を作って人が近づけなくなったという。

 「公民館前にポールがあったけど、あれは何?」

冬に使う流雪溝用の信号だという。積もった雪を流すための溝が流雪溝だ。君はこれがあって当然だと思っていたから、アパートの道路の両側にこの溝がないことに驚いていた。水が流れている溝の中に積もった雪を捨てるのだが、雪の多いときに一斉に雪を捨てると溝が詰まってしまう。君がいた頃にも、流雪溝が詰まって水が道路に溢れ、道路が川のようになったことがある。これを防ぐため、去年、信号が設置されたということだ。使い方は道路標示の信号と変わらない。青なら雪を捨てて良し。黄色は注意しながら雪を捨てろ。赤は捨ててはいけない。

「本当は警報装置かカメラを付けて欲しかったんだけど、これも必要だからしょうがないね」

「何かあったの?」

「最近はこんな所でも物騒だ。地蔵様に賽銭泥棒が入ったんだよ。今年だけでももう二回も」

「リヤカーマン?」

君は過去の記憶から、埃まみれの言葉を見つけた。ぼくと君が出会う以前、君は一度だけリヤカーマンを見たことがある。リヤカー一台を曳いて公園や神社などを巡る男性のことを、人々は「リヤカーマン」と呼んでいた。ホームレスのように特定の場所に寝床を求めるのではなく、常に様々な土地を歩き回り、その日行き着いた場所で寝泊りする放浪者だ。

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