第15話「これはひどい」④

 薄暗がりの中で、わたしの前々列に座っていた男性の足が小刻みに揺れていた。何度も太い足を無理やり組み替え、腹の周りの肉を揺らしながら座りなおす。

ついにこの中年男性は大きくため息をついて組んでいた足を解いた。

「説教かよ。金返せ!」

中年男性は、わざと周囲に聞こえるようにそう言って席を立った。パンフレットを座席に叩きつけるように捨て、中年男性は出入り口に向かった。これを機に観客席にざわめきが起こる。そのざわめきの多くが、中年男性に賛同していた。あちこちで、自分も退席しようと立ち上がる姿が目に入った。

 その時だった。


「説教聴くために金と時間払ったんじゃねぇ!」

観客は目を見張った。退席しようと立ち上がった観客まで動きを止め、舞台上に釘付けになっている。

舞台上の「観客」の男性一人が、立ち上がり、ステージに向かって叫んだのだ。「観客」の男性は自分のパンフレットを床に叩きつけ、舞台袖に消えた。

実際の観客たちは皆呆気に取られ、場内はざわついた。すると舞台上の「観客」達も、観客たちと同じようにざわついた。

 

ステージ上では淡々と女性と老婆が演技を続けている。

 女性は老婆のオムツを変える。

これと同時にシーツや布団も換える。汚れとしわがないか何度も確認する。

女性はわずかな時間のずれを許さずに老婆に薬を与える。

女性が腕をまくると細くて青白い腕に不釣合いなほど大きな腕時計がある。その時計の銀色に輝く太いバンドがスポットライトの光を反射している。

女性は老婆が寒くないようにと毛布を掛ける。

分厚く大きな毛布を何枚も重ねる。女性は老婆が毛布に埋まっていくことを無視している。

老婆がそれらを拒めば、またあの説教が始まる。

女性は説教の後に舞台袖に去る。

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