第10話「蝉の死骸の日記」③

八月十一日

 久しぶりの雨。しかも雷つきの土砂降りだ。台風が来ているらしい。風も強く、ガラスが割れそうだ。バルコニーも蝉の死骸もびしょぬれだ。

 雨が上がった後、蝉の死骸は死んだ場所から移動していた。仰向けの体勢のままではあったが。

 死骸は動くのだ。


八月十二日

 出かけようとすると、あのゾウムシは完全に死んでいた。相変わらず、蝉と違って腹は出していない。だが、今度は誰が見ても死んでいると一目で分る。

 ゾウムシは誰かに踏まれて潰れていた。茶褐色の重そうな体はその名の通り象のようだが、体液は気持ち悪いまでに白かった。まるで白い絵の具をかけたようだ。

 蝉の死骸は死んでから大分経つのに、一週間以上も生きているものと同じ形状を維持している。

 この蝉の死骸は、踏み潰されたゾウムシの死骸に比べて美しいと言えるのだろうか。


八月十七日

 四日ぶりの観察。蝉の死骸は黒く汚れていた。それは汚いとしか言いようがなくなったキレイな形の死骸だ。このキレイとは、ただ完全に蝉の形を残しているという点でのみだが。

 蜘蛛の巣で翅だけになっている虫達とは比べ物にならない、完全な死骸。

 ただ、蜘蛛の巣の死骸は蜘蛛の餌になって蜘蛛の命をつないだ。


八月十八日

 ひどい雨が降った。バルコニーにも雨が叩き付けられた。全国的にもたらされたこの強い雨は、何人もの人間の命を奪った。

 蝉の死骸はバルコニーのさらに奥へと追いやられていた。もう真っ黒で、ごみと見分けがつかない。死骸はこうしてごみとなるのだと思った。

 蝉の死骸がバルコニーではなくて土の上にあったなら、ごみにはならず、土に還っただろうに。

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